2020年11月26日
味醂
「味醂」は、
味淋、
とも当てる(広辞苑)が、
味霖、
とも当てる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%82%8A%E3%82%93)。
味醂酒、
味醂酎、
蜜淋酒、
密淋酎、
密林酒、
美淋酎、
美淋酒、
美琳酒、
等々ともいう(たべもの語源辞典・大言海)。
蒸した糯米(もちごめ)と米麹とを焼酎またはアルコールに混和して醸造し、滓をシホ下痢とった酒、
とある(広辞苑)。大言海には、
焼酎十石、白糯飯九石二斗、麹二石八斗の割合にてまぜ合はせ、時々掻きまぜて、二十五日許り醸し成して、其滓をしぼり去れるもの、
とあり、たべもの語源辞典には、
焼酎一斗四升(25.2リットル)に、蒸糯米九升(12.9キログラム)、麹三升三合とを混ぜ合わせ、一日おきにかき交ぜ、約二日静置して、うわずみの液を取る。これが「みりん」である。あとに残った粕も、漉して味醂が得られるので、結局、計二斗(36リットル)余となる、
とある。
味、甚だ甘美なり、
とある(大言海)。甘みがあるのは、
麹が米の澱粉を等分に変え、同時に焼酎分が混じって、麹の酒精酵母が発育を妨げられることによる、
とある(たべもの語源辞典)。
元来は飲用であり、
江戸期に清酒が一般的になる以前は甘みのある高級酒として飲まれていた。現在でも薬草を浸したものを薬用酒として飲用する(屠蘇、養命酒など)、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%82%8A%E3%82%93)。
「味醂」の「醂」(リン・ラン)は、
会意兼形声。「酉+音符林(つらなる)」
とされ、
たらたらと垂れる発酵した汁、
の意で、「醂柿」は、酒を垂らして渋を去ったたる柿の意とある(漢字源)。ちなみに、「たる柿」とは、
渋柿を空いた酒樽に詰め、樽に残るアルコール分で渋を抜いて甘くした柿。樽抜き、
の意である(デジタル大辞泉)。ために、「醂」には、「ほしがき」の意もある(字源)。「醂す」は、
さわす、
と訓ませ、
柿の渋を抜く、
水に浸して晒す、
意味で使うのは、本来の「醂」の字からきている。だから、
味醂、
の当て字は、和製と言われたりするが、
美淋の淋に誤用、
とある(字源)。「淋」(リン)は、
会意兼形声。林は、木立のつづく林、絶え間なく続く意を含む。淋は「水+音符林」で、あとからあとから絶えず汁がしたたること、
とあり、
したたる、
水がたらたらと絶えず垂れる、
意で、似た意味なので、「酒」ということから、「醂」を採ったのはわかる気がする。現に、
美淋酒、味淋酒と書かれていたが、淋より酒であるから醂がよいというのでもちいられた、
とある(たべもの語源辞典)。で、
美淋とか蜜林また蜜淋も古くあって味淋と味をつかったものは新しい。「みりん」に「味」の字を用いねばならぬ理由はなかったようである。ミというよみから、たべものだから味の字が良かろうということであろう。……ミとは果実の実で、果実を多く集めてしぼり出した汁のように甘いものといった意で、ミリンと称した、
とする(仝上)。つまり、
実+林(淋 たらたら垂れる)、
ということであろうか。
味(味の深い)+醂(長時間酒につける)、
とする説(日本語源広辞典)は、
味醂、
という当て字の解釈のように思える。
中国清明の時代の『湖雅巻八造醸』という書に、「密淋(ミイリン)」と呼ばれる甘いお酒があったと記されています。このお酒が、戦国時代の頃、琉球や九州地方に伝来し、「蜜淋」「美淋」といった漢字があてられ、日本中に広まっていきました(https://kokonoe.co.jp/mirin01)、
味醂は、中国の密淋(みいりん)という酒が戦国時代に日本に入り、製法が改良されたものが由来とされる。密淋とは、蜜のような甘い淋(したた)りの意の漢語(由来・語源辞典)、
等々という中国由来説は、
現在でも浙江省に蜜酒という直糖分 20% 以上の酒があり、紹興酒の酒母を「淋飯酒」という、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%82%8A%E3%82%93)、さらに、文禄二年(1593)『駒井日記』がみりん(蜜淋)の名称が記され(仝上)、
博多の豪商神谷宗湛(1551~1635)が密林酒を黒田如水に贈った、
という文書があり(たべもの語源辞典)、時代的には合っている。『文政年間漫録』に、
みりん酒は慶長(1596~1615)ころに起こった、
との記述もあるし、慶安二年(1649)『貞徳文集』にも、
みりんは異国より渡来したものである、
という記述がある(https://kokonoe.co.jp/mirin01)ので、この時期に渡来したものとみられる。慶長七年(1602)の奈良・般若寺の記録に、
みりん一升が六五文、清酒の三倍、
とあり、慶安年間(1648~52)のチラシにも、
極上味醂酒百文、
とあり、
大阪上酒四十文・伊丹極上酒八拾文、
とあって、上方のブランド酒より高価なものであった(http://shokubun.la.coocan.jp/mirin.html)。
それが、元禄八年(1695)『本朝食鑑』には、
焼酎を用いた本みりんの製法、
が記載されるに至る(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%82%8A%E3%82%93)。そして、天明五年(1785)『萬寶料理秘密箱』「赤貝和煮」の記述以降、
蕎麦つゆや蒲焼のタレに用いる調味料として使われ始めていった、
という記述となる(仝上)。喜多川守貞の『近世風俗史』(1837~1853)には、
美琳酒は多く摂の伝法村で醸した。然し京阪はあまり用いず多くは江戸に送って、たべものを醤油とこれを加えて煮た。京阪は夏月に夏銘酒柳蔭というものを専ら用いた。江戸では本直しといって美琳と焼酎を半々に合わせたものを用いた。ほんなおし、やなぎかげ、いづれも冷酒で飲んだ、
とあるので、調味料に転じつつありながら、飲用もされたことがわかる。
因みに起源説には、別に、
日本に古くから存在した練酒、白酒などの甘い酒に腐敗防止策として焼酎が加えられた、
という説(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%82%8A%E3%82%93)があり、文正元年(1466)の『蔭凉軒日録』には、
「練貫酒(ネリザケ)」という甘いお酒が博多にあったと記述されています。これらのお酒は、酒の中に米や麹を加えるとアルコール度数が下がり腐敗しやすかったため、腐敗防止策として焼酎が加えられました、
ともある(https://kokonoe.co.jp/mirin01)。どちらと決めかねるが、「練貫酒(ネリザケ)」に焼酎を入れることを知ったのは、
味醂、
渡来してから、という風にも考えられる。
なお、「麹」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/476495294.html)、「ささ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/461251438.html)、「さけ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/451957995.html)、については、それぞれ触れた。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
posted by Toshi at 04:55
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