2013年10月03日

思い込み


思い込みと,思い入れとは微妙に違う。

思い入れは,よほどのことがないと,自分に思い入れすることはない。相手か,言葉が,考えか,ともかくそれに思いを致す。芝居で言う,「思い入れたっぷり」というのは,役柄に入れ込むのであって,自分ではない。

しかし思い込みは,思いの力点が,自分側にある。自分の信念,自分の観察,自分の思いを,信じて疑わない。

思い入れは,仮託,託すといっていい。思い込みは,固執,あるいはこだわりといっていい。

だから,思い入れは,代理なのかもしれない。自分でできない思いを,誰かに託す,誰かに事寄せて,その実現を期待する。その分,自分への執着はすくないかもしれない。

思い込みは,逆だ。誰かに託すなどということは真逆だ。あくまで我執,あるいは自分の思いへの執着だ。その分,自分を過大に信じている,と言えるのかもしれない。

恋に思い入れはない。あるのは思い込みだ。

是非善悪は,ここで入れていない。

思い込みのない仕事はない。そのとき,その仕事に思いが託されている。その仕事に強い思い入れがなければ,自分の動機づけにはならない。しかし,そこに,思い込みがなければ,執念がなければ,単なる憧れに終わる。

一念岩をも通す,

の一念とは,思い込みでしかない。

よく言えば,思い入れは,信頼やファンとかになるし,思い込みは,確信や信念になる。

悪く言えば,思い入れは,執心となり,思い込みは,執念になる。

たとえば,

思いが入らない,

思いが込もらない,

と,否定形にしてみると,もう少し違いがはっきり見える。

思いが入らない,あるいは,思いが入れられない,は信じられないことを指す。仮託する相手(もの)への拠りどころが自分の中にない,ということを意味する。あるいは,自分の中に,そのことへの思いが薄い,力が入らない,というふうにも言える。

思いが込もらない,あるいは,思いが込められない,は相手や何かに,というふうに言えなくもないが,自分の,とつけると,自分の中に,そのことへの強い思いがない,というふうに見える。

あるいは,時間軸で見ると,未来にあるのが,思い入れで,過去からいまにあるのが,思い込みという言い方もできる。

いずれにしたって,自分の中の思いだ。外へ託すか,自分に託すか,その境界線はそんなにはっきりしているわけではない。

僕は人への思い入れはない。むしろ,思い込みがある。人に対しても,自分の思いのこもり方が強すぎる。それは,仮託ではない。

だから,自分の思うに任せないと,

投げ出すか,

腹を立てる,

厄介な思い込みよりは,思い入れの方がいい。はじめから,託しているのだから,叶わぬのは,別におのれのせいではない。

しかしそれでは人生はおのれの人生ではない。

自分(の思い)に執着し,自分(の思い)に執心する。それでいい。なにも,遠慮はいらない。ひとさまが,代わりに,僕に人生を担ってくれるわけではないのだから。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




#思い込み
#思い入れ

posted by Toshi at 05:47
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