2019年09月03日
あがく
「あがく」は,
足掻く,
跑く,
と当てる。「あがく」の「あ」は,
足,
である。万葉集に,
「アの音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ」(安能於登世受 由可牟古馬母我 可豆思加乃 麻末乃都藝波思 夜麻受可欲波牟)
とある。この「あ(足)」の用例は,
足占(あうら),
足結(あゆひ),
等々,多く下に他の語をともなった複合語をつくる(岩波古語辞典),とある。「あゆひ」は,
あしゆひ,
とも言い,
動きやすいように,袴を膝頭の下で結んだ紐,鈴や玉をつけ,装飾とした,
とある(広辞苑)。
あよひ,
とも言い,この対が,
手結(たゆひ),
になる。「足占(あうら)」は,やはり,
あしうら,
とも言い,
「古代の民間占法。一歩一歩に吉兆の辞を交互に唱え,目標の地点に達した時の辞によって,吉兆をうらなったものかという」
とある(仝上)ので,花びらで,「來る,来ない」とやる占いみたいである。岩波古語辞典には,
「歩いて行って,右足・左足のどちらで目標の地点につくかによって吉兆を定めるものらしい」
ともある。
もともと,「あがく」は,
ア(足)+カク(掻く),
で,
馬が前足で地面を掻く,
意とある(日本語源広辞典)。つまり,
轡をくわえさせられ,手綱で御される,
馬の自由にならない状態を前提に,馬が,
足で地面を掻いている,
というのがこの言葉の前提である。とすると,
「(馬などが)足で地面を掻いて進む」(岩波古語辞典)
は正確ではない。それなら,それが転じて,
自由になろうとしてやたらに手足を動かす,もがく,
意となり,それをメタファに,
悪い状態から抜け出そうとして,どうにもならないのに,いろいろやってみる,あくせくする,
子どもが悪戯して騒ぎまわる,ふざける,
意としても使うという意味の外延の広がりとつながらない。万葉集に,
「武庫川の 水脈を早みと 赤駒の 足掻く激(たぎち)に 濡れにけるかも」
は,早い川の流れに,乗り手は進もうと手綱で指示するが,馬は立ちすくみ足踏みしているさまである。本来は,「あがく」は,意味の転化の変化から鑑みても,この意味だったと思われる。
「ふざける」意では,今日使わないが,
「ヤイ,ヤイ,ヤイ。よつぽどにあがけよ,其所なぬくめ」
「(子供は)早く寝て疾く起し,昼あがかせたが万病円」
という用例がある(ともに近松・鑓権三)。
なお,「足」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/453183118.html?1565827214)については,触れたが,
タチ(立)の転(玄同放言),
が最もいいところをついていると思う。「立つ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/399481193.html?1501986945)は,
「タテにする」
という意味である。それを「あし」とつなげるのは,自然に思えるが,どうだろう。二足歩行は,まず立つから始まる。たとえば,
tatu→tasi→asi
といった転訛をしたとは考えられまいか,とは臆説ではある。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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書評
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2019年09月02日
証を立てる
「証を立てる」は,
証が立つ,
という言い方もする。
潔白であるということを証拠に挙げてはっきりさせる,
という意味である。
「『証』は、(後ろ暗くないことの)証明。『立てる』は、ここでは、はっきり示す意で、『誓いを立てる』『願を立てる』などと使う」(https://imidas.jp/idiom/detail/X-05-X-01-2-0004.html)
ともある。「たつ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/399481193.html?1565822911)で触れたように,「たつ」は,
タテにする,地上にタツ,横になっていたものを縦にする,
意である。
逆に,「横」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/422323173.html?1565823196)は,
横言,
横訛り,
横飛び,
横恋慕,
横流し,
横取り,
と,「横」のつく言葉は,横向きという以外は,ほとんど悪意か,不正か,当たり前でない,ことを示すことが多い。
横を行く,
と言えば,無理を通すだし,
横車,
も,横向きに車を押す,ことだから,理不尽さ,という意味合いを含んでいる。
横紙破り,
は,線維に沿って縦に破るのではなく,横に裂こうとする含意から,無理押しの意味が含まれる。
「たて」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/453257596.html?1565823503)で触れたように,「立つ」は,
「自然界の現象や静止していめ事物の,上方・前方に向かう動きが,はっきりと目に見える意。転じて,物が確実に位置を占めて存在する意」
とある(岩波古語辞典)。この含意は,
立役者,
の「立」に含意を残しているように,
はっきりと目に見える,
意である。「立てる」は「縦にする」意なのである。
もともと「証(あかし)」は,これ自体,
証明する,
唄数をはらす証拠,
という意味を持つ。「証(證)」(ショウ,セイ)は,「證」(ショウ)は,
「会意兼形声。『言+音符登』で,事実を上司の耳にのせる→上申すること。転じて,事実を述べて,うらづけるの意となる」
とあり,「あかし」「証を立てる」意である。「証(セイ)」は,
「会意廉形声。『言+音符正(ただす)』。意見を述べて,あやまりをただすこと。いまは,證の新字体として用いられる」
とあり,「いさめてただす」意となる。「證」は「あかし」,「証」は「ただす」意と,本来別であった。
和語「あかし」は,
灯(燈),
と同源とある。「あかし(灯)」は,
ともしび,あかり,
の意である。漢字「灯(燈)」(トウ,チョウ)は,「燈(トウ)」は,
「会意兼形声。登は『両足+豆(たかつき)+両手』の会意文字で,両手でたかつき(脚つきの台)を髙く上げるように,両足で高くのぼること。騰(のぼる,あがる)と同系のことば。燈は『火+音符登』で,髙く持ち上げる火。つまり,髙くかかげるともしびのこと」
であり,「ともしび」「あかり」の意であり,「灯(チョウ)」は,
「会意兼形声。灯は『火+音符丁(停 とめおく)』で,元,明以来,燈の字に代用される」
とある。「ひ」「ひと所にとめておくあかり」の意とある。ちょっと区別ははっきりしない。
和語「あかし」が,
あかし(灯),
と同源ということは,
明かし,
つまり,
明るくする意,
であり,それは,
アク(明)・アカシ(赤),
と同根ということである。「あく」は,
明く,
開く,
と当て,
明るくなる,
ものを明るみに出す,
意である。つまり,
あかし(証),
は,
明かす,
であり,
赤す,
である。その「赤」に対するのが,
黒,
の,
暗(くら),
である。このことは,
「あか」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/429360431.html?1565770784),
「くろ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/438380876.html?1565771001),
「赤」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/442701318.html),
「あかい」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/429360431.html),
等々で触れた。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;
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コトバの辞典;
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スキル事典;
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2019年09月01日
発掘
大岡昇平他編『孤独のたたかい(全集現代文学の発見・別巻)』を読む。
半世紀も前の,昭和四十年代にまとめられた,
現代文学の発見,
と題された全16巻の別巻としてまとめられたものだ。この全集自体が,過去の文学作品を発掘・位置づけ直し,
最初の衝撃,
方法の実験,
革命と転向,
政治と文学,
日常の中の危機,
黒いユーモア,
存在の探求,
性の追求,
証言としての文学,
日本的なるものをめぐって,
歴史への視点,
言語空間の探検,
青春の屈折,
物語の饗宴,
と,テーマごとに作品を配置するという意欲的なアンソロジーで,この時代の文学市場もあるが,編集者,文学者の知的レベルを彷彿とさせるものだ(全集の責任編集は,大岡昇平,埴谷雄高,佐々木基一,平野兼,花田清輝。編集は,別巻の解説を書く,八木岡英治)。その別巻として,「埋もれたるものの巻」として,多ぐの人々の推薦を得た中から,選ばれた作品集になっている。ほぼ無名の人が多数を占める(このための公募作品の帯正子「可愛い娘」をのぞくと)。今日,名を残すものは数少ない。むしろ編集者(竹之内静雄・堺誠一郎・能島廉),サルトルなど実存主義の翻訳で知られる学者(白井健三郎),司法書士(北田玲一郎),大学教授(田木繁),政治家(犬養健)等々と,詩人(竹内勝太郎・秋山清・荒津寛子)を別にすると,作家として生きた人は少なく,その中に,まだ当時同人誌に作品を発表していた古井由吉が入っている。確か,発売当時読んでいるはずである。読んでいるが,半世紀近く前なので,ほぼ記憶にない。覚書が書き込まれていたり,線が引かれているが,その意味さえ覚束ない。初めて読むのと同じである。
いま思えば,僕には,無名の古井由吉が入っていることが奇跡に思える(『杳子』で芥川賞を受賞するのは二年後のことになる)。八木岡は,その選を,
「文句のない作品である。送ってもらった同人誌『白描』の中から飛びついて来た。それぐらい際立っていた。作品が読者の内部に掻き立て,引き出してゆく想像力というものが,豊かで快い」
とし,
「これはまだ出来たての作品で,これから評価をかちとり,時流に乗っていきそうに思える。ここに取りあげなくても,という意見もきかれたが,逸する気にはなれなかった」
と書く。編集者の慧眼である。そして,
「自己はここでは個であることをやめ,群衆の中に拡散され,雨滴となって飛んでいる。肉質を失い,現代というおそろしいものを運動においてとらえるための装置と化している。しかし作者は物質化されているように見えながら,ちゃんと元の場所静かな眼をひらいている。すべてのことは作者の内部でおこっている」
と古井由吉のスタイルを見ぬいている。
