2024年08月27日

雨衣(あまごろも)


難波潟(なにはがた)潮満ちくらし雨衣(あまごろも)田蓑(たみの)の島に鶴(たづ)鳴き渡る(古今和歌集)、

の、

雨衣、

は、

雨具の連想で蓑にかかる枕詞、

とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、

海を詠んだ歌なので、「海人衣」という連想もある、

とある(仝上)。

海人衣(あまごろも)、

は、

言問はん野島が崎の海人衣浪と月とにいかがしをるる(新古今和歌集)、

と、

海人(漁師等)の着る衣服、

である(広辞苑)。

雨衣、

は、

雨衣(あまぎぬ)、

に同じ(広辞苑)で、

雨衣(あまごろも)、

は、

蓑、田蓑(たみの)にかかる枕詞である(広辞苑)。

雨衣(あまぎぬ)、

は、

装束の上に着て、雨雪を防ぐ衣、

で、

表に油を引いた白絹でつくる、

とある(仝上)。和名類聚抄(931~38年)に、

雨衣、阿万岐沼(あまぎぬ)、一云、油衣、

とある。左伝(春秋左伝、魯の歴史を記載する編年体の史書)哀公廿七年に、

成子衣製、

の注記に、

製、雨具也、

とある(大言海)。

「製」.gif


「製」(漢音セイ、呉音セ)は、

会意兼形声。制(セイ)は、「木の枝+/印(断ち切る)+刀」の会意文字で、途中で枝を切り取ること。製は「衣+音符制」で、布地を截ち切ること、

とあり(漢字源)、「裁」と意味が近い、とある(仝上)。別に、

会意形声。衣と、制(セイ)(きりそろえる)とから成り、衣を切りそろえる意を表す。ひいて、「つくる」意に用いる(角川新字源)、

会意兼形声文字です(制+衣)。「枝のかさなる木と刀の象形」(「木をそぎ整える」の意味)と「衣服のえりもと」の象形から、「衣服を裁ち(切り)つくる」を意味する「製」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji849.html

ともあるが同趣旨で、「左伝」襄公十一年に、

雖有美錦、不使學製焉、

とあるように、

服を仕立てる、

意だが、上記のように、

雨具、

の意もある(字源)。なお、

雨衣、

を、

うい、

と訓ませると、

自翦青莎織雨衣(許渾・村舎)、

と、

蓑などの雨具、

を指す(字源)。

雨衣(あまぎぬ)、

を着用したのは貴族たちだが、庶民は、水を吸うと膨張し、乾燥すると縮む植物の性質を利用した、

蓑、
笠、

を用い、修験者は、

油紙製の雨皮(あまかわ)、

を用いた(世界大百科事典)。雨皮は、

油単(ゆたん)、

とも呼ばれ、牛車や輿にも掛けられた(仝上)とある。

「雨」.gif

(「雨」 https://kakijun.jp/page/ame200.htmlより)

「雨」(ウ)は、「雨乞い」で触れたように、

象形。天から雨の降るさまを描いたもので、上から地表を覆って降る雨、

とある(漢字源)。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年08月26日

雁信


郷書何處達(郷書 何れの處にか達せん)
歸雁洛陽邊(歸雁 洛陽の邊(ほとり))(王湾・次北固山下)、

の、

帰雁(きがん)、

は、

漢の蘓武が匈奴(フン族)への使者となり、先方ら抑留されたとき、漢の天子が御苑で猟の折に、蘓武からの手紙を足に巻いた白雁を得た。それを証拠に匈奴を追求したので、蘓武は帰国できたという。これから、雁はたよりを伝えるものとして、詩文に用いられるようになった、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

玉づさ」(玉梓、玉章)で触れたが、

秋風に初雁が音ぞ聞こゆなる誰が玉づさをかけて来つらむ(古今和歌集)、

の、

たまづさ、

は、万葉集では、

たまづさの、

という形で、

使ひ、

にかかる枕詞であり、さらに、

使者そのもの、

の意味になったが、古今集から、

使者が携えてくる手紙、

の意となる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)と注記がある。

雁はたよりを伝える、

は、上記、『漢書』蘇武傳の、

昭帝即位數年、匈奴與漢和親、漢求武等、匈奴詭言、武死……常惠教漢使者謂單于言、天子射上林中得雁、足有係帛書、言武等在某澤中、使者大喜、如惠言以譲單于、單于視左右、而驚謝漢使曰、武等實在、

の、

雁書、

の故事により(字源)、

帛書、

ともいい、

若向三湘逢雁信、
莫辞千里寄漁翁(温庭筠)

と、

雁信、

ともいう(仝上)。

雁信、

の、

信、

は、

信書、
私信、
風信、

などとも言うように、

手紙、
たより、

の意の、

音訊(おんしん)、

の、

訊(シン)に当てた用法、

とあり(漢字源)、

音信、

の意(仝上)である。また、

雁札(がんさつ)、
雁文、
雁素(がんそ)、
雁足(がんそく)、
雁帛(がんぱく)、
かりのたより、

等々ともいい、

音信の書、
手紙、

の意で使う(仝上・精選版日本国語大辞典)。ただ、

雁字の書、

ともいい、江戸中期『夏山雑談』(小野高尚)は、

蘓武の故事にあらず、雁行の列の正しきを、文書にたとへたるなり、其證、古詩に多し

との主張もある(大言海)。雁は、

候鳥(こうちよう)で、秋には南に渡り春には北に帰るところから、中国では遠隔の地の消息を伝える通信の使者と考えられ、雁信、雁書の説が生まれた、

とあり(世界大百科事典)、

雁行、

云々より、

渡り鳥、

の特徴から、逆に、

雁信、
雁書、

の伝説が生まれたというのが正確かもしれない。

なお、「」については、触れた。

「鴈」.gif



「雁」.gif


「鴈(鳫)」(漢音ガン、呉音ゲン)は、「雁股の矢」で触れたように、

会意兼形声。厂(ガン)は、厂型に形の整ったさまを描いた字。鴈は「鳥+人+音符厂」。厂型に整った列を組んで渡っていく鳥。礼儀正しいことから人が例物として用いたので、「人」を添えた。「雁」と同じ、

とあり(漢字源)、「雁」(漢音ガン、呉音ゲン)は、

会意兼形声。厂(ガン)は、かぎ形、直角になったことをあらわす。雁は「隹(とり)+人+音符厂」。きちんと直角に並んで飛ぶ鳥で、規則正しいことから、人に会う時に礼物に用いられる鳥の意を表す、

とある(仝上・角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(厂+人+隹)。「並び飛ぶ」象形と「横から見た人」の象形と「尾の短いずんぐりした(太っていて背が低い)小鳥」の象形から「かりが並び飛ぶ」事を意味し、そこから、「かり」を意味する「雁」という漢字が成り立ちました。(「横から見た人」の象形は、人が高級食材として贈る事から付けられました。現在、日本ではたくさん捕り過ぎて数が減った為、狩猟は禁止されています。)、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2779.html

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2024年08月25日

末(うれ)


笹の葉に降りつむ雪のうれを重み本(もと)くたちゆくわが盛りはも(古今和歌集)、

の、

うれ、

は、

茎や葉の先の方、

で、

本、

は、

うれ、

に対して、

茎、

をいう(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。

うれ、

末、
若末、

と当て(岩波古語辞典)、

植物の生長する先端、

の意(仝上・精選版日本国語大辞典)で、

ぬれ、
うら、

とも訛る(仝上・大言海)が、

うれ、

は、

ウラ(裏・末)の転、

ともあり(岩波古語辞典)、

木の末、

は、

このうれ、

とも、

雪いと白う木のすゑに降りたり」(伊勢物語)

と、

このすえ、

とも訓ませる(仝上)。つまり、

こずえ(梢・木末)、

である。

うれ、

の由来は、

末枝(ウラエ)の約まりてウレとなり、ウレ、又他語に冠すれば、ウラガレ(末枯)・ウラバ(末葉)となる(大言海)、
ウラの交換形(時代別国語大辞典-上代編)、
ウヘ(上)の転(和訓栞)、

と諸説あるが、

うれ、

の古形が、

うら、

で、

「もと」の対、

で、

幹に対する先端、

ともある(岩波古語辞典)。この、

うら、

は、

上の原語ウに接尾語ラを添えたもの(日本古語大辞典=松岡静雄)、
アナウラ(蹠 足裏)と同語(玄同放言)、

等々とあるが、

うへ、

は、

古形ウハの転。「下(した)」「裏(うら)」の対。最も古くは、表面の意。そこから、物の上方、髙い位置、貴人の意へと展開。また、すでに存在するものの表面に何かが加わる意から、累加・つながり・成行きなどの意などの意を示すようになった、

とある(岩波古語辞典)。「うえ」で触れたように、

「う」+接尾語「へ」

という説は、上代特殊仮名遣いからみて、

接尾語「へ」は、「fe」(甲類)、「うへ」の「へ」は「fë」(乙類)、

で、接尾語説は採りえない。となると、

上の原語ウに接尾語ラを添えたもの、

は成り立たず、

うわ→うら→うれ、

と見るほかないのかもしれない。なお、

上の方の枝、

の意で、

上つ枝、

とも当てる、

ほつえ(秀つ枝)、

については触れたし、

裏、
心、

と当てる、

うら

についても触れた。

「末」.gif

(「末」 https://kakijun.jp/page/0576200.htmlより)

「末」(漢音バツ、呉音マツ・マチ)は、「末摘花」で触れたように、

指事。木のこずえのはしを、一印または・印で示したもので、木の細く小さい部分のこと、

とある(漢字源)。別に、

指事。「木」の上端部分に印を加えたもの「すえ」「こずえ」を意味する漢語{末 /*maat/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%AB

指事文字です。「大地を覆う木」の象形に「横線」を加えて、「物の先端・すえ・末端」を意味する「末」という漢字が成り立ちました

ともhttps://okjiten.jp/kanji698.htmlある。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2024年08月24日

みあれ


いにしへのあふひと人は咎むともなほそのかみのけふぞ忘れぬ(実方朝臣)、

の、詞書に、

はやう物申しける女に、枯れたる葵をみあれの日つかはしける、

とある、

葵、

は、

賀茂葵、

を指し、

みあれの日、

は、

賀茂祭(陰暦四月中の酉の日)の前に神招(お)ぎの神事が行われる中の午の日、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

賀茂神社、

は、

山城国の一宮、

の、

賀茂別雷神社(上賀茂社)と賀茂御祖神社(下賀茂社)、

の総称としていう(仝上)。賀茂祭については、「齋院」、「返さの日」で触れた。

みあれ、

は、

御生、
御阿礼、

と当て、一般には、

神または貴人が誕生・降臨する、

意だが、

御生、

は、

賀茂の御生(みあれ)、
御阿礼祭、

ともいい、

上賀茂神社で、葵祭の前三日、すなわち四月の中の午の日(現在は五月十二日)の夜に、行われる祭、

で、

阿礼と称する榊に神移しの神事をいとなむ、

とある(広辞苑)。

中の午の日、

とは、

中、

は、

2回目の申の日、

の意で、ひと月に午の日は2~3回あり、

1回目が「初」、2回目が「中」、3回目が「晩」、

とよぶhttps://www.city.minamisoma.lg.jp/portal/sections/61/6150/61503/study/1/nomaoi/25431.html

