2013年11月23日

完成


最近,若手の展覧会に伺う機会があって,いろいろ考えさせられた。

http://gallery-st.net/takeyama/index.html

手法を工夫することは,表現方法を手に入れたことだ。そのこと自体で,(まだ存在しない)作品(の全体像)が見えてくる。

素材を工夫することは,表現手段を手に入れたことだ。そのこと自体で,(まだ存在しない)作品(の質感)が見えてくる。

表現スタイルを工夫することは,表現力を手に入れたことだ。そのこと自体で,(まだ存在しない)作品(の現出方法)が見えてくる。

表現対象を工夫することは,表現空間を手に入れたことだ。そのこと自体で,(まだ存在しない)作品(の見方)が見えてくることだ。

そういう形で,方法から作品になることはあるし,素材そのものから,藤田嗣治「乳白色の肌」のような作品表現を手に入れることはあるし,スタイルから独自の世界をつくりあげるし,対象の切り取り方で,世界の新しい見え方をつくりあげることはある。

ただ,絵のことは。よくわからないが,

手法も,

素材も,

スタイルも,

対象も,

あくまでモチーフに過ぎない。描くきっかけである。しかし,描くというのは,

(作品の)全体像,

対象(何を),

を作品としてまとめ上げていくことだ。では,作品が完成するというのはどういうことなのだろう。

結果としてか,

プロセスでか,

初めからか,

はわからないが,作家の描きたいものが,(過不足は残るにしても)枠の中に表現しきれたとき,ということになる。そのとき,作品は,

ひとつの世界として自立,

していなくてはならない。何をもってかは,外からはわからないが,普通の文章を書く時も,プレゼンテーションを用意するときも,

こんな感じか,

という到達感がある。それが,世の中レベルから見て,ピンかキリかとは別の話だが,完成した感覚はあるはずだと思う。

そのとき,僕の感じでは,描いた世界の,

テーマというか,

主題というか,

が明確になる(初めからある場合もあるが)。それが,自分として描き切れたかどうかが,完成したかどうかの目安になる。

「光」を描こうとして対象を切り取って,描き切ったとき,それがそのまま作品タイトルにつながるときもあるし,対象からタイトルを取ることもある,最初のモチーフから取ることもある。

例えば,「光」をモチーフにして描き始め,全体像がまとまる(テーマの表現)と,その作品自体の世界が出来上がる。その世界にタイトルをつける,という感じがする。

正しいかどうかはわからないが,いずれにしても,タイトルが,その作品のラベルなのだと思う。小説に無題は聞かない。絵に,無題があるのは,僕は,最後の画竜点睛を欠くように感じる。

でも,絵をやる人は,

タイトルなんてどうでもいい,

逆にタイトルが観る人を誘導する,

とさえ言う人もいる。そうだろうか。

もし,タイトルが,作家のつくりあげた世界への窓だとするならに,窓は欲しい。結果として,そう見なくても(小説だってタイトルとは関係なく作品世界にのめり込む),作家が見たように,その世界を見てみることはしてみたい。

タイトルがついて,完成なのではないか。

それが作品としての(対象からも,素材からも,方法からも,スタイルからも)自立して,作品そのものが,枠組みの中に,おのれの存在を主張できる証のように思う。

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




#モチーフ
#テーマ
#タイトル
#素材
#方法
#対象
#スタイル
#主題

posted by Toshi at 05:01
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