2013年10月30日

無駄


僕は自分が効率的な生き方をしているとはとうてい思えない。

しかし効率的でない,と言うと,インプットしたエネルギー以上の成果を出せたかどうかとということになるか。あるいは能率的と言うと,一定時間にどれだけの成果を出せたかということになるか。

しかし仕事もそうだが,ただ一定水準のものを次から次へと出せばいいというものではないのではないか(負け惜しみだが)。まして人生は,一定時間にどれだけ仕事をしたかとか,どれだけの効率的な生き方をしたかとかだけで測っていいものかどうか。

僕は,どうも,真っ直ぐには進まないタイプで,

回り道,

横道,

遠回り,

脇道,

に逸れるきらいがある。いわば,道草大好きで,好きな人がいると,すべてを投げ捨てても人生の時間を浪費して惜しまない。

そう言う意味で,

何か成果を出したか,

とか,

何を達成したか,

とかに関心がないわけではないが,目の前の花や団子に目を奪われ,うかうかと時間を過ごす傾向がある。

言ってみると,

どうでもいいことに無駄な時間を使い,一生を台無しにするタイプなのだといっていい。

どうなのだろう。

子どものときに夢中になっていた,

昆虫採集,

凧揚げ,

模型飛行機づくり

等々と,オトナになって,そう効率や能率や成果とは無縁の,どうでもいいこと,

たとえば(酒や賭博や競馬・競輪は除くが),

おまけの大人買い,

アニメの大人買い,

マンガの大人買い,

稀覯本の収集,

落語家の追っかけ,

ガンプラの収集,

等々に夢中になるのは,顰蹙を買うことになるのだろうか。

あえて言うが,人生は,他人のために生きているのではなく,ただおのれのためだけに消尽しつくすのは,その人の唯一の自由といっていい。

僕は,何かにまっしぐらに突っ走る人もうらやましいし,かっこいいとは思うが,どうでもいい感情にこだわって,人生を台無しにするというのも,別にかまわないと思う。一生をかけるに値する感情だったのだ。たとえば,片思いでも,一生を賭しても構わない恋だってある。僕はそういう人を知っている。それはそれで,恰好いいじゃないか。

あるいは,人にとってはどうでもいいものに夢中になり,その収集のために家族も捨て,退職金を擲ってでも手に入れようとするのも悪くない。そこまで夢中になったら,それは,人生を賭けるに値する何かだったのだ。

僕は人生は,一本道であるより,挫折,失墜,落伍,道草,失踪,自殺,何でもアリだと思う。だからと言って,脇道体験があるほど,その人に滋味が出るなどというアホなことは言わない。んなわけはないのだ。

一生をたった一つの夢に賭けてもなお,叶わぬ夢はある。それは人生と等価なのだ。だからいい人生だなどというお為ごかしは好きではない。論評無用なのだ。

行蔵は我に存す,毀誉は他人の批評

である。

ただ,だから人生は自己表現なのだ,と思う。一生を通して,

結果として,自分になる。

人生には,有効,有益はない。

当然人生に,無効,無益もない。そういう秤ではつりあう分銅はないのだ。

それを目方で形にしようとするなら,こういうことか。

おれひとりで呼吸する
おれひとりで
まにあっている
世界のちいさな天秤の
その巨きな受け皿へ
おれの呼吸を
そっとのせる(石原吉郎「呼吸」)

人生には,無駄はない。

本道を行く者には,脇道・横道は,無駄に見えるかもしれない。しかし,横道にそれたものから見れば,本道こそが無駄に見える。

人生楽しければいいなどという極楽とんぼは言わぬが,おのれの道が,脇だろうが,本道だろうが,ひと様には関わりはない。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm





#石原吉郎
#人生
#無駄
#効率
#能率

posted by Toshi at 05:27
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