2015年02月24日

知楽好


先月のことになるが,「さん生ひとり語り」に伺ってきた。

https://www.facebook.com/events/331292610388842/?pnref=story

演目は,「鼠穴」「うどん屋」「初天神」。いずれも,何度か聴いたことがある。その意味では,新鮮な噺ではない。にもかかわらず,印象深かったのは,噺には,噺家の個性が出る,ということではなく,

人柄がでる,

と言う当たり前のことに気づいたのだ。通の人にとっては,何をいまさらと言われるのかもしれないが,話の筋がわかっていることは,噺を楽しむこととは別のようなのだ。

まくら

に個性があり,人柄が出るのは当たり前だ。そうではない。噺そのものに人柄が出るというか,極端に言うと,噺が,

人柄で変る,

ということに気づいたのだ。

僕は若いころから,小三治師匠が好きなのだが,と言って,何度も聴いたわけでもない。ただ,テレビで正式のタイトルは忘れたが,アメリカ留学の顛末を語ったのをうかがって,笑い転げたときに,いっぺんで,小三治師匠のファンになった。

それは,話が面白いという理由だけではなかった気がする。そこに見た,小三治師匠の人柄を垣間見た気がして,虜になったと言っていい。

確か,吉本隆明が,

「文句なしにいい作品というのは,そこに表現されている心の動きや人間関係というのが,俺だけにしか分からない,と読者に思わせる作品です,この人の書く,こういうことは俺だけにしかわからない,と思わせたら,それは第一級の作家だと思います。」

と言っていたと思うが,これは,落語にも通じるような気がする。ただし,少し変わる。

「文句なしにいい落語というのは,そこに表現されている噺家の心の動きや人間関係というのが,俺だけにしか分からない,と聴き手に思わせる落語です,この人のよさは,俺だけにしかわからない,と思わせたら,それは第一級の噺家だと思います。」

というように。

この噺をする噺家の,この人柄を,この気質を,わかるのは,自分だけだ,

というわけである。おおく,ファンと言うのは,どのファンでも,自分だけが見つけた何かを,相手に見つけたのに違いないのではあるが。

今回,ばかげたことかもしれないが,三つの演目とも,あるいは,独演会に,この演目を選んだこと自体に,人柄が出ているのかもしれない。

おおよそ,僕は落語通ではないので,一般の人が知っている以上に,多くの演目を,多くの落語家で聴いたわけでもない。昔は,ラジオの音声だけで落語を聴いていたのだが,そこではわからない視覚情報が多く入るようになって,噺の,あるいは落語の奥行は知らないが,噺家の人柄は,よく分かるようになったのではあるまいか。せんだって,上野鈴本の正月二之席にうかがって,このことは,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/413747300.html

に書いたが,柳家喬太郎師匠の趣味,

落語界きってのウルトラマンフリーク,

ということが分かっている人にだけ笑えるネタがあり,まさに,喬太郎師匠のことは,

自分だけがが知っている

という人にとっては,まさに,

得たり賢し,

というか,我が意を得たりという感じなのにちがいない。そう,

思い込み,

というか,

思い入れ,

にかなうからこそ,好きになるのではないか。

小三治師匠の実像がどういう人かということとは別に,自分があの噺で知った小三治師匠の人柄こそが,僕にしかわからない人柄,人物像なのだと思い込むからこそ,すべての噺に,それを見る。それが,ファンというものなのだろう。

僕は,先日,さん生師匠の噺を聴きながら感じたのは,そこなのだ。

つまるところ,

落語好きとは,噺家好きなのである,

と気づいた次第である。

孔子は,

これを知る者はこれを好む者にしかず,これを好む者はこれを楽しむ者に如かず

とおっしゃったが,

これを知る者はこれを好む者にしかず,これを好む者はこれを楽しむ者に如かず,これを楽しむ者はこれを好む故に楽しむ,

とでも,一言付け加えて見たくなった。

自分の発見に悦に入っているところなぞも,まあ素人の素人たる所以なのかもしれない。






今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 05:05
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