2020年01月08日

青春時代


大岡昇平他編『青春の屈折上(全集現代文学の発見第14巻)』を読む。

青春の屈折上.jpg


現代文学の発見、

と題された全16巻の一冊としてまとめられたものだ。この全集は過去の文学作品を発掘・位置づけ直し、テーマごとに作品を配置するという意欲的なアンソロジーになっている。本書は、

青春の屈折、

と題された、二分冊の前半である。収録されているのは、

梶井基次郎『冬の蠅』
中島敦『かめれおん日記』
堀辰雄『恢復期』
伊藤整『若い詩人の肖像』
中野重治『歌のわかれ』
高見順『故旧忘れ得べき』
坂口安吾『古都』『真珠』
太宰治『ダス・ゲマイネ』
檀一雄『花筐』
立原道造『萱草に寄す』
井上立士『編隊飛行』
田宮虎彦『琵琶湖疎水』
西原啓『焦土』
日本戦没学生の手記『きけわだつみの声」

である。時代の背景もあり、「わだつみの声」が掲載されているのが異色だ。

これを読みながら、ふと思い出したのは、「青春時代」という歌謡曲の、

 青春時代が夢なんて
 あとからほのぼの 想うもの
 青春時代の 真ん中は
 道に迷って いるばかり(作詞・阿久 悠、作曲・森田 公一)

というフレーズであった。

なぜなら、本巻のほとんどの作品が、何年、何十年たってから振り返る作品だからだ。

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう(「のちのおもひに」)

けふ 私のなかで
ひとつの意志が死に絶へた…
孤独な大きい風景が
弱々しい陽ざしにあたためられやうとする

しかし寂寥が風のやうに
私の眼の裏にうづたかく灰色の雲を積んで行く
やがてすべては諦めといふ絵のなかで
私を拒み 私の魂はひびわれるだらう(「初冬」)

二十五歳で死んだ立原道造は、まさに、青春の真っただ中で、しかし一言も「青春」を言わず、その心性を詠った。

解説の長田弘は、武田泰淳が、「かめれおん日記」の中島敦を、

「中島ははげしい狼疾をわずらってゐる。彼は指のために肩を失わんとしてゐる」

と、評したという。そひれは、まさに「道に迷っている」時代のただなかだということではあるまいか。

「何事に就いても之と同様で、竟には、失望しないために、初めから希望を有つまいと決心するようになった。落胆しないために初めから慾望をもたず、成功しないであろうとの予見から、てんで努力しようとせず、辱めを受けたり気まずい思いをし度くないために、人中へ出まいとし、自分が頼まれた場合の困惑を誇大に類推しては、自分から他人にものを依頼することが全然できなくなって了った。外へ向って展かれた器関を凡て閉じ、まるで堀上げられた冬の球根類のようになろうとした。それに触れると、どのような外からの愛情も、途端に冷たい氷滴となって凍りつくような石・となろうと、私は思った」(かめれおん日記)

は、中島敦http://ppnetwork.seesaa.net/article/446642719.htmlで触れたように、『李陵』の硬質施な文体と比べると、中国素材の作品が自分の素養である距離を取って書けているのに対して、自分を描くとき、自分との距離が定っていない。この違いは、作品と作家の向き合い方の差のように思われる。素養で書くというのは、漢文の素養で、自家薬篭中のものの如く書く、ということを意味する。そこに硬質の緊張感はある。それは、あるいは漢文というものの、独特の読み下し文の緊張感に依存する。しかし物語世界との距離は小さい『かめれおん日記』は、どこか自虐的というか、被虐的な翳がつきまとう。それが、ある意味、「指のために肩を失わんとしてゐる」ということなのではないか、と勝手に解釈する。

梶井基次郎『冬の蠅』は、自分の振幅、揺れ幅をきちんととらえている。だから、自虐的にも諧謔的にもならない。その視点がぶれていないからではないか、と思う。生き残っていた蠅がいなくなったことについて、

「私が鬱屈した部屋から逃げ出してわれとわが身を虐んでいた間に、彼等はほんとうに寒気と飢えで死んでしまったのである。私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。私が彼等の死を傷んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件があるような気がしたからであった。私は其奴の幅広い背を見たように思った。」(『冬の蠅』)

視点のぶれない文章は、対象との距離をあやまたない。

後世に書かれた作品の中で、高見順『故旧忘れ得べき』は、自虐的に書くことで、その自分を許そうとするような甘ったれを感じた。この距離感は、太宰のそれとともに、僕はあまり好かない。

伊藤整『若い詩人の肖像』と中野重治『歌のわかれ』は、好対照に思える。『若い詩人の肖像』は、実名を出し、丹念に「若い詩人」としての自分を、一定の距離で、価値観、つまり、不当な卑下も傲慢にも堕さない、視点を保ち続けている。作品の結構は、十分に練り込まれ、作り込まれている。なのに、作為を感じさせない。他方、『歌のわかれ』は、穿ちすぎかもしれないが、最初から、「歌」との離別を考えられたものに見える。しかし、前半、自分との距離が保てず、自虐や諧謔に振れて来たのに、最後になって、

「彼は袖を振るようにしてうつむいて急ぎながら、なんとなくこれで短歌ともお別れだという気がしてならなかった。短歌とのお別れということは、このさいに彼には短歌的なものとの別れということでもあった。それが何を意味するかは彼にもわからなかった」(歌のわかれ)

という決意が、作為的に見えて仕方がなかった。

「きけわだつみの声」を読みながら、不意に、京五輪男子マラソン銅メダルの円谷幸吉の遺書、

父上様 母上様 三日とろゝ美味(おい)しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄 姉上様 おすし美味しうございました。
父上様 母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒(なにとぞ) お許し下さい。

を思い出していた。川端康成は、円谷の遺書について、

「相手ごと食べものごとに繰りかへされる〈美味しゆうございました〉といふ、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐる。そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ」

と語ったというhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E5%90%89。哀切な文章に違いないが、それは、遺書ということを知っているからだ。それがなければ、ありふれた日記ととらえてもいい。

原爆投下直後に、広島近くに動員されていた経験を描いた、西原啓『焦土』に、被爆して死んだ友人について、

「新井はもはや正視することができなかった。恐らく山崎が意識を失う以前に書いたと思われる数枚の大学ノートの切れはしが枕辺に散っていた。新井はあたりを憚りながらその一枚を手にしてみた。月見れば乳千々にものこそ悲しけれ わが身一つの傷にはあらねど。涙がとめどもなく新井の頬を流れ始めた。患部の痛みに苦しみぬいた山崎を想ったのではない。ついに死なねばならぬ山崎の無念を想ったのではない。他人の歌に自分の思いを託さねばならなかった山崎のエネルギーの衰弱が痛ましかったのだ」(『焦土』)

と書き、「山崎を単なる記憶に終わらせまいとする意志」が、この作品だ、というように読める。

自分の言葉で、自分を描くためには、自分に対する冷静な距離が必要なのかもしれない、と思いつつ、自分の言葉て、自分の思いを語り得る人間の能力に嫉妬した。

なお、太宰治http://ppnetwork.seesaa.net/article/451454488.htmlについては、触れたことがある。

参考文献;
大岡昇平他編大岡昇平他編『青春の屈折上(全集現代文学の発見第14巻)』(學藝書林)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
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2020年01月07日

ユリ


「ユリ」は、

百合、

と当てる。「ユリ」は、「百合」の他に、

山丹(ひめゆり)、
巻丹(おにゆり)、
車山丹(くるまゆり)、

という表現がある(三才図絵図)、らしい(たべもの語源辞典)。また、「ユリ」の異称には、

倒仙、
中達、
重箱、
摩羅、
中庭、
蒜脳藷(さんのうしょ)、
サヨリ(小百合)、
ササヨリ(笹百合)、
ムギクワイ(麦慈姑)、

等々がある(仝上)、らしい。

「ユリ」の鱗茎を食用とし、

百合根、

と呼ぶ。食用とするのは、日本・中国・蒙古で、西洋は食べない(たべもの語源辞典)らしい。

「ユリの鱗茎は無皮鱗茎のため乾燥、高温、過湿などに弱いが、皮がないので食用とする際はそのまま食用と出来る。茶碗蒸しなどに入れて食されることが多い。 漢語では『玉簪花根』と称し、薬種とする」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E6%A0%B9

ユリ根.jpg



漢名「百合」は、

球根の鱗片が数多く重なっている意のなである(仝上)、とある。ヤマユリを別名、

料理ユリ、

と呼ぶのは、鱗片が大きく、苦みが少ないから、とある(仝上)。

ヤマユリ.jpg



「オニユリ・コオニユリ・スカシユリ・ハカタユリとその系統のユリが食用として喜ばれる」

ともある(仝上)。

「ユリ」の古名は、

佐韋(さい)、

という(大言海)、とあるが、古事記に、

ユリの本名は佐韋(さい)草、

とある(たべもの語源辞典)。

ヒメユリとヤマユリ、

が「サイ」と呼ばれたらしい(仝上)。

「ユリ」は、

さゆり、
くさふかゆり、
ひめゆり、

等々と、たとえば、

涼しやと風のたよりをたづぬれば繁みになびく野辺のさゆり葉(式子内親王集)
道の辺の草深百合の花笑みに笑まししからに妻と言ふべしや(万葉集)
夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ(大伴坂上郎女)

等々、歌に詠まれる(岩波古語辞典)。

「ユリ」の語源は、

「揺り」の意か、

とする説がある(広辞苑)。

風に吹かれて 花がゆらゆらすることから『ユリ(揺り)』の意味とする(語源由来辞典)、
花が大きく茎は細く風に揺れるところからユルの義(和句解・和訓栞・大言海・日本語源=賀茂百樹)、
茎高く花大きくてゆするところから、ユスリの略(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解)、

も、類似の趣旨である。ほかに、

ヤヘククリネ(八重括根)の義(日本語原学=林甕臣)、
花が傾くことからユルミ(緩み)の義(名言通)、
鱗茎が寄り重なることからヨリ(寄り)の義、
姿が玉に似ているところからイクルリ(生瑠璃)の略、
ヨロシキ花が、ロシの縮約でヨリになり、ユリまたユルになったとする説、
万葉集に「筑波ねのサユルの花の」とあるサユル、これがユリに転音とた、

等々、諸説ある(たべもの語源辞典、日本語源大辞典)。

別に、朝鮮語経由とする説が、

韓語からか(東雅・大言海)、
朝鮮語nariの転(植物和名語源新考=深津正)、

とある。朝鮮語では、一般のユリは、カイナリと呼んでいる(たべもの語源辞典)、という。この説について、

「最も古い説では、ユリ族の一般名称である朝鮮語の『nani』が転じたとする説がある。『揺り』などの『日本語・語源辞典』に由来する説は『nari』の説よりもかなり遅いことから、『nari』に由来することが忘れられ、日本語に語源を求めたのではないかという見方がある反面、音韻変化が不自然との見方もあり、この説も正しいとは言い切れない」

とする(語源由来辞典)見方もある。確かに、

nari→yuri

の転訛は、少し不自然ではある。日本語の語源は、独自に、

「ウルハシキ(麗しき)花の語は、ウルの部分がユル(百合。上代東国方言)になった。筑波ねのサユル(小百合)の花の(万葉集)。さらにユリ(百合)に転音した」

とする。

どれかと決めかねるが、「揺り」はどうだろう。揺れるのは「ユリ」だけではない。決め手はないので、定説がないというところだろうか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
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ラベル:ユリ
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2020年01月06日

よもすがら


「よもすがら」は、

夜もすがら、
終夜、

等々と当てる。

日暮れから夜明けまで、
夜通し、

の意味である。

夢ぢにも露やおくらむよもすがらかよへる袖のひちてかわかぬ、

という歌もある(古今集)。

「夜」http://ppnetwork.seesaa.net/article/442052834.htmlで触れたように、上代には、昼を中心にした時間の言い方と、夜を中心とした時間の言い方とがあり、

昼を中心にした時間の区分、アサ→ヒル→ユフ、
夜を中心にした時間の区分、ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

と、呼び方が分けられている(岩波古語辞典)。前者がヒル、後者がヨル、ということになる。つまり、夜の時間区分は、

ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

となる。

「夜もすがら」の「すがら」は、「しな、すがり、すがら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/420311540.htmlで触れたように、道すがら、の「すがら」、

途切れることなくずっと、

という時間経過を示していて、

名月や池をめぐりと夜もすがら、

で、それが空間的に転用されと、

道すがら、

になったと、考えられる、大言海は、「よもすがら」を、

夜も盡(すがら)の意、ひねもすの対、

とする。「ひねもす」は、「ひねもす」http://ppnetwork.seesaa.net/article/445249637.htmlで触れたように、

終日、

と当て、

朝から晩まで、
一日中、

という意味で、

ひもすがら、

とも言う。まさに、

アサ→ヒル→ユフ、

の昼間を指す。日本語の語源は、

「ヨモスガラ(夜も過がら。終夜)に対してヒルモスガラ(昼も過がら。終日)といった。その省略形のヒルモス(昼も過)は、『ル』が子音交替(rn)をとげてヒヌモスになり、さらに母音交替(ue)をとげてヒネモス(終日)になった。〈ヒネモスに見ともあくべき浦にあらなくに(見あきるような海ではない)〉(万葉)。
 ヒネモスはさらに『ネ』が子音交替(um)をとげてヒメモス(終日)になった。〈中門のわきに、ヒメモスにかがみゐたりつる〉(宇治拾遺)。」

