2015年04月30日

とんだ孫右衛門


いまどき,

とんだ孫右衛門。

で意味の分かる人は,それほど多くはいまい。

前に,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/418053269.html

で,泥道で難儀するのを,

粟津の木曾殿,

という喩を使った話をしたが,明治・大正期の人たちは(というか僕が無知なだけだが),総じて,この喩が,半端ではない。たとえば,岡本綺堂『半七捕物帳』の「張子の虎」に,

「尻を端折はしょって番傘をさげて、半七は暗い往来をたどってゆくと、神明前の大通りで足駄の鼻緒をふみ切った。舌打ちをしながら見まわすと、五、六軒さきに大岩おおいわという駕籠屋の行燈がぼんやりと点っていた。ふだんから顔馴染であるので、かれは片足を曳き摺りながらはいった。
『やあ。親分。いい塩梅あんばいにあがりそうですね』と、店口で草履の緒を結んでいる若い男が挨拶した。『どうしなすった。鼻緒が切れましたかえ』
『とんだ孫右衛門よ』と、半七は笑った。『すべって転ばねえのがお仕合わせだ。なんでもいいから、切れっ端ぱしか麻をすこしくんねえか』」

これで一定の読者には通じるのである。これは,歌舞伎の『恋飛脚大和往来』,人形浄瑠璃『けいせい恋飛脚』を歌舞伎に脚色したものだが,そこで,通称『梅川忠兵衛』と言われるものからきている。

大坂の飛脚屋亀屋に養子に出した忠兵衛の,実父孫右衛門が,「新口村の場」で,

大坂の飛脚屋亀屋に養子に出した忠兵衛の実父,大和国新口村の百姓孫右衛門が,「新口村の場」で,遊女梅川と逃げてきた忠兵衛が,知り合いの百姓の久六家で,(忠兵衛が店の金を横領して逃げている事は村中に知れ渡っており,庄屋に呼ばれた)忠兵衛の見知った顔が集まるため,ぞろぞろと道を行くのが見える。その最後に孫右衛門が見え,孫右衛門に会うことが叶わぬ忠兵衛と梅川は,遠くから孫右衛門に手を合わせる。すると孫右衛門が凍った道に足をとられ,そ下駄の鼻緒も切れて転んでしまう。忠兵衛は飛び出して助けたいと思っても出て行くことができない。代わって梅川が慌てて走り出て,孫右衛門を抱え起こして泥水のついた裾を絞るなどして介抱する。

と言う見せ場である。その,孫右衛門が転んで鼻緒が切れたことになぞらえて,言っている。しかも,半七は,

「転ばねえのがお仕合わせだ」

と,芝居にかこつけて,もう一つ念押ししている。この喩えの奥行が,すごいと,つくづく思う。

もうひとつ,同じ『半七捕物帳』「お照の父」に,

「そら、向島で河童かっぱと蛇の捕物の話。あれをきょう是非うかがいたいんです」
「河童……。ああ、なるほど。あなたはどうも覚えがいい。あれはもう去年のことでしたろう。しかも去年の桜どき――とんだ保名の物狂いですね。なにしろ、そう強情におぼえていられちゃあ、とてもかなわない。

というくだりがある。「とんだ保名の物狂い」の「保名の物狂い」も,似たものである。いわゆる,

葛の葉,

である。葛の葉は伝説上のキツネ,葛の葉狐、信太妻、信田妻とも言う。葛の葉を主人公とする人形浄瑠璃および歌舞伎の『蘆屋道満大内鑑』(あしやどうまんおおうち かがみ)も通称「葛の葉」として知られる中に出てくる。

「安倍保名(やすな)の恋人・榊の前が,無実の罪を着せられ,身の潔白を証明 するために,保名の目の前で自害する。そのショックで保名は気がふれ,今春の 野辺をさまよっているのです。そこで死んだ姫とそっくりな葛の葉に 逢う。いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうける。童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が白狐であることが知れてしまう。次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。
恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
この童子丸が、陰陽師として知られるのちの安倍晴明である。」

というようなわけで,「物狂いの」部分だけ独立して所作(踊り)となったのが,『保名』らしいので,あるいはこちらを指しているのかもしれない。いまは,歌舞伎は「子別れ」が中心らしい。

もうひとつは,「槍突き」で,

「『だが、槍突きはその猟師に相違ねえと思う。俺がこの間の晩、柳原の堤どてで突かれそくなった時に、そいつの槍の柄をちょいと掴んだが、その手触りがほんとうの樫じゃあねえ。たしかに竹のように思った。してみると、槍突きは本身の槍で無しに、竹槍を持ち出して来るんだ。十段目の光秀じゃあるめえし、侍が竹槍を持ち出す筈がねえ。』」

と出る,「十段目の光秀」だ。これは,この話が,竹槍による,いまで言う通り魔事件なので,多分想像がつくが,明智光秀が,山崎の合戦で敗北し,勝竜寺城から坂本城へ落ちのびる途中,小栗栖で落人狩の竹槍に刺されたことを指している,ということは,一応の推測できる。しかし調べれば,

絵本太功記・尼崎閑居の場

が十段目である。史実と歌舞伎は全く変わっているので,そこでは,

「尼となった皐月(光秀の母)の住む竹藪の庵室,皐月と操(十次郎の母)は出陣する孫の十次郎のために,許嫁の初菊と結婚式をあげさせ、祝言と初陣の杯を交わします。
十次郎が出陣していくと、光秀が旅の僧に化けた久吉(秀吉のあたる)を追って登場します。光秀は隠れているはずの久吉を槍で一突きしますが,意外にもその槍にかかったのは母の皐月でした。皐月は苦しい息の下で、主君を討った光秀を諫めます。」

といった筋になっているらしいので,「十段目の光秀」というのは,一揆に刺される光秀のことではなく,光秀が誤って母を刺したことになぞらえているらしいのである。

最後に,時代の反映かもしれないが,

白鼠,

という表現が使われる。これもよくわからなかったが,主家に忠実な雇用人,まあ番頭を指したらしい。

大黒天に仕えた白鼠,

つまり,大黒天の使いで,それが住む家は繁盛する,大黒鼠といったところから,喩えというか,なぞらえて言うらしい。『古語辞典』には,

大黒天を主人に,奉公人を白鼠にたとえて言う,

と丁寧に説明している。『大言海』には,

商家の番頭の,忠なる者の称。チュウと言うより言えるなるべし,

とあり,不忠なるを,黒鼠と言う,

とある。いやはや,奥が深い。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
金田一京助・春彦監修『古語辞典』(三省堂)辞典








今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

posted by Toshi at 03:44
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