前に触れた,
朝飯前(http://ppnetwork.seesaa.net/article/470157206.html?1568660734),
お茶の子さいさい(http://ppnetwork.seesaa.net/article/451394732.html),
と似た言い回しに,
屁の河童,
という言い方がある。
河童の屁,
とも言う。
何とも思わないこと,
へいっちゃら,
たわいもないこと,
全く容易でなんともないこと,
等々という意味で使う。この語源は,
木端の火の転訛,
水中でする屁,
の二説がある。「木っ端」説を採るのは,
「屁の河童は木っ端の火(こっぱのひ)という慣用句からきている。木端(木の屑)の燃える火は火持ちしないことから、たわいもないこと・はかないことを木っ端の火といった。これが訛って河童の屁となり、更に転じて屁の河童となった」(日本語俗語辞典)
「『木っ端の火』は語源が定まっているため,『木っ端の火』の転化説が妥当である」(語源由来辞典)
「『屁』は誰の屁であるにせよとるにたりないものであるが、なぜわざわざ想像上の動物である河童に託したのか疑問が残り、水中で出す屁なので勢いがないなどという、苦し紛れの解釈もなされている。一方で、すぐに消えてしまう『木くずについた火』という意味の『木っ端の火』が訛った言葉であるとの見解もあり、どちらかというとそのほうが説得力がある」(笑える国語辞典)
「『木(こ)っ端(ぱ)の火(あっけないこと、たわいのないこと)』がなまって『河童の屁』となり、『屁の河童』と転じたものという」(https://imidas.jp/idiom/detail/X-05-X-29-5-0001.html)
と,ネットで拾う限り,「木っ端」説が大勢である。しかし,語源説は,いままでいろいろ調べた経験で,理屈ばったもの,辻褄を合わせようとするものは,大概付会と相場が決まっている。訳の分からない河童を採ったことの方に,意味がある,と僕は思う。「水中の屁」説は,
「『河童の屁の倒語』です。水中の屁はたわいなく消える,たわいない意です。転じて,たやすい意」(日本語源広辞典)
「河童の屁は水中でするので勢いがないところから」(故事ことわざ辞典)
と,印刷媒体がこれを採る。注目すべきは,「故事ことわざ辞典」が,
物事がたやすくできること,
↓
味も香りもないこと,無味乾燥なこと(多くはうまくない茶にいう),
↓
どっちつかずの中途半端な人間に喩えるのに用いることば,
という意味の変化を述べていることである。
「木っ端の火」では,たやすいことは,意味として見えるが,
無味乾燥,
どっちつかず,
の意味は見えない。無味乾燥の用例として,
気軽さは佐吉かっぱの屁を呑ませ(雑俳・柳多留),
が載る(故事ことわざ辞典)。理屈ばった語源説を,僕は採らない。
河童の屁,
は,河童でなくてはならない。
木っ端の火,
では面白くもおかしくもあるまい。
(享和元年(1801年)に水戸藩東浜で捕まったとされる河童 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E7%AB%A5より)
たやすいことを言うのに,
屁でもない,
という言い回しもある。その屁と河童を繋げたところがミソではないか。河童にとって屁でもないという意の,
河童の寒稽古,
という似た言い回しもある。やはり,河童の屁は,
河童の屁,
でなくてはなるまい。
朝がへりつくづく思やかっぱの屁(金升・柳多留)
という川柳もあるが,江戸語大辞典に,
河童のおなら,
とも載る。ぬるい出がらし茶を,
かっぱのおならといふ茶だ(寛政十一年・品川楊枝),
という用例もある。
参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95