2013年12月30日

分れ道



何気なく,分れ道と書いて,別れ道とはちょっとニュアンスが違うことに気づいた。岐路の意味で,分岐点と同じ意味で言い換えたつもりだが,そこには,メタファーが潜んでいて,別れ道というと,人との別離が意味されているということに気づいた。当然,その先には死別が含意されてくることになる。

ちょうど分岐点のところで,手を振って別れる。握手して別れる。いまなら,乗り換えのところで,そうやって別れる。それが,永久の分かれ,ということを意識するほどの別れ方はしない。だって,明日があると思っているから。もし明日がないのだとしたら,別れそのものがない。

昨今絆ということが言われれば言われるほど,僕のようなへそ曲がりは背中がこそばゆくなる。出会いも分かれも,自然で,そうなるべくして会い,そうなるべくして別れる。「さようなら」が,「左様なるわけですからお別れします」と意味であるのは,なかなか意味深なのだとつくづく思う。

人は孤独なのだ,ということをどこかで思っている。どうせ思いがすれちがう寂しさを感じるくらいなら,そんな出会いなど無用だろう,と思わないでもない。しかし,人はまた一人では生きてはいけない。

何となく疎遠になった人は少なくないが,きちんと別れた人は,そうは多くない。どこかに,かぼそいながら,縁を残しておきたい無意識のなせるわざか,ただ自然にそうなっただけかははっきりしない。

死別した友人の数もそう多くはないが,親との死別だと,僕の中に何かが残されたという感じがある。しかしまだ友人の死で,それを感じたことはない。遠くから,いつも僕のことを気づかってくれていた(と聞かされていた)友人が亡くなった時も,そうは感じなかった。

別れ道というのは,分岐点という意味では,それを選択しなかった,という意味でもあるが,そっちの道を捨てた(取らなかった)という意味でもある。その瞬間に,孤独が際立つ感じがする。

安部公房の最初期の作品に,確か,繭になる話があって(『赤い繭』),その孤独感が,印象に残っている。あらすじは,

帰る家のない「おれ」は,日の暮れた住宅街をさまよううちに,足から絹糸がずるずるとのびてゆき,どんどんほころんでいった。その糸は「おれ」の身を袋のように包みこんでいって,ついに「おれ」は消滅し,一個の空っぽの大きな,夕陽に赤々と染まった繭となった。だが家が出来ても,今度は帰ってゆく「おれ」がいない。踏切とレールの間のころがっていた赤い繭は,「彼」の眼にとまり,ポケットに入れられた。その後,繭は「彼」の息子の玩具箱に移された…,

というのだが,覚えているのは,繭になった部分だけだ。原文が手元にないので,全くの記憶だけだが,そのぬくもり感を奇妙に覚えている。たぶん,そのとき僕も孤独だったのだろう。

別れる時,

またね,

と言うか,

じゃあね,

というか,

それでは,

というか,まあそんな感じで,僕はさようなら,という言い方をしないことに,ふと気づく。たぶん。今の延長線上で,また会うことを暗黙のうちに含んでいるからだろう。

そのとき,別れは,分岐でも岐路でもなく,またこの先で出会う道だということを含んでいる。

あるいは,鈍感なのか,矜持が強すぎるのか,僕の場合,人との出会いより,別れた後の悔いの方が大きい。出会うことで得るよりは,別れた後に教えられることの方が多い。そういう不心得な質なのだ。

たとえば,こんな感じで,さりげなく付き合いが始まり,

どこまでつきあえる
あの町かどの交番が
さしあたっての目安だが
その先もうひとつまでなら
つきあってもいい
そこから先は
ひとりであるけ
立ちどまっても
あるいても
いずれはひとりなのだから(「目安」)

そう,こんなことを言いそうなのだ。僕も,そして,いつの間にか惰性となり,

こんなにつきあうと
思ってもみなかったな
つきあっていて なんど
君に出会ったかな
つきあえばいいと
いうものではない
つきあえばというものでは
行ってくれ
どてんとしてくれるな(「つきあい」)

最後は,別れになる。

ここでわかれることに
する
みぎへ行くにせよ
ひだりへ行くにせよ
きみはもう
かえってきてはならぬ
ぜんまいのような
のびちぢみに
いちにちやふつかは
耐えるにしても
のびきったところで
それはもうおわるのだ(「死んだ男へ」)

別れた後に,その人の影が,ずっと,向こうに見える。どちらも立ち止まらず,歩き続けるか,どちらか一方が立ち止まって,後姿を見届けるか,いずれにしろ,本当は,別れは,そのように分岐していく。その道がまた会うということは,本来の別れにはない。

別れは,どんな時も,孤独の確認であり,自分の確認なのかもしれない。あるいは,

別れの数だけ成長する,

というのかもしれない。それは,自分との分岐ということでもある。

と同時に,ふと思う。そういう別れは,別れた後に,自分の中に,別れた相手の影があることに。死別と生別とを問わない。それだけ,別れを意識した人との間には,自分にも,相手にも,それぞれの相手の影が,滲み,沁みとおっている。

僕の中に一人だけ思い当る。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm



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#分かれ道


posted by Toshi at 05:41
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