2017年03月22日

空洞化


浅井基文『集団的自衛権と日本国憲法』を読む。

集団的自衛権と日本国憲法.jpg


本書は,ブッシュ政権,小泉政権の成立という,今から16年も前の時代状況を背景に,タイトルになっている,

集団的自衛権,

をめぐる論議を取り上げている。にもかかわらず,先年集団的自衛権を巡って論議されたことを映し鏡のように,炙り出している。結局,日本の政府は,対米関係に振り回されているのである。

その時点で,ブッシュ政権は,

日本が集団的自衛権を行使することに踏み込む,

ことを求めている。それを著者は,

「一つは,ブッシュ政権が進める軍事戦略の見直しとのかかわりです。この軍事戦略の見直しを進めていくうえでは,日本がきわめて重要な要素となるのです。
 つまり,アメリカがこれからおこなうことがある戦争に日本が全面的な協力体制をとるようにすること,言いかえれば,集団的自衛権を行使することに踏み込むことが,欠くことができない前提条件になる,ということです。日本がどう出るかによって新しい戦略の行方が決まる,といっても決して言い過ぎではありません。
 もう一つ実際的な問題として,これまでの日米軍事関係,とくに日本のこれまでの対応に対する不満がブッシュ政権の内部で強まってきたことも無視できません。日本の集団的自衛権の行使に踏み込まない限度での対米協力に終始してきたことを,ブッシュ政権はもはやこのままにしておくことはできないと考えるのです。」

とし,そして,こう書き加える。

「以上二つの事情に共通することがあります。つまりいずれの場合にも,ブッシュ政権は日米軍事関係のあり方を,集団的自衛権を軸にして根本的に変えようとしているということなのです。」

この帰結が,自衛隊のイラク派兵,に行き着くのである。

国務省の副長官アーミテージは,

「アメリカと日本―成熟したパートナーシップに向けて」

という,いわゆる「アーミテージ報告」を,ブッシュ政権成立前に出してる。

「改訂された日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)は,(日米)同盟において日本が役割を拡大するうえでの出発点(フロア)であって最終目標(シーリング)ではない…。(中略)日本が集団的自衛権を禁止していることは,同盟の協力にとって制約であり,この制約を除くことによって安全保障上の協力がより緊密かつ効果的になる」

今回の安倍政権の集団的自衛権をめぐる法制化は,ほぼこの報告の敷いた路線に応える対応ということがわかり,

「九・一一事件がおこった後,特に国務省のアーミテージ副長官…が『旗を見せろ』とせまってから,小泉首相は血相を変えて動き始めました。アメリカの報復戦争を無条件で全面的に支持しただけではありません。自衛隊を海外派兵して,アメリカの軍事行動を支援する方針を追求したのです。それが特措法であり,この法律を根拠にした自衛隊の海外派兵でした。」

という経緯は,今日見るとき,著者の,

「特措法と海外派兵は,事件に対処するための例外的なもの,と受け止めるとしたら,それはとんでもない間違いです。それは,集団的自衛権行使というアメリカの対日要求を実現し,憲法九条の枠組みを最終的にとりはらうための布石です。」

という言葉は,集団的自衛権法制化の露払いだったということがはっきりわかるのである。

「集団的自衛権に関する政府の憲法解釈は,一見明確です。それは,他衛を本質とするいわゆる集団的自衛権の行使は,憲法九条のもとでは認められない,とするものです。この解釈は,集団的自衛権の本質…を踏まえたもの,といえます。
 しかし実際には,アメリカが対日軍事要求をエスカレートするにしたがって,保守政治は,集団的自衛権を禁止する憲法第九条をなんとかしたい,と動いています。」

そして,「特措法」では,

武力行使にあたらない,
戦闘行為がおこなわれておらず,活動期間を通じて戦闘行為が行われないと認められる地域に限定する,

という方針で,

「日本は武力行使しないんですよ。個別自衛権,集団自衛権の問題は,武力行使する場合のことでしょう。(中略)テロ根絶,テロ抑止のために支援,協力態勢をつくるというのが今考えている新法の考え方である。」

「アメリカは個別自衛権でこのテロとの闘いに向かっている。日本は集団的自衛権でもない,個別自衛権でもない,国際協調だ」

等々と詭弁で潜り抜け,まさに集団的自衛権行使の露払いを果たしたことになる。

「つまり,武力行使はしないということによって,特措法は憲法違反という批判を入り口で封じる。また,集団的自衛権の問題も武力行使とのかかわりあいで問題になるわけだから,武力行使はしないと言い切ることで,特措法を集団的自衛権とのかかわりで批判する動きに対抗する。特措法では海外出動する自衛隊は武力行使することも予定しているが,その問題については,…自然権的権利の行使としての武器使用ということで言いぬける,ということなのです。」

このやりとりを見ると,集団的自衛権法制化で,意識的に集団的自衛権を個別自衛権と混同させることで誤魔化した経緯を思い起こさせる。著者は,

「憲法違反のことをやろうとしながら,そういう批判を言いのがれるだけのために,政府がいかにごまかしの議論をすることにきゅうきゅうとしているか,…。こういうやり方がまかり通ってしまったことが,戦後日本の安全保障のあり方について,私たちの健全な思考をさまたげてきたと思います。」

と書く。それは,16年たっても,いささかも変わらず,対米重視とは聞えがいいが,アメリカ政府の意向にふりまわされている姿勢だけが際立つだけである。当時,自由党の党首小沢一郎は,

「反テロのムードに便乗して,なし崩しに既成事実をつくろうとしている。その体質と手法は戦前の昭和史と同じ」

と喝破している。そのなし崩しは,ほぼ憲法九条を空洞化するところまできた。それは,九条にとどまらず,

基本的人権,

も,何よりも,

議会制民主主義,

も,さらには,

三権分立,

までも,ほぼ空洞化しつつある,憲法九条の空洞化は,

戦後日本の空洞化,

そのものの象徴である。

参考文献;
浅井基文『集団的自衛権と日本国憲法』(集英社新書)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

posted by Toshi at 05:27
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