上賀茂御生祭.jpg

(上賀茂御生祭(都年中行事画帖) https://lapis.nichibun.ac.jp/gyouji/gyouji_52.htmlより)

この、旧暦4月の中の午の日に、賀茂別雷(かもわけいかずち 上賀茂)神社で行われる、

御阿礼神事(みあれしんじ)、

は、古来の、

御阿礼木に祭神別雷神を移す、

という(岩波古語辞典)、

神迎えの神事、

で、

神社の北西約880mの御生野(みあれの)という所に祭場を設け、ここで割幣をつけた榊に神を移す神事を行い、これを本社に迎える祭り、

であり、

祭場には、720cm四方を松、檜、賢木(さかき)などの常緑樹で囲んだ、特殊の神籬(ひもろぎ)を設け、その前には円錐形の立砂一対を盛る。この神籬前庭では修祓(しゆばつ)ののち奉幣行事を行い、葵桂を挿頭(かざし)にし、饗饌の儀(献の式)をして、手水をつかい、灯火を消し、矢刀禰(やとね 神職)5員がそれぞれ榊をもって立砂を3周し、神移しを行う。これを本社に捧持する。本社では、開扉して葵桂を献じ、祝詞を奏して閉扉する、

と、

神の出現・再現を感受しようとする神事、

であるが、賀茂御祖(かもみおや 下賀茂)神社では、

御蔭祭(みかげまつり)、

と称する神迎えの神事がある(世界大百科事典)。

御蔭祭(みかげまつり)、

は、

比叡山麓の御蔭神社から神霊を本社に移す神事、

で、

下賀茂神社で、葵祭の三日前、四月の午の日の昼(現在は五月十二日)に、神職・氏子などが神輿に供奉して摂社御蔭神社に参向し、神体を迎えて本社に還る祭儀、

で(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

下鴨神社境内の「糺(ただす)の森」で、神に捧げる舞楽「東游(あずまあそび)」を奉納、

するhttps://www.asahi.com/articles/ASR5D764QR5DPLZB005.html

上賀茂神社(賀茂別雷神社).jpg

(通称「上賀茂神社」(賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)・楼門)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%88%A5%E9%9B%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BEより)

みあれ、

の、

ミは接頭語、アレは出現の意、祭神の出現・降誕の縁となる物、

の意から転じて、

奉幣、

の意とある(岩波古語辞典)。

御生、

と当てるのは、

祭神、別雷神(ワケイカヅチ)命の生(ア)れましし日の義なりと云ふ、

という説もあるが、

據る所なし、

とか(大言海)。

斎宮(齋院)、

の異称を、

阿礼少女(あれをとめ)、

という(大言海)が、

あれをとめ、

は、

あれつくをとめの中略、

で、

奉仕女、

の意とする(仝上)。

あれつく、

は、

在得附(ありえつ)くの約(かかりあふ、かからふ)、ありつくの意なるべし、

とあり、

居つく、住みつく、落ち着く、

の意とする(仝上)。

なお、

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)、

は、京都市北区上賀茂本山にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。この地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称される、

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%88%A5%E9%9B%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE)

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2024年08月23日

泔坏(ゆするつき)


絶えぬるか影だに見えば問ふべきに形見の水は水草ゐにけり(右大将道綱母)、

の詞書に、

入道摂政久しくまうで来ざりける頃、鬢(びん)搔きて出で侍りける泔坏(ゆするつき)の水入れながら侍りけるを見て、

とある、

泔坏、

の、

泔、

は、

洗髪に用いた、強飯(こわいい)を蒸したあとの、粘った湯、

で、

泔坏、

は、それを入れる容器とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。なお、歌の、

形見の水、

は、具体的には、

泔杯の水、

を指し、

水草ゐにけり、

は、蜻蛉日記に、

出でし日使ひし泔坏の水はさながらありけり。上に塵ゐてあり、

とあり、

塵が浮き、かびの類が発生していたのか、

と注釈している(仝上)。なお、古歌に、

わが門の板井の清水里遠み人し汲まねば水草生ひにけり(古今集)、

とある(仝上)とある。

泔坏(類聚雑要抄).jpg

(泔坏(類聚雑要抄)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%94%E5%9D%8Fより)

泔坏、

は、色葉字類抄(1177~81)に、

泔器、ゆするつき、

とあるように、要するに、

鬢(びん)かき水を入れる、蓋つきの茶碗状の器、

をいい、

びんだらひ、

で(大言海)、古くは、

土器、

後に、

漆器・銀器、

を用い(広辞苑)、

蓋、臺あり、

とある(大言海)。

蓋付茶碗のような形、

で(岩波古語辞典)、

茶托状の台に載せ、さらに五葉の大きな台に載せる。平安時代以来もちいた(広辞苑)とある。

台、

は、

尻、

ともいわれ、周縁は2分高く、小文唐錦を敷き、5本の足があり、高さは7寸5分、金物を打ちつけ、5箇所で緒を総角(あげまき)に結び垂らし、足の下も環になっている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%94%E5%9D%8F。上記に、

洗髪に用いた、強飯(こわいい)を蒸したあとの、粘った湯、

とあるのは、

髪を洗いくしけずるのに用いる水、

に、昔は、洗髪用に、

強飯を蒸した後の、粘り気のある湯がつかわれた、

とも(岩波古語辞典)、

米のとぎ汁を用いた、

とも(漢字源)あるためである。で、

頭髪を洗うこと、

を、

風に櫛(かしらけず)り雨に沐(ゆするたみ)する(欽明紀)、

と、

泔浴(ゆするあみ)、

という(広辞苑)。

泔坏(江戸時代).jpg


ゆする(泔)、

は、

よき男の日暮てゆするし……顔などつくろひて出る(徒然草)、

と、

頭髪を洗い、くしけずること、またその用水、

をいい(岩波古語辞典)、

びんみづ、

ともいう(大言海)が、字鏡(平安後期頃)に、

粕、由須留、

潘、湯、淅米汁也、以可沐頭、由須留、

とあるなど、

米を研いだときにでる白い汁、

とのつながりが深いことがわかり、

ゆする、

の由来も、

湯汁の轉か、強飯(こはいひ)を蒸し作れる後の湯、此粘ある湯を、泔汁(ゆするしる)と云ひて、泔坏に貯へ、櫛を浸して梳(けず)るなり(大言海)、
湯スルの義(和訓栞)、
米をゆすいだ汁であるところからか(日本語源=賀茂百樹)、

など、

湯、

と、

米汁、

とのかかわりを思わせる説が多い。

泔坏(ゆするつき)に入れる水は、

白水(しろみず)、

といい、

白水は、性、冷たいもので、これを櫛につけて髪をけづると、人の血気を下げる効用があるとされた、

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%94%E5%9D%8F)。

「泔」.gif


「泔」(カン)は、

会意兼形声。「水+音符甘(中に含む)」、

で、「米のとぎ汁」の意である。和語では、

ゆする、

と訓ませるが、

髪を洗いくしけずること、また、それに用いる水、

を指すが、昔は、

米のとぎ汁を用いた、

とある(漢字源)。

「坏」.gif


「坏」(①漢音ハイ・呉音ヘ、②漢音ヒ、呉音ビ)は、

会意兼形声。不は、ふくれたつぼみ(菩・芣)を描いた象形文字。坏は「土+音符不」で、ふくれた盛り土やふくれた土器のこと。否・咅が不の異字体だから、坏・培はほとんど同義に用いる、

とある(漢字源)。「高坏」「さかづき」などのふっくらと腹を太めに焼いた土器、「一杯」は「両手いっぱいにふっくらと盛った量」をいい、この意味の音が①、②は、盛り土(培(ホウ)・邳(ヒ))の意の場合の音、とある(漢字源)。

なお、「さかづき」に当てる漢字については「勸酒」で触れた。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年08月22日

水脈(みお)


天の川雲の水脈(みを)にて早ければ光とどめず月ぞ流るる(古今和歌集)、

の、

水脈、

は、

水の流れる道筋、天の川を雲でできた川とみる。天の川を「川」という名前に引っ掛けて、水の流れに見立てる、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

澪標(みをつくし)」で触れたように、

みを、

は、

澪、
水脈、
水尾、

と当て、

三輪山の山下(やました)響(とよ)みゆく水の水尾(みを)し絶えずは後(のち)も吾が妻(万葉集)、

と、

海や川の中で、水の流れる筋、

をいうが、特に、

堀江よりみを(水脈)さかのぼる楫(かぢ)の音の間なくぞ奈良は恋しかりける(万葉集)、

と、

船の航行できる深い水路、

をいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

みを、

は、訛って、

みよ、

ともいい、その由来は、

ミ(水)ヲ(緒)の意(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
水緒(ミヲ)にて、流れの筋の意か、或は云ふ水尾の義、尾は引き延べたるを云ふ、山の尾の如し、澪は、水零の合字(大言海)、
ミズヲ(水尾)の義(名語記・名言通・国語の語根とその分類=大島正健)、

と、

水路、

の意味のようである。そこから敷衍して、現代では、

航行する船が背後にのこす長い帯のような航跡(ミオ)を辿るように(死霊)、

と、

航路あとに出来る水の筋、
航跡、

の意でも使う(広辞苑)。

「脈」.gif


「脈」(漢音バク、呉音ミャク)は、

会意兼形声。𠂢は、水流の細く分かれてつうじるさま。脈はそれを音符とし、肉を加えた字で、細く分かれて通じる血管、

とあり(漢字源)、

会意兼形声文字です。「切った肉」の象形と「水流が分かれている」象形(「体内を流れる血筋」の意味)から「ミャク」を意味する「脈」という漢字が成り立ちました、

https://okjiten.jp/kanji278.html同趣旨だが、

形声。血または肉と、音符𠂢(ハイ)→(バク)とから成る。体内を流れる血筋、ひいて「みゃく」の意を表す、

と(角川新字源)、形声文字とする説もある。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年08月21日

わくらばに


大井川ゐせきの水のわくらばに今日は頼めしくれにやはあらぬ(新古今和歌集)、

の、

いせき、

は、

井堰、

と当て、

川の流れをせき止める所、

で、

くれにやはあらぬ、

の、

くれ、

は、

「暮れ」と「榑」(皮付きの材木。「大井川」の縁語)の掛詞。「やは」は反語の係助詞、

とあり(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、

わくらばに、

は、

たまたま、

で、

「水の湧く」からつづけていう、

とある(仝上)。

わくらばに、

は、

邂逅に、

と当て、後世、

わくらは、

ともいい(デジタル大辞泉)、

人となることは難きをわくらばになれる我(あ)が身は(万葉集)、

と、

たまさかに、
たまたま、
偶然、

の意とある(広辞苑)。

有美一人、清揚婉兮、邂逅相遇、適我願兮(鄭風)

