2024年08月07日
はつか
跡をだに草のはつかに見てしかな結ぶばかりのほどならずとも(新古今和歌集)、
の、
はつか、
は、
僅か、
と当て、
わずか、
いささか、
の意とある(広辞苑)。
はつか、
の、
はつ、
は、
ハツ(初)と同根(岩波古語辞典)、
「はつはつ」と同語源で、「か」は接尾語(精選版日本国語大辞典)、
とあるが、
はつはつ、
は、
ハツ(初)と同根、
とあり(岩波古語辞典)、同じことを言っているようである。
はつはつ、
は、
波都波都(ハツハツ)に人を相見ていかにあらむいづれの日にかまたよそに見む(万葉集)、
と、
あることが、かすかに現われるさま、
ちょっと行なわれるさま、
の意で、副詞的にも用い、
ほんのちらっと、
の意で、
はつか、
と同義(精選版日本国語大辞典)とある。
はつか、
は、
春日野の雪間をわけて生ひいでくる草のはつかに見えし君はも(古今和歌集)、
と、
物事のはじめの部分がちらりと現われるさま、
瞬間的なさま、
かすか、
ほのか、
の意で、特に、
視覚や聴覚に感じられる度合の少ないさまを表わす、
とある(仝上・岩波古語辞典)。それが、時間的な表現にシフトして、
今宵の遊びは長くはあらで、はつかなるほどにと思ひつるを(源氏物語)、
と、少しの時間であるさまの、
しばらくの間、
ちょっと、
の意で使い(仝上)、その、
少し、
を、
わずか(僅か)、
と混同して、量的にシフトさせ、
其勢はつかに十七騎(平家物語)、
と、分量の少ないさまの、
ほんの少し、
わずか、
の意で用いるに至る(仝上)。
ハツ、
は、事物の周縁部を意味する語ハタ(端)と母音交替の関係にあるものか。上代にはハツカの例は見出せないが、ハツカと共通の形態素を持ち、意味的にも関連性が認められるハツハツが視覚に関して使用されることが多いという傾向が認められるので、ハツカの原義は、物事の末端を視覚的にとらえたさまを表わすところにあったと推測される。この点で、物事の分量的な少なさを表わすワヅカとの意味上の差異は明確であるが、後世には両語を混同して用いることも多くなる、
とある(精選版日本国語大辞典)。
「僅」(漢音キン、呉音ゴン)は、
会意兼形声。堇(キン)は、火の上で動物の皮革をかわかすさまを示す会意文字。もと乾(カン)・艱(カン ひでり)と同系で、かわいて水分がとぼしくなることから、ほとんどないの意に転じ、わずかの意となる。僅はそれを音符とし、人をそえた字で、ほとんどない、わずかの意を含む、
とある(漢字源)が、
形声。「人」+音符「堇 /*KƏN/」。「わずか」を意味する漢語{僅 /*ɡrəns/}を表す字、
も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%83%85)、
形声。人と、音符堇(キン)とから成る。才能がおとっている意を表す。転じて「わずか」の意に用いる、
も(角川新字源)、
形声文字です(人+菫)。「横から見た人」の象形と「腰に玉を帯びた人の象形(「黄色」の意味)と土地の神を祭る為に、柱状に固めた土の象形」(「黄色のねば土」の意味だが、ここでは、「斤(キン)・巾(キン)」に通じ、「小さい」の意味)から、才能の劣る人の意味を表し、そこから、「わずか」、「少し」を意味する「僅」という漢字が成り立ちました、
も(https://okjiten.jp/kanji2094.html)、形声文字とする。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年08月06日
がに
泣く涙雨と降らなむ渡り川水まさりなば帰りくるがに(古今和歌集)、
の、
渡り川、
は、
三途の川(三つ瀬の川)、
を指し、
がに、
は、
命令や願望の表現をうけて、理由や目的を表す、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
がに、
は、
上代の終助詞「がね」から(大辞林)、
一説に「がね」の方言的転化という(広辞苑)、
などとあり、
おもしろき野をばな焼きそ古草に新草(にいくさ)まじり生ひは生ふる我爾(ガニ)(万葉集)、
と、
「がね」の上代東国方言、
であるらしい。平安時代には、都でも使われた(岩波古語辞典)とある。
動詞・助動詞の連体形に付き、願望・命令・禁止などを表す文と共に使われ、その理由・目的、
を表し、
…するだろうから、
…するように、
の意で使われる(広辞苑)。
がね、
は、
ますらをは名をし立つべし後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐがね(万葉集)、
と、動詞の連体形に付き、
願望・命令・意志などの表現を受けて、目的・理由、
を表し、
之根(ガネ)の義、云々せしむ、其れが根本と云ふ意より転じて、其れが為にの意となる、
とあり(大言海)、
…するように、
…するために、
…の料であるから、
の意で使われる(デジタル大辞泉・岩波古語辞典)。
将来に対する判断・意志決定の根拠を示す、
とあり(岩波古語辞典)、
梅の花我は散らじあをによし奈良なる人の来つつみるがね(万葉集)、
と、
二つの文があって、はじめの文の終わりに表明された意志・命令の、理由・目的を示すために、後の文の文末に置かれる、
とある(岩波古語辞典)。中古以降の、
がに、
は、この上代の「がね」を母胎として、ほぼその意味・用法を継承しているが、それはさらに、
ゆふぐれのまがきは山と見えななむ夜はこえじと宿りとるべく(古今和歌集)、
のような同様の表現効果を持つ、「べし」の連用止めの用法にとって代わられるようになり、中世以降は擬古的な用例に限られる(精選版日本国語大辞典)とある。
なお、
がに、
には、いまひとつ、
之似(ガニ)の義、何々に似るばかりに、
の意とする(大言海)、連体形接続の、
がに、
とは意味・用法が異なる、
わが屋戸(ヤド)の夕影草の白露の消(ケ)ぬがにもとな思ほゆるかも(万葉集)、
秋田苅る借廬もいまだ壊(コホ)たねば雁が音寒し霜も置きぬがに(万葉集)、
と使われる、
終止形接続の助詞、
があり、
自然に推移する意の自動詞や、自然にそうなってしまう意の助動詞「ぬ」、
を承けることが多く、
ぬがに、
の形をとる(広辞苑・デジタル大辞泉・岩波古語辞典)。
疑問の助詞「か」と格助詞「に」との結合、
とされ(岩波古語辞典・仝上)、下の動作の程度を様態的に述べるのに用いられる。
…せんばかりに、
…するかのように、
…しそうに、
等々の意で使われる(仝上)。
がね、
が、
中古以降は、終止形接続の副助詞「がに」を吸収する形で連体形接続の「がに」に変化する、
とある(精選版日本国語大辞典)が、中古以降の「がに」は、上代の「がね」の語義・用法をほぼそのまま受け継いでいる(仝上)ともある。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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2024年08月05日
帚木(ははきぎ)
園原(そのはら)や伏屋(ふせや)に生(お)うる帚木(ははきぎ)のありとは見えて逢はぬ君かも(新古今和歌集)、
の、
帚木、
は、
遠くから森の中に帚のような梢が見えるが、近付くと森の他の木々にまぎれて見えなくなるという、伝説の木、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
園原や伏屋、
は、
信濃國の枕詞、
であり(仝上)、上記伝説の木は、
信濃国(長野県)園原、
にあるとされた(精選版日本国語大辞典)。
帚木、
は、
ははきぎ、
と訓ませるが、
はわきぎ、
と訓ませた時代もあり(仝上)、
ははきぎをまたすみがまにこりくべてたえしけぶりのそらにたつなは(「元良親王集(943頃)」)、
と、
ほうきぎ(箒木)、
つまり、
ホウキグサ(帚草)、
に同じ(大言海・仝上)とある。また、冒頭の歌のように、
信濃国(長野県)園原(そのはら)にあって、遠くからはほうきを立てたように見えるが近寄ると見えなくなるという伝説上の樹木、
の意でもあり、転じて、
情けがあるように見えて、実のないこと、
姿は見えるのに会えないこと、
また、
見え隠れすること、
等々のたとえとして使われる(仝上)。
また、語頭の二音が同じところから
大后の宮、天の下に三笠山と戴かれ給ひ、日の本には、ははきぎと立ち栄えおはしましてより(「栄花物語(1028~92頃)」)、
と、
母の意にかけていう、
とある(仝上)。
ホウキギ、
については「玉箒(たまはばき)」で触れたように、
玉箒、
は、
玉箒刈り来(こ)鎌麻呂(かままろ)室(むろ)の樹と棗(なつめ)が本(もと)とかきは(掃)かむため(万葉集)、
と、
ゴウヤボウキ、
または、
ホウキグサ、
の古名であり、
ホウキグサ、
は、
ほうきぎ(箒木)、
といい、古名、
ハハキギ、
で、
アカザ科の一年草、中国原産。茎は直立して高さ約1メートルとなり、下部から著しく分枝し、枝は開出する。これで草箒(くさぼうき)をつくるのでホウキギの名がある。葉は互生し、倒披針(とうひしん)形または狭披針形で長さ2~4.5センチメートル、幅3~7センチメートル、基部はしだいに狭まり、3脈が目だち、両面に褐色の絹毛がある。雌雄同株。10~11月、葉腋(ようえき)に淡緑色で無柄の花を1~3個束生し、大きな円錐(えんすい)花序をつくる。花被(かひ)は扁球(へんきゅう)形の壺(つぼ)状で5裂し、裂片は三角形、果実期には、花被片の背部に各1個の水平な翼ができて星形となる。種子は扁平(へんぺい)な広卵形で、長さ1.5ミリメートル、
とある(日本大百科全書)。
なお、「ほうき」については触れた。
「帚」(慣用ソウ、漢音シュウ、呉音ス)は、「玉箒(たまはばき)」で触れたように、
象形、柄つきのほうきうを描いたもので、巾(ぬの)には関係がない。巾印は柄の部分が変形したもの。掃(ソウ はく)・婦(ほうきをもつ嫁)の字の右側に含まれる、
とある(漢字源)。「箒」(慣用ソウ、漢音シュウ、呉音ス)は、帚の異体字である。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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2024年08月04日
伊勢の浜荻
神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に(読人しらず)
の、
伊勢の浜荻、
は、
蘆に同じとされる、
とあり(新古今和歌集)、
浜に生える荻とする説もある、
とある(仝上)。原歌は、萬葉集の、
碁檀越(ごだんおち)が伊勢の国に行ったときに、留守をしていた妻が作った歌(碁檀越徃伊勢國時留妻作歌一首)、
神風之伊勢乃濱荻折伏客宿也将為荒濱邊尓(神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に)、
である(仝上)。
伊勢の浜荻、
は、
伊勢の国の浜地に生える荻、
の意だが、萬葉集に詠まれた、
伊勢の浜荻、
を、古くから、
アシと誤る俗説があり、
住吉社歌合の俊成の判詞にも、
伊勢島には浜荻と名付くれど、難波わたりには蘆とのみ言ひ、吾妻の方には葭(よし)といふなる、
とある(岩波古語辞典)。ために、
草の名も所によりて変るなり難波の蘆(あし)は伊勢の浜荻(菟玖波集)、
伊勢の浜荻名を変へて、葦(よし)といふも蘆(あし)といふも、同じ草なり(謡曲「歌占(1432頃)」)、
と、俗に、
蘆の異名、
として使っている(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。江戸後期の歌論書『歌袋』に、
御抄(八雲御抄 鎌倉初期の歌学書)、竝に童蒙抄(藤原範兼 平安末期)に、伊勢國にては蘆を濱荻と云ふなどと云へるは、誤りなり、
とある(大言海)。しかし、この誤解から、
風俗・習慣などは、土地によって違うことのたとえ、
として、
難波の葦は伊勢の浜荻、
という諺も生まれている(故事ことわざの辞典)。
荻(オギ)、
は、和名類聚抄(931~38年)に、
荻、乎木(おぎ)、
とあり、
イネ科の多年草。各地の池辺、河岸などの湿地に群生して生える。稈(かん)は中空で、高さ一~二・五メートルになり、ススキによく似ているが、長く縦横にはう地下茎のあることなどが異なる。葉は長さ四〇~八〇センチメートル、幅一~三センチメートルになり、ススキより幅広く、細長い線形で、下部は長いさやとなって稈を包む、秋、黄褐色の大きな花穂をつける、
とある(精選版日本国語大辞典)。
おぎよし、
ねざめぐさ(寝覚草)、
めざましぐさ(目覚し草)、
かぜききぐさ(風聞草)、
風持草、
文見草、
等々の異名がある(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。
ススキ、
によく似ているが、
オギは地下茎で広がるために株立ちにならない(ススキは束状に生えて株立ちになる)、
ため、
茎を1本ずつ立てる、
し、ススキと違い、
オギには芒(のぎ)がない、
うえ、
ススキが生えることのできる乾燥した場所には生育しないが、ヨシよりは乾燥した場所を好む。穂はススキよりも柔らかい、
という違いがある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AE)。
(芒をもつライムギの小穂 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%92より)
芒(のぎ)、
は、コメ、ムギなどイネ科の植物の小穂を構成する鱗片(穎)の先端にある棘状の突起のこと、
をいい、
のげ、
ぼう、
はしか、
とも言う。ススキのことを芒とも書くが、オギ(荻)には芒がない(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%92)。
をぎ(荻)、
の由来は、
霊魂を招き寄せるということから、ヲグ(招)の意(花の話=折口信夫)、
招草の意、風になびく形が似ているところから(古今要覧稿)、
風に吹かれてアフグところから、アフギの約(本朝辞源=宇田甘冥)、
オは大、キはノギ(芒)のある意(東雅)、
ヲキ(尾草)の義(言元梯)、
ヲギ(尾生)の義(名言通)、
ヲソクキ(遅黄)パムの略語(滑稽雑誌所引和訓義解)、
等々とある。
すすき(薄、芒)、
については、由来も含めて、「尾花」で触れたが、
「すすき」の語源説は、
ススは、スクスクと生立つ意、キは、木と同じく草の體を云ふ、ハギ(萩)、ヲギ(荻)と同趣。接尾語「キ」(草)は、芽萌(きざ)すのキにて、宿根より芽を生ずる義ならむ。萩に芽子(ガシ)の字を用ゐる。ヲギ(荻)、ハギ(萩)、
