2020年05月10日

成仁


武田泰淳『秋風秋雨人を愁殺す:秋瑾女士伝』を読む。

秋風秋雨人を愁殺す.jpg


秋瑾(しゅうきん)、字は、璿卿(せんけい)、号は競雄。鑑湖女俠と自称した。浙江(せっこう)省紹興の人。清末の女性革命家である。タイトルの、

秋風秋雨人を愁殺す(秋風秋雨愁殺人)、

は、彼女の絶命詞と伝えられる。しかし、本書によると、「秋瑾集」では、

秋雨秋風、

となっており、当時の新聞紙上でも、みな、

秋雨秋風、

となっているし、西湖畔に建てられている記念碑も、

秋雨秋風、

となっている。彼女の親友呉燦芝のみが、

秋風秋雨、

としている、とか。

日本留学中に光復会に入り、浙江で武装蜂起を計画したが、発覚して捕縛された。

取り調べに際して、

秋風秋雨愁殺人、

とのみ書き記しただけで、何の発言もせず、

秋女士は「革命党人は死なぞおそれやしない。殺したければ殺すがいい」と豪語して、歯をくいしばり目をつぶり、酷刑(ごうもん)にたえているので、革命側の秘密をさぐり出せぬ幕友(書記とか秘書の役で政治家につきそう知識人)は、仕方なくなり、ニセの供述書をこしらえ、それに無理やり指の印をおさせた。

という。翌日六月六日午前四時に、斬首された。

日本留学当時の秋瑾.jpg

(日本留学当時の秋瑾 本書より)

本書には、秋瑾だけではなく、それと連携し、僅か前の五月二十八日蜂起した、徐錫麟についても、詳しく触れている。

徐錫麟、字は伯蓀、号は光漢子。浙江省山陰県出身。彼は、

安慶起義を計画、巡警学堂の卒業式典に際し恩銘を殺害、清軍と4時間にわたる戦闘を展開したが、圧倒的な武力の清軍に破れ捕虜となった。裁判に際しては満族駆逐を志すこと10年にして目的を達したと陳述、翌日生きながらに割腹される酷刑により死刑となった、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E9%8C%AB%E9%BA%9Fが、本書には、

たまたま藩、県、道の三長官ならびに幕友が、みな紹興の生まれ、つまり錫麟とは同郷であった。殺すにしてもそれほど長時間の苦痛をあたえたくない。そこで、あらかじめ徐錫麟の陰嚢を打ちやぶってしまったので、割頭剖心(生体解剖をして、胸部を裂き心臓をひきずり出す)のむごたらしい手術(死刑)が行われるときには、すでに犯人は、感覚も失った冷たい物体と化していたのだそうである。

とある。この背景には、

山陰の知県の李宗嶽(おそらく、これは李鐘嶽のことではなかろうか)が、「秋瑾ヲ殺シタルガタメニミズカラ縊レ死ス」という……。

清朝の官吏(漢人)のなかにも、満州族の支配に反感をいだきつつ、しかも漢人革命家をころさねばならぬ立場に立たされ、結局、手を汚してからあと自殺するハメになった男はいたのである。また、そのような、うしろめたい汚れた手をもちつづけるのを拒否して、あらかじめ革命派に加勢していた、コミットしていた官吏諸君も、いるにはいたのである。たとえば、金華の鎮台提督だった蕭という男(名は不明)は、この二大事件(秋と徐の蜂起)のさい龍華会に関係があったため、刀を用いて自殺している。

等々といった漢人の支配層にも複雑な心理状態があった。ちなみに、「龍華会」とは、

別名を龍半山と称し、本部を金華におき、秋瑾が義軍の旗あげを企てるさいに、もっともたよりにし、この会を、大本営とする予定であった。

とある。秘密組織である。

これは、1907年のことである。武昌で武装革命が成功し、孫文が新政府の大総統にえらばれたのは1911年のことになる。いわば革命の魁であった。烈士を形容する言葉に、

成仁(仁を成す)、

がある。身を殺して仁を成す意である。まさに秋瑾は先駆であった。

魯迅は、1925年、「『フェアプレイ』は早すぎる」で、こう書いている。

「秋瑾女子は、密告によって殺されたのだ。革命後しばらくは『女侠』としてたたえられたが、今ではもはやその名を口にする者も少ない。革命が起こったとき、彼女の郷里(紹興)には、一人の都督―すなわちいまの督軍―が乗りこんできた。彼は彼女のかつての同士であった。その名は王金発。彼は、彼女を殺害した首謀者をとらえ、密告事件の証拠書類をあつめ、その仇に報いんとした。だが、結局、その首謀者を釈放してしまった。と申すのは、すでに民国になったからには、おたがい昔のうらみを洗いたてるべきではない、という理由かららしい。しかるに第二革命が失敗するや、この王金発自身が袁世凱の走狗のために銃殺されている。その有力なる関係者の中心には、彼が釈放してやった秋瑾殺害の首謀者があった。この男もいまでは『天寿を全う』した」

と。

秋瑾の蜂起計画は結構杜撰で、チャップリンの、

人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ、

の言葉とは逆に、

クローズアップで見れば喜劇だが、ロングショットで見れば悲劇、

の様相である。辛亥革命の先駆として、歴史の中では悲劇なのである。しかし、場違いながら、中島みゆきの、

ファイト、闘う君の唄を、闘わない奴等がわらうだろう、ファイト、冷たい水の中を、ふるえながらのぼってゆけ、

を思い出した。

匹夫も志を奪う可からず(論語)、

あるいは、

匹夫の賤にも与って責め有るのみ(顧炎武)、

なのである。清末の革命派のスローガンは、

国家の興亡は匹夫にも責めあり、

であった、という。

参考文献;
武田泰淳『秋風秋雨人を愁殺す:秋瑾女士伝』(筑摩叢書)
井波律子『論語入門』(岩波新書)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:37| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする

2020年05月09日

しどろもどろ


「しどろもどろ」は、

甚だしく乱れ、もつれたさま、

の意で、

中納言しどろに酔ひて、

というような使い方(宇津保物語)をする。しかし、今日だと、

問い詰められて、シドロモドロになる、

というように、

話し方などが、筋が通らず、あっちにつかえ、こっちにつかえるさま、
まとまりがなく支離滅裂、

な意味で使うことが多い。「しどろもどろ」は、

平安時代から見られ、広く無秩序な様子を表した。ただし、『源氏物語』は独特で、光源氏の筆づかいが自在である様子を表している、

とあり(擬音語・擬態語辞典)、それは、

中古・中世の用例では、乱れていること全般を表し、特にマイナスの意は強くはなかった、

ということに通じる(日本語源大辞典)のだろう。それが、

中世後期には、特に足取りがたよりないことに多く用いられ、

やがて、近世には、

あわてたり動揺したりして話し方が円滑さを失った様子に偏るようになった、

とある(仝上)。話す様子に使うようになったのは、江戸時代以降ということになる。

「しどろもどろ」の「しどろ」自体、

秩序なくみだれたさま、
とりとめないさま、

の意で、

しどろ足、

という言い方で、

よろよろした足取り、
整わない足つき、

の意で、

はつと気も消え立ち止まり、進み兼ねたるしどろ足、

というように(国姓爺合戦)、使う。あるいは、

しどろなし、

と形容詞で、

乱雑である、
秩序がない、

意でも使う。たとえば、

お年の参らぬは物事にしどろなしうて悪う御座る、

というように(狂言・釣針)、使う(以上広辞苑)。この「しどろなし」で類推するのは、「しどけなし」である。「しどけなし」は、

(服装・態度・性格などについて)少しもとりつくろわず、無造作である、
首尾順序などが整わない、

意で、要は、乱雑、という意だが、この「しど」は、

シドロのシドと同根、ケは気。ナシは甚だしい意、

とあり(岩波古語辞典)、「しどろ」とつながる。

しどろも無し、

という言い方が、江戸語大辞典に載る。これは、

「しどろ」と「しどもない」または「しだらもない」との混交した語か、

とする(江戸語大辞典)。「しだら」は、

ていたらく、
始末、

という意で、

梵語で、秩序の意のstūraからとも、「自堕落」の転ともいう。多く悪い意味に使う、

とあるので、「しどろ」とは別系統の由来と見ていい。「しだらもなし」は、そこから、

しまりがない、
だらしがない、

意になっているので、「しどろなし」と、意味の上で混交したものと思われる。

「しどろもどろ」の「しどろ」は、

シトロモトロ(過所戻所)の義(言元梯)、

という異説もあるが、

乱れている、

意でいいと思われる。で、「もどろ」は、

マダラ(斑)の母音交替形(岩波古語辞典)、
足取り戻(モドロキ)の略轉(大言海)、
マトワル(纏)意のモトホルから(和歌色葉)、
モドロは紛然として混乱する意(音幻論=幸田露伴)、

と種々ある。また、

「もどろ」は「まぎれる」「まどう」意味の動詞「もどろく」の「もどろ」で、「しどろ」に語呂を合わせることで、意味を強めたもの(語源由来辞典)、

は、

マダラ(斑)の母音交替形(岩波古語辞典)、

と同趣である。「もどろく」は、

斑く、

とあて、斑になる、意である。

しかし、「もどろ」は、

同義・同脚韻の語を重ねた強調語、

で、

「しどろ」を強めていう、

という(江戸語大辞典)のでいいのではあるまいか。たとえば、

ひっちゃかめっちゃか、
めちゃくちゃ、

というような、

ことばのリズムと語呂合わせ、

ではないか。「しどろもどろ」は、

四度路戻路、

と当てられたりするようだが、ここまでくると、「しどろ」「しどけない」とは無縁に、言葉遊びになっている。

参考文献;
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:37| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年05月08日

