2017年03月08日

死者の書


折口信夫『死者の書・口ぶえ』を読む。

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解説によると,「死者の書」は,単行本として上梓される際,雑誌連載時の第一回目と第二回目とは入れ替えられているらしい。つまり,

「彼(か)の人の眠りは、徐(しず)かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫と睫とが離れて来る。膝が、肱が、徐(おもむ)ろに埋れていた感覚をとり戻して来るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの――。全身にこわばった筋が、僅かな響きを立てて、掌・足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけているのだ。
そうして、なお深い闇。ぽっちりと目をあいて見廻す瞳に、まず圧(あつ)しかかる黒い巌(いわお)の天井を意識した。次いで、氷になった岩牀いわどこ。両脇に垂れさがる荒石の壁。したしたと、岩伝う雫しずくの音。」

と始るのは,連載時は,単行本で「六」にあたる,

「門をはいると、俄(にわ)かに松風が、吹きあてるように響いた。
一町も先に、固まって見える堂伽藍がらん――そこまでずっと、砂地である。
白い地面に、広い葉の青いままでちらばって居るのは、朴(ほお)の木だ。
まともに、寺を圧してつき立っているのは、二上山(ふたかみやま)である。其真下に涅槃仏(ねはんぶつ)のような姿に横っているのが麻呂子山(まろこやま)だ。其頂がやっと、講堂の屋の棟に、乗りかかっているようにしか見えない。こんな事を、女人(にょにん)の身で知って居る訣(わけ)はなかった。だが、俊敏な此旅びとの胸に、其に似たほのかな綜合の、出来あがって居たのは疑われぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行った。」

が冒頭であった,という。おそらく,これによって,死者である滋賀津彦(大津皇子)の思い人である耳面刀自(みみものとじ)と,万法蔵院に入り込んだ郎女(藤原豊成の娘)とを重ねようという意図からだったと想像される。

作品の構成というなら,むしろ,僕は,「三」の,

「万法蔵院(まんほうぞういん)の北の山陰に、昔から小な庵室(あんしつ)があった。昔からと言うのは、村人がすべて、そう信じて居たのである。荒廃すれば繕い繕いして、人は住まぬ廬に、孔雀明王像(くじゃくみょうおうぞう)が据えてあった。当麻(たぎま)の村人の中には、稀(まれ)に、此が山田寺である、と言うものもあった。そう言う人の伝えでは、万法蔵院は、山田寺の荒れて後、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言い、又御自身の御発起からだとも言うが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、大伽藍(だいがらん)を建てさせられた。其際、山田寺の旧構を残すため、寺の四至の中、北の隅へ、当時立ち朽(ぐさ)りになって居た堂を移し、規模を小くして造られたもの、と伝え言うのであった。そう言えば、山田寺は、役君小角(えのきみおづぬ)が、山林仏教を創はじめる最初の足代(あししろ)になった処だと言う伝えが、吉野や、葛城の山伏行人(やまぶしぎょうにん)の間に行われていた。何しろ、万法蔵院の大伽藍が焼けて百年、荒野の道場となって居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、残って居たと言うのも、不思議なことである。
夜は、もう更けて居た。谷川の激たぎちの音が、段々高まって来る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。」

と,女人結界を破ったとして,万法蔵院の庵室に謹慎したところから始めてもよかったのではないか,と思う。

折口信夫という巨人に申し上げるのも,僭越の極みだが,最初に,滋賀津彦の思いを出してしまったために,それが全体の翳としておおいかぶさるようにはならず,途中で消えていく印象がある。むしろ,郎女が結界を犯して,謹慎しているという背景に,その翳が滲み出てくる方が,完成版のもつ,滋賀津彦が,庚申で尻切れトンボのように消えていくのに比べれば,いいように思う。

ま,しかし,大事なのは,どうも構成ではなく,

語りの構造,

なのではないかと思う。作者は,語りを,滋賀津彦についての,

「おれは活(い)きた。
闇(くら)い空間は、明りのようなものを漂していた。併し其は、蒼黒い靄の如く、たなびくものであった。
巌ばかりであった。壁も、牀(とこ)も、梁(はり)も、巌であった。自身のからだすらが、既に、巌になって居たのだ。
屋根が壁であった。壁が牀であった。巌ばかり――。触っても触っても、巌ばかりである。手を伸すと、更に堅い巌が、掌に触れた。脚をひろげると、もっと広い磐石(ばんじゃく)の面(おもて)が、感じられた。
纔(わず)かにさす薄光りも、黒い巌石が皆吸いとったように、岩窟(いわむろ)の中に見えるものはなかった。唯けはい――彼の人の探り歩くらしい空気の微動があった。
思い出したぞ。おれが誰だったか、――訣(わか)ったぞ。
おれだ。此おれだ。大津の宮に仕え、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。滋賀津彦(しがつひこ)。其が、おれだったのだ。」

