2024年08月15日

引折(ひきをり)


ためしあればながめはそれと知りながらおぼつかなきは心なりけり(新古今和歌集)、

の、

ためし、

は、在原業平 が、女車に対して、

見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなくけふやながめくらさむ(古今集・伊勢物語・大和物語)、

と詠み入れた例をさす(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

冒頭の歌の詞書に、

前大納言隆房中将に侍りける時、右近馬場の引折(ひきをり)の日まかれりけるに、物見侍りける女車よりつかはしける、

とある、

右近馬場の引折の日、

とは、

右近衛府の舎人(とねり)が馬場で競馬・騎射をする五月六日、

をいい、ここでは治承四年(1180)のこと(仝上)とある。天皇が武徳殿に臨幸して衛府の官人の騎射を御覧になるのが例であり、これを、

騎射の節、

ともよぶ(日本大百科全書)。騎射に先だつ4月28日(小の月は27日)には、天皇が櫪飼(いたがい)(馬寮(めりょう)の厩(うまや)で飼養)・国飼(諸国の牧から貢進)の馬を武徳殿で閲する、

駒牽(こまひき)の儀、

がある(仝上)。

引折、

は、平安時代、

近衛の馬場で騎射(うまゆみ)の真手番(まてつがい)を行うこと、

をいい、

左近衛は五月五日、右近衛は五月六日、

を、

引折の日、

という(広辞苑)。

真手番、

は、

真手結、

とも当て、

手番(てつがひ)、
手結(てつがひ)、

ともいい、

つがい、

は、

手は射手、結は番(つがう)(2人を組み合わせる)、

意で(世界大百科事典・大言海)、平安時代、

射礼(じゃらい)・賭射(のりゆみ)・騎射(うまゆみ)などの行事で、競技者を左右二組に分け、一人ずつ組み合わせて、射技の優劣を競わせること、

をいい、当日の競技を、

真手結(真手番 まてつがい)、

前日に行う練武を、

荒手結(荒手番)、

という(広辞苑)。

真手結(真手番)、
荒手結(荒手番)、

の、

真、

は、

真正に厳密(オゴソカ)にする、

意で、

荒、

は、

粗(アラ)、

で、

真に対して軽い、

意で、

真忌(まいみ)、
荒忌(あらいみ)、

という言い方と同例(大言海)とある。

射礼(じゃらい)、

は、

大射、

ともいい、古代、

正月十七日に建礼門前で行われた弓射の行事、

をいい、これより先に、

十五日に兵部省で親王以下五位異状よび六衛府の者から射手を選出する手番(てつがい)を行い、当日は天皇が豊樂(ふらく)院で観覧、終了後に、能射の者に禄を給した、

という(広辞苑)。

代の始には、豊楽にてあり(公事根源)、

とある。

賭射(のりゆみ)、

は、平安時代の宮中年中行事の一つ、

で、

錢を賭物(のりもの)にして、射中てたるもの、

とあり(大言海)、

射礼、

の翌日、一般に正月十八日、

天皇が弓場殿(ゆばどの)で、左右の近衛府・兵衛府の舎人らが弓を射る競技を観覧した。勝った方には、

大将、射手に還饗(かへりあるじ 饗応)あり、

とあり、負けた方には、

罰杯(罰酒)を課した、

という(仝上・広辞苑)。

騎射、

は、

馬弓術(ウマユミ)の義、

で、色葉字類抄(平安末期)に、

騎射、マユミ、

とあり、

騎射、
馬射、

を、

まゆみ、

と訓ませ、

馬弓、
馬射、

とも当て、

うまゆみ、

ともいい、

歩弓(かちゆみ)
歩射(ぶしゃ)、

に対する言葉で、

馬上で行う弓矢の競技、

をいい、宮廷では、

武徳殿前にて、端午の節会(せちえ)に行う近衛の武官の騎射、

をいい、武家では、

流鏑馬(やぶさめ)・笠懸(かさがけ)・犬追物(いぬおうもの)、

の、

騎射三物 (みつもの)、

が、武芸の修練を兼ねた遊びとして盛んに行われた(仝上・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。和名類聚抄(931~38年)に、

騎射、宇末由美、
歩射、加知由美、

とある。

騎射三物(きしゃみつもの)、

は、「流鏑馬」で触れたように、

武士の騎射稽古法は、平安時代〜鎌倉時代に成立し、

犬追物、
笠懸、
流鏑馬、

の三種を指す。

笠懸.jpg


笠懸(かさがけ)、

は、

疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を放ち的を射る、

騎射の技術・鍛錬法のことで、流鏑馬と比較して笠懸はより実戦的で標的も多彩であるため技術的な難度が高いが、格式としては流鏑馬より略式となり、余興的意味合いが強い(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E6%87%B8)とある。

犬追物.jpg


犬追物(いぬおうもの)、

は、鎌倉時代から始まったとされる日本の弓術の作法・鍛錬法で、

40間(約73m)四方の馬場に、1組12騎として3組、計36騎の騎手、検分者(審判)を2騎、喚次役(呼び出し)を2騎用意し、犬150匹を離しその犬を追いかけ何匹射たかを競う。矢が貫かないよう「犬射引目」(いぬうちひきめ)という特殊な鏑矢を使用した。

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E8%BF%BD%E7%89%A9)

流鏑馬.jpg

(流鏑馬の射手の狩装束(流鏑馬絵巻』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E9%8F%91%E9%A6%ACより)

流鏑馬(やぶさめ)は、

日本の古式弓馬術で、行われた騎射の一種、馬術と弓術を組み合わせたもの、

であり、

距離2町(約218m)の直線馬場に、騎手の進行方向左手に3つの的を用意する。騎手は馬を全力疾走させながら3つの的を連続して射抜く、

ものであるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E9%8F%91%E9%A6%AC

「引」.gif

(「引」 https://kakijun.jp/page/0449200.htmlより)

「引」 金文・西周.png

(「引」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%95より)

「引」(イン)は、

会意文字。「弓+|印」で、|印は直線状に↓と引くさまを示す、

とある(漢字源)。別に、

会意。「弓」と、それに添えられた弓を引くことを連想させる短い筆画から構成される[字源 1]。「ひく」を意味する漢語{引 /*linʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%95)

会意。弓と、丨(こん)(ひっぱる)とから成り、弓をひく、ひいて「ひく」意を表す(角川新字源)、

とあるが、

指事文字です。「ゆみ」の象形に縦線を添え、ひいて張り伸ばした弓を示し、そこから、「ひく」を意味する「引」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji246.html

と、指事文字とする説もある。

「折」.gif



「折」(漢音セツ、呉音セチ)は、「壺折」で触れたように、

会意。「木を二つに切ったさま+斤(おの)」で、ざくんと中断すること、

とある(漢字源)。別に、

斤と、木が切れたさまを示す象形、

で、扌は誤り伝わった形とある(角川新字源)。また、

会意文字です(扌+斤)。「ばらばらになった草・木」の象形と「曲がった柄の先に刃をつけた手斧」の象形から、草・木をばらばらに「おる」を意味する「折」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji670.html

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年08月14日

たく縄


うちはへて苦しきものは人目のみしのぶの浦の海人のたく縄(新古今和歌集)、

の、

たく縄、

は、

楮(こうぞ)の樹皮で作った縄、

をいう(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

うちはへて、

は、

長く、
引き続いて、

の意で、

たく縄の縁語、

とあり、

苦しき、

は、

たく縄の縁語「繰る」を掛ける、

とある(仝上)。

はへて、

は、

みしぶ(水渋)つき植ゑし山田にひたはへてまた袖濡らす秋は來にけり(新古今和歌集)、

と使われ、この、

ひた、

は、

引板

で、

鳴子、

の意(仝上)、

はへて、

は、たぶん、

延へて、

とあて、

(引板の縄を)引いて延ばして、

の意(仝上)となる。

うち、

は、「打ち」で触れたように、接頭語として、動詞に冠して、

打ち見る、

のように、

瞬間的な動作であることを示す、

使い方の他に、多く、

打ち興ずる、
打ち続く、

のように、

その意を強め、またはその音調を整える、

という使い方をする(広辞苑)。この、

うちはへて、

は、

引き延ばす、

意を強調している。

たく縄、

は、

栲縄、

と当て、後世、

たぐなわ、

とも訓ませ、

楮(こうぞ)などの皮でより合わせた縄、

をいい、

海女(あま)が海中にはいる際の命綱などとして用いた、

とある(精選版日本国語大辞典)。

以千尋栲縄(たくなは)、結為百八十紉(神代紀)、

とあるように、

栲を綯へる縄、

である(大言海)。また、

栲縄の、

は、

栲縄(たくなは)の長き命を欲(ほ)りしくは絶えずて人を見まく欲(ほ)りこそ(万葉集)、
地(つち)の下(した)は、底津石根(そこついはね)に焼き凝らして、栲縄(タクナハ)の千尋縄(ちいろのなは)の打ち莚(むしろ)し(古事記)、

などと、

なが(長)、
ちひろ(千尋)、

に掛かる枕詞である(広辞苑)。

「栲」.gif


「栲」(コウ)は、

会意兼形声。「木+音符考(まがる)」で、くねくねと曲がった木、

とあり(漢字源)、「ぬるで」の意とある(仝上)。「栲栳(コウロウ)」というと、「竹とか柳の枝を曲げて編んで作った、物を入れる器具」とあり、我が国では、「たへ」と訓ませ、かじきなどの皮の繊維で織った白い布、転じて広く布をいい、「白栲(しろたへ)」「和栲(にぎたへ)」「粗栲(あらたへ)」などと使う。なお、「栲」の異体字は、
𣐊、
𣑥、
𣛖、
であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A0%B2

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年08月13日

曹司


君が植ゑし一(ひと)むらすすき蟲の音のしげき野辺ともなりにけるかな(古今和歌集)、

の詞書に、

藤原利基朝臣の右近中将にてすみはべりける曹司(ざうし)の、身まかりてのち、人も住まずなりけるに、……、

とある、

曹司(ざうし)、

は、

そうじ、

とも訓ませ、

与えられた部屋、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

貴人の子弟は、独立するまで邸の中に部屋を与えられる。ここはどこの邸ともわからない、

とある(仝上)。そこから、

部屋住み、

の意で、

曹司住み、

という言い方があり、

曹司住み、

を略して、

曹司、

も、

部屋住みの公達、

の意で使われる(広辞苑)。ただ、

曹司、

は、奈良・平安時代、

神祇官曹司災(続日本紀)、

とあるように、

官司内に設けられた、執務のための正庁。また、執務のための部屋、

を言い、

先参朝堂、後赴曹司(弾正臺式)、

とある。転じて、

もとよりさぶらひ給ふ更衣のざうしを、ほかにうつさせ給ひて(源氏物語)、

と、

宮中または官司などに設けられた、上級官人や女官などの部屋、

をいい、

つぼね、

ともいう。『伊勢物語』で、

思ふには忍ぶることぞ負けにける逢ふにしかへばさもあらばあれ
といひて、曹司におり給へれば、例の、この御(み)曹司には、人の見るをも知でのぼりゐければ、この女思ひわびて里へゆく、

とある、

曹司、

は、

女の局、

を意味し(石田穣二訳注『伊勢物語』)、さらに、

殿の内に年比曹司して候ひつる人々(栄花物語)、

と、

宮中や貴族の邸内に部屋をもらって仕えること。また、その人、

をいい、

ここから転じて、

独立していない公達(きんだち)が、親の邸内に与えられた部屋、

の意になったと思われる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

曹司住み、

は、

本来は、

此五位は、殿の内に曹司住にて有ければ(今昔物語集)、

とあるのように、

つぼねにさがって休息していること、

の意味である(仝上)。なお、

江家先祖音人卿、預判文章博士菅原是善卿、皆是、東西曹司之祖宗、試場評定之亀鏡也(「本朝文粋(1060頃)」)、

とある、

曹司、

は、平安時代の大学寮文章院の、

東曹・西曹、

をいい、

文章生の寄宿舎のごときものをいう(世界大百科事典)、

とも、

大学寮の教室の称。区画して東西にありて、東曹、西曹の称あり、菅原氏、大江氏の二家、分れて教へたり、大学の南隣なる勧学院を、南曹と称しき(大言海・精選版日本国語大辞典)、

