2021年05月13日

邪馬臺国の滅亡


若井敏明『謎の九州王権』読む。

謎の九州王権.jpg


本書は、邪馬臺国とつながる倭国の系譜が、「ヤマト王権」によって滅ぼされるまでを描く。当然、邪馬臺国は、

九州説を前提、

とする。僕も、口幅ったいようだが、

畿内説、

はあり得ないと思っている。ヤマトの王権に続く大和朝廷は、

邪馬臺国、
も、
卑弥呼、

も承知しておらず、中国の史書によってはじめて知った気配である。畿内に邪馬臺国があったとしたら、それはおかしい。村井康彦『出雲と大和』http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163142.htmlでも触れたように、

『魏志倭人伝』で知られた倭の女王卑弥呼の名が、『古事記』にも『日本書紀』にも全く出てこないこと、

しかも、『日本書紀』の著者たちは、中国の史書で卑弥呼の内容も存在も知っていながら、にもかかわらず名を出さなかった、

等々から、卑弥呼が大和朝廷とは無縁の存在である。従って、邪馬台国は大和朝廷とはつながらないのだと思う。

著者の、

九州王権、

は、「邪馬壹国」論で著名な古田武彦氏の、

九州王朝、

と重なるが、その違いを、

「古田氏は、邪馬臺国(氏の主張では邪馬壹国)が九州にあったことと、『三国志』の『魏書』東夷傳倭人の条(『魏志』倭人伝)以降の中国史書に見える倭には連続性が認められることを主な根拠として、九州を領土とする王朝が弥生時代初期から七世紀末まで存在したとする。
しかし、中国・朝鮮の史料にみえる倭がすべて九州王朝を指すというのは、無理があるのではないか。私は『広開土王碑』に見える倭や、いわゆる倭の五王(讃・珍・済・興・武)はヤマト王権を指すと考えている。」

とし、

「ヤマト王権に支配されるまで九州に存在した王権」、

を、

九州王権、

と呼ぶ。日本の史料では、ヤマト王権は、

三世紀後半から四世紀、

にかけての、

崇神・垂仁・景行天皇の時代、

つまり、

大王(おおきみ)の時代、

に列島統一の過程にあり、

「崇神天皇の時代に、東は北陸から東海、北は丹後、西は吉備が支配地となり、その後、出雲も支配に屈した。垂仁天皇の時代に但馬の勢力を降したヤマト王権は、いよいよ九州地方に本格的な進出をくわだてる。」

『日本書紀』と『風土記』によれば、「景行天皇自身による親征」は、

四世紀前半、

と著者は推定する。つまり、

「日本の史料では、ヤマト王権と九州勢力の接触は四世紀にならないとみとめられない」

のである。

「三世紀に九州諸国を統括していた倭王・卑弥呼の都である邪馬台国は畿内の大和ではなく、九州に所在したと確信する所以である」

と。

景行天皇の九州遠征は、最初は、四世紀初頭、

「南部九州の襲(そ)国(鹿児島県霧島市・曽於市あたりか)に至る時期である。この頃、九州では、(卑弥呼の宗女)
壹与(臺与とも)の時代はすでに終わっていたと思われる。」

このときは、東部北部を除く九州を支配下に置き、

国造を、

宇佐、豊、国東、日田、日向、大隅、薩摩、火、阿蘇、葦分(葦北)、天草、

に置く。そして、「『ヤマトタケル』と呼ばれた小碓皇子(おうすのみこ)の皇子、成務天皇のあとを継ぎ即位した仲哀天皇」が、遠征を開始するが、

(一に云く)天皇、みずから熊襲を伐(う)ちて、賊の矢にあたりて崩ず(書紀)、

と、九州王権側の、

羽白熊鷲(はしろくまわし)、

と戦って敗死し、代わった神功(じんぐう)皇后は、

層増岐野(そそきの)、

で羽白熊鷲(はしろくまわし)斃し(福岡県朝倉郡筑前町)、本拠地、山門(福岡県みやま市)に入る。『日本書紀』仲哀九年(367)三月丙申条に、

転じて山門県に至り、則ち土蜘蛛・田油津媛(たぶら(ゆ)つひめ)を誅す。時に田油津媛の兄、夏羽(なつは)、軍を興して迎え来る。然るに其の妹の誅されたるを聞きて逃ぐ、

とある。著者は、これを、

邪馬臺国の滅亡、

と見る。

卑弥呼→壹与……→田油津媛、

と続く女王の系統と見ることになる。たしかに、この、

田油津媛と、兄夏羽、

は、魏志・倭人伝の、卑弥呼のくだりの、

夫婿無く、男弟あり、佐けて国を治む、

の、

卑弥呼―弟、

を類推させる。あとは、考古学的な検証がまたれるが、百年たっても、天皇陵の検証はされそうもない。この国は、自国の歴史すら偽装しても憚らないらしい。

参考文献;
若井敏明『謎の九州王権』(祥伝社新書)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2021年05月12日

ようやく


「ようやく(やうやく)」は、

漸く、

と当てる。

ようやく春めいてきた、

というように、

物事がしだいに進行して、ある状態になるさま、次第に、だんだん、

の意味と、

ようやく終電に間に合った、

というように、

長い間待ち望んでいた事態が遂に実現するさま、やっとのことで、とうとう、

という意味と、

ようやく起きて、

というように、

おもむろに、徐々に、

という意味と、

迷った末に、ようやくたどり着いた、

というように、

苦労した結果、目標が達成できるさま、かろうじて、何とか、やっと、

という意味と、

やうやく町に敷きみちたり(今昔物語)、

というように、

しばらくたって、

の意味と、意味の幅が、かなりあり、類義語の、

「ついに」(長い時間を要して、最終的な結果に至ったり、最後まで実現せずに終わるさま)、
「やっと」(長い時間を要したり、苦労してある状態に至るさま)、
「とうとう」(ある物事が最終的に実現した、もしく最後まで実現せずに終わるさま)、
「何とか」(完全・十分とはいえないが、条件・要求などに一応かなうさま)、
「どうにか」(まがりなりにも、なんとか)、

といった意味の幅をカバーしているように思える。

「ようやく(やうやく)」は、

ヤウヤウの転(大言海)、
ヤヤク(稍)、ヤクヤク(漸)の音便形(岩波古語辞典)、
ヤヤクに「ウ」が加わった(デジタル大辞泉)、
ヤヤ(稍)の延(大言海・日本語源広辞典)、

とあり、「ヤウヤウ」は、

漸う、

と当て、

ヤヤ(稍)の転、ヤウヤクの音便形(岩波古語辞典)、

とあり、「ヤクヤク」は、

徐々く、
漸く、

と当て、

ヤウヤクの古形、

とある(岩波古語辞典)。

「漸」 漢字.gif

(「漸」 https://kakijun.jp/page/1455200.htmlより)

