匍(は)ひた廻(もとほ)る

みどり子(こ)の匍(は)ひた廻(もとほ)り朝夕(あさよひ)に哭(ね)のみぞ我(あ)が泣く君なしにして(余明軍) は、詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、 天平三年辛未(かのとひつじ)の秋の七月に、大納言大伴卿の薨ぜし時の歌六首、 とあるうちの、資人(しじん 官位・職分に応じて朝廷から賜う従者)余明軍の五首のうちの一首、 …

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むろのき

鞆の浦を過ぐる日に作歌、 と、詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)にある三首、 我妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき(大伴旅人) 鞆の浦の磯のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも(仝上) 磯の上に根延(ねば)ふむろの木見し人をいづらと問はば語り告げむか(仝上) の、 鞆の…

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真間手児名

いにしへにありけむ人の倭文機(しつはた)の帯解き交(か)へて伏屋(ふせや)立て妻どひしけむ勝鹿(かつしか)の真間(まま)の手児名(てごな)が奥つ城(き)をこことは聞けど真木(まき)の葉や茂りたるらむ松が根や遠く久しき言(こと)のみも名のみも我れは忘らゆましじ(山部赤人)、 は、詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、 勝鹿の真間娘…

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和魂(にきたま)

大君の和魂(にきたま)あへ(会)や豊国の鏡の山を宮と定むる(手持女王) の、 和魂(にきたま)、 は、後世、 にぎたま、 と濁音化するが、 にぎみたまは王身(みついで)にしたがひて寿命(みいのち)をまもらむ(日本書紀)、 と、 にきみたま(和魂)、 とも訓ませ(岩波古語辞典)、同じとする(デジタル大辞泉)が、 にぎみたま、 は…

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いなだき

いなだきにきすめる玉は二つなしかにもかくにも君がまにまに(市原王) の、 いなだきにきすめる玉、 は、 王の髻(もとどり)の中にだけあるという玉、 と訳注があり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 きすめる、 は、 蔵している、 とも訳され(岩波古語辞典)、 きすむ、 は、 蔵む、 と当て、 ま/み/む/む/め/め…

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鳥総(とぶさ)

鳥総(とぶさ)立て足柄山に船木伐(ふなぎき)り木に伐り行きつあたら船木を(万葉集) の、 舟木、 は、 評判の美女の譬え、 とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 木に伐り行きつ、 は、 ただの木として男が切っていった、 のは、 人妻になったことの譬え、 と注釈する(仝上)。上述の、 鳥総(とぶさ)、 は、 山…

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さもらふ

淡路島磯隠(いそがく)り居ていつしかもこの夜の明けむとさもらふに寐(い)の寝(ね)かてねば(万葉集) の、 いつしかも、 は、 早く夜が明けてほしいというこころ、 とあり、 さもらふ、 は、 容子を窺って寝るに寝られずにいると、 と注釈がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 「さうらふ」で触れたように、 さうらふ(候)、 …

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柘(つみ)の枝

いにしへに梁(やな)打つ人のなかりせばここにもあらまし柘(つみ)の枝(えだ)はも(若宮年魚麻呂) の、 柘の枝、 は、詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、 仙柘枝(やまびめのつみのえ)の歌三首、 とあるうちの三首目で、他は、一首目が、 霰(あられ)降り吉志美(きしび)が岳(たけ)をさがしみと草取りかなわ…

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韓藍(からあゐ)

我がやどに韓藍(からあゐ)蒔(ま)き生(お)ほし枯れぬれど懲りずてまたも蒔かむとぞ思ふ(山部赤人) の、 韓藍(からあゐ)、 は、 けいとう、 のことで、 移し染めに用いられた、 とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、ここでは、 愛する女性の喩、 とある(仝上)。 (けいとう http://www.atomigunpofu.jp/…

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たかたま

ひさかたの天の原より生(あ)れ来(きた)る神の命(みこと)奥山の賢木(さかき)の枝(えだ)に白香(しらか)付け木綿(ゆふ)取り付けて斎瓮(いはひへ)を斎(いは)ひ掘り据ゑ竹玉(たかたま)を繁(しじ)に貫(ぬ)き垂れ鹿(しし)じもの膝折り伏して手弱女(たわやめ)の襲衣(おすい)取り懸けかくだにもわれは祈(こ)ひなむ(大伴坂上郎女) は、 神を祭る歌、 とあり、 白香(し…