「スタイルというものが形ではなく,内的必然の掘進でありその軌跡であることが,ここによく示されている」
と。この内的運動は,処女作『木曜日に』の,
「それは木目だった。山の風雨に曝されて灰色になった板戸の木目だった。私はその戸をいましがた、まだ朝日の届かない森の中で閉じたところだった。そして、なぜかそれをまじまじと眺めている。と、木目が動きはじめた。木質の中に固く封じこめられて、もう生命のなごりもない乾からびた節の中から、奇妙なリズムにのって、ふくよかな木目がつぎつぎと生まれてくる。数かぎりない同心円が若々しくひしめきあって輪をひろげ、やがて成長しきると、うっとりと身をくねらせて板戸の表面を流れ、見つめる私の目を眠気の中に誘いこんだ。」
という内的運動に通じ,芥川賞受賞作の『杳子』の冒頭ともつながっていく。そこでは,二人の見方が重なり,対立し,重ねられていく相互運動が,語られる。
「女が顔をわずかにこっちに向けて、彼の立っているすこし左のあたりをぼんやりと眺め、何も見えなかったようにもとの凝視にもどった。それから、彼の影がふっと目の隅に残ったのか、女は今度はまともに彼のほうを仰ぎ、見つめるともなく、鈍いまなざしを彼の胸もとに注いだ。気がつくと、彼の足はいつのまにか女をよけて右のほうへ右のほうへと動いていた。彼の動きにつれて、女は胸の前に腕を組みかわしたまま、上半身を段々によじり起して、彼女の背後のほうへ背後のほうへと消えようとする彼の姿を目で追った。
女のまなざしはたえず彼の動きに遅れたり、彼のところまで届かなかったり、彼の頭を越えて遠くひろがったりしながら従いてくーきた。彼の歩みは女を右へ右へとよけながら、それでいて一途に女から遠ざかろうとせず、女を中心にゆるい弧を描いていた。そうして彼は女との距離をほとんど縮めず、女とほぼ同じ高さのところまで降りてきて、苦しそうに軀をこちらにねじ向けている女を見やりながら、そのままあゆみを進めた。
その時、彼はふと、鈍くひろがる女の視野の中を影のように移っていく自分自身の姿を思い浮かべた。というよりも、その姿をまざまざと見たような気がした。
(中略)彼は立ち違い舞った。足音が跡絶えたとたんに、ふいに夢から覚めたように、彼は岩のひろがりの中にほっそりとたっている自分を見出し、そうしてまっすぐに立っていることにつらさを覚えた。それと同時に、彼は女のまなざしを鮮やかに躯に感じ取った。見ると、荒々しい岩屑の流れの中に浮かぶ平たい岩の上で、女はまだ胸をきつく抱えこんで、不思議に柔軟な生き物のように腰をきゅうっとひねって彼のほうを向き、首をかしげて彼の目を一心に見つめていた。その目を彼は見つめかえした。まなざしとまなざしがひとつにつながった。その力に惹かれて、彼は女にむかってまっすぐ歩き出した。」
後の古井由吉を知る者にとって,当時の編集者の慧眼と見識にただ驚倒させられるばかりである。その他,掲載候補の中に,小川国夫『アポロンの馬』,丸谷才一『笹まくら』,秋山駿『想像する自由』,佐江衆一『無邪気な狂気』等々が入っていたらしい(月報)。
「『埋もれたるもの』の巻を編むに当たって,非情にも,今日われわれに資すること篤きもの,という規準に合わせて選択し,歴史的顧慮をふくめなかった。はずれるものはすべてスこれを捨てた。われわれは今日生き今日考えねばならぬ。博物館をここに建てるわけではない」
と,編集者八木岡氏は「この本のなりたち」で書く。しかし,それなら,埋もれたものは,過去ではなく,そのときの「いま」埋もれているものを見つけるべきではなかったか(編者の同時代と,読者の同時代は異なるのでやむを得ないかもしれないが)。過去の中に,未来はない。本書に掲載された竹内勝太郎が,
「詩でも絵でも,吐き出すことに意義がある。出してしまえば,捨てて省みない。」
と書く如く,書いた時,作家はそこにはいない。とすれば,過去に「埋もれている」ものではなく,いま,機を待つものを掘り出すべきではなかったのか。しかし,全集自体が過去の文学作品を発掘・位置づけ直すという意図に立つ以上やむを得ないのかもしれない。僕には,皮肉にも,戦前の,
堺誠一郎『嚝野の記録』
犬養健『明るい人』
よりは,その時に無名に近かった,
古井由吉『先導獣の話』
浅井美英子『阿修羅王』
の方が光って見える。
参考文献;
大岡昇平他編『孤独のたたかい(全集現代文学の発見・別巻)』(學藝出版)
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2019年08月31日
隠れ蓑
「隠れ蓑」は,ハリー・ポッターに出てくる透明マントのように,
それを身につけると他人からは姿が見えなくなるという,鬼や天狗が持つとされる想像上の蓑,
を指す。それが転じて,
真相を隠す手段の意,
を指すようになる。「蓑」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/469322736.html?1567105270)は,既に触れたように,藁,茅,菅,シナノキなどの植物の茎や皮,葉などを用いてつくった雨具である。岩波古語辞典を見ると,
隠れ蓑,
の他に,
隠れ笠,
というのもある。江戸期の型染木綿に,
宝尽くし紋(たからづくしもん),
というのがある。
(型染木綿、宝尽くし 上から分銅、巻き物、丁子、隠れ笠、小槌、宝袋、隠れ蓑、七宝、宝珠の宝尽くし https://musuidokugen.hatenablog.com/entry/takaradukushi)
「宝物を集めた文様です。福徳を呼ぶ吉祥文様として晴れ着などに多く使われています」
とある(https://kimono-pro.com/blog/?p=818)。その宝物として,
宝珠(ほうじゅ おもいのままになる),
打出の小槌(うちでのこづち 打てば宝がでてくる),
鍵(かぎ 大切なものを守る土蔵の鍵),
金嚢(きんのう 砂金や金貨を入れる),
宝巻・巻軸(ほうかん・まきじく ありがたいお経の巻物),
筒守(つつまもり 宝巻・巻軸を入れる物),
分銅(ふんどう 金を計る),
丁子(ちょうじ仏宝 貴重な薬・香料),
花輪違い(はなわちがい 七宝),
等々と並んで,
隠れ蓑・隠れ笠(かくれみの・かくれがさ 体が隠れる),
がある。江戸時代の桃太郎話では,桃太郎が鬼ヶ島から凱旋(がいせん)したときに持ち帰った財宝のなかに,これを着ると、その人間は透明人間になる,
隠れ蓑(みの),
と
笠
があったとされる(https://www.web-nihongo.com/edo/ed_p082/),とか。
(蓑を身に着けた男性,鈴木牧之『北越雪譜』の挿絵 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%91より)
大言海も,「隠れ蓑」「隠れ笠」の項で,
「共に,穏形(おんぎゃう)の法などに云ふものか。此蓑笠は,寶盡しと云ふものの中に,其形を畫きて飾りあり」
としている。寶物集に,
「昔より,隠れ蓑,打出の小槌を持たると云ふ人も,實はなし,隠蓑少将と申す物語も,あるまじき事を作りて侍る」
通り,想像の産物だが,『日本昔話事典』では,
宝物交換,
のひとつとし,「八化け頭巾」の一変化と見做す。「八化け頭巾」は,
狐が化けるのに必要な呪宝を人間が智謀で取り上げる話,
で,「隠れ蓑」も,こんな話である(日本伝奇伝説大辞典)。
「博奕に負けた博奕打が賽を転がして『京が見える,大阪が見える』と言い,天狗の持っている隠れ蓑笠と取り換える。天狗は騙されたことをすぐに知るが,博奕打ちはすぐさま蓑笠で姿を隠し,料理や菓子を盗んで歩く。あまり汚い蓑笠なので,女房が焼いてしまう。残った灰を体に塗ってみると姿が隠れるので,また,したい放題をする。あるとき,酒を盗み飲んだところ,口の周りだけ灰が取れ,見破られてしまう」
多く,蓑笠を焼くのは,母親か女房であり,看破される寸前に助け出すのも女房である。
「致富譚における援助者としての女性の位置」
が見られる(仝上),とある。
「蓑を着けた姿は,古代の常世からの来訪者の姿に通じており,少なくとも蓑の異様な外観に神秘的なものが感じられた」(日本昔話事典)
「蓑を着けた姿は常世からの来訪者の姿であると信仰され,中世では隠れ蓑は宝の一つに考えられていた」(日本伝奇伝説大辞典)
やはり,姿が隠せることに,憧れがあったのは,洋の東西を問わないらしい。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
稲田浩二他編『日本昔話事典』(弘文堂)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
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ラベル:隠れ蓑
2019年08月30日
みの
「みの」は,
蓑,
簑,
と当てる。
わら,カヤ,スゲ,シナノキなどの植物の茎や皮,葉などを用いてつくった外被である。雨,雪,日射あるいは着衣が泥や水に汚れるのを防ぐために着用する。古くから農夫,漁夫,狩人などが着用した,という。
「《日本書紀》には,素戔嗚(すさのお)尊が青草をたばねて蓑笠としたと記してあり,《万葉集》にも見られるほか,12世紀の成立とされる《信貴山縁起絵巻》には,尼公の従者が蓑を着て旅する姿が描かれている。蓑の種類は,背蓑,肩蓑,胴蓑,丸蓑,腰蓑,蓑帽子の6種類に分けられるが,一般的に用いる蓑は肩蓑と胴蓑が多い。」
とある(世界大百科事典)。
「東北地方の背中を覆う『ケラ』がもっとも古く、『信貴山縁起(しぎさんえんぎ)』に、そのおもかげを察することができる。これを東北地方では背蓑ともいう。漁村では、多く腰から下に巻く腰蓑は、水を防ぐためのものであり、肩や背を覆う肩蓑、丸く編んだ丸蓑、帽子付きの蓑帽子、背蓑と腰蓑を継いでつくった胴蓑は猿蓑とよぶ地方もある。」
ともある(日本大百科全書)。
(信貴山縁起より 日本語源大辞典)
「蓑(簑)」(サイ,サ)は,
「会意兼形声。衰は,端をばらばらに切った粗末な衣。蓑は『艸+音符衰』で,端をそろえてない草の衣」
とある(漢字源)。「簑」は「蓑の俗字」とか(字源)。「草衣」ともいい,まさに「みの」の意である。
和語「みの」は,大言海が,
「身擔(みに)の轉かと云ふ」
とし,日本語源広辞典も,
「身+担う」の音便,
とし,
ミニナウ→ミナウ→ミノ,
の変化とする。似た説は,
ミニ(身荷)の転か(国語の語根とその分類=大島正健),
ミニナフ(身荷)の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子),
等々もある。語源由来辞典も,
「『み』が体の「身」であると思われるが、『の』については特定が難しい」
としつつ,
「『ミニ(身担)』や『ミニ(身荷)』『ミヌ(身布)』の転、『ミニナフ(身荷)』や『ミオホ(身覆)』の意味、『ミノカサ(身笠)』の下略などある」
と類似説を挙げている。しかし,身に担うのは,別に「みの」だけではない。
(再現された蓑(武庫の郷にて) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%91より)
その他,「身」と絡ませるものに,
ミナビキ(身靡)の義(名言通),
ミオホ(身覆)の義(言元梯),
ミヌ(身布)の転か(国語の語根とその分類=大島正健),
ミノカサ(身笠)の下略(柴門和語類集),