ヤクヤク→ヤウヤク→ヤウヤウ、

ヤウヤウ→ヤウヤク、

で、

ヤクヤク→ヤウヤウ→ヤウヤク→ヨウヤク、

と転訛した形になるが、

「徐」や「漫」の訓のヤヤク、もしくは「漸々」の訓のヤクヤクの音便形、

とある(岩波古語辞典)ように、

古くは漢文訓読特有語で、仮名文学、和文脈の「ようよう」に対してもちいられた、

とある(日本語源大辞典)。「ようよう」は、文語で、

ヤウヤウ、

になるので、

やうやう(漸う)、

やうやく(漸く)、

は、和文脈で「やうやう(ようよう)」、訓読体で「やうやく(ようやく)」と使い分けていたことになる。

もとは、

ヤヤク(稍)
ヤヤ(稍)、

ということになる。「やや」は、

彌彌(イヤイヤ)の略、又は、愈々(イヨイヨ)の略、

とあり(大言海)、

いかにも事の度合いが進み、募るさまが原義、

とある(岩波古語辞典)。

いよいよ、
とか、
だんだん、
とか、

が原意の近く、その時間経過の感覚から、

しばし、
とか、
すこし、

の含意が含まれることになる。その意味で、到達点から見れば、

ついに、

であり、到達しようとする心理面から見れば、

とうとう、

でもあるし、その経過の苦労から見れば、

何とか、
どうにな、

になり、到達しようとする時点から振り返れば、

やっと、

という思いになる。

「漸」(漢音セン・ゼン、呉音ゼン・セン、慣用ゼン)は、

会意兼形声。斬(ザン)は「車+斤(おの)」の会意文字で、車におのの刃をくいこませて切ること。割れ目に食い込む意を含む。漸は「水+音符斬」で、水分がじわじわと裂け目に沁み込むこと、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(氵(水)+斬)。「流れる水」の象形(「水」の意味)と「車の象形と曲がった柄の先に刃をつけた斧の象形」(「刀できる」の意味)から、水の流れを切って徐々に導き通す事を意味し、そこから、「だんだん」、「次第に」を意味する「漸」という漢字が成り立ちました、

という解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1661.html

「漸」 漢字成り立ち.gif

(「漸」 漢字・成り立ち https://okjiten.jp/kanji1661.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:ようやく 漸く
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2021年05月11日

よひ


「よひ」は、

宵、

と当てる。

「朝」http://ppnetwork.seesaa.net/article/481387969.html?1620462788や「ひる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/481403520.html?1620499255で触れたように、「よひ」は、上代の夜の時間区分で、

ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

と分ける「ヨヒ」である。

「よる」中心にした時間の区分は、上代、

ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

のうち、

ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ(アカトキ)、

と分けられ、

当時の日付変更時点は丑の刻(午前二時頃)と寅の刻(午前四時頃)の間であったが、「よなか」と「あかとき」(明時、「あかつき」の古形)の境はこの時刻変更点と一致している、

とある(日本語源大辞典)が、「よ」は、

よひ、
よなか、
よべ(昨夜)、

と「よ」は、「よる」が「ひる」に対し、暗い時間帯全体を指すのに対し、

特定の一部分だけを取り出していう、

とある(仝上)。ついでながら、「よべ」は、昨晩の意だが、昨晩を表す語としては、古代・中古には、

「こよひ」と「よべ」とがあった。当時の日付変更時刻は丑の刻と寅の刻の間(午前三時)であったが、「こよひ」と「よべ」はその時を境としての呼称、日付変更時刻からこちら側を「こよひ」、向こう側を「よべ」とよんだ、

とある(仝上)。つまり、「よる」の古形、

よ、

が、

ユフベ→ヨヒ→ヨナカ、

と区分されたことになるが、「よなか」が、

よべ→こよひ、

と、境界線を挟んで、使い分けていたことになる。

「宵」 漢字.gif

(「宵」 https://kakijun.jp/page/1046200.htmlより)

「よひ」は、「ゆふ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/481421283.html?1620586035で触れたように、「ゆふ」が、

ヨ(夜)、ヨヒ(宵)と同源(続上代特殊仮名音義=森重敏)
「ヨヒ」の音便変化。ヨヒ→ユヒ→ユウと転訛(日本語源広辞典)、
ヨ(夜)・ヨヒ(宵)と同根(岩波古語辞典)、

とされ、「よる」は、

よ(「よる」の古形)+る(接尾語)(日本語源広辞典)、
よ(「よる」の古形)+る(助辞)(大言海・俚言集覧・国語の語根とその分類=大島正健)、

であった。つまり、「よひ」は、「よる」の古形「よ」が、

ゆふべ(ゆふ)、
よひ、
よなか、

と三分割した、「ゆふ」と「よなか」の間であり、

日が暮れて暗くなってからをいう。妻訪(つまど)い婚の時代には、男が女の家に訪ねていく時刻にあたる、

といい(岩波古語辞典)、

夜の初め、

とある(仝上)が、この時間幅は大きい。書紀・允恭紀に、

我が夫子(せこ)が來べき豫臂(よひ)なり ささがねの蜘蛛の行なひ今宵(こよひ)著(しる)しも

とあり、ここでは、

ユフベ→ヨヒ→ヨナカ、

の、ユフとヨナカの間の幅があり、

日暮から夜中までの間、

を指す(大言海・精選版日本国語大辞典)。現在では、

夜が始まってしばらくの間の意、

で用いるが、上代では、「万葉集」で、

「三更(=夜中の一二時ころ)」をヨヒと読ませていること、中古以降、ヨヒを語素にもつコヨヒという語が丑の刻(=午前二時ころ)まで、

をさして用いられたことなどから、現在より長い時間をさしてヨヒと呼んだと考えられる、

とある(日本語源大辞典)。それは、本来は、夜が、

単にヨヒとアカトキの二つに分けられていたところへ、ヨナカという語が現われ、ヨヒの時間が、中古にはより短い時間をさすようになったのではないかとも考えられる、

ともある(仝上)。そうすると、

宵のうち、
宵の口、

は、いずれも、

日が暮れて間もなくのとき、

とされる(広辞苑)。しかし、

気象庁は、「宵のうち」とは18時頃から21時頃の時間帯としていたのに、もっと遅い22時とか23時まで「宵」と思っている人がいるので、「夜のはじめ頃」(18〜21時頃)に用語を変えたのです、

https://weathernews.jp/s/topics/201904/100115/、「宵の口」が、随分遅くまでになり、かつての「よい」の感覚まで広がって、「宵の口」といういい方に時間間隔の差があることを示している。