ヨモギ(艾)、フフキ(蕗)、アマキ(甘草)、ちょろぎ(草石蠶)、等々(大言海・日本語源広辞典)、
「スス」は「ササ(笹)」に通じ、「細い」意味の「ささ(細小)」もしくは「ささ(笹)」の変形、キは葉が峰刃のようで人を傷つけるから(東雅・語源由来辞典)、
スス(細かい・細い)+キ(草)、細かい草の意(日本語源広辞典)、
スは細い意で、それが叢生するところからススと重ねたもの、キは草をいう(箋注和名抄)、
ススキ(進草)の義(言元梯)、
スス(進)+クの名詞化、花穂がぬきんでて動く(すすく)意、つまり風にそよぐ草の意(日本語源広辞典)、
煤生の訓(関秘録)、
スはススケル意、キはキザスの略か(和句解)、
スクスククキ(直々茎)の義(名語記・日本語原学=林甕臣)、
茎に紅く血の付いたような部分があるところから、血ツキの轉(滑稽雑誌所引和訓義解)、
秋のスズシイときに花穂をつけるところから、スズシイの略(日本釈名)、
サヤサヤキ(清々生)の義(名言通)、
中空の筒状のツツクキ(筒茎)といい、ツの子交[ts]、茎[k(uk)i]の縮約の結果、ススキ(薄)になった(日本語の語源)、
等々多いが、理屈ばったもの、語呂合わせを棄てると、
すすき、
の、
すす、
は、
「ササ(笹)」に通じ、「細い」意味の「ささ(細小)」もしくは「ささ(笹)」の変形、
で、「き」は、
草、
と当てる接尾語、
ヲギ(荻)、ハギ(萩)、ヨモギ(艾)、フフキ(蕗)、アマキ(甘草)、
等々の「き」「ぎ」に使われているものと同じ、と見るのが妥当かもしれない。とみると、
をぎ(荻)、
の、
き、
も同様と考えれば、
を、
は、
おほ(大)の対の「を」(小)、
を(尾)、
を(緒)、
のいずれかだろう(岩波古語辞典)が、ま、
尾、
とするのが無難な気がする。
「荻」(漢音テキ、呉音ジャク)は、
会意兼形声。「艸+音符狄(低く刈りたおす、低くふせる)」、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(艸+狄)。「並び生えた草」の象形と「耳を立てた犬の象形と人の両脇に点を加えた文字(「脇、脇の下」の意味)」(「漢民族のわきに住む異民族(価値の低い民族)」の意味)から、稲と違って価値の低い草「おぎ」を意味する「荻」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2686.html)。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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ラベル:伊勢の浜荻 難波の葦は伊勢の浜荻
2024年08月03日
しながどり
しなが鳥猪名(ゐな)野をゆけば有馬山ゆふ霧立ちぬ宿はなくして(新古今和歌集)、
の、
しなが鳥、
は、
猪名(ゐな)にかかる枕詞、
とあり、
猪名野、
は、
摂津國の枕詞、現在の兵庫県伊丹市を中心に、川西市・尼崎市にまたがる猪名川流域の地、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。この原歌は、萬葉集の、
しなが鳥猪名野を来れば有馬山夕霧立ちぬ宿りはなくて(一本に云ふ、猪名の浦廻(うらみ)を漕ぎ来れば)、
とある(仝上)。
しなが鳥、
は、
息長鳥、
と当て、
カイツブリの別名、
つまり、
にほどり、
とも(広辞苑・大言海)、あるいは、
ひどりがも(緋鳥鴨)の異名、
とも(精選版日本国語大辞典)、また歌語としては、
イノシシの異名、
ともあり(日葡辞書)、枕詞としては、
雌雄が居並ぶからともいい、シリナガドリ(尻長鳥)の約と見て、それが「居る」の意からとも、また雌雄が率ゐる(相率いる)意からとも言い、
大海(おほうみ)にあらしな吹(ふ)きそしなが鳥(どり)猪名(ゐな)の港(みなと)に舟(ふね)泊(は)つるまで(万葉集)、
と、同音を持つ地名、
猪名(いな)、
に、また、水に潜って出てきたときの息をつぐ声から、
しなが鳥 安房(あは)に継ぎたる 梓弓(あづさゆみ) 末(すゑ)の珠名(たまな)は 胸別(むなわけ)の ひろき吾妹(わぎも)(万葉集)、
と、
あは(安房)、
にかかる(仝上・デジタル大辞泉・岩波古語辞典)。
(猪名野(いなの)(摂津名所図会) https://saigyo.sakura.ne.jp/inano.htmlより)
しながどり、
の、
し、
は、
息(いき)、
此の鳥、水底より浮び出て阿阿と息つきの長き意、
とあり(大言海)、
し(息)、
は、
複合語になった例だけ見える、
とあり、また、
しな(科長)戸の風の天の八重雲吹き放つ事の如く(祝詞・大祓詞)、
と、
風、
の意もある(岩波古語辞典)。
かいつぶり、
については、「にほどり」で触れたように、
鳰(にお)、
鸊鷉(へきてい)、
鸊鵜(へきてい)、
かいつむり、
いっちょうむぐり、
むぐっちょ、
はっちょうむぐり、
息長鳥(しながどり)、
等々とも呼び、室町時代、
カイツブリ、
と呼ぶようになる。
「息」(漢音ショク 呉音ソク)は、
会意文字。「自(はな)+心」で、心臓の動きにつれて、鼻からすうすうといきをすることを示す。狭い鼻孔をこすって、いきが出入りすること。すやすやと平静にいきづくことから、安息・生息の意となる。また、生息する意から、子孫をうむ→むすこの意ともなる、
とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%81%AF・角川新字源)。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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2024年08月02日
われから
海人(あま)の刈る藻にすむ虫のわれからと音をこそなかめ世をばうらみじ(古今和歌集)、
の、
われから、
は、
海藻などに棲みつく小さな節足動物、
とあり、
我から、
を掛ける(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
沖つ波うつ寄するいほりしてゆくへさだめぬわれからぞこは(古今和歌集)、
の、
われから、
も、
虫の名の「割殻」と「我から」を掛けている(仝上)。
(トゲワレカラ(日本大百科全書より)
われから、
は、
割殻、
破殻、
と当て(広辞苑・デジタル大辞泉)、
軟甲綱端脚目ワレカラ科 Caprellidaeに属する種類の総称、
とあるが、
端脚(ヨコエビ)目ワレカラ亜目 Caprellidea、
を総称してワレカラと呼ぶこともある(ブリタニカ国際大百科事典・日本語源大辞典・広辞苑)。
500種以上知られており、全て海産、特に岩礁の海藻やコケムシ類・ヒドロムシ類などに付着して生活、定置網の間などにもいる、
とある(仝上)。
身体はきわめて細い円筒状で、シャクトリムシに似て、体長1~4センチメートル前後。頭部と7胸節からなる。胸部は7節からなり、第3、4節を除く各節から細長い付属肢が一対ずつ伸びる。第2節のものははさみ状。前足は特に大きくカマキリに似る。頭部・腹部は小さく、胸部の後6節が著しく伸長。多くの種で第4・5節には胸部付属肢はない。身体を屈伸して運動する、
という(仝上・デジタル大辞泉)。ワレカラ科Caprellidaeに属するものを呼ぶことが多いとされ、ワレカラ科は日本からは約60種知られ、たとえば、
マルエラワレカラCaprella acutifrons、
は、体長1~3cm。えらは円形。体色はすむ海藻などで異なる。浅海の海藻や定置網の漁網などに着き、ふつうに見られる。
クビナガワレカラC.aequilibra、
は、体長1cm内外。世界的に広く分布し、日本各地で見られる。
オオワレカラC.kroeyeri、
は、北方系で、ワレカラ中最大、体長6cmくらいになる。
ワレカラモドキProtella gracilis、
は、
浅海のヒドロ虫や海藻の間にすみ、体長2cmくらい(世界大百科事典)とある。
われから、
の和名は、
割れ殻、
の意で(岩波古語辞典)、
乾くにしたがいその体が割れるから、
という(広辞苑・デジタル大辞泉・日本語源大辞典)。
「殼(殻)」(漢音カク、呉音コク)は、
会意兼形声。「殳(動詞の記号)+音符壳(貝がらをひもでぶらさげたさま)」で、かたいからを、こつこつたたくこと、
とあり(漢字源)、
会意兼形声文字です(壳+殳)。「中が空になっている物」の象形と「手に木のつえを持つ」象形(「うつ・たたく」の意味)から、「たたいて実を取り出した、から」を意味する「殻」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1416.html)が、
形声。「殳」+音符「𡉉 /*KOK/」。「たたく」「うつ」を意味する漢語{殼 /*khrook/}を表す字。のち仮借して「から」を意味する漢語{殼 /*khrook/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AE%BC)、
形声。殳と、音符(カウ)→𡉉 (カク)(壳は変わった形)とから成る。上から下へ打ちおろす意を表す。借りて「から」の意に用いる(角川新字源)、
も、形声文字としている。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年08月01日
いとなし
あはれともうしともものを思ふときなどか涙のいとなかるらむ(古今和歌集)、
の、
いとなかる、
は、
暇(いと)なしの連体形「いとなかる」と「流る」の掛詞、
とし、
いと、
が、
「流る」を修飾するという説はとらない、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)のは、
いと、
を、
いと+流る、
と見て、
たいそう、
はなはだしく、
の意とする説がある(https://blog.goo.ne.jp/s363738n/e/ecfc49311cb873a05694c55ce8440cf2)からである。
いとなし、
は、
暇無し、
と当て、
一歳(ひととせ)に二度(ふたたび)も来(こ)ぬ春なればいとく今日は花をこそ見れ(後拾遺)、
と、
休むひまがない、
絶え間がない、
忙しい、
の意で、
(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、
と、ク活用である(広辞苑・学研全訳古語辞典)。
いとなし、
の、
いと、
は、
暇(いとま)、
の意(精選版日本国語大辞典)で、状態表現の、
絶え間ない、
の意の外延から、
少しばかり、
という価値表現でも使うようだ(大言海)。
いとなし、
は、要するに、
暇(いとま)なし、
と同義になる(仝上)。
いとまなし、
は、
暇無し、
と当て、
ひさかたの月は照りたり伊刀麻奈久(イトマナク)海人(あまの)漁火(いざり)はともし合へり見ゆ(万葉集)、
と、
絶え間がない、
とぎれる時がない、
ひっきりなし、
という状態表現の意から、
いとまなしや。姫松もつるもならびてみゆるにはいつかはみかのあらんとすらんと書き給ふ(宇津保物語)、
と、価値表現へとシフトし、
落ち着く時がない、
気ぜわしい、
くつろげない、
いとまあらず、
の意、さらに、
家に貧しき老母有り、只我独(ひとり)して彼を養ふ。孝養するに暇无し(今昔物語集)、
と、
物事をなしとげるには必要な時間が足りない、
時間のゆとりがない、
余裕がない、
の意で使う(精選版日本国語大辞典)。
いとまなし、
の、
イトはイトナム(營)・イトナシ(暇無)のイトと同根。休みの時の意。マは間。時間についていうのが原義。類義語ヒマは割目・すき間の意から転じて、する仕事がないこと、
とあり(岩波古語辞典)、
いとなむ、
は、
イトナ(暇無)シ、
に由来し、
形容詞イトナシ(暇無)の語幹に動詞を作る接尾語ムのついたもの。暇がないほど忙しくするのが原義。ハカ(量)からハカナシ・ハカナミが派生したのと同類、
とあり(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)、
営む、
と、
「營」の字を当てるが、測るとかつくる、などという抽象的なことではなく、ただ、
忙しく仕事をする、
暇がないほど忙しい、
という状態表現にすぎなかったとみられる。
いとなし(暇無し)、
自体が、上述のように、
休む間がない、たえまない、
という意で、
ひぐらしの声もいとなく聞ゆる、
というようなたんなる状態表現であったことから由来している(「はか」については触れた)。
なお、「いとま」については触れたし、
「いとま」=時間、
と区別する、
「ひま」=空間、
の「ヒマ」についても触れた。
(「暇」 『説文解字』(後漢・許慎) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9A%87より)
「暇」(漢音カ、呉音ゲ)は、
会意兼形声。右側の叚(音カ)は「かぶせる物+=印(下にいた物)」の会意文字で、下に物を置いて、上にベールをかぶせるさま。暇はそれを音符とし、日を加えた字で、所要の日時の上にかぶせた余計な日時のこと、
とあり(漢字源)、また、
会意兼形声文字です(日+叚)。「太陽」の象形と「削りとられた崖の象形と未加工の玉の象形と両手の象形」(「岩石から取り出したばかりの未加工の玉」の意味)から、かくれた価値を持つひまな時間を意味し、そこから、「ひま」を意味する「暇」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1290.html)が、
形声。「日」+音符「叚 /*KA/」。「空き時間」「隙間の時間」を意味する漢語{暇 /*graas/}を表す字、
も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9A%87)、
形声。日と、音符叚(カ)とから成る。「ひま」の意を表す、
も(角川新字源)、形声文字とする。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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2024年07月31日
葦鶴
住の江のまつほど久(ひさ)になりぬれば葦鶴(あしたづ)の音になかぬ日はなし(古今和歌集)、
の、
葦鶴、
は、