ともあるが、いずれも、部屋を指している。原義に近い使い方と言える。

「曹」.gif



「曹」 甲骨文字・殷.png

(「曹」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B9より)

「曹」金文・西周.png

(「曹」金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B9より)

「曹」(漢音ソウ、呉音ゾウ)は、

会意文字。「東(ひがしではなく、袋の形)二つ+口、または日」で、袋を並べて同じものが並んだことを示す。口印は、裁判の際、口で論議することを表す。法廷で取り調べをする、何人も居並ぶ属官のこと。高級でない多くの仲間を意味する(漢字源)。「獄曹」「軍曹」等々「下級の役人」の意、「我曹」「汝曹」と「ともがら」の意、「局」と同義の「つぼね」の意等々とある(仝上)。

曺、𣍘、

は異字体、

𣍘、

は、

「曹」の古字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B9。別に、

会意。「東」を二つ並べたもの+羨符「口(金文では甘、楷書では曰に変化)。{曹 /*dzuu/}を表す字で、「一対」「組」「ともがら」を意味する、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B9

会意文字です(東+東+口)。「袋の両端をくくった」象形(「裁判で原告と被告がそれぞれ誓いを示す矢などの入った袋を持って向き合う」意味)と「口」の象形(「裁判官」の意味)から、「つかさ(裁判官、役人)」を意味する「曹」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1983.htmlあるが、

会意形声。曰と、㯥(サウ)(法廷で、東に位置する原告・被告。は省略形)とから成る。原告・被告の意から、「ともがら」の意を表す、

と(角川新字源)、会意兼形声とする説もある。『字通』には、

会意。正字は𣍘に作り、㯥+曰(えつ)。東は橐(たく)の初文。㯥は「説文」に「闕」として、その声義を欠く字であるが、𣍘の字形によっていえば、裁判の当事者がそれぞれ提供するものを橐(ふくろ)に入れて並べる形。「周礼」秋官、大司寇によると、束矢鈞金を出す定めであった。曰は盟誓を収める器で、自己詛盟をして獄訟が開始される。これを両造という。「大司寇」に「兩造を以て民の訟を禁ず。束矢を朝に入れしめて、然る後に之れを聽く。兩劑(りやうざい 契約・盟誓)を以て民の獄を禁ず。鈞金を入れしめて、三日にして乃ち朝に致し、然る後に之れを聽く」と規定している。「説文」に「獄の兩曹なり。廷の東に在り。㯥に從ふ。事を治むる者なり。曰に從ふ」とするが、「説文」は㯥と曰の形義を理解していない。㯥はいわゆる両造にして束矢鈞金を入れる橐の形、曰は自己詛盟としての誓約を入れる器である。曹はもと裁判用語。法曹を原義とし、のち官署のことに及ぼして分曹・曹司のようにいう、

とある。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年08月12日

久米路の橋


いかにせむ久米路(くめぢ)の橋の中空に渡しもはてぬ身とやなりなむ(新古今和歌集)、

の、

久米路の橋、

は、

葛城の久米の岩橋、
久米の岩橋、

ともいい、

葛城山の東、高市郡に、久米郷、久米川あり、

とあり(大言海)、

大和国の歌枕、

で、

役(えん)の行者が葛城山の一言主神(ひとことぬしのかみ)に命じて、葛城山と吉野の金峰山(きんぷせん)との間に架けさせようとしたが、醜貎を恥じた神が夜しか働かなかったので完成しなかったという伝説の橋、

である(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。後撰集にある、

葛城や久米路の橋にあらばこそ思ふ心を中空にせめ(読人しらず)、

も似た発想であるが、架橋の工事が中断したという伝説から、多く、

男女の仲の成就しないたとえ、

として使われる(岩波古語辞典)。

葛城山、

は、

大和葛城山(やまとかつらぎさん)、

といい、

奈良県西部の御所(ごぜ)市と大阪府南河内郡千早赤阪村の境にある山。ただしその南の金峰山のことともいう、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E8%91%9B%E5%9F%8E%E5%B1%B1)、大和の枕詞である。

金峰山(きんぷせん)、

は、

奈良県の大峰山脈のうち吉野山から山上ヶ岳までの連峰の総称である。金峯山とも表記し、「金の御岳(かねのみたけ)」とも呼ばれ、吉野山の金峯山寺は修験道の中心地の一つであり、現在は金峯山修験本宗の総本山である、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B3%B0%E5%B1%B1

山上ヶ岳.JPG

(大天井ヶ岳から山上ヶ岳を望む https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B3%B0%E5%B1%B1より)

大和葛城山.jpg


一言主神、

に当てられているが、

かづらきの神

のことで、

かづらきの神、

は、

葛城の神、

後世、

かつらぎの神、

とも訓ませ、

奈良県葛城山(かつらぎさん)の山神、

で、

一言主神(ひとことぬしのかみ)、

とされ(精選版日本国語大辞典)、昔、

役行者(えんのぎょうじゃ)の命で葛城山と吉野の金峰山(きんぷせん)との間に岩橋をかけようとした一言主神が、容貌の醜いのを恥じて、夜間だけ仕事をしたため、完成しなかったという伝説から、恋愛や物事が成就しないことのたとえや、醜い顔を恥じたり、昼間や明るい所を恥じたりするたとえなどにも用いられる、

とある(仝上)。この橋を、

かづらきや渡しもはてぬものゆゑにくめの岩ばし苔おひにけり(「千載和歌集(1187)」)、

と、

久米岩橋(くめのいわばし)、

という。橋が完成しないのに怒った行者は葛城の一言主神(ひとことぬしのかみ)を召し捕らえ、見せしめに呪術で葛で縛って、谷底に捨て置いた、との伝説がある。これを基にしたのが、能の、

葛城(かず(づ)らき)、

であるhttps://noh-oshima.com/tebiki/tebiki-kazuraki.html。因みに、「役の行者」とは、7世紀後半の山岳修行者で、本名は、

役小角(えんのおづぬ)、
あるいは、
役優婆塞(えんのうばそく)、

ともいい、

修験道(しゅげんどう)の開祖、

で、『続日本紀(しょくにほんぎ)』文武(もんむ)天皇三年(699)5月24日条に、伊豆島に流罪された記事があり、実在した人物で、

大和国(奈良県)葛上(かつじょう)郡茅原(ちはら)郷に生まれ、葛城山(かつらぎさん 金剛山)に入り、山岳修行しながら葛城鴨(かも)神社に奉仕し、陰陽道(おんみょうどう)神仙術と密教を日本固有の山岳宗教に取り入れて、独自の修験道を確立した、

とされる(日本大百科全書)。吉野金峰山(きんぶせん)や大峰山(おおみねさん)他多くの山を開いたが、保守的な神道側から誣告(ぶこく)されて、伊豆大島に流されることになる。この経緯が、

葛城山神の使役、

呪縛(じゅばく)、

として伝えられたものとみなされる(仝上)。

一言主神、

は、

大和葛城の鴨氏の祭神、

である。延喜式神名帳には、

葛城坐一言主神社、

とあり、

吉凶を一言で託宣する神、

とされる(日本伝奇伝説大辞典)。初出は、古事記・雄略天皇条に、天皇が葛城山に巡幸された折、向こうの山の尾根から天皇や従者と似た服装の人々が登るのに出会い、天皇が、服装の無礼を責めると、対等の態度をとり、尊大なので、

その名告(の)れ、ここにおのおの名を告りて放たん、

と、告られると、

吾先に問はえき、故、吾先に名告をせむ。吾は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり、

と申し、天皇は恐れ畏み、

恐(かしこ)し、我が大神、うつしおみあらんとは覚らざりき、

と言い、太刀や弓矢、衣服を献上して和がなり、一言主神は馳せの山口まで還幸を見送った、とされる。こうした伝承について、

名を告ることは古代信仰観上服属を意味する、

として、

葛城氏と雄略天皇とが対立し、葛城氏が敗北した経緯を語るもの、とする説がある(仝上)。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年08月11日

常陸帯


東路の道のはてなる常陸帯(ひたちおび)のかことばかりも逢はむとぞ思ふ(新古今和歌集)、

の、

常陸帯、

は、

常陸國鹿島神宮の祭礼で、男女の縁結びの占(うら)に用いられる帯、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

かこと、

は、

帯を締めて留める金具の「かこ」と、申し訳・口実の「かこと」の掛詞、

である(仝上)。

鹿嶋大神宮.jpg

(「常陸鹿嶋大神宮」(歌川広重『六十余州名所図会』)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E5%AE%AEより)

常陸帯、

は、

鹿島の帯、

とも、

帯占(おびうら)、

ともいうが(広辞苑・デジタル大辞泉)、

なぞもかく別れそめけん常陸なるかしまのおびの恨めしの世や(「散木奇歌集(1128頃)」)、

などとあり、

常陸國鹿島神社で、正月十四日の祭礼の日に、布帯に男女おのおのその意中の者の名を書いたものを神前に供え、禰宜がこれを結んで縁を定めた帯占、その結び方によって男女の縁のよしあしを占った、

もので(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、後世、

肥立帯の意にかけて、鹿島神宮から常陸帯の安産の守を授けるに至った、

とある(仝上)。

鹿島神宮 社殿全景.jfif

(社殿全景(本殿後背には神木) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E5%AE%AEより)

この由来は、

神功皇后(じんぐうこうごう 第十四代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后)が お腹に子を宿しながら、急逝された天皇に代わって三韓征伐(さんかんせいばつ)に行かれるとき、鹿島大神のご加護を願って腹帯を付けられました。凱旋帰国後、無事に応神天皇(おうじんてんのう 全国の八幡神社の主祭神)をお産みになり、その腹帯を常陸の国の鹿島神宮に進納されたと伝わっています、

とありhttp://www.kashimajinja.or.jp/yurai/、この腹帯が、

常陸帯(ひたちおび)、

と呼ばれるもので、現在も殿外不出の神宝として本殿に祀られ鹿島神宮の安産信仰の拠り所となっている(仝上)、とある。で、今日、安産祈願のお守りとなっている。

常陸帯.jpg

(常陸帯(鹿島神宮) https://kashimajingu.jp/smaregi_product/sr_product_50/より)

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:常陸帯 鹿島神宮
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2024年08月10日

うちつけに


うちつけにさびしくもあるかもみぢ葉も主(ぬし)なき宿は色なかりけり(古今和歌集)、

の、

うちつけに、

は、

急に、

の意とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

うちつけ、

は、

打付け、

と当て、

吹く風になびく尾花をうちつけに招く袖かとたのみけるかな(貫之集)、

と、

副詞として、

うちつけに、

と、

突然に、
だしぬけに、
卒爾に、
端的に、
さしあてて、

といった意味(大言海・広辞苑)の状態表現から、価値表現に転じて、

さしもあだめき目馴れたるうちつけの好き好きしさなどは好ましからぬ御本性にて(源氏物語)、

と、

遠慮のないさま、
露骨、
むき出し、

といった意味(広辞苑)でも使う。

うちつけ、

の、

うち、

は、

打ち

で触れたように、接頭語として、動詞に冠して、

打ち興ずる、
打ち続く、

のように、

その意を強め、またはその音調を整える、

ほかに、

打ち見る、

のように、

瞬間的な動作であることを示す、

使い方をする(広辞苑)。

うちつけ、

は、後者になるが、

平安時代ごろまでは、打つ動作が勢いよく、瞬間的であるという意味が生きていて、副詞的に、さっと、はっと、ぱっと、ちょっと、ふと、何心なく、ぱったり、軽く、少しなどの意を添える場合が多い。しかし和歌の中の言葉では、単に語調を整えるためだけに使ったものもあり、中世以降は単に形式的な接頭語になってしまったものが少なくない、