18時頃から21時頃の時間帯、

を、「宵の口」とするのは、

ユフベ→ヨヒ→ヨナカ、

の感覚とあっている。

宵っ張り、

は、

夜遅くまで起きていること、

を指すが、これは、前述の、

日付変更点の丑の刻と寅の刻の間(午前三時頃)の、こちら側を「こよひ」、向こう側を「よべ」とよんだ、

ということから考えると、「よなか」のこちら側(午前三時過ぎ)まで、

こよひ、

と呼んでいたことになるが、しかしまあ、丑の刻(午前1~3時)と寅の刻(午前3~5時)の間(午前三時頃)の前の、亥の刻(午後9時~11時)から、子の刻(午後11時から午前1時)を挟んで、丑の刻(午前1~3時)までが、「ヨナカ」にあたると思われるので、その前までが、

ヨヒ、

ということになるのではないか。とすると、「宵っ張り」の時刻は、せいぜい九時前くらいになる。

宵泊まり、

という言葉があるが、これは、

遊客が宵(午前七時頃)にきて泊まること、

とある(江戸語大辞典)。この逆に、その時刻に帰るのを、

宵立ち、

という。こう考えると、「宵」の目一杯は、

戌(いぬ)の刻(午後七時から九時)、

辺りを指すのではないか。宵のうちから寝る意の、

宵寝、

もその時刻ということになる。となると、

宵越しの金、

の「宵越し」というのは、

一夜を経ること、

だから、

日付変更点の丑の刻と寅の刻の間(午前三時頃)、

を超えた側を指すことになる。ただ、

日付変更時刻という意識の弱くなった中世末には、昨晩を表す「こよひ」が消滅する、

ので(日本語源大辞典)、江戸期以降の時間感覚は、現代に近くなっているのではないか。

宵の明星、

といういい方だと、「よひ」は、

日が暮れて間もない夕暮れ時、

を指している。

もちろん「よひ」の時間間隔は、時代によっても違うが、季節によっても異なるので、一概に言い切れないところはある。しかし、「宵の口」「宵っ張り」「宵越し」等々、「宵」がまだまだ、比較的活動的な時間帯であることを示していて、「ヨナカ」とは、その語感が違う気がする。

では「よひ」の語源は何か。「よ」は、

ユフ(夕)・ヨ(夜)と同根、

なので(岩波古語辞典)、「よる」の「よ」である。

夜閒(よあひ)の約(大言海・日本語源広辞典)、

という説が、

日暮れから夜までの間の意です。夜+サリ(来る)に対する語、

とし(日本語源広辞典)、

ユフベ→ヨヒ→ヨナカ、

という、「よ」を、

ゆふ、
よひ、
よなか、

と三分割した、「ヨヒ」の位置を示しているように思う。ちなみに、「よさり」は、

夜去り、

と当て、

夜が来ること、去るは来るなり、夕さり、などと同じ、

とある(大言海)。

「宵」(ショウ)の字は、

小は、-印を両側から削って小さくするさま。肖は、それに肉を添えた字で、素材の肉を削って小さくし、肖像をつくること。宵は「宀(家)+音符肖(ショウ)」で、家の中に差し込んでくる日光が小さく細くなったとき、

とあり、「日が暮れて薄暗くなったころ」の意である。

「宵」 金文.png

(「宵」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%B5より)

別の解釈は、

会意兼形声文字です(宀+小+月)。「屋根・家屋」の象形と「小さい点」の象形と「欠けた月」の象形から、月の光がわずかに窓にさしこむ事を意味し、そこから、「よい(日暮時)」を意味する「宵」という漢字が成り立ちました、

https://okjiten.jp/kanji1826.html、「月」に見立てている。しかし、「宵」の意味は、

日の光が消えかけたとき、日が暮れて薄暗くなった時、

とある(字源)が、

徹宵(てっしょう 夜通し)、
宵晨(しょうしん 夜と朝)、

という言葉があり、「宵闇」とか「宵明星」は和語であり、漢語「宵」は「夜」の含意が強いので、「月」の光なのではあるまいか。

「宵」 漢字 成り立ち.gif

(「宵」成り立ち https://okjiten.jp/kanji1826.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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ラベル:よひ
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2021年05月10日

ゆふ


「ゆふ(ゆう)」は、

夕、

と当てるが、

夕方、
日暮れ、
夕暮れ、
晩方(ばんがた)、

等々とも言い、

「夕暮れ」「日暮れ」は、あたりが暗くなりはじめた状態をいうことが多く、「夕方」「晩方」は、そのような時間帯をいうことが多い、

とあり、

「晩方」が最も遅い時間をさす、

とある(類語例解辞典)。他にも、

入相、
夕刻、
黄昏http://ppnetwork.seesaa.net/article/479991859.html
薄暮、
宵の口、
暮れ方、
夕間暮れ(ゆうまぐれ http://ppnetwork.seesaa.net/article/464333025.html)、
逢魔が時http://ppnetwork.seesaa.net/article/433587603.html

等々という言い方もある。

夕の空(夕焼け).jpg

(夕の空(夕焼け) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95より)

「朝」http://ppnetwork.seesaa.net/article/481387969.html?1620462788で触れたように、古代、夜の時間は、

ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

という区分をし、昼の時間帯は、

アサ→ヒル→ユフ、

と区分した(岩波古語辞典)。ヒル→ユフの「ユウ」は、ユフベ→ヨヒの、

ユウベ、

と重なる。「ゆふべ」は、

夕方(ゆうべ)の義

とある(大言海)。

古くは、ユフヘと清音。朝(あした)の対。……ユフベは夜を中心とした時間の区分の、ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタの最初の部分の称。昼を中心とした時間の区分の最後の名であるユフと実際上は同じ時間帯を指した。平安時代には、文章語・歌語と意識され、漢文訓読体や和歌、源氏物語に限られた和文作品に使われた、

とあり(岩波古語辞典)、平安女流文学では、普通「ゆふべ」ではなく、「ゆふぐれ」が使われた(仝上)。

で、「ゆふ」は、

ヨ(夜)、ヨヒ(宵)と同源(続上代特殊仮名音義=森重敏)
「ヨヒ」の音便変化。ヨヒ→ユヒ→ユウと転訛(日本語源広辞典)、
ヨ(夜)・ヨヒ(宵)と同根(岩波古語辞典)、

とされる。「よる」は、「ひる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/481403520.html?1620499255で触れたように、