もともと葦の生えた水辺にいる鶴の意味だったが、古今集時代には、鶴の歌語。鶴も長寿の鳥として、しばしば松とともに詠まれた、
とあり、
松は、常緑であることによって、長い時間を連想させる、
とある。(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
葦鶴、
は、
葦の生えている水辺によくいるところ、
から、
鶴の異名、
だが(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
葦鶴の、
は、
鶴(つる)が鳴くように泣く、
の意から、
君に恋ひいたもすべ無み蘆鶴之(あしたづの)ねのみし泣かゆ朝夕(あさよひ)にして(万葉集)、
住江のまつほど久になりぬればあしたづのねになかぬ日はなし(古今和歌集)、
と、
ね泣く、
にかかる枕詞である(仝上)。
葦蟹、
葦鴨、
も、
同様に、
葦辺に居るに因りて、呼び馴れたる語なり、
とある(大言海)。
あしたづ、
の、
たづ、
は、
「万葉集」では「たづ」は「つる」に対する歌語として使われていたと考えられ、平安時代以降もそれは変らない。「あしたづ」の例も基本的には歌語と認められ、歌学書にも鶴の異名として登録される、
とある(日本語源大辞典)。
あし、
は、
葦、
蘆(芦)、
葭、
と当てる、
イネ科の多年草。水辺に群生し、根茎は地中を長くはい、茎は中空の円柱形で直立し、高さ二~三メートルに達する。葉は長さ約五〇センチメートルの線形で縁がざらついており、互生する。秋、茎頂に多数の小花からなる穂をつける。穂は初め紫色で、のち褐色にかわる。若芽は食用となり、茎は葭簀(よしず)材や茅葺き屋根、製紙の原料になる。根茎は漢方で蘆根(ろこん)といい、煎汁(せんじゅう)は利尿、止血、解毒などのほか、嘔吐(おうと)をおさえるのにも用いられる、
とあり(精選版日本国語大辞典・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%97)、
安之(アシ)の葉に夕霧たちて鴨がねの寒きゆふへしな(汝)をばしのはむ(万葉集)、
と、
悪し、
と発音が同じため、後世、
ヨシ、
と言い換えられて定着し、学術的に用いられる和名もヨシとなっている(仝上)。
あし、
の由来は、
初めの意のハシの義。天地開闢の時、初めて出現した神の名をウマシアシカビヒコヂノ神といい、国土を葦原の国といった日本神話に基づく(日本釈名・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、
水辺の浅い岸にはえる草であるところから、アサ(浅)の転語(和訓集説・碩鼠漫筆)、
アシ(脚)で立つことのできる垂井にるということでアシ(脚)の転(語源辞典・植物篇=吉田金彦)、
アはアラの反、未だ田となっていない意のアラシ(荒)の転(名語記)、
アシ(編繁)の義から(日本語源=賀茂百樹)、
アシ(弥繁)の義(言元梯)、
アアト云フホドシゲルモノであるから(本朝辞源=宇田甘冥)、
ア+シ(及)、あとからあとから生えるものの意(日本語源広辞典)、
等々あるが、はっきりしない。ただ、
早く記紀など、日本神話で葦原の中つ国が日本の呼称として用いられたり、『万葉集』から数多く詠まれ、とくに難波(なにわ)の景物として知られていて(日本大百科全書)、語感ほどの悪いイメージはない。
「葦」(イ)は、
会意兼形声。「艸+音符韋(イ まるい、丸く取巻く)」。茎が丸い管状をなし親株を中心にまるくとりまいた形をして繁る草、
とある(漢字源)。また、
会意兼形声文字です(艸+韋)。「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「ある場所を示す文字とステップの方向が違う足の象形」(ある場所から別方向に進むさまから、「そむく、群を抜いて優れている」の意味)から、穂が出て他の草とは違って飛びぬけて高い「あし(水辺に生じる多年草)」を意味する「葦」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2236.html)が、
形声。「艸」+音符「韋 /*WƏJ/」、
と、形声文字とする説もある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%91%A6)。
「蘆」(漢音ロ、呉音ル)は、
会意兼形声。「艸+音符盧(ロ うつろな、丸い穴があく)、
とある(漢字源)が、他は、
形声。艸と、音符盧(ロ)とから成る(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%98%86・角川新字源)、
形声文字です(艸+戸(盧))。「並び生えた草」の象形と「虎の頭の象形と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形と角ばった土の塊の象形と食物を盛る皿の象形」(「轆轤(ろくろ)を回して作った飯入れ」の意味だが、ここでは、「旅」に通じ(同じ読みを持つ「旅」と同じ意味を持つようになって)、「連なる」の意味)から、連なり生える草「あし」を意味する「芦」(「蘆」の略字)という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2680.html)、
と、形声文字としている。
(「葭」 中国最古の字書『説文解字』 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%91%ADより)
「葭」(漢音カ、呉音ケ)は、
会意兼形声。「艸+音符叚(上からかぶさる)」
とある(漢字源)が、別に、
形声。「艸」+音符「叚 /*KA/」。「アシ」を意味する漢語{葭 /*kraa/}を表す字、
と(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%91%AD)、形声文字とする説もある。
なお、「葦」と「葭」の違いは、
アシの生えはじめ(漢辞海)、
葦のまだ穂のを出していないもの(説文解字)、
葦の未だ秀でざる者(字源)、
を、
葭、
生長したものを、
葦、
という(漢辞海)とあり、
葦未秀者為蘆(大載禮)、
と、
葦の未だ秀でざるものを、
蘆、
という(字源)らしいので、
蘆、
と
葭、
の意味は重なる。しかし、
蘆花、
とはいうが、
葦花、
とは言わない。
「鶴」(漢音カク、呉音ガク)は、「鶴髪」で触れたように、
会意兼形声。隺(カク)は、鳥が高く飛ぶこと、鶴はそれを音符とし、鳥を加えた字。確(固くて白い石)と同系なので、むしろ白い鳥と解するのがよい、
とある(漢字源)。別に、
会意形声。鳥と、隺(カク)(つる)とから成る(角川新字源)、
会意兼形声文字です(隺+鳥)。「横線1本、縦線2本で「はるか遠い」を意味する指事文字と尾の短いずんぐりした小鳥の象形」(「鳥が高く飛ぶ」の意味)と「鳥」の象形から、その声や飛び方が高くて天にまでも至る鳥「つる」を
意味する「鶴」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2168.html)、
などともある。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
戸川芳郎監修『漢辞海』(三省堂)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年07月30日
まだき
わが袖にまだき時雨のふりぬるは君が心にあきや來ぬらむ(古今和歌集)、
あかなくにまだきも月の隠るるか山の端(は)逃げて入れずもあらなむ(仝上)、
の、
まだき、
は、
まだその時期ではないのに、
はやくも、
の意(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。
まだき、
は、
夙、
豫、
と当て(広辞苑・大言海)、
ある時点を想定して、それに十分には達していない時期・時点、
を指し、
まだその時期にならないうち、
早くから、
もう、
の意味で使い(広辞苑・日本語源大辞典・岩波古語辞典)、
単独で、または「に」を伴って、
早くも、
早々と、
の意で副詞的に用いることが多い(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。
室町時代編纂のいろは引きの国語辞典『運歩色葉集(うんぽいろはしゅう)』には、
速、マダキ、
とある。この語源は、
マダ(未)・マダシ(未)と同根か(岩波古語辞典)、
「未(ま)だし」と関連ある語か(デジタル大辞泉)、
「まだし(未)」のク活用形を想定し、その連体形から転成した語(角川古語大辞典・精選版日本国語大辞典)、
マダキは、急ぐの意の、マダク(噪急)の連用形(大言海)、
イマダシキ(未如)の義(名言通)、
イマダハヤキの義(日本釈名)、
等々あるが、
朝まだき、
という場合は、
夜明けを基点として、まだそこに至らないのに、既にうっすらと明けてきた、
という含意のように見受けられる。
朝+マダキ(まだその時期が来ないうちに)、
で(日本語源広辞典)、
未明を指す、
とあるので、極端に言うと、まだ日が昇ってこないうちに、早々と明るくなってきた、というニュアンスになる。
まだき、
と同根ともされる、
まだし、
は、
未だし、
と当て、
まだその期に達しない、
意から、転じて、
なからまではあそばしたなるを末なんまだしきと宣(のたま)ふなる(蜻蛉日記)、
と、
まだ整わない、
まだ十分でない、
意で使い(広辞苑)、
琴・笛など習ふ、またさこそは、まだしきほどは、これがやうにいつしかとおぼゆらめ(枕草子)、
と、
未熟である、
意や(学研全訳古語辞典)、
この君はまだしきに、世の覚えいと過ぎて(源氏物語)、
と、
年齢などが十分でない、
幼い、
意となる(岩波古語辞典)。こうした用例から見ると、この由来は、
いまだし(未)の上略、待たしきの義(大言海)、
副詞まだ(未)の形容詞形(岩波古語辞典・角川古語辞典)、
副詞「いまだ」の形容詞化(デジタル大辞泉)、
などとあり、
未だ→まだ→まだし、
と転化した(日本語の語源)と見ていいのではないか。
「夙」(漢音シュク、呉音スク)は、「夙に」で触れたように、
会意。もと「月+両手で働くしるし」で、月の出る夜もいそいで夜なべすることを示す、
とあり(漢字源)、「夙昔(シュクセキ)」と「昔から」の意、「夙興夜寝、朝夕臨政」と、「朝早く」の意である(仝上)。別に、
会意文字です(月+丮)。「欠けた月」の象形(「欠けた月」の意味)と「人が両手で物を持つ」象形(「手に取る」の意味)から、月の残る、夜のまだ明けやらぬうちから仕事に手をつけるさまを表し、そこから、「早朝から慎み仕事をする」、「早朝」を意味する「夙」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2302.html)。
「豫(予)」(漢音・呉音ヨ)は、「予」は、
象形。まるい輪をずらせて向うへ押しやるさまを描いたもので、押しやる、伸ばす、のびやかなどの意を含む。杼(ジョ 横糸を押しやる織機の杼(ひ))の原字と考えてもよい。豫・預・野(ヤ 広く伸びた原や畑)・舒(ジョ 伸ばす)・抒(ジョ 伸ばす)などの音符となる。代名詞(予(われ))に当てたのは仮借である、
「豫」は、
会意兼形声。「象(ゾウ のんびりしたものの代表)+音符予(ヨ)」で、のんびりとゆとりをもつこと、
とある(漢字源)。別に、「予」は、
象形。機(はた)の横糸を通す杼(ひ)の形にかたどる。「杼(チヨ)」の原字。杼を横に押しやることから、ひいて「あたえる」意を表す。借りて、自称の代名詞に用いる、
「豫」は、
形声。意符象(ぞう)と、音符予(ヨ)とから成る。原義は、大きな象。借りて、まえもって準備する意に用いる、
とも(角川新字源)、
「予」は、
象形文字です。「機織りの横糸を自由に走らせ通すための道具」の象形から、「のびやか、ゆるやか」を意味する「予」という漢字が成り立ちました。また、「こちらから向こうへ糸をおしやる事から、「あたえる」の意味も表すようになりました、
「豫」は、
会意兼形声文字です(予+象)。「機織りの横糸を自由に走らせ通す為の道具」の象形(「伸びやか」の意味)と「(ゆっくり行動する動物)象」の象形から「伸びやかに・ゆっくりと楽しむ」、「あらかじめ」、「ゆとりをもって備える」を意味する「豫」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji546.html)あり、いずれも、「予」と「豫」の由来を別とし、「予」が先行と見ている。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年07月29日
玉かづら
玉かづら今は絶ゆとや吹く風の音にも人の聞こえざるらむ(古今和歌集)、
の、
かづら、
は、
蔓草の総称、
玉、
は、
美称、
とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、ここは、
絶ゆ、
にかかる枕詞(仝上)。
谷狭(せば)み峯に延(は)ひたる多麻可豆良(タマカヅラ)絶えむの心我がもはなくに(万葉集)
と、
たまかづら、
は、
玉葛、
玉蔓、
と当て(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)、「たま」は美称で、
かづら、
は、
蔓草類の総称(岩波古語辞典)、
つる性の植物の総称(精選版日本国語大辞典)、
で、
ヒカゲノカズラ、
ヘクソカズラ、
ビナンカズラ、
等々の、
特定の植物をさす、
とする説もあるが、確証はない(仝上)とある。「ヒカゲノカズラ」については「さがりごけ」で触れた。
また、
たまかづら、
は、枕詞として、つる草のかずらの意で、つるがどこまでも延びてゆくところから、
玉葛(たまかづら)いや遠長く祖(おや)の名も継ぎゆくものと母父(おもちち)に妻に子どもに語らひて(万葉集)、
と、
長し、
いや遠長く、
などにかかり、
つがの木のいや継ぎ継ぎに玉葛(たまかづら)絶ゆることなくありつつもやまず通はむ(万葉集)、
と、
絶えず、
絶ゆ、
にかかり、延びる意の延(は)うの意で、
玉かづらはふ木あまたになりぬれば絶えぬ心のうれしげもなし(古今和歌集)、
と、「延ふ」と同音の、
這(は)ふ、
などにかかる(精選版日本国語大辞典)。
たまかづら、
は、
玉鬘、
と当てると、
根使主(ねのおむ)の着せる玉縵(たまカツラ)、大(はなは)た貴(けやか)にして最好(いとうるわ)し(日本書紀)、
と、
装身具、
の意で、蔓草を頭に巻いたところから、
多くの玉を緒に通し、頭にかけて垂れた髪飾り、