とあり(岩波古語辞典)、

さっと(打ちいそぎ、打ちふき、打ちおほい、打ち霧らしなど)、
はっと、ふと(打ちおどろきなど)、
ぱっと(打ち赤み、打ち成しなど)、
ちょっと(打ち見、打ち聞き、打ちささやきなど)、
何心なく(打ち遊び、打ち有りなど)、
ぱったり(打ち絶えなど)、

といった意味でつかわれる。これが訛ると、

uti→buti→bunn、

と、

ぶつ、
ぶち、
ぶん、

となることもあり、

うちつけ、

も、

ぶっつけ、

と訛る。

下二段(自動詞下一段、他動詞下二段)の動詞、

打ち付く、

は、

打ち着く、

とも当て、文字通り、

天雲に羽うちつけて飛ぶ鶴(たづ)のたづたづしかも君しまさねば(万葉集)、

と、

打ち当てる、

意だが、

形容動詞なり活用(精選版日本国語大辞典)、

とも、

名詞(岩波古語辞典)、

ともあり、副詞としては、

うちつけに、

と使い、

うちつけの、
うちつけながら、
うちつけなる、

等々とも使う、

うちつけ、

は、

物をぱっと打ち付けるように瞬間的で、深い理由・考えもないさま、

という含意で、時間的な意味にシフトさせて、たとえば、

男、うちつけながら、いとたつ事をもがりければ(大和物語)、

と、

突然、唐突、だしぬけ、

の意や、

うちつけなるさまにやと、あいなくとどめ侍りて(源氏物語)、

と、

突然で失礼なさま、卒爾(そつじ)、ぶしつけ、

の意、

郭公(ほととぎす)人松山になくなれば我うちつけにこひまさりけり(古今和歌集)、

と、

ふとしたきっかけで、どうしようもなく、にわかに心の進むさま、

の意や、

さればうちつけに海は鏡のおもてのごとなりぬれば(土佐日記)、

と、

即座、てきめん、現金なさま、

の意、

うちつけにまどふ心ときくからに慰めやすくおもほゆるかな(大和物語)、

と、

軽率なさま、

うちつけに濃しとや花の色を見ん置く白露のそむる許(ばかり)を(古今和歌集)、

と、

ちょっと見、

の意と、心理的な唐突感へとシフトしていき、前述の、

うちつけのすきずきしさなどは、このましからぬ御本性にて(源氏物語)、

と、

むきだし、露骨、無遠慮、

と、価値表現へとシフトしていく(精選版日本国語大辞典)。さらには、後世には、

こりゃ、おまつどのには打ちつけぢゃわいの(歌舞伎「梅柳若葉加賀染(1819)」)、

ぴったりなさま、
よく似合うさま、

の意でも使うが、これは、後述の、

うちつけ、

の転訛、

打ってつけ、

で、今日も使う(仝上)。

うちつけ、

が、なまると、前述したように、

ぶっつけ(打付)、

となるが、これは、

ぶつける、

意から、

ぶっつけ本番、

のように、

いきなり、

の意や、

ぶっつけに物を言う、

と、

遠慮なし、

の意、

ぶっつけから失敗、

と、

最初、初め、

の意で使うのは、現代でもあるし、これがさらに、前述のように、

うってつけ(打付)、

となると、

「うつ(打)」の原義の、強く物事にあてる、釘で打ち付けたようにぴったり合う、

の意から、

もってこい、
あつらえむき、

の意になる(精選版日本国語大辞典)。

「打」.gif

(「打」 https://kakijun.jp/page/0569200.htmlより)


「打」 『説文解字』.png

(「打」 『説文解字』(後漢)  https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%93より)

「打」(唐音ダ、漢音テイ、呉音チョウ)は、

会意兼形声。丁は、もと釘の頭を示す□印であった。直角にうちつける意を含む。打は「手+音符丁」で、とんとうつ動作を表す、

とある(漢字源)が、

形声。「手」+音符「丁 /*TENG/」。「うつ」を意味する漢語{打 /*teengʔ/}を表す字、

(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%93)

形声。手と、音符丁(テイ)→(タ)とから成る。手で強く「うつ」意を表す、

も(角川新字源)、形声文字とする。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2024年08月09日

諒闇


水のおもにしづく花の色さやかにも君が御影の思ほゆるかな(新古今和歌集)、

の、

詞書に、

諒闇の年、池のほとりの花を見てよめる、

とある、

諒闇、

は、

天皇が父母の喪に服すこと、または、天皇の崩御による国全体の喪、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。なお、歌の、

しづく、

は、

沈く、

と当て、

水の底に沈み着くこと、

とある(岩波古語辞典)。

諒闇、

は、

ロウアン、
リョウアン、

と訓ませ(漢音リョウ、呉音ロウ)、

高宗諒闇三年不言、善之也(禮記・喪服篇)
高宗諒陰三年不言、何謂也(論語・憲問篇)、
諒闇既終(後漢書)、

等々、

諒陰、

ともいい、

亮闇、
亮陰、
涼陰、
梁闇、

等々とも当て(大言海・漢辞海)、

天子喪に在るの室、又、其の喪に在る閒の稱、

とあり(字源)、

天子が父母の藻に服したまふ期閒、

をいい(大言海)、

諒は信、闇は黙の義(字源・大言海)、
「諒」はまこと、「闇」は謹慎の意、「陰」はもだすと訓じ、沈黙を守る意(デジタル大辞泉)、
まことに暗しの意(広辞苑)、
「諒」はまこと、「闇」は謹慎の意、「陰」は「もだす」と訓じ、沈黙を守る意。一説に、「梁闇」の二字と同じで、むねとする木に草をかけたもので、喪中に住む小屋の意(精選版日本国語大辞典)、

などとあり、

物言わざること、謹慎の意、

である(大言海)。

中国に倣い、日本でも、

以諒闇(みおもひ)之際、盛福自由(綏靖即位前紀)、

と、

みおもひ、
みおものおもひ、
みあがりのほど、

などと呼び(大言海)、

倚盧(いろ 諒闇の期間天子が籠る仮の屋)にますこと十三日、心喪に服せらるるは一年、又、天子の御忌中、上下四民(士農工商)も心喪に服するものなり、

とある(仝上)。

諒闇、

の以上の由来から、転じて、

大神、岩戸を閉ぢさせ給て、世海、国土、常闇となて、りゃうあんなりしに、思はずに明白となる切心は(「拾玉得花(1428)」)、

と、

ひじょうに暗い、

意で使ったりする(精選版日本国語大辞典)。

「諒」.gif



「諒」 『説文解字』.png

(「諒」 『説文解字』(後漢)  https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AB%92より)

「諒」(漢音リョウ、呉音ロウ)は、

会意兼形声。「言+音符京(キョウ・リョウ=亮 あきらか)」。明らかに物を言う、転じてはっきりわかること、

とある(漢字源)。「亮」と同義で、「まこと」「偽りのない真実」「明白なこと」の意、「諒(=了)承」「諒(=了)解」と、是認する意、転じてあっさり認めること意である(仝上)。

しかし、

形声。「言」+音符「京 /*RANG/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AB%92

形声。言と、音符京(ケイ、キヤウ)→(リヤウ)とから成る。相手の意を思いはかる、転じて「まこと」の意を表す(角川新字源)、

形声文字です(言+京)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつし(慎・謹)んで)言う」の意味)と「高い丘の上に建つ家の象形」(「都(みやこ)」の意味だが、ここでは「量(リョウ)」に通じ(「量」と同じ意味を持つようになって)、「量(はか)る」の意味)から「相手の気持ちを量る」、「思いやる」、「まこと」を意味する「諒」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2740.html

と、他はいずれも、形声文字としている。

「闇」.gif



「闇」 『説文解字』.png

(「闇」 『説文解字』(後漢)  https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%97%87より)

「闇」(漢音アン、呉音オン)は、

会意兼形声。「門+音符音(オン・アン 口をとじて声だけ出す。ふさぐ)」で、入口を閉じて、中を暗くふさぐこと。暗とまったく同じ言葉、

とあり(漢字源)、「門を閉める」意から、「闇夜(=暗夜)」と、「暗い」意である。しかし、

かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%97%87

形声。「門」+音符「音 /*ɁUM/」。「門をとじる」を意味する漢語{闇 /*ʔuums/}を表す字。のち仮借して「やみ」を意味する漢語{闇 /*ʔuums/}に用いる、

も(仝上)、

形声。門と、音符音(イム)→(アム)とから成る。門を「とじる」意を表す。転じて「くらい」意に用いる、

も(角川新字源)、

形声文字です(門+音)。「左右両開きになる戸」の象形(「門」の意味)と「取っ手のある刃物の象形と口に一点加えた文字」(「音」の意味だが、ここでは、「暗」に通じ(「暗」と同じ意味を持つようになって)、「暗い」の意味)から、「門を閉じて暗くする」、「暗い」、「光がない」を意味する「闇」という漢字が成り立ちました、

https://okjiten.jp/kanji2193.html、いずれも、形声文字とする。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2024年08月08日

空おぼれ


さみだれは空おぼれするほととぎす時に鳴く音は人も咎めず(新古今和歌集)、

の、

空おぼれ、

は、

空とぼけること、

とあり、

さみだれの縁語、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

空おぼれ、

は、

物などいふ若きおもとの侍を、そらおぼれしてなむかくれまかりありく(源氏物語)、

と、

わざととぼけたさまをよそおうこと、

つまり、

空とぼけ、

の意である(広辞苑)。なお、「とぼける」については触れた。また、

御心のやうにつれなく、そらおぼめきしたるは、世にあらじな(源氏物語)、

と、

そらおぼめき、

というのも同義とある(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)が、

虚(そら)に、おぼめくこと、
知らぬ顔をすること、

とある(大言海)ので、微妙に意味がずれるようだ。

おぼめく、

は、

朧(おぼ)めく意か(大言海)、
オボはオボロ(朧)のオボと同根。メクは、春メク・秋メクのメクと同じで、それらしい様子を表す(岩波古語辞典)、

などとあり、

ぼんやりした、はっきりしない状態、動作、

を表わす(精選版日本国語大辞典)。で、

ゆめのごとおぼめかれゆく世の中に何時(いつ)訪はむとかおとづれもせぬ(後拾遺)、

と、

はっきりしない、
たしかでない、
ぼんやりする、

意で(広辞苑・大言海)、主体の気持に転じて、

いかなることかあらむとおぼめく(源氏物語)、

と、

気がかりに思う、
不審に思う、

意や、

いかに聞こしめしたるにか、おぼめかせ給ふにも(かげろふ日記)、

と、

ほのめかす、
ぼんやりあらわす、

意でも使い(岩波古語辞典)、そこからさらに、

わかやかなるけしきどもして、おぼめくなるべし、ほととぎす言問ふ声はそれなれどあなおぼつかなさみだれの空(源氏物語)、

と、

知っていながらよくわからないようなふりをする、
そらとぼける、

意でも使う(岩波古語辞典・広辞苑)ので、

そらおぼめき、

は、

そら、

で、その「ことさら」ぶりを強調している感じになる。

空がらくる

で触れたように、

空(そら)、

は、

天と地との間の空漠とした広がり、空間、

の意だが(岩波古語辞典)、

アマ・アメ(天)が天界を指し、神々の国という意味を込めていたのに対し、何にも属さず、何ものもうちに含まない部分の意、転じて、虚脱した感情、さらに転じて、実意のない、あてにならぬ、いつわりの意、