しっとり


「しっとり」は、

湿る程度に濡れていたり、適度に水分穂を含んでいたりするさま、

という状態表現と、

落ち着いていて風情があるさま、

という価値表現と、二つの意味がある。日葡辞書には、

シットリトシタヒト、

と後者の意味が載る(広辞苑)。普通に考えれば、状態表現から価値表現へと意味が転じたと見ることができる。後者は、人の、

落ち着いてしとやかなさま、

と、雰囲気の、

しずかで落ち着いているさま、

の意にも使われる(大辞林)。更に、

むつまじいさま、

の意で、類義語「しっぽり」の意でも使われている(岩波古語辞典)。たとえば、

せめて逸年しっとりと一つ寝臥しもしたいぞ、

というように(近松・夕霧)。

「しっとり」は、擬態語のように思う。似た言葉に、

しっぽり、
しっくり、
じっとり、
しとしと、
じとじと、
じくじく、
じめじめ、

等々あり、

しっぽり、

しっくり、

はつながるし、

しっとり、

しんみり、

もつながる。湿気や水っ気とかかわる、

「しっとり」は、

しとしと、

と関係がある(擬音語・擬態語辞典)、との見方がある。湿気や水っ気にかかわるのは、

じっとり-じとじと、
ぐっしょり-ぐしょぐしょ、
びっしょり-びしょびしょ、

等々がある(仝上)。

しっとり-しとしと、

は、関連性が高い。「しとしと」は、略して、

しとど、

とも言う(岩波古語辞典)。「しとしと」は、

細かい雨が静かに降り続く様子、
程よく湿った様子、
しずしず、しとやかなさま、

といった意味で、日葡辞書には、

シトシトモノヲスル、

と、

物事をきちんとするさま、
しとやかなさま、

と、「しっとり」の意味とも重なるところがある。「しとしと」の「しと」は、

しとやか、

の「しと」とも通じる(擬音語・擬態語辞典)、とみなされる。「しとど」を、

しとと、

と濁音を消すと、

したたかに、
ぴったりと密着するさま、

と意味が変わる(仝上)。「しっとり」の濁音を付けた、

じっとり、

は、

したたりそうなほど湿った様子、

で、

じっとりと汗ばむ、

などと使うが、江戸時代には、

あまりはすはでないじっとりしたおなご(浮世風呂)、

と、「しっとり」とほぼ同義の、

しとやかで落ち着いた様子、

の意味で使っている(擬音語・擬態語辞典)。

しっとり
じっとり、
しっぽり、
しんみり、
じとじと、
じくじく、

の違いについて、

「しっとり」は、

潤う程度の心地よい湿り気、

「じっとり」は、

湿度が過剰で汗ばむようなイメージ、

「しっぽり」は、

十分濡れなじんだ快な湿り気、

「しんみり」は、

落ち着いた雰囲気の「しっとり」に対して、寂しくてしめやか、

「じとじと」は、

粘りつくような不快な湿気、

「じくじく」は、

水分が表面に滲み出るような湿り気、

を表す(仝上)、とある。「しっぽり」は、

しめやかなさま、
春雨などのしとしとふるさま、
男女の仲のこまやかなさま、

の意だが(広辞苑)、江戸時代の遊郭では、

しんみり落ち着いた様子、

を、

しっぽり、

と言い、

しっぽり客(情趣の細やかな客)、
しっぽり酒(しんみり飲む酒)、

という言い回しをして、「しっとり」の意と重なる使い方をしていた(擬音語・擬態語辞典)、らしい。

参考文献;
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:35| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年05月07日

面妖


「面妖」は、

不思議なこと、
奇妙なこと、

という意である(広辞苑)。

「めいよう(名誉)」の転。「面妖」は当て字、

とどの辞書にも載る。で、「めいよう(名誉)」を見ると、

メイヨの転、

とあり、

ほまれ、
奇妙、不思議、

の意が載る(広辞苑)。で、「めいよ(名誉)」を見ると、

ほまれ、
名高いこと、
すぐれていると認められて得た尊厳、体面、面目、
功績をたたえて与えられる称号、身分などを表す名詞に付けて用いる、
有名であること、名高いこと(善悪ともにいう)、
すぐれていること、上手なこと、
不思議であること(さま)、奇妙、

と載る(大辞林)。つまり、「めいよ(名誉)」に、

めんよう、

の意が既にあるのである。「名誉」は、漢語である。

名聲、
名聞、

とほぼ同義、

ほまれ、

の意である。「列子」天瑞に、

矜功能、修名誉、

とある。

大言海には、「めいよ(名誉)」とは別に、

めんよ(名誉)、
めんよう(名誉)、
めんよう(面妖)、

がそれぞれ別に項を立てている。

めいよ(名誉)→めんよ(名誉)→めんよう(名誉)→めんよう(面妖)、

と転訛していったとみられる。片言(慶安)に、

名誉、メイシャウ、メンヨ、

とある。「名誉」を、

メイシャウ、

とも訓んだらしい。すでに江戸初期には、

メンヨ、

と訛っていたことがわかる。式亭三馬の「浮世床」(文化)には、

名誉男と云ふものは、新しい着物が出来ると、古いのには目もかけねえよ、

とあり、「名誉男」の「名誉」に、

メンヨウ、

と訓ませている。更に、同時期の式亭三馬の「浮世風呂」(文化)には、

たった今汲んできたが、はてめんようナ、

と、「面妖」の意でも使っている。

ほまれ、

の意が、

体面、面目、

称号、

の意を含み、

すぐれていること、上手なこと、

の意から、善悪両用に、

名高いこと、

になったあたりから、

奇妙さ、
不思議感、

の含意が生じたものだろうか。

名誉、

では言い尽くせず、

面妖、

と字を当てたことで、

名誉、

の意味の紐が切れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:面妖
posted by Toshi at 03:36| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年05月06日

ほしい


「ほしい(ひ)」は、

糒、

と当てるが、

糇、

とも当て、字鏡(鎌倉時代の字書)に、

糇、乾飯也、加禮伊比、又、保志比、

とある。また、

糗、

とも当てる(岩波古語辞典)。下学集(室町時代の国語辞典)には、

糒、糗、ホシヒ、

とある(仝上)。

「糒」(漢音ヒ、呉音ビ)は、

会意兼形声。「米+音符備(ヒ そなえとしてとっておく)の略体」

とある(漢字源)。

米を干して保存できるようにしたもの、旅行の携行食、や軍隊の糧食とした、

のである(仝上)。

乾飯、
乾糧、

とも言う。

「糗」は、

ハッタイ、

とも訓ます。「はったい」は、

麨、

とも当て、

麦・米、特に大麦の新穀を煎(い)って焦がし、碾(ひ)いて粉にしたもの、

はったい粉、
麦こがし、
香煎(こうせん)、

の意である(広辞苑)。

「ほいい」は、

ホシイヒ、

の略である。「日本書紀」允恭紀7年12月壬戌(みずのえいぬ)に、

乃経七日伏於庭中、與飲食而不飡、密(しのび)に懐中(ふつころ)の糒を食(くら)ふ、

とある(大言海)。天皇の命令で派遣された中臣烏賊津使主(なかとみのいかつのおみ)が、拒み続ける衣通郎姫(そとおしのいらつめ)を召すため、庭先に伏して懐中の糒を食べながら衣通郎姫の受諾をじっと待ったというくだりである。

「糒」は、

炊いた飯を水で軽くさらし天日で乾燥させた食品で、古くは炊き過ぎた米を保存するためにも利用された。また、米以外にも粟や黍の糒も存在していた、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E5%8C%96%E7%B1%B3、伊勢物語の「東下り」の段で、

三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木の陰に下り居て、餉(かれいひ)食ひけり。その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、
かきつばたといふ五文字を、句の上に据ゑて、旅の心を詠め
といひければよめる。
から衣着つつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ
と詠めりければ、みな人、餉(かれい)の上に涙落として、ほとびにけり。

と、涙をこぼしてふやけてしまった旨が書かれているが、米を煎ったものには、

煸米(やきごめ)

糒、

がある(日本食生活史)、とある。煸米は、

モミのまま煎って殻をとったもの、

糒は、

糯米・粟・黍などを蒸して陽に干したもの、

とある(仝上)。これが本来の「糒」に思われる。「粥」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474375881.htmlで触れたように、当時、米は甑で蒸して食べていたためである、と思われる。「糒」は、

餌袋(エブクロ)に入れて塩・若布をそえ、携行し、旅先でこれに湯水をいれてふやかしやわらかくして食べた、

のである(仝上)。

なお「餉」(カレイ)は、

乾飯、

とも当て、

カレイヒ、

の約である。古くから、携行食糧として使ってきたので、「餉(カレイ)」は、

広く携行食糧、

をも意味する。

「ほしい」に、「糒」の漢字が使われるようになったのは鎌倉時代からで、それ以前は、

干し飯(ほしめし・ほしいい)、

とも呼ばれていたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E5%8C%96%E7%B1%B3、とある。

そのまま水といっしょに食べたり、あるいは水を加えて炒めたり、茹でて戻したり、粉末にしてあられや落雁などの菓子の材料にも用いられた。和菓子材料の道明寺粉も餅米の糒である。また仙台糒のように地域の特産品として作られたりもしていた、

とある(仝上)。「弁当」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471815294.htmlでも、このことは触れた。なお、

「落雁」http://ppnetwork.seesaa.net/article/472919321.html
「あられ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/468559673.html
「おこし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473245948.html

についてはそれぞれ触れた。この古く、

糒(ほしい・ほしいい)、
乾飯(ほしい・ほしいい)、
餉(かれい・かれいい)、

と呼ばれる保存食・非常食は、現代のアルファ化米と似ている。

天日干しなどの方法により緩やかに乾燥されているので、乾燥後の糊化度については現代のそれとの差がある可能性はある、

が、似た効能が考えられる。アルファ化米とは、

炊飯または蒸煮(じょうしゃ)などの加水加熱によって米の澱粉をアルファ化(糊化)させたのち、乾燥処理によってその糊化の状態を固定させた乾燥米飯のことである。加水加熱により糊化した米澱粉は、放熱とともに徐々に再ベータ化(老化)し食味が劣化するが、アルファ化米はこの老化が起こる前に何らかの方法で乾燥処理を施した米飯である。アルファ化米は熱湯や冷水を注入することで飯へ復元し可食の状態、となり、アルファ米とも呼ばれる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E5%8C%96%E7%B1%B3。いにしへの人の知恵である。

広重画『東海道五十三次之内(行書東海道)池鯉鮒』.jpg


古代の兵士食として、「凡(およ)ソ兵士ハ人別ニ糒六斗、塩二升備ヘヨ」(軍防令兵士備糒(びひ)条)とある。六斗は30日分の食料にあたる、

という(日本大百科全書)。保存性においては、倉庫令では稲・穀・粟の保存期間を9年、その他雑穀を2年定めて規定しているのに対して、糒は20年とされている。この20年間という保存期間が伊勢神宮の式年遷宮の根拠になったという説もあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E5%8C%96%E7%B1%B3

更に蝦夷征討に関連して780年に坂東諸国と能登・越中・越後の各国に対して糒3万斛の調達を命じている。この他にも『延喜式』には、新嘗祭の供御料や最勝王経斎会の供養料として大膳職で作られた糯糒・粟糒が支出される規定がある(仝上)。

携行食としての「糒」の便利さは江戸時代でも、おむすびと共に利用されている(日本食生活史)。なお「おむすび」にいては「屯食」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474663277.html?1587323047で触れた。「糒」は、

江戸時代には旅人が持って行き、旅館に泊まればそれを煮て飯にしてもらい、お菜を持参した。したがって薪代だけを払えば飯代はそれですむ、

のである(日本食生活史)。

参考文献;
渡辺実『日本食生活史』(吉川弘文館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:58| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年05月05日

テーマとしての「性」


大岡昇平他編『性の追求(全集現代文学の発見第9巻)』を読む。

性の追求.jpg

現代文学の発見、

と題された全16巻の一冊としてまとめられたものだ。この全集は過去の文学作品を発掘・位置づけ直し、テーマごとに作品を配置するという意欲的なアンソロジーになっている。本書は、

性の追求、

と題された巻である。収録されているのは、

谷崎潤一郎「卍」
坂口安吾「私は海を抱きしめている」
室生犀星「遠めがねの春」
大江健三郎「鳩」
吉行淳之介「砂の上の植物群」
野坂昭如「エロ事師たち」
吉岡実「僧侶(抄)」
春日井健「未成年(抄)」
稲垣足穂「A感覚とV感覚」

