2015年09月09日

六部


六部.gif


作家の中沢けい氏が,ツイッターに,安倍首相の行動を,先日,

「ふるさとへ廻る六部は気が弱り」

という古川柳で,皮肉っていた。

先日,安倍首相は,国会開催中にもかかわらず,百地章,宮家邦彦,竹田恒泰といったお仲間の論者が出いてる番組,「そこまで言って委員会」に出演し,「左翼くん」とかといったキャラクターまで登場させて,抗議する人々を揶揄していた。

「そこまで言って委員会」は,「たかじんのそこまで 言って委員会」の後継番組で,

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7904.html

に,その間の経緯は詳しい。それにしても,その安倍首相の行動を,

「ふるさとへ廻る六部は気の弱り」

とはうまいことを言うと,感心した。さすが,作家である。そう言えば,

子曰く,士にして居を懐(おも)うは,以て士と為すに足らず,

つまり,士でありながら生まれ故郷に惹かれる人間は士ではない,と孔子が言っていたことに通じる。あるいは,「居安からんことを求」めたり,「土(故郷)を懐」ってはならない,と。

「ふるさとへ廻る六部は気が弱り」は,江戸の川柳らしいが,不勉強の僕は知らなかった。で少し,調べてみた。

六部とは,六十六部が正式で,

「法華経を66回書写して、一部ずつを66か所の霊場に納めて歩いた巡礼者。室町時代に始まるという。また、江戸時代に、仏像を入れた厨子(ずし)を背負って鉦(かね)や鈴を鳴らして米銭を請い歩いた者。」

を指す。略して,六部(ろくぶ)と呼ぶ。辞書(『広辞苑』)には,六十六部について,

「廻国巡礼の一つ。書写した法華経を全国66ヵ所の霊場に一部ずつ納める目的で,諸国の社寺を遍歴する行脚僧。鎌倉末期にはじまる。江戸時代には俗人も行い,鼠木綿の着物を着て鉦を叩き,鈴を振り,あるいは厨子を負い,家ごとに銭を乞いて歩いた。六部。」

と詳しい。『古語辞典』には,上記に加えて,

「中世から近世にかけてそれ専門の聖を生じ,近世後期に入ると,一般の庶民も行い,時に乞食の渡世ともなった」

とある。江戸時代の川柳は,乞食渡世を指しているのかもしれない。六部笠というのがあって,

藺製の笠。中央と周りを紺木綿で包む,

とある。

http://members.jcom.home.ne.jp/k-fujikake/sld135.htm

によると,廻国聖は

「巡礼中、ふと故郷を思えば、気の弱りを覚える」

とあり,その辺りの心理の機微を含めて,中沢氏は皮肉った。さらに,こうある。

「巡礼の六部に宿を提供するのは善事とされたが、泊めた六部の持っていた金品に目がくらんで、『六部殺し』が起きる。この伝承が全国に分布している。」

六部像.jpg


六部殺し(ろくぶごろし)は,

「日本各地に伝わる民話・怪談の一つ。ある農家が旅の六部を殺して金品を奪い、それを元手にして財を成したが、生まれた子供が六部の生まれ変わりでかつての犯行を断罪する、というのが基本的な流れである。最後の子供のセリフから、『こんな晩』とも呼ばれる。」

とある。この話には,大体こんな感じらしい。

「ある村の貧しい百姓家に六部がやって来て一夜の宿を請う。その家の夫婦は親切に六部を迎え入れ、もてなした。その夜、六部の荷物の中に大金の路銀が入っているのを目撃した百姓は、どうしてもその金が欲しくてたまらなくなる。そして、とうとう六部を謀殺して亡骸を処分し、金を奪った。
その後、百姓は奪った金を元手に商売を始める・田畑を担保に取って高利貸しをする等、何らかの方法で急速に裕福になる。夫婦の間に子供も生まれた。ところが、生まれた子供はいくつになっても口が利けなかった。そんなある日、夜中に子供が目を覚まし、むずがっていた。小便がしたいのかと思った父親は便所へ連れて行く。きれいな月夜、もしくは月の出ない晩、あるいは雨降りの夜など、ちょうどかつて六部を殺した時と同じような天候だった。すると突然、子供が初めて口を開き、『お前に殺されたのもこんな晩だったな』と言ってあの六部の顔つきに変わっていた。」