と、

邂逅(カイコウ)、

は、漢語であり(字源)、

思いがけなくめぐり合う、
期せずして出会う、

意で、

邂后、

とも当てる(漢辞海)。和語では、万葉集序文に、

今以邂逅相遇貴客、

とあるが、霊異記に、

太万左加爾、

とあり、類聚名義抄(11~12世紀)に、

邂逅、タマサカ、

とあるなど、

たまさか(に)、

と訓まれていたらしい(精選版日本国語大辞典)。その流れで、

わくらば、

に、

邂逅、

と当てたと思われるが、

わくらば、

は、

別くる計(ばかり)、人多き中を云ふ、

とある(大言海)ように、

動詞ワク(別)に接尾語ラ・マがついてできた語(角川古語大辞典)、
分クル・マ(間・所・時)からの転音か(小学館古語大辞典)、
ワクはワカレ(別)の転、ハはヒサ(久)の反(名語記)、
ワカルルマヒサ(別間久)の約(和訓栞)、
ワキウルアフサ(別得逢)の約(国語本義)、

等々と、

別れ、

と関係づける説が多いが、ふつう、

わくらば、

というと、

病気に侵された葉、また、色づきすがれ(末枯れ)た葉、

の意の、

病葉、

と当てる言葉を思いつくが、その、

病葉、

の由来が、

別(わく)る葉の義、

とする説(大言海)があり、

常盤木の中に、たまたま変葉あるを云い、それよりたまたまあることに移して用いたり、

と、

病葉→邂逅、

と転用したとする説(仝上・本朝辞源=宇田甘冥)は、「別れ」から付会する説に比べて自然に思え、意外とあり得る気がするのだが。

「邂」.gif


「邂」(漢音カイ、呉音ゲ)は、

会意兼形声。「辵+音符解(とける)」、

とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%82%82)。

「逅」.gif



「遘」 金文・殷.png

(「遘」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%98より)

「逅」(漢音コウ、呉音グ)は、

形声。「辵+音符后」、

とあるが(漢字源)、

異字体は、

遘󠄁

とあり、

邂逅、

は、

邂遘󠄁、

とも表記し(漢字源)、

形声。「辵」+音符「冓 /*KO/」。「出会う」を意味する漢語{遘 /*k(r)oos/}を表す字。もと「冓」が{遘}を表す字であったが、「辵」を加えた、

としているhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%98

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2024年08月20日

方違へ


蝉の羽の夜の衣は薄けれど移り香濃くもにほひぬるかな(古今和歌集)、

の詞書(ことばがき)

に、

方違へに人の家にまかれりける時に、主の衣を着せたりけるを、あしたに返すとてよみける、

の、

方違(かたたが)へ、

は、

陰陽道による方角の禁忌、

で、

外出時に、天一神(なかがみ)の巡行の方角とぶつからないよう、人の家に泊まり方角を変えてから出かけること、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

方違へ、

のために宿泊する家を、

忍び忍びの御方違所はあまたありぬべけれども、久しくほど経て渡りたまへるに(源氏物語)

と、

方違所(かたたがへどころ)、

という(岩波古語辞典)。なお、中世には、

前日にその方向へ仮に出発してすぐ戻り、当日その方向へ再出発するという説も行われた、

とある(仝上)。

天一神(なかがみ)、

は、

中神、

とも当て、

ながかみ、

とも訓ませ、

天一、

ともいい、

陰陽道(おんみょうどう・おんようどう・いんようどう)で、八方を運行し、吉凶禍福をつかさどるとされる方角神の一つ、

とされ(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、また、

暦神の名、
十二神将の主将、
地星の霊、

ともいい(広辞苑)、

己酉(つちのととり)の日に天から下り、東西南北の四方にそれぞれ五日、北東、南東、南西、北西の四方にそれぞれ六日ずつ滞在する。計44日、癸巳(みずのとみ)の日に正北から天に上り、天上にいること16日、己酉の日に再び地上に下る、

という(仝上・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。この神が天に在る間を、

天一天上、

といい、

下って地上にいる方角を、

ふたがり、

といい、

その通路に当たる者には祟りをする、

といわれ、この方角に向かって事をすることを忌み、その日他出するときは、方違えをすることになる(仝上)。こ
の信仰は平安時代に最も流行したという。なお、

方違へ、

の、

方忌(かたいみ)、

の根拠には、

生年の干支である本命から個人的に凶方を割り出し、これを避けるもの、

と、

天一神(なかがみ)、太白神、金神、王相、八将神、土公神などの諸神が遊行する方角や鬼門を忌む人々に共通のもの、

とがある。前者は貞観七年(865)8月21日に、

清和天皇が東宮より内裏に移ろうとしたとき、天皇の本命が庚午で、東宮より内裏の方向である乾は絶命に当たるゆえ避けらるべきことを陰陽寮が上奏し、このためいったん太政官曹司庁に入っている、

のが初例とされている(世界大百科事典)。しかしその後は、後者の遊行神の方忌による方が普通となったようで、天一神忌は860年ころにはじまっている(仝上)。

なお、天一神の遊行の詳細については、「天一天上と塞がり」(https://koyomi8.com/doc/mlwa/201112190.htmlに詳しい。

「方」.gif

(「方」 https://kakijun.jp/page/0458200.htmlより)

「方」(ホウ)は、「方人」で触れたように、

象形、左右に柄の張り出た鋤を描いたもので、⇆のように左右に直線状に伸びる意を含み、東←→西、南←→北のような方向の意となる。また、方向や筋道のことから、方法の意が生じた、

とある(漢字源)が、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)は、

舟をつなぐ様、

とし、

死体をつるした様、

とする説(白川静)もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%B9。ために、

象形。二艘(そう)の舟の舳先(へさき 舟の先の部分)をつないだ形にかたどる。借りて、「ならべる」「かた」「くらべる」などの意に用いる(角川新字源)、

象形文字です。「両方に突き出た柄のある農具:すきの象形」で人と並んで耕す事から「ならぶ」、「かたわら」を意味する「方」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji379.html

ともある。

「違」.gif

(「違」 https://kakijun.jp/page/1338200.htmlより)

「違」(イ)は、

会意兼形声。韋は、物を表す口印を中心にして、左右の足が逆向きにあるさまを示す会意文字。違は「辶+音符韋」で、←→型に行き違いになること、

とあり(漢字源)、また、

会意兼形声文字です(辶(辵)+韋)。「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」の意味)と「ステップの方向が違う足の象形と場所を示す文字」(別方向に歩むさまから、「そむく」の意味)から、「そむき離れる」、「ちがう」を意味する「違」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1133.html

会意形声。辵と、韋(ヰ)(くいちがう)とから成る(角川新字源)、

ともあるが、

形声。「辵」+音符「韋 /*WƏJ/」。「たがう」「さからう」を意味する漢語{違 /*wəj/}を表す字、

(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%95、形声文字とする説もある。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2024年08月19日

門(と)


わが上に露ぞ置くなる天の川門(と)渡る舟の櫂(かい)のしづくか(古今和歌集)、

の、

と、

は、

川や海が陸地に狭められて細くなっている所、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

と、

は、

戸、
門、

と当て、

ノミト(喉)・セト(瀬戸)・ミナト(港)のトに同じ、両側から迫っている狭い通路、また入口を狭くし、ふさいで内と外を隔てるもの、

とある(岩波古語辞典)。

己(おの)が命(を)を盗み死せむと後(しり)つ斗(ト)よい行き違(たが)ひ前つ斗(ト)よい行き違ひ(古事記)、

と、

出入り口、

の意で、

由良の斗(ト)の斗(ト)中の海石(いくり)に振れ立つ漬(なづ)の木のさやさや(古事記)、

と、

水の出入り口、

の意で(岩波古語辞典・広辞苑)、多く、

門、

を当て(精選版日本国語大辞典)、

河口や海などの、両岸が狭くなっている所、水流が出入りする所、

をいい、

瀬戸、
川門(かわと)、
水門(みと)、

という言い方もする。さらに、具体的に、

門(かど)立てて戸は閉(さ)したれど盗人の穿(ほ)れる穴より入りて見えけむ(万葉集)

と、

出入り口、窓に取りつけて開閉できるようにしたもの、

つまり、

扉、
戸、

の意でも使う。その語源は、

トムル(止)の義(国語本義)、
トヅル(閉)の義(箋注和名抄・日本語源=賀茂百樹)、
トホル(通)の義(日本釈名・名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、
トホリグチ(通口)の下略(日本語原学=林甕臣)、
戸を建てれば殿となるところから、トノ(殿)の反(名語記)、

等々あるが、どうも、

通る道、

の意と、

閉ざす、

とに分かれている気がする。上述の、

両側から迫っている狭い通路、

また、

入口を狭くし、ふさいで内と外を隔てるもの、

とある(岩波古語辞典)のも、その意味でとらえると、漢字に当てるまでは、いずれも、

ト、

で、文字を持たず、状況依存型の言語である限り、しゃべっている当人(同士)には、何れのことを言っているのかがわかっていたはずである。その意味で、大言海が、

戸、

と当てる

ト、

と、

門、

と当てる、

ト、

を、別項に改めているのは見識なのではないか。

前者は、更に二つに分け、

處の義と云ふ、

として、

家の出入り口、

の意とし、和名類聚抄(931~38年)の、

戸、度、

を引き、いまひつ、

戸、

と当てる、

ト、

は、

止むる、又閉づる義、(日本)釈名「戸、所以謹護閉塞也、左伝、官公十二年、注「戸、止也」、

とし、

門、出入口、窓等に閉(た)て塞ぐもの、

の意とし、和名類聚抄の、

在城郭曰門、在屋堂曰戸、

を引く。

後者は、

自那良遇跛盲、自大坂戸、亦遇跛盲(古事記)、

と、

門(かど)、
出入りの口、

の意や、

由良の門(と)をわたる舟人楫をたえ行へも知らぬ恋の道かな(新古今和歌集)、

と、

海に出入りする戸口、
また、
水流の出入する處、

とし、

瀬戸、
水門(みと)、
水門(みなと)、
川門(かわと)、

の意で使うとする。

「戸」.gif

(「戸」 https://kakijun.jp/page/0452200.htmlより)

「戸」 甲骨文字・殷.png

(「戸」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%B8より)

「戸」(漢音コ、呉音グ・ゴ)は、

象形。門は二枚扉の門を描いた象形文字。戸は、その左半分をとり、一枚扉の入口を描いたもので、かってに出入りしないようにふせぐ扉、

とある(漢字源)。

象形。門の片一方のとびらの形にかたどり、「と」、ひいて、戸口・小屋の意を表す(角川新字源)、

ともある。

「門」.gif

(「門」 https://kakijun.jp/page/mon200.htmlより)


「門」 甲骨文字・殷.png

(「門」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%96%80より)

「門」(漢音ボン、呉音モン)は、「押立門」で触れたように、

象形。左右二枚の扉を設けたもんの姿を描いたもので、やっと出入りできる程度に、狭く閉じている意を含む、

とある(漢字源)が、別に、

会意。回転して開閉する二つの戸(=戶。とびら)が向かい合って立っているさまにより、出入り口の意を表す、

ともある(角川新字源)。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年08月18日

鴫(しぎ)の羽掻(はがき)