とあり(仝上)、

虚、

とも当てる(大言海)。で、由来については、

反りて見る義、内に対して外か、「ら」は添えたる辞(大言海・俚言集覧・名言通・和句解)、
上空が穹窿状をなして反っていることから(広辞苑)、
梵語に、修羅(スラ Sura)、訳して、非天、旧訳、阿修羅、新訳、阿蘇羅(大言海・日本声母伝・嘉良喜随筆)、
ソトの延長であるところから、ソトのトをラに変えて名とした(国語の語根とその分類=大島正健)、
ソラ(虚)の義(言元梯)、
間隙の意のスの転ソに、語尾ラをつけたもの(神代史の新研究=白鳥庫吉)、

等々諸説あるが、どうも、意味の転化をみると、

ソラ(虚)

ではないかという気がする。それを接頭語にした「そら」は、

空おそろしい、
空だのみ、
空耳、
空似、
空言(そらごと)、
空惚け(そらぼけ・とらとぼけ・そらぼれ)、
空おぼれ、
空腕、
空心、
空言、

等々、いずれも、

何となく、
~しても効果のない、
偽りの、
真実の関係のない、
かいのないこと、
根拠のないこと、
あてにならないこと、
徒なること、

などと言った意味で使う(広辞苑・岩波古語辞典・大言海)。

なお、

空おぼれ、

には、

空とぼけ、

の意の他に、それが常態と見なして、後世、

人違(ひとたがへ)なりけるかと、なみならず驚くものから、惘然(ソラオボレ)して立在(たたずむ)折から(読本「手摺昔木偶(1813)」)、

と、

気ぬけすること、
あっけにとられること、

の意でも使う例がある(精選版日本国語大辞典)。こうみてくると、

空おぼれ、

の、

おぼれ、

は、

空おぼめき、

の、

おぼ、

と同じで、

おぼろ(朧)、

の、

おぼ、

ではないかと思われる。

おぼろ、

の、

おぼ、

は、

オボホレ(溺)・オボメクのオボと同根。ロは状態を示す接尾語、

とある(岩波古語辞典)、

ぼんやりしているさま、
はっきりしないさま、

の、

おぼ、

である(仝上)。

「空」.gif


「空」(漢音コウ、呉音クウ)は、「空がらくる」で触れたように、

会意兼形声。工は、尽きぬく意を含む。「穴+音符工(コウ・クウ)」で、突き抜けて穴があき、中に何もないことを示す、

とある(漢字源)。転じて、「そら」の意を表す(角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(穴+工)。「穴ぐら」の象形(「穴」の意味)と「のみ・さしがね」の象形(「のみなどの工具で貫く」の意味)から「貫いた穴」を意味し、そこから、「むなしい」、「そら」を意味する「空」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji99.html

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2024年08月07日

はつか


跡をだに草のはつかに見てしかな結ぶばかりのほどならずとも(新古今和歌集)、

の、

はつか、

は、

僅か、

と当て、

わずか、
いささか、

の意とある(広辞苑)。

はつか、

の、

はつ、

は、

ハツ(初)と同根(岩波古語辞典)、
「はつはつ」と同語源で、「か」は接尾語(精選版日本国語大辞典)、

とあるが、

はつはつ、

は、

ハツ(初)と同根、

とあり(岩波古語辞典)、同じことを言っているようである。

はつはつ、

は、

波都波都(ハツハツ)に人を相見ていかにあらむいづれの日にかまたよそに見む(万葉集)、

と、

あることが、かすかに現われるさま、
ちょっと行なわれるさま、

の意で、副詞的にも用い、

ほんのちらっと、

の意で、

はつか、

と同義(精選版日本国語大辞典)とある。

はつか、

は、

春日野の雪間をわけて生ひいでくる草のはつかに見えし君はも(古今和歌集)、

と、

物事のはじめの部分がちらりと現われるさま、
瞬間的なさま、
かすか、
ほのか、

の意で、特に、

視覚や聴覚に感じられる度合の少ないさまを表わす、

とある(仝上・岩波古語辞典)。それが、時間的な表現にシフトして、

今宵の遊びは長くはあらで、はつかなるほどにと思ひつるを(源氏物語)、

と、少しの時間であるさまの、

しばらくの間、
ちょっと、

の意で使い(仝上)、その、

少し、

を、

わずか(僅か)、

と混同して、量的にシフトさせ、

其勢はつかに十七騎(平家物語)、

と、分量の少ないさまの、

ほんの少し、
わずか、

の意で用いるに至る(仝上)。

ハツ、

は、事物の周縁部を意味する語ハタ(端)と母音交替の関係にあるものか。上代にはハツカの例は見出せないが、ハツカと共通の形態素を持ち、意味的にも関連性が認められるハツハツが視覚に関して使用されることが多いという傾向が認められるので、ハツカの原義は、物事の末端を視覚的にとらえたさまを表わすところにあったと推測される。この点で、物事の分量的な少なさを表わすワヅカとの意味上の差異は明確であるが、後世には両語を混同して用いることも多くなる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「僅」.gif


「僅」(漢音キン、呉音ゴン)は、

会意兼形声。堇(キン)は、火の上で動物の皮革をかわかすさまを示す会意文字。もと乾(カン)・艱(カン ひでり)と同系で、かわいて水分がとぼしくなることから、ほとんどないの意に転じ、わずかの意となる。僅はそれを音符とし、人をそえた字で、ほとんどない、わずかの意を含む、

とある(漢字源)が、

形声。「人」+音符「堇 /*KƏN/」。「わずか」を意味する漢語{僅 /*ɡrəns/}を表す字、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%83%85

形声。人と、音符堇(キン)とから成る。才能がおとっている意を表す。転じて「わずか」の意に用いる、

も(角川新字源)、

形声文字です(人+菫)。「横から見た人」の象形と「腰に玉を帯びた人の象形(「黄色」の意味)と土地の神を祭る為に、柱状に固めた土の象形」(「黄色のねば土」の意味だが、ここでは、「斤(キン)・巾(キン)」に通じ、「小さい」の意味)から、才能の劣る人の意味を表し、そこから、「わずか」、「少し」を意味する「僅」という漢字が成り立ちました、

https://okjiten.jp/kanji2094.html、形声文字とする。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:はつか 僅か
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2024年08月06日

がに


泣く涙雨と降らなむ渡り川水まさりなば帰りくるがに(古今和歌集)、

の、

渡り川、

は、

三途の川(三つ瀬の川)、

を指し、

がに、

は、

命令や願望の表現をうけて、理由や目的を表す、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

がに、

は、

上代の終助詞「がね」から(大辞林)、
一説に「がね」の方言的転化という(広辞苑)、

などとあり、

おもしろき野をばな焼きそ古草に新草(にいくさ)まじり生ひは生ふる我爾(ガニ)(万葉集)、

と、

「がね」の上代東国方言、

であるらしい。平安時代には、都でも使われた(岩波古語辞典)とある。

動詞・助動詞の連体形に付き、願望・命令・禁止などを表す文と共に使われ、その理由・目的、

を表し、

…するだろうから、
…するように、

の意で使われる(広辞苑)。

がね、

は、

ますらをは名をし立つべし後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐがね(万葉集)、

と、動詞の連体形に付き、

願望・命令・意志などの表現を受けて、目的・理由、

を表し、

之根(ガネ)の義、云々せしむ、其れが根本と云ふ意より転じて、其れが為にの意となる、

とあり(大言海)、

…するように、
…するために、
…の料であるから、

の意で使われる(デジタル大辞泉・岩波古語辞典)。

将来に対する判断・意志決定の根拠を示す、

とあり(岩波古語辞典)、

梅の花我は散らじあをによし奈良なる人の来つつみるがね(万葉集)、

と、

二つの文があって、はじめの文の終わりに表明された意志・命令の、理由・目的を示すために、後の文の文末に置かれる、

とある(岩波古語辞典)。中古以降の、

がに、

は、この上代の「がね」を母胎として、ほぼその意味・用法を継承しているが、それはさらに、

ゆふぐれのまがきは山と見えななむ夜はこえじと宿りとるべく(古今和歌集)、

のような同様の表現効果を持つ、「べし」の連用止めの用法にとって代わられるようになり、中世以降は擬古的な用例に限られる(精選版日本国語大辞典)とある。

なお、

がに、

には、いまひとつ、

之似(ガニ)の義、何々に似るばかりに、

の意とする(大言海)、連体形接続の、

がに、

とは意味・用法が異なる、

わが屋戸(ヤド)の夕影草の白露の消(ケ)ぬがにもとな思ほゆるかも(万葉集)、
秋田苅る借廬もいまだ壊(コホ)たねば雁が音寒し霜も置きぬがに(万葉集)、

と使われる、

終止形接続の助詞、

があり、

自然に推移する意の自動詞や、自然にそうなってしまう意の助動詞「ぬ」、

を承けることが多く、

ぬがに、

の形をとる(広辞苑・デジタル大辞泉・岩波古語辞典)。

疑問の助詞「か」と格助詞「に」との結合、

とされ(岩波古語辞典・仝上)、下の動作の程度を様態的に述べるのに用いられる。

…せんばかりに、
…するかのように、
…しそうに、

等々の意で使われる(仝上)。

がね、

が、

中古以降は、終止形接続の副助詞「がに」を吸収する形で連体形接続の「がに」に変化する、

とある(精選版日本国語大辞典)が、中古以降の「がに」は、上代の「がね」の語義・用法をほぼそのまま受け継いでいる(仝上)ともある。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ラベル:がに がね
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2024年08月05日

帚木(ははきぎ)


園原(そのはら)や伏屋(ふせや)に生(お)うる帚木(ははきぎ)のありとは見えて逢はぬ君かも(新古今和歌集)、

の、

帚木、

は、

遠くから森の中に帚のような梢が見えるが、近付くと森の他の木々にまぎれて見えなくなるという、伝説の木、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

園原や伏屋、

は、

信濃國の枕詞、

であり(仝上)、上記伝説の木は、

信濃国(長野県)園原、

にあるとされた(精選版日本国語大辞典)。

帚木、

は、

ははきぎ、

と訓ませるが、

はわきぎ、

と訓ませた時代もあり(仝上)、

ははきぎをまたすみがまにこりくべてたえしけぶりのそらにたつなは(「元良親王集(943頃)」)、

と、

ほうきぎ(箒木)、

つまり、

ホウキグサ(帚草)、

に同じ(大言海・仝上)とある。また、冒頭の歌のように、

信濃国(長野県)園原(そのはら)にあって、遠くからはほうきを立てたように見えるが近寄ると見えなくなるという伝説上の樹木、

の意でもあり、転じて、

情けがあるように見えて、実のないこと、
姿は見えるのに会えないこと、

また、

見え隠れすること、

等々のたとえとして使われる(仝上)。

また、語頭の二音が同じところから

大后の宮、天の下に三笠山と戴かれ給ひ、日の本には、ははきぎと立ち栄えおはしましてより(「栄花物語(1028~92頃)」)、

と、

母の意にかけていう、

とある(仝上)。

ホウキギ、

については「玉箒(たまはばき)」で触れたように、

玉箒、

は、

玉箒刈り来(こ)鎌麻呂(かままろ)室(むろ)の樹と棗(なつめ)が本(もと)とかきは(掃)かむため(万葉集)、

と、

ゴウヤボウキ、
または、
ホウキグサ、

の古名であり、

ホウキグサ、

は、

ほうきぎ(箒木)、

といい、古名、

ハハキギ、

で、

アカザ科の一年草、中国原産。茎は直立して高さ約1メートルとなり、下部から著しく分枝し、枝は開出する。これで草箒(くさぼうき)をつくるのでホウキギの名がある。葉は互生し、倒披針(とうひしん)形または狭披針形で長さ2~4.5センチメートル、幅3~7センチメートル、基部はしだいに狭まり、3脈が目だち、両面に褐色の絹毛がある。雌雄同株。10~11月、葉腋(ようえき)に淡緑色で無柄の花を1~3個束生し、大きな円錐(えんすい)花序をつくる。花被(かひ)は扁球(へんきゅう)形の壺(つぼ)状で5裂し、裂片は三角形、果実期には、花被片の背部に各1個の水平な翼ができて星形となる。種子は扁平(へんぺい)な広卵形で、長さ1.5ミリメートル、