と解している。

「ひもすがら」「よもすがら」の「すがら」は、副詞と接尾語の二用があり、岩波古語辞典は、副詞は、

「スギ(過)と同根」

として、

途切れることなくずっと、

という意味とし、接尾語は、

「時間的連続が空間的にも使われるようになったもの」

として、

…の間中ずっと、
…の途中で、

という意味とする(岩波古語辞典)。しかし大言海は、「すがら」を、語源を異にする二項を別々に立て、いずれも接尾語として、ひとつは、

「スガは、盡(すぐ)るより転ず」

とし、意味は、

盡(すぎ)るるまで、通して、

とし、いまひとつは、

「直従(すぐから)の約か」

として、

ながら、ついでに、そのままに、

の意味とする。これだと、「よもすがら」は、

夜通し、

ではなく、

夜のついでに、

の意味になる。デジタル大辞泉は、

[名](多く「に」を伴って副詞的に用いる)始めから終わりまでとぎれることがないこと。
[接尾]名詞などに付く。
1 始めから終わりまで、…の間ずっと、などの意を表す。「夜もすがら」
2 何かをするその途中で、…のついでに、などの意を表す。「道すがら」
3 そのものだけで、ほかに付属しているものがないという意を表す。…のまま。「身すがら」

とし、広辞苑が同じ解釈である。

「一説に、スガは『過ぐ』と同源、ラは状態を表す接尾語という」

と注記して、名詞として、

(多く『に』をともなって、副詞的に用いる)始めから終わりまで、途切れることなく通すこと、

接尾語として、

(名詞につく)始めから終わりまでの意を表す(「夜すがら虫の音をのみぞ鳴く」)、
ついでにの意を表す(「みちすがら遊びものども参る」)、
そのままの意を表す(「親もなし叔父持たず、身すがらの太兵衛と名をとった男」)、

と挙げる。どうやら、「過ぎ」が原意とすると、時間経過の、

通して、

の意味と同時に、動作の並行の意味を含み、

…しながら、

という意味があり、それは、

ついでに、

の意味にずれやすい。しかし、

身すがら、

は、『大言海』の言うように、「過ぎ」ではなく、由来の違う、

直従(すぐから)の約、

なのではないか。その意味は、だから、『大言海』が、両方載せるように、

ながら、

の意味と、

ついでに、

の意味と、

そのままに、

の意味が重なり、ダブってしまった。

「すがら」の意味の幅は、上記のようだが、「よもすがら」は、用例から見ても、

夜通し、

の、

途切れることなくずっと、

の意味とみられる。語源も、

夜も+スガラ(過ら)で、夜の間ずっとの意(日本語源広辞典)、
ヨモスグサラ(夜亦直更)の義(日本語原学=林甕臣)、
ヨモツギアル(夜次有)の義(名言通)、
ヨモスカラ(夜過間)の義(言元梯)、
夜の去り果てるの義(名語記)、

等々と、夜通しの含意とみられる。しかし、「すがら」の意味の幅から見れば、

時間的な流れ、

の意と共に、

夜もすがら一人み山の真木の葉にくもるもすめる有明の月(新古今和歌集)

と、

通して、

の意味と同時に、動作の並行の意味を含み、

…しながら、

の含意があるとみると、意味が深みを増す気がするのは、気のせいだろうか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2020年01月05日

よもぎ


「よもぎ」は、

蓬、
艾、

と当てる。

もちぐさ、
繕草(つくろいぐさ)、
蓬蒿(ほうこう)、

ともいう。成長した葉は、灸の、

もぐさ、

とする(広辞苑)。「よもぎ」で漢字を引くと、

蓬、
艾、
蒿、
萩、
苹、
蕭、
薛、

が出る。「よもぎ」の漢字表記について、

「現在日本において、ヨモギは漢字で『蓬』と書くのが一般的だが、中国語でヨモギは『艾』あるいは『艾蒿』である。(中略)艾は日本で「もぐさ」と訓じる。もぐさはヨモギから作られるから、そのこと自体は何ら問題ではない。だが、蓬をヨモギとするのは誤りである、という説が現在では一般的のようだ。」

とあるhttp://square.umin.ac.jp/mayanagi/students/03/kamiya.htm

「艾」(ガイ、呉音ゲイ)は、

「会意兼形声。『艸+音符乂(ガイ、ゲ ハサミで刈り取る)』」

とあり、よもぎ、もぐさの意である(漢字源)。字源には、

よもぎ(醫草)、

と載る。「蒿」(コウ)は、

「会意兼形声。『艸+音符(高く伸びる、乾いて白い))』」

とあり(漢字源)、よもぎ、くさよもぎ、艾の一種、

とある(字源)。「蓬」(漢音ホウ、呉音ブ)は、

「会意兼形声。『艸+音符逢(△型にであう)』で、穂が三角形になった草」

とあり(漢字源)、

「よもぎ(艾)の一種」

とある(字源)。「萩」(漢音シュウ、呉音シュ)は、

「会意兼形声。『艸+音符秋』で、秋の草」

とあり、日本では「はぎ」に当てる。

よもぎ、くさよもぎ(蕭)の一種、

とある(字源)「蕭」(ショウ)は、

「会意兼形声。『艸+音符肅(ショウ 細く引き締まる)』」

とあり(漢字源)、

よもぎ(艾蒿)、

の意とある(字源)。「苹」(漢音ヘイ、呉音ビョウ)は、

「会意兼形声。平は、屮型のうきくさが水面に平らに浮かんだ姿を描いた象形文字。苹は『艸+音符平(ヘイ)』で、平らのもとの意味をあらわす」

とある(漢字源)。浮草のようであるが、

よもぎ、蒿の一種、

ともある(字源)。「薛」(漢音セツ、呉音セチ)は、

「会意。『艸+阜の字の上部(つみかさねる)+辛(刃物で切る)』。束ね重ねて着るよもぎをありらわす」

とあり(漢字源)、

かわらよもぎ(仝上)、
よもぎ(蒿)(字源)、

とあり、「よもぎ」のようである。どうやら、「艾」「蒿」「艾蒿」が、本来の「よもぎ」の漢字のようである。たべもの語源辞典には、こうある。

「蒿(かう)もヨモギで、艾の一種。苹(へい)またはビョウとよむが、これもヨモギで、蒿の一種、蕭(ショウ)もヨモギで、蒿と同じである。漢名には、蒿艾(コウガイ)、蕭艾(シュウガイ)、指艾(シガイ)、荻蒿(テキコウ)、氷台、夏台、福徳草、肚裏屏風など」

がある、と。しかし、

字類抄「蓬、よもぎ」

とあるように、「蓬」の字を当ててきた。

和名「よもぎ」は、古く、

させもぐさ、
つくろひぐさ、
えもぎ、
させも、

等々といった(たべもの語源辞典)。「させもぐさ」は、

さしもぐさ(指焼草・指艾)の転(岩波古語辞典)、
サセモグサと云ふは、音轉なり(現身、うつせみ)、サセモとのみ云ふは、下略なり(菰筵、薦)(大言海)、

である。「さしもぐさ」は、

「夫木抄『指燃草』、注燃草の義、注(さ)すとは、点火(ひつ)くること(灸をすうるを、灸をさすと云ふ…)、モは燃(も)すの語根、燈(とも)すの、カモなり、此のモグサは、即ち艾(もぐさ)にて、灸治する料とす。」

とある(大言海)。

ヨモギ.jpg



大言海は、「よもぎ」を、

艾、
蓬、

の当てる漢字で二項別に立てている。「よもぎ(艾)」は、

「善燃草(よもぎ)の義」

とし、

「草の名。山野に自生す。茎、直立して白く、高さ四五尺、葉は分かれて五尖をなし、面、深緑にして、背に白毛あり。若葉は餅に和して食ふべし(餅草の名もあり)。秋、葉の間に穂を出して、細花を開く。實、累々として枝に盈つ。草の背の白毛を採りて、艾(もぐさ)に製し、又印肉を作る料ともす。やきくさ。やいぐさ。倭名抄『蓬、一名蓽、艾也。與毛木』、本草和名『艾葉、一名醫草、與毛岐』」

と記す。ほぼ、「よもぎ」の意である。しかし、「よもぎ(蓬)」の項では、

「葉は、柳に似て、微毛あり、故に、ヤナギヨモギの名もあり。夏の初、茎を出すこと一二尺、茎の梢に、枝を分かちて、十數の花、集まりつく。形、キツネアザミの花に似て、小さくして淡黄なり。後に絮(わた)となりた飛ぶ。ウタヨモギ。字類抄『蓬、ヨモキ』」

とする。「もぐさ」にする「よもぎ(艾)」と「くさもち」にする「よもぎ(蓬)」とは別、という意味なのだろうか。

日本では一般的な「よもぎ」は、

 ヨモギArtemisia princes Pamp.〔分布〕本州・四国・九州・小笠原・朝鮮
 ニシヨモギArtemisia indica Willd.〔分布〕本州(関東地方以西)・九州・琉球・台湾・中国・東南アジア・印度
 オオヨモギArtemisia montana (Nakai) Pamp.〔分布〕本州(近畿地方以北)・北海道・樺太・南千島

の三種というhttp://square.umin.ac.jp/mayanagi/students/03/kamiya.htm。日本だけでも30種あるが、この3種は植物学の分類上かなり近縁の種で、

「日本全国で一般に『ヨモギ』と呼ばれている植物はこの3種のうちいずれかということになろう。」

というし、

「別名は、春に若芽を摘んで餅に入れることからモチグサ(餅草)とよく呼ばれていて、また葉裏の毛を集めて灸に用いることから、ヤイトグサの別名でも呼ばれている。ほかに、地方によりエモギ、サシモグサ(さしも草)、サセモグサ、サセモ、タレハグサ(垂れ葉草)、モグサ、ヤキクサ(焼き草)、ヤイグサ(焼い草)の方言名がある」

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%A2%E3%82%AE、一般には、区別しているようには見えない。しかし、大言海が、是非は判断できないが、「くさもち」につかう「よもぎ」と「もぐさ」の「よもぎ」を分けているのには意味がある。

「蓬(よもぎ)は、葉は柳に似て微毛があるのでヤナギヨモギと呼ばれる。淡黄の小さい花をつけ、後に絮(わた)になって飛ぶ。ウタヨモギともいい、艾(よもぎ)とは違った植物である」

とある(たべもの語源辞典)。大言海の見識である。

さて和語「よもぎ」の語源であるが、大言海が、「よもぎ(艾)」に、

善燃草(よもぎ)の義、

としたように、

ヨ(弥)+モ(萌)+キ(草)(日本語源広辞典)

か、あるいは、

ヨクモエクサ(佳萌草)の義(日本語原学=林甕臣)、
弥茂く生える草の意(日本語源=賀茂百樹)、
ヨモギ(常世萌)の義(柴門和語類集)、

の二つが多い。語源由来辞典は、

「よもぎの『よ』は『ますます』を意味する『いや・いよ(弥)』、もしくは『よく(善)』の意味。『も』は『萌える』か『燃える』の意味で、『ぎ(き)』は茎のある立ち草の意味。つまりよもぎの語源は『いよいよ萌え茂った草』か、『よく燃える草』の意味からである」

とまとめている。この他に、

よく繁殖し四方に広がることから「四方草」と書いてヨモギと読ませる、

という説(よく繁殖し四方に広がることから「四方草」と書いてヨモギと読ませる)もあるが、「萌」「燃」には、盛んに生えるという意味がある。岩波古語辞典には、

「平安中期以後には、『むぐら』『あさぢ』などと共に、代表的な雑草として、荒廃した家の描写に使われることが多い」

とあるが、万葉集の家持の長歌には、

玉桙(たまほこ)の道に出で立ち、岩根(いわね)踏み、山越え、野行き、都辺(みやこへ)に参ゐし我が背を、あらたまの年行き返り、月重ね、見ぬ日さまねみ、恋ふるそら、安くしあらねば、霍公鳥(ほととぎす)、来鳴く五月のあやめぐさ、余母疑(よもぎ)かづらき、酒みづき、遊びなぐれど、射水川(いみづかは)、雪消(げ)溢(はふ)りて、行く水の、いや増しにのみ、…

とあり、必ずしも、荒んだという意味はない。その意味で、「よく茂る」という意味は悪い意味ではない。しかし、古名、

さしもぐさ(指燃草)、

が、艾(もぐさ)に火をつける意味だとすると、

ヨリモヤシキ(捻燃生)の義、灸に用いるところから。生は草の意(名言通)、

という、「もぐさ」と絡める説も無視できない気がする。

「モグサはモエグサ(燃草)の意である。サシモグサのサシは灸をすえるの意である」

とある(たべもの語源辞典)。「よもぎ」の名も、古名「さしもぐさ」の由来との連続性を採りたい。

「よもぎ」は、

餅草、

ともいう。草餅の材料にするからである。しかし、昔は、ハハコグサを用いた。

平安朝の『文徳実録』(八七九年)に、

野有草、俗名母子草、二月始生、茎葉白脆、毎属三月三日、婦女採之、蒸擣以為餻、伝為歳事。

とありhttp://square.umin.ac.jp/mayanagi/students/03/kamiya.htm、ハハコグサを搗き入れた餅で、

母子餅、

と呼んだ。

ははこぐさ、

は、

ホウコグサ、
モチヨモギ、

といい、漢名は鼠麹草(そきくそう)、春の七草のひとつで御行(ごぎょう、おぎょう)である。

ハハコグサのつぼみ.jpg



参考文献;
神谷正太「東アジアにおけるヨモギ利用文化の研究」(http://square.umin.ac.jp/mayanagi/students/03/kamiya.htm
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
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ラベル:よもぎ
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2020年01月04日