心からしばしとつつむものからに鴫 の羽搔きつらき今朝かな(赤染衛門)

の、

鴫の羽搔き、

は、

鴫が羽ばたく音、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)が、

鴫の羽掻、

は、

鴫がしばしば嘴で羽をしごくこと、

ともあり(広辞苑)、

物事の回数の多いことのたとえ、

として使われる(仝上)とある。

鴫の羽掻、

には、

鴫が羽虫をとろうとして、くちばしでしきりに羽をしごくこと、

の意と共に、別説に、

鴫が羽ばたくこと、

とあり(岩波古語辞典)、

回数の多いことのたとえ、

として使われる。たとえば、

暁の鴫の羽搔き百羽搔(ももはが)き君が来ぬ夜はわれぞ数かく(古今和歌集)、

と、夫大江匡衡に対し、赤染衛門の返歌は、

百羽搔きかくなる鴫の手もたゆくいかなる数をかかむとすらむ(仝上)、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)のをみると、

回数の多さ、

というなら、どうも、

羽を幾たびも嘴でかくこと、

という(広辞苑)よりも、

羽ばたき、

ではないか、という気がしないでもないのだが、

女の閨怨の譬え、

に多く用いるとある(精選版 日本国語大辞典)。となると、

鴫の羽掻(はがき)、

は、

鴫がしばしば嘴で羽をしごくこと、

なのかもしれない。語源から見ると、

繁(シゲ)の転、羽音の繁き意と云ふ(大言海)、
シゲ、羽音が繁々し(回数が多い)(日本語源広辞典)、

と、羽ばたきを採る説のほか、

羽をシゴクところから、シゴキの転か(名言通)、
ハシナガキ(嘴長)の義(和句解)、
サビシキの略(滑稽雑誌所引和訓義解)、

と、しごく説を採る。ただ語感からいうと、

しごく→しごき→しぎ、

と、

羽のしごきの多さからきているとも見え、一応、

しごく、

説に加担しておく。

しぎ」で触れたように、

「しぎ」は、

鴫、
鷸、

と当てる。

「鴫」.gif


「鴫」は、国字で、

会意文字。「田+鳥」

と(漢字源)、

田にいる鳥の意を表した字、

である(角川新字源)。

「鷸」.gif

(「鷸」 https://kakijun.jp/page/EA5A200.htmlより)

「鷸」(漢音イツ、呉音イチ)は、

会意兼形声。「鳥+音符矞(イツ はやく走る、すばやく避ける)」。鷸はそれを音符とし、鳥を加えた、

とある(漢字源)。「しぎ」の意だが、「カワセミ」の意も持つ(仝上)。

しぎ」で触れたことだが、

鷸蚌(いつぼう)之争、

という諺がある。鷸(しぎ)と蚌(はまぐり)が、くちばしと貝殻を互いに挟みあって争っているうちに、両方共漁師につかまった、という喩えである。戦国策に、

「趙且伐燕、蘇代為燕、謂恵王曰今日臣来過易水、蚌方出暴、而鷸喙其肉、蚌合而箝喙、鷸曰、今日不雨、明日不雨、即有死蚌、蚌亦謂鷸曰、今日不出、明日不出、即有死鷸、両者不肯相捨、漁者得而幷擒之、今趙且伐燕、燕趙久相支以敝大衆、臣恐強秦之為漁父也、恵王曰、善、乃止」

とある。漁夫の利である。

鷸蚌之弊(ついえ)、

ともいう。「しぎ」に関しては、

鴫の羽搔(はがき)、

のほかに、鴫が田や沢に立っているのを形容して、

鴫がじっと立っている姿を経を読んでいる様(さま)に見立てた、

鴫の看経(かんきん)、

は、

ひっそりと淋しいさまのたとえ、

で、一茶に、

立鴫とさし向かいたる仏哉、

という句があるらしいhttps://manyuraku.exblog.jp/10705489/。また、

鴫の羽返(はがえし)、

というと、

舞の手、さらに剣術・相撲の手、

のに使われている(広辞苑)。

タシギ.JPG


「しぎ」は、シギはシギ科に属する鳥の総称で我国では50種類以上もみられるそうだが、代表的には、イソシギ・タマシギ・アオアシシギ・アカアシシギ・ヤマシギなど、日本には旅鳥として渡来し、ふつう河原・海岸の干潟(ひがた)や河口に群棲する。古事記で、

宇陀の高城に鴫罠(しぎわな)張(は)る我が待つや鴫(しぎ)は障(さや)らずいすくはしくじら障(さや)る、

と歌われるほど馴染みの鳥で、食用にした。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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2024年08月17日

倭文機(しづはた)


蘆の屋のしづはた帯のかた結び心やすくもうちとくるかな(新古今和歌集)、

の、

しづはた帯、

は、奈良時代は、

しつはた、

で、

倭文(しつ 古くからの日本の織物)で織った帯、

の意(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

古(いにしへ)の倭文機帯を結び垂れ誰といふ人も君にはまさじ(万葉集)、

という歌があり、ここではこの語にそのような帯をしている賤の女のイメージを付加するか、

と注釈する(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

しづはた、

は、

倭文機、

と当て、

倭文を織る機、

の意と共に、

それで織った倭文、

の意もある(広辞苑)。また、

しつはたに乱れてぞ思ふ恋しさをたてぬきにして織れる我が身か(貫之集)、

と、

倭文機に、

で、倭文には、

乱れ模様が織り込まれているところから、

倭文の模様のように心などが乱れるさま、

のメタファとして、

「乱る」にかかり、

また、

倭文機に織る意で、

「綜(ふ)」と同音の「経(ふ)」にかかる(精選版日本国語大辞典)。

倭文(しづ)、

は、「倭文の苧環」で触れたように、

日本古来の織物の一つで、模様を織り出したもの、

で(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。奈良時代は、

ちはやぶる神のやしろに照る鏡しつに取り添へ乞ひ禱(の)みて我(あ)が待つ時に娘子(おとめ)らが夢(いめ)に告(つ)ぐらく(万葉集)、

と、

しつ、

と清音で、後にも、新古今和歌集でも、

それながら昔にもあらぬ秋風にいとどながめをしつのをだまき、

と、

しつ、

と、

詠われる。

倭文、

は、

古代の織物の一つ、

で、

穀(かじ)・麻などの緯(よこいと)を青・赤などで染め、乱れ模様に織ったもの(広辞苑)、
梶木(かじのき)、麻などの緯(よこいと)を青、赤などに染め、乱れ模様に織ったもの(精選版日本国語大辞典)、
栲(たへ)、麻、苧(からむし)等、其緯(ヌキ 横糸)を、青、赤などに染めて、乱れたるやうの文(あや)に織りなすものといふ(大言海)、
カジノキや麻などを赤や青の色に染め、縞や乱れ模様を織り出した日本古代の織物(デジタル大辞泉)、

等々とあり、多少の差はあるが、

上代、唐から輸入された織物ではなく、それ以前に行われていた織物、

を指している(岩波古語辞典)。で、

異国の文様、

に対する意で、

倭文、

の字を当てた(デジタル大辞泉)といい、

あやぬの(文布・綾布)、
しづはた(機)、
しづり(しつり)、
しづの、
しづぬの、
しとり(しどり)、
しづおり、

等々とも言う。

しづり(しずり)、

は、古くは、

しつり、

で、

しづおり(倭文織)、

の変化した語、

しどり、

は、古くは、

しとり、

で、やはり、

しつおり(倭文織)、

の変化した語、いずれも、

倭文、

と当てる。

しつぬの(倭文布)、

は、

しづぬの(倭文布)、

ともいい、

しづり、

ともいう(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・広辞苑)。

倭文、

は、

中国大陸から錦(にしき)の技法が導入されるまで、広く使われたわが国の在来織物で、『万葉集』『日本書紀』などによると、

帯、
手環(たまき 現在のブレスレット)、
鞍覆(くらおおい)、

等々、装飾的な部分に使われている(日本大百科全書)とあり、生産は物部(もののべ)氏のもとにある倭文部(しずりべ)であり、各地の倭文神社はその分布を伝える。『延喜主計式(えんぎしゅけいしき)』によると、

その生産地は駿河(するが)国と常陸(ひたち)国で、合計してわずか62端(長さ4丈2尺、幅2尺4寸、天平(てんぴょう)尺による)しか献納されておらず、用途は自然神(風・火など)の奉献物に使われている、

と(仝上)、特殊な用途になっていることがわかる。

しず、

の由来は、

沈むの語根、沈(しず)の義なりと云ふ、或は云ふ、線(すぢ)の転なりと(大言海)、
縞織の義か(筆の御霊)、
おもしの意のシズムル(鎮)の略(類聚名物考)、
糸をしずめて文様を織り出すところからシヅミ(沈)の略(名言通)、

等々あるが、織りとの関係でいうと、

しず(沈)、
か、
すじ(線)、

かと思うが、当初、

しつ、

だということを考えると、ちょっといずれも妥当とは思えない。

「倭」.gif

(「倭」 https://kakijun.jp/page/1016200.htmlより)

「倭」(①漢音呉音ワ、②漢音呉音イ)は、

会意兼形声。禾(カ)は、しなやかに穂をたれた低い粟の姿。委(イ)は、それに女を添え女性のなよなよした姿を示す。倭は「人+音符委」で、しなやかで丈が低く背の曲がった小人を表す、

とあり(漢字源)、また、

会意兼形声文字です(人+委)。「横から見た人」の象形(「人」の意味)と「穂先の垂れた稲の象形と両手をしなやかに重ねひざまずく女性の象形」(「なよやかな女性」の意味)から「従うさま」、「従順なさま」、「慎むさま」を意味する「倭」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2222.htmlが、

形声。「人」+音符「委 /*ɁOJ/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%80%AD

形声。人と、音符委(ヰ)とから成る。従順なさまの意を表す(角川新字源)、

は、形声文字とする。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年08月16日

たむけ草


逢ふことをけふ松が枝のたむけ草幾夜しをるる袖とかは知る(新古今和歌集)、

の、

たむけ草、

は、

幣帛、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

たむけ草、

は、

手向草、

とあて、

たむけぐさ、
たむけくさ、

と訓ませ、

くさ、

は、

種、料、

で(精選版日本国語大辞典)、

手向けにする品物、

の意だが、

旅人が行路の安全を祈るために神に供える、布・糸・木綿など、

をいう(広辞苑)とあるので、

ぬさ

で触れた、

竜田姫たむくる神のあればこそ秋の木の葉のぬさと散るらめ(古今和歌集)、
秋の山紅葉をぬさとたむくれば住むわれさへぞ旅心地する(仝上)、
神奈備の山を過ぎゆく秋なれば竜田川にぞぬさはたむくる(仝上)、