である。

ここで、

性、

と言っているのは、解説の澁澤龍彦の言うように、

セクシュアリティ、

ではなく、

エロティシズム、

を指す。

「前者はいわば生物学的な概念、そして後者は多くの場合、心理学的な概念」

であり、

「心理学的な概念であるからこそ、エロティシズムは根文学をふくめた芸術一般の表現の問題と直接結びつくことが可能」

なのである。ちょっと変な言い方だが、

セクシュアリティ、

は、所詮状態表現に過ぎないが、

エロティシズム、

は、価値表現に関わる、と言い変えてもいい。だから、

「セックスはあくまで主題としてのみ文学に係わるのであって、エロティシズムのように、表現に伴って自然に発露してくるようなものではない、ということである。作家主体の側に、セックスが人間存在のなかで持っている意味を探ろうという、意識的な姿勢がなければ、ついにセックスは文学上の問題とはなりえない」

のである(澁澤龍彦「日本文学における『性の追求』」)。

しかし、ここに並ぶ作品は、発表当時、大変話題にもなり、評価の高かったものが多い。たとえば、

谷崎潤一郎「卍」
室生犀星「遠めがねの春」
吉行淳之介「砂の上の植物群」
野坂昭如「エロ事師たち」

しかし、今日、その主題においても、表現スタイルにおいても、いささか古めかしく感じてしまうのは、「性」に関して、時代がはるか先へ行ってしまっているからなのかもしれない。例は悪いが、大島渚の晩年の「性」を主題とする作品群、「戦場のメリークリスマス」はともかく、

愛のコリーダ、
愛の亡霊、
マックス、モン・アムール、
御法度、

が時代に追い抜かれてしまっていたことと似たことを感じる。もちろん、発売当時と今との半世紀近い時間差故だが、今日、このテーマは、その主題だけで、時代と拮抗するすることは難しい、と僕は思う。その意味で、当時新鮮だった、野坂の語り口も、今や陳腐化しているように、文体や、語りの構造だけではカバーしきれないものがある気がする。

その意味で、散文の陳腐化に比べ、詩や歌のもつ抽象度は、時代の中で、なお屹立しているのに驚く。春日井の、

大空の斬首ののちの静もりが没ちし日輪がのこすむらさき

学友のかたれる恋はみな淡し遠く春雷の鳴る空の下

童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり

若き手を大地につきて喘ぐとき弑逆の暗き眼は育ちたり

澄む眼して君も雑踏を歩みゐむ泉水をめぐり別れしふたり

海鳴りのごとく愛すと書きしかばこころに描く怒涛は赤き

略奪婚を足首あつく恋ふ夜の寝棺に臥せるごときひとり寝

髪きつく毟るばかりにさみしくて青銅時代はながし

武骨なる男の斧にひきさかれ生木は琥珀の樹液を噴けり

夕映えの街を暴走する車愛語に倦みし気流を裂けり

等々。散文で書くと、ちょっとドン引きしそうなことが、韻律の中で、かえって凛として立つ感じがある。ある意味韻律の中に紛れることで、辛うじて、陳腐化を免れ、半世紀を経ても、まだ読むに堪える。

本巻の中で圧倒的な存在感を示すのは、

吉岡実「僧侶(抄)」

だ。戦後詩の中でも、屹立する「僧侶」だが、現実から切り離され、まさに、自立した、

言語空間、

に立つ世界は、それ自体が、永遠の生を持つように、今なお、リアルに問い続けて、今日の現実とも対峙し続けているように見える。それは、何かのアナロジーや象徴であることを拒絶するように、一つの世界像を示し続けているように見える、「四人の僧侶」は、

四人の僧侶
庭園をそぞろ歩き
ときに黒い布を巻きあげる
棒の形
憎しみもなしに
若い女を叩く
こうもりが叫ぶまで
一人は食事をつくる
一人は罪人を探しにゆく
一人は自瀆
一人は女に殺される

で始まり、最後は、

四人の僧侶
固い胸当のとりでを出る
生涯収穫がないので
世界より一段高い所で
首をつり共に嗤う
されば
四人の骨は冬の木の太さのまま
縄のきれる時代まで死んでいる

で終わる。浅薄な解釈を峻拒するように立ち尽くしている。

参考文献;
大岡昇平他編『性の追求(全集現代文学の発見第9巻)』(學藝書林)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:35| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする

2020年05月04日

辟易


「辟易」(へきえき)は、今日、

うんざりすること、
閉口すること、

という意味で使うが、本来は、

「辟」は避ける、「易」は変える。避けて路を変える、

意で、

驚き恐れて立ち退くこと、

で、ある意味慌てて立ち退くという状態表現であったものが、そこから、

勢いに押されて尻込みすること、
たじろぐこと、

の意と、価値表現に転じ、それが、

閉口すること、

という心理表現に変わった、というように見て取れる。

「辟」(漢音ヘク、呉音ヒャク)は、

会意文字。「人+辛(体罰を加える刃物)+口」で、人の処刑を命じ、平伏させる君主をあらわす。また、人体を刃物で引き裂く刑罰を表すとも解される。ヘキの音は、平らに横に開く意を含む、

とあり(漢字源)、「人を平伏させて治めるひと・君主」(辟公)、「罪・体を横裂きにする刑罰」、「さける、よける」「よこしま」といった意味がある。

「易」(漢音エキ、呉音ヤク)は、

会意文字。「やもり+彡印(もよう)」で、蜥蜴(セキエキ)の蜴の原字。もと、たいらにへばりつくやもりの特色に名づけたことば。また伝逓の逓(次々に横に伝わる)にあて、AからBにと、横に次々と変わっていくのを易という、

とあり(仝上)、「次々と入れ替わる、かわる」「やすい(難の反)」いった意味がある。論語の、

少年易老学難成、

である。

「辟易」は、史記の、

人馬倶驚 辟易数里、

からきている。文字通りに解釈すれば、

横に避け身体を低めて退避すること、数里、

ということになる(仝上)。垓下(がいか)の戦いで形勢不利となった項羽軍は、漢軍の包囲を突破して東城に至った。そのとき、従う者はわずか28騎となっていた。追ってきた漢軍は数千人で、軍を4つに分け、四面を幾重にも囲む漢軍に向かわせた。項羽自らが大呼して敵陣に馳せ下ると、漢軍はみな風になびく草のようにひれ伏し、ついに敵の一将を斬った。このとき赤泉侯が漢軍の騎将として項羽を追ってきたが、項羽が目を怒らせて怒鳴りつけると、赤泉侯は人馬もろとも驚き、数里も後ずさりしてしまった、

という史記・項羽本紀の垓下(がいか)の戦いの故事による。「辟易」は、

(項羽に)恐れをなして後ずさった、

ということだろう。漢書・項籍伝の注に、

辟易、謂開張而、易其本處、

にあるとかで(大言海)、ただ後ずさるだけではなく、左右にも逃げ広がって、道を開けた、という意味のようである。

項 羽.jpg


項羽は、

姓は項、名は籍、字が羽、

一般には項羽で知られる。秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼし、一時“西楚の覇王”(在位紀元前206年~紀元前202年)と号した。その後、天下を劉邦と争い(楚漢戦争)、次第に劣勢となって敗死した。

垓下の戦い、

では、有名な、

四面楚歌、

の故事もあり、虞美人に送った、

力は山を抜き気は世を蓋う、
時利あらず、騅逝かず、
騅の逝かざるを奈何にす可き、
虞や、虞や、若を奈何んせん、

が垓下の歌と史記にある。ここでの、

抜山蓋世、

も故事として残る。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%93%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%AD%8C
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%85%E7%B1%8D


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:辟易
posted by Toshi at 03:53| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年05月03日

瓢箪から駒


「瓢箪から駒」とは、

瓢箪から駒が出る、

とも言い、

意外なところから意外なものが現れることのたとえ、

として言われる。

ふざけ半分の事柄が事実として実現してしまうことなどにいう、

とある(広辞苑)。そこから広く、

瓢箪から駒も出でず、

という言い方で、

道理の上から、あるはずのないことのたとえ、

としても(仝上)、たとえば、

山の芋鰻にならず、ひゃうたんからこまのとびでぬ世の中に、

と使われる。

在来馬.jpg


「瓢箪」については「瓢箪鯰」http://ppnetwork.seesaa.net/article/470301434.htmlで触れた。

「駒」は、

馬の子、小さい馬、

の意で。和名抄に、

駒、和名、古馬、馬子也、

とある。それが転じて、

馬、特に乗用の馬、

の意となる。

馬と同義になってからは、歌語として使われることが多い、

とある(広辞苑)。たとえば、

足(あ)の音せずゆかむこまもが葛飾の、真間(まま)の継橋(つぎはし)、やまず通(かよ)はむ(万葉集)、

というように。更に、転じて、「駒」は、

双六に用いる具、象牙・水牛角で円形に造り盤上に運行させる、

から、

将棋のコマ、

の意になり、そのメタファでか、

駒をそろえる、

というように、

自分の手中にあって、意志のままに動かせる人や物、

の意で使い、さらに、

三味線などの弦楽器で、弦を支え、その振動を胴に伝えるために、弦と胴の間に挟むもの、

の意となり、

駒をかう、

というように、

物の間にさし入れる小さな木片、

をも指すようになる。

「駒」(ク)は、

会意兼形声。「馬+音符句(小さく曲がる、ちいさくまとまる)」

で、

身体の小さな馬、二歳馬、

を意味する。

駒馬、

という言い方がある。だから、馬の総称以降の、将棋の駒等々の意味は、わが国だけの使い方である(漢字源・字源)が、

漢語に棋馬(キバ)、馬子(バシ)と云ふに因る、

とある(大言海)。ただ、「棋」(漢音キ、呉音ゴ・ギ)は、

棊、

とも書き、将棋のこま、の意もあるが、「碁石」の意味もある。

棊局、
棊子、
棊敵、
棊盤、

等々、何れも「碁」を指す。また、三味線などの弦を支えるのに、

駒、

というのは、

弦の乗るもの、

というところから来た(大言海)、と見られる。

将棋の駒.jpg


和語「こま」は、で、

コウマ(子馬)の約、

という語源説が出る(岩波古語辞典・日本語の語源・大言海)。

大言海は、「小馬(コマ)」は、

古名に、いばふみみのもの、応神天皇の御代に、百済國より大馬(おほま、約めてうま)の渡り氏しに対して、小馬と呼び、旧名は滅びたりとおぼし、神代紀の駒(コマ)、古事記の御馬(ミマ)の旁訓は、追記なり、

とし、

我が国、神代よりありし、一種の体格、矮小なる馬、果下馬(クワカバ)とも云う、

とする。「果下馬(クワカバ)」とは、いわゆる、

ポニー、

のことで、

朝鮮の済州島にて、カカバと云う、イバフミミノモノ、また小馬、

とする(大言海)。つまり、「こま」とは、

子馬、

であって、

小馬、

ではない、ということを強調している。なぜなら、「こま」の語源には、

「小+馬」の音韻変化、

とする説(日本語源広辞典)もあるからである。ただ、「高麗」と関わらせる説、

貢馬のうちで最もはすぐれていたコマ(高麗)渡りの馬を称していたのが一般化したもの(宮廷儀礼の民俗学的考察=折口信夫)、

は、「駒」の「こ」が上代特殊仮名遣いで甲類であるのに対して、「高麗」の「こ」は乙類であるので、誤りとされる(日本語源大辞典)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:瓢箪から駒
posted by Toshi at 03:55| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年05月02日