とある(日本大百科全書)。

なお、「ほうき」については触れた。

「帚」.gif


「帚」(慣用ソウ、漢音シュウ、呉音ス)は、「玉箒(たまはばき)」で触れたように、

象形、柄つきのほうきうを描いたもので、巾(ぬの)には関係がない。巾印は柄の部分が変形したもの。掃(ソウ はく)・婦(ほうきをもつ嫁)の字の右側に含まれる、

とある(漢字源)。「箒」(慣用ソウ、漢音シュウ、呉音ス)は、帚の異体字である。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2024年08月04日

伊勢の浜荻


神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に(読人しらず)

の、

伊勢の浜荻、

は、

蘆に同じとされる、

とあり(新古今和歌集)、

浜に生える荻とする説もある、

とある(仝上)。原歌は、萬葉集の、

碁檀越(ごだんおち)が伊勢の国に行ったときに、留守をしていた妻が作った歌(碁檀越徃伊勢國時留妻作歌一首)、

神風之伊勢乃濱荻折伏客宿也将為荒濱邊尓(神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に)、

である(仝上)。

伊勢の浜荻、

は、

伊勢の国の浜地に生える荻、

の意だが、萬葉集に詠まれた、

伊勢の浜荻、

を、古くから、

アシと誤る俗説があり、

住吉社歌合の俊成の判詞にも、

伊勢島には浜荻と名付くれど、難波わたりには蘆とのみ言ひ、吾妻の方には葭(よし)といふなる、

とある(岩波古語辞典)。ために、

草の名も所によりて変るなり難波の蘆(あし)は伊勢の浜荻(菟玖波集)、
伊勢の浜荻名を変へて、葦(よし)といふも蘆(あし)といふも、同じ草なり(謡曲「歌占(1432頃)」)、

と、俗に、

蘆の異名、

として使っている(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。江戸後期の歌論書『歌袋』に、

御抄(八雲御抄 鎌倉初期の歌学書)、竝に童蒙抄(藤原範兼 平安末期)に、伊勢國にては蘆を濱荻と云ふなどと云へるは、誤りなり、

とある(大言海)。しかし、この誤解から、

風俗・習慣などは、土地によって違うことのたとえ、

として、

難波の葦は伊勢の浜荻、

という諺も生まれている(故事ことわざの辞典)。

オギ.jpg



オギの穂.jfif


荻(オギ)、

は、和名類聚抄(931~38年)に、

荻、乎木(おぎ)、

とあり、

イネ科の多年草。各地の池辺、河岸などの湿地に群生して生える。稈(かん)は中空で、高さ一~二・五メートルになり、ススキによく似ているが、長く縦横にはう地下茎のあることなどが異なる。葉は長さ四〇~八〇センチメートル、幅一~三センチメートルになり、ススキより幅広く、細長い線形で、下部は長いさやとなって稈を包む、秋、黄褐色の大きな花穂をつける、

とある(精選版日本国語大辞典)。

おぎよし、
ねざめぐさ(寝覚草)、
めざましぐさ(目覚し草)、
かぜききぐさ(風聞草)、
風持草、
文見草、

等々の異名がある(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。

ススキ.jpg


ススキ、

によく似ているが、

オギは地下茎で広がるために株立ちにならない(ススキは束状に生えて株立ちになる)、

ため、

茎を1本ずつ立てる、

し、ススキと違い、

オギには芒(のぎ)がない、

うえ、

ススキが生えることのできる乾燥した場所には生育しないが、ヨシよりは乾燥した場所を好む。穂はススキよりも柔らかい、

という違いがあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AE

芒をもつライムギの小穂.jpg

(芒をもつライムギの小穂 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%92より)

芒(のぎ)、

は、コメ、ムギなどイネ科の植物の小穂を構成する鱗片(穎)の先端にある棘状の突起のこと、

をいい、

のげ、
ぼう、
はしか、

とも言う。ススキのことを芒とも書くが、オギ(荻)には芒がないhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%92

をぎ(荻)、

の由来は、

霊魂を招き寄せるということから、ヲグ(招)の意(花の話=折口信夫)、
招草の意、風になびく形が似ているところから(古今要覧稿)、
風に吹かれてアフグところから、アフギの約(本朝辞源=宇田甘冥)、
オは大、キはノギ(芒)のある意(東雅)、
ヲキ(尾草)の義(言元梯)、
ヲギ(尾生)の義(名言通)、
ヲソクキ(遅黄)パムの略語(滑稽雑誌所引和訓義解)、

等々とある。

すすき(薄、芒)、

については、由来も含めて、「尾花」で触れたが、
「すすき」の語源説は、

ススは、スクスクと生立つ意、キは、木と同じく草の體を云ふ、ハギ(萩)、ヲギ(荻)と同趣。接尾語「キ」(草)は、芽萌(きざ)すのキにて、宿根より芽を生ずる義ならむ。萩に芽子(ガシ)の字を用ゐる。ヲギ(荻)、ハギ(萩)、
ヨモギ(艾)、フフキ(蕗)、アマキ(甘草)、ちょろぎ(草石蠶)、等々(大言海・日本語源広辞典)、
「スス」は「ササ(笹)」に通じ、「細い」意味の「ささ(細小)」もしくは「ささ(笹)」の変形、キは葉が峰刃のようで人を傷つけるから(東雅・語源由来辞典)、
スス(細かい・細い)+キ(草)、細かい草の意(日本語源広辞典)、
スは細い意で、それが叢生するところからススと重ねたもの、キは草をいう(箋注和名抄)、
ススキ(進草)の義(言元梯)、
スス(進)+クの名詞化、花穂がぬきんでて動く(すすく)意、つまり風にそよぐ草の意(日本語源広辞典)、
煤生の訓(関秘録)、
スはススケル意、キはキザスの略か(和句解)、
スクスククキ(直々茎)の義(名語記・日本語原学=林甕臣)、
茎に紅く血の付いたような部分があるところから、血ツキの轉(滑稽雑誌所引和訓義解)、
秋のスズシイときに花穂をつけるところから、スズシイの略(日本釈名)、
サヤサヤキ(清々生)の義(名言通)、
中空の筒状のツツクキ(筒茎)といい、ツの子交[ts]、茎[k(uk)i]の縮約の結果、ススキ(薄)になった(日本語の語源)、

等々多いが、理屈ばったもの、語呂合わせを棄てると、

すすき、

の、

すす、

は、

「ササ(笹)」に通じ、「細い」意味の「ささ(細小)」もしくは「ささ(笹)」の変形、

で、「き」は、

草、

と当てる接尾語、

ヲギ(荻)、ハギ(萩)、ヨモギ(艾)、フフキ(蕗)、アマキ(甘草)、

等々の「き」「ぎ」に使われているものと同じ、と見るのが妥当かもしれない。とみると、

をぎ(荻)、

の、

き、

も同様と考えれば、

を、

は、

おほ(大)の対の「を」(小)、
を(尾)、
を(緒)、

のいずれかだろう(岩波古語辞典)が、ま、

尾、

とするのが無難な気がする。

「荻」.gif


「荻」(漢音テキ、呉音ジャク)は、

会意兼形声。「艸+音符狄(低く刈りたおす、低くふせる)」、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(艸+狄)。「並び生えた草」の象形と「耳を立てた犬の象形と人の両脇に点を加えた文字(「脇、脇の下」の意味)」(「漢民族のわきに住む異民族(価値の低い民族)」の意味)から、稲と違って価値の低い草「おぎ」を意味する「荻」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2686.html

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2024年08月03日

しながどり


しなが鳥猪名(ゐな)野をゆけば有馬山ゆふ霧立ちぬ宿はなくして(新古今和歌集)、

の、

しなが鳥、

は、

猪名(ゐな)にかかる枕詞、

とあり、

猪名野、

は、

摂津國の枕詞、現在の兵庫県伊丹市を中心に、川西市・尼崎市にまたがる猪名川流域の地、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。この原歌は、萬葉集の、

しなが鳥猪名野を来れば有馬山夕霧立ちぬ宿りはなくて(一本に云ふ、猪名の浦廻(うらみ)を漕ぎ来れば)、

とある(仝上)。

しなが鳥、

は、

息長鳥、

と当て、

カイツブリの別名、

つまり、

にほどり

とも(広辞苑・大言海)、あるいは、

ひどりがも(緋鳥鴨)の異名、

とも(精選版日本国語大辞典)、また歌語としては、

イノシシの異名、

ともあり(日葡辞書)、枕詞としては、

雌雄が居並ぶからともいい、シリナガドリ(尻長鳥)の約と見て、それが「居る」の意からとも、また雌雄が率ゐる(相率いる)意からとも言い、

大海(おほうみ)にあらしな吹(ふ)きそしなが鳥(どり)猪名(ゐな)の港(みなと)に舟(ふね)泊(は)つるまで(万葉集)、

と、同音を持つ地名、

猪名(いな)、

に、また、水に潜って出てきたときの息をつぐ声から、

しなが鳥 安房(あは)に継ぎたる 梓弓(あづさゆみ) 末(すゑ)の珠名(たまな)は 胸別(むなわけ)の ひろき吾妹(わぎも)(万葉集)、

と、

あは(安房)、

にかかる(仝上・デジタル大辞泉・岩波古語辞典)。

猪名野(摂津名所図会) .jpg

(猪名野(いなの)(摂津名所図会) https://saigyo.sakura.ne.jp/inano.htmlより)

しながどり、

の、

し、

は、

息(いき)、

此の鳥、水底より浮び出て阿阿と息つきの長き意、

とあり(大言海)、

し(息)、

は、

複合語になった例だけ見える、

とあり、また、

しな(科長)戸の風の天の八重雲吹き放つ事の如く(祝詞・大祓詞)、

と、

風、

の意もある(岩波古語辞典)。

カイツブリ.jpg


かいつぶり、

については、「にほどり」で触れたように、

鳰(にお)、
鸊鷉(へきてい)、
鸊鵜(へきてい)、
かいつむり、
いっちょうむぐり、
むぐっちょ、
はっちょうむぐり、
息長鳥(しながどり)、

等々とも呼び、室町時代、

カイツブリ、

と呼ぶようになる。

「息」.gif

(「息」 https://kakijun.jp/page/1095200.htmlより)

「息」(漢音ショク 呉音ソク)は、

会意文字。「自(はな)+心」で、心臓の動きにつれて、鼻からすうすうといきをすることを示す。狭い鼻孔をこすって、いきが出入りすること。すやすやと平静にいきづくことから、安息・生息の意となる。また、生息する意から、子孫をうむ→むすこの意ともなる、

とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%81%AF・角川新字源)。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2024年08月02日

われから


海人(あま)の刈る藻にすむ虫のわれからと音をこそなかめ世をばうらみじ(古今和歌集)、

の、

われから、

は、

海藻などに棲みつく小さな節足動物、

とあり、

我から、

を掛ける(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

沖つ波うつ寄するいほりしてゆくへさだめぬわれからぞこは(古今和歌集)、

の、

われから、

も、

虫の名の「割殻」と「我から」を掛けている(仝上)。

トゲワレカラ.jpg

(トゲワレカラ(日本大百科全書より)

われから、

は、

割殻、
破殻、

と当て(広辞苑・デジタル大辞泉)、

軟甲綱端脚目ワレカラ科 Caprellidaeに属する種類の総称、

とあるが、

端脚(ヨコエビ)目ワレカラ亜目 Caprellidea、

を総称してワレカラと呼ぶこともある(ブリタニカ国際大百科事典・日本語源大辞典・広辞苑)。

500種以上知られており、全て海産、特に岩礁の海藻やコケムシ類・ヒドロムシ類などに付着して生活、定置網の間などにもいる、

とある(仝上)。

身体はきわめて細い円筒状で、シャクトリムシに似て、体長1~4センチメートル前後。頭部と7胸節からなる。胸部は7節からなり、第3、4節を除く各節から細長い付属肢が一対ずつ伸びる。第2節のものははさみ状。前足は特に大きくカマキリに似る。頭部・腹部は小さく、胸部の後6節が著しく伸長。多くの種で第4・5節には胸部付属肢はない。身体を屈伸して運動する、