よ(「よる」の古形)+る(接尾語)(日本語源広辞典)、
よ(「よる」の古形)+る(助辞)(大言海・俚言集覧・国語の語根とその分類=大島正健)、

であった。「よ」は、

ヨルの古形、

である(岩波古語辞典)。しかも、「ゆ」は、

上代東国の方言、

とあり(仝上)、

よ→ゆ、

と転訛しやすい。だから、

よ→ゆ、

だとしても、古代、夜の時間は、

ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

という区分をしており、夕暮れ時を、

ユフ→ヨヒ、

と、

ヨヒ、

と、その前の時間帯を、

ユフ、

とにわけていることになる。

以上から考えられることは、夜の「ヨ」は、

よ(「よる」の古形)+る(接尾語)(日本語源広辞典)、
よ(「よる」の古形)+る(助辞)(大言海・俚言集覧・国語の語根とその分類=大島正健)、

であり、「ひる」が、

ヒ(日)+る(助辞)(大言海)、
ヒ(日)+る(接尾語)(日本語源広辞典)、

と、「ヒ」であり、「アサ」が、

アは、明(ア)くの語根、

で、「あか(赤)」の「ア」でもあると考えると、一日が、

ア→ヒ→ヨ、

しかなかった時間区分のうち、「ア」が、

アカツキ→アシタ、

と分化したように、「ヨ」が、

ユフ→ヨヒ→ヨナカ、

と分化した、と見ることができるのではないか。

日没のころであり、明るい昼から徐々に暗くなって完全に暗い夜となる前の境界の時間帯、

であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95、古くは、

暮れ六つ、
や、
酉の刻、

ともいい、

だいだい2時間~3時間の間、

である(仝上)、「ユウ」は、さらに、

「ゆうまぐれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464333025.html
「逢魔が時」http://ppnetwork.seesaa.net/article/433587603.html
「たそがれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479991859.html

等々とさらにこまかく言い表されることになる。

「夕」 漢字.gif

(「夕」 https://kakijun.jp/page/0320200.htmlより)

「ユウ」に当てられた「夕」(漢音セキ、呉音ジャク)は、

象形。三日月の姿を描いたもの、夜(ヤ)と同系で、月の出る夜のこと、

とある(漢字源)。「月の半ば見える」象形から「日暮れ」を意味するhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%95、ともある。

「夕」 甲骨文字.png

(「夕」甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%95より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ゆふ ゆう
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2021年05月09日

ひる


「ひる」は、

昼、

と当てる。

「朝」http://ppnetwork.seesaa.net/article/481387969.html?1620462788や、「夜」http://ppnetwork.seesaa.net/article/442052834.htmlでも触れたが、上代には昼を中心にした言い方と、夜を中心とした時間の言い方とがあり、

昼を中心にした時間の区分、アサ→ヒル→ユフ、
夜を中心にした時間の区分、ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

と、呼び方が分けられている(岩波古語辞典)。「ひる」は、

アサ→ヒル→ユフ、

と、昼を中心にした言い方で言う、

「アサ」と「ユウ」の間、

の、

朝夕をのぞいた明るい時間、

をいう(日本語源広辞典)ことになる。つまり、「アサ」の対は、

宵(よひ)・夕(ゆふ)、

であり、「ひる」の対は、

よる(古形は「よ」)、

である(岩波古語辞典)。

「昼」 漢字.gif


日本語では、時間帯について昼という場合、ひとつは、

夜と対立する意味での昼で、太陽が見える時間帯すべてを指す、

場合と、いまひとつは、

(太陽が見える時間帯すべての意の)昼から朝と夕方を区別し、残りの時間を指す場合である。この場合、太陽が見えて以後にある程度以上高く登り、その日の南中高度に近くなった時間を指す。単に“お昼”といえば、正午前後の時間だけを指す場合もあり、昼はその前後、ある程度の幅の時間を指す、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%BCのは、

アサ→ヒル→ユフ、

という古代の感覚が残っている気がする。

「ひる」の語源は、

ヒ(日)と同根、

とあり(仝上)、「ヒ(日)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463232976.html?1618440403は、

太陽というのが原義。太陽の出ている明るい時間、日中。太陽が出て没するまでの経過を時間の単位としてヒトヒ(一日)という。ヒ(日)の複数はヒビというが、二日以上の長い時間を一まとめに把握した場合には、フツカ(二日)・ミカ(三日)のようにカ(日)という、

とある(岩波古語辞典)ので、「ヒ」のみでも、

昼間、

の意味はある。だから、大言海は、「ひ(日)」を、

太陽、

の意と、

昼間、

の意の二項別に立てている。で、「ひる」は、

ヒ(日)+る(助辞)(大言海)、
ヒ(日)+る(接尾語)(日本語源広辞典)、

という説になる。これは、「よる」が、

よ(「よる」の古形)+る(接尾語)(日本語源広辞典)、
よ(「よる」の古形)+る(助辞)(大言海・俚言集覧・国語の語根とその分類=大島正健)、

とされるのと対であると思われる。ただ、「よる」と「よ」とは微妙に差があり、「よる」中心にした時間の区分は、上代、

ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

のうち、

ヨヒ→ヨナカ→アカツキ(アカトキ)、

と三分され、

当時の日付変更時点は丑の刻(午前二時頃)と寅の刻(午前四時頃)の間であったが、「よなか」と「あかとき」(明時、「あかつき」の古形)の境はこの時刻変更点と一致している、

とある(日本語源大辞典)が、

「よる」が「ひる」に対し、

暗い時間帯全体を指す、

のに対し、「よ」は、

よひ、
よなか、
よべ(昨夜)、

と三分された、

特定の一部分だけを取り出していう、

ともある(仝上)。ついでながら、「よべ」は、古代、

日付変更点の丑の刻と寅の刻の間(午前三時頃)の、こちら側を「こよひ」、向こう側を「よべ」とよんだ、

とある(仝上)。ちなみに、「ひ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463232976.html?1618440403で触れたことだが、

明け六つ(午前六時)を一日の初とし、次の明け六つを終とせしを、夜九つ(午前十二時)よりと改むる由、元文五年の暦の端書に見えたり、

とある(大言海)ので、江戸時代の元文四年(1740)に一日を今日の、零時からと替えた。時計の影響かもしれない。

「ひる」に当てた「昼(晝)」(チュウ)の字は、

会意。晝は「筆を手に持つ姿+日を視覚に区切った形」。日の照る時間を、ここからここまでと筆でくぎって書くさまを示す。一日のうち、主となり中心となる時のこと。夜(わきにある時間)に対することば、

とある(漢字源)。「夜」(ヤ)の字は、

会意兼形声。亦(エキ)は、人のからだの両わきにあるわきの下を示し、腋(エキ)の原字。夜は、「月+音符亦の略体」で、昼(日の出る時)を中心にはさんで、その両脇にある時間、つまりよるのことを意味する、