の、

幣、

と当てる、

ぬさ、

のことで、

布や帛を細かく切ったもので、旅人は、道の神の前でこれを撒くもの、

である(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

手向け、

は、下二段の動詞、

たむく(手向)、

の名詞だが、

手向く、

自体が、

来栖の小野の萩の花散らむ時にし行きてたむけむ(万葉集)、

と、

神仏や死者の霊に物を捧げる、

意があり、それが転じて、

と、

道中の安全を祈って峠の神に幣(ぬさ)をなどを供える、
旅立つ人に幣などを贈る、

意となり、

老いぬともまたも逢はんとゆく年に涙の玉をたむけつるかな(新古今和歌集)、

と、

旅立つひとにはなむけする、

意として使われるに至る。だから、その名詞、

手向け、

も、

ももたらず八十隈坂に手向(たむけ)せば過ぎにし人にけだし逢はむかも(万葉集)、

と、

神仏に幣(ぬさ)など供え物をすること、また、その供え物、

の意で、多く、旅人などが道の神に対して供える場合にいい(精選版日本国語大辞典)、

畏(かしこ)みと告らずありしをみ越路の多武気(タムケ)に立ちて妹が名告りつ(万葉集)、

と、

道の神に旅中の安全を祈るところ。特に、越えて行く山路の登りつめたところ、

の意で、だから、

峠(とうげ)、

は、手向け(たむけ)の転、

である。さらに、シフトして、

あだ人のたむけにをれる桜花逢ふ坂まではちらずもあらなむ(後撰和歌集)、

と、

旅立つ人へのはなむけ、餞別、

の意で使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

たむけぐさ、

の意となる、

ぬさ

は、

麻・木綿・帛または紙などでつくって、神に祈る時に供え、または祓(はらえ)にささげ持つもの、

の意で、

みてぐら、
にぎて、

ともいい、共に、

幣、

とも当てる。

ぬさ

は、

祈總(ねぎふさ)の約略なれと云ふ、總は麻なり、或は云ふ、抜麻(ぬきそ)の略轉かと(大言海)、

とあり、「ねぎふさ」に、

祈總(ねぎふさ)を当てるもの(国語の語根とその分類=大島正健・日本語源広辞典)、

抜麻(ねぎふさ)を当てるもの(雅言考)、

があり、「抜麻」を、

抜麻(ねぎあさ)と訓ませるもの(日本語源広辞典・河海抄・槻の落葉信濃漫録・名言通・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥)、

があり、その他、

ヌはなよらかに垂れる物の意。サはソ(麻)に通じる(神遊考)、
抜き出してささげる物の義(本朝辞源=宇田甘冥)、
ユウアサ(結麻)の略(関秘録)、

等々、その由来から、「ぬさ」が、元々、

神に祈る時に捧げる供え物、

の意であり、また、

祓(ハラエ)の料とするもの、

の意で、古くは、

麻・木綿(ユウ)などを用い、のちには織った布や帛(はく)も用い、或は紙に代えても用いた、

とあり(大言海・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉他)、

旅に出る時は、種々の絹布、麻、あるいは紙を四角に細かく切ってぬさぶくろに入れて持参し、道祖神の神前でまき散らしてたむけた、

とある(精選版日本国語大辞典)。後世、

紙を切って棒につけたものを用いるようになる、

とある(仝上)。ただ、

神に捧げる供物、

をいう、

ぬさ、

と、本来は、供物の意味をもたない、

しで(四手)、
みてぐら、

との混同が起こったと考えられている(精選版日本国語大辞典)。ただし、

ぬさ、

は、普通、

旅の途上で神に捧げる供物、

をいうのに対して、

みてぐら、

は必ずしも旅に関係しないという傾向が見られる(仝上)。

神に祈る時にささげる供え物、

である、

ぬさ、

は、

麻・木綿(ゆう)・紙、

等々で作り、後には、

織った布や帛(はく)、

も用いたが、旅に出る時は、

種々の絹布、麻、あるいは紙を四角に細かく切ってぬさぶくろに入れて持参し、道祖神の神前でまき散らしてたむけた、

とある(仝上)。このため、

みちの国の守平のこれみつの朝臣のくだるに、ぬさのすはまの鶴のはねにかける(貫之集)、

と、「ぬさ」は、

旅立ちの時のおくりもの、
餞別、
はなむけ、

の意ともなる(仝上)。

手向の神(たむけのかみ)、

は、

礪波(となみ)山多牟気能可味(タムケノカミ)に幣(ぬさ)奉り吾が乞ひ祈(の)まく(万葉集)、

と、

旅人が幣(ぬさ)などを手向けて道中の安全を祈る神、

をいい、

山の峠や坂の上などにまつってある神、
道祖神、
たむけの道の神、
たむけの山の神、
たむけ、

を言う(精選版日本国語大辞典)が、

ぬさ」で触れたように、

道の神、

つまり、

道祖神、

のことで、

さえの神、

とも、訛って、

道陸神(どうろくじん)、

ともいい、

世のいはゆる道陸神(どうろくじん)と申すは、道祖神とも又は祖神とも云へり。(中略)和歌にはちぶりの神などよめり(百物語評判)、

と、

ちぶりの神、

ともいう、

旅の安全を守る神、

であり、

行く今日も帰らぬ時も玉鉾のちぶりの神を祈れとぞ思ふ(鎌倉時代の歌学書『袖中抄(しゅうちゅうしょう)』)、

とある。

「手」.gif

(「手」 https://kakijun.jp/page/0453200.htmlより)

「手」 金文・西周.png

(「手」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%8B

「手」(漢音シュウ、呉音ス・シュ)は、

象形。五本の指のある手首を描いたもの、

とある(漢字源)。ただ、

象形。五本指のある手を象る。「て」を意味する漢語{手/*hluʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%8B)

象形。手のひらを開いた形にかたどり、「て」、また、手に取る意を表す(角川新字源)、

象形文字です。「5本の指のある手」の象形からhttps://okjiten.jp/kanji2862.html

と微妙な差がある気がする。

「向」.gif

(「向」 https://kakijun.jp/page/0647200.htmlより)

背向(そがい)」で触れたように、「向」(漢音コウ、呉音キョウ)は、

会意。「宀(屋根)+口(あな)」で、家屋の北壁にあけた通気口を示す。通風窓から空気が出ていくように、気体や物がある方向に進行すること、

とある(漢字源)。別に、

会意。「宀」(屋根)+「口」(窓 又は 窓に供えた神器)、

ともありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%91、さらに、

象形文字です。「家の北側に付いている窓」の象形から「たかまど」を意味する「向」という漢字が成り立ちました。「卿(キョウ)」に通じ、「むく」という意味も表すようになりました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji487.html

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2024年08月15日

引折(ひきをり)


ためしあればながめはそれと知りながらおぼつかなきは心なりけり(新古今和歌集)、

の、

ためし、

は、在原業平 が、女車に対して、

見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなくけふやながめくらさむ(古今集・伊勢物語・大和物語)、

と詠み入れた例をさす(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

冒頭の歌の詞書に、

前大納言隆房中将に侍りける時、右近馬場の引折(ひきをり)の日まかれりけるに、物見侍りける女車よりつかはしける、

とある、

右近馬場の引折の日、

とは、

右近衛府の舎人(とねり)が馬場で競馬・騎射をする五月六日、

をいい、ここでは治承四年(1180)のこと(仝上)とある。天皇が武徳殿に臨幸して衛府の官人の騎射を御覧になるのが例であり、これを、

騎射の節、

ともよぶ(日本大百科全書)。騎射に先だつ4月28日(小の月は27日)には、天皇が櫪飼(いたがい)(馬寮(めりょう)の厩(うまや)で飼養)・国飼(諸国の牧から貢進)の馬を武徳殿で閲する、

駒牽(こまひき)の儀、

がある(仝上)。

引折、

は、平安時代、

近衛の馬場で騎射(うまゆみ)の真手番(まてつがい)を行うこと、

をいい、

左近衛は五月五日、右近衛は五月六日、

を、

引折の日、

という(広辞苑)。

真手番、

は、

真手結、

とも当て、

手番(てつがひ)、
手結(てつがひ)、

ともいい、

つがい、

は、

手は射手、結は番(つがう)(2人を組み合わせる)、

意で(世界大百科事典・大言海)、平安時代、

射礼(じゃらい)・賭射(のりゆみ)・騎射(うまゆみ)などの行事で、競技者を左右二組に分け、一人ずつ組み合わせて、射技の優劣を競わせること、

をいい、当日の競技を、

真手結(真手番 まてつがい)、

前日に行う練武を、

荒手結(荒手番)、

という(広辞苑)。

真手結(真手番)、
荒手結(荒手番)、

の、

真、

は、

真正に厳密(オゴソカ)にする、

意で、

荒、

は、

粗(アラ)、

で、

真に対して軽い、

意で、

真忌(まいみ)、
荒忌(あらいみ)、

という言い方と同例(大言海)とある。

射礼(じゃらい)、

は、

大射、

ともいい、古代、

正月十七日に建礼門前で行われた弓射の行事、

をいい、これより先に、

十五日に兵部省で親王以下五位異状よび六衛府の者から射手を選出する手番(てつがい)を行い、当日は天皇が豊樂(ふらく)院で観覧、終了後に、能射の者に禄を給した、

という(広辞苑)。

代の始には、豊楽にてあり(公事根源)、

とある。

賭射(のりゆみ)、

は、平安時代の宮中年中行事の一つ、

で、

錢を賭物(のりもの)にして、射中てたるもの、

とあり(大言海)、

射礼、

の翌日、一般に正月十八日、

天皇が弓場殿(ゆばどの)で、左右の近衛府・兵衛府の舎人らが弓を射る競技を観覧した。勝った方には、

大将、射手に還饗(かへりあるじ 饗応)あり、

とあり、負けた方には、

罰杯(罰酒)を課した、

という(仝上・広辞苑)。

騎射、

は、

馬弓術(ウマユミ)の義、

で、色葉字類抄(平安末期)に、

騎射、マユミ、

とあり、

騎射、
馬射、

を、

まゆみ、

と訓ませ、

馬弓、
馬射、

とも当て、

うまゆみ、

ともいい、

歩弓(かちゆみ)
歩射(ぶしゃ)、

に対する言葉で、

馬上で行う弓矢の競技、

をいい、宮廷では、

武徳殿前にて、端午の節会(せちえ)に行う近衛の武官の騎射、

をいい、武家では、

流鏑馬(やぶさめ)・笠懸(かさがけ)・犬追物(いぬおうもの)、

の、

騎射三物 (みつもの)、

が、武芸の修練を兼ねた遊びとして盛んに行われた(仝上・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。和名類聚抄(931~38年)に、

騎射、宇末由美、
歩射、加知由美、

とある。

騎射三物(きしゃみつもの)、

は、「流鏑馬」で触れたように、

武士の騎射稽古法は、平安時代〜鎌倉時代に成立し、

犬追物、
笠懸、
流鏑馬、

の三種を指す。

笠懸.jpg


笠懸(かさがけ)、

は、

疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を放ち的を射る、

騎射の技術・鍛錬法のことで、流鏑馬と比較して笠懸はより実戦的で標的も多彩であるため技術的な難度が高いが、格式としては流鏑馬より略式となり、余興的意味合いが強い(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E6%87%B8)とある。