という(仝上・デジタル大辞泉)。ワレカラ科Caprellidaeに属するものを呼ぶことが多いとされ、ワレカラ科は日本からは約60種知られ、たとえば、

マルエラワレカラCaprella acutifrons、

は、体長1~3cm。えらは円形。体色はすむ海藻などで異なる。浅海の海藻や定置網の漁網などに着き、ふつうに見られる。

クビナガワレカラC.aequilibra、

は、体長1cm内外。世界的に広く分布し、日本各地で見られる。

オオワレカラC.kroeyeri、

は、北方系で、ワレカラ中最大、体長6cmくらいになる。

ワレカラモドキProtella gracilis、

は、

浅海のヒドロ虫や海藻の間にすみ、体長2cmくらい(世界大百科事典)とある。

われから、

の和名は、

割れ殻、

の意で(岩波古語辞典)、

乾くにしたがいその体が割れるから、

という(広辞苑・デジタル大辞泉・日本語源大辞典)。

「殻」.gif



「殼」.gif

(「殼」 https://kakijun.jp/page/9F76200.htmlより)

「殼(殻)」(漢音カク、呉音コク)は、

会意兼形声。「殳(動詞の記号)+音符壳(貝がらをひもでぶらさげたさま)」で、かたいからを、こつこつたたくこと、

とあり(漢字源)、

会意兼形声文字です(壳+殳)。「中が空になっている物」の象形と「手に木のつえを持つ」象形(「うつ・たたく」の意味)から、「たたいて実を取り出した、から」を意味する「殻」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1416.htmlが、

形声。「殳」+音符「𡉉 /*KOK/」。「たたく」「うつ」を意味する漢語{殼 /*khrook/}を表す字。のち仮借して「から」を意味する漢語{殼 /*khrook/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AE%BC

形声。殳と、音符(カウ)→𡉉 (カク)(壳は変わった形)とから成る。上から下へ打ちおろす意を表す。借りて「から」の意に用いる(角川新字源)、

も、形声文字としている。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2024年08月01日

いとなし


あはれともうしともものを思ふときなどか涙のいとなかるらむ(古今和歌集)、

の、

いとなかる、

は、

暇(いと)なしの連体形「いとなかる」と「流る」の掛詞、

とし、

いと、

が、

「流る」を修飾するという説はとらない、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)のは、

いと、

を、

いと+流る、

と見て、

たいそう、
はなはだしく、

の意とする説があるhttps://blog.goo.ne.jp/s363738n/e/ecfc49311cb873a05694c55ce8440cf2からである。

いとなし、

は、

暇無し、

と当て、

一歳(ひととせ)に二度(ふたたび)も来(こ)ぬ春なればいとく今日は花をこそ見れ(後拾遺)、

と、

休むひまがない、
絶え間がない、
忙しい、

の意で、

(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、

と、ク活用である(広辞苑・学研全訳古語辞典)。

いとなし、

の、

いと、

は、

暇(いとま)、

の意(精選版日本国語大辞典)で、状態表現の、

絶え間ない、

の意の外延から、

少しばかり、

という価値表現でも使うようだ(大言海)。

いとなし、

は、要するに、

暇(いとま)なし、

と同義になる(仝上)。

いとまなし、

は、

暇無し、

と当て、

ひさかたの月は照りたり伊刀麻奈久(イトマナク)海人(あまの)漁火(いざり)はともし合へり見ゆ(万葉集)、

と、

絶え間がない、
とぎれる時がない、
ひっきりなし、

という状態表現の意から、

いとまなしや。姫松もつるもならびてみゆるにはいつかはみかのあらんとすらんと書き給ふ(宇津保物語)、

と、価値表現へとシフトし、

落ち着く時がない、
気ぜわしい、
くつろげない、
いとまあらず、

の意、さらに、

家に貧しき老母有り、只我独(ひとり)して彼を養ふ。孝養するに暇无し(今昔物語集)、

と、

物事をなしとげるには必要な時間が足りない、
時間のゆとりがない、
余裕がない、

の意で使う(精選版日本国語大辞典)。

いとまなし、

の、

イトはイトナム(營)・イトナシ(暇無)のイトと同根。休みの時の意。マは間。時間についていうのが原義。類義語ヒマは割目・すき間の意から転じて、する仕事がないこと、

とあり(岩波古語辞典)、

いとなむ

は、

イトナ(暇無)シ、

に由来し、

形容詞イトナシ(暇無)の語幹に動詞を作る接尾語ムのついたもの。暇がないほど忙しくするのが原義。ハカ(量)からハカナシ・ハカナミが派生したのと同類、

とあり(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)、

営む、

と、

「營」の字を当てるが、測るとかつくる、などという抽象的なことではなく、ただ、

忙しく仕事をする、
暇がないほど忙しい、

という状態表現にすぎなかったとみられる。

いとなし(暇無し)、

自体が、上述のように、

休む間がない、たえまない、

という意で、

ひぐらしの声もいとなく聞ゆる、

というようなたんなる状態表現であったことから由来している(「はか」については触れた)。

なお、「いとま」については触れたし、

「いとま」=時間、

と区別する、

「ひま」=空間、

の「ヒマ」についても触れた。

「暇」.gif

(「暇」 https://kakijun.jp/page/1360200.htmlより)

「暇」 『説文解字』.png

(「暇」 『説文解字』(後漢・許慎)  https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9A%87より)

「暇」(漢音カ、呉音ゲ)は、

会意兼形声。右側の叚(音カ)は「かぶせる物+=印(下にいた物)」の会意文字で、下に物を置いて、上にベールをかぶせるさま。暇はそれを音符とし、日を加えた字で、所要の日時の上にかぶせた余計な日時のこと、

とあり(漢字源)、また、

会意兼形声文字です(日+叚)。「太陽」の象形と「削りとられた崖の象形と未加工の玉の象形と両手の象形」(「岩石から取り出したばかりの未加工の玉」の意味)から、かくれた価値を持つひまな時間を意味し、そこから、「ひま」を意味する「暇」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1290.htmlが、

形声。「日」+音符「叚 /*KA/」。「空き時間」「隙間の時間」を意味する漢語{暇 /*graas/}を表す字、

(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9A%87

形声。日と、音符叚(カ)とから成る。「ひま」の意を表す、

も(角川新字源)、形声文字とする。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年07月31日

葦鶴


住の江のまつほど久(ひさ)になりぬれば葦鶴(あしたづ)の音になかぬ日はなし(古今和歌集)、

の、

葦鶴、

は、

もともと葦の生えた水辺にいる鶴の意味だったが、古今集時代には、鶴の歌語。鶴も長寿の鳥として、しばしば松とともに詠まれた、

とあり、

松は、常緑であることによって、長い時間を連想させる、

とある。(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

葦鶴、

は、

葦の生えている水辺によくいるところ、

から、

鶴の異名、

だが(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)、

葦鶴の、

は、

鶴(つる)が鳴くように泣く、

の意から、

君に恋ひいたもすべ無み蘆鶴之(あしたづの)ねのみし泣かゆ朝夕(あさよひ)にして(万葉集)、
住江のまつほど久になりぬればあしたづのねになかぬ日はなし(古今和歌集)、

と、

ね泣く、

にかかる枕詞である(仝上)。

葦蟹、
葦鴨、

も、

同様に、

葦辺に居るに因りて、呼び馴れたる語なり、

とある(大言海)。

あしたづ、

の、

たづ、

は、

「万葉集」では「たづ」は「つる」に対する歌語として使われていたと考えられ、平安時代以降もそれは変らない。「あしたづ」の例も基本的には歌語と認められ、歌学書にも鶴の異名として登録される、

とある(日本語源大辞典)。

あし、

は、

葦、
蘆(芦)、
葭、

と当てる、

イネ科の多年草。水辺に群生し、根茎は地中を長くはい、茎は中空の円柱形で直立し、高さ二~三メートルに達する。葉は長さ約五〇センチメートルの線形で縁がざらついており、互生する。秋、茎頂に多数の小花からなる穂をつける。穂は初め紫色で、のち褐色にかわる。若芽は食用となり、茎は葭簀(よしず)材や茅葺き屋根、製紙の原料になる。根茎は漢方で蘆根(ろこん)といい、煎汁(せんじゅう)は利尿、止血、解毒などのほか、嘔吐(おうと)をおさえるのにも用いられる、

とあり(精選版日本国語大辞典・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%97)、

安之(アシ)の葉に夕霧たちて鴨がねの寒きゆふへしな(汝)をばしのはむ(万葉集)、

と、

悪し、

と発音が同じため、後世、

ヨシ、

と言い換えられて定着し、学術的に用いられる和名もヨシとなっている(仝上)。

あし、

の由来は、

初めの意のハシの義。天地開闢の時、初めて出現した神の名をウマシアシカビヒコヂノ神といい、国土を葦原の国といった日本神話に基づく(日本釈名・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、
水辺の浅い岸にはえる草であるところから、アサ(浅)の転語(和訓集説・碩鼠漫筆)、
アシ(脚)で立つことのできる垂井にるということでアシ(脚)の転(語源辞典・植物篇=吉田金彦)、
アはアラの反、未だ田となっていない意のアラシ(荒)の転(名語記)、
アシ(編繁)の義から(日本語源=賀茂百樹)、
アシ(弥繁)の義(言元梯)、
アアト云フホドシゲルモノであるから(本朝辞源=宇田甘冥)、
ア+シ(及)、あとからあとから生えるものの意(日本語源広辞典)、

等々あるが、はっきりしない。ただ、

早く記紀など、日本神話で葦原の中つ国が日本の呼称として用いられたり、『万葉集』から数多く詠まれ、とくに難波(なにわ)の景物として知られていて(日本大百科全書)、語感ほどの悪いイメージはない。

「葦」.gif


「葦」(イ)は、

会意兼形声。「艸+音符韋(イ まるい、丸く取巻く)」。茎が丸い管状をなし親株を中心にまるくとりまいた形をして繁る草、

とある(漢字源)。また、

会意兼形声文字です(艸+韋)。「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「ある場所を示す文字とステップの方向が違う足の象形」(ある場所から別方向に進むさまから、「そむく、群を抜いて優れている」の意味)から、穂が出て他の草とは違って飛びぬけて高い「あし(水辺に生じる多年草)」を意味する「葦」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2236.htmlが、

形声。「艸」+音符「韋 /*WƏJ/」、

と、形声文字とする説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%91%A6

「蘆」.gif

(「蘆」 https://kakijun.jp/page/E562200.htmlより)

「蘆」(漢音ロ、呉音ル)は、

会意兼形声。「艸+音符盧(ロ うつろな、丸い穴があく)、

とある(漢字源)が、他は、

形声。艸と、音符盧(ロ)とから成る(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%98%86・角川新字源)、

形声文字です(艸+戸(盧))。「並び生えた草」の象形と「虎の頭の象形と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形と角ばった土の塊の象形と食物を盛る皿の象形」(「轆轤(ろくろ)を回して作った飯入れ」の意味だが、ここでは、「旅」に通じ(同じ読みを持つ「旅」と同じ意味を持つようになって)、「連なる」の意味)から、連なり生える草「あし」を意味する「芦」(「蘆」の略字)という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2680.html

と、形声文字としている。

「葭」.gif



「葭」 中国最古の字書『説文解字』.png

(「葭」 中国最古の字書『説文解字』 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%91%ADより)