「齣」は、

コマ、

と訓む。「齣」(漢音シュツ、呉音スチ)は(字源は、シャクと訓ませる)、

会意文字。「齒(並んだもの)+句(くぎれ)」

とある(漢字源)。「齒」(シ)は、

会意兼形声。古くは、口の中の歯を描いた象形文字。のち、これに音符の止を加えた。「前齒の形+音符止(とめる)」。物を噛みとめる前歯、

である。「句」(ク)は、

会意文字。「乚型+Ꞁ型+口」。かぎ形で小さく囲ったことば、つまり、一区切りの文句を示す。区切りの区(狭い枠)と縁の近い言葉、

である(仝上)。で、中国語「齣」は、

戯曲や芝居の場面を数える言葉、

の意である。ただ、和語では、「齣」を、

セキ、

とも訓ませたり(デジタル大辞泉)、

セツ、

と訓ませたり(大言海)する。大辞林は、

セキ、
セツ、

の両方を載せる。中国語「齣」の字音の訛りである。さらには、「齣」を、

クサリ、

と訓ませると、

一齣(ひとくさり 一闋とも当てる)、

は、

音曲・遊芸・公団・物語などの段落、

つまり、

一つの区切り、

の意で使う。中国語「齣」の意味を広げているのである。

一齣、

は、

イック、
イッセキ、

とも訓ます。通常、

ヒトコマ、

と訓むが、もともと、中国語の、

一齣、

という言い方は、

一幕、
一場、

と同義である(漢字源)。ただ、日本語では、

幕、
場、
場面、
シーン、
カット、

を、次のように使い分けているらしい(小学館・類語例解辞典)。

「幕」「場」は、

一つの劇の中での場面による区切り。幕が開いてから閉じるまでを一つの「幕」とする。その「幕」の中で、同一の場面で演じられる部分を一つの「場」と呼ぶ、

「シーン」は、

「ほほえましいシーン」のように、情景、光景の意でも用いられる、

「カット」は、

映画などの撮影で、いったん写し始めてから写し終わるまでの一場面、

「場面」は、

「場」「シーン」「カット」に比べ、最も一般的な使い方をする。一シーン、一カット、一場、一幕は場面に置き換えられるという意味だろうか。

さて、中国語「齣」を、

セツ、
セキ、

と訓むのは、字音の転訛でいいと思うが、「齣」を当てた、

クサリ、

は、

鎖の義、

とある(大言海)。「鎖(くさり)」は、

部分部分がつながりあって一続きのものとなる、

意味では、「一齣」と意味が重なる。

コマ、

は、

「小間(こま)」の意か、

とある(広辞苑)。

クマ(区切り)の音韻変化、

とする(日本語源広辞典)説がいいように思うが、「クマ」はどの辞書にも載らないので確かめようがない。

「齣(こま)」の意味は、中国語の「齣」に倣うが、

(写真用語)ロールフィルム・映画フィルムの一画面(一秒に24齣)、
転じて、ある場面、局面、
授業・講義などの時間割、

とある(広辞苑)。これが正しいとすると、「齣」に「こま」と当てたのは比較的新しい時期、ということになる。

江戸時代は、

小説や戯曲の区切り・段落、節、章、

の意味で、

セツ、
ないし、
セキ、

と、漢字の字音を訛った言い方をしていたらしい(デジタル大辞泉)のである。たとえば、人情本・春色梅児誉美(1832‐33)には、

「そは第二十四齣(セキ)にいたりて満尾の段」

とある。

写真フィルム.jpg


また漫画で、

四コマ漫画、
一コマ漫画

というのは、映画のコマ割りに準えたものだと考えられる。そう考えると、「コマ」は、

小間、

のもつ、

小さな部屋、

の意ではなく、

合間小間(あいまこま 合間を強めて言う)、

という言い方をする(広辞苑)、

短い時間。ちょっとの間、

という意味なら、

一コマ、

の「コマ」はあり得るのかもしれない。たとえば、映画フィルムでは、1秒あたりサイレント時代は16コマ、トーキーでは24コマが使われているが、その1枚の映像を記録する一区画(英語ではフレームというらしい)を指しているのだとすると、

短い時間、

というのは、なかなか意味深に見える。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:42| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年05月01日

独楽


「独楽」は、孟子に、

獨樂樂、與人樂樂、孰樂、

とあるように、

独りで楽しむ、

意だが、

児童の玩具、コマ、

の意もある(字源)。しかし、

「獨楽」は古代中国で「コマ」を意味する漢字として使われていたということです。その後中国では「獨楽(ドゥーラー)」の類音である「陀螺(トゥオルオ)」が「コマ」を意味する漢字として使われるようになるとともに、「獨楽」はコマを意味する漢字としては死語となり消滅したものと考えます、

とあるhttp://www.tokorozawa.saitama.med.or.jp/machida/komanogogenn.htm。ただ、「陀螺」は、

(ひもで巻いたり、むちでしごいて回す)こま、ぶちごま.

の意https://cjjc.weblio.jp/content/%E9%99%80%E8%9E%BAとあり、「獨樂」は、

こま、こまつぶり、

とあるhttps://cjjc.weblio.jp/content/%E7%8B%AC%E6%A5%BDので、消滅したかどうかははっきりしない。

ピーテル・ブリューゲル「子どもの遊戯」の一部、子供がぶちゴマであそぶ図.jpg

(ブリューゲル「子どもの遊戯」部分、子供がぶちゴマであそぶ図 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B6%E3%81%A1%E3%82%B4%E3%83%9Eより)

「独楽」には、

ひねりゴマ(軸を指で捻る事で回すもの)、
ぶちゴマ(不精ゴマ、叩きゴマ、鞭ゴマとも 鞭のようなもので叩いて回すもの)、
投げゴマ(紐巻きゴマとも 胴体部分に螺旋状に紐を巻き付け、独楽本体を放り投げることで回すもの)、

があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E6%A5%BD

ぶちゴマは、ヨーロッパではむしろこちらの方がなじまれているらしいが、日本にはなじみが薄い。しかし、

6世紀ころにぶちゴマのような木製の出土品があるが、確実にぶちゴマだとは言い切れない。また、平城京跡や奈良県藤原宮跡などからも7 - 10世紀ごろのものと思われる独楽、または独楽型の木製品が出土している。平安時代ごろにはすでに大陸から伝わっており、独楽を使って遊んでいたと言う記録がある。これもぶちゴマであったらしい、

とある(仝上)。どうやら、伝来らしいが、そのため、大言海は、

コマは、高麗の軍兵歌舞興楽楽をなす、此の楽を、日本紀に、コマと訓ぜり(外来語辞典)、其技の廻轉するより轉じて玩具の称となれり、

とある。この時代は高句麗(高麗(こま)と呼んでいた)は、紀元前1世紀頃~668年、この間に渡来したということになる。日本語源広辞典も、

高麗(こま)が語源、

とし、二説挙げる。

説1は、高麗の軍兵のしていた身体を回転させる舞に由来して、回転する遊び道具をコマといった、
説2は、高麗から伝えられたから、

とする。で、

和語「こま」は、「こま」の古名、

こまつぶりの略、

とする(広辞苑)。倭名抄には、

弁色立成云々、獨樂、有孔者也、古末都玖利(こまつくり)、

とあり、その箋注本には、

都无求里(つむくり)、

とあるが、大鏡には、

こまつぶり、

とある。

高麗経由で日本に渡来したらしい。円形の意のツブリに、高麗から伝来したことを示すコマを冠したコマツブリが、下略されてコマとなったと考えるのが穏当か、

とある(日本語源大辞典)。

「ツブ」は、「かたつむり」http://ppnetwork.seesaa.net/article/460441943.htmlで触れたように、

粒・丸、

と当て、

「つぶし(腿)・ツブリ・ツブラ(円)・ツブサニと同根」

とあり、「ツブリ(頭)」は、

「ツブ(粒)と同根」

とある。「ツビ」(粒)ともいい、「つぶ(螺)」は、

ツビ、

とも言い、「つぶら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464485052.htmlで触れたように、「つぶら」の「ツブ」は、

粒、

と関わり、「ツブ」は、

ツブラ(円)、

と関わる。「粒」は、

円いもの、

と重なり、「粒」「丸」「円」「螺」は、ほぼ同じと見なしたらしいのである。

独楽.jpg


参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:独楽
posted by Toshi at 03:36| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月30日

てんやわんや


「てんやわんや」は、

てんでがって、

と言うのと同じで、

われがちに騒ぎ立てる、互いに先を争って混乱するさま、

の意とある(広辞苑)が、個人的には、

大勢の人が秩序なく動き回り、ごった返すこと、

の意(デジタル大辞泉)の方が、ぴんとくる。たとえば、

宴会の準備で台所はてんやわんやだ、

というように。「てんやわんや」は、獅子文六の新聞小説「てんやわんや」で広く一般に使われるようになったらしいが、この言葉は、江戸時代からある。

てんやわや、

とも言い、

草草紙に多く用いられた語、

で、

めちゃくちゃ(安永五年「かねのさいかくてんやわや」今様吉原たんか)、
小言、苦情(寛政五年「てんやわやをながめて」福徳果報兵衛伝)、
混乱、混雑(寛政六年「我も我もと前後を争い、てんやわやのさきがちと皆々下界へ飛びおちる」天道浮世出星操)、

といった意味の幅があるが、混乱の状態表現である。これが、撥音化したのが、

てんやわんや、

で、

てんで勝手(享和二年「これはわしがいもとにちがひござらぬ(中略)はてさてどこからもてんやわんやなことハいはせますまい」稗史憶説年代記)、
ごった返し、大騒ぎ(文化十四年「此まづてんやわんやの中へ、首イ切って打放(ぶっぽう)って置くはいかにも気の毒だ」)、

と、どうも、単なる混乱状態という状態表現から、それへの価値表現へと含意を移している気配である。

大言海は、

めいめいかってに、
われがちに、

と、価値表現の意味を載せているし、広辞苑も、

「でんでん」(手に手に、各自勝手に、の意)と「わや」「わやく」(無茶苦茶の意)との二語が結合してできた語、

が語源として、

てんでがって、

と同義とする。また、日本語源広辞典も、

テン(テンデンバラバラ)+ヤ(語調合わし)+ワヤ(わやや だめだ)、

と分解する。その他、

手に手にの意の「てんでん」と、関西方言でむちゃくちゃの意の「わや」とが結合してできた語(デジタル大辞泉)、
各自が勝手にの意の「てんでん」と、むちゃくちゃの意の「わや」または「わやく」が結合してできたもの(精選版日本国語大辞典)、
テ(手)ニ-テ(手)ニとワヤクチャ(無茶苦茶)が結びあわさったもの(ことばの事典=日置昌一)、
テンデ(手々)ワレワレ(我々)の意か(俚言集覧)、

等々、ほぼ、てんで勝手の意味の幅の中で語源を考えようとしている。

しかし、江戸語大辞典は、

一説に、手々勝手(てんでんわれわれ)の転訛とするには従い難し、また一説に、手(てん)や椀とするも付会

と、その説を一蹴している。

因みに、「わや」「わやく」は「わや」http://ppnetwork.seesaa.net/article/435489842.htmlで触れたように、「わや」は