とある(仝上)ので、「昼」の視点から「夜」をみていることかをみていることがわかるし、昼夜は、きっちりと区切られている感覚らしい。和語の、

昼を中心にした時間の区分、アサ→ヒル→ユフ、
夜を中心にした時間の区分、ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

というグラデーションの感覚とは違うようだ。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ひる
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2021年05月08日


「あけぼの」http://ppnetwork.seesaa.net/article/442024908.htmlで触れたように、古代、夜の時間は、

ユウベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

という区分をし、昼の時間帯は、

アサ→ヒル→ユウ、

と区分した(岩波古語辞典)。「アサ」は、

夜の対ではなく、

ヨイ(宵)・ユウ(夕)の対になる(仝上、なお「夜」http://ppnetwork.seesaa.net/article/442052834.htmlについては触れた)。

時間帯としては、昼の時間帯の「アサ」は、夜の時間帯の、

アシタ(明日・朝)、

と同じになるが、「アシタ」は、「あした」http://ppnetwork.seesaa.net/article/447333561.htmlで触れたように、

「夜が明けて」という気持ちが常についている点でアサと相違する。夜が中心であるから、夜中に何か事があっての明けの朝という意に多く使う。従ってアルクアシタ(翌朝)ということが多く、そこから中世以後に、アシタは明日の意味へと変化しはじめた、

とあり(仝上)、

アクルアシタ(明くる朝)→アシタ(翌朝)→アシタ(明日)、

と転化していった(日本語の語源・日本語源広辞典)ので、時間帯は同じだが、

夜が明けた朝、
と、
昼を前にした朝、

とは含意が異なったと思われる。しかし、「アサ」は、

アシタ(明日・朝)の約、

と、「アシタ」由来とみなされる。

〈あが面(オモ)の忘れんシダ(時)は〉(万葉)とあるが、夜明けの時のことをアケシダ(明け時)といった。「ケ」を落としてアシタ(朝)になった。さらにシタ[s(it)a]が縮約されてアサ(朝)になった、

とある(日本語の語源)。

アクルアシタ(明くる朝)→アシタ(翌朝)→アサ(朝)、

と転化したことになる(日本語源広辞典)。「シダ」は、

とき、

の意で、今日、

行きしな、
帰りしな、

と使う「しな」の古語である(岩波古語辞典・大言海)。「しな」については「しな、すがり、すがら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/420311540.html?1620242194で触れた。

「朝」 漢字.gif


となると、「あさ」の語源は、「あした」から考える必要があるが、

アは、明(ア)くの語根、明時(あけした)の意(東(アヅマ)も明端(アケヅマ)なるが如し)、アシタ、約(つづま)りて朝(アサ)となる、雅言考、アシタ「明節(アケシタ)の略なり、時節などを、古くシタといふ、

とする説(大言海)で、尽きている気がする。「あか」http://ppnetwork.seesaa.net/article/429360431.htmlで触れたが、古代日本では、固有の色名としては、

アカ、クロ、シロ、アオ、

があるのみで、それは、

明・暗・顕・漠、

を原義とする(岩波古語辞典)といい、

赤(アカ)は、「明(アケ)」が語源、

であり、「アケ(明)」は、

アカ(赤・明)と同根、

で、

明るくなる、

意である(岩波古語辞典)。

アはアケル(明)のア(言元梯・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・国語の語根とその分類=大島正健)、
アはアカの約(和訓集説)、

等々も同趣旨と見ていい。「アサ」の「サ」を、

サは接尾語(言元梯・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・国語の語根とその分類=大島正健)、
サはスサの約(和訓集説)、

等々は、

アクルアシタ(明くる朝)→アシタ(翌朝)→アサ(朝)、

の転化を考えると、意味のない穿鑿に見える。

なお、

ユウベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

でいう、

アカツキ→アシタ、

と、「アサ」や「アシタ」の前の時間帯は、「あさぼらけ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473460440.htmlで触れたように、あかつきhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/466141631.html、以外にも、 

ありあけ、
しののめ、
あさまだきhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/442024908.html?1474144774
あけぼのhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/444607999.html
あさぼらけhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/473460440.html

等々あり、この違いには微妙な区分がある。

「あかつき」http://ppnetwork.seesaa.net/article/466141631.htmlは、上代は、

あかとき(明時)、

で、中古以後、

あかつき、

となり、今日に至っている。もともと、古代の夜の時間を、

ユウベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

という区分した中の「あかつき」は、

夜が明けようとして、まだ暗いうち、

を指し(岩波古語辞典)、

ヨヒに女の家に通って来て泊まった男が、女の許を離れて自分の家へ帰る刻限。夜の白んでくるころはアケボノという、

とする(仝上)が、

明ける一歩手前の頃をいう「しののめ」、空が薄明るくなる頃をいう「あけぼの」が、中古にできたため、次第にそれらと混同されるようになった、

とある(日本語源大辞典)。

「しののめ」は、

東雲、

と当て、

一説に、「め」は原始的住居の明り取りの役目を果たしていた網代様(あじろよう)の粗い編み目のことで、篠竹を材料として作られた「め」が「篠の目」と呼ばれた。これが明り取りそのものの意となり、転じて夜明けの薄明かり、さらに夜明けそのものの意になったとする、

と注記して、

東の空がわずかに明るくなる頃。明け方、あかつき。あけぼの、

の意で、転じて、

明け方に、東の空にたなびく雲、

の意とある(広辞苑)。また、

万葉集に、「小竹之眼」「細竹目」と表記されて、「偲ぶ」「人には忍び」にかかる、語意未詳の「しののめ」がみられる。これを、篠竹を簾状に編んだものと考え、この編目が明かり取りの用をなしたところから、夜明けの意に転じたと見る説もある、

ともあり(日本語源大辞典)、

篠の目が明かり取りそのものの意となり、転じて夜明けの薄明かり、夜明け、

の意となった(語源由来辞典)、とする見方はあり得る。

「ありあけ」は、

月がまだありながら、夜か明けてくるころ、

だから、かなり幅があるが、

陰暦十五日以後の、特に、二十日以後という限定された時期の夜明けを指すが、かなり幅広い。

「あさまだき」http://ppnetwork.seesaa.net/article/442024908.htmlは、

マダ(未)・マダシ(未)と同根か、

とあり(岩波古語辞典)、

早くも、時もいたらないのに、

という意味が載る。どうも何かの基準からみて、ということは、夜明けを基点として、まだそこに至らないのに、既にうっすらと明けてきた、という含意のように見受けられる。

朝+マダキ(まだその時期が来ないうちに)(日本語源広辞典)

