2014年02月09日

寝る


世の中に
寝るほど楽はなかりけり
浮世の馬鹿は
起きて働く,

という三年寝太郎に由来するらしいセリフが,僕は好きなのだが,あるいは,

起きて半畳,寝て一畳,

というのも,足るを知る,というニュアンスで,結構気に入っている。あるいは,

胡蝶の夢,

もいい。昔,荘子が蝶になった夢を見た。夢の中で自分が人間であることを忘れ,楽しく飛び回った。 夢からさめ,自分が人間であることに気がつき,夢の中のことを思い出してみると, 荘子自身が蝶になったのか,それとも,蝶が荘子になったのか,よくわからなくなってしまった。 という。あるいは,

邯鄲の夢,

というのもあった。昔,邯鄲の 茶店で,盧生という貧しい青年が,富が思うようになるというふしぎな枕を借りて寝たところ,自分が出世して豊かな富を得, 50年余りの幸せな人生を終える。ところが,目をさましてみると,眠る前に茶店の主人が炊きかけていた大粟が まだ煮え終わらないほど短い時間だったという。

しかし,もう少し現実的なことを言うと,

寝ることの効果は,

(自分との,人との,事柄との,出来事との)距離を取ることだと思う。

たとえば,どつぼにはまって,トンネルビジョンに陥っているとき,視野狭窄の自分には気づけない。自分がトンネルに入り込んでいること自体を気づかない。それに気づけるのは,その自分を別の視点から,見ることができたときだ。そのために一番いい方法は,あえて,距離を取ることだ。それには,

時間的な距離化

空間的な距離化

の二つがある。寝るのは,まさに,この二つにあてはまる。岡潔が,

タテヨコナナメ十文字,考えてか考え詰めて,それでもだめなら寝てしまえ,

といった趣旨のことを言ったが,まさにその通り,寝ている間に,はまっていた視野狭窄を客観化する視点を手に入れて,起きたとき,

そうか,

と気づくことも,ままある。よく,アイデアを考えるときの,

三上,

つまり厠上,馬上,枕上,というが,いずれも,ちょっとした視点の移動を伴う,というのが共通している。僕は,これを,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11393394.html

でも書いたが,「見る」を見る,と呼んでいる。

いわば,ものの考え方や見え方を変えるというのは,見る位置を移動することである。

大きくなるとは見る位置を近づけること,
小さくなるとは遠ざけること,
逆にするとはひっくり返すこと,

だ。位置を動かせるわれわれの想像力を駆使して,見えているものを変えてみることで,見え方を変える。見え方を変えることで,いままでの自分の見方が動くはずである

しかしそれをするためには,対象を見ている自分の位置にいる限り,それに気づきにくい。それが可能になるのは,見ている自分を見ること(を意識的にすること)によってである。

つまり,見る自分を対象化して,ものと自分に固着した視点を相対化することだ。そうしなければ,他の視点があることには気づきにくい。

それを意識的にすることももちろん可能だが,

寝る,

のは,自然とそういう位置を自分の中につくり出すような気がしている。ここからは,妄想に類するが,人は,見ているうちに,体験したことを記憶し直す,というか,整理する。その操作自体が,

俯瞰する,

立ち位置をもたらすことになる。

さて,まあ,桃源郷の夢でも,見ることにするか。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




#邯鄲の夢
#胡蝶の夢
#三上
#厠上
#枕上
#馬上
#岡潔

posted by Toshi at 06:53
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