2020年04月20日

屯食


「屯食」(とんじき・とじき)は、

強飯(こはいひ)を握りかためて卵型にしたもの、平安時代、禁中または帰陣の饗宴の際、庭上に台などを出し、並べて、下臈(げろう)などに賜ったもの、

とあり(岩波古語辞典、広辞苑)、

公家で、握り飯の称、

ともある(広辞苑)。江戸中期の「安斎随筆」に、

屯食、トンシキとよむ、是ニギリメシの事なり、

屯食の屯はあつむるなり、食をにぎりあつめたるなり、トンシキとよむ、下臈の者に賜る食なり、

と載る(広辞苑、大言海)。江戸後期の「松屋筆記」にも、

屯はあつむると訓字也、食はいひ也、飯を屯(あつめ)たる義にて、今のにぎり飯の事を云ふ、公家にては今もにぎりめしをとんじきと云へり、

とある(仝上)。

「屯」は集まるという意味で、100具も200具も並べ立てることによる名であるという、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%AF%E9%A3%9F。宇治左大臣藤原頼長の日記「台記」春日詣の条には、

屯食十五具、裹飯(柏の葉で包んだ飯)五百具、

とあり、

室町初期の『源氏物語』の注釈書「河海抄」によれば、「貞丈雑記」によれば、

強飯を握り固めて鶏卵形にしたもの、

とある(仝上)。ただ、古くは饗宴のことを屯食といい、平安中期の儀式書「北山抄」の皇太子加元服儀の条の屯食の注には、

盛屯食と荒屯食との2種ある、

とある。江戸中期の類聚名物考」には、

盛屯食は木型などで打抜いたもの、荒屯食は型なしに盛つたものか、

とある。江戸中期の「玉函叢説」には、

嫁取りのときに用いる二重の台の下台のないものが古画巻の酒宴の座に見え、しかもその名を伝えないがおそらくこれが屯食であろう、

という(仝上)。どうも、

強飯(こはいひ)を握りかためて卵型にしたもの、

の意から、江戸時代には、

握り飯、

の意に変化してしまったらしい。ただ、

宮中で種々の催しのあるときは、大勢の下級の者には弁当のようなものを賜った。これを屯食といって、強飯をまるくにぎりかためて、器に盛ったもの、

とある(日本食生活史)ので、やはり、もともと今日の握り飯の感覚で食されたもののようである。源氏物語にも、

屯食五十具、
埦飯など世の常のやうに、

と見える。「椀飯」(おうばん)とは、

朝臣が参内したときに、多勢のものに殿上や台盤所や滝口などでもてなす食物、

で、

釜で煮た飯を埦(わん)に盛りつけたもの、

である(仝上)。屯食同様、立ち働く役人の弁当のようなものである。

屯食.bmp

(屯食 精選版日本国語大辞典より)


ちなみに、「強飯(こはいひ)」は、「粥」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474375881.html?1585854393で触れたように、

江戸時代までは米を蒸して飯にしたものを強飯といい、水を加えて柔らかく煮たもの、すなわち炊(かし)ぎ飯を弱飯(ひめ)または姫飯(ひめいい)といっていた。炊飯が一般化するようになってからは、これをご飯(はん)または飯(めし)といい、反対に糯米(もちごめ)を蒸したものを強飯またはおこわというようになった。米を蒸すのが通常の加熱法であった時代には、糯米でも粳米(うるちまい)でも強飯といったが、炊く方法が一般的になってからは蒸したものだけを強飯というようになり、さらに糯米を蒸さずに炊いたものを炊きおこわといっている。

である(日本大百科全書)。また「下臈」は、

上臈の対、

で、ここでは、

下人、
下衆(ゲス)、

を指す。

下郎、

とも当てる。

「屯食」は、武士の時代になると、戦陣食となる。兵糧としては、

玄米(手拭で包み水にぬらして地に埋め、その上で火を焚いて飯をつくったので、黒米飯という)、
糒(ほしいい)、
焼米、

の他、

焼いた握り飯を竹の皮や木の葉に包み、袋に入れたものを携行した、

とある(仝上)。

戦陣食を経て、江戸時代は、旅の携行食として、

屯食、

を、

飯を握って固めたもの、

として言うようになる(仝上)。

「屯食」の由来について、資治通鑑・唐高宗紀の注に、

中頓者謂中道有城有糧、可以頓食也、置食之所曰頓、

をひき、大言海、

即ち、頓食は昼食なり、省きて屯食書す、

とする。昼食をとる習慣のない時代だから、

弁当、

というのが妥当なのだろう。

おにぎり.jpg



「握り飯」は、

弥生時代後期の遺跡である杉谷チャノバタケ遺跡(石川県鹿島郡鹿西町、現・中能登町)でおにぎりと思われる米粒の塊が炭化したものが出土、

あるいは、

北金目塚越遺跡(神奈川県平塚市)からも、おにぎり状に固まった炭化米が発見、

等々あるが、この当時の炊飯方法は、

米と一緒に加熱した水を、沸騰して吹きこぼれたら土器をすぐに傾けて捨て、さらに加熱して米の水分を飛ばした後、土器を横倒しにして上部の米にも火を通す湯取り法の一種である(湯を捨てた直後は上部の米にはまだ芯が残っている)、

とされる。この方法では、

飯は粘り気が少なく、おにぎりにするのは難しい、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%AB%E3%81%8E%E3%82%8A。やはり、おにぎりの直接の起源は、

平安時代の「屯食」(とんじき)、

となるらしい。江戸時代に入ると公家社会では現在のおにぎりのことを「屯食」と呼ぶようになったのには、鎌倉以降、うるち米が使われるようになったことが大きい。

ところで、「握り飯」は、

むすび、

とは違う、とする説があり、

通説では西日本は「おにぎり」、東日本は「おむすび」、

とされる(仝上)。それについては、

おにぎりは形を問わないが、おむすびは三角型という説。
おにぎりが三角型で、おむすびは俵型という説。
米を握り固めた状態がおにぎりで、おにぎりをわらで巻いて運搬しやすくした状態がおむすび説。
丸形で海苔(しめった海苔)が全面を覆うのがおにぎり、三角で乾いたパリパリの海苔が一部を取り巻くのがおむすびという説。
三角の握り飯を「おむすび」というのは造化の三神に由来するとの説[注 3]。
おにぎりの呼び名は江戸時代からの呼び方でおむすびの呼び名はそれ以前からの古くからの呼び名。
東日本でおにぎり、西日本でおむすびと別名でよんでいたのが混交したという説
握り飯またはおにぎりの方が歴史が古く、その女房言葉もしくは丁寧語としておむすびといったという説
昔の日本人は山を神格化し、その神の力を授かるために米を山型(神の形)にかたどったのが握り飯を三角形に作った由来との説、

等々諸説あるらしい(仝上)。

参考文献;
渡辺実『日本食生活史』(吉川弘文館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:00
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