で、未明を指す、とあるので、極端に言うと、まだ日が昇ってこないうちに、早々と明るくなってきた、というニュアンスであろうか。大言海には、

マダキは、急ぐの意の、マダク(噪急)の連用形、

とあり、「またぐ」は、

俟ち撃つ、待ち取る、などの待ち受くる意の、待つ、の延か、

とあり、

期(とき)をまちわびて急ぐ、

意とあるので、夜明けはまだか、まだか、と待ちわびているのに、朝はまだ来ない、

という意になる。

「あげぼの」http://ppnetwork.seesaa.net/article/444607999.htmlは、「あけぼの」の「ほの」は「ほのかの」「ほの」と通じ、

ボノはホノカのホノと同根、

とある(岩波古語辞典)。「ほのか」とは、

光・色・音・様子などが、薄っすらとわずかに現れるさま。その背後に大きな、厚い、濃い確かなものの存在が感じられる場合にいう、

とある。また、

「あけ(明)」と「ほの(ぼの)」の語構成。「ほのぼのあけ(仄々明け)」とも言うように、「ほの」は「ほのぼの」「ほのか」などと同源で、夜が明け始め、東の空がほのかに明るんでくる状態が「あけぼの」である。古くは、暁の終わり頃や、朝ぼらけの少し前の時間をいった、

ともある(語源由来辞典)。どうやら、

夜明けの空が明るんできた時。夜がほのぼのと明け始めるころ、

で、「あさぼらけ」と同義とある。

「あさぼらけ」は、

夜がほんのりと明けて、物がほのかに見える状態、

とある(岩波古語辞典)。大言海に、

世の中を何に譬へむ旦開(あさびらき)漕ぎにし舟の跡無きが如(ごと)、

という万葉集の歌の「あさびらき」が、拾遺集で、「朝ぼらけ」としている、とある。ちょうど朝が開く瞬間という意になる。しかし、『日本語の語源』は、

アサノホノアケ(朝仄明け)は、ノア(n[o]a)の縮約でアサホナケになり、「ナ」が子音交替(nr)をとげてアサボラケ(朝朗け)になった。「朝、ほのぼのと明るくなったころ…」の意である。「ボ」が母韻交替をとげて朝開きになった、

と、大言海と真逆である。しかし、時間軸を考えると、

アサビラキ→アサボラケ、

ではないか。

アサビラキ(朝開)の転。アケボノと混じた語(類聚名物考・俚言集覧・大言海)、
アサビラケの転(仙覚抄・日本釈名・柴門和語類集)、

とアサビラケ説に対し、

朝ホロ明けの約(岩波古語辞典)、
朝ホノアケの約(和訓栞)、

と、朝ホロ明け説があるが、これだと、ほぼ「あけぼの」と重なる。

「あけぼの」と並んで(「あさぼらけ」は)夜が明ける時分の視覚的な明るさを表す語である。「あけぼの」が平安時代に散文語で、中世には和歌にも用いられるようになるが、『枕草子』春はあけぼの以降春との結びつきが多いのに対し、「あさぼらけ」は主に和歌に用いられ、秋冬と結びつくことが多い。「あさぼらけ」の方が、「あけぼの」よりやや明るいという説もあるが、判然としない、

とある(日本語源大辞典)。さて、

あさまだき、
ありあけ、
あかつき、
しののめ、
あけぼの、
あさぼらけ、

の順序はどうなるのだろう。

「あさまだき」は、

マダ(未)・マダシ(未)と同根か、

とあり(岩波古語辞典)、

早くも、時もいたらないのに、

という意味が載る。夜明けに至らないのに、既にうっすらと明けてきた、という含意のように見受けられる。だから、

あさまだき→あかつき・ありあけ、

となろうか。「ありあけ」は、

月がまだありながら、夜か明けてくるころ、

だから、かなり幅があるが、「あかつき」も、

夜が明けようとして、まだ暗いうち、

と広く、たとえば、「あけぼの」と比べ、

「曙は明るんできたとき。「暁」は、古くは、まだ暗いううら明け方にかけてのことで、「曙」より時間の幅が広い、

とあるhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1145636881。とすると、古代の、

アカツキ→アシタ、

の時間幅全体を「あかつき」「ありあけ」とみると、その時間幅を、細かく分けると、

しののめ、
あさまだき、
あけぼの、
あさぼらけ、

の順序が問題になる。「あさぼらけ」には異説はあるが、

夜のほのぼのと明けるころ。夜明け方。「あけぼの」より少し明るくなったころをいうか。」(デジタル大辞泉)、
「あさぼらけ」の方が「あけぼの」よりやや明るいと見る説もあるが判然としない(精選版日本国語大辞典)、

とあるので、

あけぼの→あさぼらけ、

とみると、「しののめ」の位置だけが問題になる。

『日本語の語源』は「しののめ」について、

イヌ(寝ぬ。下二)は、「寝る」の古語である。その名詞形を用いて、寝ている目をイネノメ(寝ねの目)といったのが、イナノメに転音し、寝た眼は朝になると開くことから「明く」にかかる枕詞になった。「イナノメのとばとしての明け行きにけり船出せむ妹」(万葉)。
名詞化したイナノメは歌ことばとしての音調を整えるため、子音[∫]を添加してシナノメになり、母音交替(ao)をとげて、シノノメに変化した。(中略)ちなみに、イネノメ・イナノメ・シノノメの転化には、[e] [a] [o]の母音交替が認められる、

と、「篠竹」説を斥けている。そうみると、「目を開けた」時を指しているとすると、「しののめ」が、

しののめ→あけぼの→あさぼらけ、

なのか、

あけぼの→あさぼらけ→しののめ、

かの区別は難しいが、一応、いずれにしても、人が気づいた後の夜明け時の順序なのだから、

しののめ→あけぼの→あさぼらけ、

を、暫定的な順序としてみるhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/444607999.html。しかし、「しののめ」「あけぼの」「あさぼらけ」は、ほとんど時間差はわずかのように思える。

「アサ」に当てた「朝」(チョウ)の字は、

会意→形声。もと「艸+日+水」の会意文字で、草の間から太陽がのぼり、潮がみちてくる時をしめす。のち「幹(はたが上るように日がのぼる)+音符舟」からなる形声文字となり、東方から太陽の抜け出るあさ、

とある(漢字源)。

「朝」 成り立ち.gif

(「朝」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji152.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2021年05月07日