身体をつかず離れずの関係にあるところからミノシロ(身代)の下略(偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道=折口信夫),
等々あるが,どうも納得できない。「身」と離れて,
ムギノホ(麦穂)の反(名語記),
ミナ(河貝子)から。ミノを着た全体の形は,頭を頂点として両肩から下へと円錐形をなし,ミノとは人が巻貝のミナの恰好をすることだった(続上代特殊仮名音義=森重敏),
と諸説がある。「ミナ」とは,
川蜷,
河貝子,
と当てる,「カワニナ」のことである。ホタル類幼虫の餌となることで知られる。かつては,食用にもした。
「日本の淡水にはカルシウムが少ないためで、カワニナに限らず淡水性貝類では殻頂部が侵食されている場合が多い」
とされる(日本大百科全書)。これに真似る,というより,逆なのではないか,「みの」があって,似ていることに気付いた,と。
(ミナ 日本大百科全書より)
「身」に絡ませるなら,これは,「みの」を着る感覚からいえば,
まと(纏)ふ,
か
はお(羽織)る,
である。「まとふ」は,
巻きつく,
意で,少し外れる。「はおる」は,
被(はふり)が羽織となり,それを活用した,
ものなので,「かぶる」につながる。
かぶ(被)る,
は,
かがふるの転,
「かかぶる」は,
頭からかぶる,
意で,また少しずれる。どうも,「みの」を,身と絡ませようとすると,それを着る語感と合わなくなる。やはり,
「『み』が体の「身」であると思われるが、『の』については特定が難しい」
ようである(語源由来辞典)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
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2019年08月29日
あやし
「あやし(い)」は,
怪し,
妖し,
奇し,
賤し,
等々と当てる。意味によって当て分けているだけである。「怪」(漢音カイ,呉音ケ)は,
「会意兼形声。圣は『又(て)+土』からなり,手でまるめた土のかたまりのこと。塊(カイ)と同じ。怪は,それを音符とし,心をそえた字で,まるい頭をして突出した異様な感じを与える物のこと」
とあり(漢字源),「見慣れない姿をしている」「不思議である」「腑に落ちない」「あやしむ」「あやしげなもの」といった意味になる。
「妖」(ヨウ)は,
「会意兼形声。夭(ヨウ)は,細かくからだを曲げた姿。妖は『女+音符夭』で,なまめかしくからだをくねらせた女の姿を示す」
とあり(仝上),「あやし」よりは,夭姿,妖気という,どこか「なまめかしい」語感が強い。
「奇」(漢音キ,呉音ギ)は,
「会意兼形声。可の原字は˥ 印で,くっきりと屈曲したさま。奇は『大(大の字の形に立った立った人)+音符可』で,人のからだが屈曲してかどばり,平均を欠いてめだつさま。また,かたよる意を含む」
とあり(仝上),「あやしい」の意に,めずらしい,常識からかけ離れたという含意が強い。
「賤」(漢音セン,呉音ゼン)は,
「会意兼形声。戔は,戈(ほこ)を二つ重ねた会意文字で,物を刃物で小さくきるの意を表す。殘(残 小さい切れはし)の原字で,少ない,小さいの意を含む。賤は『貝+印符戔』で,財貨が少ないこと」
とあり(仝上),やすい,みすぼらしい意で,「あやし」の意味も,身分が低く,みすぼらしい意である。
「あやし」は,
「不思議なものに対して,心をひかれ,思わず感嘆の声を立てたという気持ちを言うのが原義」
とあり(広辞苑),
霊妙である,神秘的である。根普通でなくひきつけられる,
↓
不思議である,
↓
常と異なる,めずらしい,
↓
いぶかしい,疑わしい,変だ,
↓
見慣れない,物珍しい,
↓
異常だ,程度が甚だしい,
↓
あるべきでない,けしからん,
↓
不安だ,気懸りだ,
↓
確実かどうかはっきりしない,
↓
ただならぬ様子だ,悪くなりそうな状況だ,
↓
(貴人・都人からみて,不思議な,或可きでもない姿をしている意)賤しい,
↓
みすぼらしい,粗末である,
↓
見苦しい,
等々といった意味の広がりかと思われる。「賤し」とあてる「あやし」だけは,同じ価値表現でも少し意味が乖離しているが,
「本来は、異様な物事や正体のわからないものに対する驚異・畏敬の気持ちを表したが、転じて、(珍しいの)普通でないの意ともなった。また、もともと善悪にかかわらず用いられたが、身分の高い人は、異様なもの、正体不明のものに対して否定的感情を持ったところから、(とがめられるべきだ,けしからぬ、粗末だ、見苦しい)のようなマイナスの意が生じた。近世以降は、(確実かどうかはっきりしない,ただならぬ様子だ,悪くなりそうな状況だと)物事を否定的に予想する」
とあり(大辞林),「(賤し)と当てる「あやし」には,
身分が低い,卑しい,
みすぼらしい,みっともない。見苦しい,
の意味は,
霊妙→不思議→珍しい,
といった意味の流れとは別系統に見える。しかし,
神秘的である→あやしい,
と
珍しい→あやしい,
と
見慣れない→あやしい,
と,
みすぼらしい→あやしい,
とはほぼ見る側からの驚きという意味では平行に思える。岩波古語辞典に,
「感動詞アヤを形容詞化した語か。自分の解釈し得ず,不思議と感じる異様なものに心惹かれて,アヤと声を立てたい気持ちを言うのが原義。類義語クスシは,不思議に思うことを畏敬する気持ちを言う」
とあり,「あや」は,
「感嘆詞アとヤとの複合」
とし,大言海が,
「感動詞の嗟嘆(アヤ)を活用せしめたる語」
とする感嘆詞であるが,
「古事記にある神の名『阿夜訶志古泥(あやかしこね)』のアヤもこれにあたる」
とあり,前に触れた「あやかし」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/469248998.html?1566932460)とつながることを感じさせる。「あやしい」と「うたがわしい」を比較して,
「『怪しい』は、何であるか、どうであるかがはっきりせず、不気味であったり、信用できなかったりという、受け取り手の気持ちを表す。『疑わしい』は何らかの根拠があって、確かではない、疑わざるをえないという判断を示す。『明日は晴れるかどうか怪しい』は、はっきりしない空模様から、晴れるということに対して信用できない気持ちを表す。この場合、『疑わしい』といえば、現在の天候や天気図から、明日は晴れそうもないと判断したことになる。『怪しい人影』『雲行きが怪しい』などの『怪しい』は、『疑わしい』で置き換えることはできない。『疑わしきは罰せず』は『あやしき』で置き換えることができない。」
という説明がなされている(デジタル大辞泉)。あくまで,「あやしい」は,主観的な感情にすぎないということである。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2019年08月28日
あやかし
「あやかし」は,
日本における海上の妖怪や怪異の総称,
の意かと思っていたら,
海上に現れる妖怪,
とあり(広辞苑),特に,
船が難破する時に海上に現れる,
ともあり(デジタル大辞泉),
海上で死んだ者の魂が仲間をとるために現れる,
ともある(岩波古語辞典)。別に,
あやかり,
海幽霊,
敷幽霊,
船弁慶,
等々ともいうらしい。
「長崎県では海上に現れる怪火をこう呼び、山口県や佐賀県では船を沈める船幽霊をこう呼ぶ。西国の海では、海で死んだ者が仲間を捕えるために現れるものだという」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%82%B7_(%E5%A6%96%E6%80%AA))。
これが転じて,
あやしいもの,妖怪,
の意となったものらしい。また,
コバンザメの異称,
とあるのは,
「コバンザメが船底に貼り付くと船が動かなくなるとの俗信から、コバンザメもまたアヤカシの異称で呼ばれた」
ということ(仝上)によるものらしい。室町末期の日葡辞書には,
あほう,馬鹿者,
の意で載るらしい。これも意味の転化のひとつらしい。また,「あやかし」を,
怪士,
と当てると,能面の一つの呼称になる。
「怨念を持つ男の亡霊。霊的な力を持った神や妖怪。 目元に恨みが表現され、使用曲に幅がある」
とあり(http://www.noh-kyogen.com/encyclopedia/mask/ghost.html),使用曲目は,『船弁慶』『松虫』という。
(鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「あやかし」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%82%B7_(%E5%A6%96%E6%80%AA)より)
鳥山石燕は,『今昔百鬼拾遺』で「あやかし」に,巨大な海蛇を描いている。これはイクチをアヤカシ(海の怪異)として描いたものとされている。
「イクチ」とは,日本に伝わる海の妖怪のことで,『譚海』(津村淙庵),『耳袋』(根岸鎮衛)などの江戸時代の随筆に記述がある。『譚海』によれば,
「常陸国(現・茨城県)の沖にいた怪魚とされ、船を見つけると接近し、船をまたいで通過してゆくが、体長が数キロメートルにも及ぶため、通過するのに12刻(3時間弱)もかかる。体表からは粘着質の油が染み出しており、船をまたぐ際にこの油を大量に船上にこぼして行くので、船乗りはこれを汲み取らないと船が沈没してしまうとある」
『耳袋』では,
「いくじの名で述べられており、西海から南海(近畿地方、九州)にかけて時折現れ、船の舳先などにかかるものとされている。ウナギのように非常に長いもので、船を通過するのに2,3日もかかるとあり、「いくじなき」という俗諺はこれが由来とされている。また同書では、ある人物が「豆州八丈(現・東京都八丈島)の海に、いくじの小さいものと思われるものがいるが、それは輪になるウナギ状のもので、目や口がなく動いているものなので、船の舳先へかかるものも、長く伸びて動くのではなく、丸くなって回るものだ」と語ったという」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%81)。なお,「イクチ」を,
シーサーペントと同一のもの,
とする指摘もある(仝上)とか。「シーサーペント」は,
「海洋で目撃、あるいは体験される、細長く巨大な体を持つ未確認生物(UMA)の総称である。特定の生物を指すものではない。大海蛇(おおうみへび、だいかいじゃ)とも呼ばれる」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%88)。そう見ると,大蛇に見えなくもないが,大蛸であるまいか。鳥山石燕は,「あやかし」で,こう注記している。
「西国の海上に船のかかり居る時,ながきもの舟をこえて二三日もやまざる事あり。油の出る事おびただし。船人力をきはめて此油をくみほせば害なし。しからざれば船沈む。是あやかしのつきたるなり」
石燕は,「あやかし」とは別に,「舟幽霊」「海座頭」を描いているので,「あやかし」とは別と見做していた。
大言海は,「あやかし」の語源を,
「古事記,『阿夜訶志古泥(アヤカシコネノ)神』(神代紀,『吾屋惶根(アヤカシコネノ)尊』)を,記傳に,咄嗟可畏(アヤカシコ)の義と解き,謡曲に,阿夜訶志の着く,云々とあり,此魚の船底に着くを,舟人最も畏るるに因りて,アナオソロシの意にて,アヤカシとは云ふとの説もあり。されど,神代語と後世と甚だしき懸隔あり。和訓栞アヤカシ,『俗に事実明白ならざるを,アヤカシなどと云へり』。さらば,不思議なる意より,妖怪の義とするか。されど,アヤカシの語原を知らず,或は,血をアヤカスと云ふ語に因みて,不詳の意に移りたるか,なお考ふべし」
