2015年09月06日

カリスマ


カリスマ(Charisma)とは,

預言者・呪術師・英雄などに見られる超人的・超自然的な才能、能力のこと。または、それらの能力を持った人。
人々を率いて、時代に大きな変革をもたらす力、またはそれを持った人。
(超自然的な能力を持っているかのように)人を惹きつける魅力、またはそれを持っている人。

といった意味だが,辞書(『広辞苑』)には,

「(神の賜物の意)超人間的・非日時用的な資質。英雄・預言者などに見られる。カリスマ的資質をもつものと,それに帰依するものとの結合を,マックス・ウェーバーはカリスマ的支配と呼び,指導者による支配類型の一つとした。」

とある。まあ,僕には縁のないことだが,ときに,これをリーダーシップに持ち込むヒトがいるために,話がややこしくなる。しかし,

リーダーにカリスマ性はあるが,リーダーシップにカリスマ性はない。

なぜなら,リーダーシップは,

スキル,

だからである。ことの巧拙,出来不出来,成熟未熟はあるとしても,だ。

M・ウェーバーは

カリスマ的支配
合法的支配
伝統的支配

という支配の三類型として構想した,という。 カリスマ的支配とは,

「『特定の人物の非日常的な能力に対する信仰』によって成立している支配で、その正当性は、カリスマ的な人物の『呪術力に対する信仰、あるいは啓示力や英雄性に対する崇拝』に基づく。そして『これらの信仰の源は、奇跡あるいは勝利および他の成功によって、すなわち、信従者へ福祉をもたらすことによって、そのカリスマ的な能力を実証することにある』。 カリスマ的支配は、偉大な政治家・軍人・預言者・宗教的教祖など、政治や宗教の領域における支配者・指導者に対して用いられ、被支配者・被指導者は支配者・指導者のカリスマ的資質に絶大の信頼を置いて服従・帰依するのである。政治的カリスマでは『軍事カリスマ』と『雄弁カリスマ』が、宗教的カリスマでは『預言カリスマ』と『呪術カリスマ』が歴史上重要である。」

と,ウィキペディアにはある。

ここからは,妄想だが,そういうカリスマ性は,その心理的な影響下にある人間に対しては,強い支配性,指導性をもつが,その支配圏外の人間には,そのカリスマ性は及ばない。それは,リーダーではあるが,リーダーシップではない。もちろんその強いリーダー性が,他へ強い影響を与え,結果としてリーダーシップを発揮することがあるかもしれないが,それは,リーダーシップの本質ではない。

リーダーシップとリーダーシップとを分けることについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163008.html

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163092.html

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163417.html

等々で触れたし,リーダーシップとは何かという本質に関わることは,

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0650.htm

で整理したので,あるいは,繰り返しになるかもしれないが,リーダーシップは,

文脈依存,

だということが一番強い。あるいは,

状況依存,

と言い換えてもいい。いつでもどこでも,共通したリーダーシップがあるのではない。その面で言えば,

リーダー像

は,普遍的かもしれないが,リーダーシップは違う。

リーダーは,チームや組織,集団のパフォーマンスを上げることだ。しかし,リーダーシップはそれとは別だ。その人が,ヒラであろうと,チームリーダーであろうと,役員であろうと,トップであろうと,決して自己完結せず,その問題,その目的を実現するために,必要な人に働きかけ,その人のサポートを得て,それを実現していくことは必要である。そのとき,

リーダーシップ

がいる。それを,

「リーダーシップとは,トップに限らず組織成員すべてが,いま自分が何かをしなければならないと思ったときに(それを覚悟という),みずから旗(何のためかという意味と目的)を掲げ,周囲に働きかけていくことでなくてはならない。その旗が上位者を含めた組織成員に共有化され,組織全体を動かしたとき,その旗は組織の旗になるのであり,リーダーシップにふさわしい地位や立場があるわけではない,ましてやリーダーシップにふさわしいパーソナリティがあるわけではないのである。でなければ,だれも,人を動かせない。このままではいけない,何とかしなくてはならないという思いがひとり自分だけのものではないと確信し,それが組織成員のものとなりさえすれば,リーダーシップである,と考えるところから,リーダーシップを詰めて行かなくては意味がない。」

という言い方をした。これに尽きると,思う。ここに,カリスマ性を入れたければ入れてもいいが,それは本質ではない。

たとえば,ヤマト運輸の二代目社長・小倉昌男氏は,「宅配便の規制緩和を巡り、ヤマト運輸が旧運輸省(現・国土交通省)、旧郵政省(現・日本郵政グループ)と対立した際、企業のトップとして先頭に立ち、官僚を相手に時には過激なまでの意見交換をし…理不尽な要求に毅然として」立ち向かったが,これこそが,トップのリーダーシップである。

要は,トップであれ,平であれ,その人が置かれているシチュエーション,つまり文脈の中で,

自分が何をするためにそこにいるのか,

そのために自分がすべきことは何か,

にどう考えるかに,その人のリーダーシップは依存している,と思う。その文脈の中で,

本当に解決すべきことを,解決できる人を巻き込んで,解決しようとしたかどうか,

がリーダーシップの根幹なのだ。その是非は,その人の文脈の中でしかわからない。だからこそ,そこで,自分が,

何をするためにそこにいるのか,

いま自分がしなくてはならないことは何か,

そのために誰を動かせばいいか,

を本人がわかっているかどうか,

その上で,

いま,自分がすべきことを実現するために,どの人に,どう働きかければいいのか,

をはかっていけるかどうかが,問われている。それができるかどうかは,一般論で語っている限り見えてこない。

実は,これは,アージリスの言う能力と深くかかわる。アージリスは,能力に,

コンピタンス

アビリティ

があるとした。コンピタンスとは,

それぞれの人がおかれた状況において,期待される役割を把握して,それを遂行してその期待に応えていける能力,

であり,ある意味,役割期待を自覚して,そのために何をしたらいいかを考え実行していける力であり,その先に,いわゆるコンピテンシーが形成される。つまり,それは,

自分がそこで“何をすべき”かを自覚し,その状況の中で,求められる要請や目的達成への意図を主体的に受け止め,自らの果たすべきことをどうすれば実行できるかを実施して,アウトプットとしての成果につなげていける総合的な実行力,

である。アビリティとは,

英語ができる,文章力がある等々といった個別の単位能力,

を指す。これが,仕事をする能力とするなら,リーダーシップは,コンピタンスの延長線上にある。つまり,

裁量を超えても為さねばならないことがあると思ったら,そのために事態を動かせる人を動かして,事を為そうとする,

ということである。これ以外にリーダーシップはない。








今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 05:19
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