を言い(岩波古語辞典)、のちに、
御ぐしのめでたかりしはまたあらむやとて、とりに奉りたまへりければ、からもなくなりにし君がたまかつらかけもやするとおきつつもみむ(「斎宮女御集(985頃)」)、
と、
美しいかつら、またはかもじの美称、
や、
ありし昔の玉かづら色つくれる面影常にかはり(浮世草子「世間娘容気(1717)」)、
と、
女性の美しい髪のたとえ、
にいう(精選版日本国語大辞典)。
また、枕詞として、つる草の一つ、「ひかげのかずら」を「かずら」とも「かげ」ともいうところから、
人はよし思ひやむとも玉蘰(たまかづら)影に見えつつ忘らえぬかも(万葉集)、
と、
「かげ」と同音、または同音を含む「影」「面影」にかかる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
「葛」(漢音カツ、呉音カチ)は、「葛の葉」で触れたように、
会意兼形声。「艸+音符曷(カツ 水分がない、かわく)」。茎がかわいてつる状をなし、切っても汁が出ない植物、
とある(漢字源)。「くず」の意である。また、
会意兼形声文字です(艸+曷)。「並び生えた草」の象形と「口と呼気の象形と死者の前で人が死者のよみがえる事を請い求める象形」(「祈りの言葉を言って、幸福を求める、高く上げる」の意味)から、木などにからみついて高く伸びていく草「くず」、「草・木のつる」を意味する「葛」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2110.html)が、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%91%9B)、
形声。「艸」+音符「曷 /*KAT/」(仝上)、
形声。艸と、音符曷(カツ)とから成る(角川新字源)、
とする説がある。
「鬘」(慣用マン、漢音バン、呉音メン)は、
会意兼形声。「髟(かみの毛)+音符曼(かぶせてたらす)」、
とあり(漢字源)、「髪がふさふさと垂れさがるさま」「インドふうの、花を連ねて首や体を飾る飾り」(仝上)の意である。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2024年07月28日
初地
竹逕従初地(竹逕 初地(しょち)に従い)
蓮峰出化城(蓮峰 化城(けじょう)を出す)(王維・登弁覚寺)
の、
化城、
は、
佛が衆生を導いて行く時、途中で疲れると、方便によって、前方に町を現出せしめるので、衆生はまた元気を取り戻し、前進するという、その幻の町のこと、
という。ここでは、
弁覚寺の建物をそれに喩えたもの、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
初地、
は、
菩薩の十地のうち、第一段階の地、
をいう。つまり、
仏果を得るための入口、
で、ここではそれを、
寺の入口、
にかけていったもの(仝上)とある。
化城(けじょう)、
は、
神通力をもって化作した城郭、
の意(精選版日本国語大辞典)で、
法華経に説く七喩、
の一つ、「法華義疏」に、
第三従道師多諸方便以下。名為設化城譬、
とある、
大乗の究極のさとりを宝所にたとえて、そこに達する途中の、遠くけわしい道で、人々が脱落しないよう一行の導師が城郭を化作して人々を休ませ、疲労の去った後、さらに目的の真実の宝所に導いたというたとえ、
で、
大乗の涅槃(ねはん)に達する前段階としての小乗方便の涅槃、
をいう(仝上)とある。「妙法蓮華経」化城喩品第七に、
譬えば五百由旬の険難悪道の曠かに絶えて人なき怖畏の処あらん。若し多くの衆あって、此の道を過ぎて珍宝の処に至らんと欲せんに、一りの導師あり。聡慧明達にして、善く険道の通塞の相を知れり(導師の譬)。
衆人を将導して此の難を過ぎんと欲す。所将の人衆中路に懈怠して、導師に白して言さく、我等疲極にして復怖畏す、復進むこと能わず。前路猶お遠し、今退き還らんと欲すと。導師諸の方便多くして、是の念を作さく、此れ等愍むべし。云何ぞ大珍宝を捨てて退き還らんと欲する。是の念を作し已って、方便力を以て、険道の中に於て三百由旬を過ぎ、一城を化作して、衆人に告げて言わく、汝等怖るることなかれ、退き還ること得ることなかれ。今此の大城、中に於て止って意の所作に随うべし。若し是の城に入りなば快く安穏なることを得ん。若し能く前んで宝所に至らば亦去ることを得べし。是の時に疲極の衆、心大に歓喜して未曾有なりと歎ず。我等今者斯の悪道を免れて、快く安穏なることを得つ。是に衆人前んで化城に入って、已度の想を生じ安穏の想を生ず。
爾の時に導師、此の人衆の既に止息することを得て復疲倦無きを知って、即ち化城を滅して、衆人に語って、汝等去来宝処は近きに在り。向の大城は我が化作する所なり、止息せんが為のみと言わんが如し(将導の譬)
とある(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/3/07.htm)、
方便力を以て、険道の中に於て三百由旬を過ぎ、一城を化作して、衆人に告げて言わく、汝等怖るることなかれ、退き還ること得ることなかれ。今此の大城、中に於て止って意の所作に随うべし、
のことである。
世の中を厭ふまでこそかたからめかりの宿りを惜しむ君かな(西行)、
の、
仮の宿り、
は、
宿を借りる意、
だが、法華経化城喩品第七に説く、
この世は仮の宿で、虚妄である、
という、
化城の比喩、
の意を込めている(久保田淳訳注『新古今和歌集』)とある。この歌の返しが、
世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ(遊女妙)、
と、
現世を厭離した人が、仮の宿に執着なさるな、
と返している(仝上)。
七喩、
は、
「三草二木」、「窮子(ぐうじ)」で触れたように、法華経に説く、
七つのたとえ話、
で、
法華七譬(しちひ)、
ともいい、
化城、
を説く、
化城宝処(けじょうほうしょ、化城喩品)、
の他、
三草二木(さんそうにもく)、
三車火宅(さんしゃかたく、譬喩品 「大白牛車(だいびゃくぎっしゃ)」でも触れた)
長者窮子(ちょうじゃぐうじ、信解品 「窮子」で触れた)
衣裏繋珠(えりけいじゅ、五百弟子受記品)
髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ、安楽行品)
良医病子(ろういびょうし、如来寿量品)
がある。
初地(しょじ)、
は、
菩薩の修行の最上の十段階である十地(じゅうじ)の第一、
である、
歓喜地(かんぎじ)、
をいう(精選版日本国語大辞典)。「十住経」に、
もし衆生あって、厚く善根を集め、諸の善行を修め、よく助道の法を集め、諸仏を供養し、諸の清白の法を集め、善知識に護られ、深広の心に入り、大法を信楽し、心多く慈悲にむかい、好んで仏智を求めるならば、このような衆生はよく阿耨多羅三藐三菩提心(無上正真道意)をおこすであろう。一切種智を得るがための故に(為得一切種智故)、十力を得るがための故に(為得十力)、大無畏を得るがための故に‥‥菩薩はこのような心をおこすのである。この無上正真道意すなわち無上道心をおこすとき衆生は直ちに凡夫地をこえて菩薩位に入り、菩薩道を展開する身となる。これを歓喜地(初地)に入るという、
とある(http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%98)。
十地(じゅうじ)、
は、
大乗の菩薩が菩提心を発してから仏道修行を積み、仏果を獲得するまでの階位、
をいい、
菩薩が修行して経過すべき 52位の段階のうち第 41位から第 50位までの10位、
をいうが、
諸経論によって階位の数や名称、開合の仕方が異なり、思想史的な発展も認められる。中国仏教において一般的に用いられるのは『菩薩瓔珞本業経』に説かれる、
十信・十住(習種性)・十行(性種性)・十回向(道種性)・十地(聖種性)・等覚(等覚性)・妙覚(妙覚性)、
であり、
十信以下を外凡(げぼん)、十住以上を内凡(ないぼん)とし、十住・十行・十回向を三賢(さんげん)、十地を十聖、
とよび、あわせて、
三賢十聖、
という(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%8F%A9%E8%96%A9%E3%81%AE%E9%9A%8E%E4%BD%8D)とある。階位の詳目は、十信位は、
①信心②念心③精進心④慧心⑤定心⑥不退心⑦回向心⑧護心⑨戒心⑩願心、
十住位は、
①発心住②治地住③修行住④生貴住⑤方便住⑥正心住(しょうしんじゅう)⑦不退住⑧童真住(どうしんじゅう)⑨法王子住⑩灌頂住、
十行位は、
①歓喜行②饒益(にょうやく)行③無瞋恨(むしんこん)行④無尽行⑤離痴行⑥善現行⑦無著行⑧尊重行⑨善法行⑩真実行、
十回向位は、
①救護一切衆生離相回向心(くごいっさいしゅじょうりそうえこうしん)②不壊(ふえ)回向心③等一切仏回向心④至一切処回向心⑤無尽功徳蔵回向心⑥随順平等善根回向心⑦随順等観一切衆生回向心⑧如相回向心⑨無縛解脱回向心(むばくげだつえこうしん)⑩法界無量回向心、
十地は、
①四無量心(歓喜地)②十善心(離垢地)③明光心(発光地)④焰慧心(烙慧地)⑤大勝心(難勝地)⑥現前心(現前地)⑦無生心(遠行地)⑧不思議心(不動地)⑨慧光心(善慧地)⑩受位心(法雲地)、
で、さらに等覚(入法界にゅうほっかい心)、妙覚(寂滅心)となる(仝上)。
十地、
は『菩薩瓔珞本業経(ぼさつようらくほんごうきょう)』などに説かれる大乗菩薩の階位(十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚)であり、この位に入って無明を断じて真如を証し、誓願と修行を完成させることを、
十地願行(じゅうじがんぎょう)、
という(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E5%9C%B0%E9%A1%98%E8%A1%8C)。善導『往生礼讃』には、
専ら名号を称すれば、西方に至ると。彼しこに到れば華開きて妙法を聞き、十地の願行自然に彰あらわる、
とあり、極楽浄土に往生すれば十地の願行の徳が自然にそなわっていくことを説いている。これは四十八願中の第二二・必至補処の願にもとづく内容である(仝上)という。当然、
十地、
は、仏のさとりをうるまでの修行段階を言うので、
亦大僧等、徳は十地に侔(ひと)しく、道は二乗に超えたり(霊異記)、
と、
菩薩、
の意味でも使う(精選版日本国語大辞典)。
なお、「菩薩」については「薩埵」で、法華経については、「法華経五の巻」で触れた。
「化」(漢音カ、呉音ケ)は、「化生」で触れたように、
左は倒れた人、右は座った人、または、左は正常に立った人、右は妙なポーズに体位を変えた人、いずれも両者を合わせて、姿を変えることを示した会意文字、
とある(漢字源)が、別に、
会意。亻(人の立ち姿)+𠤎(体をかがめた姿、又は、死体)で、人の状態が変わることを意味する、
とか(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%96)、
会意形声。人と、𠤎(クワ 人がひっくり返ったさま)とから成り、人が形を変える、ひいて「かわる」意を表す。のちに𠤎(か)が独立して、の古字とされた、
とか(角川新字源)、
指事文字です。「横から見た人の象形」と「横から見た人を点対称(反転)させた人の象形」から「人の変化・死にさま」、「かわる」を意味する「化」という漢字が成り立ちました、
とか(https://okjiten.jp/kanji386.html)とある。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年07月27日
見まく
いたづらに行きては來ぬるものゆゑに見まくほしさにいざなはれつつ(古今和歌集)、
見てもまたまたも見まくのほしければなるるを人はいとふべらなり(仝上)、
の、
まく、
は、
助動詞「む」を名詞化したク語法、
ほしければ、
は、
まく、
と結合して、
まくほし、
となる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。
見まく、
は、
見む、
の、
ク語法で、
あしひきの山に生ひたる菅の根のねもころ見まく欲しき君かも(万葉集)、
と、
見るであろうこと、
見ようとすること、
見ること、
の意味となる(岩波古語辞典)。
「おもわく」、「ていたらく」、「すべからく」などで触れたことだが、
ク語法、
は、今日でいうと、
いわく、
恐らく、
などと使うが、奈良時代に、
有らく、
語らく、
来(く)らく、
老ゆらく、
散らく、
等々と活発に使われた造語法の名残りで、これは前後の意味から、
有ルコト、
語ルコト、
来ること、
スルコト、
年老イルコト、
散ルトコロ、
の意味を表わしており、
ク、
は、
コト
とか、
トコロ、
と、
用言に形式名詞「コト」を付けた名詞句と同じ意味になる、
とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E8%AA%9E%E6%B3%95・岩波古語辞典)、後世にも漢文訓読において、
恐るらくは(上二段ないし下二段活用動詞『恐る』のク語法、またより古くから存在する四段活用動詞『恐る』のク語法は『恐らく』)、
願はく(四段活用動詞「願う」)、
曰く(いはく、のたまはく)、
すべからく(須、『すべきことは』の意味)、
等々の形で、多くは副詞的に用いられ、現代語においてもこのほかに
思わく(「思惑」は当て字であり、熟語ではない)、
体たらく、
老いらく(上二段活用動詞『老ゆ』のク語法『老ゆらく』の転)、
などが残っている(仝上)。
まく、
は、
推量の助動詞ムのク語法、
で、
梅の花散らまく惜しみわが園の竹の林に鶯なくも(万葉集)、
見渡せば春日の野辺に立つ霞見まくのほしき君が姿か(仝上)、
と、
……しようとすること、
……だろうこと、
の意となる(岩波古語辞典)。
む、
は、動詞・助動詞の未然形を承ける語で、
む・む・め
と活用し、
行かまく、
見まく、
の、
ま、
は、ク語法の語形変化であり、「む」の未然形ではない(仝上)とある。
「見」(漢音呉音ケン、呉音ゲン)は、「目見(まみ)」で触れたように、
会意文字。「目+人」で、目立つものを人が目にとめること。また、目立って見える意から、あらわれる意ともなる、
とある(漢字源)。別に、
会意。目(め)と、儿(じん ひと)とから成る。人が目を大きくみひらいているさまにより、ものを明らかに「みる」意を表す(角川新字源)、
