2024年04月27日

人日


今年人日空相憶(今年(こんねん)の人日 空しく相憶(おも)う)
明年人日知何處(明年(みょうねん)の人日 知んぬ何れの處ぞ)(高適・人日寄杜二拾遺)

の、

人日(じんじつ)、

は、

陰暦の正月七日、

をいい、民間の風習で、

正月元日を鶏の日、
二日を狗(いぬ)の日、
三日を豚の日、
四日を羊の日、
五日を牛の日、
六日を馬の日、
七日を人の日、

とし、それぞれ該当するものの一年中の豊凶を占う。人日には七種の菜を羹(あつもの)にして食べたり(七草粥のもとであろう)、布や金箔で人形を切り抜いて飾ったり、親しい間で宴会をひらき、贈物をするなどの行事があった、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

人日、

は、

にんにち、

と訓むと、

作業量の単位の一つ、

の、

person-day、

の意で、

1人が1日働いた作業量を1としたもの、

をいい、

投入する人員の数と、1人あたりの作業への従事日数の積、

を表し、

1人で1日かかる仕事の量が「1人日」で、10人で5日かかれば50人日(10×5)、100人で半日かかっても50人日(100×0.5)、

となりhttps://e-words.jp/w/%E4%BA%BA%E6%97%A5.html

業務や事業の工数を測ったり見積もる際に用いられる、

とあり、分野や業界によっては、

人工(にんく)、

とも呼ばれる(仝上)。

じんじつ、

と訓むと、五節供の一つ、

陰暦正月七日の称、

である(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

東方朔・『晩笑堂竹荘畫傳』より.jpg

(東方朔(『晩笑堂竹荘畫傳』)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%96%B9%E6%9C%94より)

東方朔占書曰、歳正月一日占雞、二日占狗、三日占羊、四日占猪、五日占牛、六日占馬、七日占人、八日占穀、皆晴明温和為蕃息安泰之兆、陰寒惨烈為疾病衰耗(宋代類書(事物を天文・地理・生物・風俗などに分類、名称や縁起の由来を古書に求めたもの)『事物紀原』)、

と(字源)、東方朔(前漢の武帝時代の政治家)の、

占書、

に見える中国の古い習俗で、

正月の一日から六日までは獣畜を占い、七日に人を占う、

ところから、

陰暦正月七日の称、

とされ(精選版日本国語大辞典)、

ひとのひ(人の日)、

ともいい(仝上)、また、

霊辰(れいしん)、
元七(がんしち)、
人勝節(じんしょうせつ)、

ともいいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%97%A5

「人日吉兆、幸甚々々」(「看聞御記」応永二六年(1419)正月七日) 、

とある、

五節供の一つ、

で、

正月七日為人日、以七種菜為羹(南朝梁「荊楚歳時記(宗懍)」)、

と、

七種(ななくさ)の羹(あつもの)、

を祝うのが慣例である(仝上)。

七草粥(ななくさがゆ).jpg

(七草粥(ななくさがゆ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%97%A5より)

この日には、

一年の無病息災を願って、また正月の祝膳や祝酒で弱った胃を休める為、7種類の野菜(七草)を入れた羹(あつもの)を食する、

のだとされたが、これが日本に伝わって、

七草粥、

となった(仝上)。

七種粥」は、

七種粥、

とも当て、正月七日に、春の七草を入れて炊いた粥の意だが、

菜粥、

ともいう。

七種の節句(七日の節句)の日に邪気を払い万病を除くために、羹として食した、

とも(岩波古語辞典)、

羹として食ふ、万病を除くと云ふ。後世七日の朝に(六日の夜)タウトタウトノトリと云ふ語を唱へ言(ごと)して、此七草を打ちはやし、粥に炊きて食ひ、七種粥と云ふ、

とも(大言海)あるので、当初は、粥ではなく、中国式の、

羹(あつもの)、

であったらしい。「羊羹」で触れたように、「羹」は、

古くから使われている熱い汁物という意味の言葉で、のちに精進料理が発展して『植物性』の材料を使った汁物をさすようになりました。また、植物に対して「動物性」の熱い汁物を「臛(かく)」といい、2つに分けて用いました、

とあるhttps://nimono.oisiiryouri.com/atsumono-gogen-yurai/

中国の、

七種菜羹、

は、少なくとも平安時代初期には、無病長寿を願って若菜をとって食べることが貴族や女房たちの間で行われていた。ただ、七草粥にするようになったのは、室町時代以降だといわれる、

とある(日本大百科全書)。偽書とされる「四季物語」には、

七種のみくさ集むること人日菜羹を和すれば一歳の病患を逃るると申ためし古き文に侍るとかや、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E8%8D%89。なお、平安時代の後期の文献に、

君がため夜越しにつめる七草のなづなの花を見てしのびませ、

の歌があるhttp://www.geocities.jp/tama9midorijii/ptop/kogop/kohakobe.htmlので、七草を摘むという風習は平安時代には既にあった(仝上)ようである。

人日、

に、

七種類の若菜で羹(あつもの)を頂く、

ということが習慣化したために、

子の日の祝い(ねのひのいわい)、

という前々にあった行事がまじりあってしまったhttps://plus.chunichi.co.jp/blog/oonishi/article/672/9881/とあるが、「子の日」については触れたように、

正月の初めの子の日に、野外に出て、小松を引き、若菜をつんだ。中国の風にならって、聖武天皇が内裏で宴を行ったのを初めとし、宇多天皇の頃、北野など郊外にでるようになった、

とあり(岩波古語辞典)、この宴を、

子の日の宴(ねのひのえん)、

といい、

若菜を供し、羹(あつもの)として供御とす、

とあり(大言海)、

士庶も倣ひて、七種の祝いとす、

とある(仝上)。また、

子の日に引く小松、

を、

引きてみる子の日の松は程なきをいかでこもれる千代にかあるらむ(拾遺和歌集)、

と、

子の日の松、

といい(仝上)、

小松引き、

ともいい、

幄(とばり)を設け、檜破子(ひわりご)を供し、和歌を詠じなどす、

という(大言海)。

子の日遊び、

は、

根延(ねのび)の意に寄せて祝ふかと云ふ(大言海)、
「根延(の)び」に通じる(精選版日本国語大辞典)、

とある。また、正月の初めの子の日に、

内蔵寮と内膳司とから天皇に献上した若菜、

を、

子の日の若菜(わかな)、

という(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。どうやら、これも中国由来のところがあり、まじりあってしまうのはもっともだと思われる。

なお、

1月7日、

は、

白馬(あをうま)の節(せち)

と呼ばれる節供行事を行う日でもあった。

白馬(あをうま)の節、

は、

白馬の節会、
白馬の宴、

ともいい、

あおうま、
あおばのせちえ、

ともいい(精選版日本国語大辞典)。

正月七日、左右馬寮(めりょう)から白馬(あおうま)を庭に引き出して、天皇が紫宸(ししん)殿で御覧になり、その後で群臣に宴を賜わった。この日、青馬を見れば年中の邪気を除くという中国の故事によったもので、葦毛の馬あるいは灰色系統の馬を引いたと思われる、

とあり(仝上)、文字は「白馬」と書くが習慣により、

あおうま、

という(仝上)とある。まず、

青馬御覧の儀式、

があり、

馬寮(めりょう)の御覧より馬の毛付(けづき)を奏聞し(あをうまの奏)、

ついで、

左右の馬寮(めりょう)の官人、あをうまの陣(春華門(しゅんかもん)内)に並び、

順次、

七匹ずつ、三度、

牽きわたす、それを、主上、

正殿に出御ありて、御覧ぜられる、

といい、

春の陽気を助くるなり、

とされる。その後、

節会、

となる、という次第のようである(大言海)。

なお、五節句、

は、

重陽でも触れたように、

人日(じんじつ)(正月7日)、
上巳(じょうし)(3月3日)、
端午(たんご)(5月5日)、
七夕(しちせき)(7月7日)、
重陽(ちょうよう)(9月9日)、

である。正月七日の、七種粥、三月三日の、曲水の宴、上巳の日の、天児白酒については触れた。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年04月26日

獨夫(どくふ)


舊俗疲庸主(舊俗 庸主に疲れ)
群雄問獨夫(群雄 獨夫に問う)
讖歸龍鳳質(讖(しん)は龍鳳の質に帰し)
威定虎狼都(威(い)は虎狼の都を定めたり)(杜甫・行次昭陵)

の、

讖、

は、

予言、

龍鳳質、

の、

龍鳳、

は、

天子の象徴、

で、

天子になるべき素質、

の意で、

唐の太宗、

をさす(前野直彬注解『唐詩選』)とある。

太宗がまだ若い頃、その姿を見た人が「龍鳳の姿」と評した故事を踏まえる、

とある(仝上)。

獨夫、

は、

暴虐無道の君主、

の意、

帝位にあっても、民心はすべて彼を離れ、完全な孤独の状態にあるから、こういう、

とあり、「書経」泰誓篇に、

獨夫受(紂の名)、

とあるのにもとづき、もと、

殷の紂王、

を指した(仝上)とある。「荀子」議兵には、

湯武の~桀(けつ)・紂(ちう)を誅すること、獨夫を誅するが若(ごと)し。故に泰誓に獨夫紂と曰へるは、此れを之れ謂ふなり、

とある(字通)。ちなみに、桀(けつ)は、

夏の最後の帝、

で、

殷の湯、

に滅ぼされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%80

紂王(帝辛)、

は、

殷の最後の王、

で、

周の武王、

に滅ぼされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E8%BE%9B

夏の桀、
殷の帝辛(紂王)、
周の厲王、

は、暴君の代名詞となった(仝上)とある。

獨夫、

は、

どくふ、

と訓ますが、

どっぷ、

とも訓ませる(精選版日本国語大辞典)。

桀.png



紂王.jpg

(紂王(絵本三国妖婦伝より) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E8%BE%9Bより)

獨夫、

は、文字通り、

高祖は、領地とては一尺の地も持せず、独夫の牢人なりしかども(「集義和書(1676頃)」)、

と、

一人身の男、独身の男(字源・広辞苑)、
ただの一人の男(字通)、
独身のおとこ、ひとり身の男。また、官位や財産などのない、単なる市井の男、

といった意味(精選版日本国語大辞典)になるが、

六軍徘徊、群兇益振。是則孟津再駕之役、独夫(トッフ)所亡也。城濮三舎之謀、侍臣攸敗也(太平記)、

と、

悪政を行なって、国民から見はなされた君主、

を指し、

獨夫受(紂の名)、

とあるように、

紂王、

が象徴のようにされている。

「獨」.gif

(「獨」(独) https://kakijun.jp/page/E0D5200.htmlより)

「獨」 『説文解字』.png

(「獨」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)  https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8D%A8より)

「獨」(漢音トク、呉音ドク)は、

会意兼形声。蜀(ショク)は、目が大きくて、桑の葉にくっついて離れない虫を描いた象形文字。ひつじは群れをなし、犬は一匹で持ち場を守る。獨は「犬+音符蜀」で、犬や桑虫のように、一定の所にくっついて動かず、他に迎合しないこと、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(犭+虫(蜀))。「犬」の象形と「大きな目を持ち桑(植物)について群がる虫(いもむし)」の象形(「不快ないもむし」の意味)から、争う事が好きな不快な犬を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「ひとり」を意味する「独」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji827.htmlが、

形声。「犬」+音符「蜀 /*TOK/」。「ひとつ」「他と異なる」を意味する漢語{獨 /*dook/}を表す字、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8D%A8

形声。犬と、音符蜀(シヨク)→(トク)とから成る。犬をたたかわせる意を表す。借りて「ひとり」の意に用いる。教育用漢字は俗字による、

も(角川新字源)、形声文字とする。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2024年04月25日

