2014年03月27日

し残したこと


年齢的に言うと,そろそろ店仕舞いが近い。しかし,

し残したことは何か,

と考えてみたとき,

やりたいように生きてきた,

ように見えて(そう言われることもあるが),本人は,

やりたいことの半分もできていない,

と思う。チャンスは,目の前を,一杯通り過ぎたが,気まぐれなので,気が向かないと,摑まない。といって,摑まなかったことで,あるいは摑めなかったことで,後悔したことは,そんなに多くはない。最大のチャンスと思ったとき,たぶん,人生でこれほど頭を使い,全精力を使ったことがないほどに,ひとつのことをまとめ,更に諦めずに,再度まとめたが,

絶対的な才能という壁,

というのか,遺伝子の持つ限界というのか,遂に届かなかった。そのとき,

ああ,やはり,才能には,絶対的な差がある,

と思い知らされた。能力は,才能によって引っ張られる。というか,才能以上には発揮できない。それが悔しかったが,

誰もがイチローにはなれない,

と思い知れば,まあ,すがすがしく諦められる。そこには悔いはない(つもり)。

死はそれほどにも出発である
死は全ての主題のはじまりであり
生は私には逆向きにしかはじまらない
死を<背後>にするとき
生ははじめて私にはじまる
死を背後にすることによって
私は永遠に生きる
私が生をさかのぼることによって
死ははじめて
生き生きと死になるのだ(石原吉郎「死」)

背中に背負うというか,後ろ向きに歩くというか,その姿勢が,前のめりになっていると見えないことが,見える気がする。

で思う。いま,まだやれることで,やり残したことはないか。

思うのだが,完結したいとは思わない。後ろ向きだから,

たえず未完了,

の状態で進行する。終りは,自分には見えない。というか,見ない。

まだ永遠にあるかのようにいまを,生きる。

僥倖

を頼むほどお人よしではないし,

偶然

を頼むほどの猶予はない。

多く片想いで終わるかもしれない。しかし,考えてみたら,後ろ向きだからこそ,その結果はまだ見えない。

いま三つ,いや,四つ,もしかすると,五つ,六つ…。

し残したこと,というか,仕掛かりがある。こいつは片づけたい。しかし,片づけると,また次が生まれるだろう。だから,絶えず,未完了は続く。

未完了,

というのは,生きている証拠なのだ。

例えば,積読。これは,読むスピードの十倍二十倍購入するのだから,クリアできるはずはない。しかし,それは,

いずれ読む,読みたい本なのだ。

それは,人生のスケジュール表に,読書予定を積み上げているようなものだ。これが,未完了なら,大いに結構。読み終わるまで,死ねない。

どうせなら,もっと積み上げるか。

いやいや,すでにウエブで二冊注文し,さらに,

未注文のものが,一冊,待っている。

何歳まで生きたら,読み終わるのかはわからない。

それが,人生そのもののように見える。



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

posted by Toshi at 06:01
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