会意(又は、象形)。上部は「目」、下部は「人」を表わし、人が目にとめることを意味する(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A6%8B)、
会意文字です(目+儿)。「人の目・人」の象形から成り立っています。「大きな目の人」を意味する文字から、「見」という漢字が成り立ちました。ものをはっきり「見る」という意味を持ちます(https://okjiten.jp/kanji11.html)、
など、同じ趣旨乍ら、微妙に異なっているが、目と人の会意文字であることは変わらない。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2024年07月26日
第三声
唯有夜猿知客恨(唯夜猿(やえん)の客恨(かくこん)を知る有り)
嶧陽溪路第三聲(嶧陽(えきよう)渓路 第三声(だいさんせい))(李端・送劉侍郎)
の、
第三声、
は、猿の鳴き声は非常に悲しく、三度その声を聞けば、涙をおとさずにはすられないという、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。後魏の酈道元「水經注」に、
巴東の山峡、巫峡長く、猿鳴くこと三声にして、涙裳(もすそ)を沾(うるお)す、
とあるのにもとづく(仝上)とある。
『水経注』江水の条に、
漁者歌曰:巴東三峽巫峽長、猿鳴三聲淚沾裳。江水又東逕石門灘、灘北岸有山、山上合下開、洞達東西、緣江步路所由。劉備爲陸遜所破、走逕此門、追者甚急、備乃燒鎧斷道。孫桓爲遜前驅、奮不顧命、斬上夔道、截其要徑。備踰山
とあり(https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%B6%93%E6%B3%A8/34)、漁者の、
巴東三峽、巫峽長、猿鳴三聲、淚沾裳(巴東(はとう)の三峡、巫峡(ふきょう)長く、猿鳴くこと三声(さんせい)にして、涙裳(もすそ)を沾(うるお)す)、
からきている(https://kanbun.info/syubu/toushisen402.html)。また、梁の元帝(蕭繹)の「武陵王に遺おくる詩」(『古詩紀』巻八十一)にも、
四鳥嗟長別(四鳥(しちょう)長別(ちょうべつ)を嗟(なげ)き)
三聲悲夜猿(三声(さんせい)夜や猿(えん)悲む)
とある(仝上)。なお「水経注」は、
中国古代の地理書。40巻。北魏の酈道元(れきどうげん)が、漢代から三国時代ころに作られた中国河川誌「水経」に拠って、中国全土の水路を詳述したもの、
である。ただ、
古書『水經』に注釈を加えるという形を取っているが、注が正文の二十倍にも及んでおり、現在『水經』として単独で用いることはない。黄河にはじまり、揚子江水系から江南諸水に及び、その流域の都城・古跡に触れ、その際に古書を多数引用している。この書は、宋代には既に本文と注の区別がつかない等の混乱を生じていたが、清の戴震らの校訂作業によって、ほぼ原型が復元された、
とある(http://karitsu.org/kogusho/b4_skc.htm)。なお、酈道元については「酈道元略伝」(https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/145734/1/jor006_2_130.pdf)に詳しい。
ただ、知っている猿の鳴き声は、どうも哀調とは無縁に思える。同じことを考えた人がいて、確かめた人曰く、
高く澄んだ美しい音色でした。中国にもたくさんの種類の猿が棲息しているのでしょうが、この武陵源で見た猿は、大きさも姿も日本猿とほとんど変わりません。あえて違いを言えば、やや小ぶりであるのと、日本猿ほど顔が赤くないというくらい、それもわずかな違いにすぎません。……その鳴き方というのは、口を小さく0型に突き出すようにして、ホ―っと高く声をのばすのです。高く澄んだその声は、むしろ鳥の声に近く、けもの類と鳥類とのあいだのような音色です。それはちょうど日本の鹿の鳴き声にも似ているようでした、
とある(波戸岡旭「中国・武陵源の猿声」https://www2.kokugakuin.ac.jp/letters/examinee/zuihitsu/hatookax.htm)。
「猿」(漢音エン、呉音オン)は、「猿蟹合戦」で触れたように、
会意兼形声。「犬+音符爰(エン ひっぱる)。木の枝を引っ張って木登りをするさる。猿は音符を袁(エン)にかえた、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(犭(犬)+袁(爰))。「耳を立てた犬」の象形と「ある物を上下から手をさしのべてひく」象形(「ひく」の意味)から、長い手で物を引き寄せてとる動物「さる(ましら)」を意味する「猿」という漢字が成り立ちました。「猿」は「猨」の略字です、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1815.html)。
「猿」に当てる漢字には、「猴」(漢音コウ、呉音グ)もあるが、これは、
「犬+音符侯(からだをかがめてうかがう)」。さるが、様子をうかがう姿から来た名称、
とある(漢字源)。「猿猴(えんこう)」で、「さる」なのだが、両者の区別はよく分からない。孫悟空の場合、通称は、
猴行者、
で、自らは、
美猴王(びこうおう)、
と名乗ったので、「猿」ではなく、「猴」である。「猴」は、
人に似て能く坐立す。顔と尻とには毛がなく赤し、尾短く、性躁にして動くことを好む、
とある(字源)が、猿のかしらは、
山多猴、不畏人、……投以果実、則猴王・猴夫人食畢、羣猴食其余(宋史・闍婆國傳)、
と、
猴王、
という(字源)。
猨(猿)、
は、やや大型のさるで、手足の長いものを指す、
とあり、
猴、
は、
小型のさる、
とある(漢辞海)ので、「猿(猨)」と「猴」は区別していたようである。
この他に、「さる」の意で、
體離朱之聰視、姿才捷于獼猿(曹植・蝉賦)、
と
獼猿(ビエン)、
や、「おおざる」の意で、
淋猴即獼猴(漢書・西域傳・註)、
と
獼猴、
という使い方をする、
獼(ビ)、
がある。「獼」自体、
おおざる、
の意で、
母猴、
淋猴、
ともいう(漢字源)、とある。日本でも、色葉字類抄(1177~81)に、
獼猴 みこう、びこう、
と載り(精選版日本国語大辞典)、
後生に此の獼猴の身を受けて、此の社の神と成るが故に(「霊異記(810~824)」、戦国策・斉策)、
海内一に帰すること三年、獼猴(みごう)の如くなる者天下を掠むこと二十四年、大凶変じて一元に帰す(「太平記(1368~79)」)
仏家には、人の心を猿にたとへられたり。六窓獼猴(ミゴウ)といふ事あり(仮名草子「東海道名所記(1659~61頃)」)、
等々と使われる(仝上)。
猢猻(こそん)、
猴猻(こうそん)、
は、猿の別称、
とされる(https://kanji.jitenon.jp/kanjiy/16424.html)が、
猻、
は、
子猿、
の意とある(漢字源)。
「猻」(ソン)は、
会意兼形声。「犬+孫(ちいさい)」、
で、
小ざる、
の意である(漢字源)。
猴、
より小さいという意味だろう。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年07月25日
虎溪三笑
虎溪閒月引相過(虎渓(こけい)の間月(かんげつ) 引いて相過ぎ)
帶雪松枝掛薜蘿(雪を帯ぶる松枝(しょうし) 薜蘿(へいらく)を掛く)
無限靑山行欲盡(無限の青山(せいざん) 行く盡きんとす)
白雲深處老僧多(白雲深き処 老僧多し)(釈霊一・僧院)
の、
虎溪、
は、
江西省廬山の東林寺の境内にある川、
をいい、晋の名僧慧遠(えおん)が東林寺に住み、来客があっても、俗界禁足と、川の手前までしか送らなかった。ある日、陶淵明(とうえんめい)と陸修静の二人が寺を訪れ、辞去するときに、慧遠は思わず話に身が入って、虎溪を渡ってしまった。そこで気づき、三人は顔を見合わせた、
という、
虎溪の三笑、
の故事として有名である(前野直彬注解『唐詩選』)。
虎溪三笑(こけいさんしよう)、
は、
三笑、
ともいう(広辞苑)。出典は、宋代の、
廬山記(ろざんき)、
で、日本で元禄十年(1697)に日本版『廬山記』が刊行されたが、『〔宋版〕廬山記』に附された地図がない代わりに、
「廬山」にまつわるエピソードを描いた挿し絵が収録されています、
とある(https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/rekishihouko/h27contents/27_1040.html)。
廬山、
は、
中国の江西省九江市の南に位置し、景勝地として有名で、宋版「廬山記」(陳舜兪)は、「廬山」の観光案内書で、南宋の紹興年間(1131~1163)に刊行された。陳舜兪は、
廬山の名所旧跡を訪れて見聞記を著し、廬山に関する資料と合わせて、全5巻の観光案内記にまとめました、
とある(https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/rekishihouko/h27contents/27_1010.html)。
慧遠(えおん 334~416)、
は、東晋(とうしん)の仏僧。浄土宗の祖師と称され、
蘆山(ろさん)の慧遠、
といわれる。
陶淵明(とう えんめい 365~427)、
は、六朝時代の東晋末~南朝宋初の詩人。陶淵明については、「帰去来」で触れた。
陸修静(りくしゅうせい 406~477)、
は、
劉宋時代の道士。字は元徳、号は簡寂先生。
(虎渓三笑図屏風(曽我蕭白) http://www.iwanami-art.jp/knowledge/trad/kokeisanshoより)
『後素説』に曰く、
戯放禅月作、遠公詠并序、遠法師居廬山下持律精苦過中不受密湯、而作詩換酒、飲陶彭沢、送客無貴賎、不過虎渓而与陸道士行、過虎渓数百歩、大笑而別、故禅月作詩云、
愛陶長官酔兀々、送陸道士、行遅置酒、過渓皆破戒、期何人期師如期故効之、邀陶淵明把酒椀、送陸修静、過虎渓、胸次九流清似鏡、人間万事酔如泥、
註云、禅月師名貫休其詩見於集中、陳舜兪廬山記曰、遠師送陶元亮陸修静不覚過虎渓、因相与大笑、今世伝三笑図蓋起於比、又云、陳舜兪廬山記曰、簡寂観宋陸先生之隠居、隠居名修静、明帝召至闕、設崇虚館通仙堂、以待之、仍会儒釈之士講道於荘厳仏寺、
とある(https://www.arc.ritsumei.ac.jp/opengadaiwiki/index.php/%E8%99%8E%E6%B8%93%E4%B8%89%E7%AC%91)。
虎渓三笑、
は、
三酸吸聖、
に通じる、
仏教(慧遠)・儒教(陶淵明)・道教 (陸修静)の一致、
つまり真理はひとつということを暗示しているされ、
禅味豊かなるを以て従来画材となる、
と(https://www.arc.ritsumei.ac.jp/opengadaiwiki/index.php/%E8%99%8E%E6%B8%93%E4%B8%89%E7%AC%91)ある。
(虎渓三笑図(こけいさんしょうず)(啓孫 室町時代) https://ch.kanagawa-museum.jp/monthly_choice/2019_12より)
ちなみに、
三酸吸聖(さんさんきゅうさん)、
は、
三酸図、
ともいい、
三聖図(さんせいず)、
三教図、
三教聖人図、
吸酢三教図、
三聖吸酸の図(さんせいきゅうさんのず)、
等々の呼び方もある、、
儒の蘇武、道教の黄庭堅、仏教の佛印の三者が、桃花酸を共になめて眉を顰める図、
で、
三教の一致、
を諷するものとされる(広辞苑)。
孔子、老子、釈尊、
を描くこともある(仝上)。
(三酸・寒山拾得図屏風(海北友松) 六曲一双、左隻三酸図、右隻寒山拾得図である https://j-art.hix05.com/16.3.kaiho/kaiho09.sansan.htmlより)
なお、能の演目にも「三笑」というものがあり(http://www.tessen.org/dictionary/explain/sansyo)、ストーリーは同じである。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2024年07月24日
三壽
一月主人笑幾回(一月(いちげつ)に主人 笑うこと幾回(いくかい)ぞ)
相逢相値且銜杯(相逢い相値(あ)うて且(しばら)く杯(はい)を銜(ふく)まん)
眼看春色如流水(眼(ま)のあたり看(み)る 春色(しゅんしょく) 流水の如きを)
今日殘花昨日開(今日(こんにち)の残花は昨日開きしなり)(崔恵童・宴城東荘)
の、
値、
は、
逢、
と同じ意味、
識(知り合いになる)、
となっている本もある(前野直彬注解『唐詩選』)とあるが、
値、
は、
思いがけなく出会うこと、
ともある(https://kanbun.info/syubu/toushisen462.html)。
寧見乳虎、無値寧成之怒(乳虎に見(あ)ふとも寧成の怒に値(あ)ふなかれ)(史記・酷吏傳)、
とあるように、
出くわす、
という意味で、『説文解字』に、
値、措也(値は、措くなり)、
とあり、徐注に、
一曰逢遇(一に曰く、逢遇するなり)、
とある(仝上)。
笑幾回、
は、「荘子」盗跖篇に、
人上壽百歳、中壽八十、下壽六十除病瘦死喪憂患、其中開口而笑者、一月之中、不過四五日而已矣(人、上寿百歳、中寿八十、下寿六十。病瘦・死喪・憂患を除きて、其の中(うち)に口を開きて笑う者、一月(いちげつ)の中(うち)、四五日(じつ)に過ぎざるのみ)
にあるのを踏まえる(前野直彬注解『唐詩選』・https://kanbun.info/syubu/toushisen462.html)とある。この、
上壽百歳、
中壽八十歳、
下壽六十歳、
の長寿三種を、上記出典から、
三寿(さんじゅ)、
という(広辞苑)が、
上寿(100歳または120歳)、
中寿(80歳または100歳)、
下寿(60歳または80歳)、
と幅がある(広辞苑・デジタル大辞泉)。
「値」(①漢音チ・呉音ジ、②漢音チョク・呉音ジキ)は、
会意兼形声。直は「|(まっすぐ)+目+∟(かくす)」の会意文字で、目をまともにあてて、隠れたものを直視することを示す。植(真っ直ぐ立てる)、置(真っ直ぐに立ておく)と同系のことば。値は「人+音符直」で、何かにまともにあたる、物のねうちにまともにあたる値段の意、
とある(漢字源)。「価値」の、物の値打ちに相当するあたい、の意の場合①の音、「当値(直)」の、役目や順番に当たる意、あう、当面にするの意の場合②の音となる(仝上)。別に、