しゃべる


「しゃべる」は、

喋る、

と当てる。

話す、
言う、

の意だが、特に、

口数多くぺらぺらと話す、

意とあり(広辞苑・デジタル大辞泉)、

騒々しく話しまくる、

ともある(岩波古語辞典)。室町末期の『日葡辞書』では、

他人にもらす、

意も載る(広辞苑)。

「喋」 漢字.gif


ことばを発する意の日本語には、

言う、
云う、
謂う、
曰う、
道う、

等々と当てる

いふ、

がある。「いふ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/472014795.htmlは、

必ずしも伝達を目的とはせず言葉や音声を発する表出作用をいう(広辞苑)、
とか、
「言う」は「独り言を言う」「言うに言われない」のように、相手の有無にかかわらず言葉を口にする意で用いるほかに、「日本という国」「こういうようにやればうまく行くというわけだ」など引用的表現にまで及ぶ(デジタル大辞泉)、

等々と幅広く使われるが、

「話す」http://ppnetwork.seesaa.net/article/448588987.html?1490905148は、

放す(心の中を放出する)、

意で(大言海・日本語源広辞典)、「言う」と「話す」の違いは、

「言うは単にことばを発することであり、内容は「あっと言った」のように非常に単純なこともあり、「言い募る」といえることからもわかるように、一方的な行動のこともある。それに反し「話す」のほうは、相手が傾聴し、理解してくれることが前提となっている(日本大百科全書)、

とある。

「語る」http://ppnetwork.seesaa.net/article/448623452.htmlは、

「タカ(型、形、順序づけ)+る」で、順序づけて話す(大言海)、
とか、
「コト(物事・事象)+る」で、世間話をする、物事を話す、

の二説あるが、

事件の成り行きを始めから終わりまで順序立てて話す意(岩波古語辞典)、

である。

「述ぶ」は、「話す」http://ppnetwork.seesaa.net/article/448588987.html?1490905148で触れたように、

伸ぶ、
延ぶ、

とも当てるので、

ノブ(延・伸)、

が語源で、ひっきりなしに続く、また横に長くのばし広げる意で、

長く話す、

意となる。

「つ(告)ぐ(仝上)」(仝上)も、「話す」で触れたように、

継ぐ・接ぐと同根、

で、

人に言を継ぎ述べる意(大言海)であるが、

ツグ(告)は、中に人を置いて言う語(岩波古語辞典)、

である。

「のり(宣り・告り・罵り)」も、「話す」で触れたが、

神や天皇が、その神聖犯すべからざる意向を、人民に対して正式に表明するのが原義。転じて、容易に窺い知ることを許さない、みだりに口にすべきでない事柄(占いの結果や自分の名など)を、神や他人に対して明かし言う意。進んでは、相手に対して悪意を大声で言う意、

で(岩波古語辞典・日本語源大辞典)、

ノルの本質はノル(乗)。言葉という物を移して、人の心に乗せ負わせるというのが原義(続上代特殊仮名音義)、

という語源説は意味がある。

「もおす(まをす)」も、「話す」で触れたように、

「マヲス」が上代後期にマウスに変化した語です。麻袁須―麻乎須と表記され、申す、白す、啓す、が当てられ平安期には、「申す」が主流になった語です。語源は、「マヰ(参上)の古語マヲ+ス(言上す)」と思われます。現在でも、神社の宮司等の祝詞にマヲスが使われていますので、「参上してあらたまって言う」意が語源に近い(日本語源広辞典)、

神仏・天皇・父母などに内情・実情・自分の名などを打ち明け、自分の思うところを願い頼む意。低い位置にある者が高い位置にある者に物を言うことなので、後には「言ひ」「告げ」の謙譲表現となった。奈良時代末期以後マウシの形が現れ、平安時代にはもっぱらマウシが用いられた(岩波古語辞典)、

等々とあり、原義は、

支配者に向かって実情を打ち明ける意、

である(岩波古語辞典)。

こう見てくる(以上)と、「しゃべる」は、

話す、
か、
言う、

のいずれかと近い。ただ、「しゃべる」は、

しゃべくるの略、

とある(大言海)。「しゃべくる」は、

しゃべる、

と同義(広辞苑・大言海)とされるが、

若(わけ)へもんなみにしゃべくるからのことさ(文化七年(1810)「浮世風呂」)、

と、

しきりにしゃべる、
あれやこれやとしゃべる、
多弁である、

とあり(江戸語大辞典)、単に「しゃべる」意とは違う。「しゃべくる」は、

喧語(さへ)ぐ、喧噪(さはぐ)の遺、

とする説がある(大言海)。しかし、「さへぐ」は、岩波古語辞典には載らず、明解古語辞典に、

さへく、

として、

騒々しい声で物を言う、
聞き分けにくく物を言う、

の意味が載る。大言海には、

ことさへく、

の項で、「こと」は言、「さへく」は、

囀る、喧擾(さば)めくに通ず、ざわざわと物言う義にて、

「ことさへく」は、敏達紀に、

韓語(からさへづり)、

と訓ませ、

外国人の言語の、韓(カラ)、百済にかかるなり、

とする(大言海)。しかしこれなら、

ざへづる(囀る)、

なのではないか。『日本語の語源』は、

サヘヅル(囀る)は人間にも用いられた。〈(七八人の男が)さへづりつつ入り来れば(源氏)〉。「ヅ」を落としてシャベルになった、

とする。この当否は別として、少なくとも、

囀る、

とつながる気がするのは、「さえずる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/459963682.htmlで触れたように、

「さえずる」は、

サヒヅルの転(広辞苑)

であり、「さひづり」は、

サヘヅリの古形(明解古語辞典)、

とあり、

サヘは、喧語(さへ)くの語根…、ツルは、あげつらふ(論)、引(ひこ)つらふのツラフと通づ…。佐比豆留とある比(ヒ)は、閇(へ)の音に用ゐたるなり(大言海)、

と、

サヘク、

へと戻る。これは、

鳥が騒がしく喋りまくっている、

という感につながり、

しゃべくるにつながる。「さえずる」は、

サヘは擬声語(時代別国語大辞典-上代編)、
擬音さへ+ク(動詞語尾)(日本語源広辞典)、

と、擬声語につながる。これは「さわぐ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465482949.htmlが、

奈良時代にはサワクと清音。サワは擬態語。クはそれを動詞化する接尾語(岩波古語辞典)、

と似ていなくもない。

確かに、「しゃべくる」は、

さえずる、

と感覚的に似ている気がしなくもない。

「喋」(漢音チョウ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。枼は、ぺらぺらした葉を描いた象形文字で薄い意を含む。喋はそれを音符として。口をそえた字で、薄い舌がぺらぺらと動くこと、

とあり(漢字源)、「ぺらぺらとしゃべる」意である。

「喋る」 漢字 成り立ち.gif

(「喋」漢字の成り立ち https://okjiten.jp/kanji2398.htmlより)