ここまで読んで思い出したが,「かつて殺した相手が、自分の子供に生まれ変わり、罪を暴く言葉を発する」というモチーフに似たもので, 確か,落語に,『もう半分』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%86%E5%8D%8A%E5%88%86

という噺がある。

「夫婦で営む江戸の居酒屋に、馴染みの棒手振り八百屋の老爺の客がやって来た。老爺は,いつものように『もう半分』『もう半分』と,半杯ずつ何度も注文してちびちびと飲み、金包みを置き忘れて帰って行った。夫婦が中を確かめると、貧しい身なりに不釣合いな大金が入っている。しばらくすると老爺が慌てて引き返し、娘を売って作った大事な金だから返してくれと泣きついた。しかし、夫婦は知らぬ存ぜぬを通して追い出した。老爺は川へ身投げして死んだ。その後、奪った金を元手に店は繁盛し、夫婦には子供も生まれた。だが、子供は生まれながらに老爺のような不気味な顔で、しかも何かに怯えたように乳母が次々と辞めていく。不審に思った亭主が確かめると、子供は夜中に起き出して行灯の油を舐めている。『おのれ迷ったか!』と亭主が声を掛けると、子供は振り返って油皿を差し出し『もう半分』」

http://www.ndsu.ac.jp/department/socio/blog/2015/05/post-10.html

には,

「六部は諸国をめぐり、佐渡へ来るとここへ泊まっていました(六部のなかには諸国遍歴を続ける職業的な巡礼者がいました)。ある時、また佐渡にやってきて酒屋を訪れると、すでに娘には先客がいる。六部は純情だったのでしょう、男は自分一人だと思っていたから、怒り、酒蔵に火を放ちます。ところがこの日は、西から入ってくる風、土地でいうシモタケエ(下高い)風が強く吹く日でした。火はその風にあおられ、村を斜めに舐めるように燃え広がって、とうとう90戸の村のうちの70戸までを焼いてしまいます。
 六部は相川道を北に逃げました。村を見下ろせる場所まで来て石に腰を下ろし、『あぁ、大火にしてしもうたやあ。こんなに大事になるとは思わんかった。酒屋ばかり焼くつもりやったが』とつぶやいたそうです。これを聞きつけたのが消火の加勢にやってきた隣村の火消しでした。火をつけたのはお前か、とばかり、道の下の滝壷へ六部を突き落としました。それきり六部の身体はあがらなかったということです。六部が落とされた場所は、いま『坊さん落とし』と呼ばれています。」

という話が載っている。それにしても,六部殺しが,あちこちで伝承されているのは,何か曰くがあるに違いない。

「集落の外からやって来る旅人は異人(まれびと)であり、閉鎖的な農村への来訪者はしばしば新しい情報・未知の技術・珍しい物品をもたらす媒介者であった。福をもたらす存在として客人を歓待し、客人が去った後に繁栄を得る『まれびと信仰』に根ざした民話は、古くから各地に存在する。一方で、円満に珍品を譲り受けるケースばかりでなく、客人とトラブルを起こし、強引に奪い取って繁栄を達成したケースもある。六部殺しは、こうした『まれびと殺し』の類型に属す。」

との説明があるが,記憶なので確かでないが,村々には,無料で泊まれるお堂があり,そこの落書きに時代が読める,云々というのを読んだ記憶がある。調べると,

惣堂,
あるいは,
草堂,

というらしく,

惣堂は 案内なくて 人休む

という句があるらしい。

それはある意味,村の中へ入ってくるのを避けるために(事実往来の人を泊めてはならぬという禁制もあったらしい),そういう場所を設置したというふうにも読めるか(謡曲『鵜飼』ではそういうお堂で鵜飼の亡霊に出会う)。なかなか奥が深い。

参考文献;
http://www.ndsu.ac.jp/department/socio/blog/2015/05/post-10.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%83%A8%E6%AE%BA%E3%81%97
http://members.jcom.home.ne.jp/k-fujikake/sld135.htm
藤木久志『中世明雌雄の世界』(岩波新書)








http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 05:22
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