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身体から精神へ

市川浩『精神としての身体』を読む。 何度目だろう。判型が変わり、文庫になっても読んだ。しかし、読み直してみると、若い頃、なぜ熱中し、何度も読みたいと思ったのかがわからない。1975年初版の、半世紀前ということもあるので、多少の古さを感じることもあるにしても、この論旨のたどり方の、機能的な分解の仕方は、どうも、いま読み直すと、機械的すぎる気がしないでもない。 本書は、コギト…

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なのりそ

みさご居(ゐ)る磯みに生(お)ふるなのりその名は告(の)らしてよ親は知るとも(山部赤人) の、 なのりそ、 は、 勿告りそ、 の意を懸け、 求婚、 を意味し、 旅先の女に語りかけたもの、 と注釈がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 なのりそ、 は、 なのりそも、 のことで、 莫告藻、 神馬藻、 と当て…

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つばら

浅茅原(あさぢはら)つばらつばらにもの思(も)へば古(ふ)りにし里し思ほゆるかも(帥大伴卿)、 の、 浅茅原(あさぢはら)、 は、 つばらつばらの枕詞、 で(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 「茅」は古く「つ」ともいったところから「つはら(茅原)」と類音の「つばらつばら」にかかる、 とあり(精選版日本国語大辞典)、 つばらつばらにもの思(も)へば、…

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をつ

我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ(帥大伴卿)、 の、 をつ、 は、 元へ戻る、 意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 をつ、 は、 復つ、 変若つ、 と当て(広辞苑・岩波古語辞典)、 ち/ち/つ/つる/つれ/ちよ、 と活用する 自動詞タ行上二段活用、 で(仝上・学研全訳古語辞典)、 …

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かはづ

春の日は山し見が欲し秋の夜は川しさやけし朝雲(あさくも)に鶴(たづ)は乱れ夕霧にかはづは騒(さわ)く(山部赤人) の、 かはづ、 は、 河鹿(かじか)、 とされている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 (河鹿蛙 https://www.maniwa.or.jp/web/?c=spot-2&pk=3333より) かわず、 は、 河蝦、 と…

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はだ薄

はだ薄久米の若子がいましける三穂の石室は見れど飽かぬかも(博通法師) の、 はだ薄、 は、 「久米」の枕詞、穂が隠(こも)る意か、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 はだすすき、 は、 旗薄、 と当てるので、 旗薄(はたすすき)の転か(広辞苑)、 「はたすすき」の音変化という(デジタル大辞泉)、 「はたすすき」の変化した語(…

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くぐつ

潮干(しほひ)の御津(みつ)の海女(あまめ)のくぐつ持ち玉藻(たまも)刈るらむいざ行きて見む(角麻呂)、 の、 くぐつ、 は、 莎草(くぐ)で編んだ籠の類、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 くぐつ、 は、 裹、 と当て、 海辺に生えている莎草(くぐ)で編んだ手下げ袋(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、 …

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歌垣

焼津辺(やきづへ)に我が行きしかば駿河なる阿倍の市道(いちぢ)に逢ひし子らはも(春日蔵首老)、 の、 市道、 は、 市が立ち歌垣が行なわれた所、 とあり、 歌垣では群婚が許されるのが習い、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 歌垣(うたがき)、 は、 歌場、 とも当て(岩波古語辞典)、 歌懸きの意、異性に歌を歌いかけて…

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つき(槻)

早(はや)来 ても見てましものを山背(やましろ)の多賀(たか)の槻群(つきむら)散りにけるかも(高市黒人) の、 槻、 は、 欅(けやき)の古名、 とあり、 つきのき、 つく、 ともいう(広辞苑)。平安時代の漢和辞典『新撰字鏡』(898~901)に、 欟 豆支(つき)、又、加太久弥(かたくみ)、 和名類聚抄(931~38年)に、 …

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そほ

旅にしてもの恋(こひ)しきに山下(やました)の赤(あけ)のそほ船沖に漕ぐ見ゆ(高市黒人) の、 赤のそほ舟、 は、 赤土を塗った官船、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 (そほ色 デジタル大辞泉より) そほ、 は、 赭、 朱、 と当て(学研全訳古語辞典)、 赤色の土、 をいい、上代、 顔料や水銀の原料、 …

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