「葭」(漢音カ、呉音ケ)は、

会意兼形声。「艸+音符叚(上からかぶさる)」

とある(漢字源)が、別に、

形声。「艸」+音符「叚 /*KA/」。「アシ」を意味する漢語{葭 /*kraa/}を表す字、

(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%91%AD)、形声文字とする説もある。

なお、「葦」と「葭」の違いは、

アシの生えはじめ(漢辞海)、
葦のまだ穂のを出していないもの(説文解字)、
葦の未だ秀でざる者(字源)、

を、

葭、

生長したものを、

葦、

という(漢辞海)とあり、

葦未秀者為蘆(大載禮)、

と、

葦の未だ秀でざるものを、

蘆、

という(字源)らしいので、

蘆、

葭、

の意味は重なる。しかし、

蘆花、

とはいうが、

葦花、

とは言わない。

「鶴」.gif

(「鶴」 https://kakijun.jp/page/2107200.htmlより)

「鶴」(漢音カク、呉音ガク)は、「鶴髪」で触れたように、

会意兼形声。隺(カク)は、鳥が高く飛ぶこと、鶴はそれを音符とし、鳥を加えた字。確(固くて白い石)と同系なので、むしろ白い鳥と解するのがよい、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。鳥と、隺(カク)(つる)とから成る(角川新字源)、

会意兼形声文字です(隺+鳥)。「横線1本、縦線2本で「はるか遠い」を意味する指事文字と尾の短いずんぐりした小鳥の象形」(「鳥が高く飛ぶ」の意味)と「鳥」の象形から、その声や飛び方が高くて天にまでも至る鳥「つる」を
意味する「鶴」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2168.html

などともある。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
戸川芳郎監修『漢辞海』(三省堂)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:葦鶴 蘆(芦)
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2024年07月30日

まだき


わが袖にまだき時雨のふりぬるは君が心にあきや來ぬらむ(古今和歌集)、
あかなくにまだきも月の隠るるか山の端(は)逃げて入れずもあらなむ(仝上)、

の、

まだき、

は、

まだその時期ではないのに、
はやくも、

の意(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。

まだき、

は、

夙、
豫、

と当て(広辞苑・大言海)、

ある時点を想定して、それに十分には達していない時期・時点、

を指し、

まだその時期にならないうち、
早くから、
もう、

の意味で使い(広辞苑・日本語源大辞典・岩波古語辞典)、

単独で、または「に」を伴って、

早くも、
早々と、

の意で副詞的に用いることが多い(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。

室町時代編纂のいろは引きの国語辞典『運歩色葉集(うんぽいろはしゅう)』には、

速、マダキ、

とある。この語源は、

マダ(未)・マダシ(未)と同根か(岩波古語辞典)、
「未(ま)だし」と関連ある語か(デジタル大辞泉)、
「まだし(未)」のク活用形を想定し、その連体形から転成した語(角川古語大辞典・精選版日本国語大辞典)、
マダキは、急ぐの意の、マダク(噪急)の連用形(大言海)、
イマダシキ(未如)の義(名言通)、
イマダハヤキの義(日本釈名)、

等々あるが、

朝まだき

という場合は、

夜明けを基点として、まだそこに至らないのに、既にうっすらと明けてきた、

という含意のように見受けられる。

朝+マダキ(まだその時期が来ないうちに)、

で(日本語源広辞典)、

未明を指す、

とあるので、極端に言うと、まだ日が昇ってこないうちに、早々と明るくなってきた、というニュアンスになる。

まだき、

と同根ともされる、

まだし

は、

未だし、

と当て、

まだその期に達しない、

意から、転じて、

なからまではあそばしたなるを末なんまだしきと宣(のたま)ふなる(蜻蛉日記)、

と、

まだ整わない、
まだ十分でない、

意で使い(広辞苑)、

琴・笛など習ふ、またさこそは、まだしきほどは、これがやうにいつしかとおぼゆらめ(枕草子)、

と、

未熟である、

意や(学研全訳古語辞典)、

この君はまだしきに、世の覚えいと過ぎて(源氏物語)、

と、

年齢などが十分でない、
幼い、

意となる(岩波古語辞典)。こうした用例から見ると、この由来は、

いまだし(未)の上略、待たしきの義(大言海)、
副詞まだ(未)の形容詞形(岩波古語辞典・角川古語辞典)、
副詞「いまだ」の形容詞化(デジタル大辞泉)、

などとあり、

未だ→まだ→まだし、

と転化した(日本語の語源)と見ていいのではないか。

「夙」.gif


「夙」(漢音シュク、呉音スク)は、「夙に」で触れたように、

会意。もと「月+両手で働くしるし」で、月の出る夜もいそいで夜なべすることを示す、

とあり(漢字源)、「夙昔(シュクセキ)」と「昔から」の意、「夙興夜寝、朝夕臨政」と、「朝早く」の意である(仝上)。別に、

会意文字です(月+丮)。「欠けた月」の象形(「欠けた月」の意味)と「人が両手で物を持つ」象形(「手に取る」の意味)から、月の残る、夜のまだ明けやらぬうちから仕事に手をつけるさまを表し、そこから、「早朝から慎み仕事をする」、「早朝」を意味する「夙」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2302.html

「豫」.gif

(「豫」 https://kakijun.jp/page/yo16200.htmlより)


「予」.gif

(「予」 https://kakijun.jp/page/0439200.htmlより)

「豫(予)」(漢音・呉音ヨ)は、「予」は、

象形。まるい輪をずらせて向うへ押しやるさまを描いたもので、押しやる、伸ばす、のびやかなどの意を含む。杼(ジョ 横糸を押しやる織機の杼(ひ))の原字と考えてもよい。豫・預・野(ヤ 広く伸びた原や畑)・舒(ジョ 伸ばす)・抒(ジョ 伸ばす)などの音符となる。代名詞(予(われ))に当てたのは仮借である、

「豫」は、

会意兼形声。「象(ゾウ のんびりしたものの代表)+音符予(ヨ)」で、のんびりとゆとりをもつこと、

とある(漢字源)。別に、「予」は、

象形。機(はた)の横糸を通す杼(ひ)の形にかたどる。「杼(チヨ)」の原字。杼を横に押しやることから、ひいて「あたえる」意を表す。借りて、自称の代名詞に用いる、

「豫」は、

形声。意符象(ぞう)と、音符予(ヨ)とから成る。原義は、大きな象。借りて、まえもって準備する意に用いる、

とも(角川新字源)、

「予」は、

象形文字です。「機織りの横糸を自由に走らせ通すための道具」の象形から、「のびやか、ゆるやか」を意味する「予」という漢字が成り立ちました。また、「こちらから向こうへ糸をおしやる事から、「あたえる」の意味も表すようになりました、

「豫」は、

会意兼形声文字です(予+象)。「機織りの横糸を自由に走らせ通す為の道具」の象形(「伸びやか」の意味)と「(ゆっくり行動する動物)象」の象形から「伸びやかに・ゆっくりと楽しむ」、「あらかじめ」、「ゆとりをもって備える」を意味する「豫」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji546.htmlあり、いずれも、「予」と「豫」の由来を別とし、「予」が先行と見ている。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年07月29日

玉かづら


玉かづら今は絶ゆとや吹く風の音にも人の聞こえざるらむ(古今和歌集)、

の、

かづら、

は、

蔓草の総称、

玉、

は、

美称、

とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、ここは、

絶ゆ、

にかかる枕詞(仝上)。

谷狭(せば)み峯に延(は)ひたる多麻可豆良(タマカヅラ)絶えむの心我がもはなくに(万葉集)

と、

たまかづら、

は、

玉葛、
玉蔓、

と当て(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)、「たま」は美称で、

かづら、

は、

蔓草類の総称(岩波古語辞典)、
つる性の植物の総称(精選版日本国語大辞典)、

で、

ヒカゲノカズラ、
ヘクソカズラ、
ビナンカズラ、

等々の、

特定の植物をさす、

とする説もあるが、確証はない(仝上)とある。「ヒカゲノカズラ」については「さがりごけ」で触れた。

また、

たまかづら、

は、枕詞として、つる草のかずらの意で、つるがどこまでも延びてゆくところから、

玉葛(たまかづら)いや遠長く祖(おや)の名も継ぎゆくものと母父(おもちち)に妻に子どもに語らひて(万葉集)、

と、

長し、
いや遠長く、

などにかかり、

つがの木のいや継ぎ継ぎに玉葛(たまかづら)絶ゆることなくありつつもやまず通はむ(万葉集)、

と、

絶えず、
絶ゆ、

にかかり、延びる意の延(は)うの意で、

玉かづらはふ木あまたになりぬれば絶えぬ心のうれしげもなし(古今和歌集)、

と、「延ふ」と同音の、

這(は)ふ、

などにかかる(精選版日本国語大辞典)。

たまかづら、

は、

玉鬘、

と当てると、

根使主(ねのおむ)の着せる玉縵(たまカツラ)、大(はなは)た貴(けやか)にして最好(いとうるわ)し(日本書紀)、

と、

装身具、

の意で、蔓草を頭に巻いたところから、

多くの玉を緒に通し、頭にかけて垂れた髪飾り、

を言い(岩波古語辞典)、のちに、

御ぐしのめでたかりしはまたあらむやとて、とりに奉りたまへりければ、からもなくなりにし君がたまかつらかけもやするとおきつつもみむ(「斎宮女御集(985頃)」)、

と、

美しいかつら、またはかもじの美称、

や、

ありし昔の玉かづら色つくれる面影常にかはり(浮世草子「世間娘容気(1717)」)、

と、

女性の美しい髪のたとえ、

にいう(精選版日本国語大辞典)。

また、枕詞として、つる草の一つ、「ひかげのかずら」を「かずら」とも「かげ」ともいうところから、

人はよし思ひやむとも玉蘰(たまかづら)影に見えつつ忘らえぬかも(万葉集)、

と、

「かげ」と同音、または同音を含む「影」「面影」にかかる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

「葛」.gif

(「葛」 https://kakijun.jp/page/kuzu200.htmlより)

「葛」(漢音カツ、呉音カチ)は、「葛の葉」で触れたように、

会意兼形声。「艸+音符曷(カツ 水分がない、かわく)」。茎がかわいてつる状をなし、切っても汁が出ない植物、

とある(漢字源)。「くず」の意である。また、

会意兼形声文字です(艸+曷)。「並び生えた草」の象形と「口と呼気の象形と死者の前で人が死者のよみがえる事を請い求める象形」(「祈りの言葉を言って、幸福を求める、高く上げる」の意味)から、木などにからみついて高く伸びていく草「くず」、「草・木のつる」を意味する「葛」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2110.htmlが、

かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%91%9B

形声。「艸」+音符「曷 /*KAT/」(仝上)、
形声。艸と、音符曷(カツ)とから成る(角川新字源)、

とする説がある。

「鬘」.gif


「鬘」(慣用マン、漢音バン、呉音メン)は、

会意兼形声。「髟(かみの毛)+音符曼(かぶせてたらす)」、

とあり(漢字源)、「髪がふさふさと垂れさがるさま」「インドふうの、花を連ねて首や体を飾る飾り」(仝上)の意である。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年07月28日

初地


竹逕従初地(竹逕 初地(しょち)に従い)
蓮峰出化城(蓮峰 化城(けじょう)を出す)(王維・登弁覚寺)

の、

化城、

は、

佛が衆生を導いて行く時、途中で疲れると、方便によって、前方に町を現出せしめるので、衆生はまた元気を取り戻し、前進するという、その幻の町のこと、

という。ここでは、

弁覚寺の建物をそれに喩えたもの、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

初地、

は、

菩薩の十地のうち、第一段階の地、

をいう。つまり、

仏果を得るための入口、

で、ここではそれを、

寺の入口、

にかけていったもの(仝上)とある。

化城(けじょう)、

は、

神通力をもって化作した城郭、

の意(精選版日本国語大辞典)で、

法華経に説く七喩、

の一つ、「法華義疏」に、

第三従道師多諸方便以下。名為設化城譬、

とある、

大乗の究極のさとりを宝所にたとえて、そこに達する途中の、遠くけわしい道で、人々が脱落しないよう一行の導師が城郭を化作して人々を休ませ、疲労の去った後、さらに目的の真実の宝所に導いたというたとえ、

