2014年02月26日

情報


情報を考えるとき,おおよその定義は,

①情報を量としてみようとするときの定義。シャノンやウィーナーに代表されるような,情報のコード化につながる定義である。
②生物に関わる情報の定義。たとえば,生命体の外界の刺激や視界に写っているものについて,生命体がどう受け止めるか。アフォーダンスとしてみるように,そこに有用か危険かの意味を見出すことになる。
③社会的なコミュニケーションに関わる情報の定義。この場合,データから言語情報まで含まれるので,コード化された情報から,状況に拘束されたモード情報まで,多様なものがある。

の三つに分けられる。しかし,個人的には,以下の三つを重視している。

●情報とは,「伝達された(る)何らかの意味」である。そのためには,3つの要件がある。情報の発信者と受信者がいること,伝えられるべき何らかの意味(内容)をもっていること,受け手に伝わるスタイル(様式・形態)で表現されていること。
コード化できる情報を「コード情報」と呼び,コードでは表しにくいもの,その雰囲気,やり方,流儀,身振り,態度,香り,調子,感じなど,より複雑に修飾された情報を「モード情報」と呼ぶ。(金子郁容『ネットワーキングへの招待』)

●情報とは,データに意味と目的を加えたものである。データを情報に転換するには,知識が必要である。(ピーター・F・ドラッカー『経営論』)

●情報の1ビットとは,(受け手にとって)一個の差異(ちがい)を生む差異である(のちの出来事に違いを生むあらゆる違い)。そうした差異が回路内を次々と変換しながら伝わっていくもの,それが観念(アイデア)の基本形である。
情報とは,(付け加えるなにかではなく)選択肢のあるものを排除するなにかである。(グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』)

そこから,情報の基本構造について,
・情報には,「コード情報」と「モード情報」がある。(金子郁容)
・情報とは,データに意味と目的を加えたものである。(ドラッカー)
をベースに考えるようにしている。その上で,「差異」に着眼する。人と同じところではなく,違っているところを見きわめる。。

では,情報の基本性格をどうとらえるか。

・自己完結している 抽象レベル(言語レベル)に丸められて,それの文脈・状況から分離されている
・言語化しないと情報にならない 情報は向き(意味づけ)を与えられている,というか向きが与えられなければ情報にはならない

そう考えると,情報は,ことば(数値も含めたコード情報)と状況・文脈(ニュアンスのあるモード情報)がセットになっている必要がある。言語化されるには,その人が受けとめた場面や出来事を意味に置き換えなくては言語化されない。しかしその言語を受けとめたものは,その人の記憶(リソース)に基づいて受けとめる。その意味の背後に,その人のエピソード記憶や手続き記憶に基づいてイメージを描く必要がある。ぶっちゃけ,情報を,

・時間的(いつ)
・空間的(どこ)
・主体的(誰)

に紐づけなくては,情報の自己完結した意味に引きずられる,ということになる。その情報を読むということは,,“そのとき”,“そこ”に限定し直すということなのである。本来情報は文脈依存だからである。

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0923.htm

でも触れたが,コード情報であれ,モード情報であれ,情報になるためには,発信者によって向きが与えられる。向きがなければ情報にならない。どんな場合も,出来事だけでは情報にはならない。その情報を発信してはじめて情報になる。そのとき,情報は,その人がどういう位置にいて,どんな経験と知識をもっているかによって,情報は,再構成される。つまり,“情報”は発信者のパースペクティブ(私的視点からのものの見方)をもっている。発信された「事実」は私的パースペクティブに包装されている(事実は判断という覆いの入子になっている)。逆に言えば,私的な向きがなければ,情報にはならない。

たとえば新聞記事情報を単純構造にして考えると,

・発信者(目撃者)による主観(発信者に理解された範囲で意味づけられた情報)
・報告者(伝聞者=記述者)による主観(記述者に理解された範囲で意味をまとめられた報告情報)
・受信者(読み手)による主観(読み手に理解された範囲で意味を読み込まれた情報)

となる。しかも,もう少し突っ込むと,その入れ子の構造自体が,

発信者
報告者
受信者

それぞれが,時間的,空間的に限定され,しかもそれぞれの主体の持つ知識・経験に限界づけられている。三重の,それぞれの発信者が,自覚しないで,それぞれのいる文脈に依存して,偏りを与えている,ということができる。

さて,ここからだが,情報自体の偏りが自覚できたとしても,自分自身の偏りは,なかなか自覚できない。

だから,情報は,二つの意味で,

自己完結してはならない,

と思う。

第一は,情報自体が完結しているのだから,単体で自己完結させない,

第二は,読み手である自分自身で自己完結させない,

ということだ。情報の読みは,ある意味で情報の編集である。編集,つまりアイデアを発想する原則は,

自己完結させない,

である。これは,情報にも当然当てはまる。




参考文献;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod05111.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm


posted by Toshi at 08:40
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