かる


「かる」は、

狩る、

と当てるだけではなく、

刈る、
駆る、

等々とも当てる。「狩る」は、

紅葉狩り、

の「狩る」である。

歌川国貞の‘紅葉がりノ図.jpg

(歌川国貞・紅葉がりノ図 http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/2010/11/post-5a95.html


「紅葉狩り」http://ppnetwork.seesaa.net/article/429896560.htmlで触れたように、紅葉狩りは、

山野に紅葉を尋ねて鑑賞すること、観楓、

とある(広辞苑)。「狩り」は、岩波古語辞典、大言海には、

「駆りと同根」

とあるので、「追い立てる」という意味があり、本来は、

鳥獣を追い立てて獲る、

で、『大言海』では、

弓矢、鳥銃などにて、鳥獣を採り、打捕ること、

転じて、

魚など漁(いさ)り、又薬草、茸など、探りて採ること、

更に転じて、

野山に入りて、花など、探りて観ること

という意味がある。広辞苑には、

薬草・松茸・蛍・桜・紅葉などを尋ね捜し、採集、または鑑賞すること、

と、載る。いまは、紅葉狩りの他は、

ぶどう狩り、
いちご狩り、
蛍狩り、
茸狩り、
薬狩り、

等々と言った言葉に残っているが、

狩猟採集、

と対で言っていたのには意味があるらしい。

かつては、桜にも、

桜狩り、

と言ったようで、『方丈記』に、

「桜を狩り、もみじをもとめ」

という一説があり、藤原定家の和歌に、

桜狩り 霞の下に今日くれぬ 一夜宿かせ 春お山もり

という歌があるらしく(岩波古語辞典)、春の『花見』ことを『桜狩り』といっていたこともあるようだ。今では「紅葉狩り」以外に、「眺める意味」としてはあまり使われない。桜を狩る(折る)ことは、いつの間にか風習として禁止されたのも大きいかもしれない。ただ、「狩り」というのは、

「平安時代には実際に紅葉した木の枝を手折り(狩り)、手のひらにのせて鑑賞する、という鑑賞方法。」

だったとされ、その意味では、紅葉だけは、「狩り」を可能にしたのが大きいのかもしれない。

梅にも、現在でも、梅狩りという言葉があるようだが、これは、梅の実を狩ることで、文字通り収穫である。

この「狩り」と当てる「かり」と、

刈、
苅、

と当てる「かる」とは、どうも使い分けられているようである。「狩り」は、上述のように、岩波古語辞典は、

駆ると同根、

で、

鳥獣を追い立てて取る、
花や草木をさがし求める、

意であるとする。日本語源広辞典も、同趣旨で、

動植物を収穫するで、動物を追い立ててトル、狩る、駆る、と、植物をカルと同源と考える、

としている。多少のニュアンスの差はあるが、

獣をカル(駆)意(名言通)、
何でもカリモトムル(駈覓)意から(雅言考)、
カイリ(鹿射)の約(言元梯)、

等々、狩猟の意にちなむものが多い。もちろん、

カはカクルか。リはトリ(取)か(和句解)、
獅子をカリといい、獅子は百獣を食うところから猟の意に転じたもの(和語私臆鈔)、

という異説はあるが。他方、

刈、
苅、

と当てる「かり」は、

稲、茅(かや)、薦(こも)など、刈り取ること、

の意で、万葉集に、

三島江の、入江の薦を、苅にこそ、吾れをば君は、思ひたりけり、

とあり、古くから使われる(大言海)。岩波古語辞典には、

(草木や毛など、伸び茂っているものを)根元を残して切ること、

の意とあり、やはり万葉集に、

少女(をとめ)らに行相(ゆきあひ)の早稲(わせ)をかる時になりにけらしも萩(はぎ)の花咲く、

と使われている。どうやら、「刈る」は、

切り離す、

意であり、日本語源広辞典は、

離る、狩る、涸る、と同源、

とする。確かに、

離(か)る、は、

切るるの義、

とあり(大言海)、「刈る」は、

切る、伐(こ)るに通ず、

とある(大言海)。「伐(こ)る」は、名義抄に、

「伐、キル・コル」

とあるので同義と見ていい。ただ、岩波古語辞典には、

「(離るは)空間的・心理的に、密接な関係にある相手が疎遠になり、関係が絶える意。多く歌に使われ、『枯れ』と掛詞になる場合が多い」

と、メタファとして使われるとし、万葉集に、

珠に貫く楝(あふち)を家に植ゑたらば山ほととぎす離れず来るかも

とある。

「枯(涸・乾)る」は、

「カラ(涸)と同根。水気がなくなってものの機能が弱り、正常に働かずに死ぬ意。類義語ヒ(干)は水分が自然に蒸発する意だけで、機能を問題にしない」

とあり、万葉集に、

耳無(みみなし)の池し恨めし吾妹子が来つつ潜(かづ)らば水は涸れなむ、

とある。こう見ると、

刈ればそのまま枯れるという意から、カル(枯)に通じる(和句解)、

涸る、

離る、

はつながるし、

刈る、

ともつながるが、

狩る、

とは少し離れすぎている。あくまで、「刈る」は、

キル(切)、

であり、「狩る」は、

駆る、

のようである。両者、状況依存の文脈では、会話の当事者にとって、間違いようのない言葉であった、と思われる。文字化に伴って、漢字を当て分ける必要ができた。と思われる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2020年01月03日


「雁」は、

カリ、

と訓ませて、和語である。

ガン、

と訓ませると、漢音である。

鴈、

とも当て、略して

厂、

とも書す(大言海)、とある。

「上代には『カリ』と呼ばれていたが、室町時代頃から『ガン』が現れた。次第に一般名として扱われるようになり、現代では『ガン』が正式名、『カリ』が異名という扱いをされるようになった」

とある(語源由来辞典)。実際、「雁」は、

「カモ目カモ科ガン亜科の水鳥のうち、カモより大きくハクチョウより小さい一群の総称」

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%81、日本ではマガン、カリガネ、ヒシクイなどが生息している(仝上)。

ヒシクイ(菱喰)は、鳥綱カモ目カモ科マガン属に分類され、

ヒシクイ.jpg



カリガネ(雁金)は、鳥綱カモ目カモ科マガン属に分類され、

カリガネ.jpg



マガン(真雁)は、鳥綱カモ目カモ科マガン属に分類される。

マガン.jpg



「雁」(漢音ガン、呉音ゲン)は、

「会意兼形声。厂(ガン)は、かぎ形、直角になったことをあらわす。雁は『隹(とり)+音符厂』。きちんと直角に並んで飛ぶ鳥で、規則正しいことから、人間の礼物に用いられる」

とある(漢字源)。雁行という言葉があるように、カギ型の列を組んで飛ぶ。

古くは、「かり」と訓んでいたが、これは、

「カは、鳴く声、リは添えたる辞」

とある(大言海)。さらに、接尾「り」について、

「ラ、レ、ロに通ず。語の末につけて云ふ助辞」

としている。同類として、「からす(鴉)」は、

「カは鳴く声、ラは添えたる語、」

とし(「からす」http://ppnetwork.seesaa.net/article/459343657.htmlで触れたように、必ずしも鳴き声説ではないが)、「けり(鳧)」もまた、鳴き声+「ら」とする(大言海)。で、

「万葉集『すばたまの 夜渡る雁は おぼほしく 幾夜を歴てか 己が名を告(の)る』、風俗歌、彼乃行(かのゆく)『彼の行くば、加利か鵠(くぐひ)か、加利ならば、名告(なのり)ぞせまし』、後撰集…雁『ゆきかへり、ここもかしこも旅なれや、來る秋ごとに、かりかりと鳴く』」

と、鳴き声とする例を挙げる。「かり」の異名、

かりがね、

は、

雁之音(ね)の義、音(ね)は声なり、

とするように、「かりがね」は、鳴き声から採られている。それが転じて、

雁の異名、

となっている。だから、

「雁の声は寂しいもの。聞くと悲しく感じるものと考えられた。『かりがね』が後に雁の異名となったのは、鳴き声が雁を象徴するほど特徴があるものだったからであろう」

ということになる(日本語源大辞典)。実際、大言海以外、岩波古語辞典も採り、

カリカリと鳴く声から(滑稽雑誌所引和訓義解・可成三註・風俗歌考・類聚名物考・雅語音声考・擁書漫筆・俚言集覧・言元梯・名言通・松屋筆記・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・国語溯原=大矢徹)、

と多くが、声説である。しかし、日本語源広辞典は、

中国語「雁」(ガン、カン)が、kanがkariに変化、

とするし、

ガンの転呼(日本古語大辞典=松岡静雄・日本語の発想=白石大二)、

と、「ガンの転訛」とする説がある(日本語源大辞典)。そのほか、

カヘリの中略。春は北へ帰るところから(日本釈名・東雅・柴門和語類集・本朝辞源=宇田甘冥)、
秋来て春帰るので、仮に宿ることからカリ(仮)の義(和句解)、
カは水に棲む鳥を呼ぶ語(東雅)
軽く飛ぶということからカロシ(軽)の意か(万葉代匠記・円珠庵雑記)、

等々「かり」という音に合わせてたてられた説もある。しかし、

「『かへり』の説は上略や下略ではなく中略で、鳴き声の説に比べると説得力に欠け、『カ』を水に棲む鳥とするせつはカリの『り』について触れていない。『ガン』の転呼とする説も上代に『雁』を『ガン』と訓んだ例はなく、『カリ』が一般的であったことが考慮されていないことから、鳴き声の説が妥当と考えられる」

というところ(語源由来辞典)が妥当なのではあるまいか。また、「ガン」の転訛も、

「上代には『カリ』と呼ばれていたが、室町時代頃から『ガン』が現れた。次第に一般名として扱われるようになり、現代では『ガン』が正式名、『カリ』が異名という扱いをされるようになった」

ということ(仝上)から、

ガン→カリ→ガン、

では不自然である。「ガン」という訓み方が広まったのは、

「語勢を強くするために漢語『雁』の勢力が増したとする説と、鳴き声からとする説があるが、漢語『雁』の説が有力とされる。ただし、『カリ』の語源はカリガネの鳴き声に由来し、そのカリガネが減少し、『ガンガン』と鳴くマガンやヒシクイの増加によって、和語内でガンの鳴き声を受けたとの見方もある」

とある(仝上)。「ガン」も鳴き声に由来するとするのは、

「声ならむ。朝鮮語に、キロオギと云ふ」

とする大言海がある。「カリ」が鳴き声なら、「ガン」も鳴き声から由来したと見た方がいいように思える。

マガンの鳴き声https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1491.html

を聞いても、正直はっきりわからない。ただし、

「万葉集では60余首と多く詠まれているが、数多くの群れで生活し、その鳴き声や飛ぶ姿(雁行)に特徴があり、よく目立つところから、身近な鳥として見られていたのだろう。(中略)かりがねと詠っているのが多いが、これは今のカリガネではなく、雁の鳴き声のことを言っているようだ」

とあるhttp://okamoto-n.sakura.ne.jp/manyohkatyoh/tori/magan/magan.htmlし、

「日本ではガンは古くから狩猟の対象とされ、食用として賞味されるほか、文学作品のなかにも多く現れて親しまれているが、雁(がん)とあるのはかならずしも限られた鳥の名称ではなく、鴨(かも)類としての総括的な名称であったらしい。「かり」とも「かりがね」ともよぶが、これは空を渡る際の声が印象的であったことから、「雁(かり)が音」が転じて雁そのものの名称になったと思われる」

ともある(日本大百科全書)ので、「そのカリガネが減少し、『ガンガン』と鳴くマガンやヒシクイの増加によって、和語内でガンの鳴き声を受けたとの見方もある」というのは、穿ちすぎかもしれない。

伊藤若冲『芦雁図』 18世紀。.jpg

(伊藤若冲『芦雁図』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%81より)


参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2020年01月02日

らくがん


「らくがん」は、

落雁、

と当てる。本来の意味は、

空から舞い下る雁、

の意であり、秋の季語である。

歌川広重 月に雁.jpg

(歌川広重・月に雁 空から、舞い降りる三羽の雁 https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige292/より)

大言海には、

雁の列をなして、地に下らむとすること、

とあり、杜甫の晩行口號の、

落雁浮寒水、饑烏集戍樓、

を引く。また、「落雁」には、

米などから作った澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて着色し、型に押して乾燥させた干菓子、