というにとどめている。船底に着く「阿夜訶志」とは,「コバンザメ」を指すもののようである。「血をアヤカスという語から不詳の意に移った」という大言海説以外には,
動詞アヤカルと同義か(和訓栞),
アナオソロシの義(俚言集覧),
アヤフカシの約(言元梯),
アカシマの訛(石燕雑志),
等々あるが,「あやかし」の別名,
あやかり,
との関連で,「あやかる」が気になる。大言海は,「あやかる」に,
肖,
を当て,
「肖(あ)えかかるの約と云ふ(映ゆ,はやる。萎ゆ,なやむ)」
とし,
物に触れて似る,
他に感じて同じ姿となる,
意とする。「肖(あ)ゆ」の項で,
名義抄「肖,あえたり,にたり」
を載せる。「あやかし」の別名として「あやかり」があるのには意味がある。
あやかり→あやかし,
の転訛ではあるまいか。
参考文献;
鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』(角川ソフィア文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
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ラベル:あやかし
2019年08月27日
いなりずし
「いなりずし」は,
稲荷鮨,
稲荷寿司,
と当てる。
しのだずし,
きつねずし,
とも言う。「いなりずし」の発案は,天保四年の天保の飢饉の後,天保七,八年(1836,7)と飢饉があった,その頃,
「名古屋で油揚げの中に鮨飯を詰める稲荷鮨が考えた」
とある(たべもの語源辞典)。異説では,
「愛知県豊川市にある豊川稲荷の門前町で、天保の大飢饉の頃に考え出された」
といわれる(由来・語源辞典)。ただ,
「1836(天保7)年の天保の大飢饉の直後に幕府から『倹約令』が出て、当時流行っていた握り寿司などを禁止された時期がありました。その時、油揚げを甘辛く煮て、質素だけれどもおいしい『いなり鮓』(当時は「いなり“鮓”」と明記されていました)が広く食べられるようになったようです。…もっとも、当時は飢饉ですからお米ではなく、おからを詰めていたそうです」
ともある(https://www.gnavi.co.jp/dressing/article/21424/)。これで納得,飢饉に「いなりずし」が流行ったというのはちょっと違和感があった。「おから」というなら,一挙両得である。
いずれにしろ,これが嚆矢である。「いなり」は,
「稲荷神の使いである狐の好物に由来する。 古くから狐の好物は鼠の油揚げとされ、鼠を捕まえる時にも鼠の油揚げが使われた。そこから豆腐の油揚げが稲荷神に供えられるようになり、豆腐の油揚げが狐の好物になったとされる。その豆腐の油揚げを使う寿司なので、『稲荷寿司』や『狐寿司』と呼ばれるようになった」
とある(語源由来辞典)。しかし,
「ある人が実験として、動物園などで狐に油揚げを与えてみたところ、雑食性でなんでも食べるといわれる狐が、油揚げは食べなかった」
とあるので,油揚げの色を狐の毛皮の「きつね色」に見立てたということなのかもしれない(https://www.gnavi.co.jp/dressing/article/21424/)。
江戸時代末期に書かれた『守貞謾稿』には,
「天保末年(1844年2月~1845年1月)、江戸にて油揚げ豆腐の一方をさきて袋形にし、木茸干瓢を刻み交へたる飯を納て鮨として売巡る。(中略)なづけて稲荷鮨、或は篠田鮨といい、ともに狐に因ある名にて、野干(狐の異称)は油揚げを好む者故に名とす。最も賤価鮨なり」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E5%AF%BF%E5%8F%B8)。これが,
「天保の飢饉のときから始まって大流行をした。十軒店というのは江戸本石町二丁目で,この角に店を張った稲荷屋治郎右衛門は大繁盛だった。『いなりずしうまいと人を釣狐,わなに掛たる仕出し商人』という狂歌でわかるように各所に稲荷鮨を売る商人がいた」
のである(仝上)。
弘化二年(1845)の『稽古三味線』に,
「十軒店のしのだずし稲荷屋さんの呼声」
とある(たべもの語源辞典)。呼声とは,
天清浄地(てんしょうじょうち)清浄(しょうじょう) 六根清浄(ろっこんしょうじょう) 祓いたまへ清めたまへ
一本が十六文 ヘイヘイヘイ ありがたひ
半ぶんが八文 ヘイヘイヘイ ありがたい
一と切れが四文
サアサア あがれあがれうまふて大きい大きい大きい 稲荷さま稲荷さま稲荷さま,
というもの(仝上)。この呼声で,町々を振売りした。
(1852年(嘉永5年)「近世商賈盡狂歌合」・「稲荷鮨・いなりずし」https://www.benricho.org/Unchiku/edo-syokunin/12-kinseiakinai/03.htmlより)
「天秤で屋台をかつぎ,狐の面を描いた旗をたて,小さな屋台の屋根の下に提灯を三つ並べてぶら下げ,それに,『稲,荷,鮨』と一字ずつ書いてある。俎板の上に庖丁と長い長い稲荷鮨を置いて切って売った。角行燈には『稲荷大明神さま』と書き,夜になると辻に立って,『お稲荷さん』とよんだ」
という(仝上)。
江戸の「いなりずし」は,太くて長く(https://edo-g.com/blog/2017/03/fukagawaedo_museum.html/fukagawaedo_museum33_l),今日の巻鮨のようで,切り売りした。「いなりずし」は,わさび醤油を付けて食べた。「一と切れが四文」ということは,そば一杯でお稲荷さんが4個食べられるお値段である。『天言筆記』(明治成立)には,
「飯や豆腐ガラ(オカラ)などを詰めてワサビ醤油で食べるとあり、『はなはだ下直(げじき-値段が安いこと)』」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E5%AF%BF%E5%8F%B8)。
因みに,「お稲荷さま」は,
「たべものいっさいを司る倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀ったもので,大宜都比売神(おおけつひめのかみ)・保食神(うけもちのかみ)・豊受毘売神(とようけひめのかみ)も同神といわれる。それがイナリとなったのは,『神代記』に『保食神腹中に稲生れり』とあるので,イネナリ(稲生り)がイナリとつまった。またイネカリ(稲刈)が転訛したともいう。あるいは稲をになった化人からとった名とか,イナニ(稲荷)から転じたともいう。伊奈利山に祀ったのでイナリと称するともいわれる。イナリ神とキツネは大宜都比売神のケツを『御尻(みけつ)』と称した。この『みけつ』を『三狐』と書いたり,大宜都比売神に『大狐姫』の漢字を当てたりする。それでキツネは稲荷神のお使い様とされた」
とある(たべもの語源辞典)。「うかのみたま」は,『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記する。
「『稲成り』の意味だったものが、稲を荷なう神像の姿から後に『稲荷』の字が当てられたとされる。もとは古代社会において、渡来民の秦氏から伝わった氏神的な稲荷信仰であり、秦氏の勢力拡大によって信仰も広まっていった。本来の『田の神』の祭場は狐塚(キツネを神として祀った塚・キツネの棲家の穴)だったと推測されるが、近世には京都の伏見稲荷を中心とする稲荷信仰が広まり、狐塚に稲荷が祀られるようになった。
五穀をつかさどる神・ウカノミタマと稲荷神が同一視されることから、伏見稲荷大社を含め、多くの稲荷神社ではウカノミタマを主祭神としている」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E)ので,「狐」が先である。やはり,キツネが主役のようである。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;
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コトバの辞典;
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2019年08月26日
ポンコツ
「ポンコツ」は,
「もと,金槌の意とも,げんこつの意ともいう」
とある(広辞苑)。で,
「家畜などを殺すこと。また,古くなった自動車などをたたきこわして解体すること。転じて,老朽したもの,廃品」
の意である(仝上)。
屠殺→自動車の解体,
の意味の流れは,メタファとして分からなくもない。比較的新しい言葉だと思われ,
「俺達は牛牛と世間でもてはやされるやうにはなったけれど…四足を杭へ結ひつけられてぽんこつをきめられてよ」
という用例(安愚楽鍋)からみると,明治以降に思われる。
ポンコツ語源説には,
金槌説,
と
げんこつ説,
がある中で,大言海は,げんこつ説を採る。
「ポン」と「コツ」 という擬音説,
があり,「げんこつ」も,
「拳骨(げんこつ)」を聞き間違えたとする」
説らしい(語源由来辞典)。「金槌」も,
げんこつで殴る意味から大きなハンマーを意味するように,
なった(仝上)とし,
「自動車をハンマーで解体することから老朽化した自動車をポンコツ車というようになった」
とする(仝上)。この言葉が広まったのは,昭和34年の阿川弘之の新聞小説『ポンコツ』にある,
「ぽん,こつん。ぽん,こつん。ポンコツ屋はタガネとハンマーで日がな一日古自動車をこわしている」
という一節による(仝上)らしいので,
擬音説,
は,留保する必要があるし,
ハンマー説,
も保留する必要がある気がする。現に,
「ポンコツ」とは「大きなハンマー」のことであり、その語源は「ポンポン、コツコツ」という物をたたく音です。
(「ゲンコツ」で叩いたという異説もあります),
との説明もある(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1035180425)。
「げんこつ」説を採るのは,大言海で,
ぽんこつ(拳)→げんこ(拳固),
と項を辿り,「げなこ」について
「拳子(けんこ)にて(接尾語の子…,猜拳(さいこ),面子(めんこ),固の字は,にぎり固むる意の当て字ならむ),怒りて毆(う)つより,濁らせて云ふか。ゲンコツと云ふはゲンコ毆(うち)の約。ゲンコチ,ゲンコツと轉じたるならむ(博打(ばくちうち),ばくち。垣内(かきうち),かきつ。梲(うだち),うだつ)。ポンコツは,洋人の,国語を聞きてあやまれるなるべし」
とし,
「開港場などにて洋人は,(げんこつを)ポンコツという」
とする。
「『げんこつ』と英語(punish)との混成語」
と見る説もある(日本語源大辞典)。語源由来辞典も,
「古くは、拳骨で殴ることを意味する言葉であるため、拳骨が有力 とも思えるが、拳骨で殴った時の音から、拳骨で殴る意味になったとも考えられる」
とする。東京日日新聞明治16年(1883)二月六日の記事に,
「筆者は若し仕損じなばポンコツの一つ位は飛來るべしと覚悟の体なりし」
とある(日本語源大辞典)とかで,
「古く拳骨で殴る意に用いられた」
というのが大勢だが,