犬追物.jpg


犬追物(いぬおうもの)、

は、鎌倉時代から始まったとされる日本の弓術の作法・鍛錬法で、

40間(約73m)四方の馬場に、1組12騎として3組、計36騎の騎手、検分者(審判)を2騎、喚次役(呼び出し)を2騎用意し、犬150匹を離しその犬を追いかけ何匹射たかを競う。矢が貫かないよう「犬射引目」(いぬうちひきめ)という特殊な鏑矢を使用した。

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E8%BF%BD%E7%89%A9)

流鏑馬.jpg

(流鏑馬の射手の狩装束(流鏑馬絵巻』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E9%8F%91%E9%A6%ACより)

流鏑馬(やぶさめ)は、

日本の古式弓馬術で、行われた騎射の一種、馬術と弓術を組み合わせたもの、

であり、

距離2町(約218m)の直線馬場に、騎手の進行方向左手に3つの的を用意する。騎手は馬を全力疾走させながら3つの的を連続して射抜く、

ものであるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E9%8F%91%E9%A6%AC

「引」.gif

(「引」 https://kakijun.jp/page/0449200.htmlより)

「引」 金文・西周.png

(「引」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%95より)

「引」(イン)は、

会意文字。「弓+|印」で、|印は直線状に↓と引くさまを示す、

とある(漢字源)。別に、

会意。「弓」と、それに添えられた弓を引くことを連想させる短い筆画から構成される[字源 1]。「ひく」を意味する漢語{引 /*linʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%95)

会意。弓と、丨(こん)(ひっぱる)とから成り、弓をひく、ひいて「ひく」意を表す(角川新字源)、

とあるが、

指事文字です。「ゆみ」の象形に縦線を添え、ひいて張り伸ばした弓を示し、そこから、「ひく」を意味する「引」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji246.html

と、指事文字とする説もある。

「折」.gif



「折」(漢音セツ、呉音セチ)は、「壺折」で触れたように、

会意。「木を二つに切ったさま+斤(おの)」で、ざくんと中断すること、

とある(漢字源)。別に、

斤と、木が切れたさまを示す象形、

で、扌は誤り伝わった形とある(角川新字源)。また、

会意文字です(扌+斤)。「ばらばらになった草・木」の象形と「曲がった柄の先に刃をつけた手斧」の象形から、草・木をばらばらに「おる」を意味する「折」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji670.html

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2024年08月14日

たく縄


うちはへて苦しきものは人目のみしのぶの浦の海人のたく縄(新古今和歌集)、

の、

たく縄、

は、

楮(こうぞ)の樹皮で作った縄、

をいう(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

うちはへて、

は、

長く、
引き続いて、

の意で、

たく縄の縁語、

とあり、

苦しき、

は、

たく縄の縁語「繰る」を掛ける、

とある(仝上)。

はへて、

は、

みしぶ(水渋)つき植ゑし山田にひたはへてまた袖濡らす秋は來にけり(新古今和歌集)、

と使われ、この、

ひた、

は、

引板

で、

鳴子、

の意(仝上)、

はへて、

は、たぶん、

延へて、

とあて、

(引板の縄を)引いて延ばして、

の意(仝上)となる。

うち、

は、「打ち」で触れたように、接頭語として、動詞に冠して、

打ち見る、

のように、

瞬間的な動作であることを示す、

使い方の他に、多く、

打ち興ずる、
打ち続く、

のように、

その意を強め、またはその音調を整える、

という使い方をする(広辞苑)。この、

うちはへて、

は、

引き延ばす、

意を強調している。

たく縄、

は、

栲縄、

と当て、後世、

たぐなわ、

とも訓ませ、

楮(こうぞ)などの皮でより合わせた縄、

をいい、

海女(あま)が海中にはいる際の命綱などとして用いた、

とある(精選版日本国語大辞典)。

以千尋栲縄(たくなは)、結為百八十紉(神代紀)、

とあるように、

栲を綯へる縄、

である(大言海)。また、

栲縄の、

は、

栲縄(たくなは)の長き命を欲(ほ)りしくは絶えずて人を見まく欲(ほ)りこそ(万葉集)、
地(つち)の下(した)は、底津石根(そこついはね)に焼き凝らして、栲縄(タクナハ)の千尋縄(ちいろのなは)の打ち莚(むしろ)し(古事記)、

などと、

なが(長)、
ちひろ(千尋)、

に掛かる枕詞である(広辞苑)。

「栲」.gif


「栲」(コウ)は、

会意兼形声。「木+音符考(まがる)」で、くねくねと曲がった木、

とあり(漢字源)、「ぬるで」の意とある(仝上)。「栲栳(コウロウ)」というと、「竹とか柳の枝を曲げて編んで作った、物を入れる器具」とあり、我が国では、「たへ」と訓ませ、かじきなどの皮の繊維で織った白い布、転じて広く布をいい、「白栲(しろたへ)」「和栲(にぎたへ)」「粗栲(あらたへ)」などと使う。なお、「栲」の異体字は、
𣐊、
𣑥、
𣛖、
であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A0%B2

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2024年08月13日

曹司


君が植ゑし一(ひと)むらすすき蟲の音のしげき野辺ともなりにけるかな(古今和歌集)、

の詞書に、

藤原利基朝臣の右近中将にてすみはべりける曹司(ざうし)の、身まかりてのち、人も住まずなりけるに、……、

とある、

曹司(ざうし)、

は、

そうじ、

とも訓ませ、

与えられた部屋、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

貴人の子弟は、独立するまで邸の中に部屋を与えられる。ここはどこの邸ともわからない、

とある(仝上)。そこから、

部屋住み、

の意で、

曹司住み、

という言い方があり、

曹司住み、

を略して、

曹司、

も、

部屋住みの公達、

の意で使われる(広辞苑)。ただ、

曹司、

は、奈良・平安時代、

神祇官曹司災(続日本紀)、

とあるように、

官司内に設けられた、執務のための正庁。また、執務のための部屋、

を言い、

先参朝堂、後赴曹司(弾正臺式)、

とある。転じて、

もとよりさぶらひ給ふ更衣のざうしを、ほかにうつさせ給ひて(源氏物語)、

と、

宮中または官司などに設けられた、上級官人や女官などの部屋、

をいい、

つぼね、

ともいう。『伊勢物語』で、

思ふには忍ぶることぞ負けにける逢ふにしかへばさもあらばあれ
といひて、曹司におり給へれば、例の、この御(み)曹司には、人の見るをも知でのぼりゐければ、この女思ひわびて里へゆく、

とある、

曹司、

は、

女の局、

を意味し(石田穣二訳注『伊勢物語』)、さらに、

殿の内に年比曹司して候ひつる人々(栄花物語)、

と、

宮中や貴族の邸内に部屋をもらって仕えること。また、その人、

をいい、

ここから転じて、

独立していない公達(きんだち)が、親の邸内に与えられた部屋、

の意になったと思われる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

曹司住み、

は、

本来は、

此五位は、殿の内に曹司住にて有ければ(今昔物語集)、

とあるのように、

つぼねにさがって休息していること、

の意味である(仝上)。なお、

江家先祖音人卿、預判文章博士菅原是善卿、皆是、東西曹司之祖宗、試場評定之亀鏡也(「本朝文粋(1060頃)」)、

とある、

曹司、

は、平安時代の大学寮文章院の、

東曹・西曹、

をいい、

文章生の寄宿舎のごときものをいう(世界大百科事典)、

とも、

大学寮の教室の称。区画して東西にありて、東曹、西曹の称あり、菅原氏、大江氏の二家、分れて教へたり、大学の南隣なる勧学院を、南曹と称しき(大言海・精選版日本国語大辞典)、

ともあるが、いずれも、部屋を指している。原義に近い使い方と言える。

「曹」.gif



「曹」 甲骨文字・殷.png

(「曹」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B9より)

「曹」金文・西周.png

(「曹」金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B9より)

「曹」(漢音ソウ、呉音ゾウ)は、

会意文字。「東(ひがしではなく、袋の形)二つ+口、または日」で、袋を並べて同じものが並んだことを示す。口印は、裁判の際、口で論議することを表す。法廷で取り調べをする、何人も居並ぶ属官のこと。高級でない多くの仲間を意味する(漢字源)。「獄曹」「軍曹」等々「下級の役人」の意、「我曹」「汝曹」と「ともがら」の意、「局」と同義の「つぼね」の意等々とある(仝上)。

曺、𣍘、

は異字体、

𣍘、

は、

「曹」の古字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B9。別に、

会意。「東」を二つ並べたもの+羨符「口(金文では甘、楷書では曰に変化)。{曹 /*dzuu/}を表す字で、「一対」「組」「ともがら」を意味する、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B9

会意文字です(東+東+口)。「袋の両端をくくった」象形(「裁判で原告と被告がそれぞれ誓いを示す矢などの入った袋を持って向き合う」意味)と「口」の象形(「裁判官」の意味)から、「つかさ(裁判官、役人)」を意味する「曹」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1983.htmlあるが、

会意形声。曰と、㯥(サウ)(法廷で、東に位置する原告・被告。は省略形)とから成る。原告・被告の意から、「ともがら」の意を表す、

と(角川新字源)、会意兼形声とする説もある。『字通』には、

会意。正字は𣍘に作り、㯥+曰(えつ)。東は橐(たく)の初文。㯥は「説文」に「闕」として、その声義を欠く字であるが、𣍘の字形によっていえば、裁判の当事者がそれぞれ提供するものを橐(ふくろ)に入れて並べる形。「周礼」秋官、大司寇によると、束矢鈞金を出す定めであった。曰は盟誓を収める器で、自己詛盟をして獄訟が開始される。これを両造という。「大司寇」に「兩造を以て民の訟を禁ず。束矢を朝に入れしめて、然る後に之れを聽く。兩劑(りやうざい 契約・盟誓)を以て民の獄を禁ず。鈞金を入れしめて、三日にして乃ち朝に致し、然る後に之れを聽く」と規定している。「説文」に「獄の兩曹なり。廷の東に在り。㯥に從ふ。事を治むる者なり。曰に從ふ」とするが、「説文」は㯥と曰の形義を理解していない。㯥はいわゆる両造にして束矢鈞金を入れる橐の形、曰は自己詛盟としての誓約を入れる器である。曹はもと裁判用語。法曹を原義とし、のち官署のことに及ぼして分曹・曹司のようにいう、

とある。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年08月12日

久米路の橋


いかにせむ久米路(くめぢ)の橋の中空に渡しもはてぬ身とやなりなむ(新古今和歌集)、

の、

久米路の橋、

は、

葛城の久米の岩橋、
久米の岩橋、

ともいい、

葛城山の東、高市郡に、久米郷、久米川あり、

とあり(大言海)、

大和国の歌枕、

で、

役(えん)の行者が葛城山の一言主神(ひとことぬしのかみ)に命じて、葛城山と吉野の金峰山(きんぷせん)との間に架けさせようとしたが、醜貎を恥じた神が夜しか働かなかったので完成しなかったという伝説の橋、