の意味もある。大言海は、

「支那の軟落甘(ナンラクカン)の和製のものと云ふ。乾菓子に、初めは黒胡麻を加へ、それが斑点をなすこと、落雁の如くありしかば名ありと」

と、その由来を解く。日本語源広辞典も、

「軟落甘」の軟を取り「落甘」としたもの、

とし、やはり、

「黒ごまをいれたのを、落ちる雁に見立てたもの」

とする。嬉遊笑覧にも、

中国菓子に軟落甘(なんらくかん)というものが明朝にあったと『朱子談綺(だんき)』(1708)にあり、その軟を略して落甘といったものがやがて落雁と書くことになった」

とある(たべもの語源辞典)、とか(ただ軟落甘とは、どのような菓子かはわかっていない)。

しかし、「落雁」には、

近江八景の「堅田の落雁」

にちなんでつけられた、とする説があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%85%AB%E6%99%AF

堅田落雁.jpg

(近江八景の「堅田の落雁」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%85%AB%E6%99%AFより)


因みに、近江八景とは、

石山秋月・石山寺、
勢多(瀬田)夕照(せきしょう)・瀬田の唐橋、
粟津晴嵐・粟津原、
矢橋帰帆・矢橋、
三井晩鐘・三井寺(園城寺)、
唐崎夜雨・唐崎神社、
堅田落雁・浮御堂、
比良暮雪・比良山系、

だとかhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%85%AB%E6%99%AFに詳しい)

しかし、たべもの語源辞典は、

「一説に、もと近江八幡の平砂の落雁より出た名であり、白い砕き米に黒胡麻を点々とかき入れたのが雁に似ているからであり、形は昔州浜のさまにしたが種々の形ができたと『類聚名物考』にある。この説は、落軟甘という菓子が日本に渡ると、中国平沙の落雁を近江八景の一つ堅田落雁にこじつけて、白い砕き米に黒胡麻の散っているのを、いかにも堅田の浮身堂に向っての落雁らしくみせ、足利末期の茶道の盛んな時代であったからこれが喜ばれた」

と一蹴している。「平砂の落雁」とは、中国山水画の伝統的な画題である「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」の一に、「平沙落雁(へいさらくがん)」があり、秋の干潟に雁の群れが舞い降りる様子が描かれる。「近江八景」が「瀟湘八景」を真似たということである。

別の説もある(以下、たべもの語源辞典)。一つは、

「後小松天皇のとき、本願寺の第五祖綽如(とうにょ)上人が北陸巡遊の折、ある人が菓子一折を献じた。それが白い上に黒胡麻が散っているので、雪の上に雁が落ちてくるのに似ているとて落雁と名づけられ、当時上人からこれを天皇に奉ったところ、大変おほめのことばを賜ったということが遠近に伝わり流行菓子になった」

とする綽如上人命名説。更に他に、

「足利時代の文明年間(1469~87)のころ山城国壬生に坂口治郎というひとがいた。菓子づくりの才があって、時の後土御門天皇に献じてほめられたほどである。その子の二代目は応仁の乱の兵乱を避け、本願寺の蓮如上人に従って北国に入り、福井県吉崎に住んだが、明応年間(1492~1501)には富山県礪波郡井波に移り、(中略)天正九年(1581)以来…商人となり製菓を業とした。たまたま文禄年間(1592~96)のころ有栖川宮の命によって後陽成天皇に菓子を献じたところ、非常な御満悦で『白山の雪より高き菓子の名は四方の千里に落つる雁かな』という御歌を賜った。この菓子はうるち米を熬(い)って砂糖を混ぜ、正方形にして表面に胡麻を散らしたものであった」

という御歌から来たとする説(語理語源=寺西五郎)である。しかし、このときすでに京には落雁という菓子があったというので、菓子屋の由来書のようなもので、権威づけただけのものとみられる。

また、

「加賀名物御所落雁は茶匠の小堀遠州が意匠下ものを後水尾天皇のとき国主の小松中納言利常から献上したところ、長方形の白い地に胡麻が散っているさまを田面に落ちた雁に似てるとて落雁と勅銘を賜ったので、とくに御所の二字を冠して御所落雁と命名した」

さらには、

「表面には型模様があるが、裏面は無地なので『裏淋しい』を『浦淋しい』に通わせて、秋の浦辺を連想し、秋の空を飛んでいる雁の寂しげなことを考えて『落雁』と名づけた」

等々の六説がある、とする(たべもの語源辞典)。しかし、この他にも、

鳥の餌にもできるところから(和漢三才図絵)、

というのもある。しかし、どう考えても、菓子屋の由来書ではないかと思われる説が多く、そのコアとなる発想は、

初めは黒胡麻を加え、それが斑点になっている様を落雁に見立てたもの(類聚名物考・たべもの語源抄=坂部甲太郎)、

というものでしかない。中国由来が、さまざまに工夫されたものとみるのがいいのではないか。

落雁.jpg


落雁の製法には、

①すでに蒸して乾燥させた米(糒(ほしい、干飯))の粉を用い、これに水飴や砂糖を加えて練り型にはめた後、ホイロで乾燥させたもの、
②加熱していない米の粉を用いて、上記同様に水飴を加え成型し、セイロで蒸し上げた後、ホイロで乾燥させたもの、

二通りあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E9%9B%81、らしい。

しかし、

「近松や西鶴の作品では魅力的な歌詞として登場するが、現在のものとはやや違い、『御前菓子秘伝抄』(1718)には、干飯を煎り、砂糖蜜で固めたものとあるので、いわゆる『おこし』に近かったものと思われる」

とある(日本語源大辞典)。

通常は、上記の①は落雁、②は白雪糕(白雪羹)(はくせつこう。関西地方では「はくせんこ」とも)と呼ばれるものである(仝上)。

「加熱処理済の粉を砂糖で固めた日持ちのよい落雁が普及すると、熱処理していない米粉を成形して蒸す白雪糕(はくせきこう)が廃れ始めた。『和漢三才図絵』は、白雪糕といいながら、その実、落雁の製法と同じものがあることを指摘している。結局、本来の製法の白雪糕は消えてしまったが、名前だけは残り、現在でも西日本には落雁の類をハクセッコー、ハクセンコーと呼ぶ地方がある」

とある(日本語源大辞典)。その製法は、

「明時代の中国における軟落甘に基づく。これは小麦粉・米粉を水飴や脂肪で練り固めて乾燥させた菓子で、西~中央アジアに由来するといわれ、元時代に中国に伝来した」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E9%9B%81以上、「落雁」は、「軟落甘」の和製化ということである。

「糒(ほしい)を煎って粉にしたものを『落雁粉』とか『イラコ』とよんだ。落雁粉でつくった落雁の普及したのは享保(1716~36)である。(中略)炒種(いりだね)に砂糖・水飴などを加え、各種の形にほりつけた木型を水に塗らして、木べらで型に詰め込み、木型の型の一端をたたいてゆるめる。竹簀の上に型を裏返して移しあげ、ほいろにのせ、徐々に乾かす」

のである(たべもの語源辞典)。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2019年12月30日

とみに


「とみに」は、

頓に、

と当てる。

急に、にわかに、
しきりに、

と、ちょっと違う意味を持つ。

古くは下に否定を伴う場合が多い、

とある(広辞苑)ので、例えば、古くは、

とみに物語のたまはで、

というような使い方をした。今日の「全然」が、

全然わからない、

と否定を伴ったのが、今日、

全然同感です、

と、

まったく、非常に、

という意味に変じたのと似ていのかもしれない。

岩波古語辞典には、

「トニニの転。多くの場合、下に打消しを伴って使われる。そのうち消された行動は、実は即座に成し遂げられることが予想・期待される」

とあり、それが、

その人人にはとみに知らせじ、有様にぞしたがはん(源氏)、

のように、「急に」の意であり、それが、

打消しの意を含む語を修飾して、

とみにはるけきわたりにて(足が遠のいて)、白雲ばかりありしかば(かげろふ)、

というように、「ばったり」「とんと」という意味で使われる、とある。

「しきりに」という意味は、ここにはない。

「頓」(トン)は、

「会意兼形声。屯(トン・チェン)は、草の芽が出ようとして。ずっしりと地中に根を張るさま。頓は『頁(あたま)+音符屯』で、ずしんと重く頭を地に付けること」

とある(漢字源)。頓首というように、ぬかずく意、整頓というように、止まる意、頓足というように、とんと急に動く意、頓死というように、急にという意、と様々な意味があるが、「急に」の意味で「頓に」と当てたのは、なかなかの慧眼である。

「とにに」の転とする「とにに」とは、

にわかに、

の意だが、

トニは「頓(トン)」の字音tonに母音iを添えてtoniとしたもの、

とある。つまり、どうも、漢語「頓」の字音を和語化したものということになる。とすると、「とみに」は、漢語由来、ということになる。

しかし、大言海は、「とみ」の転とする。「とみ」は、

疾、
頓、

と当て、

速(と)みの義、

であり、無(な)み、可(べ)み、と同じとする。しかし日本語源広辞典は、

字音ton+母音i、

とし、

「とみ(疾・急)+ミ」説は、疑問、

と否定している。

トミ(速・疾)の義(伊勢物語古意・古事記伝・国語の語根とその分類=大島正健・日本釈名)、

似たものに、

トシ(急)の義(言元梯)、

等々あるが、

「語源については『とし(疾)』の語幹に接尾語『み』の付いたものとする説もあるが、『土佐日記』に見られる『とに』などの形から、『頓』の字音の変化したものと考えられる」

とする(日本語源大辞典)のが大勢のようである。土佐日記には、

「風波(かぜなみ)、とにやむべくもあらず」

とある。

「とに」は「頓」の字音「とん」の「ん」を「に」と表記したもの、

とあり(大辞林)、

とん→とに→とみに、

と転訛したものとみられる。

「時間的に間がおけないさま。また、間をおかないさま。急。にわか。さっそく。『とみの』の形で連体修飾語として、また、『とみに』の形で副詞的に用いることが多く、現代ではもっぱら『とみに』の形で用いられる。」

とあり(精選版日本国語大辞典)、「とみに」の語感から、本来、

急に、

の意味が、否定を伴わなくなり、

とんと、

の意から、

国運がとみに衰える、
老眼がとみに衰える

というように、

しきりに、

の意味が派生したものかもしれない。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:頓に とみに
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2019年12月29日

つとに


「つとに」は、

夙に、

と当てる。「夙」(漢音シュク、呉音スク)は、

「会意。もと『月+両手で働くしるし』で、月の出る夜も急いで夜なべをすることを示す」

とあり、「粛」と同系で、緊張して手早く働くこと、また、速と同系で早いの意ともあり、「むかしから」「早くから」という意と、「朝早く」という意(夜と対)と、「はやい」「時間が早い」の意とがある。つまり、

以前から、

という意と、

朝早く、

という意と、

(時間が)早い、

という意と、微妙な違いがある。「夙」を当てた和語「つとに」も、

朝早く、早朝、
と。
以前から、

の二つの意がある(広辞苑)。しかし、岩波古語辞典は、

朝早く、

の意しか載せない。辞典を見ると、

朝早く、早朝に、

の意の用例は、

「一には早(ツトニ)聚落に入ること得じ」(四分律行事鈔平安初期点)、
「つとに起き、遅く臥 (ふ) して」〈雨月物語・吉備津の釜〉、
「つとに行く雁の鳴く音(ね)は我がごとく物思へかも声の悲しき」(万葉集)、

等々であり(精選版日本国語大辞典、大辞林、デジタル大辞泉)、万葉集は、「朝」に「つと」と訓をしたりする。

早くから、ずっと以前から、

の意の用例は、

「人夙(ツト)に事業に志を立つべし」(中村正直訳・西国立志編)

と、明治以後である。これだけで即断するのは、難があるが、

早くから、

の意は、後世になって加わった意味ではなかろうか。

岩波古語辞典は、「つとに」の語源を、

「ツトはツトメテ(朝)・ツトメ(勤)のツト。朝早い意」

としている。岩波古語辞典は、「つとめ」(勤め・務め)について、

「ツトニ(夙)のツトと同根。早朝から事を行う意」

とし、「つとめて」については、

「ツトは夙の意。早朝の意から翌朝の意となった」

としている。「あした」http://ppnetwork.seesaa.net/article/447333561.htmlで触れたように、

「上代には昼を中心とした時間の言い方と、夜を中心にした時間の言い方とがあり、アシタは夜を中心にした時間区分のユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタの最後の部分の名。昼の時間区分の最初の名であるアサと同じ実際上は時間を指した。ただ『夜が明けて』という気持ちが常についている点でアサと相違する。夜が中心であるから、夜中に何か事があっての明けの朝という意に多く使う。従ってアルクアシタ(翌朝)ということが多く、そこから中世以後に、アシタは明日の意味へと変化しはじめた。」

「あした」が早朝の意からあくる朝の意となったのと重なっている。

大言海は、

「初時(ハット)にの略、字鏡に『暾、日初出時也』」

としている。同趣旨である。

字類抄にも、

「夙、つと、つとめて、早旦也」

とある。日本語源広辞典は、

ツト(早朝)+に(副詞化)、

とする。他に、

ツトはツトメテの義(和句解・日本釈名)、
ツトはツトメ(勤)の略(万葉集類林・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本語源=賀茂百樹)、
ツトはハツトキ(初時)の上下略(和訓栞言葉の根しらべの=鈴木潔子)、
ツトは日出の意の韓語ツタと同語(日本古語大辞典=松岡静雄)、