会意兼形声文字です(人+直)。「横から見た人」の象形と「まじないの印の十をつけた目」の象形(「まっすぐ見つめる」の意味)から、人が見つめあう事を意味し、そこから、人が「会う」、物に向き合う「値段」、「価値」を意味する「値」という漢字が成り立ちました。また、「直(ジ)」は「持(ジ)」に通じ(同じ読みを持つ「持」と同じ意味を持つようになって)、「持つ」の意味から、「人が持つ」の意味も表すようになりました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji968.html)が、
形声。「人」+音符「直 /*TƏK/」。「あう」を意味する漢語{値 /*drəks/}を表す字。のち仮借して「あたい」を意味する漢語に用いる、
も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%80%A4)、
形声。人と、音符直(チヨク、チ)とから成る。立てておく意を表す。直と通じ、あたる、転じて「あたい」の意に用いる、
も(角川新字源)、形声文字とする。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
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2024年07月23日
西施石
西施昔日浣紗津(西施(せいし) 昔日(せきじつ) 浣紗(かんさ)の津(しん))
石上靑苔思殺人(石上(せきじょう)の青苔(せいたい) 人を思殺(しさつ)す)
一去姑蘇不復返(一たび姑蘇(こそ)に去って復(ま)た返(かえ)らず)
岸傍桃李爲誰春(岸傍(がんぼう)の桃李(り) 誰(た)が為にか春なる)(楼穎・西施石)
の、
浣紗(かんさ)、
は、
川で紗をすすぐ、
つまり、
紗を晒すこと、
をいう(前野直彬注解『唐詩選』)。
姑蘇、
は、
呉王夫差の都、
で、今の江蘇省 蘇州市である(https://kanbun.info/syubu/toushisen458.html)。「姑蘇」は、ここでは、
姑蘇台、
を指す。姑蘇台は、
山在州西四十里。其上闔閭起臺((姑蘇)山は(蘇)州の西四十里に在り。其の上に闔廬(こうりょ)、台を起(きづ)く)、
とあり(元和郡県図志)、春秋時代の後期、
呉王闔廬(こうりょ)が姑蘇山(江蘇省蘇州市の西南)上に築き、後にその子夫差が改修した離宮。西施など大勢の美女を住まわせて遊んだ、
という(仝上)。この、
台、
は、
建物を築くとき、土を高く盛ってつき固めた台基のこと、
とある(仝上)。
思殺、
の、
殺、
は、
程度の甚だしいことをあらわすこと、
で、
深く思うこと、
とある(前野直彬注解『唐詩選』・https://kanbun.info/syubu/toushisen458.html)
西施、
については、「顰に倣う」で触れたが、
中国史上代表的な美人の一人、
で、四大美人というと、
西施(春秋時代)、
王昭君(前漢)、
貂蝉(ちょうせん 後漢)、
楊貴妃(唐)、
で、貂蝉は、『三国志演義』に登場する架空の人物。このほかに卓文君(前漢)を加え、王昭君を除くこともあり、虞美人(秦末)を加え、貂蝉を除くこともある、という。
西施は、
沈魚美人、
とも言われるが、春秋時代、越の国に生まれ、
家が貧しいので、薪を採ったり、川で紗(薄い絹)を晒したりして働いた。このころ呉王夫差との戦いに敗れ、復讐を志していた越王勾践に召し出され、夫差のもとに送った。夫差は、彼女の容色におぼれ、国政を顧みなくなったので、呉国は次第に乱れ、終には越に滅ぼされた、
というまさに傾城の美女である。彼女が紗をさらしていた谷川は、後世、
浣紗渓、
と呼ばれ、
西施石、
も、そうした伝説の一つで、
会稽の苧蘿(ちょら)山中(今の浙江省紹興市の西南、諸曁(しょき)市)の谷川で紗(うすぎぬ)を洗ったときに使った石、
とされる(前野直彬注解『唐詩選』)。西施をしのびながら作ったのが冒頭の詩になる。
中国の類書(一種の百科事典『太平御覧』(北宋・李昉(りほう)編、983年完成)に、
勾踐索美女以獻吳王、得諸曁羅山賣薪女西施、鄭旦、先教習于土城山。山邊有石、云是西施浣紗石(勾践、美女を索(もと)め以て呉王に献ぜんとし、諸曁羅(しょきら)山の薪(たきぎ)を売る女、西施・鄭旦(ていたん 西施と同郷とされ、越王勾践によって西施とともに呉に送られた)を得、先ず土城山に教習せしむ。山辺に石有り、云う是れ西施紗(うすぎぬ)を浣(あら)う石なり)、
とある(https://kanbun.info/syubu/toushisen458.html)。
西施、
の名は、
「顰にならう」で触れたように、本名は、
施夷光、
中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれ、
と言われている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%96%BD)。
西施、
と言う名は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施、西施と呼ばれるようになった、
とある(仝上)。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年07月22日
大荒
平沙落日大荒西(平沙(へいさ)の落日 大荒(たいこう)の西)
隴上明星高復低(隴上(ろうじょう)の明星(めいせい) 高く復た低し)
孤山幾處看烽火(孤山(こざん) 幾処(いくしょ)か烽火(ほうか)を看(み))
戰士連營候鼓鼙(戦士 営(えい)を連ねて鼓鼙(こへい)を候(うかが)う)(張子容・水調歌第一畳)
の、
平沙、
は、
広く平らな砂漠、
の意、
沙、
は、「砂」と同じ(https://kanbun.info/syubu/toushisen448.html)とある。
平沙落雁、
というと、
干潟に降り立つ雁の群れのこと、
をいい、
中国の山水画の伝統的画材である瀟湘八景(瀟湘地方の八つの景勝。山市晴嵐・漁村夕照・遠浦帰帆・瀟湘夜雨・煙寺晩鐘・洞庭秋月・平沙落雁・江天暮雪)の中の一つ、
である(https://yoji.jitenon.jp/yojib/945.html)。
(平沙落雁図(牧谿) https://qiuyue7.blogspot.com/2011/12/2011-12-11.htmlより)
大荒、
は、
世界のはて、
の意、古くから、
都を中心として同心円状に世界を五分し、『書経』益稷篇に、
惟荒度土功、弻成五服、至于五千(毎服、五百里、四方相距ること、五千里なり)
とあるように、
五服、
と名づける観念があり、その最も外側の、
王畿より離れること二千里より二千五百里に至る地(字源)、
を、
荒服、
と呼んだことからきている(前野直彬注解『唐詩選』)。塞外の地は、文化の及ばぬところで、
荒服、
と意識されていた(仝上)とある。
五服(ごふく)、
は、上古、
王畿を中心として、其四方、周囲五百里づつ距(さ)りたる、五つの地域、
を称し、王畿の周圍なる五百里の地を、
甸(でん)服、
と云ひ、其の外圍なる五百里を、
侯服、
と云ひ、其の外圍を、
綏(すい)服、
其の外圍を、
要服、
其の外圍を、
荒服、
といった(大言海)。
甸(でん)服、
の地が最も王城に接し、
荒服、
の地が最も遠くなる。『書経』禹貢篇には、
五百里荒服、三百里蠻、二百里流(五百里は荒服、三百里は蛮(ばん)、二百里は流(りゅう))、
ともある(https://kanbun.info/syubu/toushisen448.html)。『山海経』大荒西経には、
大荒之中有山、名曰大荒之山。日月所入(大荒の中うちに山有り、名づけて大荒の山と曰う。日月の入る所なり)、
とある(仝上)。
「荒」(コウ)は、
会意兼形声。亡(モウ・ボウ)は、ない、何も見えないの意、巟(コウ)は、何も見えないむなしい川。荒はそれを音符とし、艸を加えた字で、みのりの作物が何もない、むなしいの意、
とある(漢字源)。なお、
「荒󠄁」は「荒」の旧字、「𠯚」「𠃤」は「荒」の古字、「𫟎」は「荒」の俗字、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8D%92)。別に、
会意兼形声文字です。「並び生えた草」の象形と「人の死体に何か物を添えた象形と大きな川の象形」(「大きな川のほか何もない」の意味)から、「あれはてた草のほか何もない」意味する「荒」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji1203.html)あるが、
形声。「艸」+音符「巟 /*MANG/」。「手つかずの土地」「あれはてる」を意味する漢語{荒 /*hmaang/}を表す字、
も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8D%92)、
形声。艸と、音符巟(クワウ)とから成る。耕す人のいないあれ地、ひいて、あれはてる意を表す、
も(角川新字源)、形声文字とする。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
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2024年07月21日
剣潭(けんたん)
想象精靈欲見難(精霊(せいれい)を想像し 見んと欲すれども難(かた)し)
通津一去水漫漫(通津(つうしん) 一(ひと)たび去って水漫漫(まんまん)たり)
空餘昔日凌霜色(空しく余す 昔日(せきじつ) 霜を凌ぐ色)
長與澄潭生昼寒(長(とこし)えに澄潭(ちょうたん)と与(とも)に昼寒(ちゅうかん)を生ず)(欧陽詹・題延平剣潭)
のタイトル、
剣潭、
は、
閩江(びんこう)の上流にあった渡し場、
をいう。この辺りは、
剣渓、
と呼ばれ、
延平津、
という渡し場があり、
剣津、
とも呼ばれる(https://kanbun.info/syubu/toushisen428.html・前野直彬注解『唐詩選』)。
晋のころ、雷煥(らいかん)という人が、晋の宰相張華と協力して名剣二口を地中から掘り出し、一つを華に与え、一つを自分が所持した。華は後に殺され、剣は行方知れずとなったが、その後、雷煥(その子とも言う)がその剣を佩(お)びて延平津を渡ったところ、剣は自然と抜け出て、川の中に落ちた。見ると、長さ数丈もある二匹の竜が水中を泳いでいた、
とある。で、これ以後、この川を、
剣渓、
剣潭、
と呼ぶようになった(前野直彬注解『唐詩選』)。
延平(えんぺい)、
は、今の福建省南平市延平区である。『晋書』張華伝には、
煥到縣、掘獄屋基、入地四丈餘、得一石凾。光氣非常、中有雙劍。竝刻題。一曰竜泉、一曰太阿。……遣使送一劍竝土與華、留一自佩。……華誅、失劍所在。煥卒、子華爲州從事。持劍行經延平津、劍忽於腰閒躍出墮水。使人沒水取之、不見劍。但見兩龍各長數丈。蟠縈有文章、沒者懼而反。須臾光彩照水、波浪驚沸。於是失劍(煥、県に到り、獄屋の基を掘り、地に入ること四丈余、一石の函を得たり。光気非常にして、中に双剣有り。並びに題を刻む。一を龍泉と曰い、一を太阿と曰う。……使いを遣わして一剣並びに土を送りて華に与え、一を留めて自ら佩ぶ。……華誅せられ、剣の所在を失う。煥卒(しゅっ)し、子の華、州の従事と為る。剣を持じて行き、延平津を経しとき、剣忽ち腰間より躍り出でて水に堕つ。人をして水に没もぐりて之を取らしむるも、剣を見ず。但だ両竜の各〻長さ数丈なるを見る。蟠縈(はんえい)し文章有り、没(もぐ)りし者懼れて反る。須臾にして光彩水を照らし、波浪驚沸す。是に於いて剣を失う)、
とある(https://kanbun.info/syubu/toushisen428.html)。この名剣は、
干将・莫耶、
とする説もあり、
西晋の雷煥は土中より一対の伝説の神剣「干将・莫耶」を掘り当てた。一本は自らが持ったが、もう一本は張華に送った。やがてふたりは歴史の荒波に殺され、干将莫耶は何処ともなく消えていった、
とある(https://kakuyomu.jp/works/16816700428584992583/episodes/16816700429236754093)。なお、
張華、
については、別に譲る(https://readingnotesofjinshu.com/translation/biographies/vol-36_3)。
剣潭、
は、台湾にもあり、
鄭成功、
が兵士を引き連れて、この池を通過した時、池の中からミズチのような化け物が現れ、風と波を起こし、無数の人々を困らせたそうです。この時、鄭成功が腰に付けていた宝剣を池の中の化け物に投げつけると、池は静かになったと言われています、
とあり(https://www.travel.taipei/ja/attraction/details/787)、鄭成功の投げた剣で化け物を退治することができたので、、
剣潭、
と呼ばれる(仝上)と。
「潭」(漢音タン、呉音ドン)は、
会意兼形声。覃は「西(ざる)+高の逆形」の会意文字で、そこの深いざる。潭は「水+音符覃(深い)」で、水を深くたたえたふちのこと。深く下に垂れたのを「沈々」と形容するが、その沈や深に近く、ずっしりと分厚い意を表す、
とある(漢字源)。別に、
形声。「水」+音符「覃 /*LƏM/」(説文解字(後漢・許慎)・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%BD%AD)、
と、形声文字とする説もある(漢辞海)。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
戸川芳郎監修『漢辞海』(三省堂)
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2024年07月20日
琪樹
琪樹西風枕簟秋(琪樹(きじゅ)の西風(せいふう) 枕簟(ちんてん)秋なり)
楚雲湘水憶同遊(楚雲(そうん) 湘水(しょうすい) 同遊(どうゆう)を憶(おも)う)
高歌一曲掩明鏡(高歌(こうか)一曲 明鏡(めいきょう)を掩(おお)う)
昨日少年今白頭(昨日(さくじつ)の少年 今は白頭(はくとう))(許渾・秋思)
の、
枕簟(ちんてん)、
は、
簟(てん)は竹を編んで作ったむしろ、夏にはこれを敷いて、その上に寝る。楚の地方では、ことに多く産したらしい。枕とあわせて、寝具を意味する、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
琪樹(きじゅ)、
は、
崑崙山の北に生えると伝えられる、玉のなる木、
である(仝上)。ここでは、