「『ポンと打ち,コツンと叩く』です。屠殺,解体です」
との説(日本語源広辞典)は見逃せない。この意味の背景が無ければ,
屠殺・解体→自動車解体,
への意味のシフトが分からない。阿川弘之が,自動車解体で使ったのは,密かなタブー(解体は古く非人の仕事とされてきた)の意味の翳を知っていたからではないか,という気がする。広辞苑の説明は,さすがに光る。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
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コトバの辞典;
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書評
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ラベル:ポンコツ
2019年08月25日
濫觴
「濫觴(らんしょう)」は,
物の始まり,
物事の起源,
の意である。広辞苑には,こう載る。
荀子(子道)『其源可以濫觴』(長江も水源にさかのぼれば觴(さかずき)を濫(うか)べるほどの,または觴に濫(あふ)れるほどの小さな流れである意),
と。出典は荀子である。「觴」は「さかずき」の意だが,「濫」の解釈が,
あふれる,
意と,
うかべる,
意とに分かれる。「濫」(ラン)は,
「会意兼形声。監は『うつ向いた目+水をはった皿』の会意文字で,人がうつむいて水鏡に顔をうつすさま。その枠の中におさまるようにして,よく見る意を含む。鑑の原字。檻(和句解をはめて出ぬようにするおり)と同系のことば。濫は『水+音符監』で,外へ出ないように押さえたわくを越えて,水がはみ出ること」
とある(漢字源)。「あふれる」意であるが,「うかべる」意もある。
濫溢(らんいつ),
泛濫(氾濫),
は「あふれる」だが,
濫觴(らんしょう),
は,「うかぶ」の例として,
「孔子曰子路曰,夫江始出岷山,其源可以濫觴及至江津,不舫楫,不可以渉」(孔子家語,三恕),
と載る(字源)。また「ひたす」意,
物の表面が水面と同じくらいの高さになるようにひたす,
意の例としても,「濫觴」が載る(漢字源)。孔子の言葉は,載せるもので多少の違いがあるが,
昔者江出於岷山、其始出也、其源可以濫觴。及其至江之津也、不放舟不避風、則不可渉也。非唯下流水多邪(むかし江は岷山(びんざん)より出いで、其の始めて出ずるや、其の源は以て觴(さかずき)を濫(うか)ぶべし。其の江の津に至いたるに及よんでや、舟に放(よ)らず、風を避ざれば、則ち渉るべからず。下流水多きを唯てに非ずや)
とあり,意味は同じである(https://kanbun.info/koji/ransho.html)。
似た言葉に,
嚆矢(こうし),
がある。「嚆矢」は,
かぶらや(鏑矢),
鳴箭(めいせん)。
の意である。
矢の先端付近の鏃の根元に位置するように鏑が取り付けられた矢のこと。射放つと音響が生じることから戦場における合図として合戦開始等の通知に用いられた,
もので(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%91%E7%9F%A2),
「古く中国で開戦のしるしに『かぶらや』を敵陣に向けて射掛けた」
ことから,
始まり,
の意で用いる。「嚆」(漢音コウ,呉音キョウ)は,
「形声。『口+音符蒿(コウ)』で,うなる音を表す擬声語」
で,
矢のうなる音,
そのものを指す。出典は荘子,
「焉知曾(曾參)史(史鰌)之不為桀(夏桀王)跖(盗跖)嚆矢也,故曰,絶聖棄知,而天下大治」(在宥篇)
ここで初めて,「始まり」の意で使われたとされる。
しかし,
濫觴,
と
嚆矢,
は,始まりの意に違いはないが,あえて言えば,「嚆矢」は,
始める,
であり,「濫觴」は,
始まる,
であり,微妙に意味が異なる気がする。鏑矢で,
開始する,
のと,川の源流が,
始まる,
のとではちょっと異なる。敢えて,言うなら,「嚆矢」は,
開始,
創始,
であり,「濫觴」は,
始原,
発端,
淵源,
である。
参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2019年08月24日
スカンピン
「スカンピン」は,
素寒貧,
と当てる。
貧乏で何も持たないこと,まったく金がないこと,またそういう人やそのさま,
の意である。江戸語大辞典にも,
赤貧,
の意で載る。
素寒貧,
は江戸時代に当てた当て字である(日本語源広辞典・日本語俗語辞典)。嚆矢は,江戸中期の国語辞典,
俚言集覧,
らしく,
「『俚言集覧』において〈素寒貧〉の字が当てられて以降そのような漢字で表記し,赤貧のさまをいうようである」
とある(日本語源大辞典)。しかし,
「まず、中国に『寒貧(かんぴん)』という言葉がありました。「ものすごく貧しい」という意味です。ちなみに、この場合の『寒』は『さむい』という意味ではなく、『貧しい』という意味で、同じ意味の漢字を重ねた強調表現です。一方、江戸時代には『素(す)』という接頭語が、よく使われました。強調の意味を表わすための接頭語で、『素浪人』であれば『ただの浪人』、ほかに『素っ裸』や『素っ頓狂(すっとんきょう)』など、あまり良くない方のニュアンスで使われることが多かったようですね。『素寒貧』も、このようにして出来上がった単語のひとつです」
とする説明が載る(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1275418157)。しかし,漢和辞典を見る限り,
貧寒,
は載る(字源・漢字源)が,
寒貧,
は載らない。「寒」は,もちろん,
貧乏で苦しい,
物が乏しくて苦しい,
意である。むしろ,
寒貧,
は,
素寒貧,
があって,その意で用いられている。順序は逆に思える。
「素」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/434943171.html?1565131762)は,既に触れたように,「す(素)」「そ(素)」と訓み方で使い分けている。「す」と訓むと,
ありのまま,
という系統で(「素顔」「素うどん」「素手」),日本特有の使い方は,
「日本の音楽・舞踊・演劇などの演出用語。芝居用の音楽を芝居から離して演奏会風に演奏したり、長唄を囃子(はやし)を入れないで三味線だけの伴奏で演奏したり、舞踊を特別の扮装(ふんそう)をしないで演じたりすること」
と意味を拡大したり,「素」をつけて,
「素寒貧」「素町人」と,軽蔑の意味を込める,
とか,
素早い,すばしっこい,
と,程度のはなはだしいのに使うし,まじりっけなしという意味で,
「 素顔」「 素肌」「 素うどん」「 素泊り」
と使う。しかし,これは,我が国だけでの使い方らしい。
一方,「そ(素)」と訓ませて,
白い,生地のまま,
という系統で,飾りっ気のない(「素服」「素地」「素因」「素質」「簡素」「素行」「平素」「素描」「素朴」等々。しかし「素性」は「す」と訓む)という意味の範囲になる。
閑話休題。
で,「スカンピン」だが,日本語源広辞典は,
スカリ(全く)+ピン(貧乏),
の音韻変化とする。それは,たとえば,
すっかりびんぼう,
を,
スッカリビンボウ→スカンビン→スカンピン,
と縮約し,転訛したものということだろう。
「いつも出入しけるすかんひんの牢人来りけるに」(咄本・正直咄大鑑)
という用例があるので,
スッカリビンボウ→スカンビン→スカンヒン→スカンピン,
という転訛かもしれない。似た説に,
スッカリビンボウ(悉皆貧乏)→スカンピン,
とするものがある(日本語の語源)。それだと,
シッカイビンボウ→スッカリビンボウ→スカンビン→スカンヒン→スカンピン,
という感じであろうか。ただ,日本語源大辞典は,
「花札では配られた札によって役がつくが,最初に配られた七枚がすべてカス札であるとき,その役を皆素(からす)勘左衛門と呼ぶのである。この役は,赤・短一・十一(といち)とともに点が取りにくいため〈一文無し・スカンピン〉に近い意味で用いられる。(中略)これは『スカ(カス札)のピン』ということではあるまいか」
と,独自説を挙げている。是非を判断する材料はないが,まあ,
スッカリビンボウ→スカンビン→スカンヒン→スカンピン,
の転訛とみておくのが無難ではあるまいか。ただ,臆説だが,漢字の,
貧寒,
を逆転させて,「素」をつけた,
素寒貧,
というギャグ(自虐ネタ)だったのかもしれない,と不図思いついたのだが…。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2019年08月23日
溜息
「溜息」は,
長息(ちょうそく),
大息(おおいき),
とも言い,
「失望・心配または感心したときなどに長くつく息」(広辞苑)
「心配・失望・感動などの時に思わずもらす大きな息」(大辞林)
「気苦労や失望などから、また、感動したときや緊張がとけたときに、思わず出る大きな吐息」(デジタル大辞泉),
等々と意味が載る。
溜息をつく,
溜息が出る,
溜息をもらす,
等々と使う。
嘆く時は,
嘆息,
感動する時は,
感嘆,
詠嘆,
という。似た言い回しに,
吐息,
がある。
「落胆したり,安心したりしてつく息」
である(広辞苑)。この酷い状態が,
青息吐息,
で,
「嘆息する時弱った時に出す溜息,また,その溜息が出るような状態」
とある(広辞苑)。嘆息のもっとひどい状態である。笑える国語辞典は,
「ため息(溜息)とは、吸った息をひとしきり溜めたのちに吐かれる長い息のこをいうが、決してレントゲンの検査をしているわけではなく、落胆したときや絶望したとき、あるいは逆に感動したときなどに吐かれる息のことをいう。「吐息」も似たような意味があるが、こちらは女性が男性を誘惑するようなときにも用いられるのに対して、ため息はどちらかというと、女性ご自慢のボディを見せつけられた男性が間抜け面をして吐く息である」
と区別して見せるが,まあ付会である。
イタリアのヴェネツィアには「溜め息の橋」という観光名所があるそうである。
「ドゥカーレ宮殿と旧監獄を結ぶ運河の上に架かる橋の事を指し、この橋を渡って監獄に入れられていく罪人達が溜め息をつくことから由来(橋から眺めるヴェネツィアの景色が、囚人が投獄前に最後に見られる光景であるため)」
とか(https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%9F%E3%82%81%E6%81%AF)。
私見だが,大きく息を吸うためには,大きく息を吐かなくてはならない。それは肺活量検査で,経験済みである。嘆いたり,絶望したとき,思いが鬱屈していて,息が浅いか,思い詰めて息を殺している。だから,体は,吸気のために,まず体内の息を吐き出す。それが溜息のように思われる。
溜息は意識的ではなく,ほとんど無意識に,
気付いたら「はぁ~」とため息をついているもの,
らしい(https://docoic.com/12261)。その前に,思い屈し,息が浅いか,息を飲むように,息を止めているかがある。
2016年2月米カリフォルニア大と米スタンフォード大の合同研究チームが,ラットの実験で,ため息が脳を活性化させるばかりか,呼吸を助けて生存に欠かせない行為であることを明らかにし、英科学誌「ネイチャー」に発表した。それによると,