等々、「つとに」がもともと、

早朝、

の意しかなかったことを思わせる。

夙に、

と当てることで、「夙」の持つ意味をもたせたとみるのが妥当のようである。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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ラベル:夙に つとに
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2019年12月28日

コンブ


「コンブ」については、「わかめ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/472818173.html?1577306789で、「布の字を用ゐること」について、大言海が、「昆布」を、

「蝦夷(アイヌ)の語、Kombuの音訳字なり、夷布(えびすめ)と云ふも、それなり。海藻類に、荒布(あらめ)、若布(わかめ)、搗布(かちす)など、布の字を用ゐるも、昆布より移れるならむ。支那の本草に、昆布を挙げたり、然れども、東海に生ず、とあれば、此方より移りたるなるべし。コブと云ふは、コンブの約なり(勘解由(カンゲユ)、かげゆ。見参(ゲンザン)、げざん)」

としている、と触れた。岩波古語辞典も、

アイヌ語kombu、

とするなど、アイヌ語由来とする説がある。『続日本紀』に、

「霊亀元年十月『蝦夷、須賀君古麻比留等言、先祖以来貢献昆布、常採此地、年時不闕、云々、請於閉村、便達郡家、同於百姓、共率親族、永不闕貢』(熟蝦夷(にぎえみし)なり。陸奥、牡鹿郡邊の地ならむ、金華山以北には、昆布あり、今の陸中の閉伊郡とは懸隔セリ)」

とあり、アイヌと関わることは確かである。倭名抄には、

「本草云、昆布、生東海、和名比呂米、一名、衣比須女」

とあり、字類抄には、

「昆布、エビスメ、ヒロメ、コブ」

とある。本草和名には

「昆布、一名綸布(かんぽ)。和名比呂女、一名衣比須女」

ともあり、古くは、

ヒロメ(広布)、
エビスメ、

等々と呼んだ。

「ひろめ」は幅の広いことに(すなわち広布)、「えびすめ」は蝦夷の地から来たことに(すなわち夷布)由来する、

と考えられるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%96

「メ(布)」というのは、

「海藻類が布のように幅広であるところからいわれた。アラメ(荒布)・ワカメ(若布)というように、海藻にはメという名が付いた」

ということのようである(たべもの語源辞典)。

この「広布」を、

音読みした「こうぶ」からコンブになった、

とする説もある(仝上)。「コンブ」というようになったのは、平安朝の頃からで、

「『色葉字類抄』(1177-81年)に『コンフ』、『伊呂波字類抄』に『コフ』という訓が確認できる」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%96

「コンブ」の語源は、上記のように、アイヌ説があるが、漢名「昆布」の音読みであるとする説もある(和訓栞他)。

「漢名自体は、日本ではすでに正倉院文書や『続日本紀』(797年)に確認でき、さらに古くは中国の本草書『呉普本草』(3世紀前半)にまで遡ることができる。李時珍の『本草綱目』(1596年)には次のようにある。
 考えてみると、『呉普本草』には『綸布、またの名を昆布』とある。ならば、『爾雅』で言われている『綸(という発音で呼ばれているもの)は綸に似ている。これは東海にある』というものは昆布のことである。『綸』の発音は『関 (gūan)』で、『青糸の綬(ひも)』を意味するが、訛って『昆(kūn)』となった。」

というものである(仝上)。しかし、

「中国でいう『昆布』は、文献によってさまざまに記述されており、実際にはどの海藻を指していたのか同定が難しい。たとえば陳藏器は『昆布は南海で産出し、その葉は手のようで、大きさは薄(ススキ)や葦ほど、赤紫色をしている。その葉の細いものが海藻である』と記しており、アラメ、カジメ、ワカメ、クロメといったものを想起させる。昆布は、少なくとも当時は、東海(東シナ海)でも南海(南シナ海)でも採れるものではなかった。また、李時珍も掌禹錫(11世紀)に倣い、『昆布』と『海帯』(後者は、現代中国語で昆布を指す)を別種のものとして記述している」

とある(仝上)。字源を見ても、「昆布」は、

海藻の名、狭きものを海帯と云ふ、

としかない。本草には、

高麗如捲麻、黄黒色、柔韌可食、今海苔紫菜皆似綸、恐即是也

とあり、

「『爾雅』(紀元前3世紀〜2世紀ころ)には、『綸似綸、組似組、東海有之。』「綸(という発音で呼ばれているもの)は綸に似ている。組(という発音で呼ばれているもの)は組に似ている。これは東海にある」と書かれており、『呉普本草』(3世紀前半〜中葉)には綸布の別名が昆布であるとする。また、陶弘景(456-536年)は、『昆布』が食べられることを記している。ただし、前述のように、この『昆布』が日本で言う昆布と同じものなのかは定かでない。」

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%96。東海にあるという以上、昆布は、どうも中国では採れない。その意味で、

「縄文時代の末期、中国の江南地方から船上生活をしながら日本にやって来た人々が、昆布を食用としたり、大陸との交易や支配者への献上品としていたのではないかと言われています。昆布という名の由来は、はっきりしませんが、アイヌ人がコンプと呼び、これが中国に入って、再び外来語として日本に逆輸入されたと言われています」

という説https://kombu.or.jp/power/history.htmlが現実味を帯びる気がする。たべもの語源辞典は、

「中国の『呉晋本草』に、『綸布(かんぽ)一名昆布』とある…。綸は、リンまたカンとよみ、糸である。青色のひもという意味もある。このキカンポが訛って昆布(コンポ)となった」

という説を採っているが、その元が、アイヌ語かもしれないのである。

「鎌倉中期以降になると、昆布の交易船が北海道の松前と本州の間を、盛んに行き交うようになりました。昆布が庶民の口に入るようになったのは、そのころからです。海上交通がさかんになった江戸時代には、北前船を使い、下関から瀬戸内海を通る西廻り航路で、直接、商業の中心地である『天下の台所』大阪まで運ばれるようになりました。昆布を運んだ航路の総称を『こんぶロード』と言います。こんぶロードは江戸、九州、琉球王国(沖縄県)、清(中国)へとのびていきました。特に、琉球王国は薩摩藩(鹿児島県)と清とのこんぶ貿易の中継地として、重要な役割を果たしました。」

とありhttps://kombu.or.jp/power/history.html、中国は昆布の輸入国なのである。

コンブ.jpg



参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2019年12月27日

信長殺害


金子拓『信長家臣明智光秀』を読む。

信長家臣明智光秀.jpg


本書の特徴は、第一に、

信長家臣、

とタイトルにある通り、まず、はっきりしない、信長に仕える以前の、

「前半生のには謎が多く、出自や信長に仕えるまでの経歴がわかるような良質な史料はほとんど残っていない」

部分には踏み込まないことだ。光秀討死の報を聞いた、奈良興福寺の塔頭多聞院主英俊が、

「惟任日向守ハ十二日勝竜寺ヨリ逃テ、山階ニテ一揆にタタキ殺サレ了、首ムクロモ京ヘ引了云々、浅猿々々、細川ノ兵部大夫ガ中間ニテアリシヲ引立之、中國ノ名誉ニ信長厚恩ニテ被召遣之、忘大恩致曲事、天命如此」

と切り捨てた多聞院日記に。

細川ノ兵部大夫ガ中間、

つまり細川藤孝の家臣であったということ、あるいは、「永禄六年(一五六三)諸役人付」(光源院殿御代当参衆幷足軽以下衆覚)に、

足利義昭の足軽衆の一人、

として明智の名がある、という程度にしか、前半生はわかっていないのである。

第二の特徴は、

明智光秀と吉田兼見、

と、一章を設けて、吉田神社の吉田家当主との関係を掘り下げたことである。吉田兼見は、細川藤孝の従兄弟に当たる。

本能寺の変当日、兼見は、六月二日、

「本應寺・二条御殿等放火、洛中・洛外驚騒畢、悉討果、未刻大津通下向、予、粟田口辺令乗馬罷出、惟日対面、在所之儀万端頼入之由申畢」

と、惟日(惟任日向守、つまり明智光秀)に会いに出かけている。後に、やばいと思ったのか、粟田口辺にまで赴いて光秀と対面した部分を削除し、こう他所事のように書き換えた。

「戊子(つちのえね)、昊天(ごうてん)當信長之屋敷本應寺而放火之由告來、罷出門外之処治定也、卽刻相聞、企惟任日向守謀叛、自丹州以人數取懸、生害信長、三位中将為妙覺寺陣所、依此事取入二条之御殿、卽諸勢取懸、及數刻責戦、果而三位中将生害、此時御殿悉放火、信長父子・馬廻數輩・村井親子三人討死、其外不知數、事終而惟日大津通下向也、山岡館放火云々、右之於二条御殿双方乱入之最中、親王御方・若宮御两三人・女中各被出御殿、上之御殿へ御成、中々不及御乗物躰也」

しかし、兼見と光秀の関係は、ただならぬものがある。三日、四日、近江を抑えた光秀は、五日に安土城に入り、八日京へ戻る。兼見は、日記に、

「八日、甲午、早天發足安土、今日日向守上洛、諸勢悉罷上、明日至攝州手遣ひ云々、先勢山科・大津陣取也、
 九日、乙未、早々自江州折帋到来、唯今此方へ可來之由申了。不及返事、飛脚直出京、即予為迎罷出白川、
 未刻上洛、直同道、公家衆・攝家・清華、上下京不殘為迎至白川・神楽岡邊罷出也。向州云、今度上洛、諸家・地下人礼之義堅停止之由被申、於路次對面勿論、於此方無對面之義也、次至私宅、向州云、一昨日自禁裏御使忝、為御礼上洛也、随而銀子五百枚進上之由、以折帋予に相渡之、卽可持参候由申訖、次五山之寺へ百枚充各遣之、大徳寺へ百枚、予五十枚、為當社之御修理賜之、五山之内依不足、賜予五十枚之内廿枚借用之、次於小座敷羞小漬、相伴紹巴、昌叱、心前也、食以後、至下鳥羽出陣」

とある。この関係は、ちょっと不思議であった。本書で、光秀は、兼見の父兼右とも懇意な関係にあり、それが兼見とも続くことを解き明かす。兼見室のきょうだいである、佐竹出羽守は、光秀に従い、

「『明智』の名字と『秀』の諱を許され、明智秀慶と名乗った」

ともある。光秀の年齢は、

五十五歳、
五十七歳、

等々があるが、『当代記』には、

六十七歳、

とする。吉田兼右との親交について、

「光秀はもともと兼見の父兼右と親交があった…。実は兼右は、永生十三年生まれなのだ。光秀六七歳説を採ると、まったくのおない年ということになる」

と、このことは、光秀の没年齢とも関わってくる。

第三の特徴は、「本能寺の変」という言葉を使わず、「あえて即物的に」

信長殺害事件、

としたことだ。ここで、この件は、

歴史的事件、

としてよりは、

個人的事件、

としての含意を持たせたのだと、僕は推測する。それは、殺害動機と絡んでくる。著者は、

「結論から先に述べておこう。
 最近特に注目されるようになってきた、信長の四国政策転換(長曾我部氏の処遇)問題や、美濃稲葉氏と光秀の間に起きた斎藤利三・那波直治の召抱えに関する確執といった、天正十年になってから起きた光秀の活動に深く関わることがらについて、信長とのあいだに生じた思惑のすれちがいを根底に、それが原因となったらしい信長による光秀の殴打、さらに秀吉支援のための出陣命令による家康饗応役の突然の変更が直接のきっかけとなり、面目をつぶされた光秀が信長を討った、というものである。」

と、動機を書く。詳しくは本書を読んでいただくしかないが、

四国政策の変更は五月七日、
饗応役を解かれて出陣命令は五月十五日前後、
斎藤利三・那波直治の召抱えの裁定は五月二十七日、

と続く。

召抱え問題では、那波直治を稲葉家に戻し、利三は切腹させるというものである。光秀が承知せず、

「髪束をつかみ、膝本へ引きよせ、頭を二つ三つはり給いし」

とある(宇土家譜)。この件は、

「有力家臣同士の紛争にあたり、信長が双方を納得させる裁定を下せなかったのは、体系的な国法をもたず、彼の上意がすべてを優先する政治のあり方に問題があった」

帰結でもある。ひとつひとつは些細なことだが、光秀の面目失墜の積み重ねが、爆発した、という見方である。

変の後、勅使として安土城へ赴いた兼見は、光秀と面談するが、日記に、

今度謀叛の存分雑談(ぞうだん)なり、

と記した。

「『雑談』とひと言で片づける程度の、たいした動機ではなかったのかもしれない」

と著者は書く。細川藤孝に宛てて協力を求めた手紙では、

不慮の儀、

と書く。特段の大義名分がなかった証かもしれない。

本能寺の変、

と書くより、

信長殺害事件、

と書くことで、かえって事は見やすくなったのかもしれない、という気がする。

光秀については、

「謀叛」http://ppnetwork.seesaa.net/article/399629041.html
「光秀」http://ppnetwork.seesaa.net/article/469748642.html