庭前の樹木を、美しく言ったもの、
と注釈がある(仝上)。
琪樹、
の、
琪、
は、
玉(ぎょく)の名、
で、
琪樹、
は、
寶林寺有琪樹、在法堂前、即本草之南天燭(六朝事迹)、
と、
南天、
を指すらしいが、
珠樹、
玉樹、
に同じとあり(字源・https://kanbun.info/syubu/toushisen438.html)、
東方之美者、有醫無閭之珣玕琪焉(中国最古の字書『爾雅』(秦・漢初頃)・釋地)、
とあり(字源)、
建木滅景於千尋(建木(けんぼく)景(かげ)を千尋(せんじん)に滅めし)
琪樹璀璨而垂珠(琪樹(きじゅ)璀璨(さいさん)として珠(たま)を垂る)(孫綽・遊天台山賦)
と詠われる(https://kanbun.info/syubu/toushisen438.html)。
「琪」(漢音キ、呉音ゴ)は、
会意兼形声。「玉+音符其(キ 四角い)、
とあり(漢字源)、
四角い玉、
形の整った玉、
の意である(仝上)。
珠樹玲瓏隔翠微(珠樹(しゅじゅ)玲瓏(れいろう)として翠微(すいび)を隔(へだ)つ)
病來方外事多違(病来(びょうらい) 方外(ほうがい) 事(こと)多く違(たが)えり)
仙山不屬分符客(仙山(せんざん)属せず 符(ふ)を分(わか)の客)
一任凌空錫杖飛(一えに任(まか)す 空(くう)を凌(しの)いで錫杖(しゃくじょう)の飛ぶに)(柳宗元・浩初上人見貽絶句欲登仙人山因以酬之)
の、
珠樹(しゅじゅ)、
も同義で、
中国の南にあるといわれる伝説的な木、
を指し、
葉はすべて真珠だという、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。『淮南子』墬形訓に、
闔四海之內、東西二萬八千里、南北二萬六千里、水道八千里、通穀其名川六百、陸徑三千里。禹乃使太章步自東極、至於西極、二億三萬三千五百里七十五步。使豎亥步自北極、至於南極、二億三萬三千五百里七十五步。凡鴻水淵藪、自三百仞以上、二億三萬三千五百五十裏、有九淵。禹乃以息土填洪水以為名山、掘昆侖虛以下地、中有增城九重、其高萬一千里百一十四步二尺六寸。上有木禾、其修五尋、珠樹、玉樹、琁樹、不死樹在其西、沙棠、琅玕在其東、絳樹在其南、碧樹、瑤樹在其北。旁有四百四十門、門間四裏、里間九純、純丈五尺。旁有九井玉橫、維其西北之隅、北門開以內不周之風、傾宮、旋室、縣圃、涼風、樊桐在昆侖閶闔之中、是其疏圃。疏圃之池、浸之黃水、黃水三周複其原、是謂丹水、飲之不死。河水出昆侖東北陬、貫渤海、入禹所導積石山、赤水出其東南陬、西南注南海丹澤之東。赤水之東、弱水出自窮石、至於合黎、餘波入於流沙、絕流沙南至南海。洋水出其西北陬、入於南海羽民之南。凡四水者、帝之神泉、以和百藥、以潤萬物。
と(https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%B7%AE%E5%8D%97%E5%AD%90/%E5%A2%9C%E5%BD%A2%E8%A8%93)、
禹乃以息土塡洪水、以爲名山、掘崑崙虛、以下地。中有增城九重。……珠樹、玉樹、琁樹、不死樹、在其西(禹乃ち息土を以て洪水を塡(うず)めて、以て名山と為し、崑崙の虚を掘りて、以て地に下す。中に増城の九重なる有り。……珠樹・玉樹・琁樹(せんじゅ)・不死樹、其の西に在り)、
とある(https://kanbun.info/syubu/toushisen427.html)。
なお、崑崙山は、
中国の古代信仰では、
神霊は聖山によって天にのぼる、
と信じられ、崑崙山は最も神聖な山で、大地の両極にあるとされた(仝上)。中国北魏代の水系に関する地理書『水経(すいけい)』(515年)註に、
山在西北、……高、萬一千里、
とあり、中国古代の地理書『山海経(せんがいきょう)』には、
崑崙……高萬仞、面有九井、以玉為檻、
とあり、その位置は、
瑶水(ようすい)という河の西南へ四百里(山海経)、
とか、
西海の南、流沙(りゅうさ)のほとりにある(大荒西経)、
とか、
貊国(はくこく)の西北にある(海内西経)、
と諸説あり、
その広さは八百里四方あり、高さは一万仞(約1万5千メートル)、
あり、
山の上に木禾(ぼっか)という穀物の仲間の木があり、その高さは五尋(ひろ)、太さは五抱えある。欄干が翡翠(ひすい)で作られた9個の井戸がある。ほかに、9個の門があり、そのうちの一つは「開明門(かいめいもん)」といい、開明獣(かいめいじゅう)が守っている。開明獣は9個の人間の頭を持った虎である。崑崙山の八方には峻厳な岩山があり、英雄である羿(げい)のような人間以外は誰も登ることはできない。また、崑崙山からはここを水源とする赤水(せきすい)、黄河(こうが)、洋水、黒水、弱水(じゃくすい)、青水という河が流れ出ている、
とある(http://flamboyant.jp/prcmini/prcplace/prcplace075/prcplace075.html)。『淮南子(えなんじ)』(紀元前2世紀)にも、
崑崙山には九重の楼閣があり、その高さはおよそ一万一千里(4千4百万キロ)もある。山の上には木禾があり、西に珠樹(しゅじゅ)、玉樹、琁樹(せんじゅ)、不死樹という木があり、東には沙棠(さとう)、琅玕(ろうかん)、南には絳樹(こうじゅ)、北には碧樹(へきじゅ)、瑶樹(ようじゅ)が生えている。四方の城壁には約1600mおきに幅3mの門が四十ある。門のそばには9つの井戸があり、玉の器が置かれている。崑崙山には天の宮殿に通じる天門があり、その中に県圃(けんぽ)、涼風(りょうふう)、樊桐(はんとう)という山があり、黄水という川がこれらの山を三回巡って水源に戻ってくる。これが丹水(たんすい)で、この水を飲めば不死になる。崑崙山には倍の高さのところに涼風山があり、これに昇ると不死になれる。さらに倍の高さのところに県圃があり、これに登ると風雨を自在に操れる神通力が手に入る。さらにこの倍のところはもはや天帝の住む上天であり、ここまで登ると神になれる、
とある(仝上)。
宋代の『湘山野録』には、
崑崙山産玉、麗水生金、
中国の西方に位置して玉を産し、黄河の源はこの山に発すると考えられた、
とあり(日本大百科全書)、
美麗なる玉(ぎょく)を出すを以て、名あり、崑玉と云ふ、
ともある(大言海)。後漢書・孔融傳では、
與琭玉秋霜、比質可也、
とあり、その、
人格の高尚なる、
のに準えられている(大言海)。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2024年07月19日
日本的感性のモデル
前野直彬注解『唐詩選』を読む。
唐詩選は、
五言古詩14首、
七言古詩32種、
五言律詩7首、
五言背律40首、
七言律詩73首、
五言絶句74首、
七言絶句165首、
の、計465首を選んでいる。しかし、
偽書、
とされる。編者の、
李攀竜、
ではなく、彼の名を騙った真っ赤な偽物、とされる。にもかかわらず、日本では、江戸時代の、
荻生徂徠、
の評価によって、中国では、
寺子屋の教科書、
にまで墜ちた本書が、
門人に詩を教える際の教科書、
とされ、中国にない大流行をし、
唐詩、
ひいては中国詩への入門書としての役割を果たしている(前野直彬・解題)とある。そこで、漢詩の門外漢なので、自分の琴線に触れた、ほんの断片、フレーズを、注解者の訓み下し文で、拾い上げてみた。
高橋睦郎『漢詩百首』で触れたことだが、漢詩を通して、日本人的といわれる感性が育てられてきたところがある。その意味では、育てられた(日本的)感性から選んだ、(その感性の)祖型探索のきらいがなくもない。
孤生易爲感(孤生 感を為し易く)
失路少所宜(失路 宜しき所を少(か)く)
索寞竟何事(索莫 竟(つい)に何をか事とせん)
徘徊祇自知(徘徊 祇(た)だ自(みず)から知るのみ)
誰爲後來者(誰か後来の者と為(な)り)
當與此心期(当(まさ)に此の心と期すべき)(柳宗元・南礀中題)
杪冬正三五(杪冬(びょうとう 十二月) 正に三五)
日月遙相望(日月遥かに相望む)
肅肅過潁上(粛粛として潁上(えいじょう)を過ぎれば)
朧朧辨少陽(朧朧として夕陽(せきよう)を弁ず)(崔曙・早發交崖山還太室作)
洛陽城東桃李花(洛陽城東 桃李(とうり)の花)
飛來飛去落誰家(飛び来たり飛び去って誰(た)が家にか落(お)つる)
洛陽女兒好顏色(洛陽の女児 顔色好し)
行逢落花長歎息(行くゆく落花に逢(お)うて長歎息(ちょうたんそく)す)
今年花落顏色改(今年(こんねん)花落ちて顔色改まり)
明年花開復誰在(明年(みょうねん)花開くも復(ま)た誰(たれ)か在(あ)る)
已見松柏摧爲薪(已(すで)に見る 松柏摧(くだ)けて薪(たきぎ)と為(な)るを)
更聞桑田變成海(更に聞く 桑田(そうでん)の変じて海と成るを)
古人無復洛城東(古人復(ま)た洛城の東に無く)
今人還對落花風(今人(こんじん)還(ま)た対す 落花の風)
年年歳歳花相似(年年歳歳 花相似たり)
歳歳年年人不同(歳歳年年 人同じからず)
寄言全盛紅顏子(言(げん)を寄(よ)す 全盛の紅顔の子)
應憐半死白頭翁(応(まさ)に憐むべし 半死の白頭翁(はくとうおう))(劉廷芝・代悲白頭翁)
今年人日空相憶(今年(こんねん)の人日(じんじつ) 空しく相憶(おも)う)
明年人日知何處(明年(みょうねん)の人日(じんじつ) 知(し)んぬ何(いず)れの処(ところ)ぞ)
一臥東山三十春(一たび東山に臥して三十春(しゅん))
豈知書劍老風塵(豈(あに)知らんや 書剣の風塵に老いんとは)(高適・人日寄杜二拾遺)
今年花似去年好(今年(こんねん)の花は去年(きょねん)に似て好(よ)し)
去年人到今年老(去年の人は今年に到たりて老ゆ)
始知人老不如花(初めて知る 人は老いて花に如かざるを)
可惜落花君莫掃(惜おしむ可し 落花 君掃(はら)うこと莫(な)かれ)(岑参・韋員外家花樹歌
江天一色無繊塵(江天一色 繊塵無く)
皎皎空中孤月輪(皎皎として空中に月輪孤なり)
江畔何人初見月(江畔 何人か初めて月を見し)
江月何年初照人(江月 何年か初めて人人を照らせる)
人生代代無窮已(人生代代 窮已(きゅうい)する無く)
江月年年祇相似(江月年年 祇(た)だ相似(あいに)たり)
不知江月待何人(知らず 江月(こうげつ) 何人をか待つ)
但見長江送流水(但(た)だ見る 長江の流水を送るを)
(中略)
江水流春去欲盡(江水 春を流して去って盡きんと欲し)
江潭落月復西斜(江潭の落月 復た西斜せり)
斜月沈沈蔵海霧(斜月沈沈として海霧に蔵(かく)る)
楬石瀟湘無限路(楬石(かっせき) 瀟湘(しょうしょう) 無限の路(みち))
不知乗月幾人帰(知らず 月に乗じて幾人か帰る)
落月揺情満江樹(落月 情を揺るがして江樹に満つ)(張若虚・春江花月夜)
且論三萬六千是(且(しば)らく論ぜん 三萬六千の是なるを)
寧知四十九年非(寧(いずく)んぞ知らん 四十九年の非なるを)
古来名利若浮雲(古来 名利は浮雲(ふうん)の若(ごと)く)
人生倚伏信難分(人生の倚伏(いふく)信(まこと)に分ち難く)
(中略)
相顧百齢皆有待(相顧みるに百齢皆待つ有り)
居然萬化咸應改(居然として萬化咸(みな)應(まさ)に改(あらた)まるべし)
(中略)
春去春來苦自馳(春去り春來るも苦(ねんご)ろに自(みずか)ら馳せ)
争名争利徒爾為(名を争い利を争って徒らに爾為(しかな)す)(駱賓王・帝京篇)
樹樹皆秋色(樹樹(じゅじゅ) 皆秋色)
山山惟落暉(山山(さんさん) 惟(た)だ落暉)(王績・野望)
雲霞出海曙(雲霞 海を出でて曙(あ)け)
梅柳渡江春(梅柳 江(こう)を渡り春なり)
淑氣催黄鳥(淑氣 黄鳥(こうちょう ウグイス)を催(うなが)し)
晴光轉緑蘋(晴光 緑蘋(りょくひん)に轉ず)(杜審言・和晋陵陸丞早春遊望)
暫将弓竝曲(暫(しばら)く弓と竝(とも)に曲りしも)
翻與扇倶團(翻(かえり)て扇と倶(とも)に團(まど)かなり)
露濯清輝苦(露は清輝(せいき)を濯(あら)いて苦(さ)え)
風飄素影寒(風は素影(そえい)を飄(ひるがえ)して寒し)(杜審言・和晋陵陸丞早春遊望)
往来皆此路(往来 皆此の路なるに)
生死不同歸(生死 歸るを同(とも)にせず)(張説(ちょうえつ)・還至端州駅前与高六別処)
升沈應已定(升沈 應(まさ)に已(すで)に定まれるべし)
不必問君平(君平に問うを必せじ)(李白・送友人入燭)
八月湖水平(八月 湖水平かなり)
涵虛混太清(虛を涵(ひた)して太清(たせい)に混ず)(孟浩然・臨洞庭上張丞相)
白髪老閒事(白髪 閒事(かんじ)に老い)
青雲在目前(青雲 目前に在り)(高適・酔後贈張九旭)
竹批雙耳峻(竹批(そ)ぎて雙耳峻(さか)しく)
風入四蹄輕(風入りて四蹄輕(かろ)し)
所向無空闊(向かう所空闊(くうかつ)無し)
真堪託死生(真に死生を託すに堪えたり)(杜甫・房兵曹胡馬)
飄飄何所似(飄飄(ひょうひょう) 何の似たる所ぞ)
天地一沙鷗(天地の一沙鷗)(杜甫・旅夜書懷)
清晨入古寺(清晨 古寺(こじ)に入(い)れば)
初日照高林(初日 高林(こうりん)を照らす)
竹徑通幽處(竹徑 幽處(ゆうしょ)に通じ)
禪房花木深(禪房 花木深し)
山光悦鳥性(山光 鳥の性(さが)を悦(よろこ)ばしめ)
潭影空人心(潭影 人の心を空しゅうす)
萬籟此倶寂(萬籟(ばんらい) 此(ここ)に倶に寂(じゃく)たり)
惟聞鐘聲音(惟だ鐘聲の音を聞くのみ)(常建・破山寺後禅院)
山色遠含空(山色 遠く空を含む)
蒼茫澤國東(蒼茫たり 澤國の東)
海明先見日(海は明けて先ず日を見る)
江白迴聞風(江は白くして迴(はる)かに風を聞く)
鳥道高原去(鳥道 高原に去り)
人烟小徑通(人烟 小徑(しょうけい)通ず)(張祜・題松汀駅)
路自中峰上(路(みち)は中峰(ちゅうほう)自(よ)り上り)
盤囘出薜蘿(盤囘して薜蘿(へいら)を出ず)
到江呉地盡(江に到りて呉地盡き)
隔岸越山多(岸を隔てて越山多し)
古木叢青靄(古木 青靄(せいあい)に叢(むらが)り)
遥天浸白波(遥天(ようてん) 白波を浸す)(釋処黙・聖果寺)
巻幔天河入(幔(とばり)を巻けば天河入り)
開窓月露微(窓を開けば月露微(び)なり)
小池殘暑退(小池(しょうち) 残暑退き)
高樹早涼歸(高樹(こうじゅ) 早涼(そうりょう)帰る)(沈佺期(ちんせんき)・酬蘇員外味道夏晩寓直省中見贈)
萬壑樹聲満(萬壑(まんがく) 樹聲満ち)
千崖秋気高(千崖(せんがい) 秋気高し)
浮舟出郡郭(浮舟 郡郭出で)
別酒寄江濤(別酒 江濤に寄す)
良會不復久(良會 復(ま)た久しからず)
此生何太勞(此生 何ぞ太(はなは)だ勞する)
窮愁但有骨(窮愁 但(た)だ骨のみ有りて)
群盗尚如毛(群盗 尚お毛の如し)
吾舅惜分手(吾舅(きゅう) 手を分つを惜しみ)
使君寒贈袍(使君(しくん) 寒に袍(ほう)を贈る)