うけ


伊勢の海に釣りする海人(あま)のうけなれや心一つを定めかねつる(古今和歌集)、

の、

うけ、

は、

釣りをするときの浮子、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

うけ、

は、

食、

と当てると、

保食神、此云宇気母知能加微(うけもちの神)(日本書紀)、

と、

食物、

の意(岩波古語辞典)、

筌、

と当てると、

うえ(へ)、

ともいい、

魚をとる道具、

で、

竹を筒状または底のない徳利状に編んだもの、

をいい、

槽、

と当てると(ケは笥の意)、

天の石屋戸(いはやと)にうけ伏せて踏みとどろこし(古事記)、

と、

たらいのような容器、

で(デジタル大辞泉)、

穀物を入れておくいれもの、祭儀の時、これを伏せてたたき、霊魂(たま)に活力を与える、

とあり(岩波古語辞典)、

うけを衝くは神遊びの義なり(江家次第)、

とある。

神遊

は、

神々が集まって楽を奏し、歌舞すること、

が、転じて、

神前で歌舞を奏して神の心を慰めること。また、その歌舞、

の意となる(精選版日本国語大辞典)。

神楽(かぐら)、

と同じ意味である(仝上)。

有卦、

と当てると、

陰陽道(おんようどう・おんみょうどう)で、人の生年を干支に配して、五行相生相剋の理によって定めた、吉事が続くという年回り、次の5年は無卦(むけ)の凶年が続く、

という意味になる(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。

ここでの、

うけ、

は、

浮、
浮子、
泛子、

と当てる、

住吉(すみのえ)の津守網引(あびき)の浮(うけ)の緒の浮かれか行かむ恋ひつつあらずは(万葉集)、

の、

うき(浮)、

つまり、

釣糸や(曳)網につけて波のまにまにうかしてある木片、

をいい(仝上・精選版日本国語大辞典)、

泛子(うき)の古語、

とあり(大言海)、

ちいさきひょうたん浮きて流れもあえず見えけるを、これぞと取あげしに、刀のうけに付て酒もり半に沈め置しと見えたり(浮世草子「武家義理物語(1688)」)、

と、「浮沓(うきぐつ)」のような、

浮かばせるための道具、

をもいう(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この、

うけ、

は、四段活用の動詞、

浮く、

の他動詞形、

浮く、

の名詞形になる。

うく」で触れたように、

物が空中・水中・水面にあって、底につかず、不安定な状態でいる意。「心が浮く」とは、平安時代には不安な感じを伴い、室町時代以降には陽気な感じを表した、

とあり(岩波古語辞典)、その語源は、

本来二音節語と考えます。「水面または空中にある」意です。ウカレル(浮か+レル)は、他の刺激により心理的に浮いた状態になる意です。ウカブは「浮カ+ブ(継続)」で、浮いた状態になることを表します。ウカベルはもその一段化で、いずれも同源です(日本語源広辞典)、
ウはウヘ(上)の意(日本釈名・日本古語大辞典=松岡静雄)、
ウヘク(上来)の義(日本語原学=林甕臣)、
ウは海、または上か。クはかろくの上略か(和句解)、

等々とあるが、「うえ(上)」は、古形は、

ウハ、

である。

「下(した)」「裏(うら)」の対。稀に「下(しも)」の対。最も古くは、表面の意。そこから、物の上方・髙い位置・貴人の意へと展開。また、すでに存在するものの表面に何かが加わる意から、累加・繋がり・成行き等の意を示すようになった

とある(岩波古語辞典)。

ウハ→ウヘ→ウエ、

の転訛である。ならば、

ウハ→ウク、

もありそうな気がするが、音韻的には無理らしい。

「泛」.gif


「泛」(①漢音ハン・呉音ボン、②漢音ホウ・呉音フウ)は、

会意兼形声。乏は「止(あし)+/印」からなり、足の進行を/印でとめたさま。わくをかぶせられて進めないこと。泛は、「水+音符乏(ボウ)」で、かぶさるように水面に浮くこと、

とある(漢字源)。「与客泛舟」(蘇武)のように「うかぶ」「うかべる」、「泛論(=汎論)」のように、「おおう」「あまねし」の意は、①の発音、「泛駕之馬(ほうがのうま 暴れ馬)」というように、「覆(くつがえ)す」の意の場合は、②の発音とある(仝上)。別に、

形声、「水」+ 音符「乏」、

と、形声文字とする説(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B3%9Bもある。

「浮」.gif


「浮」(慣用フ、呉音ブ、漢音フウ)の字は、「うく」で触れたように、

会意兼形声。孚は「爪(手を伏せた形)+子」の会意文字で、親鳥がたまごをつつむように手でおおうこと。浮は「水+音符孚」で、上から水を抱えるように伏せて、うくこと、

とある(漢字源)。沈の対である。我が国でのみの使い方は、「浮いた考え」とか「金が浮く」とか「浮いた気持ち」とか「考えが浮かぶ」とか「歯が浮く」というように、本来の「浮く」の意味に準えたような、「うかぶ」「うかれる」「あまりがでる」等の意味での使い方は、漢字にはない。しかし、

浮生、
浮言、
浮薄、

といった「とりとめない」意はあるので、意味の外延を限界以上に拡げたとは言える。別に、

会意兼形声文字です(氵(水)+孚)。「流れる水」の象形と「乳児を抱きかかえる」象形(「軽い、包む」の意味)から、「軽いもの」、「うく」を意味する「浮」という漢字が成り立ちました、

ともある(https://okjiten.jp/kanji1091.html)

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2024年04月24日

幕府


月卿臨幕府(月卿(げっけい)は幕府に臨み)
星使出詞曹(星使(せいし)は詞曹(しそう)より出でたり)(高適・送柴司戸充劉卿判官之嶺外)

の、

幕府、

は、

節度使(劉卿)は本来武官であるが、駐屯する地方の行政権をも委譲されており、その執務する役所を幕府という、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

月卿、

は、

朝廷にいる公卿、

を指し、「書経」洪範に、

卿士は惟(こ)れ月、

とあるのにもとづく。ここでは、劉卿をさすとある(仝上)。

星使、

は、

朝廷の使者、

をいい、

柴司戸をさす。柴は使者として行くわけではないが、朝廷の命令によって(劉節度使の判官、幕僚として)派遣されるから、使という、

とあり(仝上)、

詞曹、

は、

文学の才によって勤務する役所、ふつう翰林院をいう。これからみれば、柴は翰林から嶺南の判官に転任させられたらしい、

とある(仝上)。

永平の初、東平王蒼……東閤を開き、英雄を延(ひ)く。時に固、始めて弱冠、奏記して蒼に説きて曰く、……竊(ひそ)かに幕府新たに開かれ、廣く群俊を延(まね)くを見る。~明智を收集し、國の爲に人を得、以て本朝を寧(やす)んずべし(後漢書・班固伝)、

とある(字通)、

幕府、

は、

古者出征為将師、軍還則罷、理無常處、以幕帟為府署、故曰幕府(史記・李牧伝、索隠注)、

将軍職、在征伐、所在為治、曰幕府(「故事(胡継宗)」)、

などともあり、もと、

将軍は軍旅の際、幕中で事を治めたから、

将軍の居所、または陣営、

をいい、

柳営、

のこと(広辞苑)とある。

柳営、

は、「漢書」周勃伝の、

中国漢の将軍周亜夫が匈奴(きょうど)征討の時に細柳という地に陣し、軍規正しく威令がよく行なわれた、

というの故事による(精選版日本国語大辞典)、

出征中の将軍の陣営、

つまり、

幕府、

である。「史記」李将軍傳に、

大将軍使長史急責廣、之幕府、対簿、

とあり、当然、

一定のところになく随処に幕を以て府とする、

ものである(字源)。中国では、

天子を輔佐する者や天子の委任を受けた者が、長官として府を開き属官を置いたが、野戦軍司令官の場合は帷幕(いばく)で府を設営するのでこれを幕府といった、

とあり(世界大百科事典)、幕府が、

官署の意味に用いられるようになるのは、後漢の明帝時代、東平王蒼が驃騎将軍となって自己の政庁を置き、天子を輔佐したときあたりからだという。三国以後になると、将軍号を帯びる者が各地に都督府を開き、1州ないし数州の軍事権を掌握した。都督府はしだいに州の行政権も握るようになった、

とある(仝上)。中唐以後には、

各地に節度使が配置されて数州を管轄したが、その政庁は使府とよばれた。属官には判官・推官など令制外の幕職官が置かれ、従来の州県官の権限をしのいで管轄地域の軍事と行政を掌握した。幕職官も節度使の意向によって任用された、

とあるのが、上記の詩の背景となる。

これを転用して、日本では、

幕府、

は、

左右近衛府、大将、唐名羽林大将軍、常は幕府と云ふ、又幕下と云ふ(職下抄)、

と、

皇居警固の陣、

である、

近衛府の唐名、

として用い、転じて、

近衛大将の居館、

また、

近衛大将、

をさす(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。さらに、

右近衛大将であった源頼朝が建久三年(1192)征夷大将軍となったあとも、ひき続いてその居館を幕府と呼称した、

ことから、

武家政権の首長およびその居館の呼称、

つまり、

将軍、公方の政令を発する所、

の意味で(精選版日本国語大辞典)、

朝廷、

に対し、

武家の政府、

の意味で使う(大言海)。で、

柳営、

も、同じ意味で使う。日本では、

鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府、

があるが、歴史学上の用語としては、抽象的に、

武家政権、

を意味し、鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府を一貫して把握するものとされる。したがって政権の首長が征夷大将軍でない時期もその政権を「幕府」と称し、最近では首長の征夷大将軍任命をもって「幕府」の成立とはしない考え方がある、

とある(日本史小辞典)。現に、

1190年(建久1)源頼朝は右近衛大将に任ぜられ、やがて辞退したが、その居館を幕府、頼朝のことを幕下と呼ぶようになった、

けれども、

94年に頼朝は征夷大将軍の辞表を提出しているし、その子頼家が征夷大将軍になったのは、父のあとを継いで3年後である。1203年(建仁3)頼家の弟実朝が兄のあとを継ぐと同時に征夷大将軍に任ぜられ、それ以来武家政権の首長と征夷大将軍とが一体のように考えられるに至った。しかし鎌倉・室町幕府ではその首長が幼少のため、元服して征夷大将軍になるまで、征夷大将軍を欠くようなことは珍しくなく、とくに九条頼経、足利義政などは首長の地位についてから征夷大将軍となるまでの期間が6~7年に及んでいる、

とある(世界大百科事典)。

「幕」.gif

(「幕」 https://kakijun.jp/page/1327200.htmlより)

「幕」 中国最古の字書『説文解字』.png

(「幕」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)・漢 https://kakijun.jp/page/0881200.htmlより)

「幕」(漢音バク、呉音マク)は、

会意兼形声。莫(マク・バク)は、四つの屮印(草)の間に陽が隠れるさまを示す会意文字で、暮の原字。隠れて見えない意を含む。幕は「巾(ぬの)+音符莫」で、物を隠して見えなくするおおい、

とあり(漢字源)、

会意兼形声文字です(莫+巾)。「草むらの象形と太陽の象形」(太陽が草原に没したさまから、「ない・覆い隠す」の意味)と「頭に巻く布きれをひもにつけて帯にさしこむ」象形から、「覆う為の布(まく)」を意味する「幕」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1005.htmlが、

形声。「巾」+音符「莫 /*MAK/」。「とばり」「覆いのぬの」を意味する漢語{幕 /*maak/}を表す字、

ともhttps://kakijun.jp/page/0881200.html

形声。巾と、音符莫(バク)とから成る。おおう布、「まく」の意を表す、

とも(角川新字源)、形声文字とする説がある。

「府」.gif

(「府」 https://kakijun.jp/page/0881200.htmlより)

「府」 金文・戦国時代.png

(「府」 金文・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BA%9Cより)

「府」(フ)は、

会意兼形声。付(フ)は、人の背に手をぴたりとひっつけるさま。府は、「广(いえ)+音符付」で、物をびっしりとひっつけていれるくら、

とあり(漢字源)、同趣旨で、

会意兼形声文字です(广+付)。「屋根」の象形と「横から見た人の象形と、右手の手首に親指をあて脈をはかる象形(「手」の意味)」(人に手で「物をつける」の意味)から重要な書類をよせて(つけて)しまっておく、「くら」を意味する「府」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji572.htmlが、

形声。「广」(建物)+音符「付 /*PO/」。「蔵」を意味する漢語{府 /*p(r)oʔ/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BA%9C

形声。广と、音符付(フ)とから成る。文書などをしまっておく「くら」の意を表す、

とも(角川新字源)あり、形声文字とする。「府」は、

宝物や文書をしまう建物、

つまり、

くら、

の意だが、

政府、

というように、

役所、

も意味し、

唐から清代にかけての行政区画のひとつ、州の上位に位置し、州・県を統括する、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:幕府 柳営
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2024年04月23日