「人間は気づかないうちに約5分おきに、通常の呼吸より2倍多く空気を吸い込む『小さなため息』をついている。肺の中には肺胞という微細な袋がたくさんあり、酸素を取り込んでいるが、呼吸の間に水分を吸収し濡れた風船のようにしぼんでしまうからだ。そこで、ため息をついて空気を多く吸い込み、再び肺胞を膨らませるのだ。研究チームは、ラットの脳の神経細胞を調べ、酸素が足りないことを脳が察知し、ため息をつかせる神経回路を発見した。この回路に異常をきたすと、呼吸障害などが起こり、死に至ることがわかった」
という(https://www.j-cast.com/2016/02/19258913.html?p=all)。スタンフォード大学のマーク・クラズノー教授は,
「ため息はただの感情のはけ口でなく、生きるために不可欠な行為なのです。ため息によって、感情、言葉、認知、推理をつかさどっている大脳皮質が再び活性化します。ため息は、脳にとって究極の覚醒(かくせい)と言えます」
とコメントしているという(仝上)。
人間の自律神経には,興奮時に活動する交感神経と安静時に活動する副交感神経がある。
交感神経は血圧や心拍数を高めて体を活性化する,
副交感神経は血圧や心拍数を鎮めて体をリラックスさせる,
両者はアクセルとブレーキの関係で,両方のバランスが取れているのが健康な状態になる。ストレス状態では,
「交感神経が強く働くようになる。いったん優位になった交感神経は、放っておくと2時間は元に戻らない」
そんなときは,
「呼吸も乱れている。姿勢が前かがみになり、肺に十分空気が行き渡っていない。すると、リラックスが役割の副交感神経が働いてくる。副交感神経の1つに呼吸情報をモニタリングする迷走神経があり、『酸素が足りていない』とキャッチし、脳に『ため息を命じて』と伝達する。こうして、深々とため息をついて酸素を取り込むことで、高ぶった交感神経を収めてくれる」
という仕組みになっている(仝上)。ため息をつくことは,ストレスで無呼吸や浅い呼吸の状態から呼吸を整える役割ということになる。
「溜息」とは,まさに,文字通り,
溜+息,
息を溜めている状態から,息を吐き出す意である(日本語源広辞典)。大言海は,
溜めて,後に長くつく息,
と正確である。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2019年08月22日
帰農した土豪
牧原成征『近世の土地制度と在地社会』を読む。
本書は,
「近世の百姓たちは,いかなる社会構造や諸条件の中で,それらにいかに規定されて,どのように再生産や生活を成り立たせていたのだろうか。本書はこうした素朴な問題関心から出発しているが,土地制度や金融・流通,共同体などの観点から,近世の在地社会について」
の考察をしている。その主張の素描は,
「中世後期,(中略)多くの土地片で,地主と作人が分離して,前者が後者から加地子(カジコ,カジシ 地代)を収取する関係が一般化していたと考えてよい」
「地主権(加地子)や名主得分を集積した階層は,(中略)抗争・戦乱の中でその土地所有を維持・拡大するために,被官を従え,戦国大名などのもとに被官化(結集)した。これは戦国社会の基底的な動向であり,彼らを『小領主』と呼ぶことができる」
「16世紀の江北地域では,戦国争乱が激化し小領主が滅亡したり牢人したりするなかで,彼らのもとで制約されていた作人の土地に対する権利が強まった(一職売券の出現)。それによって土地を家産として継承するイエが,作人レベルにおいて成立しはじめた」
「江北の一大名から出発・成長した豊臣政権は,領主(給人)が収穫高の三分の二を年貢として収取するという理念を示し,また検地を広範囲に行なって地積掌握を深化し,加地子を吸収した高額の年貢・分米を打ち出した。村にとどまった旧小領主(地主)は百姓身分とされ,それまで得ていた中間得分・剰余をかなりのていど否定された。加地子得分権の形で留保されていた惣有財産も同様である。こうした点では領主『反動』と評価することもできる。しかし一方で,年貢収取に際して,百姓に収穫高の三分の一の作得を公認・保障し,…江北でようやく16世紀に萌芽・展開しつつあった作人レベルにおける土地所持権を,検地の結果,公認・保障する姿勢を示した」
「そのようにして成立した近世の年貢村請制の下では,農業経営の集約化という生産力条件にもよって,村=百姓たちは,一定数以上の経営を維持することを要求された。そのため百姓相互の融通関係が必然化され,そのなかから土地を集積する地主が出現する場合があった。彼らは村請制と小農経営の展開に基礎をおき,それに規定される点で『村方地主』という範疇で捉えるのが適当である」
等々と,在地の土地制度と社会の変化を描こうとしている。
僕個人の関心は,土豪,地侍という在地の有力層が,国人や戦国大名の被官となった後,豊臣政権の政策で,徳川家康が,三河・遠江から関東へ家臣まるごと移封されたように,被官化した土豪・地侍が,鉢植えのように転封される大名に従わず,在地に残った場合,その後,幕藩体制下で,どのような変化を蒙ったのか,という点にある。いわゆる兵農分離に従わず,在地に残った旧大名被官たちは,百姓身分になるが,村ないし,その地域に大きな影響力を保っていたはずである。
そのひとつの転機は,太閤検地である。検地では,
「一筆ごとに年貢を負担すべき責任者,請負人(百姓)を一名書き載せる」
が,
「あらゆる土地片で唯一単独の所持者・所持権が定まっていたわけではなく,太閤検地開始時にも依然として,地主と作人とが加地子収得関係などを結んでいた土地片もあった。そうした地主・作人関係は,作人から得分を収取するだけで年貢も作人が直納するといった作人の権利が強いケースから,一年季契約による小作関係のように地主の権利が強いケースまで,非常に個別的で多様であった。前者では作人が名請されるのが自然であるが,後者(一年季小作)の場合,地主がその土地を名請しようと望めば,小作人が容易に名請しえたとは考えにくい。この点で,直接耕作者を一律に名請したとする見解には無理がある。ただし,侍身分の地主たちがみずから名請しようとしたかどうかは問題である。検地で名請することは百姓になることを意味するのだから,あくまで仕官をめざし,名請しようという志向をもたないか,あるいは名請を拒む者もいた」
その結果,
「検地帳に名請した者には,年貢諸役負担と引き換えに,その土地の所持権が保障・公認されることになった」
石田三成の掟条条(文禄五(1596)年)には,
「田畠さくしきの儀は,此のさき御検地の時,けんち帳にかきのり候者のさハきにつかまつり,人にとられ候事も,又むかし我さくしきとて人のとり申事も,ちやうしの事」
とあり,土地の実質所有が移ることになる。その結果,かつての土豪の中には,土地を取り戻そうとし,敗訴する例も少なくなかった。
「検地帳名請の意義は大きく,被官たちのなかには,井戸村氏(旧土豪)が土地所持権を確認しようと迫った際にも拒否する者もむ現れた。訴訟の際にも,名請と代々の所有を根拠にしとて自己の所持権を主張し,それを勝ち取ることもあった」
のである。公儀レベルの理念としては,
「検地帳名請人に所持権を認めるのが原則であった」
からである。結果として,
小農自立,
がもたらされたが,その結果,「高持百姓」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/464612794.html)で触れたように,
「近世の土地台帳である検地帳や名寄帳,あるいは免割帳などに記載された高持百姓あるいは本百姓のち所持石高や田畑の反別が一石未満,また一反未満を中心に零細な百姓が圧倒的に多い」
こととなり,一年の決算毎に質屋を利用して,
「不勝手之百姓ハ例年質物ヲ置諸色廻仕候」
というように,それは,
「春には冬の衣類・家財を質に置いて借金をして稲や綿の植え付けをし,秋の収穫で補填して質からだし,年貢納入やその他の不足分や生活費用の補填は再度夏の衣類から,種籾まで質に入れて年越しをして,また春になればその逆をするという状態にあった」
ことの反映で,
「零細小高持百姓の経営は危機的であった」
近世慢性的に飢饉が頻発した背景が窺い知れるのある。
五反百姓出ず入らず,
という諺がある(臼田甚五郎監修・ことわざ辞典)。五反でトントンの意である。それ以下は,危険水域なのである。
近世の飢饉については,
「飢饉」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/462848761.html),
で触れた。
参考文献;
牧原成征『近世の土地制度と在地社会』(東京大学出版会)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2019年08月21日
ためる
「ためる」(たむ)は,
溜める,
貯める,
とあてる「ためる」と,
矯める,
撓める,
揉める,
とあてる「ためる」がある。「溜める・貯める」は,
とどめる,
せきとめる,
たくわえる,
といった意味であり,「矯める」は,
曲がっているのを真直ぐにする,
改め直す,
いつわる,曲げる,
狙いをつける,
といった意味を持つ。大言海は,「たむ(撓)」は,
木竹など炙り,又は濡すなどして,伸べ,或は屈め,て,形を改む,
とあり,それが,転じて,
すべて物事を改め正しくす,
の意となり,それは,ある意味,
「無理にもとの形を変える。良くする場合も,悪くする場合にもいう」(岩波古語辞典)
ので,
偽る,
ともなる。また,
控え,支え持つ,
意を持つ。これが,
「腰だめ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/438168149.html),
の「ため」であり,
「ためつすがめつ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/455445472.html),
の「ため」でもある。室町末期の日葡辞書(『広辞苑』)にも,「テッポウ(鉄炮)ヲサダムル」とある。さらに,「たわむ(揉)」は,
撓(たわ)むの略,
とする。岩波古語辞典の「たむ」の項は,
タム(廻)と同根,
とある。大言海は,
撓む,
意とし,
くねり廻る,
とする。この「たむ」は,
廻む,
訛む,
とも当てる。
ぐるっとまわる,
意の他に,
歪んだ発音をする,
つまり,
訛る,
意もある。「たむ」は,漢字で当て分けているが,結局,
無理にもとの形を変える,
意であり,それが,
矯正,
でもあり,
偽り,
でもあり,
訛る,
でもある。しかし,「腰だめ」「ためつすがめつ」の,
狙いをつける,
はどこから来たか。勝手な臆説だが,
溜める,
貯める,
の「たむ」から来たのではないか。これは,
とどめる,
せきとめる,
たくわえる,
意であるが,岩波古語辞典の「たむ」には,
満を持した状態でおく,一杯にした状態のままで保つ意,
とある。それは,
集める,
意であるが,
留める,
意でもある。「腰だめ」の「ため」は,これと通じる。僕には,
溜,
貯,
廻,
訛,
矯,,
撓,
揉,
と漢字で当て分けているが,もともと「たむ」は,
曲げる,
直す,
といった意で,その派生として,
留める,
貯える,
と,漢字の意味に影響されて,意味の外延を広げたもののように思える。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2019年08月20日
をろち
「をろち」は,
