2015年07月24日

はばかる


憚り,

というと,今はあまり使わないが,

便所のことだ。語源辞典では,

「言うを憚る所」

という意味で,便所の意で,本来は,遠慮,恐縮,支障の意とある。つまりは,もともと,

「憚る」

から来ている。それについても,語源辞典は,

「ハバ(幅)+カル(動詞化)」

として,

幅があって,狭いところに入りきらない意,

とあり,転じて,気兼ねして避ける,遠慮する,という意で,近世になって,

幅をきかせる意,

にも使うようになった,と説明している。辞書(『広辞苑』)には,「憚り」について,

おそれつつしむこと,
差支えがあること,
憚りさまの略,
便所へ行くこと,または便所,

とある。語源の意味の分枝が,そのまま生きているらしい。『古語辞典』では,

(「ハバメ」(阻)と同根。相手方の力や大きさに直面して,それを怖れ,あるいは障害と意識して,相手との間に距離を置くのが原義)

と注釈が入っている。ある意味,この場合,物理的な障害ではなく,相手の権力や力,あるいは神威のようなものの大きさを意識して,という意味だ。だから,本来は,

敬遠する,遠慮する,
相手を気にして,差し控える,

という,心理的な「慎み」の意味であったが,それを,物理的な物や人に投影することで,

周囲に差しさわりになるほど一杯にふさがる,
はびこる,幅をきかす,

と,意味が逆転し,こちらが遠慮するものから,相手そのものが,まさに,支障,障害そのもの,こちらを邪魔するものに変っていった。名詞化した「憚り」も基本的には,意味は同じで,

怖れ,謹み,遠慮,引け目,差し障り,
差し控えること,

に加えて,感謝の意味が加わり,「御憚り」で,

「人の親切に対して恐縮に絶えない」

という,感謝,ありがとう,という意味になる。言ってみると,恐縮の対象が,随分,

畏れ多いもの,

から平地へ降りてきたというか,安っぽくなったというべきかもしれない。「憚り」で「便所」を意味するのも,随分ちっぽけなものを憚るようになったのと対かも知れない。どうも,いずれも,江戸時代になってからということなのではないか。

憚りながら,

も,本来は,

畏れ多いことながら,

という意味であったはずが,

口幅ったい,

と随分平地へ降り,

言いにくいことですが,

といった,単なる遠慮というか,配慮というか,という,言ってみると,丁寧な口調になった,と言えなくもない。いつもながら,『大言海』は,「ばばかる」を,

「差し控える」意

「はびこる」の意,

を別項を立てている。「憚る」の「はばかる」は,

沮(はば)むの自動か,

と注記し,「他を侵さじと差し控ふ,畏れ謹む,遠慮する」という意を並べ,もう一項の「はばかる」は,

(はびこるの転といふ。あるいは幅の活用か,幅ある物の狭き間に入り難き意に起こる)

と注記して,「満ち余る,ひろがる,はだかる」「進みあえず,行き悩む」の意を載せる。

ここまで来て,古語辞典も,語源辞典も,語源を混同していたことに気付く。本来,

道にはびこる,

の「はばかる」と,

畏れかしこむ,

の「はばかる」は,まったく別だったのではないか,という疑問である。なぜなら,由来が,まったく違うからである。それが,「はばかる」という,同一音のことば故に,混同していった,というのが正しいのではないか。

『大言海』の用例は,いずれも,古く,特に,「進みあえず,行き悩む」の用例は,天智記から録っているのである(「行き波波箇屢」と万葉仮名であるが)。

「憚」という字の「單」は,薄く平らな働きを描いた象形文字。「憚」は,心を加えて,心が平らかで,上下に震えること,という意味。で,「心配して差し控える」という意味を持つ。

古語辞典とは逆に,「ふさがる」意味が,本来のもので,それに,「憚」字を当てたことで,漢字のもつ意味に引きずられて,

畏れ差し控える,

という意味を得たのではないか。文字をもたない民族である我々は,「真名」(漢字)を得ることで,「仮名」(ひらがな)を手に入れたが,それによって,漢字と和語との相乗効果の中に,深い言葉遣いの陰翳を育んできた,と言っていい。漢字をやめるとか制限するなどということは,自分たちが二千年余培ってきた文化の冒涜である。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)








今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 04:53
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