と,郎女についての,

「南家の郎女の神隠しに遭ったのは、其夜であった。家人は、翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、気がつかずに居た。横佩墻内(よこはきかきつ)に住む限りの者は、男も、女も、上の空になって、洛中洛外を馳はせ求めた。そうした奔(はし)り人(びと)の多く見出される場処と言う場処は、残りなく捜された。春日山の奥へ入ったものは、伊賀境までも踏み込んだ。高円山(たかまどやま)の墓原も、佐紀の沼地・雑木原も、又は、南は山村(やまむら)、北は奈良山、泉川の見える処まで馳せ廻って、戻る者も戻る者も、皆空足からあしを踏んで来た。
姫は、何処をどう歩いたか、覚えがない。唯家を出て、西へ西へと辿たどって来た。降り募るあらしが、姫の衣を濡した。姫は、誰にも教わらないで、裾を脛はぎまであげた。風は、姫の髪を吹き乱した。姫は、いつとなく、髻(もとどり)をとり束ねて、襟から着物の中に、含(くく)み入れた。夜中になって、風雨が止み、星空が出た。
姫の行くてには常に、二つの峰の並んだ山の立ち姿がはっきりと聳(そび)えて居た。毛孔(けあな)の竪(た)つような畏(おそろ)しい声を、度々聞いた。ある時は、鳥の音であった。其後、頻(しき)りなく断続したのは、山の獣の叫び声であった。大和の内も、都に遠い広瀬・葛城あたりには、人居などは、ほんの忘れ残りのように、山陰などにあるだけで、あとは曠野(あらの)。それに――本村(ほんむら)を遠く離れた、時はずれの、人棲(すま)ぬ田居(たい)ばかりである。」

と,大伴家持についての,

「兵部大輔(ひょうぶたいふ)大伴家持は、偶然この噂を、極めて早く耳にした。ちょうど、春分から二日目の朝、朱雀大路を南へ、馬をやって居た。二人ばかりの資人(とねり)が徒歩(かち)で、驚くほどに足早について行く。此は、晋唐の新しい文学の影響を、受け過ぎるほど享(う)け入れた文人かたぎの彼には、数年来珍しくもなくなった癖である。こうして、何処まで行くのだろう。唯、朱雀の並み木の柳の花がほほけて、霞のように飛んで居る。向うには、低い山と、細長い野が、のどかに陽炎かげろうばかりである。資人の一人が、とっとと追いついて来たと思うと、主人の鞍に顔をおしつける様にして、新しい耳を聞かした。今行きすごうた知り人の口から、聞いたばかりの噂である。
それで、何か――。娘御の行くえは知れた、と言うのか。
はい……。いいえ。何分、その男がとり急いで居りまして。
この間抜け。話はもっと上手に聴くものだ。
柔らかく叱った。そこへ今も一人の伴(とも)が、追いついて来た。息をきらしている。」

という語りを並行させている。それぞれを並べ替えたと解説の言う,

「時間の経過通りに進行していた物語をいったんばらばらに切り離して,あらためて映画のモンタージュのように自由につなぎ合わせたのだ。物語を流れる時間は錯綜し,物語の筋は混乱する。その結果,作品は謎に満ち,複雑な陰影をもつことになった。」

とあるのは,推測だが,こうした語りの対象をつなぎかえた,ということだ。しかし,これは,作家の仕事というより,学者が,素材(あるいは伝承の資料)を,矯めつ眇めつして,並べ替えている作業のように見える。

それは,作家自身の博識の広がりの中,いくつものイメージを重ねて,読み手をその広大な奥行へといざなう。しかし,それは,作家のそれだろうか。むしろ,折口自身が,おのが掌にある世界を,カードのように並べて見せているだけだ。

作品は,語りである。能において,シテが演じるさまざまなものを,ワキは,目撃者として,あるいは,語り手として,語る。そのとき,語りは二重になる。シテは,ワキから見た時,語られているものであると同時に,語る者でもあり,その語りは,幾重にも,重ねられていくことができる。時間軸を重ねることで,幾重にもときとところは,重なり合い,混淆しあって,幻想の世界の奥行になる。

僭越ながら,語りとして言うなら,郎女に語りかける姥の語り,

「郎女は、御存じおざるまい。でも、聴いて見る気はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知った姥でおざるがや。
一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋しゃべり出した。姫は、この姥(うば)の顔に見知りのある気のした訣(わけ)を、悟りはじめて居た。藤原南家にも、常々、此年よりとおなじような媼(おむな)が、出入りして居た。郎女たちの居る女部屋までも、何時もずかずか這入って来て、憚(はばか)りなく古物語りを語った、あの中臣志斐媼(なかとみのしいのおむな)――。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤(もっとも)であった。志斐老女が、藤氏とうしの語部の一人であるように、此も亦、この当麻(たぎま)の村の旧族、当麻真人の「氏の語部」、亡び残りの一人であったのである。」