おろち,
普通,
大蛇,
と当てる。ほぼどれも,
ヲ(オ)は「峰」,ロは接尾語(あるいは助詞,接辞),チは霊威あるもののの意,
としている(広辞苑)。「ヲ」を「尾」とするものも多くある(日本語源広辞典)が,「を(尾)」は,
「小の義。動物體中の細きものの意」
で(大言海),そのメタファで,
山尾,
という使い方をし,
山の裾の引き延べたる處,
の意に使い,転じて,
動物の尾の如く引き延びたるもの,
に使った。「を(峰・丘)」は,その意味の流れの中で重なったとみられる。
大言海は,「をろち」を,
ヲにロの接尾語を添へて尾の義,チは靈なり,尾ありて畏るべきものの義,
としているが,
「『ろ』は助詞で,現在使われている助詞の中では『の』に相当する語」
とあり(語源由来辞典),ほぼ同義である。「ち」は,
「ち(血)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/465705576.html?1557945045),
「いのち」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/465724789.html),
で触れたように,
いかづち(厳(いか)つ霊(ち)。つは連体助詞),
をろち(尾呂霊。大蛇),
のつち(野之霊。野槌),
ミヅチ(水霊),
と重なり,「ち(霊)」は,
「原始的な霊格の一。自然物のもつはげしい力・威力をあらわす語。複合語に用いられる」
ので,
いのち(命),
をろち(大蛇),
いかづち(雷),
等々と使われ(岩波古語辞典),
「神,人の霊(タマ),又,徳を称へ賛(ほ)めて云ふ語。野之霊(ノツチ,野槌),尾呂霊(ヲロチ,蛇)などの類の如し。チの轉じて,ミとなることあり,海之霊(ワタツミ,海神)の如し。又,轉じて,ビとなるこあり,高皇産霊(タカミムスビ),神皇産霊(カムミムスビ)の如し」
なのである(大言海)。つまり,「をろち」は,
尾の霊力,
という意味になる(日本語源大辞典)。
(『日本略史 素戔嗚尊』に描かれたヤマタノオロチ(月岡芳年・画) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%83%81より)
古事記のヤマタノロチは,
高志之八俣遠呂知,
と表記されている。八つの頭と鉢の尾をもつ恠異である。これについて,
「酒を飲まされたヲロチはスサノヲに切り殺されるが,その尾を切った時,剣が出てきた。三種の神器の一つ,草薙の剣である。(中略)『尾』こそが,得体の知れない恐ろしいヲロチの武器なのである」
とある(日本語源大辞典)。つまり,
尾から剣が出る,
とは,
尾の霊威,
の象徴なのである。また,「蛇」は,
水の神,
でもある。ヤマタノロチは,
「その身に蘿(こけ)と檜榲(ひすぎ)と生ひ,その長(たけ)は谷八谷・峡八尾(やお)に度(わたら)ひて,その腹を見れば,悉に血に爛れつ」
とある,まさに,
河川,
そのものの如くである。
「蛇神は一般に水の神として信ぜられたから,八俣の大蛇は古代出雲地方の農耕生活に大きな破壊をもたらした洪水の譬喩」
と見做す(日本伝奇伝説大辞典)のは妥当なのかもしれない。なお,大蛇から出た,
剣,
は,出雲・斐伊の河上流の,
鉄文化,
の象徴との見方もある(仝上)。
参考文献;
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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スキル事典;
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2019年08月19日
杜撰
「杜撰」は,
ずさん,
と訓ますが,本来,
ずざん,
と訓むものが訛った。「杜」(漢音ト,呉音ズ)は,
「会意兼形声。『木+音符土(ぎっしりつまる)』」
とあり(漢字源),果樹の「やまなし」の意であり,「とざす」(是静非杜門)の意で,「塞」と同意である(字源)。「(神社の)もり」の意で使うのは我が国だけである。
「撰」(慣音セン,漢音サン,呉音ゼン)は,
「会意兼形声。巽(セン・ソン)とは,人をそろえて台上に集めたさま。撰は『手+印符巽』で,多くのものを集めてそろえること」
とある(漢字源)。「えらぶ」意だが,「詩文をつくる」意がある。「えらぶ」意では,
撰んで集めそろえること(もの),
事柄をそろえ,集め,それをもとに文章をつくる(撰述),
生地を集めて述べる,編集する,
といった意味になる(漢字源)。「撰」は,
「造也と註す。文章を作るには,撰,譔何にてもよし。撰述と連用す。唐書,百官志『史館修撰,掌修國史』」
とあり(字源),「選」は,
「よりすぐること,文選・詩選は,詩文のよきものをよりぬく意なり。撰述には用ひず。論語『選於衆擧皐陶不仁者遠(衆に選んで皐陶(舜帝が取り立てて裁判官とした)を挙げしかば,不仁者遠ざかりぬ)』」
とあり(字源),「撰」と「選」の違いが,「杜撰」の語源を考えるに当たって鍵となる。
「杜撰」は,今日,
物事の仕方がぞんざいで,手落が多い,
意で使われる。元は,一説に,
杜黙(ともく)の作った詩が多く律に合わなかったという故事から,
とある(広辞苑)。日本語源広辞典も,
杜黙の試が多く律に合わなかった故事,
とする。大言海は,
「宋音ならむ。禅林寶訓音義,下『杜撰,上,塞也,下造也,述也,言不通古法而自造也』。無冤録『杜撰,杜借也。撰,集也』」
とし,
詩文,著述などに,妄りに典故,出處も無き事を述ぶること,
とし,類書纂要の,
「杜撰作文,無所根拠」
野客叢書(宋,王楙)の,
「杜黙為詩,多不合律,故言事不合格者,為杜撰」
事文類聚の,
「或云,唐皇甫某,撰八陽經,其中多載無本據事,如鬱字,分之為林四郎,故事無本據,謂之杜撰」
等々を引く。こうみると,「杜撰」は,
「杜という人の編集したものの」
意(故事ことわざ辞典)ではなく,「撰述」の意,つまり,
「詩作」
の意であり,
「『杜』は宋の杜黙(ともく)のこと、『撰』は詩文を作ること。杜黙の詩が定形詩の規則にほとんど合っていなかったという「『野客叢書』の故事から」(デジタル大辞泉)
「杜撰の『杜』は、中国宋の杜黙(ともく)という詩人を表し、『撰』は詩文を作ることで、杜黙 の作った詩は律(詩の様式)に合わないものが多かったという故事に由来するという、中国の『野客叢書(やかくそうしょ)』の説が有力とされる」(語源由来辞典)
というところに落着しそうだが,
杜撰の「杜」は,本物でない仮の意味の俗語とする説,
道家の書五千巻を撰した杜光庭を指す説,
等々異説もあるが,「杜」については説が分かれている。日本語源大辞典は,
「ズ(ヅ)は『杜』の呉音,サンは通常センと訓む『撰』の別音。中国宋代に話題となったことばで,『野客叢書』や『湘山野録』などで語源について論じられている。日本には禅を通じて入ったようで,『正法眼蔵』や,『下學集』の序文に使用例が見られるが,辞書では,『書言字考節用集』に『湘山野録』を引いて『自撰無承不拠本説者曰杜撰』と記述されている」
と書く。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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ラベル:杜撰
2019年08月18日
すそ
「すそ」は,
裾,
と当てる。「裾」(漢音キヨ,呉音コ)は,
「会意兼形声。『衣+音符居(しりをおろす,したにすわる)』」
とある(漢字源)。別に,
「会意兼形声文字です(衤(衣)+居)。『身体にまつわる衣服のえりもと』の象形(「衣服」の意味)と『腰かける人の象形と、固いかぶとの象形(「固い、しっかりする」の意味)」(「しっかり座る」の意味)から、座る時に地面につく『すそ』を意味する『裾』という漢字が成り立ちました。』
ともある(https://okjiten.jp/kanji2062.html)。で,
長い衣服の,下の垂れた部分,
つまり,
すそ,
の意から,転じて,
物の下端,
の意味となる(漢字源)。これは,和語「すそ」とも同じである。
衣服の下の縁,
の意から,
物の端,
髪の毛の末端,
山のふもと,
川下,
と意味が転じていく。岩波古語辞典には,
「上から下へ引くように続いているもの,髙くたつものなどの下の部分」
とある。大言海は,
裾,
の他に,
裔,
裙,
襴,
を当て,
「末衣(すえそ)の略か,又,末殺(すえそぎ)の略か。はたばり,はば。かたはら,かは」
とする。日本語源広辞典は,
末衣(スエソ)の略,
を採る。大言海の二説以外には,
スリサル(摺去)の義か(名言通),
スソ(摩衣)の義か(国語の語根とその分類=大島正健),
があるが,言葉の意味から見れば,
末衣(スエソ)の略,
が妥当かもしれない。「すそ」に絡む言葉は結構あり,
裾高,
裾付,
裾継,
裾張り,
裾被(かつぎ),
等々の中で,
(お)裾分け,
という言い回しは現代でも使う。
もらいものの余分を分配する,
利益の一部を分配する,
といった意だが,中世末期の日葡辞書にも,
スソワケヲスル,イタス,
とあり,
お裾分け,
は近世後期からみられる(語源由来辞典),という。岩波古語辞典が,
下配,
とも当てるように,
多く,卑下(めした)に対して云ふ,
とあり,上位者に対しては使わない。
「『すそ』とは着物の裾を指し、地面に近い末端の部分というところから転じて『つまらないもの』という意味がある。よって、本来目上の人物に使用するのは適切ではない」
と(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E8%A3%BE%E5%88%86%E3%81%91)。
「『すそ(裾)』は、衣服の下端の部分から転じて、主要ではない末端の部分も表す。 そこから、品物の一部を下位の者に分配することを『裾分け』というようになり、下位の者に限らず、他の人に一部を分け与えることを『おすそわけ』というようになった」(語源由来辞典)。
「『裾』は衣服の末端にあり重要な部分ではないことから、特に、上位の者が下位の者に品物を分け与えることを『裾分け』といい、…現在では本来の上から下へという認識は薄れ、単に分け与える意味で用いることが多い」(由来・語源辞典)
ということらしい。しかし,「お裾分け」は,
お福分け,
ともいい,
「お福分けは『福を分ける』意味であるゆえ目上の人物に使用しても失礼に当たらないとされている」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E8%A3%BE%E5%88%86%E3%81%91)。物は言いようである。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
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2019年08月17日
たもと
「たもと」は,
袂,
と当てる。「袂」(漢音ベイ,呉音マイ)の字は,
「会意。『衣+夬(切り込みを入れる,一部を切り取る)』。胴の両脇を切り取ってつけた,たもと」
とある(漢字源)。「たもと」の意で使うのは我が国だけらしい(漢字源)。
「たもと」は,
手本(たもと)の意(広辞苑),
タ(手)モト(本)の意(岩波古語辞典),
手本(たもと)の義。手末(たなすゑ)に対す(大言海),