である(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。後撰集にある、

葛城や久米路の橋にあらばこそ思ふ心を中空にせめ(読人しらず)、

も似た発想であるが、架橋の工事が中断したという伝説から、多く、

男女の仲の成就しないたとえ、

として使われる(岩波古語辞典)。

葛城山、

は、

大和葛城山(やまとかつらぎさん)、

といい、

奈良県西部の御所(ごぜ)市と大阪府南河内郡千早赤阪村の境にある山。ただしその南の金峰山のことともいう、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E8%91%9B%E5%9F%8E%E5%B1%B1)、大和の枕詞である。

金峰山(きんぷせん)、

は、

奈良県の大峰山脈のうち吉野山から山上ヶ岳までの連峰の総称である。金峯山とも表記し、「金の御岳(かねのみたけ)」とも呼ばれ、吉野山の金峯山寺は修験道の中心地の一つであり、現在は金峯山修験本宗の総本山である、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B3%B0%E5%B1%B1

山上ヶ岳.JPG

(大天井ヶ岳から山上ヶ岳を望む https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B3%B0%E5%B1%B1より)

大和葛城山.jpg


一言主神、

に当てられているが、

かづらきの神

のことで、

かづらきの神、

は、

葛城の神、

後世、

かつらぎの神、

とも訓ませ、

奈良県葛城山(かつらぎさん)の山神、

で、

一言主神(ひとことぬしのかみ)、

とされ(精選版日本国語大辞典)、昔、

役行者(えんのぎょうじゃ)の命で葛城山と吉野の金峰山(きんぷせん)との間に岩橋をかけようとした一言主神が、容貌の醜いのを恥じて、夜間だけ仕事をしたため、完成しなかったという伝説から、恋愛や物事が成就しないことのたとえや、醜い顔を恥じたり、昼間や明るい所を恥じたりするたとえなどにも用いられる、

とある(仝上)。この橋を、

かづらきや渡しもはてぬものゆゑにくめの岩ばし苔おひにけり(「千載和歌集(1187)」)、

と、

久米岩橋(くめのいわばし)、

という。橋が完成しないのに怒った行者は葛城の一言主神(ひとことぬしのかみ)を召し捕らえ、見せしめに呪術で葛で縛って、谷底に捨て置いた、との伝説がある。これを基にしたのが、能の、

葛城(かず(づ)らき)、

であるhttps://noh-oshima.com/tebiki/tebiki-kazuraki.html。因みに、「役の行者」とは、7世紀後半の山岳修行者で、本名は、

役小角(えんのおづぬ)、
あるいは、
役優婆塞(えんのうばそく)、

ともいい、

修験道(しゅげんどう)の開祖、

で、『続日本紀(しょくにほんぎ)』文武(もんむ)天皇三年(699)5月24日条に、伊豆島に流罪された記事があり、実在した人物で、

大和国(奈良県)葛上(かつじょう)郡茅原(ちはら)郷に生まれ、葛城山(かつらぎさん 金剛山)に入り、山岳修行しながら葛城鴨(かも)神社に奉仕し、陰陽道(おんみょうどう)神仙術と密教を日本固有の山岳宗教に取り入れて、独自の修験道を確立した、

とされる(日本大百科全書)。吉野金峰山(きんぶせん)や大峰山(おおみねさん)他多くの山を開いたが、保守的な神道側から誣告(ぶこく)されて、伊豆大島に流されることになる。この経緯が、

葛城山神の使役、

呪縛(じゅばく)、

として伝えられたものとみなされる(仝上)。

一言主神、

は、

大和葛城の鴨氏の祭神、

である。延喜式神名帳には、

葛城坐一言主神社、

とあり、

吉凶を一言で託宣する神、

とされる(日本伝奇伝説大辞典)。初出は、古事記・雄略天皇条に、天皇が葛城山に巡幸された折、向こうの山の尾根から天皇や従者と似た服装の人々が登るのに出会い、天皇が、服装の無礼を責めると、対等の態度をとり、尊大なので、

その名告(の)れ、ここにおのおの名を告りて放たん、

と、告られると、

吾先に問はえき、故、吾先に名告をせむ。吾は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり、

と申し、天皇は恐れ畏み、

恐(かしこ)し、我が大神、うつしおみあらんとは覚らざりき、

と言い、太刀や弓矢、衣服を献上して和がなり、一言主神は馳せの山口まで還幸を見送った、とされる。こうした伝承について、

名を告ることは古代信仰観上服属を意味する、

として、

葛城氏と雄略天皇とが対立し、葛城氏が敗北した経緯を語るもの、とする説がある(仝上)。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2024年08月11日

常陸帯


東路の道のはてなる常陸帯(ひたちおび)のかことばかりも逢はむとぞ思ふ(新古今和歌集)、

の、

常陸帯、

は、

常陸國鹿島神宮の祭礼で、男女の縁結びの占(うら)に用いられる帯、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

かこと、

は、

帯を締めて留める金具の「かこ」と、申し訳・口実の「かこと」の掛詞、

である(仝上)。

鹿嶋大神宮.jpg

(「常陸鹿嶋大神宮」(歌川広重『六十余州名所図会』)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E5%AE%AEより)

常陸帯、

は、

鹿島の帯、

とも、

帯占(おびうら)、

ともいうが(広辞苑・デジタル大辞泉)、

なぞもかく別れそめけん常陸なるかしまのおびの恨めしの世や(「散木奇歌集(1128頃)」)、

などとあり、

常陸國鹿島神社で、正月十四日の祭礼の日に、布帯に男女おのおのその意中の者の名を書いたものを神前に供え、禰宜がこれを結んで縁を定めた帯占、その結び方によって男女の縁のよしあしを占った、

もので(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、後世、

肥立帯の意にかけて、鹿島神宮から常陸帯の安産の守を授けるに至った、

とある(仝上)。

鹿島神宮 社殿全景.jfif

(社殿全景(本殿後背には神木) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E5%AE%AEより)

この由来は、

神功皇后(じんぐうこうごう 第十四代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后)が お腹に子を宿しながら、急逝された天皇に代わって三韓征伐(さんかんせいばつ)に行かれるとき、鹿島大神のご加護を願って腹帯を付けられました。凱旋帰国後、無事に応神天皇(おうじんてんのう 全国の八幡神社の主祭神)をお産みになり、その腹帯を常陸の国の鹿島神宮に進納されたと伝わっています、

とありhttp://www.kashimajinja.or.jp/yurai/、この腹帯が、

常陸帯(ひたちおび)、

と呼ばれるもので、現在も殿外不出の神宝として本殿に祀られ鹿島神宮の安産信仰の拠り所となっている(仝上)、とある。で、今日、安産祈願のお守りとなっている。

常陸帯.jpg

(常陸帯(鹿島神宮) https://kashimajingu.jp/smaregi_product/sr_product_50/より)

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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ラベル:常陸帯 鹿島神宮
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2024年08月10日

うちつけに


うちつけにさびしくもあるかもみぢ葉も主(ぬし)なき宿は色なかりけり(古今和歌集)、

の、

うちつけに、

は、

急に、

の意とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

うちつけ、

は、

打付け、

と当て、

吹く風になびく尾花をうちつけに招く袖かとたのみけるかな(貫之集)、

と、

副詞として、

うちつけに、

と、

突然に、
だしぬけに、
卒爾に、
端的に、
さしあてて、

といった意味(大言海・広辞苑)の状態表現から、価値表現に転じて、

さしもあだめき目馴れたるうちつけの好き好きしさなどは好ましからぬ御本性にて(源氏物語)、

と、

遠慮のないさま、
露骨、
むき出し、

といった意味(広辞苑)でも使う。

うちつけ、

の、

うち、

は、

打ち

で触れたように、接頭語として、動詞に冠して、

打ち興ずる、
打ち続く、

のように、

その意を強め、またはその音調を整える、

ほかに、

打ち見る、

のように、

瞬間的な動作であることを示す、

使い方をする(広辞苑)。

うちつけ、

は、後者になるが、

平安時代ごろまでは、打つ動作が勢いよく、瞬間的であるという意味が生きていて、副詞的に、さっと、はっと、ぱっと、ちょっと、ふと、何心なく、ぱったり、軽く、少しなどの意を添える場合が多い。しかし和歌の中の言葉では、単に語調を整えるためだけに使ったものもあり、中世以降は単に形式的な接頭語になってしまったものが少なくない、

とあり(岩波古語辞典)、

さっと(打ちいそぎ、打ちふき、打ちおほい、打ち霧らしなど)、
はっと、ふと(打ちおどろきなど)、
ぱっと(打ち赤み、打ち成しなど)、
ちょっと(打ち見、打ち聞き、打ちささやきなど)、
何心なく(打ち遊び、打ち有りなど)、
ぱったり(打ち絶えなど)、

といった意味でつかわれる。これが訛ると、

uti→buti→bunn、

と、

ぶつ、
ぶち、
ぶん、

となることもあり、

うちつけ、

も、

ぶっつけ、

と訛る。

下二段(自動詞下一段、他動詞下二段)の動詞、

打ち付く、

は、

打ち着く、

とも当て、文字通り、

天雲に羽うちつけて飛ぶ鶴(たづ)のたづたづしかも君しまさねば(万葉集)、

と、

打ち当てる、

意だが、

形容動詞なり活用(精選版日本国語大辞典)、

とも、

名詞(岩波古語辞典)、

ともあり、副詞としては、

うちつけに、

と使い、

うちつけの、
うちつけながら、
うちつけなる、

等々とも使う、

うちつけ、

は、

物をぱっと打ち付けるように瞬間的で、深い理由・考えもないさま、

という含意で、時間的な意味にシフトさせて、たとえば、

男、うちつけながら、いとたつ事をもがりければ(大和物語)、

と、

突然、唐突、だしぬけ、

の意や、

うちつけなるさまにやと、あいなくとどめ侍りて(源氏物語)、

と、

突然で失礼なさま、卒爾(そつじ)、ぶしつけ、

の意、

郭公(ほととぎす)人松山になくなれば我うちつけにこひまさりけり(古今和歌集)、

と、

ふとしたきっかけで、どうしようもなく、にわかに心の進むさま、

の意や、

さればうちつけに海は鏡のおもてのごとなりぬれば(土佐日記)、

と、

即座、てきめん、現金なさま、

の意、

うちつけにまどふ心ときくからに慰めやすくおもほゆるかな(大和物語)、

と、

軽率なさま、

うちつけに濃しとや花の色を見ん置く白露のそむる許(ばかり)を(古今和歌集)、

と、

ちょっと見、

の意と、心理的な唐突感へとシフトしていき、前述の、

うちつけのすきずきしさなどは、このましからぬ御本性にて(源氏物語)、

と、

むきだし、露骨、無遠慮、

と、価値表現へとシフトしていく(精選版日本国語大辞典)。さらには、後世には、

こりゃ、おまつどのには打ちつけぢゃわいの(歌舞伎「梅柳若葉加賀染(1819)」)、

ぴったりなさま、
よく似合うさま、

の意でも使うが、これは、後述の、

うちつけ、

の転訛、

打ってつけ、

で、今日も使う(仝上)。

うちつけ、

が、なまると、前述したように、

ぶっつけ(打付)、

となるが、これは、

ぶつける、

意から、

ぶっつけ本番、

のように、

いきなり、

の意や、

ぶっつけに物を言う、

と、

遠慮なし、

の意、

ぶっつけから失敗、

と、

最初、初め、

の意で使うのは、現代でもあるし、これがさらに、前述のように、

うってつけ(打付)、

となると、

「うつ(打)」の原義の、強く物事にあてる、釘で打ち付けたようにぴったり合う、

の意から、

もってこい、
あつらえむき、

の意になる(精選版日本国語大辞典)。

「打」.gif

(「打」 https://kakijun.jp/page/0569200.htmlより)