沙頭暮黄鶴(沙頭 暮(くれ)の黄鶴(こうかく))
失侶亦哀號(侶を失いて亦た哀號(あいごう)す)(杜甫・王閬(おうろう)州筵奉酬十一舅惜別之作)
世路雖多梗(世路 梗(ふさ)ぐこと多しと雖も)
吾生亦有涯(吾生 亦涯(かぎ)り有り)
此身醒復醉(此身 醒め復た醉う)
乗興卽為家(興に乗じては即ち家と為さん)(杜甫・春歸)
白波吹粉壁(白波(はくは) 粉壁(ふんぺき)を吹き)
青嶂雕梁挿(青嶂(せいしょう) 雕梁(ちょうりょう)に挿(さしはさ)む)
直訝杉松冷(直(た)だ訝(いぶか)る 杉松(さんしょう)の冷やかなるを)
兼疑菱荇香(兼ねて疑う 菱荇(りょうこう)の香るを)
雪雲虚點綴(雪雲(せつうん) 虚しく點綴(てんてつ)し)
沙草得微茫(沙草(さそう) 微茫(びぼう)たるを得たり)
嶺雁随毫末(嶺雁(れいがん)は毫末(ごうまつ)に随い)
川霓飲練光(川霓(せんげい)は練光(れんこう)を飲む)
霏紅洲蕊亂(紅を霏(ち)らせば洲蕊(しゅうずい)は亂れ)
拂黛石蘿長(黛(たい)を払えば石蘿(せきら)は長し)(杜甫・奉観嚴鄭公庁事岷山沲江画図十韻)
亭高出鳥外(亭高くして鳥外に出で)
客到與雲斉(客到れば雲と斉(ひと)し)
樹點千家小(樹(き)は点じて千家小さく)
天圍萬嶺低(天は囲みて万嶺低し)
残虹挂陜北(残虹 陜北(せんぼく)に挂(かか)り)
急雨過關西(急雨 関西を過(よぎ)る)(岑參・早秋与諸子登虢州西亭観眺)
昔人已乗白雲去(昔人(せきじん)已に白雲に乗じて去り)
此地空余黄鶴楼(此の地空しく余す 黄鶴楼)
黄鶴一去不復返(黄鶴(こうかく)一たび去って復た返らず)
白雲千載空悠悠(白雲千載 空しく悠悠たり)
晴川歴歴漢陽樹(晴川(せいせん)歴歴たり漢陽の樹)
芳草萋萋鸚鵡洲(芳草(ほうそう)萋萋(せいせい)たり鸚鵡(おうむ)洲)
日暮郷関何処是(日暮(にちぼ) 郷関 何れの処か是なる)
煙波江上使人愁(煙波(えんぱ) 江上 人をして愁(うれ)えしむ)(崔顥(さいこう)・黄鶴楼)
高館張燈酒復清(高館燈を張り 酒復た清し)
夜鐘残月雁歸聲(夜鐘(やしょう)残月 雁歸る聲)
只言啼鳥堪求侶(只だ言う 啼鳥(ていちょう)の侶(とも)を求むるに堪えたりと)
無那春風欲送行(那(いか)んともする無し 春風の行(こう)を送らんと欲するを)(高適・夜別韋司士得城字)
到來函谷愁中月(到り来たれば 函谷 愁中(しゅうちゅう)の月)
歸去磻谿夢裏山(帰り去らば 磻谿(はんけい) 夢裏(むり)の山)
簾前春色應須惜(簾前(れんぜん)の春色 応(まさ)に須(すべか)らく惜しむべし)
世上浮名好是閒(世上の浮名(ふめい) 好く是れ閒(かん)なり)(岑參・暮春虢(かく)州東亭送李司馬歸扶風別廬)
年年喜見山長在(年年喜んで見る 山の長(つね)に在るを)
日日悲看水獨流(日日(にちにち)悲しんで看る 水の獨り流るるを)(王昌齢・万歳楼)
玉露凋傷楓樹林(玉露凋傷(ちょうしょう)す楓樹(ふうじゅ)の林)
巫山巫峽氣蕭森(巫山巫峽 氣 蕭森(しょうしん))
江間波浪兼天湧(江間の波浪 天を兼ねて湧き)
塞上風雲接地陰(塞上の風雲 地に接して陰る)
叢菊兩開他日涙(叢菊(そうきく)兩(ふた)たび開く 他日の涙)
孤舟一繋故園心(孤舟一(ひと)えにに繋ぐ 故園の心)
寒衣處處催刀尺(寒衣 處處 刀尺(とうせき)を催(うなが)す)
白帝城高急暮砧(白帝 城高くして暮砧(ぼてい)急(きゅう)なり)(杜甫・秋興)
吹笛秋山風月淸(笛を吹く 秋山 風月の清きに)
誰家功作斷腸聲(誰家(たれ)か功みに作(な)す 断腸の声)
風飄律呂相和切(風は律呂(りつりょ)を飄(ひるがえ)して相和(あいわ)すること切に)
月傍關山幾処明(月は関山に傍(そ)うて幾処(いくしょ)か明らかなる)
胡騎中宵堪北走(胡騎(こき) 中宵(ちゅうしょう) 北走するに堪(た)えたり)
武陵一曲想南征(武陵(ぶりょう)の一曲 南征(なんせい)を想う)
故園楊柳今揺落(故園の楊柳(ようりゅう) 今揺落(ようらく)す)
何得愁中卻盡生(何ぞ愁中(しゅうちゅう)に卻(かえ)って尽(ことごと)く生ずるを得し)(杜甫・吹笛)
歳暮陰陽催短景(歳暮(さいぼ) 陰陽(いんよう) 短景(たんけい)を催し)
天涯霜雪霽寒宵(天涯(てんがい)の霜雪(そうせつ) 寒宵(かんしょう)に霽(は)る)
五更鼓角聲悲壯(五更の鼓角(こかく) 声悲壮)
三峽星河影動搖(三峡の星河(せいか) 影動揺)(杜甫・閣夜)
楚王宮北正黄昏(楚王宮北(そおうきゅうほく) 正に黄昏(こうこん))
白帝城西過雨痕(白帝城西(はくていじょうせい) 過雨(かう)の痕)
返照入江翻石壁(返照(はんしょう)は江(こう)に入(い)って石壁に翻(ひるがえ)り)
歸雲擁樹失山村(帰雲(きうん)は樹(き)を擁して山村(さんそん)を失う)(杜甫・反照)
風急天高猿嘯哀(風は急に天は高くして猿嘯(えんしょう)哀(かな)し)
渚清沙白鳥飛廻(渚は清く沙(すな)は白くして鳥飛び廻(めぐ)る)
無邊落木蕭蕭下(無辺の落木(らくぼく) 蕭蕭(しょうしょう)として下(お)ち)
不盡長江滾滾來(不尽(ふじん)の長江 滾滾(こんこん)として来(きた)る)(杜甫・登高)
夾水蒼山路向東(水を夾(さしはさ)む蒼山 路(みち)東に向い)
東南山豁大河通(東南 山豁(ひら)けて大河通ず)
寒樹依微遠天外(寒樹依微(いび)たり 遠天(えんてん)の外)
夕陽明滅亂流中(夕陽(せきよう)明滅す 亂流の中)
孤村幾歳臨伊岸(孤村幾歳(いくとせ)か伊岸(いがん)に臨む)
一雁初晴下朔風(一雁初めて晴れて朔風(さくふう)に下る)
爲報洛橋遊宦侶(爲(ため)に報ぜよ 洛橋(らくきにょう)遊宦(ゆうかん)の侶(とも))
扁舟不繫與心同(扁舟繫がず 心と同じ)(韋応物・自鞏洛舟行入黄河即事寄府県僚友)
東風吹雨過青山(東風 雨を吹いて青山を過ぐ)
郤望千門草色閑(郤(かえ)って千門を望めば草色閑(かん)なり)
家在夢中何日到(家は夢中在って何(いず)れの日にか到らん)
春來江上幾人還(春は江上に来たって幾人か還(かえ)る)
川原繚繞浮雲外(川原(せんげん)繚繞(りょうじょう)たり 浮雲(ふうん)の外)
宮闕參差落照間(宮闕參差(しんし)たり 落照(らくしょう)の間(かん))
誰念爲儒逢世難(誰か念(おも)わん儒と為(な)りて世難(せいなん)に遇い)
獨將衰鬢客秦關(獨り衰鬢(すいびん)を將(もっ)て秦關に客(かく)たらんとは)(蘆綸・長安春望)
宿昔青雲志(宿昔(しゅくせき) 青雲の志)
蹉跎白髪年(蹉跎(さた)たり 白髪の年)
誰知明鏡裏(誰か知らん 明鏡の裏)
形影自相憐(形影(けいえい) 自ら相憐まんとは)(張九齢・照鏡見白髪)
春眠不覺曉(春眠 暁を覚えず)
處處聞啼鳥(処々に啼鳥(ていちょう)を聞く)
夜來風雨聲(夜来 風の声)
花落知多少(花落つること知んぬ多少ぞ)(孟浩然・春暁)
渭水東流去(渭水東流し去る)
何時到雍州(何れの時か雍州に到らん)
憑添兩行淚(憑(たの)むらくは両行の涙を添え)
寄向故園流(寄せて故園に向かって流さんことを)(岑参・見渭水思秦川)
白日依山盡(白日 山に依って尽き)
黄河入海流(黄河 海に入って流る)
欲窮千里目(千里の目を窮(きわ)めんと欲し)
更上一層樓(更に上る 一層の楼)(王之渙・登鸛鵲樓)
終南陰嶺秀(終南 陰嶺秀(ひい)で)
積雪浮雲端(積雪 雲端に浮かぶ)
林表明霽色(林表(りんぴょう) 霽色(せいしょく)明らかに)
城中増暮寒(城中 暮寒(ぼかん)を増す)(祖詠・終南望余雪)
故園眇何處(故園 眇(びょう)として何処(いずこ)ぞ)
歸思方悠哉(帰思(きし) 方(まさ)に悠(ゆう)なるかな)
淮南秋雨夜(淮南(わいなん) 秋雨(しゅうう)の夜)
高齋聞雁來(高斎(こうさい) 雁の来(きた)るを聞く)(韋応物・聞雁)
返照入閭巷(返照(はんしょう) 閭巷(りょこう)に入(い)る)
憂來誰共語(憂え来たるも 誰(たれ)と共にか語らん)
古道少人行(古道 人の行くこと少(まれ)に)
秋風動禾黍(秋風 禾黍(かしょ)を動かす)(耿湋(こうい)・秋日)
何處秋風至(何処(いずく)よりか秋風至る)
蕭蕭送雁羣(蕭蕭(しょうしょう)として雁群(がんぐん)を送る)
朝來入庭樹(朝来(ちょうらい) 庭樹(ていじゅ)に入るを)
孤客最先聞(孤客(こかく) 最も先んじて聞く)(劉禹錫・秋風引)
醉別江樓橘柚香(酔うて江楼(こうろう)に別れんとすれば橘柚(きつゆう)香る)
江風引雨入舟涼(江風(こうふう)雨を引き 舟に入(い)って涼し)
憶君遙在湘山月(君を憶(おも)うて遥かに湘山(しょうざん)の月に在り)
愁聽清猿夢裏長(愁(うれ)えて聴かん 清猿(せいえん)の夢裏(むり)に長きを)(王昌齢・送別魏二)
千里黃雲白日曛(千里の黄雲(こううん) 白日曛(あわ)し)
北風吹雁雪紛紛(北風(ほくふう) 雁を吹いて雪紛紛(ふんぷん))
莫愁前路無知己(愁うる莫(な)かれ 前路 知己無きを)
天下誰人不識君(天下 誰人(たれびと)か君を識(し)らざらん)(高適・別董大)
宜陽城下草萋萋(宜陽(ぎよう)城下 草萋萋(せいせい))
澗水東流復向西(澗水(かんすい)東流(とうりゅう)し復た西に向う)
芳樹無人花自落(芳樹(ほうじゅ)人無く花自ずから落ち)
春山一路鳥空啼(春山(しゅんざん)一路 鳥空しく啼(な)く)(李華・春行寄興)
江春不肯畱行客(江春(こうしゅん)は肯(あえ)て行客(こうかく)を留(とど)めず)
草色靑靑送馬蹄(草色(そうしょく)青青(せいせい)として馬蹄(ばてい)を送る)(劉長卿・送李判官之潤州行営)
楚雲滄海思無窮(楚雲(そうん)滄海(そうかい) 思い窮(きわ)まらず)
數家砧杵秋山下(数家(すうか)の砧杵(ちんしょ) 秋山(しゅうざん)の下(もと))
一郡荊榛寒雨中(一郡の荊榛(けいしん) 寒雨(かんう)の中(うち))(韋応物・登楼寄王卿)
月落烏啼霜滿天(月落ち烏啼いて 霜天に満つ)
江楓漁火對愁眠(江楓(こうふう) 漁火(ぎょか) 愁眠(しゅうみん)に対す)
姑蘇城外寒山寺(姑蘇城外 寒山寺)
夜半鐘聲到客船(夜半の鐘声 客船(かくせん)に到る)(張継・楓橋夜泊)
亭亭孤月照行舟(亭亭(ていてい)たる孤月 行舟(こうしゅう)を照らし)
寂寂長江萬里流(寂寂(せきせき)たる長江 万里に流る)
郷里國不知何處是(郷国(きょうこく)は知らず 何処(いずく)にか是(これ)なる)
雲山漫漫使人愁(雲山(うんざん)漫漫 人をして愁えしむ)(張祜・胡渭州)
琪樹西風枕簟秋(琪樹(きじゅ)の西風(せいふう) 枕簟(ちんてん)秋なり)
楚雲湘水憶同遊(楚雲(そうん) 湘水(しょうすい) 同遊(どうゆう)を憶(おも)う)
高歌一曲掩明鏡(高歌(こうか)一曲 明鏡(めいきょう)を掩(おお)う)
昨日少年今白頭(昨日(さくじつ)の少年 今は白頭(はくとう))(許渾・秋思)
草遮囘磴絕鳴鸞(草は囘磴(かいとう)を遮って鳴鸞(めいらん)を絶つ)
雲樹深深碧殿寒(雲樹(うんじゅ)深深(しんしん)として碧殿(へきでん)寒し)
明月自來還自去(明月(めいげつ)自(おの)ずから来たり還(ま)た自から去る)
更無人倚玉欄干(更に人の玉欄干(ぎょくらんかん)に倚(よ)る無し)(崔魯・華清宮)
無定河邊暮笛聲(無定河(むていか)辺 暮笛(ぼてき)の声)
赫連臺畔旅人情(赫連台(かくれんだい)畔(はん) 旅人(りょじん)の情)
函關歸路千餘里(函関(かんかん)の帰路 千余里)
一夕秋風白髮生(一夕(いっせき) 秋風(しゅうふう) 白髪(はくはつ)生ず)(陳祐・雑詩)
孤城夕對戍樓閑(孤城 夕べに戍楼(じゅろう)に対して閑しず)かなり)
廻合靑冥萬仞山(廻合(かいごう)す 青冥(せいめい) 万仞(ばんじん)の山)
明鏡不須生白髮(明鏡 須(ま)たず 白髪生ぜしを)
風沙自解老紅顏(風沙(ふうさ) 自(みずか)ら解(かい)す 紅顔(こうがん)老ゆるを)(王烈・塞上曲二)
秋染棠梨葉半紅(秋は棠梨(とうり)を染めて葉は半ば紅 (くれない)に)
荊州東望草平空(荊州 東に望めば 草は空に平らかなり)
誰知孤宦天涯意(誰か知らん 天涯(てんがい)に孤宦(こかん)たるの意)
微雨瀟瀟古驛中(微雨(びう)瀟瀟(しょうしょう)たり 古駅(こえき)の中(うち))(王周・宿疎陂駅)
高橋睦郎(『漢詩百首』)はいう、
「日本語は、固有の大和言葉と外来の漢語・欧米語から成っている。とくに漢語の来歴は古く、大和言葉と分かちがたく、外来語と意識することがないまでに日本語の血肉となっている。」
と。例えば、敗戦時に多くの日本人の脳裏に浮かんだのは、
国破れて山河在り
という杜甫の漢詩の一行だったのではないか、という。この、
国破山河在
城春草木深
を、千数百年前のわれわれの祖先が、送り仮名や返り点を付けることで、日本語で読もうとした。そして、
国破れて山河在り
城春にして草木深し
と読んだ。だから、
「この驚異的な、あえていえばアクロバティックナ発明によって、漢詩という外国の詩はなかば日本の歌に、いや、ほとんど日本の歌になった。」
と。漢語を自家薬籠中のものとすることで、
「自分たち固有の文芸や詩歌を豊かにしていったわけです。…たとえば明治維新に欧米の文明を受け入れて自分のものにしたのも、かつて漢字を通して中国の文明を受け入れて血肉化した経験があったからでしょう。ついでにいえば、現在中国で使われている漢字熟語60パーセントが明治維新に欧米語を受け入れるに当たって日本人が作った和製漢語だとききました。」
というところへ至る。漢字へのそういう意識が、真名としての漢字に対して、漢字を借りることで作り出した、
かな、
を、
仮名
と呼ぶところに現れている。
「日本人は中国から文字の読み書きを教わると同時に、花鳥風月を賞でることも学んだ。花に関してはとくに梅を愛することを学んだが、そのうち自前の花が欲しくなり桜を賞でるようになった。梅に較べて桜は花期が短いので、いきおいはかなさの感覚が養われる。その成果が漢詩にも現れた典型」
として、島田忠臣の、
宿昔は猶し枯木のごとかりしに
迎晨一半紅
国香異(け)しこと有るを知り
凡樹同じきことなきを見たり(桜花を惜しむ)
を挙げる。これは、同時代の、
世のなかにたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
と歌う在原業平と同じ感性・心性の表現になっている、と。その意味では、血肉化した漢詩のマインドで、選んだ漢詩は、一種先祖返りなのかもしれない。
漢詩については、下定雅弘『精選 漢詩集』でも触れた。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選(全三冊)』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95