枉惑(わやく)の略か,

であり(大言海),

ダメ,いけぬこと,
腕白,ヤンチャ,

と意味を載せる。「わやく」は,

枉惑

誑惑

の字を当てている。

無茶苦茶,
無理非道,

の意味である(岩波古語辞典)。

また「てんでに」は、

手に手に、

の轉で、

各自めいめい、
自分自身、

の意で、

てんでんばらばら、

といった使い方をする。しかし「てんやわんや」は、江戸語大辞典をみるように、確かに、

先を争って、てんでんばらばらに、

という意味もあるが、それだけではなく、

めちゃくちゃ、
混乱、
ごった返し、

という意味がある。むしろ、今日の含意では、この意味の方が強い。

てんでかってに、

の意味は、

手に手に+わや、

と分解したのは、「てんで勝手」の意味からのこじつけ解釈ではあるまいか。むしろ、

テイヤワイヤの転で、テイヤとワイヤは同義語もしくは類義語か。ワイヤはワヤワヤの強調形で、ワイワイと騒ぐ意(上方語源辞典=前田勇)、

とする擬音語説の方が、

てんやわや、
てんやわんや、

の意味に近いのではないか。江戸語大辞典には、

わいやくや(文化七年「見物大勢いづれの茶屋にもごったかへし、わいやくやと混雑の様子なれば」江之島土産)、

という言葉が載っており、

わいやは喧噪の擬声語、

で、

混乱・混雑するさま、

の意で、

てんやわんや、

と同義、とする。まさに、状態表現の「てんやわんや」と重なるのである。

類義語、「てんてんこまい」http://ppnetwork.seesaa.net/article/449226351.htmlについては触れた。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:39| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月29日

あたふた


「あたふた」は、「あわてる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474808760.html?1588013815で触れたように、

あわてふためくの略、

であり、「あわてふためく」は、

あわつ+ふためく、

で、「ふためく」は、

はためくの転、

とある。「はためく」は、

鳴り響く、
バタバタと動く、

意で、「はた」は、擬音語である。「あたふた」は、

平静さを失い、やたらにあわてて行動する様子、

で、「てきぱき」http://ppnetwork.seesaa.net/article/450541976.htmlは、その対になるが、「あたふた」は,

心の中の動揺,慌て振り,

という心情表現から,慌てている様子に転用された,と見ることができる。似た語に、

おたおた、

がある。「おたおた」は、

思いがけない出来事にあわてうろたえ、手間取って適切に対処できない様子、

の意(擬音語・擬態語辞典)で、「あたふた」と「おたおた」の違いは、

「『あたふた』は,うろたえてはいるがすぐさま行動に突っ走っていく様子であるのに対し,『おたおた』は,ただうろたえているだけで何もできない様子」

とある(擬音語・擬態語辞典)。「おたおた」は、

もたもた、
おろおろ、

と似ているが、

何れも的確な動作ができない様子で、「もたもた」は、

動作の鈍さ、

「おろおろ」は、

まよってうろたえている感じ、

に重きがある(擬音語・擬態語辞典)、とある。

「あたふた」は、室町時代までは、

ふたふた、

という言葉が「あたふた」と同じ意味で使われていた。「ふたふた」は、

ばたばた、
ばたぱた、

という擬音語で、

扇ひきひろげて、ふたふたとうちつかひ(枕草子)、

というように使い、その様子から、

いそいでいるさま、
あわただしいさま、

と、「あたふた」と同じ意味で使うようになる。大言海は、

ふためく音に云ふ語、

とする。「ふためく」は、「あたふた」のもともとの「あわてふためく」の、

あわつ+ふためく、

の「ふためく」で、

あたふた、

ふたふた、

は、

ともに、

ふためく、

を根幹として、裏表の関係になる。

岩波古語辞典は、「ふためく」

フタは擬音語、メクは接尾語、

とするが、

ふたふた、



ふた、

は、

はたはた、

の、

はた、

であり、この擬音語は、

物がぶつかって鳴る音、
雷の激しくとどろく音、

の意で、この「はた」につらなって、

ぱたぱた、
ばたばた、
ばりばり、

等々様々な擬音語につづく。

「ふためく」は、「はためく」と同じく、

ばたばたと音を立てる、

意と、そこから、

立ち騒ぐ、
あわてさわぐ、

意へと広がって使う(岩波古語辞典)。あるいは、「はためく」の転訛が「ふためく」ではなく、その逆、「はためく」の転訛か「ふためく」なのかもしれない。その意味で、「あたふた」は、

あわてふためくの略、

ではなく、「ふた」は、

ふたふた、

の「ふた」で、「あた」は、

江戸時代に頻用された「あた面倒」(ひどく面倒)などにみる程度強調の語、

とする見方もあり得る(擬音語・擬態語辞典)。ただ、江戸語大辞典は、接頭語の「あた」について、

忌み嫌う情を述べる語・句に冠して、その情の強いことを表す。「あた」は、我々に対して害をなすもの、あるいは敵の意で名詞。これを感動詞的に語に冠して用いたのがはじまりであろう。品詞的には副詞と接頭語の間を揺れている。江戸語としては、これを「あだ」(仇・徒)と混同したか、しばしば連濁形をも用いる、

としている。副詞に冠するものとしては、

あたじゃらじゃら、

といった使い方になる。「あたふた」の「あた」を、この「あた」とすると、慌てているさまを多少揶揄というか貶めている含意に変わる。そう解釈していいかどうかは、はっきりしないが、確かに、

あたふた、

に、揶揄の価値表現がなくもない。

ところで、「あたふた」には、江戸時代頃からみられる言葉らしいが、おなじ、

あたふた、

でも、

薬種屋の秤目か何ぞの様に、十両の二十両のと、あたふたな事言はんしても迚もそれはできません、

というように(天保五年・相愛二葉草)、

たくさんそうだ、
沢山にあるものとでもいうような、安易な、

という意味で使われる言葉があり、

あわてるさまをいう「あたふた」と混同するは非、

とある(江戸語大辞典)。俚言集覧には、

あたふた、多き物を猥(みだり)にする意、

とある(仝上)。慌てる意の「あたふた」とは、どうも由来の異なる言葉のように思われる。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:40| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月28日

あわてる


「あわてる」は、

慌てる、
周章てる、

と当てる。「周章」は、たぶん、

周章狼狽、

から来た当て字。「周章」は、

あわてる、
うろたえさわぐ、

意の漢語。「あわてる」は、

うろたえさわぐ、

という意から、「あわてて走る」のように、

ひどく急ぐ、

の意でも使う。岩波古語辞典に、

即座になすべきことがわからずうろたえる、

とあるのが、正確だろう。

「慌」(コウ)は、

会意兼形声。荒(コウ)は、あれてむなしく何もないさま、また広(ひろい)や徨(コウ さまよう)に通じ、あてどもなくひろがるさま。慌は「心+音符荒」で、心中がむなしくて自信をなくし落ち着かないこと、

とあり(漢字源)、「あわただしい」「あわてる」意である。

「あわてる」の類義語には、

慌てふためく、
あたふたする、
おたおたする、
泡を食う、
あわただしい、
周章狼狽する、

等々がある。「あわてる」は、

あわつ、

の口語である。「あわつ」は、

慌つ、
周章つ、

と当て、大言海に、

和訓栞、あわてる「日本紀に、急字、遽字を訓めり。沫立の意を転用せるなるべし…、然らば、沫(アワ)を活用せしめし語か。淡(あわ)つ(澆)と云ふ語もあり、急雨の庭潦(ニハタヅミ)に、沫の立つが如く、心の躍る意なるにや、

とある。字鏡に、

惶急、驚失意也、阿和豆、

天治字鏡に、

狼狽、安和豆、

新撰字鏡に、

忙怕、阿和弖於比江(あわておびえ)、

とある。「あわつ」は、

泡を活用させた語、

で、「泡」と絡める説がほとんどである。

アワタツ(泡立)の転用(名語記・菊池俗語考・和訓栞)、
アワタテ(泡立)の約、アワは溺れそうな人の形容から出た語(日本古語大辞典=松岡静雄)、
水の泡の沸いたり消えたりするさまが、急ぐ様子に似ているところから(柴門和語類集・両京俚言考)、

等々。

溺れそうな人の形容、

というのもあり得る気がするが、

急雨の庭潦(ニハタヅミ)に、沫の立つが如く、心の躍る意、

とする大言海の説明を借りるなら、むしろ、心の中が、

ブクブクと沸き立つ沸騰、

のイメージではあるまいか。「あわさく」という言葉があり、

泡咲く、

と当て、

泡立つ、

意である。これは、まさに、沸騰しているイメージではあるまいか。まさに、

泡を食う、
泡をふかす、

は、そのまま「あわてている」様そのものに「泡」が残っている言葉になる。

「あわてる」は、

あわただしい、

と同系統の語となる(日本語源大辞典)。「あわただし」は、江戸時代まで、

あわたたし、

であり、「あわただし」は、

あわつ→あわたつ→あわたたし→あわただし、

と、

腹立つ→腹立たし→腹立たし、

と似た造語法で、「あわつ」から派生した(仝上)。

「あわてふためく」は、

あわつ+ふためく、

で、「ふためく」は、

はためくの転、

とある。「はためく」は、

鳴り響く、
バタバタと動く、

意で、「はた」は、擬音語である。「あわてふためく」の略が、

あたふた、

である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:56| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月27日

ともゑ


「ともゑ(え)」は、

巴、

と当てる。

コンマあるいは勾玉のような形をした日本の伝統的な文様、

で、

巴を使った紋の総称。巴紋(ともえもん)ともいう。家紋や神紋・寺紋等の紋としても用いられ、太鼓、軒丸瓦などにも描かれる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4

二つ巴(ふたつともえ).png

(二つ巴(ふたつともえ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4より)

「巴」(漢音ハ、呉音ヘ)は、

象形。もと、人の腹ばいになった姿を描いたもので、爬(ハ 腹ばいになる)の原字。平らに開く、平らな面を押し当てるなどの意を含む、

とある(漢字源)。「平らに腹ばいになる」という意で、「爬」と同じなので、「巴爬」(はらばいにはう大蛇)といった使い方をする。

陰陽勾玉巴の類似紋様 陰陽魚.png

(陰陽勾玉巴の類似紋様 陰陽魚 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4

わが国では、「ともゑ」は、

もと、射手のひじにつけた鞆のこと、のち、水のうずをまいてからみあった形をかたどった模様をいい、陰陽和合のしるしとなる、

ともある(仝上)。この意で用いるのはわが国だけである。

このため、「ともゑ」に、

鞆絵、

とも当てる。「鞆」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474771953.html?1587840510を図案化した紋様だから、そう当てる(広辞苑)とある。大言海にも、

形圓く、革にて作り、巴の字の象を書き、革緒にて約す、

とあり、

昔巴の表面にこの文様を描いたのでいう、

ともある(岩波古語辞典)。

鞆(年中行事絵巻).jpg

(鞆 図説日本合戦武具事典より)