でも触れたことがある。

参考文献;
金子拓『信長家臣明智光秀』(平凡社新書)

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2019年12月26日

ワカメ


「ワカメ」は、

若布、
和布、
稚和布、

等々と当てる。漢名は、

裙帯菜、
石蓴(かため)、
海葱、
稚海藻、

また、古くは、

にぎめ、

と呼んだ。「にぎめ」は、

和布、

とあてる。褐藻綱コンブ目チガイソ科の海藻である。

「ワカメは乾燥が容易で、軽く運搬も容易であったこともあり、先史から日本で広く食べられていたことが確認されている。縄文時代の遺跡からは、ワカメを含む海藻の植物遺存体が見つかっており、この時代から食されていたことが明らかになっている。」

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%AB%E3%83%A1、古くから食べられてきた。

海中を漂うワカメ.jpg

(海中を漂うワカメ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%AB%E3%83%A1より)


大言海は、

ワカキメの略、又、ワケメの轉かとも云ふ。荒布に対する名、

とし、古名は、

にぎめ(和布)、

とする。

「荒布」(あらめ)は、

和布(にぎめ)に対して、皺の粗きを云ふ、

とする。「荒布」は、

コンブ目 レッソニア科アラメ属に属する褐色の褐藻、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%A1

「古くは大宝律令や正倉院の文書にも登場し、現在でも薬品原料、肥料、食料品などとして用いられている。」

とある(仝上)。

荒布.png



黒菜、

ともいい(大言海)、和名抄に、

滑海藻、俗用荒布、阿良女、

とある。大言海は、「藻」の項で、

海布(め)と通ず、

とし、「め(海布)」の項で、

芽の義かと云ふ、或は云ふ、藻の轉。

とし、「布の字を用ゐること」について、「昆布」の項で、

「蝦夷(アイヌ)の語、Kombuの音訳字なり、夷布(えびすめ)と云ふも、それなり。海藻類に、荒布(あらめ)、若布(わかめ)、搗布(かちす)など、布の字を用ゐるも、昆布より移れるならむ。(中略)コブと云ふは、コンブの約なり」

とする。

「和語では古くは、藻類の『も』に対し、食用の海草一般を『め』と呼んでいた」

とする説もあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%AB%E3%83%A1が、「め(海布)」は、

海藻(め)、

とも当てる。「め(海布)」は、「も(藻)」と通ず、ということになる。岩波古語辞典も、「め(海布)」は、

も(藻)の転か、

としている。この「め(海布)」は、

芽、

であり、「芽」は、

目と同根、

である(岩波古語辞典)。

「わかめ」は、大言海の言うように、

ワカキメの略、

ワケメ、

の二説に分かれるが、「若(わか)」は、

動詞ワク(分)の派生形(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦)、

という説もある。となれば、「ワカキメ」と「ワケメ」は区別せず、

「わかめの『め』は、海藻の総称『メ(海布)』のことで、『モ(藻)』に通じる語。わかめの『わか』は、羽状に分裂した姿から、新生であることを表す『ワカ(若)』や、分かれ出た意味の『ワカ(分)』である。つまり新しく分かれ出た海布という意味から、『わかめ』と呼ばれるようになったものと考えられる。」

とする(語源由来辞典)こともできる。

「マコンブとワカメと比較すると、マコンブには周囲にさけめはない。ワカメは深い切り込みがあり、…分けめが甚だしいから、ワカメの名はこのワケメからで、しかも、メと海布の称であるからワカメとなると考えられる。しかしワカメの古名和布(にぎめ)であることを考えると、昆布や荒布に比してワカメは、柔らかい海藻であることが特徴であった。それで柔らかい海布(め)というのでニギメとなったものである。それが羽状に分裂しているという形の上から、ワカメとなり、文字はニギメの意から『若』を用いるようになったものである。また、ニギメの若いものを賞味したからワカメともよんだ」

とある(たべもの語源辞典)ところからも、

「わか」は、

「分」

「若」

「和」(にき、荒の対)
と、

三重の意味が重なっている、ということになる。

和海藻(にぎめ)、

とも呼ばれたわけである。ただ、延喜式で、

海藻(にぎめ)・稚海藻(わきかめ)また和布(わかめ)・海藻(にぎめ)、

と併記されているように、

ニギメ、

ワカメ

が別になっている。

「古くは、海藻の総称である『メ』に、新生であることを表す『ワカ』という美称を冠したもので、特定の海藻をさす名称ではなかった可能性もある。中世になって現在のように特定の海藻の名称として載せられるにいたったと考えられる。『節用集』諸本や、『温故知新書』(1484)等に『和布』の訓として、また『運歩色葉集』(1547~8)等に『若和布』の訓として見え、『日葡辞書』にも『vacame(ワカメ)』とある」

とある(日本語源大辞典)。江戸時代になっても、料理本に、

カジメ、

として、

ワカメの意と思われるものがある(たべもの語源辞典)、という。

ところで、

「万葉集には『和可米』『稚海藻』(いずれも訓は『わかめ』)の他、『和海藻』(『にぎめ』、やわらかいワカメのこと)が見られる。他に、万葉集に頻出する『玉藻(たまも)』も、歌によってはワカメを指すかも知れない」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%AB%E3%83%A1。たとえば、「石見の海の角の浦」とはじまる人麻呂の長歌に、

「和多津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上に か青なる 玉藻奥(おき)つ藻 朝はふる 風こそ寄せめ 夕はふる 浪こそ来(き)寄せ…」

とある「か青なる玉藻」は、

真っ青な海藻はアオノリの類、

らしい(たべもの語源辞典)。

奥津島荒磯の玉藻潮干満(ひみ)ちて隠らいゆかば念(おも)ほえむかも、

とあり、潮が満ちて海水に隠れるという意で、そんな浅瀬に「和布」はない(仝上)。

うつせみの生命を惜しみ浪に濡れ伊良虞の島の玉藻刈り食む、

の「玉藻」は、

「浪にぬれてあるから、深いところの海藻であろう。若布をとっているかんじがする」

とある(仝上)。

磯に立ち沖辺を見れば海藻刈舟(めかりぶね)海人榜ぎ出(づ)らし鴨翔る見ゆ

の、「海藻刈(めかり)船」は、

ワカメとり、

である(仝上)。

ワカメ.jpg



なお、「芽」については「目」http://ppnetwork.seesaa.net/article/453951631.htmlで触れた。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2019年12月25日

フキノトウ


「フキノトウ」は、

蕗の薹、

と当てる。

早春、蕗の根茎から葉に先立って出る若い花軸、

を言う。かつては、

蕗の姑(しゅうとめ)、
とも、
蕗の祖父(ぢい)、

とも言った(岩波古語辞典)。

ふきのしうとめ 大和の方言にて、フキノトウを云ふ、
ふきのぢい 河内の方言にて、フキノトウ、本草、款冬花を云ふ、

とある(俚言集覧)。

「シュウトメのメは芽の意味も含んでいる。フキノシュウトメは、蕗の薹が老いたものをさしている。これは食べると苦みがあるところから、姑は嫁に対して苦いものだという意でよんだ」

とある(たべもの語源辞典)。別に、

款冬花(かんとうか)、
鑽凍、

ともいう、とある(大言海)。地方によってさまざまに呼び、

九州(筑紫地方)では、カンドーまたはカンロ、
広島向島でも、カンドーまたはカンロ、
信州上田付近では、フキノネブカ、
越後秋山では、サシミ、
奈良吉野地方では、シュートメバナ、
秋田・青森・岩手・宮城登米地方では、バッカイ、
庄内・南部・岩手九戸地方・秋田由利地方では、バンカイ、
和歌山日高地方では、フキノシュート、
千葉印旛地方では、フキノメ、
岡山北木島地方では、フキノミ、
長野南佐久地方、岐阜では、フキボボ、

等々、その他、

フーキノトント、
フキノオバサン、
フイノオジゴ、
フキノジイ、

等々とも呼ばれる(仝上)。

堆積した落ち葉を突き破って顔を出すフキノトウ(食べ頃).jpg

(堆積した落ち葉を突き破って顔を出すフキノトウ(食べ頃) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%ADより)


蕾の状態で採取され、天ぷらや煮物・味噌汁・ふきのとう味噌に調理して食べられる。「フキノトウ」は、

「苦みが健胃に効き、痰を消し咳を治すという。苦いものは、油で揚げると、苦みが取れる」

とある(たべもの語源辞典)。

「フキノトウ」は、というより「蕗」は、

「雌雄異花で、オスの花は淡黄色、メスの花は白色。雄の茎の肉は厚くおいしいが、メスの茎は薄くまずいといわれる。だが、鱗状の苞に包まれている間は区別なく、何れも食用となる」

という(仝上)。

「フキノトウ」の「トウ」は、

「臺の字音のタイの音便と云ふ。或いは塔かと云ふ(俚言集覧に、季瓊日録を引きて、布直垂地紫紋桐塔と見えたり)。又、頭(たう)と云ふせつもあり」

と(大言海)、所説がある。日本語源広辞典は、

蕗の地下茎から伸びて出てくる花茎を塔と見た、

と「塔」説を採る。

形がタウ(塔)の九輪に似ているところから(言葉の根しらべの=鈴木潔子)、

も「塔」説である。しかしたべもの語源辞典は、


「フキノトともいうが、薹はタイとよむので、その字音が転じてトウになったという説がある。野菜類の花茎の立ち出たものをトウというのであるが、苞に包まれたところ、その相重なるさまをいうとの説が良い」

と、「薹」の字音の転訛説を採る。その出現の仕形から見ても、妥当に思える。

ふきのとう.JPG


参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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2019年12月24日

萱草


「萱草」は、

かんぞう(くわんざう)、
かぞう、
けんぞう、

とも訓むが、

わすれぐさ、

とも訓ませる。

立原道造の『萱草に寄す』は、そう訓ませる。

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう(のちのおもひに)

「萱草」は、

ユリ科ワスレグサ属植物の総称、

「日当たりのよい、やや湿った地に生える。葉は二列に叢生し、広線形。夏、花茎を出し、紅・橙だいだい・黄色のユリに似た花を数輪開く。若葉は食用になる。日本に自生する種にノカンゾウ・ヤブカンゾウ・キスゲ・ニッコウキスゲなどがある」

と(大辞林)、とある。

花を一日だけ開く、

ために、

忘れ草、

と呼ばれるらしい。萱草の「古名」である(大言海)。で、

諼草、

とも当てる。和名抄に、

「萱草、一名、忘憂、和須禮久佐、俗云、如環藻二音」

とある。

ワスレグサ.jpg


「忘れ草」は、

ヤブカンゾウの別称、

ともある。

身に着けると物思いを忘れるという、

ともある(広辞苑)。

忘れ草我が下紐に付けたれど醜(しこ)の醜草(しこぐさ)言(こと)にしありけり(万葉集 大伴家持)

という歌がある。忘れようと、身に着けてみたけれど、言葉だけか、と嘆いている。従妹で将来の妻、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)に贈った歌、とある。これは、

「万葉集に『萱草(わすれぐさ)吾が紐に付く香具山の古(ふ)りにし里を忘れむがため(大伴旅人)』とあり、昔、萱草を着物の下紐につけておくと、苦しみや悲しみを一切忘れてしまうという俗信があった。『今昔物語』には、父親に死なれた悲しみを忘れるために萱草を植える兄と、親を慕う気持ちを忘れないようにと柴苑を植える弟の説話がみえる」

ということに由来する(日本語源大辞典)。

ちなみに、「紫苑」(しおん)は、

「漢名の紫苑の音読みから名前が付けられており、ジュウゴヤソウの別名もある。花言葉は『君の事を忘れない』・『遠方にある人を思う』。」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3_(%E6%A4%8D%E7%89%A9)

紫苑.jpg


大言海には、「忘れ草」は、

「詩経、衞風、伯兮篇、集傳『諼草(けんそう)、食之令人忘憂』とあるを、文字読に因りて作れる語ならむ」

とある。「諼草」を、「わすれぐさ」と訓ませたということらしい。日本語源大辞典には、

「中国では、この花を見て憂いを忘れるという故事があることから(牧野新日本植物図鑑)」

とある。

ところで、「わすれなぐさ」は、

勿忘草、
忘れな草、

と当てるが、ムラサキ科ワスレナグサ属の別種。

ワスレナグサ.jpg


「わすれなぐさ」は、

英名forget-me-not、
独名das Vergißmeinnicht、

の訳語(園芸植物名の由来=中村浩)。ただ、

「牧野富太郎は『「私を忘るなよ」の意味であるからワスルナグサと呼ぶ方がよい』と主張している」

由である(日本語源大辞典)。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
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ラベル:萱草
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2019年12月23日

フキ


「フキ」は、

蕗、
苳、
款冬、
菜蕗、

等々と当てる。しかし、「ツハブキ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/472752291.html?1576873612で触れたように、

「『フキ(蕗)』の由来は、『フフキ(布布岐)』と呼んでいたフキ(蕗)に対して、我が国最古の本草書。医学の事典として薬名を記した書物で、動植物、鉱物などを載せている『本草和名』では、漢名の『款苳(カントウ)』をあて、『和名抄』では『蕗』の漢字をあてた。ところが、日本のフキ(蕗)と同じ植物は、中国では『蜂斗菜(ホウトサイ)』と書き、『款苳・蕗』のどちらも、誤用であったことが、分かっているが、『和名抄』の「蕗」の漢字の用法が現在に定着している。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%AF%E3%83%96%E3%82%AD、誤用であり、「蕗」(漢音ロ、呉音ル)は、薬草の、

