2014年05月08日

無様


セッションの中で,進退窮まるほどの窮地に追い込まれたとき,あるいはしくじってとことん落ち込んだとき,そういう自分をどう名づけているか,と問われた。

意味が分からず,

オレはあかんな,

とか,

やっぱりだめ,

とか言っていたが,それにどう名づけているか,と重ねて問われて,ふと思いついて,

二流である,

といった。正確には,自分の定義では,

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view03.htm

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163461.html

で触れたように,三流というのが正確かも…。因みに,

「三流の人」とは,それがもっている新しさを,「二流の人」の現実化の努力の後知り,それをまねて,使いこなしていく人である。「使いこなし」は,一種の習熟であるが,そのことを,単に「まね」(したこと)の自己化(換骨奪胎)にすぎないことを十分自覚できている人,

である。まあ一流,二流をの背中を追いつつ,おのれの力量と才能のレベルを承知している人のはずである。だから,もっと正確には,それより下,

三流以下,

ということかもしれない。

で,その自分を受け入れることが,というか,それから目をそらさないこと,

なりたい自分になる

ことにつながる,ということらしい。そういう自分を抱え込む。そこに,地に足をつけるところから出発のしようはないので,それを忘れて背伸びしても,無理ということになる。これを言うなら,あるいは,

ざまあ,ねえなあ,

というおのれでおのれをあざけるその自分の,

無様(不様)

を受け止めるということになるのかもしれない。無様は,

無+様

で,

様にならない,

ということだ。様とは,法(のり),手本(法式),鋳型,という意味だから,

生き様
死に様

の様でもある。

どうあがいても,形にも型にもならないということになる。だから,

体裁が悪い,

みっともない,

につながる。あるいは,

格好がつかない,

という方が正確かもしれない。ときに舞い上がって,等身大のおのれに戻れなくなる自惚れを,ただ戒めるという意味だけではない。そういうおのれをも是としていい,ということなのではあるまいか。

そんな,こんな,おのれのかっこわるさをあれこれ思っていたせいか,ぼんやりといろいろ考えていたら,過去の一杯の失敗が,恥ずかしい行為が,迷惑をかけた振る舞いが怒涛のように,大挙して押し寄せて,押し潰されそうになった。そんなことを数え上げれば,きりはない。思わず冷や汗,脂汗がでる。確かに,やっぱり,

三流以下

には違いない。

しかし,その中から,ふいに,こんな怠け者が,

ここまでなんとかかんとか生きのびたきた,

ということに思い至る。いやいや,それどころか,いろんな人の手を借りたことが思い出されてくる。二進も三進もいかなくなる,いわゆる,

進退両難

のときに,不思議と,やってみたこともないことをやらないかと,声を掛けられたり,以前の出版物のつてから,手を差し伸べられたり,とずいぶん助けられてきたことを思い出す。ひょっとすると失敗を上回ったから,赤字決算ではなくすんでいるのかもしれない。

まあ,まんざらダメダメ尽くし,

ばかりでもない。そう思うのだ。

それがなければとうに野垂れ死にしているところだろう。

受け入れる,というなら,こういうことも,その一つなのだろう。



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

posted by Toshi at 04:20
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