確かに、「本朝軍器考」には、神器としての「鞆」に、「巴」の柄の絵が描かれているが、「鞆」で触れたように、貞丈雑記(江戸時代後期の有職故実書)には、

鞆に二品あり、武用の鞆と、伊勢神宝の鞆と二品なり、武用の鞆は熊の皮にて作り(毛は裏の方にあるなり)腕を通す所は牛の革にて手を付て、紫の組紐を付くるなり、又神宝の鞆は鹿の皮にて縫ひて胡粉をぬりて墨を以て絵を書くなり、委細は延喜式と云ふ書に見えたり、

とあり、

実用の鞆は熊の皮を牛の革紐で腕に巻き、
神宝の鞆は鹿の皮を縫う、

ということで、実践の者は、皮を腕に膜だけで、神宝の鞆は誇張された形になっている、ということになる(仝上)。とすると、「鞆」に「巴」を描いたのは、実践に使わなくなった後、神器となって以降描かれたものかもしれない。となると、「ともゑ」の語源を、

鞆絵、

とするのは、後世のことということになる可能性がある。

弓具のトモ(鞆)に形が似ているところからトモエ(鞆絵)の義(俚言集覧・松屋筆記・和訓栞・日本語源=賀茂百樹)、

説は、多数派なのだが、腕輪はどうみても、「ともゑ」の形には見えない。

湧き出てめぐり流れる水の姿を渦巻型に紋様化したもの、

であるなら(岩波古語辞典)、よくわかるが、それが「鞆」の形とされたのはよくわからない。

後漢の説文(せつもん 説文解字)に、

巴食象蛇、

とあり、三巴記には、

閬苑白水、東南流、曲折三廻如巴字、故名三巴、

とあり、

水の廻るが巴の字の如き意、

とし(以上大言海)、

古へ、鞆の面に畫きたる文(アヤ)、水中より沸きて外へ旋(めぐ)る象、即ち、巴の字を象をなす、

とする(仝上)。源平盛衰記に、

巻上の絲、鞆繪畫きたる筆の軸やと囃す也、

とあるので、「鞆」に「巴」の絵を描いたということはあるかもしれないが、とするならなおさら、「ともゑ」の由来は、何か別の「まじない」のようなものがある気がする。

出雲風土記には、

國形如畫鞆、

とあるが、「ともゑ」とはない。敢えて憶測をたくましくすれば、

湧き出てめぐり流れる水、

にエネルギーを感じて描いたというようなことなのかもしれない。少なくとも、「ともゑ」は、

鞆の形、

ではなく、

鞆に描いた紋様、

のことであり、「ともえ」自体の語原の説明にはなっていない。しかし、

トモは友または共、ヱは繪で、三相ともなった繪の義(日本釈名)、
トモヱ(倶得)の義で、三物の玅用を倶に得た形をいう(柴門和語類集)、
トモヱ(蚪文絵)の義(言元梯)
玉絵の転(和語私臆鈔)、

と、他説もいま一つ説得力を欠く。ただ、

勾玉を図案化したものである、

という説https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4は、少し気になる。祭祀にも用いられたと言われる「勾玉」に矢が当たることを祈る意味が込められていた、というのはありえるのだから。

8世紀頃のさまざまな勾玉.png

(8世紀頃のさまざまな勾玉 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%BE%E7%8E%89より)

水に関する模様であることから、平安末期の建物に葺かれた軒丸瓦などに火災除けとして、巴紋を施した。後には特に武神である八幡神の神紋として巴紋(特に三つ巴)が用いられるようになり、さらには他の神社でも巴紋が神紋として用いられるようになった、

とあるがhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4、しかし、いまのところ、

曲折三廻如巴字、

と沸く水の渦形を、「巴」の字に当てはめたが、和語「ともゑ」の語源はわからない、というしかないだろう。

さて、「ともゑ」を一つないし三つ円形に配したものを、その数によって、

一つ巴(ひとつどもえ)、
二つ巴(ふたつどもえ)、
三つ巴(みつどもえ)、

等々というが、「三つ巴」は、

巴を三つ組み合わせて尾を同方向にめぐらしたもの、

を指し、その意から、

三者が絡み合って対立すること、

の意で、

三つ巴の争い、

などというように使うようになった。

三つ巴(みつともえ).png

(三つ巴(みつともえ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4より)

なお、家紋では、巻き方の向きに左右の別があるようだ。

四つ巴(よつともえ).png

(四つ巴(よつともえ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4より)


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ともゑ
posted by Toshi at 03:51| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月26日


「鞆(とも)」は、

弓を射る時、左の肘にまきつける丸い皮製の具。弦のあたるのを防ぎ、真建が立って、高い音を出すようにしたもの、

とある(岩波古語辞典)。古語では、

ほむた、
ほむだ、

といい、「鞆」を当てるが、「鞆」という字は国字であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%86

鞆.bmp

(鞆 精選版日本国語大辞典より)

万葉集に、

ますらをの鞆の音すなりもののふの大臣楯(おほまへつきみたて)立つらしも(元明天皇)

の歌もある。大言海には、

形圓く、革にて作り、巴の字の象を書き、革緒にて約す、

とあり、

音を以っ威す、

とし、音は、

鳴鏑(ナリカブラ)の如きものなり、

と、ある。「鳴鏑」は、

矢の先端につける発音用具。木,鹿角,牛角,青銅などで蕪(かぶら)の形につくり,中空にして周囲に数個の小孔をうがったもの。矢につけて発射すると,気孔から風がはいって鳴る。鳴鏑のみを矢につけて用いることもあるが,鏃の根もとに,その茎(なかご)を貫通してつけることが多い、

とある(世界大百科事典)。和名抄には、「鞆」は、

止毛(とも)、在臂避弦具也、

とある。臂だけでなく、

訓(くしろ)、

という、

古代の日本の装飾品で腕輪の一種、

をしており、それにあたるのをもさけた、ともある(仝上)。「くしろ」は、

吾妹子(わぎもこ)は 釧(くしろ)にあらなむ左手の我が奥の手にまきて去(い)なまし、

と、歌にあるようにhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%A7、左手首に巻くのが一般的だったと考えられている。

鞆を着用した射手。『年中行事絵巻』より.jpg

(鞆を着用した射手。『年中行事絵巻』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%86より)

ただ、「鞆」は、遺物や記録にはあるが、中世以降使われないため、その使用法に諸説が生まれた、とある(図説日本甲冑武具事典)。

記紀に、持統天皇七年(693)に、官人も武器・武具を用意すべき旨の詔にも、「鞆」を必ず一枚供える規定があり、さらに、和銅九年(708)にも、上記の元明天皇の歌、

丈夫之鞆乃音為奈利物部乃大臣楯立良思母(ますらおのとものおとすなりもののふのおほまえつきみたてたつらしも)、

にも「鞆」があり、翌年の蝦夷征伐の演練に際し鞆を用いていたことを示す、とある(図説日本合戦武具事典)。しかし、古代日本では用いられていたが、中世ごろには実用では用いられなくなっており、武官の儀礼用となった、とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%86

年中行事絵巻(原本は保元2~治承3 (1157~79)年頃成立)には、射手が左手外側に「鞆」をしている。ために、

弓返りして弦が当たるのを防ぐ、

という説が生まれた。ただ、弓返りしただけでは、

「鞆の音すなり」という程の音は出ない、

とする(図説日本合戦武具事典)。また、

矢を放したとき弦が腕を擦るのを防ぐ、

ために内側につけるという説がある。

鞆(年中行事絵巻).jpg

(鞆 図説日本合戦武具事典より)

しかし、そのためには、

弓の握り方が拳の入り過ぎの場合に腕の内側をする、いわゆる「拙射の一癖」の折にこそ必要で、大きく膨らんだ「鞆」では射るのに不便となる(仝上)。

貞丈雑記(江戸時代後期の有職故実書)には、

鞆に二品あり、武用の鞆と、伊勢神宝の鞆と二品なり、武用の鞆は熊の皮にて作り(毛は裏の方にあるなり)腕を通す所は牛の革にて手を付て、紫の組紐を付くるなり、又神宝の鞆は鹿の皮にて縫ひて胡粉をぬりて墨を以て絵を書くなり、委細は延喜式と云ふ書に見えたり、

とあり、

実用の鞆は熊の皮を牛の革紐で腕に巻き、
神宝の鞆は鹿の皮を縫う、

ということで、実践のものは、皮を腕に膜だけで、神宝の鞆は誇張された形になっている、ということになる(仝上)。しかし、次第に実践では、

籠手、

をつけ、

鞢(ゆがけ)、

を付けるようになって、「鞆」は不要になった、ということのようである。「籠手」(小手、甲手、篭手)は、

戦闘時に上腕部から手の甲までを守るための防具、

でありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%A0%E6%89%8B

籠手(当世具足の篠籠手).jpg

(籠手(当世具足の篠籠手) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%A0%E6%89%8Bより)

鞢(ゆがけ/ゆみかけ 弓懸・弽・韘)は、

弓を射るときに、手指が痛まないように用いる革製の手袋。左右一対になっているものを諸(もろ)ゆがけ、右手にだけ着けるものを的ゆがけ、右手の拇指(おやゆび)以下三指だけに着けるものを四掛(よつかけ)、

という(精選版日本国語大辞典)。

ゆがけ.bmp

(ゆがけ 精選版日本国語大辞典より)

さて、「とも」の語原であるが、大言海は、

手面(たおも)の約、
あるいは、
音物(おともの)の約略、
あるいは、
止弦(とめを)の約、

と三説挙げる。使用方法すらはっきりしないので、語原の由来は定めがたいが、

大伴氏の祖が造ったためか(和訓栞)、
弓弦の鳴る音ポムから(言元梯)、

は検証の仕様がない。個人的には、

動詞タム(矯・鞣)の未然形タメの轉(続上代特殊仮名音義=森重敏)、

が気になる。「たむ」は、「ためる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/469021652.htmlで触れたように、岩波古語辞典は、

タム(廻)と同根,

とある。大言海は,

撓む,

意とし,

くねり廻る,

とする。この「たむ」は,

廻む,
訛む,

とも当てる。

ぐるっとまわる,

意の他に,

歪んだ発音をする,

つまり,

訛る,

意もある。「たむ」は,漢字で当て分けているが,結局,

無理にもとの形を変える,

意である。「鞆」は、弓を引いて撓めて矢を放つ、その時の必需品だったのではないか、と。また、「鞆」の古名、

ほむた、
ほむだ、

については、日本書紀に、

上古の時の俗、鞆を号(い)ひて褒武多と謂ふ、

とあるのみで、語源についてはわからないが、似た音で、

ほむき(穂向き)、
ほむけ(穂向け)、

という、

穂を一方になびかせること、

という意の言葉かある(岩波古語辞典)。関連があるかどうかはわからないが。なお、弓と矢については、

「弓矢」http://ppnetwork.seesaa.net/article/450350603.html

で触れた。

参考文献;
笠間良彦『図説日本合戦武具事典』(柏書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:
posted by Toshi at 03:48| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月25日