ゆたのたゆたに


いでわれを人なとがめそ大舟のゆたのたゆたにもの思ふころぞ(新古今和歌集)、

の、

ゆたのたゆたに、

は、

あが心ゆたにたゆたに浮き蓴(ぬなは)辺(へ)にも沖にも寄りかつましじ(万葉集)、

の、

「ゆたにたゆたに」の転、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。なお、

蓴(ぬなは)、

は、

スイレン科の水生の多年草の蓴菜(じゅんさい)、

である(仝上)。

ゆたのたゆたに、

は、

寛のたゆたに、

と当て、後世、

ゆだのたゆだに、

ともいい(精選版日本国語大辞典)、

ゆらゆらとただよい動いて、
甚だ揺蕩(たゆた)ひて、

といった(仝上・大言海)状態表現の意で、それが、価値表現に敷衍して、

不安定で落ち着かないようす、

を表す(学研全訳古語辞典)。

ゆた、

は、

寛、

と当て、

かくばかり恋ひむものそと知らませばその夜(よ)はゆたにあらましものを(万葉集)、

と、

ゆったりしたさま、
余裕のあるさま、

の意で(岩波古語辞典)、さらに、上述の、

ゆたにたゆたに、

のように、

ゆったりして不定のさま、

の意になり(仝上)、

たゆたに、

は、

タは接頭語、

で、

ゆたに、

ともいい、

ゆた、

は、上述のように、

ゆるめやかでさだまらないさま、

の意となり(仝上)、

ゆらゆら、

の状態表現から、

気持の揺れて定まらないさま、

の価値表現としても使う(仝上)。動詞の、

たゆたふ、

は、

揺蕩(たゆた)ふ、
猶予ふ、
猶預ふ、

等々と当て(大言海・日本語源大辞典・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、

タは接頭語、ユタはゆるやかでさだまらないさま、

とある(岩波古語辞典)が、やはりもとは、

天雲の多由多比(タユタヒ)来れば九月(ながつき)のもみちの山もうつろひにけり(万葉集)、

と、

水などに浮いているものや煙などが、あちらこちらとさだめなくゆれ動く、
ひと所にとまらないでゆらゆらと動く、
ただよう、

という状態表現の意味だが、それをメタファにして、

常止まず通ひし君が使ひ来ず今は逢はじと絶多比(たゆタヒ)ぬらし(万葉集)、

と、

心が動揺して定まらなくなる、
ぐずぐずして決心がつかない状態になる、
躊躇(ちゅうちょ)する、
ぐずぐずする、

という価値表現の意で使う(精選版日本国語大辞典)。で、この意味の時は、

躊躇、
猶予(いざよう)、
依違(いい)、

と意味が重なる(仝上・大言海)。

たゆたふ、

の語源は、

タは接頭語、ユタはゆるやかでさだまらないさま(岩波古語辞典)、

以外に、

ユタユタの略、タヤタの活用語(万葉考)、
タユミ-タタフ(湛)の義(名語記)、
漂う意で、タユタユ(徒動徒動)の義(言元梯)、
タは接頭語、ユタはユタカ(裕)の語幹(日本古語大辞典=松岡静雄)、

等々あるが、上述の流れから見て、やはり、

タは接頭語、ユタはゆるやかでさだまらないさま、

からきていると見るのが妥当に思われる。

「寛」.gif

(「寛」 https://kakijun.jp/page/1323200.htmlより)

「寬」.gif


「寛」(カン)は、

会意兼形声。萈(カン)は、からだのまるい山羊を描いた象形文字。まるい意を含む。寛はそれを音符とし、宀(いえ)を加えた字で、中がまるくゆとりがあって、自由に動ける大きい家。転じて、ひろく中にゆとりのある意を示す、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(宀+莧(萈))。「屋根・家屋」の象形と「角と目とを強調した、やぎ」の象形から、小屋の中にゆったりとしているやぎのさまを表し、そこから、「ひろい」を意味する「寛」という漢字が成り立ちました、

(https://okjiten.jp/kanji1690.html)同趣旨たが、

形声。宀と、音符萈(クワン)とから成る。広い家、ひいて「ひろい」意を表す。常用漢字は省略形による、

と(角川新字源)、

形声。「宀」+音符「萈 /*KWAN/」。「ひろい」を意味する漢語{寬 /*kwhaan/}を表す字、

(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AF%AC)、形声文字とする説もある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年04月22日

下紐


思ふとも恋ふともあはむものなれやゆふ手もたゆくとくる下紐(古今和歌集)、

の、

とくる下紐、

は、

下紐が解けるのは、思いを寄せる相手と逢える前兆と信じられていた、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

下紐(したひも)、

は、

装束の下、肌着の上に結ぶ帯、したおび、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

下裳(したも)などのひも(岩波古語辞典・大言海)、
下裳(したも)・下袴(したばかま)などの紐、下結(したゆう)紐(デジタル大辞泉)、
腰から下に着用する裳(も)や袴(はかま)などの紐(学研全訳古語辞典)、

等々とあり、

人に恋ひらるる時は、下紐、解くることありと言ひならはして、歌にむ多く其意に云へり、

とある(大言海)。また、

我妹子し吾(あ)を偲ふらし草枕旅之丸寝(たびのまろね)に下紐解けぬ(万葉集)、

と、

下紐が自然に解けるのは、相手から思われているか、恋人に会える前兆とする俗信があった、

が、また、

男女が共寝した後、互いに相手の下紐を結び合って、再び会うまで解かない約束をする習慣があった、

ともある(学研全訳古語辞典)。万葉時代には、

紐の結び、

の伝統があって、

恋人同士が別れる前に互いの魂を分け与えるという意味で、「下紐」を結び交わした。その結び目は再会するまで解けることなく維持されるのが原則であった。その「結び目」が解けたり切れたりするのは互いの魂の遊離を意味し、不吉なものであった、

といい、他方、

下紐解く、

ことを、

離れている二人が相手を思い、その強い思いが魂の片鱗である下紐の結び目に作用して自然に解けるという考え方をも有していた、

とあるhttps://www.earticle.net/Article/A280071)。これが、平安時代には、

思ふ心のしるし、

としての「下紐」信仰のみが影響力を持った、

とあり、不吉な意味はなくなり、「下紐」の表現は多様化して、

夜半の下紐(男女の間柄が親密なってうちとける様子)、
花の下紐(女性が男性に身をまかせる表現から花のつぼみが開く様子を表す表現として定着)、
下紐の関(片想いの障害物か、男女が逢ってはいるがそれにも関わらず存在する障害物の象徴)、

等々といった慣用句を産み出した(仝上)とある。

下紐(したひも)、

は、

日本書紀では、

遂(つひ)に美麗(うるは)しき小蛇(こをろち)有り。其(そ)の長(なか)さ大(おをき)さ衣紉(シタヒモ)の如(こと)し、

と清音だが、万葉集では、

うるはしと思ひし思はば之多婢毛(シタビモ)に結ひつけ持ちて止まず偲(しの)はせ、

と、

したびも、

と濁音である(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

下紐、

の意は、下ると、日葡辞書(1603~04)では、

ふんどし、

の意、江戸時代には、

いつ見ならひけるつまなげ出しの居ずまひ、白羽二重の下紐(シタヒモ)を態と見せるはさもし(好色一代女(1686)、

と、

腰巻、

をいい(仝上)。

二布(ふたの)、
したへぼ、

ともいった(仝上)とある。

なお、

下紐の、

は、

物思(ものも)ふと人には見えじ下紐(したびも)の下(した)ゆ恋ふるに月そ経にける(万葉集)、

と、

「下紐」の「下」と同音の繰り返しで「下ゆ恋ふる」にかかり、また、下紐を解く意で、「解(と)く」と同音の地名「土岐(とき)」に、下紐を結う意で、「結(ゆ)ふ」と同音の「夕」にかかる、

枕詞として使われ、

男女が別れる時に互いに下紐を結び合い、再会して解き合うまでその紐を解かないという習慣、また信仰があったので、その恋の心を含ませて用いる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「紐」.gif

(「紐」 https://kakijun.jp/page/himo200.htmlより)

「紐」(慣用チュウ、漢音ジュウ、呉音ニュウ)は、

会意兼形声。「糸+音符丑(チウ ねじる、ひねって曲げる)」で、柔らかい寝(い)を寝(ぬ)含む、

とあり(漢字源)、

会意兼形声文字です(糸+丑)。「より糸」の象形(「糸」の意味)と「手指に堅く力を入れてひねる」象形(「ひねる」の意味)から、ひねって堅く結ぶ「ひも」を意味する「紐」という漢字が成り立ちました、

ともある(https://okjiten.jp/kanji2650.html)が、

形声。糸と、音符丑(チウ)→(ヂウ)とから成る(角川新字源)、

と、形声文字とする説もある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年04月21日

しきたへ


わが恋を人知るらめやしきたへの枕のみこそ知らば知るらめ(古今和歌集)、
しきたへの枕の下に海はあれど人をみるめはおひずぞありける(古今和歌集)、

の、

しきたへの、

は、

枕、床、袖などににかかる枕詞、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

しきたえ、

は、

敷栲、
敷妙、

と当て、

共寝するために敷く栲(たへ)、

の意(岩波古語辞典)で、

寝床に敷いて寝る衣、

をいう(大言海・岩波古語辞典)。

栲(たへ)、

は、

たく、

ともいい(大言海)、

楮(こうぞ)類の皮からとった白色の繊維、またそれで織った布(岩波古語辞典)、
梶(かじ)の木などの繊維で織った、一説に、織目の細かい絹布。布(精選版日本国語大辞典)、
殻の木の糸(祭に用ゐるときは木綿(ユフ)とも云ふ)を以て織りなせる布(大言海)、
古へかぢの木の皮の繊維にて織りし白布(字源)、

等々とあり、

コウゾの古名(デジタル大辞泉)、
「かじのき(梶木)」、または「こうぞ(楮)」の古名(精選版日本国語大辞典)、

ともあるのは、

カジノキとコウゾは古くはほとんど区別されていなかったようである。中国では「栲」の字はヌルデを意味する。「栲(たく)」は樹皮を用いて作った布で、「タパ」と呼ばれるカジノキなどの樹皮を打ち伸ばして作った布と同様のものとされる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

純白で光沢がある、

ため(仝上)、

色白ければ、常に白き意に代へ用ゐる

とあり(大言海)、

白栲(しろたへ)、
和栲(にぎたへ)、
栲(たへ)の袴、
栲衾(たくぶすま)、

などという(仝上・字源)。

栲、

は、

ハタヘ(皮隔)の義(言元梯)、
たへ(手綜)の義(日本古語大辞典=松岡静雄・続上代特殊仮名音義=森重敏)、

と、「織る」ことと関わらせる説もある(「綜(ふ)」については触れた)が、

堪(た)へにて、切れずの義か、又、妙なる意か、

とある(大言海)ように、

妙、

と同根とされる(岩波古語辞典)。また、

御服(みそ)は明る妙(タヘ)・照る妙(タヘ)・和(にき)妙(タヘ)・荒妙(あらたへ)に称辞竟(たたへごとを)へまつらむ(「延喜式(927)祝詞(九条家本訓)」)、

とあるように、

布類の総称、

として、

妙、

を当てている(精選版日本国語大辞典)例もある。

しきたへの、

は、枕詞として、

明星(あかぼし)の 明くる朝(あした)は敷多倍乃(しきタヘノ)床(とこ)の辺去らず(万葉集)、

と、

「しきたえ」は敷物とする栲(たえ)、すなわち寝具の意となるところから、寝具として使われる「床」「枕」「手枕」、

などにかかり、また、

ますらをと思へる我も敷妙乃(しきたへノ)衣の袖は通りて濡れぬ(万葉集)、

と、

夜の衣や袖(そで)なども、下に敷いて寝るところから、「衣」「袖」「袂」「黒髪」、

などにかかり、夜床のある家の意からか、

留めえぬ命にしあれば敷細乃(しきたへノ)家ゆは出でて雲隠りにき(万葉集)、

と、

家、

にかかり、

寄る波の涼しくもあるか敷妙の袖師(そでし)の浦の秋の初風(新勅撰和歌集)、

と、

袖や床と同音を語頭にもつ地名「袖師の浜」「鳥籠(とこ)の山」「とこの海」、゛

などにかかる使われ方をする(精選版日本国語大辞典)。

しろたへ、

は、

白栲、
白妙、

と当て、

春過ぎて夏来にけらし白たへの衣干すてふ天の香具山(新古今和歌集)
卯の花の咲きぬる時は白たへの波もて結へる垣根とぞ見る(仝上)

などと詠われるが、

栲(たえ)で作った製品の意で、繊維製品を表わす、

ので、

やすみしし我が大君の獣(しし)待つと呉床(あぐら)にいまし斯漏多閉能(シロタヘノ)衣手(そて)着備ふ(古事記)、

と、

「衣(ころも)」「衣で」「下衣(したごろも)」「袖(そで)」「たもと」「たすき」「帯」「紐(ひも)」「領巾(ひれ)」「天羽衣(あまのはごろも)」「幣帛(みてぐら)」、

などにかかり、白栲のように真白なの意で、

まそ鏡照るべき月を白妙乃(しろたへノ)雲か隠せる天つ霧かも(万葉集)、

と、

「君が手枕(たまくら)」「雲」「月」「雪」「光」「砂」「鶴(つる)」「梅」「菊」「卯(う)の花」、

など、白いものを表わす語にかかる(精選版日本国語大辞典)。

栲、

は、

上代において、衣料の素材として用いられていたため、「白栲」は、「万葉集」では、

衣服に関する語の枕詞として多用される。実生活に即した語ではあるが、一方で「白妙」という美称的表記も用いられ、歌語としての萌芽が認められる、

とある(精選版日本国語大辞典)。時代が下ると、「栲」が生活に用いられることはなくなり、それに伴って「白栲」は観念的なものとなっていき、歌語としては白色のみが強く意識され、白の象徴としての枕詞になっていく(仝上)とある。

「敷」.gif

(「敷」 https://kakijun.jp/page/1543200.htmlより)

「敷」(フ)は、

会意兼形声。甫(ホ・フ)は、芽のはえ出たたんぼを示す会意文字で、平らな畑のこと。圃(ホ)の原字。旉(フ しく)は、もと「寸(手の指)+音符甫(平ら)」の会意兼形声文字で、指四本を平らにそろえてぴたりと当てること。敷はそれを音符とし、攴(動詞の記号)をそえた字で、ぴたりと平らに当てる、または平に伸ばす動作を示す、

とあり(漢字源・角川新字源)、

会意兼形声文字です(旉+攵(攴))。「草の芽の象形と耕地(田畑)の象形と右手の象形」(「稲の苗をしきならべる」の意味)と「ボクッという音を表す擬声語と右手の象形」(「ボクッと打つ・たたく」の意味)から、「しく」を意味する「敷」という漢字が成り立ちました、

ともある(https://okjiten.jp/kanji1111.html)が、別に、

形声。「攴」+音符「尃 /*PA/」。「しく」を意味する漢語{敷 /*ph(r)a/}を表す字、

とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%95%B7)ある。

「栲」.gif


「栲」(こう)は、

会意兼形声。「木+音符考(まがる)」で、くねくねと曲がった木、

とある(漢字源)。
中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、

紵緒の旁(つくり)を省き、合して木篇としたるもの、

とあり(大言海)、「栲」は、

樗(アフチ 「楝(あふち)」に似たる一種の喬木、

で、

栲栳量金買斷春(盧延譲詩)、

と、

栲栳(カウラウ)、

は、柳條をまげて作り、物を盛る器、

とある(字源・漢字源)。

「妙」 漢字.gif

(「妙」 https://kakijun.jp/page/0768200.htmlより)

「妙」(漢音ビョウ、呉音ミョウ)は、「妙見大悲者」で触れたように、

会意文字。少は「小+ノ(けずる)」の会意文字で、小さく削ることをあらわす。妙は「女+少」で、女性の小柄で細く、なんとなく美しい姿を示す。細く小さい意を含む、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。女と、少(セウ→ベウ わかい)とから成り、年若い女、ひいて、美しい意を表す。また、杪(ベウ)・眇(ベウ)に通じて、かすかの意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(女+少)。「両手をしなびやかに重ね、ひざまずく女性」の象形と「小さい点」の象形(「まれ・わずか」の意味)から、奥床しい女性(深みと品位がある女性)を意味し、そこから、「美しい」、「不思議ではかりしれない」を意味する「妙」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1122.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年04月20日

齋院


忘れめや葵を草に引き結び仮寝の野辺の露のあけぼの(式子内親王)、

の詞書に、

斎院に侍りける時、神館にて、

とある(新古今和歌集)。

斎院、

は、

賀茂社に奉仕する斎王。未婚の内親王・女王が卜定された、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

神館、

は、

神事の際に神官などが参籠する建物、

とあり、

ちはやぶる斎(いつき)の宮の旅寝には葵ぞ草の枕なりける(千載和歌集)、

があり、これは、

祭の使として神館に宿り、斎院女房に贈った詠、

なので、これを意識するか、とある(仝上)。式子内親王集によれば、

斎院退下後の詠と見られる、

とある(仝上)。なお、歌の中の、

葵、

は、

賀茂葵、

を指し、

二葉葵、

ともいい、

賀茂社の神事に用いられる、

とある(仝上)。

返さの日」で触れたように、

返さの日、

は、

祭の次の日、祭を終わって賀茂の斎院が紫野(賀茂の斎宮の御所があった)へ帰っていく、それを公卿が行列で送るのである、

とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

賀茂斎院(かものさいいん)、

は、

いつきのみや、

ともいい、

賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)、賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)からなる賀茂社に奉仕する、未婚の内親王または女王、

をいう(国史大辞典)。伊勢神宮の斎宮と併せて、

斎王(さいおう)、
斎皇女(いつきのみこ)、

と呼ばれ、

伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王(親王宣下を受けた天皇の皇女)または女王(親王宣下を受けていない天皇の皇女、あるいは親王の王女)、

だが、厳密には、

内親王の場合は「斎内親王」、
女王の場合は「斎女王」、

といい、両者を総称して、

斎王、

と呼んでいるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E7%8E%8B。伊勢神宮の斎王は特に、

斎宮(さいぐう)、

賀茂神社の斎王は特に、

斎院(さいいん)、

と呼んだ(仝上)。また、単に、

斎(いつき)、

ともいう(大言海)。

賀茂斎院制度の起源は、平安時代初期、

平城上皇が弟嵯峨天皇と対立して、平安京から平城京へ都を戻そうとした際、嵯峨天皇は王城鎮守の神とされた賀茂大神に対し、我が方に利あらば皇女を「阿礼少女(あれおとめ、賀茂神社の神迎えの儀式に奉仕する女性の意)」として捧げると祈願をかけ、仁元年(810年)薬子の変で嵯峨天皇側が勝利した後、誓いどおりに娘の有智子内親王を斎王としたのが賀茂斎院の始まり、

とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E9%99%A2・國史大辞典)。

伊勢神宮の、

斎王(斎宮)、

に倣い、歴代の斎王は、

内親王あるいは女王から占いによって選出され、賀茂川で禊を行い、宮中初斎院での二年の潔斎の後、三年目の四月上旬に、平安京北辺の紫野に置かれた本院(斎院御所)に参入し、再び賀茂川で禊をしてから、仏事や不浄を避ける清浄な生活を送りながら、年中祭儀や賀茂社での葵祭などに奉仕した、

とされる(仝上)。で、その御所の地名から、

紫野斎院(むらさきのさいいん)、

あるいは、

紫野院(むらさきのいん)、

とも呼ばれた(仝上)。特に重要なのは四月酉の日の賀茂祭で、

祭当日斎院は御所車にて出御され、勅使以下諸役は供奉し先ず下社へ次いで上社へ参向・祭儀が執り行われる。上社にては本殿右座に直座され行われた、

とあるhttp://www.genji.co.jp/yukari/aoi/saiin.html。この時の斎院の華麗な行列はとりわけ人気が高く、枕草子にも、

見物は、臨時の祭 行幸 祭の還さ 御賀茂詣で、

とある。「祭の還さ」が、

斎王の還御、

である(仝上)。祭り当日の夜は御阿礼所前の神館に宿泊され翌日野宮(紫野院)へ戻られたのである。

齋院制度は、

9世紀初めから13世紀初めまでの約400年間続き、35人が斎院をつとめた、

とある(国史大辞典)。

「齋」.gif

(「齋」 https://kakijun.jp/page/sai200.htmlより)

「斎(齋)」(漢音サイ、呉音セ)は、「斎」は「(とき)」で触れたように、

会意兼形声。「示+音符齊(サイ・セイ きちんとそろえる)の略体」。祭りのために心身をきちんと整えること、

である(漢字源)。別に、

形声。示と、音符齊(セイ、サイ)とから成る。神を祭るとき、心身を清めととのえる意を表す。転じて、はなれやの意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(斉+示)。「穀物の穂が伸びて生え揃っている」象形(「整える」の意味)と「神にいけにえを捧げる台」の象形(『祖先神』の意味)から、「心身を清め整えて神につかえる」、「物忌みする(飲食や行いをつつしんでけがれを去り、心身を清める)」を意味する「斎」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1829.htmlある。

とあり、やはり、心身を浄め整える意味がある。

「院」.gif

(「院」 https://kakijun.jp/page/1081200.htmlより)


「院」 中国最古の字書『説文解字』.png

(「院」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%A2より)

「院」(慣用イン、漢音呉音エン)は、

会意兼形声。「阜(土もり)+音符完(丸く欠け目なくとりかこむ)」。周りを囲んだ土べい、

とある(漢字源)。別に、

形声。「阜」+音符「完 /*KON/」。「かきね」を意味する漢語{院 /*waan/}を表す字。音変化 *-on > *-wan の後に「完」が音符として充当されたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%A2

形声。阜と、音符完(クワン)→(ヱン)とから成る。家の周囲にめぐらした土塀、また、その家の意を表す(角川新字源)、

会意兼形声文字です(阝+完)。「段のついた土山の象形」と「家の屋根・家屋と、冠をつけた人の象形」(「家の周囲の土塀」の意味)から「堅固な垣根・建物」を意味する「院」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji451.html)

等々とあり、ほぼ同趣旨である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年04月19日

坎壈(かんらん)


卽今瓢泊干戈際(卽今 瓢泊す 干戈(かんか)の際)
屡貌尋常行路人(屡(しば)しば尋常行路の人を貌(えが)く)
途窮反遭俗眼白(途(みち)窮(きわ)まり反(かえ)って俗眼の白きに遭(あ)う)
世上未有如公貧(世上未だ公の如く貧しきは有らず)
但看古来盛名下(但し看よ古来盛名の下)
終日坎壈纏其身(終日坎壈の其身を纏(まと)うを)(杜甫・丹青引贈曹将軍覇)

の、

干戈、

は、

楯と矛、

で、

戦争、

の意、

坎壈(かんらん)、

は、

思うとおりにならなくて困窮すること、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

坎壈(かんらん)、

は、

志を得ないさま。望み通りにならず心が満たされないさま、

をいいhttps://kanji.jitenon.jp/kanjiy/13876.html

百度百科には、

坎壈是一个汉语词汇……意为困顿、不顺利(坎壈是一個漢語詞匯(彙)、……意為困頓、不順利)、

とある。

永井荷風は、「下谷叢話」で、

然レドモ九皐詩文ヲ以テ高ク自ラ矜持(きょうじ)シ世ニ售(う)ルコトヲ欲セズ。今四十ヲ過ギテナホ坎壈(かんらん)ヲ抱ク。コレラノ作アル所以(ゆえん)ナリ。方今在位ノ人真才ヲ荒烟(こうえん)寂寞(じゃくまく)ノ郷ニ取ラズ。吁(ああ)惜ムベキ哉 (新字新仮名)、

と使っておりhttps://furigana.info/r/%E3%81%8B%E3%82%93%E3%82%89%E3%82%93、空海は、『三教指帰(さんごうしいき)』で、

或るときは金巖(きんがん)に登つて雪に遇うて坎壈(かんらん)たり、或るときは石峯(せきほう)に跨(また)がって粮(かて)を絶つて轗軻(かんか)たり、

と使っているhttps://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/10/view/1737)

「坎」.gif


「坎」(漢音カン、呉音コン)は、「かん日」で触れたように、

会意兼形声。欠(ケン)は、人がからだをくぼませたさまを描いた象形文字。坎は「土+音符欠」。土にくぼんだ穴を掘ること、

とあり(漢字源)、

坎穽(カンセイ)、

は、

陥穽、

と書きかえられhttps://www.kanjipedia.jp/kanji/0001026100

坎、

は、

陥、

と書き換えられるものがある(仝上)とある。

「壈」.gif


「壈」(ラン)については、手元の漢和辞典(字源)には載らず、

坎壈(かんらん)、

としての用例のみが、かろうじて載る(https://kanji.jitenon.jp/kanjiy/13876.html)。で、

壈、

の「旁」の、

稟、

を調べてみた。

「稟」 金文・西周.png

(「稟(禀)」 https://kakijun.jp/page/rin13200.htmlより)


「稟」 金文・西周.png

(「稟(禀)」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A8%9Fより)

「稟」(①ヒン、②リン)は、

会意文字。「禾(穀物)+屋根付きの丸い米蔵のかたちろ」。収納していた作物をあらわす。転じて、食糧のこと、

とあり(漢字源)、「さずかった食糧」「さずかる、うける(稟命、稟樂)」「天から授かった性質(天稟・稟性)」「申し上げる(稟告)」等々は、①の発音、こめぐら(米蔵 廩)の意は、二の発音となる(仝上)。他に、

会意形声。禾と、㐭(リム)(こめぐら)とから成る。「こめぐら」、転じて「うける」意を表す(角川新字源)、
会意文字です。「米蔵」の象形と「穂の先が茎の先端に垂れかかる稲」の象形から、「米蔵の中の穀物」、「扶持米」を意味する「稟」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2350.html)

とある。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

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ラベル:坎壈
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2024年04月18日

飼ふ


駒とめてなほ水かはむ山吹の花の露そふ井手の玉川(皇太后宮大夫(藤原)俊成)、

の、

花の露そふ、

は、

詠歌一体で制詞とされる、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

制詞、

とは、

制(せい)の詞(ことば)、

ともいい、

禁制の歌詞、

といい、歌学で、

聞きづらいとか、耳馴れないとか、特定の個人が創始した表現であるなどの理由から、和歌を詠むに当たって用いてはならないと禁止したことば、

とされ、鎌倉初期の歌論書『詠歌一体(えいがいったい)』で、藤原為家が説いている(精選版日本国語大辞典)とある。

水かはむ、

は、

馬に水を飲ませよう、

の意で、

馬に飼料や水を与えること、

を、

飼ふ、

という(久保田淳訳注『新古今和歌集』)とある。

飼ふ、

は、

養ふ、

とも当て(大言海)、

さ檜(ひ)の隈(くま)檜(ひ)の隈川に馬駐(とど)め馬に水令飲(かへ)吾外(よそ)に見む(万葉集)、

と、

食物や水をあてがう、

意であり、日葡辞書(1603~04)にも、

エ(餌)ヲトリニカウ、

とある(広辞苑)。更に意味を広げて、

鉗(かなき)着け吾が柯賦(カフ)駒は引出せず(日本書紀)、

と、

食べ物や水などを与えて生命を養う、

つまり、

飼育する、

意でも使う(精選版日本国語大辞典)。さらに転じて、

人にくすりをかふて馬になす(狂言「人を馬(室町末‐近世初)」)、

と、

人や動物に毒や薬などを与える、

また、比喩的に用いて、

悪知恵などを授ける、

意でも使う(仝上)。

飼ふ、

の由来は、

支(か)ふと通ずるか、口に支ふ意、宛てがふ、土かふ同じ(大言海)、

とあるのが妥当に思える。他に、

食物をアテガフル意(和句解)、
ケフ(食触)の義(言元梯)、
家生の義(和語私臆鈔)、
キアフ(来合)の約、かう人の心とかわれる者の心の来合うこと(国語本義)、
カヒ(飼)はクハリ(配)イヒの義、クハの約か、リ、イを略す(和訓考)
クサハム(草喰)の反(名語記)、

等々あるが、

カフ、

の音からの解釈が多く、もともとの、

食物や水をあてがう、

という意とも反する気がする。

支(か)ふ、

は、

あななう、
支えんと當つ、
支柱をなす、
つっかう、

意で(大言海)、

心張り棒をかう、
鍵をかう、

と今でも使う。

あななう(扶翼)、

は、

彌(いや)務めに彌結(しま)りに阿奈々比(アナナヒ)奉り、輔佐(たすけ)奉らむ事に依りて(續日本紀)、

と、

助ける、
補佐する、

意で、

「たすく(助)」と併用されることが多い、

とある(精選版日本国語大辞典)。名詞、

あななひ(麻柱)、

は、

支柱、

の意である(大言海)。

「飼」.gif


「飼」(漢音シ、呉音ジ)は、

形声。「食+音符司」。司の本の意味は関係がない、

とある(漢字源)が、別に、

形声。「食」+音符「司 /*LƏ/」。「やしなう」を意味する漢語{飼 /*sləks/}を表す字。もと「食」が{飼}を表す字であったが、音符を加えたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A3%BC

とあり、

会意で、食と、人(ひと)とから成る。飼は、形声で、食と、音符司(シ)とから成る。「やしなう」意を表す(角川新字源)、

会意兼形声文字です(食+司)。「食器に食べ物を盛り、それにふたをした」象形(「食べ物」の意味)と「まつりの旗・口の象形」(「祭事を司る(職務として行う)」の意味)から動物を「かう(養い育てる)」を意味する「飼」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji816.html

と、会意文字、会意兼形声文字とする説もある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年04月17日

積水


積水不可極(積水(せきすい) 極む可(べ)からず)
安知滄海東(安(いずく)んぞ滄海の東を知らんや)(王維・送秘書晁監(阿部仲麿)還日本国)

の、

積水、

は、

海のこと、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。「荀子」儒効篇に、

水を積む、これを海という、

とあるのにもとづく(仝上)とある。

勝者之戦、若決積水於千仞之谿者形也(孫氏)、

とあるように、

あつまりたまった水、

の意で、転じて、上記のように、

積水而為海(荀子)、

と、

海の異名、

ともなる(字源)。因みに、会社名の、

積水、

は、上記「孫子」の、

積水を千仞の谿(せんじんのたに)に決するがごときは、形なり、

に因んだものhttps://president.jp/articles/-/73?page=1という。

なお、

積水、

は、中国で、

北河(ふたご座の三星)の西北にある星の名、

としても使われている(漢書・李尋伝)とある(精選版日本国語大辞典)。

北河(ホクカ)、

は、

ふたご座の2つの1等星、

の名で、黄河最北端の河の流れを別けて南河(なんか)、北河(ほくか)とした、

とあるhttps://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1430291022251/index.html。古く、

匈奴が活躍した北方の地を東に流れる黄河は南北に分かれて東に流れますが、分かれた流れの北の部分を北河、南に流れる部分を南河と呼び、この流れに天の川を例えて呼んだ、

とある(仝上)。また、

積水星、

の位置については詳しく調べたものがありhttps://www.kotenmon.com/str/china/china_037.html、それに譲る。

なお、「積む」については触れた。

「積」.gif

(「積」 https://kakijun.jp/page/1644200.htmlより)

「積」(①漢音セキ・呉音シャク、②漢音呉音シ、慣用セキ)は、

会意兼形声。朿(シ・セキ)は、とげの出た枝を描いた象形文字で、刺(サス)の原字。責はそれに貝を加えて財貨の貸借が重なって、つらさや刺激を与えること。積は「禾(作物)+音符責」で、末端がぎざぎざと刺激するようにぞんざいに作物を重ねること、

とある(漢字源)。「集積」「積年」のように「つむ」意は、①の発音、掛け算の数値の「積」、「貯積」のように、貯える意は、②の発音、とある(仝上)。別に、

会意兼形声文字です(禾+責)。「穂先がたれかかる稲」の象形と「とげの象形と子安貝(貨幣)の象形」(「金品を責め求める」の意味)から、農作物を求め「集める・たくわえる・つむ」を意味する「積」という漢字が成り立ちました、

とするもの(https://okjiten.jp/kanji591.html)のほか、

形声。「禾」+音符「責 /*TSEK/」。「たくわえる」「つみあげる」を意味する漢語{積 /*tsek/}を表す字、

とするもの(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A9%8D)

形声。禾と、音符責(サク)→(セキ)とから成る。いねを重ねつむ、ひいて「つむ」意を表す、

とするもの(角川新字源)など、形声文字とする説もある。

「水」.gif

(「水」 https://kakijun.jp/page/0467200.htmlより)


「水」 甲骨文字・殷.png

(「水」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%B4より)

「水」(スイ)は、

象形。みずの流れの姿を描いたもの、

とあり(漢字源)、他も、

象形。水流を象る。「みず」を意味する漢語{水 /*stujʔ/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%B4

象形。水が流れるさまにかたどり、河川・水液の意を表す(角川新字源)、

象形文字です。「流れる水」の象形から、「みず」を意味する「水」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji83.html)

等々ほぼ一致している。

参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

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ラベル:積水
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2024年04月16日

丹青


丹青不知老将至(丹青 老いの将(まさ)に至らんとするを知らず)
富貴於我如浮雲(富貴は我に於て浮雲(ふうん)の如し)(杜甫・丹青引贈曹将軍覇)

の、

丹青、

は、

赤と青、

で、

絵画をいう(前野直彬注解『唐詩選』)とある。

丹青(たんせい)、

は、

丹砂と青雘(せいわく)、すなわち赤の絵具の材料になる石と青の絵具の材料になる土、

を指し、そこから、また、

赤い色と青い色、

をも意味する(精選版日本国語大辞典)。

丹碧、

ともいう(仝上)。転じて、

雖竹帛所載、丹青所畫、何以過子卿(漢書・蘇武傳)、

と、

絵具、
絵具の色、

で、

絵具を塗ること、
彩色、

の意で使い(仝上)、さらに、

毎疑丹青過實、今観此景、乃知良工苦心(客越志)、

と、

彩色畫、

の意でも使う(字源)。日葡辞書(1603~04)には、

タンゼイ、エヲカク、

とあり(広辞苑)、

たんぜい、

とも訓み、

而習丹青之業以来、不致朝夕之恪勤(漢書・蘇武伝)、

と、

絵画、

また、

絵を描くこと、

の意でも使い(精選版日本国語大辞典)、当然ながら、

見嵩大師所持梵才三蔵真影。三蔵自作偈。小師徳嵩写予真乞讚。以偈答之。爾命丹青。絵予之相(「参天台五台山記(1072‐73)」)、

と、

絵を描く人、
画家、

意でも使う(仝上)。

まごころ、
不変のもの、
簡札、
歴史の書、

の意もある(字通)とあり、宋の文天祥「正気の歌」では、

天地有正気
雑然賦流形
下則為河獄
上則為日星
於人為浩然
沛乎塞蒼冥
皇路当清夷
含和吐明庭
時窮節乃見
一一垂丹青、

と、

歴史の書、

の意で使っている。

「丹」.gif

(「丹」 https://kakijun.jp/page/0405200.htmlより)

「丹」 甲骨文字・殷.png

(「丹」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9より)

「丹」(タン)は、

会意文字。土中に掘った井型のわくの中から、赤い丹砂が現れ出るさまを示すもので、あかい物があらわれ出ることをあらわす。旃(セン 赤い旗)の音符となる、

とある(漢字源)が、

会意。「井」+「丶」、木枠で囲んだ穴(丹井)から赤い丹砂が掘り出される様、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9、会意文字とも、

象形。採掘坑からほりだされた丹砂(朱色の鉱物)の形にかたどる。丹砂、ひいて、あかい色や顔料の意を表す、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「丹砂(水銀と硫黄が化合した赤色の鉱石)を採掘する井戸」の象形から、「丹砂」、「赤色の土」、「濃い赤色」を意味する「丹」という漢字が成り立ちました、

https://okjiten.jp/kanji1213.html、象形文字ともある。

参考文献;
冨谷至『中国義士伝』(中公新書)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年04月15日

寝(い)を寝(ぬ)


いもやすく寝られざりけり春の夜は花の散るのみ夢に見えつつ(新古今和歌集)、

の、

いもやすく、

は、

眠りも安らかに、

の意とあり、

「い」は「寝」、

で、

眠ること、

を、

寝(い)を寝(ぬ)、

といったとある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

寝を寝(いをぬ)、

は、

名詞「い(寝)」+動詞「ぬ(寝)」(デジタル大辞泉)、

つまり、

い(寝)を動詞ぬ(寝)の義(大言海)、

で、

イは睡眠、ヌは横になる、

意で(岩波古語辞典)、

家思ふと伊乎禰(イヲネ)ずをれば鶴(たづ)が鳴く葦辺も見えず春の霞に(万葉集)、

と、

横になって眠る、

つまり、

寝る、
眠りにつく、

意である(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。名詞、

い(寝)、

は、

人間の生理的な睡眠、類義語寝(ぬ)は、体を横たえること、ネブリ(眠)は時・所・形にかまわずする居眠り、

とあり(岩波古語辞典)、ふつう、

助詞「の」「を」「も」などを介して次に動詞「ぬ(寝)」がくる形をとる、

とあり、古くから独立性が弱く、

いを寝(ぬ)、
いの寝(ね)らえぬ、

など、助詞を介して、

玉手(たまで)さし枕(ま)き股長(ももなが)に伊(イ)は寝(な)さむを(古事記)、

と、

い…ぬ、

の形で用いられる。なお、「い」と「ぬ」とが直接結合した、

「いぬ」は、上記万葉集の表記から考えて、すでに一語化していたとみられる、

とある(精選版日本国語大辞典)。ちなみに、

寝の寝らえぬ(いのねらえぬ)、

は、

妹を思ひ伊能禰良延奴(イノネラエヌ)に暁(あかとき)の朝霧ごもり雁がねそ鳴く(万葉集)、

と、

眠りにつくことができない、
熟睡することができない、

意で、

「らえ」は上代の可能の助動詞「らゆ」の未然形。「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形。準体句を構成している、

とある(精選版日本国語大辞典)。

い(寝)、

は、

い(寝)をぬ(寝)、

の他、

い(寝)も寝(ね)ず、

などの句として使い(岩波古語辞典)、また、

熟寝(うまい)、
安寝(やすい)、
朝寝(あさい)、

など複合語を作る(仝上・岩波古語辞典)。

ぬ(寝)、

は、ナ行下二段活用で、

ね/ね/ぬ/ぬる/ぬれ/ねよ、

と活用するが、

寝(ね)る、

の文語形になり、

門(かど)に立ち夕占(ゆふけ)問いつつ吾(あ)を待つと寝(な)すらむ妹(いも)を逢(あ)いて早見む(万葉集)、

の、

動詞「ぬ(寝)」に上代の尊敬の助動詞「す」が付いて音変化した「ぬ(寝)」の尊敬語、

寝ていらっしゃる、

意の(デジタル大辞泉)、

な(寝)し、



「な」と同根、

とあり(岩波古語辞典)、

今造る久迩(くに)の都に秋の夜(よ)の長きにひとり寝(ぬ)るが苦しさ(万葉集)、

と、

横になる、
臥す、

という意になる。

「寝」.gif



「寢」.gif


「寝(寢)」(シン)は、

会意兼形声。侵は、次第に奥深く入る意を含む。寝は、それに宀(いえ)を加えた字の略体を音符とし、爿(しんだい)を加えた字で、寝床で奥深い眠りに入ること、

とある。同趣旨で、

会意兼形声文字です(宀+爿+侵の省略形)。「屋根・家屋」の象形と「寝台を立てて横にした」象形と「ほうき」の象形(「侵」の略字で、人がほうきを手にして、次第にはき進む事から、「入り込む」の意味)から、家の奥にあるベッドのある部屋を意味し、そこから、「部屋でねる」を意味する「寝」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1262.htmlが、別に、

形声。意符㝱(ぼう、む)(〈夢〉の本字。ゆめ。は省略形)と、音符𡩠(シム)(𠬶は省略形)とから成る。清浄な神殿・神室の意を表したが、古代には貴人の病者は神室に寝たことから、ねやの意に転じた。常用漢字は省略形による、

ともある(角川新字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年04月14日

がてに


あしひきの山ほとときすわがごとや君に戀ひつついねがてにする(古今和歌集)、

の、

がてに、

は、

できずに、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。また、

あは雪のたまればかてにくだけつつわがもの思ひのしげきころかな(古今和歌集)、

の、

かてに、

は、

動詞「克つ」からできた連語。「こらえかねて」の意。他の動詞につくと、

桜散る花のところは春ながら雪ぞ降りつつ消えがてにする(古今和歌集)、

と、

「がてに」の形になる、

とある(仝上)。

がてに、

は、

かてに、

の濁音化、

で(広辞苑)。のちに、

ガテは難シの語幹と混同され、ニは格助詞のように意識され、

動詞に付いて、

わが宿に咲ける藤波立ち返り過ぎがてにのみ人の見るらむ(古今和歌集)、

と、

…しがたく、

の意を表すようになる。

かてに、

は、

勝てに、
克てに、

と当て(広辞苑・岩波古語辞典)、動詞の連用形に付き、

……することができる、
堪える、

意の、

下二段動詞「かつ」の未然形に打ち消しの助動詞「ず」の連用形の古形「に」の付いたもの、

で、上記の、

あわゆきのたまればかてにくだけつつわが物思ひのしげきころかな(古今和歌集)、

と、

こらえられず、
堪えかねて、

の意で使われた(岩波古語辞典・明解古語辞典)が、のちに、

語頭が濁音化し、一語と考えられ、ガテ(難)ニと意識された、

もので(大辞泉・学研全訳古語辞典)、

平安中期ごろ消滅した、

とある(岩波古語辞典)。そのため、

がてに、

は、

難てに、

と当て、

「かてに」の語源意識が薄れ、「難 (がた) し」の語幹と混同され、それに格助詞「に」の付いたものと意識されるようになったもの、

で、

春されば吾家(わぎへ)の里の川門(かはと)には鮎子(あゆこ)さばしる君待ちがてに(万葉集)、

と、

すでに上代からその例がみられる(大辞泉)。ちなみに、

かつ(克・勝)、

は、

じっとこらえて相手に負けない、

意で、

…するに耐える、
…することができる、

の意味に使い、転じて、

物事を成し得る、

意となり、

大坂に継ぎ登れる伊辞務邏(イシムラ)を手越(たごし)に越さば越しかてむかも(日本書紀)、

と、

他の動詞の連用形に付く(岩波古語辞典)。多く、

未然形には打消の助動詞「ず」、終止形には打消の意志・推量を表わす助動詞「ましじ」が接続する、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「難」.gif


「難」(漢音ダン、呉音ナン)は、

会意。「動物を火で焼き、かわかしてこちこちにするさま+隹(とり)」。鳥を火であぶることをあらわし、もと燃(ネン もやす)と同系のことば。やけただれるひあぶりのようにつらいことの意から、転じて、つらい災害ややりづらい事などをあらわす、

とあり(漢字源)、別に、

会意文字です。「火などの災いにあって祈るみこ」の象形と「尾の短いずんぐりした小鳥」の象形から、災いにでくわして、鳥をそなえて祈る事を意味し、そこから、「災い」を意味する「難」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1026.htmlが、

会意文字として解釈する説があるが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%A3

形声。「隹」(鳥)+音符「𦰩 /*NAN/」。鳥の一種を指す。のち仮借して「むずかしい」を意味する漢語{難 /*nan/}に用いる、

とも(仝上)、また、

もと、𪄿と書き、形声。意符鳥(とり)と、音符堇(キン)→(ダン)(は変わった形)とから成り、鳥の名を表す。艱(カン)に通じ、借りて「かたい」意に用いる。旧字は、意符が隹に変わったもの、

ともある(角川新字源)。

「克」.gif


「克」 甲骨文字・殷.png

(「克」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%8Bより)

「克」(コク)は、

会意。上部は重い頭、またはかぶとで、下に人体の形を添えたもので、人が重さに耐えてがんばるさまを示す。がんばって耐え抜く意から、勝つ意となる。緊張してがんばる意を含む、

とあり(漢字源)、別に、

象形文字です。「重いかぶとを身につけた人」の象形から、「重さに耐える」、「打ち勝つ」を意味する「克」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1497.html)

象形。人が甲冑(かつちゆう)を着けた形にかたどり、甲冑の重さに耐える、ひいて「かつ」意を表す、

とも(角川新字源)あるが、

不詳。複数の説が存在するが定説はない、

とする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%8B)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年04月13日

逆立ちしたヘーゲル


ミシェル・フーコー(渡辺一民・佐々木明訳)『言葉と物―人文科学の考古学』を読む。

言葉と物.jpg


何年も前に読み通した後、また取り出して読みだしたが、正直のところ、わからない部分が多いので、書評という域には達しないだろうが、感想を記しておきたい。

本書は、ラスト、

「人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。
もしもこうした配置が、あらわれた以上消えつつあるものだとすれば、われわれはその可能性くらいは予感できるにしても、さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが一八世紀の曲がり角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば─そのときにこそ賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと。」

と記して終わる。この、

人間、

とは、もちろん、

人類、

の謂いではなく、

「博物学が生物学となり、富の分析が経済学となり、なかんずく言語についての反省が文献学となり、存在と表象がそこに共通の場を見出したあの古典主義時代の《言説》が消えたとき、こうした考古学的変動の深層における運動のなかで、人間は、知にとっての客体であるとともに認識する主体でもある、その両義的立場をもってあらわれる。」

とあるように、いわば、概念としての、

人間、

である。はじめて、知の地平に、そういう形で登場した、

人間、

が、知の地平から、

消える、

と言っているのである。ではその先に、

何が來るのか、

は、フーコーは、

精神分析、
文化人類学、
言語学、

を、人間諸科学の、

三つの軸、

と述べるにとどめ、本書では述べていない。ただ、

「人間が『有限なもの』であり、ありうべきあらゆる言葉の頂点にいたるとき、人間が到達するのは彼自身の中心ではなく、彼を制限するところのものの縁、すなわち、死がさまよい、思考が消滅し、起源の約束が無際限に後退していくあの領域にである。」

と述べ、それは、

「自分が神を殺したのだと告示するのは、そうやってみずからの言語、みずからの思考、みずからの笑いをすでに死んだ神の空間におきつつ、また、神を殺し、みずからの実存がこの虐殺の自由と決定をつつんでいる、そのようなものとしてみずからを示す、最後の人間なのではあるまいか? こうして、最後の人間は、神の死よりも古いと同時に若いものとなる。彼は神を殺したのだから、みずからの有限性の責任をとらなければならぬのは彼自身であろう。しかし、彼が話し思考し実存するのは神の死のなかにおいてであるから、その虐殺そのものも死ぬことを余儀なくされる。新しい神々、おなじ神々が未来の大洋をふくらませている。人間は消滅しようとしているのだ。」

「十九世紀全体を通じて、哲学の終焉ときたるべき文化の約束は、たぶん、有限性の思考および知における人間の出現とまったく一体をなすものにほかなるまい。今日、哲学がいまなお終焉にむかいつつあるという事実と、おそらくは哲学のなかで、だがさらにそれ以上に哲学のそとでそれに対抗して、文学においても、形式的反省においても、言語の問題が提起されているという事実は、たぶん、人間が消滅しつつあるということを証明しているのにほかなるまい。」

等々にみられる言い方に、かつて、ロラン・バルト(沢崎浩平訳『S/Z』)で、

「誰がしゃべっているのか。(中略)ディスクールが、というよりも、言語活動が語っている」

という問いと重なり、フーコーが、

「……自分が自分の言語の総体に、秘かですべてを語り得る神のように、住まってはいないことを学ぶ。自分のかたわらに、語りかける言語、しかも彼がその主人ではないような言語が、あるということを発見するのだ。それは努力し、挫折し、黙ってしまう言語、彼がもはや動かすことのできない言語である。彼自身がかつて語った言語、しかも今では彼から分離して、ますます沈黙する空間の中を自転する言語なのだ。そしてとりわけ、彼は自分が語るまさにその瞬間に、自分がつねに自分の言語の内部に同じような仕方で居を構えているわけではないということを発見するのであり、そして哲学する主体……の占める場所に、一つの空虚が穿たれ、そして無数の語る主体がそこで結び合わされては解きほぐされ、組み合わさっては排斥し合うということを発見するのだ。」(豊崎光一訳『外の思考』)

と書いていることと重なる。ぼくの、勝手な見方だが、

人間の死、

とはこういうことを言うのだろう。

本書全体の印象からいうと、僕には、

逆立ちしたヘーゲル(の精神現象学)、

と感じたのだ。ヘーゲル(樫山欽四郎訳)『精神現象学』については触れたが、

意識の経験の学、

と名づけられているように、

意識(感覚的確信→知覚→悟性)→自己意識→理性→精神(精神→宗教→絶対知)、

と、意識の成長プロセスを辿っていく。

「最初に、すなわち、直接的に我々の対象となる知は、それ自身直接的な知、直接的なものまたは存在するものの知にほかならない。われわれもやはり直接的な、つまり受けいれる態度をとるべきであって、現われてくる知を少しも変えてはならないし、把握から概念把握を引き離しておかなくてはならない。」(樫山訳『精神現象学』)

の「感覚的確信」からはじまり、

「精神のこの最後の形態は絶対知である。それは、自らの完全で真なる内容に、同時に自己という形式を与え、このことによって、その概念を実現すると共に、かく実現することにおいて、自己の概念のうちに止まる精神である。これは精神の形態において自らを知る精神である。言いかえれば、概念把握する知である。真理は、自体的に確信と完全に等しいだけでなく、自己自身の確信であるという形態をももっている。言いかえれば、真理は定在となっている、すなわち、知る精神にとって、自己自身の知であるという形式をとっている。(中略)すなわち精神は、意識にとって定在の場に、対象性の形式に、本質そのものであるところのものに、すなわち概念に、なったのである。この定在の場において意識に現われる精神、或はこの場合同じことであるが、意識によってこの場に生み出された精神、これが学である。」(仝上)

と、「絶対知」へと至るのである。そのラストは、

「精神の完成は、精神が何であるかを、つまり精神の実在を完全に知ることであるから、この知は精神が自分のなかに行くことであり、そのとき精神は自らの定在を捨て、自らの精神を思い出に委ねるのである。精神は、自己のなかに行っているとき、自己意識の夜に沈んでいるが、その消えた定在はその中に保存されている。この廃棄された定在、かつての定在ではあるが、知から新しく生まれた定在は新しい定在であり、新しい精神形態である。この新しい形態のなかで、この直接的な姿でまた無邪気に初めからやり直すべきであり、そこからまた成長していかなければならない。」(仝上)

しかし、本書は、「エピステーメー(知識)の考古学」と言っているように、

知に対する知、

知のメタレベルの推移をたどりつつ、最終的に、

人間主義、

を超えようとする。逆に言うと、ヘーゲルが、

精神、

から、意識のピラミッドをたどったように、フーコーは、

人間主義の否定、

の地点から、知を逆算していったと見える。しかし、僕は、これが、

構造主義、

と言うものなら、

構造主義、

の名のもとに、人間主義を吹き払った跡に、

荒野、

だけが残ったとしか思えない。現実の課題には背を向けていたとされるフーコーが見ていたものが何なのかは別として、フーコーの拓いたのは、

知の荒野、

なのではないか、という個人的な印象を強く持つ。単なる妄言なのかもしれないが。

『ラス・メニーナス』(女官たち).jpg


最後に、ベラスケス『ラス・メニーナス』について、木村泰司『謎解き西洋絵画』でも触れたことだが、フーコーは、

「われわれは絵を見つめ、絵の中の画家は画家で我々を凝視する。」

という位置関係をしめし、さらに、

「画家が眼をれわれのほうに向けているのは、われわれが絵のモチーフの場所にいるからにほかならない。」

と書く。そして、画家とモデルとみえない描かれつつある絵との関係を、「潜在的な三角形」として、

「その頂点―可視的な唯一の点―に芸術家の眼、底辺の一方にモデルのいる不可視の場所、他方に、裏がえしにされた画布のうえにきっと素描されているに違いない形象がある」

と、その、いま描かれつつある絵を描いているその瞬間を、絵にしている、というこの絵を観ている鑑賞者も、

「鑑賞者をその視線の場に置いた瞬間に、画家の眼は鑑賞者をとらえてむりに絵のなかへ連れこみ、特権的であると同時に強制的な場所を指示したうえで、輝く可視的な形相を彼から先どりし、それを裏がえしにされた画布の近づき得ぬ表面に投射するのである。だから鑑賞者は、画家にとっては可視的だが、自分に取っては決定的に不可視的な像におきかえられてしまう。」

モデルと、同じ立ち位置に立つことで、鑑賞者は、絵の中の画家のモデルになっているかのような位置にいるのである。さらに、こう書く、

「オランダ絵画では、鏡が二重化の役割をはたすという伝統がある。つまり鏡は、絵のなかにひとたびあたえられたものを、変様され、縮小されたわめられた非現実の空間の内部で反復するわけだ。(中略)同じアトリエ、同じ画家、同じ画布が、鏡のなかに同一の空間にしたがってならべられることを期待するであろう。それは完全に模造となるはずなのである。」

そして、

「鏡のなかに映しだされているもの、それこそ、画面のあらゆる人物が視線をまっすぐに伸ばし凝視しているものにほかならない。つまり、画家のモデルとなっている人物をも含めるまで画面が手前に、すなわち、もっと下の方へ延長されれば見ることのできるはずのものなのである。けれども、それはまた、画面が画家とアトリエを見せるところで止まっているのであるから、絵が絵である限り、…絵の外部にあるものでもある。…思いがけず鏡が誰にも知られず、画家(仕事中の画家という、その表象された客観的実在性における画家)の見つめている諸形象ばかりか、画家(線や色が画面においてあの物質的実在性における画家)を見つめている諸形象をも、きらめかせている。」

絵画空間の外の、この絵を描く画家と、この絵のなかで国王夫妻を描いている画家のモデルたる、国王夫妻と、この絵の鑑賞者の立つ位置との三重の関係、それはまた、絵の中の人々が意識し、目を向けている位置でもある、

「描かれている瞬間のモデルの視線、場面を見つめている観賞者の視線、そしてその絵(表象されている絵ではなく、われわれのまえにあって、われわれがそれについて語っているところの絵)を創作している瞬間の画家の視線が、正確に重なりあう」

その位置は、画家ベラスケスの設定した、

描かれるべきものと向き合う仮設の画家、

である。ここでは、あくまで、

「古典主義時代における表象関係の表象のようなもの」

を語る材料にしているのだが、

描くことを描く、

という現代的なモチーフとして見ることもできる気がした。

なお、ミシェル・フーコーについては、『〈知への意志〉講義』、『主体の解釈学』については触れた。

参考文献;
ミシェル・フーコー(渡辺一民・佐々木明訳)『言葉と物―人文科学の考古学』(新潮社)

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2024年04月12日

ほつえ


わが園の梅のほつえに鶯の音(ね)になきぬべき恋もするかな(古今和歌集)、

の、

ほつえ、

は、

秀つ枝、

の意で、

他よりも伸びた枝、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

秀(ほ)つ枝、

の、

つ、

は、

「の」の意の上代の格助詞、

で(精選版日本国語大辞典・大辞泉)、

上枝、
秀枝、

と当て、

はつえ、

とも言い、

うわえだ、

とも言う(仝上)。

下枝(しずえ)」で触れたように、

花橘は本都延(ホツエ)は鳥ゐ枯らし志豆延(シヅエ)は人とり枯らし三つ栗の中つえのほつもり赤らをとめを(古事記)、

と、

本都延(ホツエ 上枝)、
中つえ (ナカツエ 中つ枝)、
志豆延(シヅエ 下枝)、


とあり、

下の方の枝、
下の枝、
したえだ、

は、

下枝(しずえ)、

といい、

しずえだ、

とも訓む(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

上枝、

は、

上の方の枝、

の意で、

上枝(ほつえ)、

中つ枝の枝(え)の末葉(うらば)は下つ枝に落ち触らばへ(古事記)、

と、

中間の高さにある枝、

は、

中つ枝、

という(仝上)。

上枝、

の由来は、

ホ(秀)は、突き出ている意、ツは連体助詞(岩波古語辞典)、
秀(ほ)つ枝(え)の意(広辞苑)、
「ほ」は「秀」、「つ」は格助詞(大辞林)、
「ほ」は突き出る意、「つ」は「の」の意の上代の格助詞(学研全訳古語辞典)、
秀(ほ)之(つ)枝(え)の義、ホ(秀)は最上の義(松屋棟梁集・大言海・万葉集講義=折口信夫)、
穂枝の義(万葉集類林)、
ホノカナル梢の義(歌林樸樕)、

等々とあるが、

穂、

は、

秀、

とも当て、

稲の穂、山の峰などのように突き出ているもの、形・色・質において他から抜きんでていて、人の目に立つもの、

の意(岩波古語辞典)なので、

上枝、

は、

秀つ枝、

であろう。とすると、

下枝、

の語源は、

シヅはシヅム(沈)、シヅカ(静)、シヅク(雫)のシヅと同根、下に沈んで安定しているさま(岩波古語辞典)、
シモツエ(下枝)の約ソツエの転(名語記)、
シヅはシタ(下)の転(国語の語根とその分類=大島正健)、
シヅはホツに対する体言形容詞、エは枝の義(万葉集講義=折口信夫)、

などと諸説あるが、「下」から来たのではなく、

シヅはシヅム(沈)、シヅカ(静)、シヅク(雫)のシヅと同根、下に沈んで安定しているさま(岩波古語辞典)、

なのではあるまいか。

「秀」.gif


「秀」 楚系簡帛文字.png

(「秀」 楚系簡帛文字(簡帛は竹簡・木簡・帛書全てを指す)・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%80より)

「秀」(漢音シュウ、呉音シュ)は、

会意。「禾(禾本科の植物)+乃(なよなよ)」で、なよなよした稲の穂がすらりと伸びていることを示す、

とある(漢字源)。別に、

会意。禾と、乃(だい)(のびる)とから成り、いねが長くのびる、「ひいでる」意を表す(角川新字源)、

会意文字です(禾+乃)。「穂先が茎の先端にたれかかる穀物」の象形と「のびた弓」の象形から、「長く伸びる」、「すぐれる」を意味する「秀」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1181.html)

等々ともあるが、しかし、

会意文字だがその起源は不明。「禾」と「乃」から構成されるが、「乃」は「引」が変化したものであるという説もある、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%80

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年04月11日

伏櫪


功成惠養随所致(功成って惠養、致る所に随い)
瓢瓢遠自流沙至(瓢瓢として遠く流沙より至る)
雄姿未受伏櫪恩(雄姿 未だ受けず伏櫪(ふくれき)の恩)
猛氣猶思戦場利(猛氣 猶思う戦場の利)(杜甫・高都御驄馬行)

の、

伏櫪、

の、

櫪、

は、

馬の飼料を入れるおけ。馬がかいばおけに首をつっこんで食べること。馬がうまやで養われることをいう、

とあり(前野直彬注解『唐詩選』)、魏の曹操の、

老驥は櫪に伏するも、志は千里に在り(歩出夏門行)、

にもとづく(仝上)とある。

曹操.jpg


伏櫪、

は、

老驥伏櫪(ろうきふくれき)、

と使われ、

老驥、伏櫪するも、志千里に在り、
烈士、暮年(ぼねん)、壮心(そうしん)已(や)まず(歩出夏門行)、

と、曹操「碣石篇」にあるのによる。

老驥、

は、

老いた駿馬、

の意、

櫪、

はくぬぎの木、

で、転じて、

根太、

の意で、

床下の横木に使うことから馬屋のこと、

とあり(四字熟語辞典)、つまり、

馬小屋で、かいば桶で養われる、

即ち、

老いて養われる、

の意になる(仝上)。で、

老いた駿(しゅん)馬(め)は馬小屋にくすぶっていても、千里を行く志があり、勇士は晩年になっても勇ましい心がなくならない)、

と詠(うた)う(四字熟語辞典)。

櫪馬、

は、

櫪馬非不、所苦常縶維(白居易)、

と、

厩に繋がれている馬、

となる(字源)。

曹操、

は、字は、

孟徳(もうとく)、

後漢末期の軍人・政治家・詩人、

で、魏の創始者、廟号は、

太祖、

諡号は、

武皇帝

であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%93%8D)

ただ、

伏櫪、

には、別に、漢書・李尋傳に、

不伏櫪不可以趨通、

とあり、その注に、

伏櫪、謂伏槽歷而秣之、

とある。「歷」は「櫪」に通ず(字源)とあり、

伏歷、

は、

伏櫪、

と同義となる(仝上)。

「櫪」.gif


「櫪」(漢音レキ、呉音リャク)は、

会意兼形声。「木+音符歷(レキ 並べる)」

とある(漢字源)。

参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年04月10日

末摘花


人知れず思へば苦し紅(くれなゐ)の末摘花の色にいでなむ(古今和歌集)、

の、

末摘花、

は、

紅花、

のことで、源氏物語の、

末摘花の女君は鼻が紅いところからその名がある、

と注記がある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

ベニバナ.jpg



生薬として利用される乾燥した紅花.JPG

(生薬として利用される乾燥した紅花 仝上)

ベニバナ、

を、

末摘花、

と呼ぶのは、

茎の末の方から花が咲き始め、その茎の末に咲く黄色の頭花を摘み取って染料の紅をつくるからいう、

とある(広辞苑・大辞林)。

ベニバナ、

は、日本には5世紀頃に渡来したといわれ、古くは和名を、中国伝来の染料の意味で、

くれのあい(呉藍)、

といいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%8A

万葉集にも、

外(よそ)のみに見つつ恋ひなむ紅の末摘む花の色に出(い)でずとも、

と詠われ、上代の和歌では、

紅の末摘花、

などと、

色に出づ、

を導き出す序詞とされる(精選版日本国語大辞典)、

成長すると草丈は0.5~1m、葉は5~10cmほどになり、初夏に半径2.5~4cmのアザミに似た花を咲かせます。咲き始めは鮮やかな黄色の花ですが、やがて色づき、赤くなります。種子は花1つにつき10~100個ほど、ヒマワリの種を小さくしたような種子がつきます。葉のふちに鋭いトゲがあり、このため花摘みはトゲが朝露で柔らかくなっている朝方に行われました、

とあるhttps://www.lib.yamagata-u.ac.jp/database/benibana/mame.html

キク科ベニバナ属、

の耐寒性の一年草で、

秋に種をまき、夏に花を咲かせ、翌冬に枯れます、

とある(仝上)。乾燥させた花は、

紅花(こうか)、

と呼ばれhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%8A、血行促進作用がある生薬として使われる。

源氏物語で、

末摘花、

とあるのは、

うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方すこし垂りて色づきたること、ことのほかにうたてあり。色は雪恥づかしく白うて真青に、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、おほかたおどろおどろしう長きなるべし。痩せたまへること、いとほしげにさらぼひて、肩のほどなどは、いたげなるまで衣の上まで見ゆ(源氏物語)、

と、

常陸宮(ひたちのみや)の姫の、ながくのびた鼻の先が末摘花(ベニバナ)でそめたようにあかい、

ところからきている。

「末」.gif

(「末」 https://kakijun.jp/page/0576200.htmlより)

「末」(漢音バツ、呉音マツ・マチ)は、

指事。木のこずえのはしを、一印または・印で示したもので、木の細く小さい部分のこと、

とある(漢字源)。別に、

指事。「木」の上端部分に印を加えたもの「すえ」「こずえ」を意味する漢語{末 /*maat/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%AB

指事文字です。「大地を覆う木」の象形に「横線」を加えて、「物の先端・すえ・末端」を意味する「末」という漢字が成り立ちました

ともhttps://okjiten.jp/kanji698.htmlある。

「摘」.gif

(「摘」 https://kakijun.jp/page/1437200.htmlより)

「摘」(漢音テキ・タク、呉音チャク)は、

会意兼形声。帝は、三本の線を締めてまとめたさま。締(しめる)の原字。啻は、それに口を加えた字。摘は、もと「手+音符啻」で、何本もの指先をひとつにまとめ、ぐいと引き締めてちぎること、

とあり(漢字源)、

会意兼形声文字です(扌(手)+啇(啻))。「5本の指のある手」の象形と「木を組んで締めた形の神を祭る台の象形と口の象形」(「中心によせ集める」の意味)から、5本の指先を集めて、果物の実などを「つまみとる」を意味する「摘」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1214.htmlが、別に、

形声。「手」+音符「啇 /*TEK/」。「つまむ」を意味する漢語{摘 /*treek/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%91%98)

形声。手と、音符啇(テキ)→(タク)とから成る。つまみとる意を表す(角川新字源)、

と、形声文字とする者もある。

「花」.gif

(「花」 https://kakijun.jp/page/hana200.htmlより)

「花」(漢音カ、呉音ケ)は、「はな」で触れたが、

会意兼形声。化(カ)は、たった人がすわった姿に変化したことをあらわす会意文字。花は「艸(植物)+音符化」で、つぼみが開き、咲いて散るというように、姿を著しく変える植物の部分、

とある(漢字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年04月09日

ねたし


つれもなき人をやねたく白露のおくとは嘆き寝とはしのばむ(古今和歌集)、

の、

ねたし、

は、全体にかかり、

しゃくにさわる、

意である(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

ねたし、

は、

妬し、
嫉し、

と当て(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

相手に負かされ、相手にすげなくされなどした場合、またつい不注意で失敗した場合などに感じる、にくらしい、小癪だ、いまいましい、してやられたと思うなどの気持。類義語クヤシは、自分のした行為を、しなければよかったと悔やむ意。クチヲシは期待通りに行かないで残念の意、

とある(岩波古語辞典)。基本、

ねたましい、

意で、

ねたきもの 人のもとにこれより遣るも、人の返りごとも、書きてやりつるのち、文字一つ二つ思ひなほしたる。とみの物縫ふに、かしこう縫ひつと思ふに、針を引き抜きつれば、はやく尻を結ばざりけり。また、かへさまに縫ひたるもねたし(枕草子)、

と、

憎らしい、癪である、
いまいましい、
残念だ、

といった意味の幅を持つ(仝上)が、たとえば、

ほととぎすいとねたけくは橘の花散る時に来鳴きとよむる(万葉集)、

と、

癪である、

意や、

いとほしきに、つれなき心はねたけれど、人のためは、あはれと思しなさる(源氏物語)、

と、

(相手にされず)いまいましい、

意や、

(碁を)打たせ給ふに三番にかず一つ負けさせ給ひぬ、ねたしきわざかな(源氏物語)、

と、

残念だ、

意などで使われる(岩波古語辞典)。

ねたし、

は、

「名痛し」の転か。相手の評判が高くて、自分に痛く感じられる意から(広辞苑)、
「な(名)いた(痛)し」の変化で、相手の評判の高いのを痛いと感じるところからかという(精選版日本国語大辞典)、
相手の名、評判が高く、自分に委託感じられる意のナイタシ(名痛し)から(日本語の年輪=大野晋)、
ネイタシ(性痛)の義(日本語原学=林甕臣)、
ネイタシ(心根痛)から変化した(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦)、

等々、

反発を感じ、ねたましく思う気持を表わす、

と思われる、

心、
名誉、
自尊心、

等々自負心が

痛い、

というところからきていると見ているようだ。動詞、

ねたむ(妬・嫉)」、

は、形容詞、

ねたし、

と語幹が共通し、

ウム(倦)→ウシ(憂)、
スズム(涼)→スズシ(涼)、

と同様の関係と考えられる(日本語源大辞典)とあるが、

「ねたし」+接尾辞「む」

とする説https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%AD%E3%81%9F%E3%82%80もあり、また、

形容詞「ねたし」から動詞「ねたむ」が生まれた、

とする説(日本語源大辞典)もある。これに一考の余地があるのは、

ねたし、

と類義語の、

ねたまし、

が、動詞、

ねたむ、

を形容詞化した派生語とされるからである。そうなると、

ねたし→ねたむ→ねたまし、

と変成したことになる。

「嫉」.gif


「嫉」(漢音シツ、呉音ジチ)は、「妬む」で触れたように、

会意兼形声。疾は「疒(やまい)+矢」からなり、矢のようにきつくはやく進行する病を意味する。嫉は「女+音符疾」。女性にありがちな、かっと頭にくる疳の虫、つまりヒステリーのこと、

とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AB%89)。別に、

会意兼形声文字です(女+疾)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形と「人が病気で寝台にもたれる象形と矢の象形」(人が矢にあたって傷つき、寝台にもたれる事を意味し、そこから、「やまい」の意味)から、女性の病気「ねたみ」を意味する「嫉」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2076.html

「妬」.gif


「妬」(漢音ト、呉音ツ)は、

形声。「女+音符石(セキ)」で、女性が競争者に負けまいとして真っ赤になって興奮すること。石の上古音は妬(ト・ツ)の音になりうる音であった、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(女+石)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形と「崖の下に落ちている石」の象形(「石」の意味だが、ここでは、「貯」に通じ(「貯」と同じ意味を持つようになって)、「積もりたくわえられる」の意味)から、夫人(妻)の夫に対する積もった感情「ねたみ」を意味する「妬」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2077.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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ラベル:ねたし 妬し 嫉し
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2024年04月08日

刈菰


刈菰(かりこも)の思ひ乱れて我恋ふと妹(いも)知るらめや人し告げずは(古今和歌集)、

の、

刈菰、

は、

刈り取った菰、

の意で、

思ひ乱れての枕詞、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。枕詞としての、

刈菰の(刈薦の)、

は、上記のように、

刈り取ったこもの乱れやすいところから、「みだる」にかかる、

ほか、

刈ったこもがしおれやすいところから、

夏麻(なつそ)引く命かたまけ借薦之(かりこもの)心もしのに人知れずもとなそ恋ふる息の緒にして(万葉集)、

と、「心もしのに」にかかる(一説に、「篠(しの)」の意をかけるともいう)し、

沼水に君は生ひねどかるこものめに見す見すも生ひまさるかな(「平中(へいちゆう)(965頃)」)、

と、刈った菰から芽が出るところから、

「芽」と同音の「目」にもかかる(精選版日本国語大辞典)。

真菰(大辞林).jpg

(真菰 大辞林より)

刈菰、

は、

刈薦、

とも当て、後世は、

かりごも、

とも訓ませた(仝上)が、

刈薦の一重(ひとへ)を敷きてさ寝(ぬ)れども君とし寝(ぬ)れば寒さむけくもなしか(万葉集)、

と、

刈り取った真菰、

または、

それで作ったむしろ、

である(仝上・大言海・岩波古語辞典)。

真菰刈る淀の沢水雨降ればつねよりことにまさるわが恋(古今和歌集)、

とある、

真菰、

は、

真薦、

とも当て、「ま」は、

接頭語(岩波古語辞典)、
まは発語と云ふ(大言海)、
マは美称の接頭語(角川古語大辞典・小学館古語大辞典)、

とあり、色葉字類抄(1177~81)に、

菰、マコモ、コモ、

とあり、

こも(薦・菰)、

のことで、

かつみ、
はなかつみ、
まこもぐさ
かすみぐさ、
伏柴(ふししば)、

ともよぶがイネとは異なる(広辞苑・大言海)。

真菰、

は、古くから、

神が宿る草。

として大切に扱われ、しめ縄としても使われてきたhttps://www.biople.jp/articles/detail/2071

こも」は、

薦、
菰、

と当て、

まこも(真菰)の古名、

とある(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)。

イネ科の大形多年草。各地の水辺に生える。高さ一~二メートル。地下茎は太く横にはう。葉は線形で長さ〇・五~一メートル。秋、茎頂に円錐形の大きな花穂を伸ばし、上部に淡緑色で芒(のぎ)のある雌小穂を、下部に赤紫色で披針形の雄小穂をつける。黒穂病にかかった幼苗をこもづのといい、食用にし、また油を加えて眉墨をつくる。葉でむしろを編み、ちまきを巻く、

とあり、漢名、

菰、

という(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。

マコモの種子、

は米に先だつ在来の穀粒で、縄文中期の遺跡である千葉県高根木戸貝塚や海老が作り貝塚の、食糧を蓄えたとみられる小竪穴(たてあな)や土器の中から種子が検出されている、

とある(日本大百科全書)。江戸時代にも、『殖産略説』に、

美濃国(みののくに)多芸(たぎ)郡有尾村の戸長による菰米飯炊方(こもまいめしのたきかた)、菰米団子製法などの「菰米取調書」の記録がある、

という。中国では、マコモの種子を、

菰米、

と呼び、古く『周礼(しゅらい)』(春秋時代)のなかに、

供御五飯の一つ、

とされているし、『斉民要術(せいみんようじゅつ)』(6世紀)には、菰飯の作り方の記述がある(仝上)。なお、茎頂にマコモ黒穂菌が寄生すると、伸長が阻害され、根ぎわでたけのこ(筍)のように太く肥大する。これを、

マコモタケ、

という。内部は純白で皮をむいて輪切りにし、油いためなど中国料理にする。根と種子は漢方薬として消化不良、止渇、心臓病、利尿の処方に用いられる(マイペディア)。

真菰.jpg


こも、

の由来は、

クミ・クム(組)の転か(碩鼠漫筆・大言海)、
キモ(着裳)の転呼、被服に用いた編物から、さらにその材料となる植物をいうようになった(日本古語大辞典=松岡静雄)、
コモ(薦)に用いるところから(和訓栞)、
もと、茂る意の動詞カムから(続上代特殊仮名音義=森重敏)、

等々あるが、

こも、

には、

「まこも(真菰)」の古名、

の意の他に、「まこも」で作った、

あらく織ったむしろ、

の意がある。今は藁を用いるが、もとはマコモを材料とした(精選版日本国語大辞典)。で、

コモムシロ(菰蓆)の下略(大言海)、
コモで編んだところから(東雅・松屋筆記)、
コアミ(小編)の義(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、

等々「こも」から「蓆」のプロセスを意識した由来説になる。

ただ、「こも」で触れたように、『大言海』は、

菰・蒋、

の字を当てる「こも」と、

菰、

を当てる「こも」と、

藺、

を当てる「こも」と、

海蓴、

を当てる「こも」を項を分けている。由来はこの区別の中で明らかになるように思える。

「菰・蒋」の「こも」は、

クミの轉か(拱(コマヌ)クもクミヌクの転なるべし。黄泉(よみ)、よもつ)。組草などと云ふが、成語なるべく、葉を組み作る草の意。即ち、薦(こも)となる。菰(かつみ)の籠(かつま)に移れるが如きか(藺(ゐ)をコモクサと云ふも、組草、即ち、薦草(こもくさ)ならむ)。マコモと云ふやうになりしは、海蓴(コモ)と別ちて、真菰(まこも)と云ふにか。物類称呼(安永)三「菰、海藻にコモと云ふあり、因りて、マコモと云ふ」、

と注記がある。「薦」と当てる「こも」は、

菰席(こもむしろ)の下略(祝詞(のりとごと)、のりと。辛夷(こぶしはじかみ)、こぶし)。菰の葉にて作れるが、元なり。神事に用ゐる清薦(すごも)、即ち、菰席(こもむしろ)なり、

とある。「藺」の字を当てる「こも」は、

こもくさ、

を指し、「こもくさ」は、

薦に組み作る草の意。藺の一名、

とあり、「こもくさ」の下を略して、「こも」である。「海蓴」の字を当てる「こも」は、

小藻か、籠藻か、

とあり、やはり、細く切って、羹(あつもの)にすべし、とあるので、食用だったと見なされる。「蓴」は、「ぬなわ」で、「じゅんさい(蓴菜)」である。

この説に依れば、「こも」を組んで、神事に用ゐる、

清薦(すごも)、

即ち、

菰席(こもむしろ)、

を作ったが、

海蓴(コモ)、

と区別するために、

真菰、

としたということになる。それだけでなく、大事なものだったからこそ、区別するために、美称の、

マ、

をつけたに違いない。

神事で、用いていたところを見ると、「菰」は、大切なものだったに違いない。しかし、稲作とともに、藁が潤沢となり、「菰席(こもむしろ)」は、蓆に堕ちた、という感じだろうか。「薦被り」も「おこもさん」まで、堕ちるということか。

薦の上から、

という言い方は、お産のとき、こもむしろを敷いたところから、

生まれたときから、

の意で使い、

薦を被(かぶ)る(被(かず)く)、

というと、

こもをかぶる身となる、

意で、

身躰残らずうち込み菰をかぶるより外はなし(好色二代男)、

と、

乞食(こじき)になり下がる。

「菰」.gif

(「菰」 https://kakijun.jp/page/ko11200.htmlより)

「菰」(漢音コ、呉音ク)は、

会意兼形声。「艸+音符孤(コ 丸くて小さい、小粒)」、

とあり、「まこも」の意である(漢字源)。別に、

形声。「艸」+音符「孤 /*WA/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8F%B0

とある。

「薦」.gif

(「薦」 https://kakijun.jp/page/1614200.htmlより)

「薦」 金文・西周.png

(「薦」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%96%A6より)

「薦」(セン)は、

会意。「艸+牛に似ていて角が一本の獣のかたち」で、その獸が食うというきちんとそろった草を示す、

とある(漢字源)が、別に、

形声。「艸」+音符「廌 /*TSƏN/」。「むしろ」を意味する漢語{薦 /*tsəəns/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%96%A6

会意。艸と、廌(ち)(しかに似たけもの)とから成り、廌が食う細かい草の意を表す。借りて「すすめる」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(艸+廌)。「並び生えた草」の象形と「一本角の獣」の象形から、「一本角の獣が食べる草」を意味する「薦」という漢字が成り立ちました。また、「饌(せん)」に通じ(同じ読みを持つ「饌」と同じ意味を持つようになって)、「すすめる」、「供える」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1962.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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