テモト(手許)の轉(和語私臆鈔),
とある。「たなすゑ」は,
手之末の義,
で,
手の端,
手の先,
手先,
の意である(大言海)。岩波古語辞典には,
手末,
手端,
と当て,
「タは手の古形。ナは連体助詞」
とする。だから,「たもと」の本来の意味は,
肘より肩までの間,即ち肱(かいな)に当たるところ,
を指すとし,
「上古の衣は,筒袖にて,袖の肱に当たる邊を云ひしが如し」
とする(大言海)。つまり,
かいなの部分→そこを覆う着物の部分,
となり,さらに,
袖,
の意にまで広がり,
「袖の形が変わるにつれ,下の袋状の部分をいうようになる」
という(岩波古語辞典)。平安時代以降,和服の部分を指すようになった(語源由来辞典)ものらしい。
「たもと」は,その意味では,
手先,
の対であると同時に,
足元,
にも対している(日本語源広辞典)。
「たもと」にかかわる言い回しで,
袂の露,
袂を絞る,
は意味が分かるが,「関係を断つ」「離別する」意で使う,
袂を分かつ,
は,和服の,
袖
と
身頃,
の接続部分,つまり,
袖付け,
を斬りはなすことを指す。「袂を分かつ」には,どこか,単なる,
関係を立つ,
よりは,身を切るような,あるいは,捨てるというような,思いがあるように思われる。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
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コトバの辞典;
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2019年08月16日
そで
「そで」は,
袖,
と当てる。「袖」(漢音シュウ,呉音ジュ)は,
「会意兼形声。『衣+音符由(=抽,抜き出す)』。そこから腕が抜けて出入りする衣の部分。つまり,そでのこと」
とあり(漢字源),字源には,
「手の由りて出入りする所,故に由に从(したが)ふ」
とある。「そで」には,「袂」もあるが,我が国は,
たもと,
に当てる。「袂」(漢音ベイ,呉音マイ)の字は,
「会意。『衣+夬(切り込みを入れる,一部を切り取る)』。胴の両脇を切り取ってつけた,たもと」
とある(漢字源)。
「そで」は,
「衣手(そで)の意。奈良時代にはソテとも」
とあり(広辞苑),岩波古語辞典も,
「ソ(衣)テ(手)の意。奈良時代は,ソテ・ソデの両形がある」
とし,大言海は,
「衣手(そで)の義と云ふ。或は,衣出(そいで)の約か」
とする。「そ」自体が,
衣,
と当て,
ころも,
の意だが,
ソデ(袖),
スソ(裾),
等々,熟語にのみ用いられる。問題は,この「そ」が,上代特殊仮名遣いでは,
乙類音(sö)
で,「そで(袖)」の「そ」が,
甲類韻(so),
とされていることだ。ただ,もし「えり」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/468861598.html?1565857857)で触れたように,「えり」ということばが,後になって使われたのだとすると,「そで」も後に,つまり,
『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』など、上代(奈良時代頃)の万葉仮名文献に用いられた,
後の,古典期以降,その特殊仮名遣いが使われなくなって以降の「ことば」とすると,つじつまはあう。とすると,
そで(衣手)の義(東雅・安斎随筆・燕石雑志・箋注和名抄・筆の御霊・言元梯・名言通・和訓栞・弁正衣服),
衣の左右に出た部分をいうところから,ソデ(衣出)の義(日本釈名・関秘録・守貞漫稿・柴門和語類集・上代衣服考=豊田長敦),
の諸説も,まんざら捨てられない。音韻とは関係ない,
そとで(外出)の義(名語記),
もあるが,ちょっと付会気味である。
「そ(衣)」は,
「ソデ(袖),スソ(裾)のソ。ソ(麻)と同根か」
とある(岩波古語辞典)。「ソ(麻)」は,
アサの古名。複合語として残る,
とある(仝上)。
あおそ(靑麻),
うっそ(打麻),
なつそ(夏麻),
等々に使われている。大言海は,
オソフ(襲)の語根オソの約か,又身に添ひて着るなれば,云ふかと云ふ,
とするが,ちょっと無理筋に思える。他に,
身の外に着るからソ(外)の義(柴門和語類集),
等々あるが,理屈ばっているときは大概付会である。ここは,日本語源広辞典の,
麻の古名ソ
でいいのではないか。「そ(麻)」も,「そ(衣)」も,
so,
なのである。
なお,「袖にする」という言い回しは,
手を袖にす,
の略で,
自分から手を下そうとしない,手出ししない意,
である(岩波古語辞典)それが転じて,
手に袖を入れたまま何もしない,
↓
おろそかにする,
↓
すげなくする,
といを転じたと思われる。日本語源広辞典は,
「ソデは,身に対して付属物です。中心におかないことです。おろそかにする,蔑ろにする意です」
とし,笑える国語辞典は,
①着物の袖に手を突っ込んだまま相手の話を聞くという冷淡な態度からきた,
②「舞台の袖」などというように「袖」には端の部分、付属的な部分という意味があるから,
③袖を振って相手を追い払う仕草から,
と三説挙げるが,原義が,
手を袖にす,
なら,いずれも,後世意味の変化後の解釈に思われる。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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スキル事典;
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2019年08月15日
襟を正す
「襟を正す」とは,文字通り,
姿勢,服装の乱れを整え,きちんとする,
意だが,それをアナロジーに,
心を引き締め真面目な態度になる,
意で使う(広辞苑)。
膝を正す,
も,
改まった様子になる,
という意である。似た言い回しに,
居住まいを正す,
というのがある。「襟を正す」の出典は,一つは,史記・日者伝の,
宋忠賈誼、瞿然而悟獵纓正襟危坐,
の,
獵纓正襟危坐(纓を猟り襟を正して危坐す),
である。
「長安の有名な易者に会いに行った漢の宋忠と賈誼が,有名な易者である司馬季主と会ったとき、司馬季主の易にとどまらない深い博識に感動し、自然に冠のひもを締め直して上着の襟(えり)を正し、きちんと座り直して話を聞き続けた」
という意である(由来・語源辞典)。
「襟を正す」の出典とされるものに,もう一つある。北宋の詩人・蘇軾(そしよく)(東坡)の詩,「前赤壁賦」に,
蘇子愀然
正襟危坐
而問客曰
何為其然也
とある。、「蘇子(蘇軾)は真顔になり襟を正して座りなおし、客に『どうすればそのような音色が出せるのか』と問うた」というのである(https://biz.trans-suite.jp/15915)。前後は,
客有吹洞簫者(客に洞簫を吹く者有り)
倚歌而和之(歌に倚りて之に和す)
其声鳴鳴然(其の声鳴鳴然として)
如怨如慕(怨むが如く慕うが如く)
如泣如訴(泣が如く訴えるが如く)
余音嫋嫋(余音嫋嫋として)
不絶如縷(絶えざること縷の如し)
舞幽壑之潜蛟(幽壑の潜蛟を舞はしめ)
泣孤舟之寡婦(孤舟の寡婦を泣かしめ)
蘇子愀然正襟(蘇子愀然として襟を正す)
危坐而問客曰(危坐して客に問いて曰く)
何為其然也(何為れぞ其れ然るやと)
という(http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/seki1.htm)。
「赤壁賦」には,
前赤壁賦と後(こう)赤壁賦,
があり,あわせて「赤壁賦」というが,前赤壁賦のみにも使うらしい。これは,
「政争のため元豊3年都を追われ黄州 (湖北省) に流された作者が,翌々年7月揚子江中の赤壁に遊んだときのありさまを記したもの。同年 10月再び赤壁に遊び続編をつくったので,7月の作を『前赤壁賦』,10月の作を『後赤壁賦』と呼ぶ」
とある(ブリタニカ国際大百科事典)。
「えり」は,
襟,
衿,
と当てる。「襟」(漢音キン,呉音コン)は,
「会意兼形声。『衣+音符禁(ふさぐ)』」
で,「えり」の意だが,
胸元をふさぐところ,衣服で首を囲む部分,
とあり,「衿」(漢音キン,呉音コン)は,
「会意兼形声。『衣+音符今(ふさぐ,とじあわせる)』でね衣類をとじあわせるえりもと」
とあり,「えり」の意だが,
しめひも,衣服を着るときむすぶひも,
とあり,「襟」と「衿」は微妙に違うように思える(漢字源)。
和語「えり」の語源は何か。岩波古語辞典は,
「古くは『くび』または『ころもくび』といった」
とある。古くは,「えり」という名がなかった可能性をうかがわせる。大言海が,
「衣輪(エリン)の略(菊の宴(えん)もきくのえ)。…万葉集『麻衣に,靑衿著』とあるを,契沖師はアヲエリと訓まれたれど,此語さほどふるきものとは思はれず」
とするのも,「えり」という言葉が後のものだと思わせる。「えりん (衣輪) 」とは,貫頭衣 (かんとうい) の,
「 1 枚の布や莚 (むしろ) の中央に穴をあけただけのもので,その穴に首 (頭) を通して着る,その穴のこと」
らしく(https://mobility-8074.at.webry.info/201812/article_17.html),倭人伝に,
「衣を作ること単被の如し。その中央を穿ち、頭を貫きてこれを衣る」
のと同様である。「衣輪」との絡みで,大言海は,「輪(りん)」の項で,車の輪の意の他に,
覆輪(ふくりん)の約,
という意を載せる。
衣服の縁(へり)。別のきれにて縁をとりたるもの,襟(はんえり)なるも,施(ふき)なるも云ふ,
という意味を載せる。これも,「えり」の由来の新しさを思わせる。
日本語源広辞典は,二説挙げる。
説1は,「へり(縁辺)の音韻変化」,ヘリ→エリ,
説2は,「縁の中国音en+iの音韻変化」,エン→エニ→エリ,
しかし大言海の「衣輪」説を考えあわせれば,なにも中国語を考えなくても,
ヘリ→エリ,
で自然ではあるまいか。その他,
ヨリ(縁)の轉(言元梯),
ヘヲリ(重折)の約(菊池俗語考),
エン(縁)の轉(嚶々筆語),
等々も同趣旨である。「えり」が新しいことを考えると,「へり」の転訛もありえるが, 「衣輪」由来というのも捨てがたい。
「首に当たる部分以外でも,今でいう袖口の部分や裾の部分も『へり (縁) 』なわけですから,なぜ,首が当たる部分だけを『へり』と言ったのか,その説明がないと,ちょっと語源説としてもの足りない感じがします。」
という考え(https://mobility-8074.at.webry.info/201812/article_17.html)もあるが,大言海が,「覆輪」を,
衣服の縁(へり)。別のきれにて縁をとりたるもの,襟(はんえり)なるも,施(ふき)なるも云ふ,
としているように,「はんえり」と「施(ふき)」を同じく「覆輪」と呼んでいるのである。「施(ふき)」は,袖口や裾の裏地を表に折り返して,少しのぞくように仕立てるものを指す。襟も袖口も裾も,「覆輪」なのである。我が国は,言葉の使い方はかなりいい加減である。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
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