艫舳


「艫舳」は、

ともへ、

と訓まし、

舟の「とも」と「へさき」、

の意だが、

「舳艫」とひっくり返し、

じくろ、

と訓んでも、

舟の「へさき」と「とも」、

の意である。

舳艫千里、
舳艫相銜(あいふく)む、

と、

多くの船が続いて進む様、

をいう言い方がある。「艫」「舳」ともに、「とも」と「へ(さき)」の両義を持っている。

「艫(舮)」(漢音ロ、呉音ル)は、

会意兼形声。「舟+音符盧(つぼ型のくぼみ)」。くぼんだ船尾が原義で、船首とするのは誤用、

とある(漢字源)が、「とも」の意と共に、「へ(さき)」の意味でも使われる。しかも、「舳」(漢音チク、呉音ジク)も、

会意兼形声。由(ユウ)は、つぼの上端から油や酒を抽出するさま。舳は「舟+音符由」で、抽出されたように船首に抜き出たへさき。船の後尾とするのは誤り、

とあり(仝上)、本来「へ(さき)」の意であるのに、船尾の意の「とも」の意でも使う。漢字の「艫」「舳」そのものが、「とも」と「へ(さき)」の意で使うので、大言海も、

(中国の)諸字書に、舳艫首尾の解、相反するもの多し、倭名抄に、「艫を、度毛と訓じ、舳を閉(ヘ)と訓ず、字鑑に、艫を戸(ト)と訓じ、舳を止毛と訓ず、霊異記、訓釈も、舳をトモとせり、今倭名抄に拠る、

としているように、それを当てはめた和語も、「艫」を、

とも、
と、
へさき、

と訓み、「舳」も、

とも、
と、
へさき、

と訓ませた。ただ、和語「とも」と「へ(さき)」は、それぞれに、

艫、
舳、

と当てるのだが。ちなみに、「倭名抄」には、

船前頭、謂之舳、舟頭制水處也、和語云閉、船後頭謂之艫、舟後制櫂也、和語云、度毛、

とある。

新造した菱垣廻船の船卸しの祝い.gif

(新造した菱垣廻船の船卸し。コロを使って波打ち際に運ぼうとしている「摂津名所図会」 https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/01046/contents/003.htmより)


さて、和語「へ」ないし「へさき」の語源は何か、もともと、古語で、

へ、

と言っていたものに、「さき」をつけたのだから、

重語、

である。ちなみに、「重言(じゅうげん、じゅうごん)」は、

馬から落馬する、

のような、同じ意味の語を重ねる表現であるが、

びっくり仰天、
むやみやたら、
好き好んで、

のように語呂のよさを重視する言い回しはある。

多くは誤用と見なされるが、意味を強調したり語調を整えるため、あるいは理解を確実にさせるために、修辞技法として用いられる場合もある、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E8%A8%80。「へ」のような一音語は、多く安定が悪いので、同義の「先」を付けたように思う。

「へ」の語源は、

へ(方)の義(名言通)、
ヘサキ(方先)の義か(国語の語根とその分類=大島正健・大言海)、
サキヘ(先方)の義(大言海)、
ホ(末)の義(言元梯)、
ヨハ(夜半)、ニハ(水面)のハの転。「ハ」は、時間的・空間的に遂行する方向量を意味する名詞(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
朝鮮語pai(舟)と同源か(岩波古語辞典)、

と諸説あるが、

辺、
端、
方、

と当てる「へ」ではないか、と思う。「へ」について、大言海は、

端方(ハシヘ)の意、

とするが、岩波古語辞典は、

もっとも古くは「おき(沖)」に対して、身近な海浜の意。また、奥深い所に対して、端(はし)・境界となる所。或るものの付近。またイズヘ(何方)・ユクヘ(行方)など行く先・方面・方向の意に使われ、移行の動作を示す動詞と共に用いられて助詞「へ」へと発展した、

とある、行く先・方面・方向の意の「へ」である。

「とも」は、

船尾が船首に従うものであるところからトモ(供・従者)の義(箋注和名抄・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・国語の語根とその分類=大島正健・大言海)、
共の義(名言通)、
アトモ(後)の上略(柴門和語類集)、
トコモト(床本)の反(名語記)、

等々、「伴う」とか、「供」と見るものが多い。船首についていく、という意味である。「とも」は、

供、
伴、

と当て、

後に従う義(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、
アトムレの約で、人の後にむれ行く義(和訓集説)、
後に連れる者なので、あとをおもうの義か(和句解)、

等々あり、

友、

ともつながる言葉で、「伴う」「供」の意味の「トモ」とみてよさそうである。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:48| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月24日

急須


「急須」は、

茶葉を入れ、湯をさして煎じだすのに用いる、小さな土瓶、

であり、

茶出し、
きびしょ(急焼、急尾焼)、

ともいう。

急須.jpg


もとは、

もと中国で、酒の燗 (かん) をした注ぎ口のある小鍋、

とあり(広辞苑・大辞林)、中国からの伝来である。

「急須」という呼び名は、

「急須」は中国・呉(蘇州地方)の方言で酒を温める器、
「急焼・急尾焼」は福建の方言で湯を沸かす器、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A5%E9%A0%88。「きびす」は、

取っ手の付いた小型の急須、

とする方言に残る(全国方言辞典)ようだが、語源は

酒器の急焼、急火焼(きびしょう)、

だとする説もあるhttp://www.yamaderakk.co.jp/kyuusu1.html

「須」(漢音シュ、呉音ス)は、

会意。もと、あごひげの垂れた老人を描いた象形文字。のち「彡(ひげ)+頁(あたま)」で、しっとりしたひげのこと。柔らかくしめって、きびきびと動かぬ意から、しぶる、じっとたってまつの意となり、他者を頼りにして期待する、必要としてまちうける意となった。需も同じ経過をたどって、必需の意となり、須と通用する、

とあり、「須」は、「もちいる」「もとめる」意があり、

急須(キュウシュ)、

は、

差し迫って必要とする、

という意で、

日本では、

急いで湯を沸かすキュウスの意、

で使われる(漢字源)、とある。ただ、「急須」は、字源には、

酒の燗をする小さな鍋、

の意で載り、三餘贅筆に、

呉人呼暖酒器為急須、急須者以其應急而用也、

と載る(字源・大言海)。

「急須・急焼」といった横手の湯沸しを、茶を出す道具に転用したのは宝暦6年(1756年)、高芙蓉による、

とあるがhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A5%E9%A0%88、江戸初期、

涼炉とボーフラが輸入されていました。ボーフラ(湯沸し)が急須と兼用されていた……。涼炉とかボーフラは、煎茶の道具になる前は、中国ではコンロ、酒器だったと思われます。日本の急須は、ボーフラから進化したので横手のものが多くなったと考えられます、

ともありhttp://www.yamaderakk.co.jp/kyuusu1.html

日本独自の横手急須は、本来、中国で湯沸しとして用いられていたものを、茶をいれる道具に転用したもの、

とされる(仝上)。とすると、

「急須」は中国・呉(蘇州地方)の方言で酒を温める器、
「急焼・急尾焼」は福建の方言で湯を沸かす器、

という見方が正しければ、「急須」という名は、

酒を温める呉の「急須」、

から、形は、

福建の方言で湯を沸かす器「急焼」、

からきた、ということになる。となると、「きゅうす」が、

きゅうしょう(急焼)→きびしょう→きゅうす、

と転訛したとする(仝上)のは、考え過ぎで、「急須」の中国音、

きゅうしゅ→きゅうす、

と転訛した、と見るのでいいと思われる。

因みに、「ボーフラ」とは、

湯沸かし道具の一つで、土瓶の一種、

煎茶道の流派によっては、

保夫良、
保宇夫良、
湯缶、
湯瓶、
湯沸、

等々という。

ボーフラ.jpg

(ボーフラ)

見た目は急須に似ているが、胴が張り出しまるまるとしているのが特徴である。また、直接火に掛ける道具のため、材質は素焼きの陶器であり磁器製はない。大別して、
上手式:持ち手が上についている物、
横手式:持ち手が横について射る物、
に分けられる。上手式は大型の物が多く瓶掛(小型火鉢)に、横手式は涼炉に合わせることが多い、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%A9。「涼炉(りょうろ)」は、

煎茶道で使用する湯を沸かす道具の一つ、

で、

焜炉、
茶炉、
風炉、

とも言われるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%BC%E7%82%89

元々は中国で茶の野点用に野外で火をおこすために考えられた携帯湯沸かし器、

であり、

仕組みは七輪と全く同じである。正面に風を送り込むための穴「風門」、上部に炭を入れ、ボーフラを載せる穴「火袋」がある。外見は、四角形や六角柱形など様々だが、円筒形がよく好まれている、

とある(仝上)。

茶道で使用する風炉.jpg

(茶道で使用する風炉 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%BC%E7%82%89より)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:47| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月23日

薬缶


「薬缶」は、

薬罐、
薬鑵、

とも当てる。

湯沸かしに用いられる、主に土瓶形の道具、

である。

やかん.jpg



漢字「缶」と「罐」は使い分けられているらしい。

「缶」(カン(クワン)、漢音フウ、呉音フ)は、

象形。まるく腹がふくれて、中に包み込むような形をした土器を描いたもの。広く土器をあらわす、

「罐」(カン(クワン)、漢音フウ、呉音フ)は、

形声。右のつくりが音を表す、

とし(漢字源)、「缶」は、

腹部がまるくふくれた土器、
まるくふくれた瓦製の打楽器、

を指し、「罐」は、

水をくむ器、つるべ、
ものを貯蔵するまるい器、
金属製の円筒状の入れ物、
金属製の湯沸かし器、

といった意味になる。「缶」を当てて、常用漢字では、罐の音と意味に用いる(仝上)、とある。要は、「缶」のもとの意味ではなく、「罐」の意味の金属製の容器の意で用いている、ということになる。

「鑵」(カン)は、罐と同じ意味でつかい、

薬罐、
薬鑵、

と使う。「罐」「缶」は、

ほとぎ(古くは「ほとき」)、

とも訓ませ、

酒や水などを入れた、同が太く口の小さい土器、

の意で、「缶」の本来の意味に合わせて当てていた、と思われる。「ほとぎ」は、後に、

湯殿で産湯に用いた甕、

の意に転ずる。漢字の「缶(ほとぎ)偏」に生きている。

「薬缶」の発祥は、中国の注ぎ口と取っ手のある生薬用の加熱器具である、

銚子(ちょうし)、

であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%9A%E5%AD%90。「銚子」は、別名、

薬缶、
薬銚、
沙銚、

入り口は大きく、蓋付きで、生薬を煎じて湯液を作る時、湯を沸かす時に使われた。陶器のものは、

沙銚、

茶を淹れるものは、

茶銚、

とも呼ばれたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%8B%E3%82%93。酒器となった「銚子」については、「徳利」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474699082.html?1587495610で触れた。日本語の「やかん」は、

漢方薬を煎じるために使用されていた薬鑵(やくくわん)が変化したものとされ、漢字では「薬缶」と表記されるようになった、

とあり(仝上)、「薬缶」を、

ヤククワン→ヤククワン→ヤクワン→ヤッカン→ヤカン、

と転化して来たもの、ということになる。日葡辞書には、「薬缶」は、

今では湯を沸かす、ある種の深鍋の意で用いられている、

とあり、中世末には既に湯を沸かす道具として用いられていたようである(語源由来辞典)が、銅製のものなどが多かったらしい、とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%8B%E3%82%93

また、茶の湯釜に注ぎ口と鉉(つる)を付けたものは鉄薬鑵(てつやかん)と称されており、その後「薬鑵釜」や「手取り釜」と称され、さらに「鉄瓶」と名付けられるようになったといわれている(仝上)、とある。