「打」 『説文解字』.png

(「打」 『説文解字』(後漢)  https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%93より)

「打」(唐音ダ、漢音テイ、呉音チョウ)は、

会意兼形声。丁は、もと釘の頭を示す□印であった。直角にうちつける意を含む。打は「手+音符丁」で、とんとうつ動作を表す、

とある(漢字源)が、

形声。「手」+音符「丁 /*TENG/」。「うつ」を意味する漢語{打 /*teengʔ/}を表す字、

(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%93)

形声。手と、音符丁(テイ)→(タ)とから成る。手で強く「うつ」意を表す、

も(角川新字源)、形声文字とする。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2024年08月09日

諒闇


水のおもにしづく花の色さやかにも君が御影の思ほゆるかな(新古今和歌集)、

の、

詞書に、

諒闇の年、池のほとりの花を見てよめる、

とある、

諒闇、

は、

天皇が父母の喪に服すこと、または、天皇の崩御による国全体の喪、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。なお、歌の、

しづく、

は、

沈く、

と当て、

水の底に沈み着くこと、

とある(岩波古語辞典)。

諒闇、

は、

ロウアン、
リョウアン、

と訓ませ(漢音リョウ、呉音ロウ)、

高宗諒闇三年不言、善之也(禮記・喪服篇)
高宗諒陰三年不言、何謂也(論語・憲問篇)、
諒闇既終(後漢書)、

等々、

諒陰、

ともいい、

亮闇、
亮陰、
涼陰、
梁闇、

等々とも当て(大言海・漢辞海)、

天子喪に在るの室、又、其の喪に在る閒の稱、

とあり(字源)、

天子が父母の藻に服したまふ期閒、

をいい(大言海)、

諒は信、闇は黙の義(字源・大言海)、
「諒」はまこと、「闇」は謹慎の意、「陰」はもだすと訓じ、沈黙を守る意(デジタル大辞泉)、
まことに暗しの意(広辞苑)、
「諒」はまこと、「闇」は謹慎の意、「陰」は「もだす」と訓じ、沈黙を守る意。一説に、「梁闇」の二字と同じで、むねとする木に草をかけたもので、喪中に住む小屋の意(精選版日本国語大辞典)、

などとあり、

物言わざること、謹慎の意、

である(大言海)。

中国に倣い、日本でも、

以諒闇(みおもひ)之際、盛福自由(綏靖即位前紀)、

と、

みおもひ、
みおものおもひ、
みあがりのほど、

などと呼び(大言海)、

倚盧(いろ 諒闇の期間天子が籠る仮の屋)にますこと十三日、心喪に服せらるるは一年、又、天子の御忌中、上下四民(士農工商)も心喪に服するものなり、

とある(仝上)。

諒闇、

の以上の由来から、転じて、

大神、岩戸を閉ぢさせ給て、世海、国土、常闇となて、りゃうあんなりしに、思はずに明白となる切心は(「拾玉得花(1428)」)、

と、

ひじょうに暗い、

意で使ったりする(精選版日本国語大辞典)。

「諒」.gif



「諒」 『説文解字』.png

(「諒」 『説文解字』(後漢)  https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AB%92より)

「諒」(漢音リョウ、呉音ロウ)は、

会意兼形声。「言+音符京(キョウ・リョウ=亮 あきらか)」。明らかに物を言う、転じてはっきりわかること、

とある(漢字源)。「亮」と同義で、「まこと」「偽りのない真実」「明白なこと」の意、「諒(=了)承」「諒(=了)解」と、是認する意、転じてあっさり認めること意である(仝上)。

しかし、

形声。「言」+音符「京 /*RANG/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AB%92

形声。言と、音符京(ケイ、キヤウ)→(リヤウ)とから成る。相手の意を思いはかる、転じて「まこと」の意を表す(角川新字源)、

形声文字です(言+京)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつし(慎・謹)んで)言う」の意味)と「高い丘の上に建つ家の象形」(「都(みやこ)」の意味だが、ここでは「量(リョウ)」に通じ(「量」と同じ意味を持つようになって)、「量(はか)る」の意味)から「相手の気持ちを量る」、「思いやる」、「まこと」を意味する「諒」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2740.html

と、他はいずれも、形声文字としている。

「闇」.gif



「闇」 『説文解字』.png

(「闇」 『説文解字』(後漢)  https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%97%87より)

「闇」(漢音アン、呉音オン)は、

会意兼形声。「門+音符音(オン・アン 口をとじて声だけ出す。ふさぐ)」で、入口を閉じて、中を暗くふさぐこと。暗とまったく同じ言葉、

とあり(漢字源)、「門を閉める」意から、「闇夜(=暗夜)」と、「暗い」意である。しかし、

かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%97%87

形声。「門」+音符「音 /*ɁUM/」。「門をとじる」を意味する漢語{闇 /*ʔuums/}を表す字。のち仮借して「やみ」を意味する漢語{闇 /*ʔuums/}に用いる、

も(仝上)、

形声。門と、音符音(イム)→(アム)とから成る。門を「とじる」意を表す。転じて「くらい」意に用いる、

も(角川新字源)、

形声文字です(門+音)。「左右両開きになる戸」の象形(「門」の意味)と「取っ手のある刃物の象形と口に一点加えた文字」(「音」の意味だが、ここでは、「暗」に通じ(「暗」と同じ意味を持つようになって)、「暗い」の意味)から、「門を閉じて暗くする」、「暗い」、「光がない」を意味する「闇」という漢字が成り立ちました、

https://okjiten.jp/kanji2193.html、いずれも、形声文字とする。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年08月08日

空おぼれ


さみだれは空おぼれするほととぎす時に鳴く音は人も咎めず(新古今和歌集)、

の、

空おぼれ、

は、

空とぼけること、

とあり、

さみだれの縁語、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

空おぼれ、

は、

物などいふ若きおもとの侍を、そらおぼれしてなむかくれまかりありく(源氏物語)、

と、

わざととぼけたさまをよそおうこと、

つまり、

空とぼけ、

の意である(広辞苑)。なお、「とぼける」については触れた。また、

御心のやうにつれなく、そらおぼめきしたるは、世にあらじな(源氏物語)、

と、

そらおぼめき、

というのも同義とある(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)が、

虚(そら)に、おぼめくこと、
知らぬ顔をすること、

とある(大言海)ので、微妙に意味がずれるようだ。

おぼめく、

は、

朧(おぼ)めく意か(大言海)、
オボはオボロ(朧)のオボと同根。メクは、春メク・秋メクのメクと同じで、それらしい様子を表す(岩波古語辞典)、

などとあり、

ぼんやりした、はっきりしない状態、動作、

を表わす(精選版日本国語大辞典)。で、

ゆめのごとおぼめかれゆく世の中に何時(いつ)訪はむとかおとづれもせぬ(後拾遺)、

と、

はっきりしない、
たしかでない、
ぼんやりする、

意で(広辞苑・大言海)、主体の気持に転じて、

いかなることかあらむとおぼめく(源氏物語)、

と、

気がかりに思う、
不審に思う、

意や、

いかに聞こしめしたるにか、おぼめかせ給ふにも(かげろふ日記)、

と、

ほのめかす、
ぼんやりあらわす、

意でも使い(岩波古語辞典)、そこからさらに、

わかやかなるけしきどもして、おぼめくなるべし、ほととぎす言問ふ声はそれなれどあなおぼつかなさみだれの空(源氏物語)、

と、

知っていながらよくわからないようなふりをする、
そらとぼける、

意でも使う(岩波古語辞典・広辞苑)ので、

そらおぼめき、

は、

そら、

で、その「ことさら」ぶりを強調している感じになる。

空がらくる

で触れたように、

空(そら)、

は、

天と地との間の空漠とした広がり、空間、

の意だが(岩波古語辞典)、

アマ・アメ(天)が天界を指し、神々の国という意味を込めていたのに対し、何にも属さず、何ものもうちに含まない部分の意、転じて、虚脱した感情、さらに転じて、実意のない、あてにならぬ、いつわりの意、

とあり(仝上)、

虚、

とも当てる(大言海)。で、由来については、

反りて見る義、内に対して外か、「ら」は添えたる辞(大言海・俚言集覧・名言通・和句解)、
上空が穹窿状をなして反っていることから(広辞苑)、
梵語に、修羅(スラ Sura)、訳して、非天、旧訳、阿修羅、新訳、阿蘇羅(大言海・日本声母伝・嘉良喜随筆)、
ソトの延長であるところから、ソトのトをラに変えて名とした(国語の語根とその分類=大島正健)、
ソラ(虚)の義(言元梯)、
間隙の意のスの転ソに、語尾ラをつけたもの(神代史の新研究=白鳥庫吉)、

等々諸説あるが、どうも、意味の転化をみると、

ソラ(虚)

ではないかという気がする。それを接頭語にした「そら」は、

空おそろしい、
空だのみ、
空耳、
空似、
空言(そらごと)、
空惚け(そらぼけ・とらとぼけ・そらぼれ)、
空おぼれ、
空腕、
空心、
空言、

等々、いずれも、

何となく、
~しても効果のない、
偽りの、
真実の関係のない、
かいのないこと、
根拠のないこと、
あてにならないこと、
徒なること、

などと言った意味で使う(広辞苑・岩波古語辞典・大言海)。

なお、

空おぼれ、

には、

空とぼけ、

の意の他に、それが常態と見なして、後世、

人違(ひとたがへ)なりけるかと、なみならず驚くものから、惘然(ソラオボレ)して立在(たたずむ)折から(読本「手摺昔木偶(1813)」)、

と、

気ぬけすること、
あっけにとられること、

の意でも使う例がある(精選版日本国語大辞典)。こうみてくると、

空おぼれ、

の、

おぼれ、

は、

空おぼめき、

の、

おぼ、

と同じで、

おぼろ(朧)、

の、

おぼ、

ではないかと思われる。

おぼろ、

の、

おぼ、

は、

オボホレ(溺)・オボメクのオボと同根。ロは状態を示す接尾語、

とある(岩波古語辞典)、

ぼんやりしているさま、
はっきりしないさま、

の、

おぼ、

である(仝上)。

「空」.gif


「空」(漢音コウ、呉音クウ)は、「空がらくる」で触れたように、

会意兼形声。工は、尽きぬく意を含む。「穴+音符工(コウ・クウ)」で、突き抜けて穴があき、中に何もないことを示す、

とある(漢字源)。転じて、「そら」の意を表す(角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(穴+工)。「穴ぐら」の象形(「穴」の意味)と「のみ・さしがね」の象形(「のみなどの工具で貫く」の意味)から「貫いた穴」を意味し、そこから、「むなしい」、「そら」を意味する「空」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji99.html

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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