で始まり,

「藤原のお家が、今は、四筋に分れて居りまする。じゃが、大織冠(たいしょくかん)さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つの筋に岐(わか)れました。中臣の氏人で、藤原の里に栄えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。
藤原のお流れ。今ゆく先も、公家摂籙(くげしょうろく)の家柄。中臣の筋や、おん神仕え。差別(けじめ)差別(けじめ)明らかに、御代御代(みよみよ)の宮守(みやまもり)。じゃが、今は今、昔は昔でおざります。藤原の遠つ祖(おや)、中臣の氏の神、天押雲根(あめのおしくもね)と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。」

という語りこそ,能のワキに近い,語り手ではないのか。だから,語りの構造から言えば,「死者の書」は,

「郎女さま。
緘黙(しじま)を破って、却(かえっ)てもの寂しい、乾声(からごえ)が響いた。
郎女は、御存じおざるまい。でも、聴いて見る気はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知った姥でおざるがや。」

という姥の語りから始まってもいいのだ,とすら思う。僕は,

http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic2-2.htm

で書いた中上建次の『千年の愉楽』のオリュウノオバの語りを,あるいは,『奇蹟』の語りを思い描いている。

「どこから見ても巨大な魚の上顎の部分の見えた。その湾に向かって広がったチガヤやハマボウフウの草叢の中を背を丸めて歩いていくと、いつも妙な悲しみに襲われる。トモノオジはその妙な悲しみが、巨大な魚の上顎に打ち当たる潮音に由来するのだと信じ、両手で耳を塞ぐのだった。指に擦り傷や斬り傷がついているせいか、齢を取って自然にまがり節くれだったためか、それとも端から両の手で両の耳を完全に塞ぐのをあきらめてそうなったのか、指と指の隙間から漏れ聴こえる潮音はいっそう響き籠り、トモノオジの妙な悲しみはいや増しに増す。
 トモノオジは体に広がる悲しみを、幻覚の種のようなものだと思っていた。日が魚の上顎の先にある岩に当たり水晶のように光らせる頃から、湾面が葡萄の汁をたらしたように染まる夕暮れまで、ほとんど日がな一日、震えながら幻覚の中にいた。幻覚があらわれ、ある時ふと正気にもどり、また幻覚に身も心も吸い込まれてゆく。」

こう語り始められたとき、語り手が向き合っている(語ろうとしている)のは、現のトモノオジかトモノオジの思い出か、あるいはトモノオジの幻想のはずである。

現と幻とかが交錯させるには,語り手をぼかさなくてはならない。作家の知識もいらない。作品自体が,

幻想化,

するとは,幻想を語ることではなく,語りそのものが幻想化することでなくてはならない。それは,語り手自体を,現ともゆめともわからぬものにしていく必要がある。究極イメージしているのは,古井由吉の『眉雨』の語りである。

たとえば、次のような、時枝誠記氏の風呂敷構造の日本語の,「詞」と「辞」になぞらえるなら

語り.gif


辞をもたない語り,零記号化した語りの入子を重ねた語りならどうか。そこには語っている“いま”も “ここ”もない,幻想も現実も区別する指標はない。「誰がしゃべっているのか。(中略)ディスクールが、というよりも、言語活動が語っている」(バルト)ことになる,そういう語りである。時枝誠記説の,日本語の風呂敷構造では,

詞と辞.gif


辞において初めて、そこで語られていることと話者との関係が明示されることになる。
 第一に、辞によって、話者の主体的立場が表現される。
 第二に、辞によって、語っている〃とき〃が示される。
 第三に、辞の〃とき〃にある話者は、詞を語るとき、一旦詞の“とき”と“ところ”に観念的に移動して、それを現前化させ、それを入子として辞によって包みこんでいる。

辞において,語られていることとの時間的隔たりが示されるが,語られている“とき”においては、“そのとき”ではなく、“いま”としてそれを見ていることを,“いま”語っていることになる。零記号化するとは,その“いま”が消されることで,時間は無限に重ねられ,いつともどことも辿れない中を漂う。

そういう語りこそ,死者の書にふさわしい語りなのではないか。そのとき,もはやワキすらいない。いきなり,幻想そのものが,幾重にも語り重ねられていく。

参考文献;
折口信夫『死者の書・口ぶえ』(岩波文庫)
http://ppnetwork.c.ooco.jp/prod0924.htm
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic1-1.htm
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic1-3.htm
時枝誠記『日本文法 口語篇』(岩波全書)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
posted by Toshi at 05:27
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