で、

大乗の涅槃(ねはん)に達する前段階としての小乗方便の涅槃、

をいう(仝上)とある。「妙法蓮華経」化城喩品第七に、

譬えば五百由旬の険難悪道の曠かに絶えて人なき怖畏の処あらん。若し多くの衆あって、此の道を過ぎて珍宝の処に至らんと欲せんに、一りの導師あり。聡慧明達にして、善く険道の通塞の相を知れり(導師の譬)。

衆人を将導して此の難を過ぎんと欲す。所将の人衆中路に懈怠して、導師に白して言さく、我等疲極にして復怖畏す、復進むこと能わず。前路猶お遠し、今退き還らんと欲すと。導師諸の方便多くして、是の念を作さく、此れ等愍むべし。云何ぞ大珍宝を捨てて退き還らんと欲する。是の念を作し已って、方便力を以て、険道の中に於て三百由旬を過ぎ、一城を化作して、衆人に告げて言わく、汝等怖るることなかれ、退き還ること得ることなかれ。今此の大城、中に於て止って意の所作に随うべし。若し是の城に入りなば快く安穏なることを得ん。若し能く前んで宝所に至らば亦去ることを得べし。是の時に疲極の衆、心大に歓喜して未曾有なりと歎ず。我等今者斯の悪道を免れて、快く安穏なることを得つ。是に衆人前んで化城に入って、已度の想を生じ安穏の想を生ず。
爾の時に導師、此の人衆の既に止息することを得て復疲倦無きを知って、即ち化城を滅して、衆人に語って、汝等去来宝処は近きに在り。向の大城は我が化作する所なり、止息せんが為のみと言わんが如し(将導の譬)

とあるhttps://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/3/07.htm

方便力を以て、険道の中に於て三百由旬を過ぎ、一城を化作して、衆人に告げて言わく、汝等怖るることなかれ、退き還ること得ることなかれ。今此の大城、中に於て止って意の所作に随うべし、

のことである。

世の中を厭ふまでこそかたからめかりの宿りを惜しむ君かな(西行)、

の、

仮の宿り、

は、

宿を借りる意、

だが、法華経化城喩品第七に説く、

この世は仮の宿で、虚妄である、

という、

化城の比喩、

の意を込めている(久保田淳訳注『新古今和歌集』)とある。この歌の返しが、

世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ(遊女妙)、

と、

現世を厭離した人が、仮の宿に執着なさるな、

と返している(仝上)。

七喩、

は、

三草二木」、「窮子(ぐうじ)」で触れたように、法華経に説く、

七つのたとえ話、

で、

法華七譬(しちひ)、

ともいい、

化城、

を説く、

化城宝処(けじょうほうしょ、化城喩品)、

の他、

三草二木(さんそうにもく)、
三車火宅(さんしゃかたく、譬喩品 「大白牛車(だいびゃくぎっしゃ)」でも触れた)
長者窮子(ちょうじゃぐうじ、信解品 「窮子」で触れた)
衣裏繋珠(えりけいじゅ、五百弟子受記品)
髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ、安楽行品)
良医病子(ろういびょうし、如来寿量品)

がある。

初地(しょじ)、

は、

菩薩の修行の最上の十段階である十地(じゅうじ)の第一、

である、

歓喜地(かんぎじ)、

をいう(精選版日本国語大辞典)。「十住経」に、

もし衆生あって、厚く善根を集め、諸の善行を修め、よく助道の法を集め、諸仏を供養し、諸の清白の法を集め、善知識に護られ、深広の心に入り、大法を信楽し、心多く慈悲にむかい、好んで仏智を求めるならば、このような衆生はよく阿耨多羅三藐三菩提心(無上正真道意)をおこすであろう。一切種智を得るがための故に(為得一切種智故)、十力を得るがための故に(為得十力)、大無畏を得るがための故に‥‥菩薩はこのような心をおこすのである。この無上正真道意すなわち無上道心をおこすとき衆生は直ちに凡夫地をこえて菩薩位に入り、菩薩道を展開する身となる。これを歓喜地(初地)に入るという、

とあるhttp://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%98

十地(じゅうじ)、

は、

大乗の菩薩が菩提心を発してから仏道修行を積み、仏果を獲得するまでの階位、

をいい、

菩薩が修行して経過すべき 52位の段階のうち第 41位から第 50位までの10位、

をいうが、

諸経論によって階位の数や名称、開合の仕方が異なり、思想史的な発展も認められる。中国仏教において一般的に用いられるのは『菩薩瓔珞本業経』に説かれる、

十信・十住(習種性)・十行(性種性)・十回向(道種性)・十地(聖種性)・等覚(等覚性)・妙覚(妙覚性)、

であり、

十信以下を外凡(げぼん)、十住以上を内凡(ないぼん)とし、十住・十行・十回向を三賢(さんげん)、十地を十聖、

とよび、あわせて、

三賢十聖、

というhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%8F%A9%E8%96%A9%E3%81%AE%E9%9A%8E%E4%BD%8Dとある。階位の詳目は、十信位は、

①信心②念心③精進心④慧心⑤定心⑥不退心⑦回向心⑧護心⑨戒心⑩願心、

十住位は、

①発心住②治地住③修行住④生貴住⑤方便住⑥正心住(しょうしんじゅう)⑦不退住⑧童真住(どうしんじゅう)⑨法王子住⑩灌頂住、

十行位は、

①歓喜行②饒益(にょうやく)行③無瞋恨(むしんこん)行④無尽行⑤離痴行⑥善現行⑦無著行⑧尊重行⑨善法行⑩真実行、

十回向位は、

①救護一切衆生離相回向心(くごいっさいしゅじょうりそうえこうしん)②不壊(ふえ)回向心③等一切仏回向心④至一切処回向心⑤無尽功徳蔵回向心⑥随順平等善根回向心⑦随順等観一切衆生回向心⑧如相回向心⑨無縛解脱回向心(むばくげだつえこうしん)⑩法界無量回向心、

十地は、

①四無量心(歓喜地)②十善心(離垢地)③明光心(発光地)④焰慧心(烙慧地)⑤大勝心(難勝地)⑥現前心(現前地)⑦無生心(遠行地)⑧不思議心(不動地)⑨慧光心(善慧地)⑩受位心(法雲地)、

で、さらに等覚(入法界にゅうほっかい心)、妙覚(寂滅心)となる(仝上)。

十地、

は『菩薩瓔珞本業経(ぼさつようらくほんごうきょう)』などに説かれる大乗菩薩の階位(十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚)であり、この位に入って無明を断じて真如を証し、誓願と修行を完成させることを、

十地願行(じゅうじがんぎょう)、

というhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E5%9C%B0%E9%A1%98%E8%A1%8C。善導『往生礼讃』には、

専ら名号を称すれば、西方に至ると。彼しこに到れば華開きて妙法を聞き、十地の願行自然に彰あらわる、

とあり、極楽浄土に往生すれば十地の願行の徳が自然にそなわっていくことを説いている。これは四十八願中の第二二・必至補処の願にもとづく内容である(仝上)という。当然、

十地、

は、仏のさとりをうるまでの修行段階を言うので、

亦大僧等、徳は十地に侔(ひと)しく、道は二乗に超えたり(霊異記)、

と、

菩薩、

の意味でも使う(精選版日本国語大辞典)。

なお、「菩薩」については「薩埵」で、法華経については、「法華経五の巻」で触れた。

「化」 漢字.gif

(「化」 https://kakijun.jp/page/0412200.htmlより)

「化」(漢音カ、呉音ケ)は、「化生」で触れたように、

左は倒れた人、右は座った人、または、左は正常に立った人、右は妙なポーズに体位を変えた人、いずれも両者を合わせて、姿を変えることを示した会意文字、

とある(漢字源)が、別に、

会意。亻(人の立ち姿)+𠤎(体をかがめた姿、又は、死体)で、人の状態が変わることを意味する、

とかhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%96

会意形声。人と、𠤎(クワ 人がひっくり返ったさま)とから成り、人が形を変える、ひいて「かわる」意を表す。のちに𠤎(か)が独立して、の古字とされた、

とか(角川新字源)、

指事文字です。「横から見た人の象形」と「横から見た人を点対称(反転)させた人の象形」から「人の変化・死にさま」、「かわる」を意味する「化」という漢字が成り立ちました、

とかhttps://okjiten.jp/kanji386.htmlとある。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年07月27日

見まく


いたづらに行きては來ぬるものゆゑに見まくほしさにいざなはれつつ(古今和歌集)、
見てもまたまたも見まくのほしければなるるを人はいとふべらなり(仝上)、

の、

まく、

は、

助動詞「む」を名詞化したク語法、

ほしければ、

は、

まく、

と結合して、

まくほし、

となる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。

見まく、

は、

見む、

の、

ク語法で、

あしひきの山に生ひたる菅の根のねもころ見まく欲しき君かも(万葉集)、

と、

見るであろうこと、
見ようとすること、
見ること、

の意味となる(岩波古語辞典)。

おもわく」、「ていたらく」、「すべからく」などで触れたことだが、

ク語法、

は、今日でいうと、

いわく、
恐らく、

などと使うが、奈良時代に、

有らく、
語らく、
来(く)らく、
老ゆらく、
散らく、

等々と活発に使われた造語法の名残りで、これは前後の意味から、

有ルコト、
語ルコト、
来ること、
スルコト、
年老イルコト、
散ルトコロ、

の意味を表わしており、

ク、

は、

コト
とか、
トコロ、

と、

用言に形式名詞「コト」を付けた名詞句と同じ意味になる、

とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E8%AA%9E%E6%B3%95・岩波古語辞典)、後世にも漢文訓読において、

恐るらくは(上二段ないし下二段活用動詞『恐る』のク語法、またより古くから存在する四段活用動詞『恐る』のク語法は『恐らく』)、
願はく(四段活用動詞「願う」)、
曰く(いはく、のたまはく)、
すべからく(須、『すべきことは』の意味)、

等々の形で、多くは副詞的に用いられ、現代語においてもこのほかに

思わく(「思惑」は当て字であり、熟語ではない)、
体たらく、
老いらく(上二段活用動詞『老ゆ』のク語法『老ゆらく』の転)、

などが残っている(仝上)。

まく、

は、

推量の助動詞ムのク語法、

で、

梅の花散らまく惜しみわが園の竹の林に鶯なくも(万葉集)、
見渡せば春日の野辺に立つ霞見まくのほしき君が姿か(仝上)、

と、

……しようとすること、
……だろうこと、

の意となる(岩波古語辞典)。

む、

は、動詞・助動詞の未然形を承ける語で、

む・む・め

と活用し、

行かまく、
見まく、

の、

ま、

は、ク語法の語形変化であり、「む」の未然形ではない(仝上)とある。

「見」.gif


「見」(漢音呉音ケン、呉音ゲン)は、「目見(まみ)」で触れたように、

会意文字。「目+人」で、目立つものを人が目にとめること。また、目立って見える意から、あらわれる意ともなる、

とある(漢字源)。別に、

会意。目(め)と、儿(じん ひと)とから成る。人が目を大きくみひらいているさまにより、ものを明らかに「みる」意を表す(角川新字源)、

会意(又は、象形)。上部は「目」、下部は「人」を表わし、人が目にとめることを意味するhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A6%8B

会意文字です(目+儿)。「人の目・人」の象形から成り立っています。「大きな目の人」を意味する文字から、「見」という漢字が成り立ちました。ものをはっきり「見る」という意味を持ちますhttps://okjiten.jp/kanji11.html

など、同じ趣旨乍ら、微妙に異なっているが、目と人の会意文字であることは変わらない。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:見まく ク語法
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