東海道五十三次之内 袋井 出茶屋・部分.jpg

(歌川広重「東海道五十三次」袋井・出茶屋ノ図・部分 http://chisoku.jp/collection/au-0014/i00393/より)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:薬缶
posted by Toshi at 03:47| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月22日

とっくり


「とっくり」は、

徳利、

と当てる。

とくりの音便、

である。

酒を入れる容器、

である。かつては、

瓶子(へいし/へいじ)、

というものがあった。

瓶子.bmp

(瓶子 精選版日本国語大辞典より)

口が小さく下ほど脹れている土器、

である(日本食生活史)。今日では、

ふたの付いた、白色の素焼きまたは陶器製で神酒(みき)を神前に供えるのに用いる、

ものに残っている(食器・調理器具がわかる辞典)。

古代の出土品に瓶(へい)とよぶ須恵器(すえき)があり、奈良時代にペルシアの影響を受けた唐から舶来した胡瓶(こへい)があり、いずれも瓶の上部が鳥首になっているのが特徴で、金銅製、陶製で三彩を施釉(せゆう)したもの、ガラス製がみられる。平安時代には木製挽物(ひきもの)仕上げで白鑞(びゃくろう)(錫(すず)と鉛の合金)蒔絵で桐竹鳳凰(きりたけほうおう)を描く瓶子(重文)が、奈良市・手向山(たむけやま)神社に残る。中世には木地挽物に朱漆や黒漆を塗り、漆絵を描いた瓶子が盛んにつくられた。しかし、鎌倉後半期に瀬戸中心に焼成、施釉の陶器が盛んとなった、

とある(日本大百科全書)。

「瓶子」が形から見ても、徳利の先祖であることは明らかであるが、酒器には、

銚子(さしなべ・さすなべ・てうし)、

があった。

長柄と注ぎ口のある鍋、

で、吊るしかけて酒などを温めるのに用いた。ただ、大言海(広辞苑も)は、「銚子」の、

てうし、

と訓むものと、「銚子」の、

さすなべ、
さしなべ、

と訓むものとは区別しており、「銚子」(てうし)は、

古へ銚子(サスナベ)を小さく造り、柄を付けたるもの。金類にて作る。長き柄あれば、柄なき提子(ひさげ)に対して、長柄の銚子とも云ふ。注口の両方にあるを両口(モロクチ)と云ひ、一方なるを片口といふ、

とし(両口は諸口(もろぐち)ともいう)、「銚子」(さすなべ)は、

鍋の類。提梁(つる)あり、注口ありて、汁など煮て、他の器に注ぐもの、今云ふ。鉉鍋(つるなべ)、燗鍋なるべし。後に酒を盛りて、盃に注ぐ銚子(ちょうし)と云ふもの、用を変じたるならね、

とする。「銚子」の「銚」は、

もともと〈鍋〉の意で,《和名抄》は銚子を〈さしなべ〉〈さすなべ〉と読んでいる、

とある(世界大百科事典)。

諸口(もろぐち).bmp

(両口 精選版日本国語大辞典より)


「提子」(ひさげ)も酒を注ぐ器で、

銚子、

の一種であるが、

片口につるをつけ、蓋(ふた)をつけない、

もので、

銚子(ちょうし)の酒が減ったとき、提子の酒を移し替えるのを、室町時代に「加え銚子」とよんだ、

とある(日本大百科全書)が、

樽から取り出した酒は、「提子」(ひさげ)と呼ぶ上部に取っ手のついた器に移し、「銚子」の酒が足りなくなると酒を加えて補充します。そのため「提子」は「くわえ」とも呼ばれ、銚子の補助的な容器でした。桃山時代(16世紀末)には、蓋(ふた)付きの提子があらわれました、

とあるhttps://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/culture/vessel/vessel01.html。そして、

提子は湯や汁用などにも使われましたが、特に酒用の提子を江戸時代前期から「銚子」と呼び、直接、盃に注ぐようになりました。天保年間(1830~1844年頃)には、鉄や錫・木製に加え陶製のものが使われはじめました。同じ頃、磁器の使用が広まると、カラフルな色絵や染付けを施した磁製の銚子もよく使われるようになりました、

とある(仝上)。とすると、本来、役割の違う、

銚子、

提子、

が、酒を注ぐという役割から、「銚子」に一本化したことになる。

銚子と提子.jpg

(「銚子」(手前)と「提子」(後方)。鶴と亀の模様が刻まれており「金銅鶴亀文長柄銚子」「金銅鶴亀文提子」と呼ばれる(月桂冠大倉記念館・蔵) https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/culture/vessel/vessel01.htmlより)

柄をつけた長柄銚子の「銚子」(さしなべ)は、

平安時代から使用され,のちおもに儀式用となり,神前結婚式,屠蘇(とそ)器などに使用、

の形で残る(百科事典マイペディア)が、

神社の儀式で使用される銚子は、木製朱塗松竹梅蒔絵付銚子、錫銚子、長柄銚子などに松竹梅金銀水引を装着したものが一般的である、

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%9A%E5%AD%90。今日、祝言の三々九度の盃に注ぐものと同じである。

「銚子」は、もともと、

中国の注ぎ口と取手のある加熱器具、

で、

蓋付きで、生薬を煎じて湯液を作る時、湯を沸かす時に使われた、

ものである。「薬缶」の始祖と思われるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%8B%E3%82%93

「瓶子」から変化したと思われる「徳利」は、鎌倉時代頃までは瓶子が使われていたが、注ぎ口が小さく酒を注ぐに不便な事から、次第に徳利に代わっていった、といわれる。

室町時代にはすでに「とくり」という呼び名がありました。二升、三升もの「大徳利」 が、酒だけでなく醤油や酢など液体や穀物の運搬、貯蔵に用いられていました、

とありhttps://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/culture/vessel/vessel01.html

江戸時代には一~二合程度の小さな徳利が普及しはじめ、徳利から直接盃に注いで飲むようになりました。それが明治時代以降には、小型の「燗徳利」のことを、酒を注ぐという同じ機能から「銚子」とも呼ばれるようになったのです、

とある(仝上)。つまり、

瓶子→徳利→銚子、
の流れと、
銚子/提子→銚子、

と、本来別な「さしなべ」の「銚子」と「てうし」の「銚子」も含め、結局、徳利も、銚子も、こんにちなべて「銚子」に一本化したらしい。

みんな徳利.jpg

(み~んな徳利 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%88%A9より)

ところで、「徳利」の語源は、

注いだとき「トクトク」と音がするものが好まれ、この意味では口が広すぎてはならないが、一方で狭すぎては内容物がスムーズに出てこない。両者の兼ね合いからは、小指が入る程度のものが適している、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%88%A9。瓶子と比べると徳利の形は多種多様であり、共通性は瓶子より多少注ぎ口が広いという程度である、ともある(仝上)。

「徳利」の語源は、

酒を注ぐ音「とくとく」に接尾語「り」がついて生まれた、

とする説(擬音語・擬態語辞典・日本語源広辞典・大言海)が、多数派である。その他に、

トクリ(曇具理)の義、曇は壜の意、具理は鉼の意(大言海)、
仏の宝器であるトクリベウ(徳利缾)の略(類聚名物考)、
トクリ(得利)の義(運歩色葉集)、
タクリ(欧吐)の義(言元梯)、
壺または器の意(海録)、

等々あるが(日本語源大辞典)、擬音語・擬態語の多い和語の特徴から見ると、

とくとく、

という擬音語ではないか、と思う。

徳利(通徳利).jpg

(徳利(通徳利) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%88%A9より)


なお、「酒」については、

「ささ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/461251438.html
「さけ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/451957995.html

で触れた。「猪口」については、

「ちょこざい」http://ppnetwork.seesaa.net/article/422842891.html

で触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
渡辺実『日本食生活史』(吉川弘文館)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:00| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年04月21日

辛夷


「辛夷(コブシ)」は、

拳、

とも当てる。

モクレン科モクレン属の落葉広葉樹の高木、

である。漢名は、

日本辛夷(にほんしんい)、

日本では「辛夷」という漢字を当てて「コブシ」と読むが、これは花のつぼみを乾燥させた生薬名が辛夷(しんい)であるためである、

とされ、中国の辛夷は、

ハクモクレン(白木蓮)、
もしくは
モクレン(木蓮)、

のことを指し、

コブシの漢名とするのは誤りとされている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%96%E3%82%B7。白居易の詩、

北村尋古柏、南宅訪辛夷

の「辛夷」は、モクレンということになる。

こぶし.jpg


「辛夷」は別名、

ヤマアララギ、
コブシハジカミ、

ともよばれ、アイヌでは、

オマウクシニ、
オプケニ、

と呼ばれる(仝上)、とある。この花が咲くころに田打ちを始めることから別名、

田打ち桜、

ともいう(由来・語源辞典)、らしい。

辛夷の花.jpg


「木蓮(モクレン)」は、

木蘭、

とも当てる。中国では、

紫玉蘭、

と表記するが、

辛夷、木筆、望春、女郎花、

とも呼ばれる、

モクレン目モクレン科モクレン属の落葉低木、

であり、花が紫色であることから、

シモクレン(紫木蓮)、

の別名もあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%B3

ハネズ、
モクレンゲ、

とも呼ばれる(仝上)。

昔は「木蘭(もくらん)」と呼ばれていたこともあるが、これは花がランに似ていることに由来する。今日では、ランよりもハスの花に似ているとして「木蓮(もくれん)」と呼ばれるようになった、

とある(仝上)。中国南西部(雲南省、四川省)が原産地である。

英語圏に紹介された際に、Japanese magnolia と呼ばれたため、日本が原産国だと誤解されている、

とある(仝上)。

しもくれん.jpg


和名「コブシ」の由来について、大言海は、

コブシハジカミの下略む、とある。「コブシハジカミ」は、

莟(つぼみ)の形、拳の如く、實を食用とするに、味辛きこと、山椒(はじかみ)の如き義、

とする。「山椒」http://ppnetwork.seesaa.net/article/470965185.htmlについては、触れた。倭名抄にも、

辛夷、其子可噉之、古不之波之加美(生薑、蜀椒、山葵、芥などと列挙したり、實を食物に添えへて食ひしなり)、

とある。また、本草、陶注に、

辛夷、形如桃子、小時、気辛香、

とある(仝上)。

辛夷の實.jpg


定説がないが、

つぼみが開く前、開花の様子が小さな子どもの握りこぶしのように見える、
のか、
つぼみの形を握りこぶしに見立てた、
か、
果実(集合果)の形がでこぼこしていて、(子どもの)握りこぶしに見立てた、

のか、いずれも、

拳の形、

に由来するらしい。自分の目に見る限り、

果実(集合果)の形、

が、まさに、

握りこぶし、

に見えたのだが。

ハクモクレン.jpg


因みに、(ハク)モクレンとコブシの違いは、

白木蓮(ハクモクレン)
自生地:中国
花びらの枚数:9枚(咢を含める)
花びらの形:肉厚な花びら
花の向き:上向き

コブシ
自生地;日本
花びらの枚数:6枚
花びらの形:薄い花びら
花の向き:上向きや横向き、斜めなど様々

とかhttps://lovegreen.net/flower/p136919/

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:辛夷
posted by Toshi at 03:58| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする