2019年11月03日


「巣(巢)」は、

鳥・獣・蒸しなどの住処、

を指すが、ほかに、

窼、
栖、

とも当てる。

キジバトの巣.jpg

(キジバトの巣 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A3より)

「巣(漢音ソウ、呉音ジョウ)」は、

「会意。『鳥のすのかたち(のち西と書く)+木』で、高い木の上の鳥のすのこと。高く浮いて見える意を含む」

とある(漢字源)。「栖」(漢音セイ、呉音サイ)は、

「会意兼形声。西は、ざる状をした鳥のすを描いた象形文字。栖は『木+音符西』で、ざるの形をした木の上の鳥のす」

とある(仝上)。「窼」(カ)も「鳥の巣」、

「穴中にあるを窼、樹上にあるを巣といふ」

とある(字源)ので、「巣」「栖」「窼」は、ともに、もともと鳥の巣を指していた、とみられる。

巣の字の成り立ち.gif



和語「す」は、

住居(スマヒ)を占むる意、

とある(大言海)。これだと意味が定かではないが、

「本来の一音節語ス(鳥の巣)です。あきス、ふるス、スむ、スまう、スごもる、などと同根と思われる」

とある(日本語源広辞典)と、照らし合わせると、腑に落ちてくる。

スミカ(栖)の義(日本釈名・和訓栞)、

も同趣である。とするなら、逆に、

スム(栖・住)の義(和句解・言元梯・言葉の根しらべ=鈴江潔子)、
スム(住)の語根スが名詞に転じた語。スは、物事の落ちつくさまを示す(国語の語根とその分類=大島正健)、

と、「すむ」が先にある、と見る方が妥当に思えてくる。

「すむ」は、

住む、
棲む、
栖む、

と当て、

「スム(澄む)と同根。あちこち動き回るものが、一つ所に落ち着き、定着する意」

とあり(岩波古語辞典)、「すむ(澄)」は、

清む、
済む、

と当て、

「スム(住)と同根。浮遊物が全体として沈んで静止し、気体や液体が透明になる意。濁るの対」

とある(仝上)。当然、「住む」は、「巣」とかかわらせて、

巣から出た動詞か(小学館古語大辞典)、

等々という説もあるが、日本語源大辞典は、

「『巣』『住む(棲む)』『据う』、さらに…『澄む』の語幹スには、『ひと所に落ち着く』といった共通の意を読み取ることが可能である」

とし、そこから、

落ちつく意の語感スから出た語(国語の語根とその分類=大島正健)、

という説にも通じ、その「落ちつく」は、

「『終わる』『かたづく』ことであるとも考えられるから、『すむ(済む)』の語幹ともなった」

と考えられる、としている。

つまり、「住む」「澄む」はほぼ同じ意味の外延に入り、「澄む」もその端につながる。とすると、「住む」の「す」が先か、「巣」の「巣」が先かは定かではないが、日本語源広辞典のいう、「す」の持つ意味の広がりの中に、「巣」も「住む」も「澄む」も「済む」も入るということができる。

その意味で、「巣」の語原に、

スキ(透)の義か(名言通)、

も的を外してはいないのである。

ちなみに、

「平安時代の声点を見てみますと『スクフ(巣)』のスの声点は去声になっていて、『スム(住)』のスが平声、『スク(透)』のスが上声であったのとはアクセントが違い、区別されていた(類聚名義抄四種声点付和訓集成)ことが判ります。『巣』と同じ去声のスの声点が付けられているのは『簀』『スロ(棕櫚)』ですね。棕櫚は南九州原産の植物で、枕草子にも出て来るので『スロ』が和語である蓋然性もあり、『ロ』が『カブラ』の『ラ』のような接尾辞とすれば本体は『ス』になるので、あるいは『ス(巣)』の原義は棕櫚だったのではないかとも思われます」

との説https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12162627907もあるが、それよりも、「す」がアクセントで区別して使われていたことは、注目される。文字を持たない時代の、会話の名残と見ていい。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:栖む 棲む 住む
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2019年11月02日


「酢」は、

す、

と訓ませるが、漢字「酢」(サク、漢音ソ、呉音ス)は、

「形声。『酉+音符乍』。醋(月日を重ねて発酵した汁をねかせておく)と同じ」

とある(漢字源)。「醋」(サク、漢音ソ、呉音ス)も、

「会意兼形声。『酉+音符昔(日を重ねる)』で、月日を重ねて、発酵した汁を寝かせておくこと」

とある(仝上)。「酢」も「醋」も、「す」「すっぱい液体」の意である。大言海は、「す」に、

酢、
醋、

を当てている。和名抄には、

「酢、字亦作醋、須」

とあり、「須」とも当てたらしい。「酸」も、「す」と訓まれた(たべもの語源辞典)、とある。

酢という漢字の成り立ち.gif

(「酢」の成り立ちhttps://okjiten.jp/kanji1882.htmlより)


別に、

「会意兼形声文字です(酉+乍)。『酒器』の象形と『木野小枝を刃物で切り除く』象形(『作る』の意味・『組』に通じ(「組」と同じ意味を持つようになって)、「積み重ねる」の意味)から、『酒を皿に作って、「す」にする』、『す』、『客が主人に酒をすすめる(返杯する)』を意味する『酢』という漢字が成り立ちました」

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1882.html。「酢」「醋」ともに、「むくいる」意があり、「客が主人に盃をすすめる(返す)」意となる。この逆は、「献」で、主人が客に酒をすすめる言葉になる。

「酢」は、古くから調味料として使われ、

「『万葉集』にも『醤酢(ひしおす)』として酢が出てくる。酒造技術とともに中国よりもたらされた調味料で、地帯化の改新時(645)には酢を作る役人ができ、平安時代には米からの製造技術が生まれ…江戸時代には…米酢が作られるようになった」

とある(たべもの語源辞典)。古くは、

からざけ(辛酒)、

と呼ばれた(仝上、大言海)。和名抄には、

「酢、…鄙語、謂酢為加良佐介」

とある。

大言海は、「す(酢)」の語源を、

「スガスガシ、スズシの意」

とする。たべもの語源辞典も、

「スという音は、清(スガ)という意味からつけられたもので、その味が清酸であることによって、スと名付けられた。中国では苦酒(くしゅ)と書かれた」

とする。語源由来辞典は、

「口に含んだときにスッとする感覚の『す』であろう。『すずしい』や『すがすがしい』の『す』を語源とする説もあるが、口に含んだ時の感覚を『すがすがしい』や『すずしい』と形容した 説なので、ひとまとめにスッとする感覚と捉えて良いであろう」

と、「すがすがしい」を「スッ」とする感覚でまとめている。

日本語源広辞典は、

すし(酢し)の語幹、

とするが、「酢し」自身が、「す(酢)」を前提にしているので、前後が逆ではあるまいか。しかし、

スシ(酸)の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子)、
朝鮮語suil、満州語zuなどに由来するか(衣食住語源辞典=吉田金彦)、

と同種の説は少なくない。岩波古語辞典が、

朝鮮語sïと同源、

とするが、この是非は判別できない。その他、

スク(透)の反(名語記)、
肉などにかけると縮まり、また人が吸うと口がスボルところからスボムルの義(和句解)、
物事の落ちつくさまをしめす語根スから。酒の浮遊物が落ちついてできた清い液の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
「酒」を口にしたときに、酸っぱくなっていて思わず口を「窄(すぼ)めた」から(http://www.marukan.com/health/sub/kotoba.html)、

等々あるが、語感からいうと、たしかに、「スッ」とする感覚というのが妥当に思える。

酢屋.jpg

(酢屋・人倫訓蒙図彙より https://www.benricho.org/Unchiku/edo-syokunin/01jinrinkinmo/11.htmlより)


酢が調味料として一般に広まったのは江戸時代、

「お酢の製法が全国各地に広まり、それとともにお酢をつかった料理もたくさん生まれました。 はじめてお寿司が生まれたのもこの頃。ごはんに酢を混ぜて押し寿司にする『早ずし』と呼ばれるものです。幕末になると、『にぎり寿司』や『いなり寿司』が誕生し、庶民にも大変な人気だった」

そんな江戸時代、「酢屋」の看板がなかなかユニークだった。

「小竹を編んだもの、つまり簀(す)を軒先に掛け、酢に通じさせたともいう。古いものでは、酢売りの瓶の絵を買いて示した。また、木片を丸くした曲物の輪をぶら下げた。これは的をねらって矢を射ても通り抜けてしまう。つまり素矢(すや)という意を表して酢屋に通わせた」

とある(たべもの語源辞典)。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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書評;
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2019年11月01日

わび・さび


無粋な人間なので、

わび、
さび、

についてほとんど関心を持ったことがなかったが、

茶の湯は貧の真似(ひんのまね)、

ということわざがある。

「茶の道は『侘び』の心が基本にあるとされています。その心を理解できない者が、派手なことを嫌って貧乏の真似ごとをしているようだと例えたことわざです」

との説明http://www.ocha.tv/words/ta_07/index.htmlは、本当だろうか。むしろ、

「茶道は、わびを主として、はでなことをきらい、まるで貧乏の真似をしているのと同じようだ」

との解釈(故事ことわざの辞典)が的確に、その意を衝いているように思える。少なくとも、

「茶湯は貧の真似。但風雅の上盛也、可習嗜。併近奢侈故禁誡、実以座席飲食会釈无此上」

ともあり(譬喩尽(たとえづくし)、仝上)、それ自体が贅沢であったことに間違いはない。

黒楽茶碗.jpg



「わび」は、

侘び、

と当てる。「わび」は、

「わぶ(貧しく暮らす)の連用形」

とある(日本語源広辞典)。しかし、「わぶ」(詫・侘)は、必ずしも、

不如意な生活をする、
貧しく暮らす、

という意味だけではない。

「失意・失望・困惑の情を態度・動作にあらわす意」

とし、

気落ちした様子を外に示す、落胆した様子を見せる、
困り切った気持ちを示す、
つらがって嘆く、
不如意な生活をする、貧しく暮らす、
世俗を遠ざかって淋しく貧しい暮らしに安んずる、閑雅を楽しむ、
(困惑のさまを示して)許しを乞う、あやまる、
(動詞連用形について)~する気力を失う、~しきれない、~しずらくなる、

といった意味を持つ(岩波古語辞典)。いわゆる「わび」は、

「貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識」(日本大百科全書)
「簡素の中に見いだされる清澄・閑寂な趣。中世以降に形成された美意識、特に茶の湯で重視された」(デジタル大辞泉)

を指す一種の価値表現である。確か、定家が、

見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ

と歌った時、それまでの、花や紅葉とは別のところに、価値を見出したのと相通ずる。千利休の師匠、武野紹鴎は、この歌こそがわび茶の心であると評した(南方録)とされるのも、価値の転換を表現しているからである。

ある意味、マイナスな意味の「わぶ」に、プラスの価値を与えたということができる。それを、山上宗二は、

「上をそそうに、下を律儀に(表面は粗相であっても内面は丁寧に)」

と表現(山上宗二記)し、

「単に粗末であるというだけでなく質的に(美的に)優れたものであることを求める」

ようになるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%B3%E3%83%BB%E3%81%95%E3%81%B3、とある。

侘び茶人、

を、

「一物も持たざる者、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ、この三ヶ条整うる者」(宗二記)

と記し、

「貧乏茶人」のこと、

とし、後の千宗旦の頃になると「侘」の一字で無一物の茶人を言い表すようになる(仝上)、とある。宗二は、

「宗易愚拙ニ密伝‥、コヒタ、タケタ、侘タ、愁タ、トウケタ、花ヤカニ、物知、作者、花車ニ、ツヨク、右十ヶ条ノ内、能意得タル仁ヲ上手ト云、但口五ヶ条ハ悪シ業初心ト如何」

とした。それは、

「『佗タ』は、数ある茶の湯のキーワードの一つに過ぎなかったし、初心者が目指すべき境地ではなく一通り茶を習い身に着けて初めて目指しうる境地とされていた」

のではないか、という見方もある(仝上)。「わび」は、

「茶の湯の中で理論化されたが、『わび茶』という言葉が出来るのも江戸時代である。特に室町時代の高価な『唐物』を尊ぶ風潮に対して、村田珠光はより粗末なありふれた道具を用いる茶の湯を方向付け、武野紹鴎や千利休に代表される堺の町衆が深化させた」

のである(仝上)。

「茶室はどんどん侘びた風情を強め、張付けだった壁は民家に倣って土壁になり藁すさを見せ、6尺の床の間は5尺、4尺と小さくなり塗りだった床ガマチも節つきの素木になった。紹鴎は備前焼や信楽焼きを好んだし、利休は楽茶碗を創出させた。日常雑器の中に新たな美を見つけ茶の湯に取り込もうと」

したものらしい。たとえば、京都六条堀川に作ったと伝えられる方丈の茶室、

珠光四畳半(じゅこうよじょうはん)

がある。

jyukouyojyouhan01.jpg

(東大寺の四聖坊に残る古図に「珠光好地蔵院囲ノ写」と書込みのある四畳半座敷 http://verdure.tyanoyu.net/cyasitu020401.htmlより)


jyukouyojyouhan03.jpg

(『茶湯次第書』に「珠光の座敷斗に有」と書込みのある「落縁」(おちえん)が描かれた四畳半図 http://verdure.tyanoyu.net/cyasitu020401.htmlより)


「四畳半座敷は珠光の作事也。真座敷とて鳥子紙の白張付、杉板のふちなし天井、小板ふき、宝形造、一間床なり。秘蔵の円悟の墨跡をかけ、台子をかざり給ふ。その後炉を切て弓台を置合られし也。大方、書院のかざり物を置かれ候へども、物数なども略ありしなり。床にも、二幅対のかけ絵、勿論、一幅の絵かけられしなり。前には卓に香炉、花入、あるひは小花瓶に一色立華、あるひは料紙、硯箱、短尺箱、文台、或は盆山、葉茶壷など、これらは専かざられしなり」

とある(南方録)。その形は古図に残されている。

「珠光四畳半は、東大寺の四聖坊に残る古図に「珠光好地蔵院囲ノ写」と書込みのある四畳半座敷が画かれ、それによると一間床で、檜角の床柱、勝手付間中に柱を立てて壁とし、勝手口は一間二本襖を建て、入口に縁が付き、縁に面して障子四枚があります。
珠光四畳半は、東京芸術大学所蔵の『茶湯次第書』に「珠光の座敷斗に有」と書込みのある「落縁」(おちえん)が描かれた四畳半図があり、その四畳半座敷は、一間床で、床框(とこがまち)は栗の四角、一尺七寸炉、勝手との間に襖二枚、壁は張付壁(はりつけかべ)で長押(なげし)が打たれ、天井は竹縁の蒲天井、入口に縁が付き、縁は半間幅で堅板張(たていたばり)、縁先に二ッ割りした竹を打並べた落縁がついたものです」

とあるhttp://verdure.tyanoyu.net/cyasitu020401.html。宗二は、

「光かヽりは、北向右かつて、坪の内に大なる柳一本在、後に松原広し、松風計聞く、引拙は南向右勝手、道陳は東向右勝手、宗達右勝手、何も道具に有子細歟、又台子をすくか、将又紹鴎之流は悉く左勝手北向也、但し宗易計は南向左勝手をすく、当時右かつてはを不用と也、珠光は四帖半、引拙は六帖敷也」

と書き残している。それは、

「右勝手(逆勝手)の茶室で、隣接する部屋との関係で客の入口の位置は異なりますが、同じ間取りで、一間床、入口に縁が付き、縁に面して障子を建て、勝手口は二本襖、右勝手(逆勝手)となっていて初期の四畳半の形式を表している」

という(仝上)。貧しい家屋をただ真似ているだけではないことは確かである。そこには、珠光の美意識がある。しかし、それに贅を尽くす、財力を必要とすることは確かである。

一方、「さび」は、

寂び、
然び、

と当てる。「わび」は、「さぶ」の名詞形だが、

錆、
寂、荒、

と同源である。つまり、「さぶ」は、

「生気・活気が衰え、元の力や姿が傷つき、痛み、失われる」

意の「荒ぶ」「寂ぶ」と、

古びてさびてくる、

意の「錆」とが、同源であり(岩波古語辞典)、

然ぶ、

は、

「サは漠然と放校様子を示す語。ビは行為を人に示す意。カナシビ、ウレシビのビと同じ」

で、体言について、

そのものにふさわしい、
そのものらしい行為や様子をし、またそういう状態にあることを示す」

言葉で(仝上)、大言海は、

然帯(さお)ぶの訳なるべし、

とし、

都(みや)び、鄙(ひな)びも、都帯び、鄙帯びの約なり、

とする。「さぶ」も、

荒れる、荒涼たる様になる、
古くなる、古びる、
心が荒涼となる、
さびる、
古びて趣がある、

等々どちらかというとマイナスの意味の言葉である。それにプラスの価値を見出そうとする姿勢が、

不足の美を表現する新しい美意識、
老いや枯れの中に趣を見る、

という価値表現へと転換させた。だから、「然ぶ」と当てる意味について、

「本来は時間の経過によって劣化した様子を意味している。漢字の『寂』が当てられ、転じて『寂れる』というように人がいなくなって静かな状態も表すようになった。さびの本来の意味である『内部的本質』が『外部へと滲み出てくる』ことを表す為に『然』の字を用いる」

とする考え方もあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%B3%E3%83%BB%E3%81%95%E3%81%B3

で話をもとへ戻すなら、僕には、「わび」には、もともと、

貧を衒う、

ところがなくもなかった、と思えてならない。「衒う」は、

照らふの意、

とあり(広辞苑)、

輝くようにする、
見せびらかす、

含意が、もともと、なくもない。だから、

茶の湯は貧の真似(ひんのまね)、

という言い方には、ある意味、ただ貧を真似ているのではなく、そこに積極的な価値を見出したという点では、草創期には、「わび・さび」に確かな価値表現の意味があった。しかし、それが理論化され、権威化され、「わび茶」という言葉が出来た江戸時代、

「多くの茶書によって茶道の根本美意識と位置付けられるようになり、侘を『正直につつしみおごらぬ様』と規定する『紹鴎侘びの文』や、『清浄無垢の仏世界』とする『南方録』などの偽書も生み出された」(仝上)

とき、多くは、「茶の湯」は、大店の主や隠居の手慰みとなり、形式をなぞり、それを真似るだけの趣味に化し、落語『茶の湯』のように、どこか、

貧を衒う、

つまり、

貧者の真似、

としか見えない風情に堕していたのではないか。その限りで、必ずしも、

その心を理解できない者、

のたわ言とは言い切れない、ある種、そういう茶の湯を揶揄する面を持っていたのではないか、という気がしてならない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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コトバの辞典;
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スキル事典;
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書評;
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2019年10月31日

風呂吹き大根


「風呂吹き」は、

大根・蕪などを、柔らかく茹で、その熱い間に練り味噌を塗って食べる料理、

の意である(広辞苑)が、大根・蕪の他、

「トウガンや柿の実などが用いられ、『風呂吹き大根』や『蕪の風呂吹き』、『柿の風呂吹き』などと呼ばれ、いずれも熱いものを食べる」

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%91%82%E5%90%B9%E3%81%8D。大根に限らない。

Furofukidaikon001.jpg



この「風呂吹き」の由来には、諸説ある。大言海は、

「風呂に入り、體の熱潤したるに、息を吹きかけて、垢を掻くこと」

とある。甲陽軍鑑に、

「伊勢風呂という申子細は、伊勢の国衆ほど熱風呂を好て、能吹申さるるに付て、云々夫荒仕子(ブアラシコ)までも、風呂ふくすべを存候は、あつき風呂好く故かと見え申候」

卜養狂歌集に、

「名を右衛門と云ふ若き人、風呂吹くこと上手なれば、云々、或人、風呂を新しく立て、入りぞめしけるに、云々、入風呂を祝ふて三度、長息に、フトクトクトク、フクトクと吹く」(風呂吹大根、此に起る)

とあるのを、引用する。この説が有力らしく、たべもの語源辞典も、

「今日では湯に入ることを風呂に入るというが、もとは湯屋と風呂とは別のもので風呂といえば蒸気でむされることであった。山東京伝に『伊勢の風呂吹』がある。それによると、『甲陽軍鑑』の天文一四年(1545)の条に、伊勢風呂といって伊勢の国の人たちが熱風呂を好んで、垢をとるために身体に息を吹きかけることが書かれていた。宝永七年(1710)の『自笑内証鑑』には、大坂道頓堀の風呂屋のところで、『この風呂へ入相のころより来り吹いて吹かれて、ざっとあがり湯に座して…』とある。宝永の頃まで風呂を吹くということがあったのであろう。伊勢の人の物語を聞くと、『風呂を吹くというのは、空風呂になることである。これを伊勢小風呂という。垢をかく者が、風呂に入る者の体に息を吹きかけて垢をかく。こうすると息を吹きかけたところにうるおいが出て、垢がよく落ちる。口で拍子をとりながら、息を吹きかけて垢をかくのに上手下手があるのは面白いことである。そこで垢をかく者を風呂吹という。伊勢にはいまもこの風呂吹がいるとのことである』という。…この風呂吹というのは、蒸し風呂で体を熱してから、息をかけて垢をするというのが、この動作は、湯気の出るような体に息をかけることである。風呂吹大根とは、大根を熱く蒸して、湯気の立つくらいのところを息を吹きかけて食べるさまが、この風呂吹に似ているので、名付けられたのである」

とし、語源由来辞典http://gogen-allguide.com/hu/furofukidaikon.htmlも、

「風呂吹きは、冷ましながら食べる仕種に由来する。昔の風呂は蒸し風呂で、熱くなった体に息を吹きかけると垢を掻きやすいため、息を吹きかけ垢をこすり取る者がいた。蒸し風呂で息を吹きかけ垢を取ることや、その者を『風呂吹き』と呼んでいた。湯気の出る息を吹きかける様子と、その料理を食べるときに冷ます姿が似ていることから、『風呂吹き』と呼ぶようになった」

とし、さらに、由来・語源辞典http://yain.jp/i/%E9%A2%A8%E5%91%82%E5%90%B9%E3%81%8D%E5%A4%A7%E6%A0%B9も、

「昔の風呂は蒸し風呂であったが、その風呂には『風呂吹き』と呼ばれる、垢をこする役目の者がいて、熱くなった体に息を吹きかながら垢をかいたという。熱い大根に息を吹きかけて、冷ましながら食べる様子が『風呂吹き』に似ていたので、この名がついたとされる」

とする。しかし、垢取りの「風呂吹き」が料理の名になるのだろうか。しかも、伊勢のローカルな話が一般化するには、「風呂吹き」の料理が、伊勢発祥というのならともかく、どうもつながらない、こじつけではないか、と思えるのだが、他の説が、しかし、それ以上にいただけない。たとえば、

「ある僧から『大根の茹で汁を漆貯蔵室の風呂に吹き込むと、うるしの乾きが早くなる』と聞いた漆職人が、その通りにしてみたところ大変効果があったので、大根の茹で汁を大量に作ったが、茹でた大根が残るため近所の人に配ったことから、『風呂吹き大根』と呼ばれるようになったとする説」(語源由来辞典)

同じく、

「ある僧から『大根の茹で汁を漆貯蔵室の風呂に吹き込むと、うるしの乾きが早くなる』と聞いた漆職人が、その通りにしてみたところ大変効果があったので、大根の茹で汁を大量に作ったが、茹でた大根が残るため近所の人に配ったことから、『風呂吹き大根』と呼ばれるようになったとする説」

があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%91%82%E5%90%B9%E3%81%8D、飲食事典他)。あるいは、

「大根は体にもよく、安くて経済的なため『不老富貴』の意味からとった説」

もある(語源由来辞典)。しかし、確かに、

「元々この料理はカブで作られており、単に『風呂吹き』と呼ばれていた。『風呂吹き』の材料をカブから大根に替えたものが『風呂吹き大根』であるから、不老富貴や漆職人の説は考えられない」

のである(仝上)。

大根を使った風呂吹きが作られるようになったのは、江戸初期頃と考えられている(仝上)。

とすると、風呂http://ppnetwork.seesaa.net/article/461438920.htmlで触れたように、まだ湯屋の起こる江戸中期前なら、風呂は蒸し風呂である。それなら、

「風呂(蒸し風呂)+吹き(蒸気を吹きかけて暖まる)」

と(日本語源広辞典)、垢かきと切り離してなら、食物の命名として妥当に思えるがどうだろう。
なお、大根と蕪は、

「すずしろ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465194822.html
「すずな」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465179244.html

で触れた。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2019年10月30日

胡椒


胡椒は、インド南部の海岸地方を原産地とする。

「中国では西方から伝来した香辛料という意味で、胡椒と呼ばれた(胡はソグド人を中心に中国から見て西方・北方の異民族を指す字であり、椒はカホクザンショウを中心にサンショウ属の香辛料を指す字である)。日本には中国を経て伝来しており、そのため日本でもコショウ(胡椒)と呼ばれる」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6

漢名の「胡椒」をそのまま訓んだものである。

「胡麻・胡瓜・クルミ、そして胡椒と、胡のつく名称があるが、中国では古代から西北方の異民族を胡と呼んだので、この方面から伝来した物には胡の字をつけた」

ともある(たべもの語源辞典)。

「天平勝宝8歳(756)、聖武天皇の77日忌にその遺品が東大寺に献納された。その献納品の目録『東大寺献物帳』の中にコショウが記載されている。当時の日本ではコショウは生薬として用いられていた(江戸時代初期に書かれた『雑兵物語』でも『(戦場で)毎朝胡椒を1粒づつかじれば夏の暑さにも冬の寒さにも当たらない』としており、当時でも薬用の需要があった)

らしい(仝上)。和名抄には、薬名類として、

「胡椒丸、治胸中冷気」

とある(大言海)。

正倉院文書に名が出るので、少なくとも、

「奈良朝初期には渡来していた」

と(たべもの語源辞典)思われるが、日本料理には胡椒はあまり用いられず、山椒の実を、

胡椒、

と呼んだりしていたらしい(仝上)。たとえば、

「胡椒寒汁(こしょうひやしる)という料理は山椒ひや汁のことである」

とある(仝上)

山椒http://ppnetwork.seesaa.net/article/470965185.html?1571428950で触れたが、「山椒」の「椒」(ショウ)の字は、

「会意兼形声。『木+音符叔(小さい実)』で、小粒の実のなる木」

とある(漢字源)。山椒の意味もあるが、「胡椒」の「椒」でもある。

「実が丸く、味が辛い」

からとある(仝上)。ただ「椒」には、

「芳しいの意があり、山の薫り高い実であることから『山椒』の名が付けられたと考えられる」

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6

「椒は、ハジカミである。ひりひりと刺激すること、その結果、感覚がしびれることをハジカムといった。ハジカミというものは、胡椒ばかりでなく、山椒・唐辛子・生姜・ワサビ・芥子などみんなひとまとめにされていた。それで、西国や仙台では胡椒が唐辛子の異名にもなっていた」

とある(たべもの語源辞典)。別に、

「唐辛子が伝来する以前には、山椒と並ぶ香辛料として現在より多くの料理で利用されており、うどんの薬味としても用いられていた。江戸期を通じて唐船は平均して年間5.7トン、オランダ船は1638年の記録では78トンを輸入している。現在でも船場汁、潮汁、沢煮椀などの吸い物類を中心に、薬味としてコショウを用いる日本料理は残存している。(『胡椒茶漬け』という料理があったという記録もある)。唐辛子はその伝来当初、胡椒の亜種として『南蛮胡椒』『高麗胡椒』などと呼ばれていた。このため現在でも九州地方を中心に、唐辛子の事を『胡椒』と呼ぶ地域がある。九州北部にて製造される柚子胡椒や、沖縄のコーレーグス(高麗胡椒)の原料は唐辛子である。胡椒を主に唐辛子の意で用いる地域では、…『洋胡椒』と呼んで区別することもある」

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6が、

「日本人の多くが肉食を避け,あるいは嫌ってきたことは,香辛料の使い方に大きな影響を与えた。たとえば,コショウは奈良時代以来輸入されていたが,室町時代以後うどんの薬味とされたくらいで,いっこうに用途がひろがらず,トウガラシが伝来するとまもなくその薬味の座をあけ渡してしまった」

ようである(世界大百科事典)。

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さて、「胡椒」は、

「つる性の木の実で、形は丸く、青桐の実より小さく、蒸すと色黒くしわを帯びる。皮の中に固い核があって、内に辛く香気ある白い仁をもち、この仁を粒のまま用いるのを粒胡椒といい、粉末にしたのを粉胡椒という。黒胡椒というのは、まだ熟しきらない実をとって乾かして、外皮の黒いのをつけたまま粉末にしたもので、白胡椒は熟した実の外皮を取り去って内皮を種と一緒に砕いたものである」

とある(たべもの語源辞典)。その他、青胡椒は、

「完全に熟す前の実で収穫するが、ブラックペッパーと異なり塩漬けまたはフリーズドライ加工したもの。青胡椒と呼ばれるが、実の色は緑である」

赤胡椒は、

「赤色に完熟してから収穫するが、ホワイトペッパーと異なり外皮をはがさずにそのまま使用する。黒コショウと同じく外皮が皴になるのが特徴。色はくすんだ赤色」

等々もある(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:胡椒
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2019年10月29日

クルミ


「クルミ」は、

胡桃、
山胡桃、

と当てる(広辞苑)。食用の利用としては、縄文時代から種実の出土事例があり、オニグルミを中心に食料として利用されていたと考えられている。オニグルミ、ヒメグルミ、ノグルミなどの名が天平時代から用いられている(たべもの語源辞典)らしい。また、

「もっとも古い記録は、天平宝字六年(七六二)十二月の『東大寺正倉院文書』に、『十八文買胡桃二升直』とあるのがそれで、次に現れるのが、大同二年(八〇七)斎部広成の撰になる『古語拾遺』に(略)『呉桃』の葉を添えて」

とありhttp://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000156162

「『延喜式』に貢納物のひとつとして記されているほか、『年料別貢雑物』では甲斐国や越前国、加賀国においてクルミの貢納が規定されており、平城宮跡出土の木簡にもクルミの貢進が記されている」

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%9F

日本に自生している胡桃の大半はオニグルミといい、核はゴツゴツとして非常に硬く、種子(仁)が取り出しにくい、ともある(仝上)。

Juglans_ailantifolia.jpg



「オニグルミという名は、核面のなめらかなヒメグルミに比べて、凹凸がひどいことからであるが、ヒメ(姫)は、やさしいとか柔らかいということからつけられた。ノグルミは野グルミで、まったくちがう種類の木であるが、樹がクルミに似ており野山に生える。他にサワグルミというのもある。これは沢グルミで、渓流のわきに生えるからである。カワグルミとかフジグルミともよぶが、実は食用にならない。…また、テウチグルミとよばれるものは、クルミの中で最も大きくその殻が柔らかく、手で割ることができるのでその名がある。食用として最も多く用いられ」

ている(たべもの語源辞典)、とある。

「クルミの食用となる部分は、果実の中にある仁である。仁は生でも食べるし、干したものも用いる。クルミの核は、一日ほど水につけておいてから、水気をぬぐい去って、火であぶるとすぐ割れ、仁はたやすくとれる。クルミをしぼった油は食用とするほか、種々の皮膚病にも利用され、また木器具の艶だしに使われていた。樹皮や果実の煎汁は茶褐色に、果実を黒焼きにしたものは鼠色の染料になった」(仝上)

クルミの漢名は、

核桃(かくとう)、
羗桃(きょうとう)、
万歳子(ばんざいし)、
播羅師(はんらし)、

等々あるが、「胡桃」は、

「漢の張騫が西域に使いしたとき持ち帰り、中国に伝わったという。胡から持ってきた桃というので胡桃とよぶという。実果が桃に似ていたので胡桃とした」

とある(仝上)。

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「クルミ」の語源は、大言海は、

「呉桃ともあれば、呉果(クレミ)の轉ならむ(呉(クレ)は、韓語にて、クルなり。)」

とする。同趣に説に、

呉国から渡ったものであるとちころから呉実(クレミ)の転(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・東雅)、

がある。その他、

クロミ(黒実)の転か(翁草)、
その殻の堅いところから、コルミ(凝実)の転(滑稽雑誌所引和訓義解)、
殻の中に屈曲して実があるところから、クルミ(屈実)の義(和語私臆鈔)、
円実の義(箋注和名抄)、
コモリミ(籠子)の義(言元梯)、
殻が実を包んでいるところから、クルム(包)の義(名言通)、
カラクルミミ(殻包括実)の義(日本語原学=林甕臣)、
ころころとコクル(転)ところからか(和句解)、
カル‐ミ(実)の転(名語記)、

諸説ある。「クルミ」は、古く、

「『古語拾遺』には、呉桃(クルミ)とあり、『延喜式』には呉桃子(クルミ)とある」

と「呉桃」と当ててきた。「呉桃」説をとりたいが、これは和語「くるみ」に漢字を当てて訓ませていただけで、「クルミ」の語原とは言えない。たべもの語源辞典は、

クルミ(屈実)説を採り、

「仁を食べることは実に早く知られていた。クルミの果実を見たとき、その食べられるところが大切なことを感じたであろう。そして、その核を堅くでこぼこしているものとしてよんだ」

と説く。しかし、「クリ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/458882224.htmlで触れたように、日本語の語源は,

「栗の実は焦げ茶色,胡桃の核は褐色であるが,ともにクロミ(黒実)といった。ロミ[r(om)i]の縮約でクリ(栗・万葉)になり,『ロ』が母韻交替[ou]をとげてクルミ(胡桃。源)になった。」

としている。「栗」が、

くろ(黒)み→くり(栗),

なら、「クルミ」は、

くろ(黒)み→クルミ

でいいのかもしれない。

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参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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2019年10月28日

カチグリ


「カチグリ」は、

搗栗、
勝栗、

と当てる。「勝栗」は当て字だろう。

栗の実を殻のまま干して、臼で搗(つ)き、殻と渋皮とを取り除いたもの、

で、昔から保存用として重宝された。

「秋に収穫したクリを1週間から20日ぐらい日光で乾燥したうえ、さらに竹簀(たけす)底の木箱に入れて焙炉(ほいろ)にかけ約2昼夜加熱したのち臼(うす)にとり、杵(きね)で軽く搗(つ)いて殻を搗き割り、ふるって、実だけを残す」

とある(日本大百科全書)。「搗く」は、古く、

かつ、

と訓んだので、

カチグリ、

と呼ぶ。また、

搗、

が、

勝、

に通ずるから出陣や勝利の祝い、正月の祝儀などにもちいた(広辞苑)、とある。『徴古歳時記』に、

「搗と勝と訓の同じなれば、勝といふ義にとりて、これを祝節に用ふ」

とある、とか。

押栗、
あまぐり、

ともいう(仝上)。江戸前期の《本朝食鑑》(1697)などは、

天日で干しあげたものをつくとし,後期の《草木六部耕種法》(1823)などは、

1昼夜ほど〈あく〉につけてから同じようにしてつくるとしているが、搗栗子〉の語は奈良時代から見られ,《延喜式》には,丹波その他の諸国から貢納され,神祭仏会などの料として〈平栗子〉〈干栗子〉〈甘栗子〉〈生栗子〉などと併記された例も見られる、

とある(世界大百科事典)ほど、古くからなじみのものである。

この栗は、各栽培品種の原種で山野に自生するもので、

シバグリ(柴栗)、
または、
ヤマグリ(山栗)、

あるいは、

ササグリ(小栗)、

と呼ばれる、「栗」は、

実の皮の隍(くり)色をしているからクリという。隍は黒色の転じたものである」

とある(たべもの語源辞典)。「クリ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/458882224.htmlで触れたように、

「僧契沖の説に『くりは涅なり。その色をもて名づく』とある。涅(くり)は水中の黒い土である。涅はくらき色を染める物である。その色は栗の皮に似ている。これを,滝沢馬琴が『燕石雑志』に『物の名』で書いている。(中略)要するにクリの名は,果皮の黒っぽいという特色からでたものと考えられる。」(たべもの語源辞典)

「石を意味する古語『クリ』は、水底によどむ黒い土を表す『くり(涅)』と同源であるため、『クリ』は色の『黒』や石の『クリ』と同系と考えられる。」(語源由来辞典)

とあり、「あか」http://ppnetwork.seesaa.net/article/429360431.htmlで触れたように, 古代日本では,固有の色名としては,アカ,クロ,シロ,アオがあるのみで,それは,明・暗・顕・漠を原義とするので、「黒」は,「『くら(暗)』と同源か。またくり(涅)と同源」(仝上)とある。「涅」は,水底に沈んだ黒い土,涅色を指し,明暗の意である。

shibaguri03.jpg

(自生するシバグリ https://kinomemocho.com/sanpo_kachiguri.htmlより)


「シバグリ」(「しばくり」とも)は、山地に自生し、実は小粒だが味がよい、とされる。指の先ほどの大きさしかないので、

「柴くりは小粒で拾い集めるのが大変です。落ちているクリには虫が入っていることが多く、 穴の開いてないクリを採るには木についているイガを落とさなければなりません。 イガも丈夫でなかなか実を開けさせませんので、思うように採取ができません。クリは「クマ」の大好物です。 食べ方もイガを剥いてきれいに食べています。時には枝を折って食べてますが日中に会うことはありませんので 夜中に食べてるようです」

http://www.sansaikinoko.com/memo-sibakuri.htmあり、小さいが甘さは一味違う美味しいさ、とか。

縁起ものとして「勝栗」は、武士が出陣の際、

勝栗・熨斗(のし)・昆布、

の三つを肴にして、門出を祝った(たべもの語源辞典)、という。「熨斗」は、元来長寿を表す鮑が使われていた。

熨斗鮑(のしあわび)、
あるいは、
打鮑(うちあはび)、

が原型である。「熨斗鮑」は、

「鮑の肉を、かんぺう(干瓢)を剥ぐ如く、薄く長く剥ぎて、條(スジ)とし、引き延ばして干したるもの。略して、のし。儀式の肴に代用し、祝儀の贈物などに添えて飾とす。(延長の義に因る)。長きままにて用ゐるを、ながのしと云ふ。古くは、剥がずして、打ち展べて用ゐ、ウチアハビなどとも云へり。アハビノシ、カヒザカナ」

とある(大言海)。厳密には、出陣時は、

うちあはび、

とされる。「打鮑」は、

「古へは打ち伸(の)して薄くせり。薄すあはびとも云ひき」

として、

「今、ノシアハビと云ふ」

とあり、

ただ打ち延ばす、
か、
薄く剥ぐか、

の違いのようだ。

img013 (2).jpg

(出陣の肴組 武家戦陣資料事典より)

img013 (3).jpg

(陪膳所役の図 仝上)


後世になるほど儀式ばったようで、儀式化したのは室町以降とか。

「配膳所役が折敷に打鮑五本か三本並べた土器と、打栗(勝栗)五個か七個入れた土器と、昆布三切れが五切れ入れた土器と、盃三つ重ねをのせたものを左右中ほどを両手で捧げ持ち、左足からしずしずと踏みしめ、折敷を据え置く場所へは右足で踏み込み、左足をそろえて立ってから膝を地につかずして蹲踞して置き、立つときも手を地についたり膝を突いたりしないで立って右足を前方に踏み出して回れ左をして右足から踏み出して元の席にもどる」

とある(武家戦陣資料事典)が、

一般には、

打鮑・勝栗・干昆布、

とされるのは、

打って・勝って・喜ぶ、

の縁起だが、

打鮑・勝栗、

のみにするものもあり、

肴はかうのもの一切れなり、

と簡単なものもある(今川大双紙)、とか(仝上)。

参考文献;
笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
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コトバの辞典;
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2019年10月27日

海馬


「海馬」は、

かいば、

と訓む。中国語である。字源には、

たつのおとしご、
にんぎょ、

の意味が載る。「にんぎょ」は、

儒艮(じゅごん)、

の意と載る。大言海も、

たつのおとしご、
せいうち、

と載せる。しかし、広辞苑には、

Sea-horseの訳、

として、

セイウチ、およびトドの別称、
タツノオトシゴの別称、
ジュゴンの誤称、
Hippocampus 脳の内部にある古い大脳皮質の部分。その形がギリシャ神話の神ポセイドンが乗る海の怪獣、海馬(ヒポカンポス)の下半身に似ているのでこの名がある、

と載る。脳の海馬の由来はここにあるが、精選版 日本国語大辞典は、「うみうま(海馬)」は、

たつのおとしご(龍落子)の異名(物類称呼(1775))、
海産の大きなカメ。うみぼうず。あおうみがめ(大和本草批正(1810頃))、

とし、「かいば(海馬)」を、

魚「たつのおとしご(龍落子)の異名(山槐記・治承二年(1178))、
セイウチ(海象」の異名(南島志(1719))、
大脳辺縁系で古皮質に属する部位、

と分け、脳の海馬は「断面の形がタツノオトシゴに似る」としている(時実利彦・脳の話)。これは、動植物名よみかた辞典によると、

海馬(アシカ) アシカ科の動物の総称、
海馬(ウミウマ) ヨウジウオ科の海水魚。タツノオトシゴの別称、
海馬(トド)  アシカ科の海獣、

とあるので、「海馬」を、アシカと訓ませたりするのは、トドを含めたアシカ科の総称だから、ということになる。ただ、脳の「海馬」は、一般には、ヒポカンポスに似るとされるが、日本人からは、タツノオトシゴに似ていると見える、ものらしい。

800px-Hippocampus_abdominalis_(white).jpg



William-Adolphe_Bouguereau_(1825-1905)_-_Arion_on_a_Sea_Horse_(1855).jpg

(ウィリアム・アドルフ・ブグローの描いたヒッポカムポス https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%9D%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%9D%E3%82%B9より)


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(海馬。図の左側が前頭葉、右側が後頭葉 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%A6%AC_(%E8%84%B3)より)


1024px-Sealion052006.jpg



で、「海馬」は、

「かいば」「うみうま」と訓んで、タツノオトシゴ、
「かいば」と訓んで、セイウチ、
「かいば」「とど」と訓んで、トド、
「あしか」と訓んで、アシカ科(アシカ、オットセイ、トド等を含み、アザラシやセイウチ等を含まない)の総称。または、アシカ、
「かいば」と訓んで、ジュゴンの誤称、
「かいば」と訓んで、ヒッポカムポス - ギリシア神話に登場する半馬半魚の架空の生物、それに準えて脳の海馬、

と、読み分けられている。脳の「海馬」は別にすると、「海馬」は、

「ウマのような大きな海産動物の意。セイウチ(海象)、アシカ(海驢)、ジュゴン(儒艮)にも用いられるが、最近は胡櫞にかえてトドの漢名として定着しつつある。タツノオトシゴの異名でもある」

というのが落としどころらしい(日本大百科全書)。

1024px-Noaa-walrus22.jpg



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ついでながら、「海」の付く生き物を挙げてみると、「海象」は、

せいうち、
かいぞう、
かいしょう、

と訓ませ、「セイウチ」のこと。「海豹(カイヒョウ)」は、

アザラシ、

と訓ませる。

水豹、

とも当てる。「海豚」(カイトン)は、

イルカ、

と訓ませる。イルカhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/465062520.htmlについては触れた。「海狸」(カイトン)は、

ウミダヌキ、

と訓ませ、ビーバーの別名。「海狗」(カイク)は、「おっとせい(膃肭臍)」の異名。「海獺」(カイタツ)は、

猟虎、
獺虎、

とも言い、ラッコだが、

うみうそ、
うみおそ、

ともいい、「アシカ」の異称でもある。「海星」は、

人手、

とも当て、「ヒトデ」と訓ませる。「海月」は、

水母、

とも当て、「クラゲ」と訓ませる。「アシカ」は、

海馬、

とも当てるが、

海驢、
葦鹿、

とも当てる。アイヌ語由来とある。「海胆」は、

ウニ、

と訓ませるが、

雲丹、
海栗、

とも当てる。「海扇」

ほたてがい、

と訓ませる。

帆立貝、

とも当てる。「海鷂魚」は、

鱏、
鱝、
鰩、

とも当て、「エイ」と訓ませる。「海鞘」は、

ほや、

と訓ませる。やれやれ、めんどくさい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2019年10月26日

つづる


「つづる」は、

綴る、

と当てる。「綴」(漢音テイ・テツ、呉音タイ・チ)は、

「会意兼形声。叕(テツ)は、断片をつなぎ合わせるさまを描いた象形文字。綴はそれを音符とし、糸を加えた字で、糸でつづりあわせることを示す」

とある(漢字源)。「つづる」「つなぎあわせる」という意である。別の説明では、

「会意兼形声文字です(糸+叕)。「より糸」の象形(『糸』の意味)と『糸をつなぎあわせた』象形(『つづる』の意味)から糸で『つづる』を意味する『綴』という漢字が成り立ちました」

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2653.html

和語「つづる」は、

つぎわす、つづけあわす、

という意で、

糸などでつなぎ合わせる。また、破れなどをつぐ、
とか、
紙の束などを糸や紐を通してとじる、

という意味から、それをメタファに、

言葉をつづけて文章や詩歌をつくる、

意となり、

アルファベットなどをつらねて単語を書き表す、

という意へ広げて使われる。日本語には、

スペル、

という意味の、

綴り、

はないので、ポルトガル、スペイン等々の欧米語が入って以降の使い方になる。ただ、

「スペルとは、古英語の『spellian』という単語が語源になっており、これは『話すこと』『会話する事』などを意味する。またこれは、『speak:スピーク:話す』の語源とも繋がりがある。現在の英語単語として『spell』と言った場合は『魔法使いや呪い師の語り』『呪文』『怪しげな決まり文句』『仕事』『文字の綴り』『文字の並び』などを意味する」

とあるhttps://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%ABので、「つづる」と無縁ではなさそうであるが、動詞「spell」は、綴る意だが、名詞「spell」に使うと、

「『綴り』という意味はなくなり、『魔力』(charm)、『魅力』(fascination)、『時間のひと続き』(period of rime)という意味」

になり、英語で「綴り」はspellingという。Spellはあやまりとある(あなたの英語診断辞書)ので、正確には、スペルではないが。

和語「つづる」は、

「つづら(葛)と同根。蔓(繊維)を突き通して物を縫い合わせる意」

とある(岩波古語辞典)が、

「ツヅ(続)+ル」

とする説(日本語源広辞典)や、同趣の、

続(つつ)の活用、

とする説(大言海)もある。しかし、抽象度の高い言葉から始まるとは思えないので、

つづら(葛)、

というのは妥当なのとではないか。「つづら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471056963.html?1571773759で触れたように、つづら折りの「九十九」でもあり、それは、「葛」からきている。「葛」は、

くず、
かずら、
つづら、

と訓ませるが、「くず」は、

「つづら」と訓むと、秋の七草の「くず」であり、「つづら」と訓ませると、

ツヅラフジなどの野生の蔓植物の総称、

だが、

ツヅラフジの別称、

でもある(動植物名よみかた辞典)。「かずら」と訓ませると、

蔓性植物の総称、

とある(仝上)。「つづら」の語源は、

綴葛(つらつら)の約にて、組み綴るより云ふかと云ふ(大言海)、
連続の意のツラツラの略(類聚名物考)、
ツヅクカヅラの略(日本釈名)、
クスカツラの略(和訓栞)、

と、その蔓のつながる形状からきている(日本語源大辞典)。だから、「つづる」も、

ツレツレル(連々)の義(名言通)、
ツツル(継連)の義(言元梯)、

と、連続することを指示しているように見える。いきなり、

続ける意(国語の語根とその分類=大島正健)、

と「続ける」と考えるよりは、その具象形である、

葛、

からと見るのが自然に思える。

アオカヅラ.jpg


参考文献;
松本安広・アイリン『あなたの英語診断辞書』(北星堂書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:つづる 綴る
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2019年10月25日

附喪


「つくも」に当てる、

九十九、
江浦草、

については、

「九十九」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471056963.html?1571773759
「つくも」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471076361.html?1571860326)、

で、それぞれ触れた。「つくも」に、

附喪、

と当てると、

付喪神、

の意である。

Hyakki-Yagyo-Emaki_Tsukumogami_1.jpg

(『百鬼夜行絵巻』(室町時代)の付喪神 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%98%E5%96%AA%E7%A5%9Eより)


しかし「妖怪」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163408.htmlで触れたように、「付喪神」は当て字で、

「九十九」(つくも)、

を指すらしい。だから、

九十九茄子、

と書き、

松本茄子、
富士茄子、

とともに天下三茄子の一つとされる茶入れの名となっている。で、最も評価が高いそれは、松永弾正(久秀)所持により、

松永茄子、

とも呼ばれる。

「つくも」は、

付藻、
江澤藻、
江浦草、
作物、

などとも書くhttps://meitou.info/index.php/%E4%B9%9D%E5%8D%81%E4%B9%9D%E9%AB%AA%E8%8C%84%E5%AD%90、とある。「付喪」は、

「室町時代の御伽草子系の絵巻物『付喪神絵巻』に見られるものである。それによると、道具は100年という年月を経ると精霊を得てこれに変化することが出来るという。『つくも』とは、『百年に一年たらぬ』と同絵巻の詞書きにあることから『九十九』(つくも)のことである」

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%98%E5%96%AA%E7%A5%9E、「つくも」で触れたように、やはり、『伊勢物語』の、

百年(ももとせ)に一年(ひととせ)たらぬつくもかみ我を恋ふらし面影に見ゆ、

由来するらしい。つまり九十九は、

「長い時間(九十九年)や経験」
「多種多様な万物(九十九種類)」

等々を象徴し,九十九髪と表記される場合もあるが,「髪」は「白髪」に通じ,同様に長い時間経過や経験を意味し,

「多種多様な万物が長い時間や経験を経て神に至る物(者)」

の意味を表すとされる。

日本の民間信仰において,長い年月を経て古くなったり,長く生きた依り代(道具や生き物や自然の物)に,神や霊魂などが宿ったものの総称で,荒ぶれば(荒ぶる神・九尾の狐など)禍をもたらし,和(な)ぎれば(和ぎる神・お狐様など)幸をもたらすとされる。

「付喪」自体,長く生きたもの(動植物)や古くなるまで使われた道具(器物)に神が宿り,人が大事に思ったり慈しみを持って接すれば幸をもたらし,でなければ荒ぶる神となって禍をもたらすといわれる。ほとんどが,現在に伝わる妖怪とも重複する。

つまりは,親しみ,泥んだものや人や生き物が,邪険にされて妖怪と化す,というわけだ。どうもそれはものや生きもの側ではなく,こちら側の負い目や慙愧の念に由来する影に思える。確か,花田清輝が,

「煤払いのさい、古道具たちが、無造作に路傍に放り出されるということは、彼らにとって代る新しい道具類のどんどん生産されていたことのあらわれであって、室町時代における生産力の画期的な発展を物語っている」

と書いたように,こちらの都合によるものらしい。だから,捨てられたものは,妖怪に化す。

百鬼夜行とは、

百器夜行、

なのである。

その付喪神を名に負ったのが、前述の「九十九茄子」、

九十九髪茄子、

ともいう大名物・漢作、唐物茄子茶入である。

付藻茄子、

とも呼ばれる。この茶入は、

002_img_01.png

(唐物茄子茶入 付藻茄子 http://www.seikado.or.jp/collection/clay/002.htmlより)


「古来この茄子茶入は『つくもがみ』と呼ばれていた。漢字では『九十九髪』もしくは『付喪神』と表記し、前者の漢字をあてる場合は老女の白髪を意味する。また、後者の漢字をあてる場合は古い器に霊が宿った妖怪を意味する。前者の場合『伊勢物語』の一節「百年に一年足らぬつくもがみ我を恋ふらし面影に見ゆ」から、完全な形を意味する百に対して石間(部分的に釉薬がかからず、土の部分が見えたようになっている部分を指す)が欠点で『百』至らぬ『九十九』という意味で名付けられた。また、後者の場合は二つある石間が両目のようであったからと解されて名付けられた。また、付物・作物の字をあてることもある」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%8D%81%E4%B9%9D%E9%AB%AA%E8%8C%84%E5%AD%90#cite_note-4。村田珠光が、

九十九貫で購入した、

という伝承があり、それも「つくも」と命名された由来と結び付けられている。この茶入、なかなかその伝来は、また一つの歴史になっている。

「当初は足利義満が所有しており、…その後足利家が所有していたが足利義政により山名是豊に与えられ…その後伊佐宋雲の手に渡り朝倉宗滴(朝倉教景)が五百貫で購入した。後に宗滴から越前小袖屋に質入れされ、1558年に松永久秀が一千貫にて入手する。その後、1568年足利義昭を奉じて上洛した織田信長へ…九十九髪茄子に吉光を添えて献上した。織田信長没後、本能寺の焼け跡から拾い出された九十九髪茄子は豊臣秀吉に献上された。しかし、秀吉は焼けて釉薬の輝きが失われた九十九髪茄子を好まず、有馬則頼に与えた。有馬則頼の没後、九十九髪茄子は大坂城に戻されるが、1615年大坂城落城の際に再度罹災する。徳川家康の命により藤重藤元・藤厳父子が大坂城焼け跡から探し出し、破片を漆で継ぎ合わせて修復を行った。家康は修復の出来映えの褒美として藤元に九十九髪茄子を与えた。以後、藤重家に伝来した」

とある(仝上)。1876年(明治9年)に岩崎弥之助に譲られ、現在は、静嘉堂文庫美術館所蔵となっている。

ちなみに、松本茄子は、

「今井宗久から織田信長に献上され、その後信長から宗久に下賜され、信長の死後、宗久から豊臣秀吉に献上し秀吉が所有することになった。また、徳川家康の命令により藤重藤元・藤重藤厳父子によって大坂城焼け跡から掘り出され、修復の後、藤重藤厳が拝領し藤重家が代々所蔵する」

https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E8%8C%84%E5%AD%90が、1876年(明治9年)に岩崎弥太郎が譲り受け、やはり静嘉堂文庫美術館が所蔵する。富士茄子は、

当初は足利義輝が所有しており、京の医師、曲直瀬道三が拝領し祐乗坊に与えた[2]。その後織田信長がこれを召し上げたが再び道三に戻り、道三から豊臣秀吉に献上され、秀吉から前田利家に与えられ、以後、前田家が所有した[2]。別の説では、京都から東国公方に渡り、茄子茶入に縁のある今川氏から京都に環流し、後に前田家に入った」

https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E8%8C%84%E5%AD%90、ある。

参考文献;
花田清輝『室町小説集』(講談社)
阿部正路『日本の妖怪たち』(東書選書)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2019年10月24日

つくも


九十九、

は、

つくも、

と訓ませると、「つづら(九十九)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471056963.html?1571773759で触れたのとは、別の意味になる。ひとつは、

九十九髪(つくもがみ)の略、

であり、いまひとつは、

植物ふとゐの古名、

であり、「ふとゐ」は、

江浦草、

とも当てるが、「九十九髪」も、

江浦草髪、

と当てる。

老女の白髪、

をいう。伊勢物語の、

百年(ももとせ)に一年(ひととせ)たらぬつくもかみ我を恋ふらし面影に見ゆ、

に由来するらしく、

「つくも(九十九)は、ムツグクモ(次)百の訳で、百に満たず九十九の意と見、それを百の字に一画足りない『白』の字とし、白髪にたとえたという。また、白髪が江浦草(つくも)に似るからともいう」

とある(広辞苑・岩波古語辞典)。

「『つくも』は『つつも』のなまったもので、『つつ』は古語での『足りない』、『も』は『百』を意味する、

ともあるhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413861284

つまり、いずれも、「百に(一つ)足りない」という意で「九十九」を「つつも」と読んだということに変わりはない。

九十九髪自体が、

「老嫗の白髪の、江浦草(つくも)に似たるを云ふ語なりと」

とある(大言海)し、

ツツモガミの誤り、老嫗の乱れた髪がツツモという藻に似ているところから(松屋筆記)、
ツクモ(江浦草)に似ているところから(和訓栞)、
藻をツクネタさまにたとえたもの(花鳥余情)、

と、対象は違うが、草を束ねた様になぞらえたものからきている。

Scirpus_tabernaemontani_hutoi01.jpg



江浦草は、

タクマモ、

ともいう(大言海)らしいが、

都久毛(つくも)、

とも当て、古く、

ふとゐ、

という水草の名である。「ふとゐ」は、

太藺、

と当て、「太藺」は、

おおい、

とも訓ませる。

太い藺草」の意味である。実際にはイグサ科ではなく、カヤツリグサ科フトイ属に属する、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%A4

茎で花筵などを織る、

ともあり、

池沼などに生える。茎は高さ1~2メートル、円柱状で太く、中空。葉は鱗片(りんぺん)状で、褐色を帯びる。夏、黄褐色の穂をつける、

とある(デジタル大辞泉)。

ツクモの束を白髪に見立て、

て「つくもがみ」と読ませたhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413861284、ともある。

あるいは、

老人の乱れた髪をいうツクモガミのように乱れはえいるところから(東雅)、

と、逆だったのかもしれない。

ところでややこしいことに、「九十九草(つくもくさ)」という「つくも」の付く植物が、別にある。

tukumo1.jpg

(ツクモグサ(九十九草) http://home.r07.itscom.net/miyazaki/garden/yatsu-special.html#tukumoより)

ツクモグサの命名は、

「この花を八ケ岳で発見した山草愛好家の城数馬(じょう・かずま)(中略)は、『花は黄色、形は白頭翁(オキナグサ)に、葉はコマクサに、全形はハクサンイチゲに似ている』新種らしいことは分かったものの、牧野富太郎博士に見てもらってもはっきりしない。そこで『九十九は祖父の名』であることと、『白頭翁に類するが故に、其の頭字の白を以って、百に一足ら ざる』故「九十九草」と名付けたと書いています」

という経緯らしいhttp://home.r07.itscom.net/miyazaki/garden/yatsu-special.html#tukumo。「江浦草」とは全く無縁である。

つくも(江浦草)は、

上つ毛野伊奈良の沼の大藺草外に見しよは今こそまされ、

という柿本人麻呂の歌がある。「大藺」(おおゐ)、つまり、

ふとゐ、

は、古くからなじみのものであった。白髪からなぞらえたか、江浦草からなぞらえたかは、別として、馴染み深いものだったことだけはわかる。

なお、九十九髪の名がついた唐物茄子茶入、

九十九髪茄子、

があるが、

付喪神、

ともいうので、次項で改める。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
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2019年10月23日

九十九


「つづら」は、

九十九、

と当てると、

九十九折、

の「つづら」となり、

葛籠、

と当てると、

つづらこ、

ともいう、

ツヅラフジの蔓で編んだ、衣服などを入れる(蓋つき)箱形のかご。後には竹・檜 (ひのき) の薄板で編み、上に紙を張って柿渋 (かきしぶ) ・漆などを塗った、

衣装入れ、

となる。

1280px-Tudura.jpg



「ツヅラフジ」は、

葛藤、

と当てる(クズフジとも訓ませる)が、別名、

青葛、

と当て、

あおかずら、
あおつづら、

ともいう。

関東地方以西の暖地の常緑樹林中に生える。茎は木質で硬く,長く伸びて他物に巻きつく。

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。ツヅラフジの、

幹、根茎、根を乾燥し、薄く横切りしたもの、

を、漢方では、

防已(ぼうい)
または
漢防已、

と称し、利尿、消腫(しょうしゅ)、鎮痛剤として浮腫、小便不利、関節痛、神経痛などの治療に用いる(日本大百科全書)。

アオカヅラ.jpg

(アオカズラの花、トゲとツルで他の木に巻き付く https://ww1.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/aokadzura.htmlより)


「葛」は、

くず、
かずら、
つづら、

と訓ませるが、

くず、

と訓むと、秋の七草の「くず」であり、

つづら、

と訓ませると、

ツヅラフジなどの野生の蔓植物の総称、

だが、

ツヅラフジの別称、

でもある(動植物名よみかた辞典)。

かずら、

と訓ませると、

蔓性植物の総称、

とある(仝上)。「つづら」の語源は、

綴葛(つらつら)の約にて、組み綴るより云ふかと云ふ(大言海)、
連続の意のツラツラの略(類聚名物考)、
ツヅクカヅラの略(日本釈名)、
クスカツラの略(和訓栞)、

と形状からきているようだ(日本語源大辞典)。

Col_de_Braus-small.jpg



「九十九折」は、

葛折、

とも当てるように、

ツヅラフジの蔓のように幾重にも折れ曲がっている意、

で、

羊腸小径(ようちょうしょうけい)、
斗折蛇行(とせつじゃこう)、

という言い方もするhttps://sanabo.com/words/archives/2001/06/post_360.html

蔓が木にからんだように折れているところから(名語記)、
ツヅラの蔓のように折れ曲がる意(大言海)、

という解釈が一般的だが、

ツラツラオリの略(類聚名物考)、
ツツラヲリ(継連折)の義(言元梯)、
ツツは登れぬさまを言う語。オリは降りる意。登ろうとしてはうしろへおりてしまう坂であるところから(松屋筆記)、

等々もあるが、「つづら」の形状との類似と見るのが自然だろう。

「葛籠」は、

「元々はツヅラフジのつるが丈夫で加工しやすいことから、つる状のものを編んで作る籠のことを材料名から葛籠と呼んでいたようである。原材料が変化しても呼称だけは残り、葛籠という字が当てられたまま「つづら」と呼ばれるに至っている」

のだhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E7%B1%A0が、

つづらこ(葛籠)、

といったものの約と見ていい(大言海・俗語考)。

ところで、「ツヅラフジ」に当てる、

葛藤、

は、

カットウ、

とも訓ませる。これは、

葛(かずら)やふじ(藤)のつるがもつれからむ、

ことから、

もつれ、悶着、

の意から、

心の中の違った方向あるいは相反する方向の力があって、その選択に迷う状態、

心理的葛藤、

の意になる。仏語では、

正道を妨げる煩悩のたとえ、

禅宗では、

文字言語にとらわれた説明、意味の解きがたい語句や公案、あるいは問答・工夫などの意、

にも、用いる(デジタル大辞泉)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:九十九
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2019年10月22日

つつしむ


「つつしむ」は、

慎む、
謹む、

と当てる。「慎む」「謹む」を区別して、

(慎む)調子に乗り過ちを犯さぬよう、行動を控えめにする。
(謹む)敬意を表し、畏まる。

とかhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%A4%E3%81%97%E3%82%80

「慎む」・・・過ちを起こしたり、限度を越さないように抑えめにすること
「謹む」・・・相手に敬意を表して、かしこまった態度をとること
「慎む」は自分も含めてある人が失敗しないための表現、「謹む」は相手を尊重するための表現として使います。

とかhttps://eigobu.jp/magazine/tsutsushimu

「謹む」とは、かしこまって相手に敬意を示すことを指します。
一方、「慎む」とは、言動を控えめにして度が過ぎないようにすることを指します。

とかhttps://gimon-sukkiri.jp/respect-careful/

というのは、和語「つつしむ」に「慎」「謹」を当てたのちの、あと解釈に思われる。「つつしむ」という和語に、両漢字を当てた時は、区別をつけていたとは思われない。

ちなみに、「慎(愼)」(漢音シン、呉音ジン)は、

「会意兼形声。眞(シン 真)は、欠け目鳴く充実したこと。愼は『心+音符眞』で、心が欠け目なくすみずみまで行き届くこと」

とあり、「つつしむ」「念を入れる」「欠け目なく気を配る」等々のいである(漢字源)。「謹」(漢音キン、呉音コン)は、

「会意兼形声。菫(キン)は、『動物の頭+火+土』からなり、かわいた細かい土砂のこと。謹はそれを音符とし、言を加えた字で、細かく言動に気を配ること。こまごまと小さい、の意を含む」

とあり、「つつしむ」意だが、「細かに気を配ってくる狂いや漏れのないようにする」とあり、気配りが「愼」よりも細心になっている(仝上)。「つつしむ」意の漢字は多いが、その使い分けは、

「謹」は、一筋に念を入るる着、細かに、抜け目なきなり。細謹、謹信と用ふ、
「愼」は、内ば(控え目、内気の意)にして、用心する義、敬に近けれど、大事に用心するのみにてあがめる意はなし、
「敬」は、コトをやまひ、大切にするなり、礼記の註に「貌ニ在ルヲ恭トナシ、心ニ在ルヲ敬トナス」とあり、
「恭」は、行儀正しく、つつしむこと。容貌のつつしみは恭なり、心のつつしみは敬なり、
「粛」は、つつしみのきびしくして、まちがひのなき義。

とあり(字源)、「謹」に「敬う」意はない。後のこじつけに過ぎない。むしろ「愼」が「敬」にちかい。

さて、和語「つつしむ」は、岩波古語辞典は、

「ツツはツツミ(包)と同根。物のまわりをすっぽり包む意。シミは、シミ(凍)・シメ(締)と同根。きつく締める意。自分の身を包み込み引き締める意。類義語イミ(忌)は、タブーに触れないように心がける意。カシコミは、畏敬すべき物に対して恭順の意を表す意」

とあり(広辞苑も同じ)、日本語源広辞典は、

「ツツ(包むの語幹)+シム」

で、「心を包む意」とする。ま、「身を包む」か「心を包む」かの違いになる。

大言海は、

約(つ)め締む、

の意とする。日本語源広辞典は、

「ツメ(約)+しむ」

で、「心を詰めて引き締める」意と解釈している。

「つつむ」で触れたように、

「つつむ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/467683799.htmlは,「苞(つと)」と同根であり,「筒(つつ)」ともつながるとすれば,「つつむ」は,

「苞」

の動詞化の可能性がある。「苞」は,

「ツツミ(包)のツツと同根。包んだものの意」

である(仝上)。その意味で、「心」を包むが、「約(つ)め締む」よりは、

つつしむ、

の含意を理解しやすい。多く、

ツツム(日本釈名・南留別志)、
ツツマシメ(包目)の義(名言通)、
ツツマシムル(包令)(和句解)、

と、「包む」と絡ませる説がある。その他、例えば、

ツツシミはツミ(罪)の語幹ツから出た形容詞ツツシに接尾語ミがついたもの(日本古語大辞典=松岡静雄)、
ツツシミはイツツシメの略で、五行をシムル意(蒪菜草紙)、
イツクシムルの略で、五行をシムル意。また、実のあるものは胴体が締まっているところから、ツツシム(筒卜)の義(志不可起)、
五行においては、金は土を締め、義の道を行うものであるところから、ツツは土の義、シムはシマル義(百草露)、

等々という語感は、「謹」の漢字からの解釈から「畏まる」意とリンクさせた感があり、到底原意とは思われない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2019年10月21日

懐石料理


「かいせきりょうり」に、

「懐石料理」

と当てるほかに、

「会席料理」

とも当てる。

「懐石料理」の「懐石」は、

「禅家の語。小食、夜食のこと。抑、腹に満たすを、温石を懐に入るる意として、懐石と称す。茶会の客も、初めは割子(わりご 白木の折箱)を懐して、各、食物を持ち寄りたるに因り、此称ありと云ふ。茶道は、繕り出づ、さもあるべし」(大言海)

「禅宗の僧が、一時的に空腹しのぐために懐に入れていた『温石(おんじゃく)』をいった。温石とは、蛇紋石や軽石などを火で焼き、布に包んだものである。懐石が空腹をしのぐものであったところから、簡単な料理・質素な食事を意味する」(語源由来辞典)

とあるが、どうやら、

「江戸時代になって茶道が理論化されるに伴い、禅宗の温石に通じる『懐石』の文字が当てられるようになった。懐石とは寒期に蛇紋岩・軽石などを火で加熱したもの、温めたコンニャクなどを布に包み懐に入れる暖房具(温石)を意味する」

らしいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%87%90%E7%9F%B3。それが料理に結び付く経緯は、諸説あり、

「一に修行中の禅僧が寒さや空腹をしのぐ目的で温石を懐中に入れたことから、客人をもてなしたいが食べるものがなく、せめてもの空腹しのぎにと温めた石を渡し、客の懐に入れてもらったとする説。また老子の『徳経』(『老子道徳経』 下篇)にある被褐懐玉の玉を石に置き換えたとする説などである」

後に、「懐石」の字を当てたものらしい。

「会席料理」の「会席」とは、

寄合の座敷、

の意味で、それが、

歌会または蓮歌・俳諧を興行する席・座敷・一座を言う、

ようになり、さらに、

茶の湯の席で行われる簡単な料理、

を指すに至る(岩波古語辞典)。

「会席は当て字なり、茶会の席上の料理の意に思ひ移したるなるべし」

とある(大言海)。

「懐石とは茶の湯の食事であり、正式の茶事において、『薄茶』『濃茶』を喫する前に提供される料理のことである。利休時代の茶会記では、茶会の食事について『会席』『ふるまい』と記されており、本来は会席料理と同じ起源であったことが分かる。江戸時代になって茶道が理論化されるに伴い、禅宗の温石に通じる『懐石』の文字が当てられるようになった」

だけのことである(仝上)。もともと、茶席での料理で、

茶料理、
会席、

と呼ばれていたものを、禅につなげて(つまりは権威化するために)、「懐石」の字を当てたものだ。

簡単な料理・質素な食事とは、

「茶席で亭主(ホストのこと)が客にもてなす料理のことです。もてなすといっても主役はあくまでも濃茶で、これを頂く前に、お客様の空腹をいやすために出される軽い食事」

を意味するものhttp://gogen-allguide.com/ka/kaiseki.htmlが、茶道では、

「献立・食作法・食器などにも一定の決まりが定められるようになった」

というわけである(語源由来辞典)。本来は、

一汁三菜、

のスタイルで、

「ごはん、お吸い物、3品のおかず、香の物で構成されていました。三菜にあたるおかずは、なます、煮物、焼き物の3種」

とシンプルなものhttps://macaro-ni.jp/57492だったらしい。

IMG_1070.jpg

(「一汁三菜」の基本 茶懐石では最初に出す膳の折敷(おしき)に、「飯」を左にして右側に「汁」を置き、そのむこう側に刺身やなますの「向付(むこうづけ)」配置する https://kondate.oisiiryouri.com/tyakaiseki-no-imi-yurai/より)


「天正年間には堺の町衆を中心としてわび茶が形成されており、その食事の形式として一汁三菜(或いは一汁二菜)が定着した。これは『南方録』でも強調され、『懐石』=『一汁三菜』という公式が成立する。また江戸時代には、三菜を刺身(向付)、煮物椀、焼き物とする形式が確立する。さらに料理技術の発達と共に、『もてなし』が『手間をかける』ことに繋がり、現在の茶道や料亭文化に見られる様式を重視した『懐石』料理が完成した。なお、『南方録』以前に「懐石」という言葉は確認されておらず、同書を初出とする考えがある」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%87%90%E7%9F%B3

ただややこしいのは、「懐石料理」と「会席料理」とは、別のものであることだ。

「懐石料理」は、

茶懐石、

と区別されるように、

「茶事の一環であり、茶を喫する前に出される軽い食事で、酒も提供されるが、目的は茶をおいしく飲むための料理である」

のに対して、「会席料理」は、

「本膳料理や懐石をアレンジして発達したもので、酒を楽しむことに主眼がある」

ので、

「料理の提供手順も異なっているが、顕著に異なるのは飯の出る順番である。懐石では飯と汁は最初に提供されるが、会席料理では飯と汁はコースの最後に提供される」

し、「会席料理」は、

「一人一人に料理が盛って持ち出され、茶席におけるように、取り回し時に特別の作法」

があるわけではない(仝上)。つまり、「懐石料理」は、

茶席、

のものであり、「会席料理」は、

宴会、

のもの、ということになる。

日本の宴会は、

「酒礼・饗膳・酒宴の三部から構成され、中国の唐礼や朝鮮半島からの影響を受け酒礼に三献を伴う儀式が成立したと考えられている。酒礼は一同に酒が振る舞われる儀礼で、今日の乾杯や『駆付け三杯』にあたる。酒礼の後には飯汁を中心とした饗膳(膳、本膳)に入り、茶や菓子も含まれる。酒礼と饗膳は座を変えて行うことが多く、平安時代の饗宴においては酒礼・饗膳を『宴座』、宴会の酒宴は『穏座』と呼称して区別していた」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%86%B3%E6%96%99%E7%90%86

「本膳料理(ほんぜんりょうり)」は、

室町時代に確立された武家の礼法から始まり江戸時代に発展した形式、

で、

「南北朝時代には公家の一条兼良の往来物『尺素往来(せきそおうらい)』において本膳・追膳(二の膳)・三の膳の呼称が記され、『本膳』の言葉が出現する。また、室町時代には『蔭涼軒日録』長禄3年(1459年)に正月25日に将軍足利義政が御所において御煎点(ごせんてん)を行った際の饗膳が記されて」

おり、

「室町時代には主従関係を確認する杯を交わすため室町将軍や主君を家臣が自邸に招く『御成』が盛んになり本膳料理が確立した。本膳料理の確立に伴い、室町時代から江戸時代には『献立』の言葉が使用され、饗宴における飲食全体を意味した」

とある(仝上)。「本膳料理」は、

「《宗五大草紙(そうごおおぞうし)》(1528)には,初献(しよこん)に雑煮,二献に饅頭(まんじゆう),三献に吸物といった肴(さかな)で,いわゆる式三献(しきさんこん)の杯事(さかずきごと)を行い,そのあと食事になって,まず〈本膳に御まはり七,くごすはる〉とあり,一の膳には飯と7種のおかず,以下二の膳にはおかず4種に汁2種,三の膳と四の膳(与(よ)の膳)にはおかず3種に汁2種,五・六・七の膳にはそれぞれおかず3種に汁1種を供するとしている」

といった例(世界大百科事典)があり、大規模な饗宴では七の膳まであったとの記録もあったとされる。
「式三献(しきさんこん)」とは、

三献、

酒宴の作法の一つで、饗宴で献饌ごとに酒を勧めて乾杯することを三度繰り返す作法、

といい、

「中世以降、特に盛大な祝宴などでは『三献』では終わらず、献数を重ねることが多くなり、最初の『三献』を儀礼的なものとして、特に『式三献』というようになったものと思われる」

とある(精選版 日本国語大辞典)。のん兵衛は相変わらずである。

「本膳料理」からくる「会席料理」の献立は、たとえば、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E5%B8%AD%E6%96%99%E7%90%86

に詳しいし、「懐石料理」の献立は、たとえば、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%87%90%E7%9F%B3

に詳しい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2019年10月20日

八寸


「八寸」は、

1寸の8倍の長さ。約24.2センチ、

の意味だが、

八寸角の折敷(をしき ヘギ製の角盆)、

を指す(たべもの語源辞典)。「折敷」は、

片木(へぎ)を四方に折り廻して作った角盆、食器を載せるのに用いる。杉などのほか種々の香木でつくる、

とある(広辞苑)が、

「四角でその周囲に低い縁をつけたもの,すなわち方盆のこと。その名は,上古に木の葉を折敷いて杯盤にしていたことが残ったものであるといわれる。高坏(たかつき)や衝重 (ついがさね) よりは一段低い略式の食台として平人の食事に供されたもので,8寸(約 24cm)四方のものを『大角』または「八寸」,5寸(約15cm)四方のものを『中角』,3寸(約9cm)四方のものを「小角(こかく)」といい,角(かど) 切らないものを「平折敷」,四隅の角(すみ)を切ったものを『角切の折敷』あるいは『角』と呼び,ほかに足がつけられた『高折敷』『足付折敷』などの種類もみられた」

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。

108308.jpg

(折敷 デジタル大辞泉より)


「折敷」(をしき)は、

ヲリシキ(折敷)の約で、柏、椎などの葉を折り敷いて食物を盛った古の風俗から(大言海・名語記・万葉代匠記・和字正濫鈔)、

が由来とみられる。「へぎ」は、

削ぎ、

で、

「減ると同根。一部を削り取る意」(岩波古語辞典)

からきていると思われる。名詞「へぎ」には、

片木
片器、

と当て、

薄く削いだままの板で作った折敷、

とある(仝上)。大言海は、「へぎ」に、

折、

を当て、

折(へ)ぐこと、また、ヘギイタ、ソギ、片木、

としている。

「八寸」は、寸法の意から、「折敷」の意となり、さらに、

それに盛られる取肴、

意となり、さらに、

料理献立の一つ、

となる。

「懐石料理(茶料理)で主客が盃のやりとりをするとき、木地の八寸四方の片木(へぎ)盆に取肴を盛って出したので、『八寸』という器に盛る肴が、決まった」

らしい(たべもの語源辞典)。懐石料理の中の八寸は、たとえば、

「八寸…に、酒の肴となる珍味を2品(3品のこともある)、品よく盛り合わせる。2品の場合は、1つが海の幸ならもう1品は山の幸というように、変化をつけるのがならわしである。亭主は正客の盃に酒を注ぎ、八寸に盛った肴を正客の吸物椀の蓋を器として取り分ける(両細の取り箸が用いられ、それぞれの端が酒肴によって使い分けられる)。酒と肴が末客まで行き渡ったところで、亭主は正客のところへ戻り、『お流れを』と言って自分も盃を所望する。その後は亭主と客が1つの盃で酒を注ぎ合う。亭主は正客の盃を拝借するのが通例である。正客は自分の盃を懐紙で清め、亭主はその盃を受け取り、そこに次客が酒を注ぐ。その次は、同じ盃を次客に渡し、亭主が次客に酒を注ぐ。以下、末客が亭主に、亭主が末客に酒を注ぎ合った後、亭主は正客に盃を返し、ふたたび酒を注ぐ。このように、盃が正客から亭主、亭主から次客、次客から亭主、と回ることから、これを『千鳥の盃』と称する。客が上戸の場合は、さらに『強肴』(しいざかな)と称される珍味が出される場合もある(強肴は『預け鉢』の前後に出される場合もあり、『預け鉢』そのものを『強肴』と称する流派もある)」

という具合であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%87%90%E7%9F%B3

「一汁三菜(さらにあれば預け鉢)などの食事が済み箸洗いが出たあと、亭主と客が酒の献酬(けんしゅう)をする際に肴(さかな)として珍味などを盛った(八寸)を亭主が持ち出し、客に一人ずつ取り分ける。動物性のものと植物性のもの2種を盛ることが多い」

ともある(食器・調理器具がわかる辞典)。

IMG_5469.jpg

(八寸盛り付け例 【春】蛍いか旨煮、菜の花昆布じめ https://oisiiryouri.com/hassun-imi/より)


IMG_9623.jpg

(八寸盛り付け例 【秋】さばの小袖、干し柿鳴門巻き https://oisiiryouri.com/hassun-imi/より)


「八寸」の考案者は、利休で、

京都洛南の八幡宮の神器からヒントを得て作ったといわれる、

らしいhttps://kyoto-kitcho.com/event/madrid_fusion_05/mf_008_jp.htmlが、はっきりしない。ただ、上記にあるように、

「一期一会の好機を得て主となり客となった喜びをこめて、亭主と客が盃をかわす場面でだされるものをいいます。正式には八寸四方の杉のお盆を使い、酒の肴として、海のもの(生臭もの)と山のもの(精進もの)を合わせて出すことが決まりとされています。「八寸」は、十分に湿らし、右向こうに海のもの、左手前に精進のものを盛り、手前に両細の青竹箸を濡らし、露をきって添えます。また、客の数よりも多く(通常、お客さんの人数+御代わり1名分+亭主用1名分)盛り付けるようにします。」

ともある(仝上)。

その後、明治になって、「八寸」は、

「八寸四方の片木盆に盛るといった八寸ではなく、八寸という献立の中の名称であって、その料理は、煮物でも焼物でも何でもよい。つまり、焼物といえば、魚鳥肉を焼いたものといった風に、その料理法は決まっているが、八寸と称したとき、その料理法に決まりはなく、何か一つの料理を出すための看板として八寸という名称が用いられるようになったといえよう。その器も、八寸四方の片木盆など昔のことはまったく忘れられて、八寸皿とよぶ器に盛られるようになった」

という献立に変わってしまった。ただ、懐石料理に「八寸」はあるが、会席料理にはないようである。

ちなみに、「へぎそば」は、へぎ(片木)」と呼ばれる、剥ぎ板で作った四角い器に載せて供されることからこの名が付いているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B8%E3%81%8E%E3%81%9D%E3%81%B0

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:折敷 八寸
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2019年10月19日

山椒


「山椒」は、

さんしょう、
あるいは、
さんしょ、

と訓ませる。

「サンショウ(山椒、学名:Zanthoxylum piperitum)はミカン科サンショウ属の落葉低木。別名はハジカミ。原産国は日本であり、北海道から屋久島までと、朝鮮半島の南部にも分布する。若葉は食材として木の芽の名称がある。雄株と雌株があり、サンショウの実がなるのは雌株のみである」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6

ブドウ山椒.jpg

(ブドウ山椒(雌木)の雌花 http://www.e-yakusou.com/sou/sou230-2.htmより)
花山椒.jpg

(山椒 雄木の雄花(花山椒) http://www.e-yakusou.com/sou/sou230-3.htmより)


「山椒」の「椒」(ショウ)の字は、

「会意兼形声。『木+音符叔(小さい実)』で、小粒の実のなる木」

とある(漢字源)。山椒の意味もあるが、「胡椒」の「椒」でもある。

「実が丸く、味が辛い」

からとある(仝上)。ただ「椒」には、

「芳しいの意があり、山の薫り高い実であることから「山椒」の名が付けられたと考えられる」

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6。語源由来辞典には、

「『椒(ショウ)』の一字でも『山椒』を指していたが、山で採れる意味で『山』が冠されて『山椒』となった。その漢字を音読みしたのが『サンショウ』で、『生姜』に『ハジカミ』の名を奪われたため、この名が定着していった」

とある。ただし、

「サンショウは、山に多くあるはじかみ(椒)ということで山椒と書き、それを音読みしちものである。したがって山椒は漢名ではない」

とある(たべもの語源辞典)。

なお、山椒は、

「原始時代から日本列島にあった。記紀の歌にも椒(はじかみ)の名が出てくる。まぶたに物もらいができたとき、宵に山椒の実を丸のまま五粒飲んで寝ると翌朝できものが治っている、といわれた」

とある(たべもの語源辞典)。たとえば、

「垣下(かきもと)に 植ゑし椒(はじかみ) 口ひひく」(『書紀』では「垣本(かきもと)に 植ゑし山椒(はじかみ) 口疼(ひび)く」)

と載る(「柿の下に植えた山椒は口がひりひりする」という意味)、とかhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%B1%B3%E6%AD%8C#cite_note-%E6%AD%8C-1

山椒の古名は、

ハジカミ、

でもあることは、生姜http://ppnetwork.seesaa.net/article/470901666.html?1571168100で触れたが、

「呉薑(クレノハジカミ)、渡来して、別して、皮ハジカミとも云ふ。辛皮(カラカハ)を食ふに因るなり。生(なる)ハジカミ、房ハジカミとも云ふ」

とある(大言海)。「ハジカミ」を生姜にも当てたため、区別したものである。

「ハジカミ」は、

ハジカミラの略、

「ハジははぜるの意で、カミラはニラの古名である。果実の皮がはぜ、また味が辛くてニラの味に似ているところからきた」

とする(たべもの語源辞典)。似たものに、

ハジカラミの略。ハジは、花がハゼて実が出るところから。カミラは韮の古名で味が似ているところから(箋注和名抄)、

がある。大言海も、

罅裂子(はじけみ)、

とし、日本語源広辞典も、

ハジケ+ミ(実)、

とはじける説を採る。

辛くてハ(歯)がシカム(蹙)ところから(雅言考)、

という説は、

「この葉や実を噛むと歯がうずき痛むからであるというが、歯がうずく辛さのものは他にもある」

として、たべもの語源辞典は否定する。

「味が辛いところから生姜もさすようになった。なお、実のなる山椒はナルハジカミ、中国渡来の生姜をクレノハジカミと呼び分けることもあった」

とある(日本語源大辞典)。生姜と区別するため、山椒は「結実」するという意味で「ナルハジカミ」や、実が房状になる意味で「フサハジカミ」などと呼ばれたものである(語源由来辞典)。

山椒の中の、

朝倉山椒、

は、

「丹波越前などから出る。元但馬国朝倉村の産なのでこの名がある。普通の山椒よりはが大きく、期には棘がない。果実の大きさは山椒の三倍ある。辛味が強く香気が高い。これは朝鮮から但馬に渡ってきた」

ものらしい(たべもの語源辞典)。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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スキル事典;
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ラベル:山椒
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2019年10月18日

ガルゲン・フモール


大岡昇平他編『黒いユーモア(全集現代文学の発見第6巻)』を読む。

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本書は、

現代文学の発見,

と題された全16巻の一冊としてまとめられたものだ。この全集は過去の文学作品を発掘・位置づけ直し,テーマごとに作品を配置するという意欲的なアンソロジーになっている。本書は、

黒いユーモア,

と題された「ユーモア」に関わる作品を収録している。収録されているのは、

内田百閒『朝の雨』
石川淳『曽呂利咄』
井伏鱒二『白毛』
飯沢匡『座頭H』『崑崙山の人々』
深沢七郎『楢山節考』
武田泰淳『第一のボタン』
富士正治『雑談屋』
織田作之助『世相』
安部公房『棒』
平林彪吉『鶏飼ひのコミュニスト』
尾崎翠『第七官界彷徨』
佐木隆三『ジャンケンポン協定』
泉大八『アクチュアルな女』
坂口安吾『あヽ無情』
野坂昭如『マッチ売りの少女』
花田清輝『鳥獣戯話』
今村昌平・山内久『果てしなき欲望』

である。花田清輝は、本巻の解説で、「黒いユーモア」、すなわち、

ガルゲン・フモール(Galgen humor)、

「ガルゲンは絞首台、フモールは諧謔。窮余の諧謔。曳かれ者の小唄」

とする。とすると、このアンソロジーに、

井上光晴、

の作品がないのは、いささか画竜点睛を欠くかに見える。この意味の「黒い」と題されたユーモアに値するのは、本巻掲載作品の中では、

井伏鱒二『白毛』
深沢七郎『楢山節考』
武田泰淳『第一のボタン』
安部公房『棒』
平林彪吉『鶏飼ひのコミュニスト』
野坂昭如『マッチ売りの少女』
花田清輝『鳥獣戯話』

かと思われる。特に、

野坂昭如『マッチ売りの少女』

は、アンデルセンの童話の、寒空の下でマッチを売っていた少女のラスト、マッチの炎に現れた祖母の幻影が消えるのを恐れた少女は、急いでマッチ全てに火を付け、自身も火と燃えるストーリーを頭の片隅に置くと、一層その「窮余の諧謔」ぶりが目立つ。

がさつな僕には、

尾崎翠『第七官界彷徨』

の繊細な少女の揺れる、

第七官、

はうまくつかみ取れない。少女の微妙な心情を描く環境として、特異な環境を設定した意図は、よく見えなかった。結果からみて、本当に、このシチュエーションが必要だったのだろうか、という疑問はぬぐえない。ガサツなせいかもしれないが。

やはり本巻の中で出色なのは、

花田清輝『鳥獣戯話』

である。巻末の解説を書く花田清輝自身が、この作品についての平野謙の、

「『群猿図』においてすら、あれの終わったところから小説ははじまるというような感想をいだかされた私としては、『孤狐紙』はますます後退してしまった、と思わざるを得ない。小さなことをいうようだが、作者は〈ないでもない〉とか〈らしい〉とか〈のようである〉というような言葉をさかんに使っているけれど、そういう作者自身のコケンのようなものをかなぐりすてたところに、小説世界はそれみずからを全肯定的によみがえらすのではないか」

という文芸時評の一説を引き、

「いくぶん、ほめかたがたりないような気がしないでもなかった」

と嘯く。おそらく、平野謙の小説観そのものと対峙するところに、花田清輝の小説世界はある。

〈ないでもない〉
〈らしい〉
〈のようである〉

という仮説というか、推測というか、曖昧化、によって事柄の中に多様な像を多重写しにして、その中の一つを可能性として取り上げ広げていく、この筆法自体が、小説世界になっている、ということを平野謙は認めなかったのである。例は悪いが、

春秋、

は、孔子の正邪の判断を加え、

些事をとりあげて、間接的な原因を直接的な原因として表現する、

ところから

春秋の筆法、

と言われる。しかし、それも歴史記述の一つである。事実の選択一つ、書き手の判断に俟たないものはないのではないか。

メタ小説(http://ppnetwork.seesaa.net/article/457109903.html

で触れたように、鴎外の『澀江抽斎』は、

史伝、

という範疇に入れるしかなかったが、

「著者はこの伝記の稿に筆を下すに当たって,先ず如何にして自分がこの作品の主人公とめぐりあったか,どうしてその人に関心をいだき,伝記を立てる興味をおこしたか,そしてこの著述に如何にして着手し,史料は如何にして蒐め,また如何にして主人公に就いての知識を拡大して行ったか,その筋みちを詳しく説明してゐるのである。言ってみれば著者はここで伝記作者としての自分の舞台裏をなんのこだわりもなく最初から打ち明けて見せてゐるのであり,著述を進めてゆく途上に自分が突き当たった難渋も,未解決の疑問も,一方探索を押し進めてゆく際に経験した自分の発見や疑問解決の喜びをも,いささかもかくすことなく筆にしてゐる。これは澀江抽斎といふ人の伝記を叙述してゐると同時に,澀江氏の事蹟を探ってゆく著者の努力の経過をもまた,随筆のやうな構へを以て淡々と報告してゆく,さうした特異な叙述の方法にもとづいて書かれた伝記である。」

と、解説者(小堀桂一郎)自身が説明しているように、まさに、平野謙の言う、

あれの終わったところから小説ははじまる、

という作品である。しかし、

小説とはどうして書くものかと考え,そう考えたことを書くこと、

自身がテーマなのである。卓見の石川淳は、それを、

「小説概念に変更を強要するような新課題が提出」
「小説家鷗外が切りひらいたのは文学の血路である」

と評した(http://ppnetwork.seesaa.net/article/456849243.html)。

花田清輝の作品は、ある意味で、鴎外の切り開いた血路の先にある。しかし、鷗外自身はその新地平について気づいていなかったらしい。

「鷗外自身は前期のいわゆる小説作品よりもはるかに小説に近似したものだとは考えていなかったようである。たしかに従来の文学的努力とは性質のちがった努力がはじめられていたにも係らず,そういう自分の努力と小説との不可分な関係をなにげなく通り越して行ったらしい点に於て,鷗外の小説観の一端がうかがわれるであろう」

と石川淳は評した(仝上)。花田清輝は、それを意識的に切り開いている。だからこそ、平野謙の、

あれの終わったところから小説ははじまる、

を、

ほめ方が足りない、

と嘯いたのである。

参考文献;
大岡昇平他編『黒いユーモア(全集現代文学の発見第6巻)』(學藝出版)
石川淳『森鷗外』(ちくま学芸文庫)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
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2019年10月17日

ミョウガ


「ミョウガ」は、

茗荷、
蘘荷、

と当てる。旧仮名では、

めうが、

と表記される。岩波古語辞典の「めうが」の項には、

「ミョウガの芽を多く食べると馬鹿になるという俗説」

から、

馬鹿、阿保、愚者、

の意がある、とする。ミョウガは、

「日本の山野に自生しているものもあるが、人間が生活していたと考えられる場所以外では見られないことや、野生種がなく、5倍体(基本数x=11、2n=5x=55)であることなどから、アジア大陸から持ち込まれて栽培されてきたと考えられる。花穂および若芽の茎が食用とされる」

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%AC

「高さは一メートルになる。全体が薑(しょうが)に似ている。葉の幅がやや広く、根から鱗状の苞のある白花を生ずる」

が(たべもの語源辞典)、

「通常『花みょうが』『みょうが』と呼ばれるものが花穂で、内部には開花前の蕾が3〜12個程度存在する。そのため、この部分を『花蕾』と呼ぶ場合もある。一方、若芽を軟白し、弱光で薄紅色に着色したものを『みょうがたけ』と呼ぶ。『花みょうが」は、晩夏から初秋にかけ発生し、秋を告げる風味として喜ばれ、一方『みょうがたけ』は春の食材である。地面から出た花穂が花開く前のものは『みょうがの子』と呼ばれる。俳句では夏の季語で、素麺の薬味などとして食される』

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%AC

Mioga.jpg



「ミョウガ」の「茗荷」は、当て字である。蘘荷(じょうか)は、

「『魏志』の倭人伝に『蘘荷』とあるので、これが日本のミョウガに関する最古の記載である」

とある(仝上)。日本で古くから栽培されてきた野菜の一つで、延喜式・大膳には、

「正月最勝王経斎会供養料(略)蘘荷漬、菁根漬各二」

と載る。更に、和名抄に、

「蘘荷(略)和名米加」

とあるので、古くは「メカ」と呼ばれていた(日本語源大辞典)。そこで、ミョウガの語原は、

メカ(芽香)の転、

とする説がある(広辞苑、日本語源広辞典)。ミョウガの香りに由来すると思われる。

めか(芽香)→めうか→みょうが、

という音韻変化を採る。しかし、「ショウガ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/470901666.html?1571168100でも触れたように、