カンゾウ(甘草)、

を指す、とある(漢字源)。「苳」(トウ)は、

苣苳(きょとう)は冬に生える草の名、

とある(仝上)。「款冬」(カントウ)は、

ツワブキ、

の別名ともする。

「款は、たたくで、寒い冬に凍った氷を叩き割って出てくるという意」

である(たべもの語源辞典)。「フキ」の原産地は、

樺太・千島、

で、早くから日本に伝搬した(仝上)。2mほどにも伸びる秋田蕗(アキタブキ)は、大きく、

馬に乗った人に下からさしかける傘にもできる、

が(仝上)、

「巨大な蕗は倍数体によるものである。特に寒冷地では牧草地で大繁殖する。家畜が食べないので畜産農家からは嫌われている」

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%AD

「昔の人は、葉・花・根を煎じて、その汁を飲んで健胃剤とし、解熱剤・下虫剤にもなった。葉をもんで傷口に付けると早く治る。葉のしぼり汁は血止めになり、根のしぼり汁も傷を治す。毒虫に刺されたときは、葉をもんでつける。日陰乾しにして、これを一日約10gずつ煎じて飲むと、鎮咳・袪痰・喘息・肺疾の薬になった」

ともある(たべもの語源辞典)。また、茎を醤油でキャラ色になるまで煮しめた「きゃらぶき」の「キャラ」は、

「梵語で、香木の名、キャラ色とは濃い茶色」

である(仝上)、とか。

蕗.jpg


「フキ」は、『本草和名』『和名抄』で知られるように、古名は、

フフキ、

である(日本語源大辞典)。したがって、

フユキ(冬黄)の中略。冬に黄色の花が咲くところから(和句解・日本釈名・滑稽雑談)、
ハヒロクキ(葉広茎)、ヒロハグキ(広葉茎)の義(日本語原学=林甕臣)、
ふきの葉は大きく少しの風でも揺れることから、『ハフキ(葉吹き)』『フフキ(風吹き)』の意、
用便の後、おしりを拭く紙の代わりに蕗の葉を使用したことから、『拭き』が語源
ふきははが大きく、傘などに用いたことから、『葺く』の変化、

等々という説は、古名「フフキ」とつながらないので、間違いとみられる。

では「フフキ」はどこから来たか。

(芽が)フユフキ(冬吹き)草・フフキ(古名)・フキ(蕗)、

と、転嫁させた説(日本語の語源)は、

「フフキ以前にフユフキクサという称があったのかどうか」

と疑問とする(たべもの語源辞典)。この他に、

「フフキ(含む)」で、含んでいる草。菫・茎・葉、などを含んでいる草の意、
「フフケルのフフキ」。花がふんわりとほぐれて開く意、

とする(日本語源広辞典)説もあるが、たべもの語源辞典は、

「フキは、大きな葉の植物なので、風に吹かれるとその葉が揺れる。風は見えないが葉が揺れる。その見えないものを植物に感じて、その植物と風とからフキフキとよんだ。そのキが省略されてフフキとなった」

とする。ちょっとロマンチックすぎるが、この説に肩入れしておく。他に、

「葉茎を折ると、皮が糸状の筋を引くので古名を『布布岐』」

というのもあるhttps://plumkiw948.at.webry.info/201002/article_12.html

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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ラベル:フキ 款冬 菜蕗
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2019年12月22日

危機


大岡昇平他編『日常の中の危機(全集現代文学の発見第5巻)』を読む。

日常の中の危機.jpg


本書は、

現代文学の発見、

と題された全16巻の一冊としてまとめられたものだ。この全集は過去の文学作品を発掘・位置づけ直し、テーマごとに作品を配置するという意欲的なアンソロジーになっている。本書は、

日常の中の危機、

と題されている。収録されているのは、

嘉村磯多『崖の下』
井伏鱒二『かきつばた』
太宰治『桜桃』
高見順『インテリゲンチァ』
武田泰淳『「愛」のかたち』
田中英光『野狐』
小山清『落穂ひろい』
椎名麟三『神の道化師』
島尾敏雄『死の棘』
安岡章太郎『海辺の光景』
庄野潤三『プールサイド小景』
小島信夫『返照』
永井龍男『青梅雨』
梅崎春生『幻化』

である。しかし、解説の松原新一も言うように、大半が正常成らざる男女関係のもつれを扱うのである。それを日常の中の危機ではないとは言わない、しかし、どこかずれている気がする。日常の中の危機が、本書の帯のフレーズのように、

足元にひらく亀裂、

なら、普通に歩いていたら砂の穴に押し込められた(砂の女)、突然棒になった(棒)、目が覚めたら虫になっていた(変身)、といったたぐいの、

ただ普通に生活していたのに、いつの間にか迷路に踏み迷った、
突然発病して、見える世界が変わった、
理不尽にある日逮捕された、
冤罪で置換と名指しされた、

等々、といったありきたりの生活と思ったものが、いつの間にか、本線から引き込み線に、あるいは脱線に、陥ることではないか、という気がする。

もし、不倫が、危機というなら、不倫自体ではなく、ちょっとした浮気心で崩壊した普通の家庭、という意味で、

死の棘、

は、もっともありうる「日常の中の危機」に違いない。子供たちが、カテイノジジョウという「夫婦の葛藤」の中で、子供たちが荒れていくさまが、既に危機である。

「『ウチデハ、オトウシャンハオカアシャンヲオコラナイノニ、オカアシャンハオトウシャンヲオコッテバカリイル。ソンナオトウシャンハ、キライニナッチャオカナ』マヤは父親をまっすぐに見てそう言い、父親の私は伸一が近所の遊び友だちのあいだで荒れて行くすがたが目に残ってはなれない。
 伸一が、いきなり大きな叫び声を出し、小石をつかんでふりあげると、とりまいていた年上のこどもらが一目散に逃げ出し、それを路地の奥の方に追いこんだあと、つかんだ小石をそのあたりの塀になげつけながら、戻ってくるひとりぼっちのすがた。「親がカテイノジジョウをすると、おかあさんが逃げないかしんぱいで、けんかに負ける」とませた口をきいた伸一。」(死の棘)

あるいは、

「青木氏の家族が南京はぜの木の陰に消えるのを見送ったコーチの先生は、何ということなく心を打たれた。
『あれが本当にせいかつだな。生活らしい生活だな。夕食の前に、家族でプールで一泳ぎして帰ってゆくなんて……』」(プールサイド小景)

という青木氏の家庭は、夫が会社の金の使い込みで会社を馘になり、二週間分の生活費しかないのである。

「起こった事を冷静に見てみれば、これは全く想像を絶したことではないのだ。給料では、自前で飲むにしてもたかが知れているのだ。それを何となく安心して、一度も疑ってみたことのない自分の方が、迂闊であね、
 夫の方にしてみても、大事に到るとは思ってもみなかったのだろうが、そういう風に物事を甘く見るところに、既に破綻が始まっていたのだ。本当に埋め合わせる気があれば、何とかできた金額である。」(仝上)

危機のさなかを、しかし、深刻ではなく、どこか突き放したように、逆に言うと、高をくくっている感じの夫婦の様子が、危機の深刻さを、ひとごとに見ている雰囲気を、よく出している。妻は、偽装出勤の夫について、

「(……夫は帰ってくるだろうか。無事に帰って来てくれさえすればいい。失業者だって何だって構わない。この家から離れないでいてくれたら……)」(仝上)

と、 気遣うのである。そんな突き放した感覚は、妻の死の後、後添えをもらうかどうかの話に終始する『反照』にもある。危機を危機と感ずるかどうかは感性だが、当人がどこかひとごとに見ている雰囲気というのは、人から見ると、確信犯に見える。

「あなたはどんな女が来ても、けっきょくおんなじじゃないのかな。そのことをあなたは、自分で知っているんですよ。その女が気に入らなければ、かえってあなたは、やっぱりそうだった、そうだったと手を打っていいますよ。あなたがもともとそうなのか、途中からそうなったのか、僕には分からないが、やがてあなたは吹聴しますよ。(略)」

『青梅雨』は、一家心中の記事(?)の、

「十九日午後二時ごろ、神奈川県F市F八三八無職太田千三さん(七七)方で、太田と妻ひでさん(六七)養女の春枝さん(五一)ひでさんの実姉林ゆきさん(七二)の四人が、自宅六畳間のふとんの中で死んでいるのを、親類の同所一八四九雑貨商梅本貞吉さん(四七)がみつけ、F署に届けた。」

その夜を描く。しかし、危機というよりは、危機の決算というかんじではあるまいか。『幻化』は、神経を病んで入院先から脱走した主人公の、戦時中駐屯した鹿児島への旅を描く。確かに、戦争の心の傷を描く。しかし、これを日常の中の危機と括っていいのだろうか。ちょっと違和感がある。それは、『かきつばた』の、原爆投下後の異変についてもいえる。戦争下の話で、やはり、僕には、「日常の中の危機」とはずれる感じがしてならない。『神の道化師』も、父母の離婚で、世間に放り出された少年の苦労だが、やはりこのテーマの中に入れるのは、無理があると思う。

嘉村磯多『崖の下』
高見順『インテリゲンチァ』
武田泰淳『「愛」のかたち』
田中英光『野狐』
島尾敏雄『死の棘』

と、男女間の葛藤を描くものは、確かに、日常の中の危機といえばいえるが、僕には、これも少しずれている気がしてならない。これが過半を占めるというのは、選の間違いというより、我々は、眼下の日常の危機を描く作品(『変身』や『審判』)を、いまだ手元に持っていない、ということの表れのような気がする。

なお、太宰については、「太宰」http://ppnetwork.seesaa.net/article/451454488.htmlで触れたが、同じ理由で、『桜桃』は買わない。

参考文献;
大岡昇平他編『日常の中の危機(全集現代文学の発見第5巻)』(學藝書林)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:危機
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2019年12月21日

ツワブキ


「ツワブキ」は、

石蕗、
艶蕗、
槖吾、

等々と当てる。「槖吾」は、「つわ」とも訓み、

ツワブキの別名、

とある。ただ、

中国語の『橐吾』はキク科メタカラコウ属、

の別の植物であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%AF%E3%83%96%E3%82%AD

石蕗、
艶蕗、

共に、「蕗」の字を当てているのは、

葉に光沢のある艶があり、フキ(蕗)の葉のように見えることから、
キ(蕗)のように見える葉が厚いことから、

等々と語源説に絡んで、「蕗」とのつながりがあるせいである。

葉柄を食用にし、葉・葉柄を民間療法で打撲・やけどなどに用いる(仝上)。漢字では、

石蕗、

と書くが、

「これも『石』と『蕗』のことで、『ツワ(石)』の由来は、自生地が海岸や浜辺の岩の上や崖や海辺の林など岩や石の間に生えることにちなんでいる。また、『フキ(蕗)』の由来は、『フフキ(布布岐)』と呼んでいたフキ(蕗)に対して、我が国最古の本草書。医学の事典として薬名を記した書物で、動植物、鉱物などを載せている『本草和名』では、漢名の『款苳(カントウ)』をあて、『和名抄』では『蕗』の漢字をあてた。ところが、日本のフキ(蕗)と同じ植物は、中国では『蜂斗菜(ホウトサイ)』と書き、『款苳・蕗』のどちらも、誤用であったことが、分かっているが、『和名抄』の「蕗」の漢字の用法が現在に定着している。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%AF%E3%83%96%E3%82%AD、誤用のままきているようだ。「蕗」(漢音ロ、呉音ル)は、薬草の、

カンゾウ(甘草)、

を指す、とある(漢字源)。なお、津和野(つわの)の地名は、

「石蕗の野(ツワの多く生えるところ)」が由来、

という(仝上)。

「ツワブキ」は、

「つやのある大きな葉を持っており、毎年秋から冬に、キクに似た黄色い花をまとめて咲かせる。そのため『石蕗の花(つわのはな)』は、日本では初冬(立冬〔11月8日ごろ〕から大雪の前日〔12月7日〕ごろまで)の季語となっている」

とある(仝上)ように、艶のある葉が特徴である。

そのため、「ツワブキ」の語源は、諸説あるが、大言海は、

艶葉蕗の義にて、葉に光沢あるを以て云ふかと云ふ、

とする。

ツワブキ.jpg



他に、

ツワ(固い・強い)+蕗、と、硬くて食べられないから(日本語源広辞典)、
アツハブキ(厚葉蕗)の義(日本語原学=林甕臣)、
テルハフキ(光葉蕗)の義(言元梯)、
ツハはツキハ(貼葉)の義か(名言通)、

等々の諸説がある。

ツヤハブキ(艶葉蕗)→ツハブキ→ツワブキ(石蕗)、
アツハブキ(厚葉蕗)→ツハブキ→ツワブキ(石蕗)、
ツハブキ(津葉蕗)→ツワブキ(石蕗)、

等々の転訛は、いずれも、フキ(蕗)に似ている、どの個所を採るかで、説が分かれている。ほかにも、

フキ(蕗)のように見える葉が厚いことから「となった説、自生地が海岸なことから「ツハブキ(津葉蕗)」が転訛して「ツワブキ(石蕗)」となった説など諸説がある。どれと確定する材料がない。