「大陸からショウガとともに持ち込まれた際、香りの強い方を「兄香(せのか)」、弱いほうを「妹香(めのか)」と呼んだ。これが後にショウガ・ミョウガに転訛した」

との説があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%AC

めのか(妹香)→みょうが、

の転訛とするのである。これについて、語源由来辞典は、

「みょうがは、古名を『めが』といい、奈良時代には『売我』『女我』と表記され、平安中期から中国名の漢字が使われた。『めが』の語源は、その香りから『芽香(メガ)』の意とする説と、ショウガを『兄香(セガ)』といったことから、男の称『セ』に対し女の称『メ』を当てた『女香(メガ)』とする説があるが、『芽香(メガ)』の説が一般的である。この『めが』が拗音化して、『みょうが』となったとされるが、(中略)平安中期には、『メガ、又はミャウガ』と記されており、『めが』が音変化して『みょうが』となったとすれば、この当時は『メウガ』と書かれるはずで、『ミャウガ』は『メガ』の音変化とは別とするものである。この問題をうめる説として、中国漢字の『めが』が、日本では漢音で『ジャウガ』、呉音で『ニャウガ』と発音されていたため、『ニャウガ』が『ミャウガ』となり、『ミョウガ』になったとする説があり、最も有力な説といえる」

と、「めか」説を否定している(大言海は「みょうが」を「めうが(蘘荷)」の誤りとしているので、「めうが」の表記がないというのは解せない)。ただ、「中国漢字の『めが』が、日本では漢音で『ジャウガ』、呉音で『ニャウガ』と発音されていたため、『ニャウガ』が『ミャウガ』となり、『ミョウガ』になったとする説」は、生姜(薑)が「乾薑」と対なので、ちょっと受け入れがたい。やはり、「芽香」と、香りに由来するとみるのが普通であろう。

なお、「茗荷」の当て字は、

「遅くとも室町期には『文明本節用集』に『名荷 みゃうか』、『運歩色葉』に『名荷 茗荷 蘘荷』とあるところから、ミョウガとよばれると共に、あて字『茗荷』が用いられ始めた」

ようだ(日本語源大辞典)。

「ミョウガ」を食べると、物忘れするといわれるのは、

「中国の蘇東坡の『東坡詩林』に『庚申三月十一日薑の粥食ふに甚だ美なり、歎じて曰く吾れ薑食ふこと多し』とある。つまりショウガを多く食べたので愚とになったというのである。それがショウガとミョウガを混同してしまって、ミョウガを多く食べると物忘れする、馬鹿になると言い出したものである」

とある(たべもの語源辞典)が、別に、

「釈迦の弟子で周梨槃特の塚から生えた草を愚鈍草と名付けた。槃特は、自分の名も覚えられないので、その名を書きつけた物を荷って歩いたところから、名を荷う、名荷とは、愚鈍草のことだ、という」

とある(仝上)。しかし南方熊楠によると、槃特比丘が性愚鈍だということを書いたものはあるが、名荷の話は日本人の創作である、という(仝上)。「茗荷」に当てて以降の作り話である。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2019年10月16日

ショウガ


「ショウガ」は、

生姜、
生薑、
薑、

と当てる。

1024px-堀上げたばかりのショウガPC090165.jpg

(掘り上げたばかりのショウガ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%ACより)


原産地はインドを中心とした熱帯アジアと推定されているが、野生種は発見されていない。古い時代に中国に伝わり、三世紀以前に日本に渡来したらしい。

「日本には二、三世紀ごろに中国より伝わり奈良時代には栽培が始まっていた。『古事記』に記載があるように早くから用いられている

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%AC、古くはサンショウと同じく「はじかみ」と呼ばれ、区別のために「ふさはじかみ」「くれのはじかみ」とも呼ばれた、ともある。この経緯は、

「漢名が薑(きょう)、訓でハジカミとよむ。ハジカミとは山椒の古名。生姜の異名でもある。ショウガもハジカミも一つではあるが、ハジカミはショウガではない。ハジカミの中で、ショウガは、その部分が土の中にあることを示した名がツチハジカミであり、穴をあけてとるところからアナハジカミともいい、その部分がかたまりになっているのでクレノハジカミとも称した。クレノハジカミを生姜または生薑と書き、ショウガと称したのである。薑はハジカミまたはショウガである。乾薑(ほしかじかみ)が『和名鈔』にある。これは一名定薑ともよばれるもので、これに対して生薑と書いてクレノハジカミの名とした。薑は、キョウとよむが、姜もキョウまたはコウとよむ。それで画数の少ない姜を用いて生姜(ショウキョウ)とした。生姜はショウコウともよまれる。これがショウガとなった」

とある(たべもの語源辞典)ので、「ショウガ」は、

ショウキョウ(生姜)→ショウコウ(生姜)→ショウガ、

の転訛と見える。大言海も、

「生と云ふは、乾薑(ホシハジカミ)に対するならむ。ガは、薑、姜の呉音、カウの約ト云ふ」

とするし、語源由来辞典も、

「しょうがを中国では『薑』と書き、生のものを『生薑』、干したものを『乾薑』という。このうち生のショウガを表す『生薑』を音読みした『シャウキャウ(シャウコウ)』が転じ、『ショウガ』と呼ばれるようになった。『キャウ(カウ)』が『ガ』の音になったのはミョウガの影響によるものと考えられる」

とするhttp://gogen-allguide.com/si/syouga.htmlが、別に、

「ショウガは、その形が蘘荷(めうが)に似ているので、女香(めか)と呼んだのに対し、生薑を兄香(せか)と称した。これがセウガと訛ったのは、女香(めか)が『めうが』と訛ったのとおなじである」

と(たべもの語源辞典)、

セカ(兄香)→セウガ→ショウガ、

の転訛とする説もある。同じく、

「大陸からミョウガとともに持ち込まれた際、香りの強いほうを『兄香(せのか)』、弱いほうを『妹香(めのか)』と呼んだことから、これがのちにショウガ・ミョウガに転訛したとする説がある」

としているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%AC説もある。しかし、「せうが」の表記は見られないのが難点である。

「室町時代にはシャウガとハジカミが併用されていた」

ともある(日本語源大辞典)。中国伝来の由来から見ると、乾した薑に対する、

生(なま)

の、薑(はじかみ)の意と見るのが妥当のようである。

なお、「ショウガ」は、大きさ別に、

大生姜・中生姜・小生姜の3種類、

に分けられるらしいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%ACが、

「小ショウガには谷中(やなか)や金時(きんとき)など、中ショウガには三州(さんしゅう)や近江(おうみ)ショウガなどの品種がある。小ショウガと中ショウガの品種は、日本で栽培され、分化したものである。大ショウガは江戸時代以後に渡来したと考えられ、印度(インド)生姜、広東(カントン)生姜などの品種がある」

という(日本大百科全書)。

ちなみに、山椒の古名でもある「はじかみ」は、

「味が辛いところから生姜もさすようになった。なお、実のなる山椒はナルハジカミ、中国渡来の生姜をクレノハジカミと呼び分けることもあった」

とある(日本語源大辞典)。

なお、「ショウガ」には、

吝嗇の人をあざける称、

の意があるらしいが、江戸語大辞典には、

芝居者用語、

としか載らないが、

「食用に用いられる根茎が、人が手を握った時の形に似ているから」

とある(語源由来辞典、大言海)。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2019年10月15日

納豆


「納豆」は、豆腐と違い、日本語である。

「寺納豆に起り、納所の僧の豆の義化と云ふ。いかがか」(大言海)

で、

「古製なるは濱名納豆」

とある。「納所」(のうしょ/なっしょ)とは、年貢などを納める所の意だが、ここでは、

寺院で、施物を納め、また会計などの寺務を取り扱うところ、またそれをつかさどる僧、

の意である。

「僧侶が寺院で出納事務を行う『納所(なっしょ)』で作られ、豆を桶 や壷に納めて貯蔵したため、こう呼ばれるようになったとする説が有力とされている。『なっ』は呉音『なふ』が転じた『なっ』で、『とう』は漢音『とう』からの和製漢語である」(語源由来辞典)

「濱名納豆」は、

「遠州濱松(旧名、濱名)の大福寺の製に始まる」

とあり(大言海)、

「黒大豆を煮て、小麦粉を衣として麹とし、砕きて煎じたる鹽汁に浸し、生姜、山椒皮、陳皮、紫蘇葉、芥子などを刻みて加へ、圧して数十日の後、乾して成る。此の種にて一休納豆、味最も美なり」

とする。どうやら、今日の「納豆」、つまり、

糸引き納豆、

とは別種で、

塩辛納豆、
浜納豆、
大徳寺納豆、
寺納豆、
唐納豆、

等々とも呼ばれる。

「奈良時代より宮内省大膳職で作られた『鼓(くき)』の一種であるといわれる。室町時代になると納豆、唐納豆、寺院で作ることが多いところから寺納豆とも呼ばれた。京都の大徳寺納豆、浜名湖畔大福寺の浜名納豆が有名である」

とある(日本語源大辞典)。これは、

「豆腐と同じように、中国から製法が伝わったものである。中国では、納豆を『鼓(し)』といった。これは後漢時代の文献に現れている。日本に伝わったのは古く平安時代の『和名鈔』に和名クキとしてある。鼓をクキとよんだ。中国の鼓には、淡鼓、塩鼓がある。淡鼓が、日本の苞納豆(糸引き納豆)にあたり、塩鼓が日本の浜名納豆・寺納豆・大徳寺納豆の類である」(たべもの語源辞典)

「茶菓子としても利休以下多くの茶人に愛され、京菓子の中には餡の中にこの納豆をしのばせたものもある」

とか(仝上)。

02.jpg

(濱名納豆 https://ymy.co.jp/hamanatto.phpより)


今日の日常食する納豆は、淡鼓を簡単に作ったもので、これは、

日本の発明、

である(仝上)、とか。その由来には、

利休が馬屋の藁の中に落ちていた味噌豆にカビが生えているのを見て発明した、
八幡太郎義家が東北地方の征伐に出陣した時、その家来が偶然豆が糸を引くことを発見し納豆を発明した、
神棚に供えておいた豆が納豆に変化したのを見てその製法を考えた、

等々諸説あるが、

「東北地方に古くからあり、九州地方にもあった。これは東北の発明を九州へもっていったからだという」

とある(仝上)ので、民間で、古くから自然発酵法で行われたものと思われる。11世紀半ば頃に藤原明衡によって書かれた『新猿楽記』の中で、

「『精進物、春、塩辛納豆』とあるのが初見で、この『猿楽記』がベストセラーになったことにより、納豆という記され方が広まったとされる」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86、「糸引き納豆」は、

「室町中期になると、公家の日記などに登場する(『大上臈御名之事』に『まめなっとう、いと』)、『御湯殿上日記・享禄二年一二月九日』に『いとひき』などの例があり、女房詞で『いと』『いとひき』と呼ばれていた。当時の生産地が近江であることなどを考え合わせると、近畿で創出された可能性も高い」

とある(日本語源大辞典)。さらに、

「室町時代中期の御伽草子『精進魚類物語』が最古のものと言われる。なまぐさ料理と精進料理が擬人化して合戦する物語だが、『納豆太郎糸重』という納豆を擬人化した人物の描写は藁苞納豆と通ずるものがある」

ともありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86、室町期には、ある程度、一般化していたものらしい。その起源は、

「糸引き納豆は、『煮豆』と『藁』の菌(弥生時代の住居には藁が敷き詰められていた。また炉があるために温度と湿度が菌繁殖に適した温度になる)がたまたま作用し、偶然に糸引き納豆が出来たと考えられているが、起源や時代背景については様々な説があり定かではない。『大豆』は既に縄文時代に伝来しており、稲作も始まっていたが、納豆の起源がその頃まで遡るのかは不明である」

とあり、一部で使われていた可能性は残る。

納豆が庶民の間で広く食されるようになったのは江戸時代、それも、一年中納豆を手に入れることができるようになったのは江戸時代中期。それ以前は主に冬に食べられていたため、納豆は冬の季語とされている。納豆が庶民に食されるようになるのは、江戸時代である。

「からすの鳴かぬ日はあれど、納豆売りの来ぬ日はなし。土地の人の好物なる故と思はる」(江戸自慢)

との記述もあるhttps://style.nikkei.com/article/DGXMZO30208400Y8A500C1000000?page=3し、

納豆と蜆(しじみ)に朝寝おこされる、

という川柳もある(仝上)。

「各町内の木戸が開くのは明け六つ(朝6時頃)。夜が明ける時刻が明け六つですから、このころから湯屋(銭湯)の男湯がにぎわいだします。なんたって、廓(くるわ:遊郭のこと)帰りや、商家のご隠居、道楽者などが、朝湯にどっと繰り出します。長屋の木戸が開くと聞こえてくるのは、浅利売り、納豆売りの声です。『明星(金星)が入ると納豆売りが来る』」

といった具合だったらしいhttps://edococo.exblog.jp/9088724/

こんな文章もあるhttp://www.natto.or.jp/bungakushi/s07.html

「霜のあしたを黎明から呼び歩いて、『納豆ゥ納豆、味噌豆やァ味噌豆、納豆なっとう納豆ッ』と、都の大路小路にその声を聞く時、江戸ッ児には如何なことにもそを炊きたての飯にと思立ってはそのままにやり過ごせず、『オウ、一つくんねえ』と藁づとから取出すやつを、小皿に盛らして掻きたての辛子、『先ず有難え』と漸く安心して寝衣のままに咬(くわ)え楊枝で朝風呂に出かけ、番頭を促して湯槽の板幾枚をめくらせ、ピリリと来るのをジッと我慢して、『番ッさん、ぬるいぜ!』、なぞは何処までもよく出来ている」(柴田流星『残された江戸』(明治44年))

豆腐50文、
そば16文、

に対し、

納豆4文、
シジミ一枡10文、
冷や水4文、

とあるhttps://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1210/25/news108.html。納豆は安い。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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