なお、「ツワブキ」は、

「鹿児島県や沖縄県を中心に西日本の一部地域ではフキと同じように葉柄を食用としており、特に奄美大島などの奄美料理では塩蔵した骨付き豚肉とともに煮る年越しの料理『うゎんふねぃやせぅ』の具に欠かせず、沖縄県でも豚骨とともに煮物にして食べる。フキを原料にした煮物、佃煮と同様に『キャラブキ』と呼ばれることもある」

というhttps://plumkiw948.at.webry.info/200910/article_41.html

DSC08218.JPG

(ツワブキの花)

「蕗」は、項を改める。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ツワブキ
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2019年12月20日

卯の花


「卯の花」は、

卯の花の 匂う垣根に
時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

という童謡でお馴染みの、

うつぎ、

の別名であり、「うつぎ」は、「うづき」http://ppnetwork.seesaa.net/article/457762501.htmlで触れたように、

空木、

の意味で、茎が中空であることからの命名であるとされる。しかし、異説もあり、

ウ(兎)の毛のような白い花が咲くから(名語記・本朝辞源=宇田甘冥)、

ともある(日本語源大辞典)。陰暦四月の、

「卯月」は、

卯の花月、

とも呼ばれ、「卯月」の由来は「うつき」とする説があるほどである。ただ、「卯の花」説は、他の月の命名との一貫性が損なわれる気がするので、ちょっと難点があるが。

ウツギ.jpg



また「卯の花」は、

おから、

の別名でもある。さらに、

襲(かさね)の色目、

の意ともされる。「色目」とは、

十二単などにおける色の組み合わせ、

をいい、

衣を表裏に重ねるもの(合わせ色目、重色目)、
複数の衣を重ねるもの(襲色目)、
経糸と緯糸の違いによるもの(織り色目)、

等々があるhttp://www.kariginu.jp/kikata/kasane-irome.htm。その代表的なものは表裏に重ねる、

襲の色目(かさねのいろめ)、

がある。

卯の花襲(かさね)、

とは、

は女房装束の袿(うちき、うちぎ)の重ねに用いられた襲色目に、四月薄衣に着る色のひとつとしてあるhttp://www.kariginu.jp/kikata/5-2.htm、山科流では、表は白、裏は萌黄(もえぎ)。四五月にもちいる、という(広辞苑)。

卯の花襲.gif



当時の絹は非常に薄く裏地の色が表によく透けるため、独特の美しい色調が現れる。襲色目は、http://www.kariginu.jp/kikata/5-2.htmに詳しい。

おから.jpg


「おから」を、「卯の花」と呼ぶのは、

「絞りかすの意味。茶殻の『がら』などと同源の『から』に丁寧語の『御』をつけたもので、女房言葉のひとつ。『から』の語は空(から)に通じるとして忌避され、縁起を担いで様々な呼び名に言い換えされる。白いことから卯の花(うのはな、主に関東)、包丁で切らずに食べられるところから雪花菜(きらず、主に関西、東北)などと呼ばれる。『おから』自体も『雪花菜』の字をあてる。寄席芸人の世界でも『おから』が空の客席を連想させるとして嫌われ、炒り付けるように料理することから『おおいり』(大入り)と言い換えていた」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%82%89

「おからのカラ(空)をきらって、ウ(得)の花としたという説もあるが、これは良くない。ウは『憂』に掛けたりすることが多い」

と一蹴したたべもの語源辞典は、

「雪花菜というのも、雪の白いことで、雪見菜は白い花、卯の花も白い花である。白い卯の花をおから(白い色が似ている)と見立てたのが正しい」

と言う。ひねくらず、卯の花に見立てた心持でいいのかもしれない。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
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ラベル:卯の花
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2019年12月19日

へなちょこ


「へなちょこ」は、

埴猪口、

と当てたりする。

未熟なもの、取るに足らないものをあざけって言う語、

とある。いくつか説がある。

ヘンナオトコ(変な男)はヘナチョコとなり、未熟者をあざけっていう(日本語の語源)、
弱小な様をいう語で、ヘナはヘナヘナ、チョコはチョコリの意(上方語源辞典=前田勇)、
「へな」とは「埴土(へなつち)」(粘土を多く含んだ土で、壁などを塗るのに使われる)のこと。「へなちょこ」とは、へなつちで作った猪口、つまり出来の悪い猪口(デジタル大辞泉)。
ヘナチョコ(埴猪口)の義、明治十四五年の頃、山田風外、野崎左文等四五人、神田明神の境内なる開花樓にて酒宴す。其席にて使用せる盃は、内部に於多福、外部に鬼面の楽焼にて、面白ぎものなりき。これは酒を入るれば、ジウジウと音して、酒を吸ひ、ブクブク泡立つ土製の猪口なり。衆呼びてヘナ猪口と云ひしとぞ(大言海)、

等々。ふつうに意味から考えれば、「へな」は、

へなへな、

が思い浮かび、「ちょこ」は、

猪口才、

の「猪口」が思い当たる。ちょこざいhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/422842891.htmlで触れたように、猪口才の語源は、

「ちょこっとした(少ない・軽少な)+才能」

「ちょこ(猪口)+才(才能)」

の二説があるが、「ちょこ」は、「ちょこちょこ」とか「ちょこまか」とか「ちょこっと」といったときに使う、「ちょこ」であり、つまりは、小さいを意味する。

小才、

は、まだ気が利くが、

小利口、

はちょっと、気に障る。

猪口才、

は、もっと目障りになる、という感じであろうか。それに「へなへな」の「へな」がついて、

小才の役に立たなさ、

を言っている、ともとれる。あるいは、おっちょこちょいhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/445524884.htmlで触れた、「ちょこまか」の「ちょこ」としても、「すこし」「ちいさい」意である。

しかし、「埴猪口」は自分の造語だという人がいる。明治時代の新聞記者で狂歌師でもあった、

野崎左文(のざきさぶん)、

である。野崎左文『私の見た明治文壇』「昔の銀座と新橋芸者」に、

「其頃新橋ではいろいろな流行語があつた、挟み言葉やツの字言葉も用ひられ『アラよござい』『シンだねへ』『十銭頂戴』其外いくらもあつたやうだが今急には思ひ出されぬ、今日でも用ひられて居る唯の事を『ロハ』一円を『円助』半円を『半助』秘密を発く事を『スツパヌキ』劣等又は粗悪を意味する『ヘナチヨコ』などは盛んに唱へられたものだが、此ヘナチヨコといふのは実は私共の作つた新語で、それは明治十三四年の夏風雅新誌の山田風外翁と私等四五人が同年神田明神に開業した今の開花楼に登つて一酌を催した時、銘々の膳に附けて出した盃は内部がお多福、外部が鬼の面で、その鬼の角と顎とが糸底代りになつて居る楽焼風の気取つたものであつた、是は面白い盃だ先づ一杯を試みやうと女中に酒を注がせると、こは如何にジウジウと音がしてブクブクと泡が立ち酒が盃の中に吸込まれた、イヤ是れは見掛けに寄らぬ劣等な品物だ、ヘナ土製の猪口だから以来ヘナチヨコと呼ぶべしだと呵々大笑したのが始まりで、爾来外見ばかり立派で実質の之に伴はないものを総てヘナチヨと称して居たのが忽ち新橋の花柳界に伝はり終に一般の流行言葉となつたのである」

とあるhttp://www.kikuchi2.com/mzasshi/hena.html、という。また、同氏の「ヘナチヨコの由来」では、

「(『集古』の)前号の『猪尾助の由来』といふ記事を読んでふと思ひ出した儘茲にヘナチヨコの由来を白状する、それは明治十四五年の夏の事で当時風雅新誌の社主であつた山田風外氏とおのれ等四五人で同年神田明神に開業した今の開花楼に登つて一酌を催した、其時銘々の膳に附けて出した盃は内部がお多福外側が鬼の面になつて居る楽焼風の気取つたものであつた、是れは面白い盃だ先づ一杯を試みやうと女中に酒を注がせるとこは如何にジウジウと音がしてブクブクと泡が立つた、イヤ是れは見掛によらぬ劣等な品物だヘナ土製の猪口だからヘナチヨコと呼ぶべしだと呵々大笑したのが抑もの始まりで、それから以後外見ばかり立派で実質の之に伴はぬものを総てヘナチヨと呼びヘナチヨコ料理屋、ヘナチヨコ芸者、ヘナチヨコ芝居などゝ盛んに此の新語を用ひたのが忽ち新橋の花柳界に伝はり又落語家円遊などが高座で饒舌るやうになつた為め終に東京一般の流行言葉となつたのである、云々」

と述べる(仝上)、という。

文脈から見れば、

ヘナ土製の猪口だからヘナチヨコ、

と呼ぶ、としたのだが、この背景には、「へなへな」の「へな」という言葉を、意識して掛けたかどうかは別として、同座の面々に意識されていたことは確かなのではないか、という気がする。でなければ、

へな土製だからへな猪口、

では当たり前すぎて、

呵々大笑、

とはなるまい。

「へなへな」は、

力を加えると曲がったりしなったりして弱弱しい様子、
頼り甲斐なく弱弱しい様子、

という意味で、江戸時代から見られる(擬音語・擬態語辞典)。

鮪売り根津へへなへなかつぎ込み(誹風柳多留)、

という句もある。この言葉の含意があってこそ、

へなちょこ、

は駄洒落となったのではあるまいか。とすると、「へなちょこ」は、

へな土製の猪口、

という意味で尽きるようだ。

猪口.jpg


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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2019年12月18日

へぼ


「へぼ」は、

へた、わざのまずいこと、またそのひと、
野菜・果物などのできのわるいもの、

という意味が載る(広辞苑)。大言海は、

つたなきこと、へっぽこ、平凡、
転じて、野菜などの出来損じたるもの、

と載る。しかし、

へた、
とか
技の拙さ、

の意は、

へぼ将棋、
へぼな絵、

という言い方で、相手の拙さをあざける含意がある。しかし、そこから転じても、

へぼキュウリ、

というような、

できそこない、

の意になるだろうか。

大言海も広辞苑も、「へぼ」を、

平凡の略、

とする。

技が拙いこと、

は、意味としてかろうじて「平凡」に掠るが、しかし、それが、

できそこない、

の意に点ずるとは到底思えない。しかし、語源由来辞典も、

「平凡の略 という。主に俗語を集めた江戸末期の国語辞典『俚言集覧(りげんしゅうらん)』には、『 へぼ、下濁、下手をヘボと云う』とある。へぼいは、へぼが形容詞化されたもの。」

と、やはり、

平凡、

とする。日本語源広辞典は、二説挙げ、平凡の略の他に、

「へ(浅薄)+ボ(男)」

で、

つまらない男、

の意とする。しかし、それでも、それが、

技の拙さ、

には、つながらないし、まして、

できそこない、

には、つながる気が、あまりしない。

「へぼ」は、岩波古語辞典には載らないが、江戸語大辞典辞典には、

屁坊の短呼か、

と載る。

拙劣、
下手、
無力、

の意である。江戸語大辞典には、

へぼ隠居(無力の隠居)、
へぼ学者(学力の乏しい学者)、
へぼ拳(下手な拳、またその打ち手)、
へぼ将棋、
へぼ浄瑠璃、
へぼ太夫(へたくそな浄瑠璃語り)、
へぼ役者(へたくそな芝居役者、地位の低い芝居役者)、
へぼ流(技の拙劣なるを一流派の如く言いなした戯言)、

と、拙い意味で使う例が載る。野菜については、

へぼ瓜、

が載るが、

蔓の末端に生った瓜、最も貧弱な売り、

と載る。どうみても、「へぼ」は、

平凡、

ではなく、

その技倆をあざけり、揶揄している。だから、

へぼ瓜、

は、

出来損ない、

というよりは、

使い物にならない、

という含意がある。そこから、

へぼ茄子、

と意味が転化するのは筋が通る。問題は、「へぼ」というとき、

平凡、

などと云う貶め方ではないことだ。

へぼくた(朽)、

という言い方が載る。

「へぼ」の強調語、

で、

下手くそ、

と「くそ」を付けたのと似ている。語源が、

屁坊、

かどうかは別に、

へぼ役者、

とあざけった時、それは、

かなりの程度に下手糞だと言っているのである。少なくとも、

平凡、

でないことは確かである。

ここからは憶説であるが、「へぼ」に似た言葉で、

へっぽこ、

という言葉がある。

技倆の劣った者、役に立たない者をののしっていう、

という意味で、「へぼ」と重なる。

へっぽこ役者
と、
へぼ役者、

は同義である。

屁っぽこ、

とあてる(江戸語大辞典)。

へっぽこ(heppoko)→へぼ(hebo)

の転訛ではあるまいか。「屁坊」の「屁」は、ののしり、あざけりの意を込める。

へっぴり(屁放)役者、

といえば、

放屁するしか芸のない役者、

の意である。「へっぽこ」「へぼ」には、そこまでの嘲りはないが。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;
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コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
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