なお、
「かたる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/448623452.html
「いう」http://ppnetwork.seesaa.net/article/472014795.html
「話す」http://ppnetwork.seesaa.net/article/448588987.html?1490905148
は、それぞれ触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:しゃべる 喋る
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2021年05月06日

たたき


「たたき」には、

叩き、
敲き、

と当てるのと、

三和土、

と当てるのとがある。いずれも、「たたく(叩・敲)」の連用形で、「三和土」は、

叩き土の略、

とあり(大言海)、

合わせ土、

ともいい、

赤土、石灰、砂に、にがしお(苦汁(にがり))を加えて叩き固めたもの、

で(大言海・日本語源広辞典・日本語源大辞典)、

溝、泉水の底などを、これを敷きて固めてつくる、

とある(大言海)。

叩き、
敲き、

と当てる「たたき」も、

食べる料理を包丁で細かく叩いた料理、

で、「叩く」意味と関わる(たべもの語源辞典)。

アジのたたき(なめろう).jpg

(アジのたたき(なめろう) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%81%8Dより)

この「たたき」には、たとえば、

鰹のたたき、というように、

カツオをおろして表面を火であぶり、そのまま、あるいは手や包丁の腹でたたいて身を締めてから刺し身状に切ったもの。薬味や調味料を添える、土佐作り、

の意と、

鯵のたたき、

というように、

生の魚肉・獣肉などを包丁の刃でたたいて細かくした料理、

の二つの意味がある(広辞苑・デジタル大辞泉)。本来は、「たたき」は、

生肉や生魚など未加熱の食材を細かく切り刻んだもの、

でありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%81%8D、もともとは膾(あるいは鱠)と呼ばれた(仝上)。

なます.jpg

(「なます」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%86%BEより)

「さしみ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/453881536.htmlで触れたように、「刺身」は、

指身・指味・差味・刺躬また魚軒とも書く。生魚の肉を細かく切ったものを古くは鱠(なます)とよんでいた、

のであり(たべもの語源辞典)、倭名抄には、

鱠、奈萬須、細切肉也、

とある。「膾」は、「生肉」で、「鱠」は、「魚肉」、

漢字の「膾」は、肉を細かく刻んであわせた刺身を表す字なので、「月(肉)」が用いられている。その後魚肉使うようになり、魚偏の「鱠」が用いられるようになった、

ということである(語源由来辞典)。

「膾」は、「なます」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474186656.htmlで触れたように、

大根・人参などを細かく切って酢で和えた食べ物、

を指すが、「膾」の意味が、

魚貝や獣などの生肉を細かく切ったもの、

薄く切った魚貝を酢に浸した食品、

大根・人参を細かく刻み、三杯酢・胡麻酢・味噌酢などで和えた料理、

と変わる(広辞苑)。野菜や果物だけで作ったものは「精進なます」と呼ばれ、魚介類を入れないことや、本来の漢字が「膾」であることから、「精進膾」と表記される、

とある(語源由来辞典)のは、「膾」の本来の意味から区別のためと思われる。初めは、

魚貝や獣などの生肉を細かく切ったもの、

で、やがて魚の「なます」が多くつくられるようになり、

鱠、

が多く用いられるようになり、平安時代後期に魚肉と野菜を細かく刻んであえた物を指す言葉に変わった。

というように、刃物で細かく叩き切ることから、「膾」が、

叩き鱠、
あるいは、
叩き、

と呼ばれるようになるのは、本来の「膾」が主として酢の物を意味する言葉へと変化していったという背景がある。

たたきごぼう.jpg


庖丁やすりこぎで叩いた「たたき」には、

たたきあわび(叩鮑)、
たたきいか(叩烏賊)、
たたき牛蒡(叩牛蒡)、
たたき豆腐(叩豆腐)、
たたきあげ(叩揚 魚鳥の肉を細かに叩いて丸めて油で揚げたもの)、
たたきな(叩菜)、
たたきなっとう(叩納豆)、
たたきびしお(敲醢 叩き潰してひしおにしたもの。しおから)、
たたきはしら(叩柱 貝柱のたたき)、

等々ある(たべもの語源辞典)。なお、「しおから」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479351026.htmlについては触れた。

これに対して、

鰹たたき、
鯖たたき、

等々、「たたき」を後に付けるのは、「炙るたたき」である、

おろして表面を火であぶり、そのまま、あるいは手や包丁の腹でたたいて身を締めてから刺し身状に切ったもの、

を指す。

カツオの叩き.jpg

(カツオのたたき デジタル大辞泉より)

なお、「たたく」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465451606.htmlで触れたように、「叩」(漢音コウ、呉音ク)の字は、

形声。卩印は、人間の動作を示す。叩は「卩(人間のひざまずいた姿)+音符口」。扣(コウ)と通用する、

とあり(漢字源)、別に、

会意兼形声文字です(口+卩)。「たたいた時の音を表す擬声語」と「ひざまずく人」の象形(「ひざまずく」の意味)から、「ひざまずいて頭を地にコツコツとうちあてて礼をする」を意味する「叩」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2259.html

叩は、聲也。たたくうつ、叩門、叩首と用ふ。論語「以杖叩其脛」、

とある(字源)ので、擬制音とみるのが妥当だろう。

「叩」 漢字の成り立ち.gif

(「叩」 漢字の成り立ち https://okjiten.jp/kanji2259.htmlより)

「敲」(漢音コウ、呉音キョウ)の字は、

形声。「攴(動物の記号)+音符高」、

とある(漢字源)が、

敲は、たたきて音聲を出す。叩より重し。敲金、敲門と用ふ。

とある(字源)。やはり擬音の可能性が高い。

「敲」 漢字.png

(「敲」 小篆・説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%95%B2より)

和語の「たた(叩)く」の「たた」も、

タタは擬音語。クは擬音語を承けて動詞を作る接尾語、

とある(岩波古語辞典)。

「たたく」の「た」は、「て」の古形で、

他の語の上について複合語をつくる、

とある(岩波古語辞典)。「手玉」「他力」「手枕」「手挟む」等々。「たたく」も、「手」の動作に絡んで、

叩くは、「タ(手)+ク(ハタク)」が語源です。手ではたくように打つ意です。さらに、打つ、なぐる、やっつける、非難する、安くさせる、質問する、また憎まれ口をいう意にも使います。造語成分として複合語を作ります。例::タタキ上げ(長く苦労して一人前になった人)、タタキ込む、…タタキ大工、タタキ出す、タタキつける、タタキなおす、…タタキのめす、

とあり(日本語源広辞典)、擬音と推測出来る。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2021年05月05日

庖丁


「庖丁」は、

包丁、

とも当てるが、「庖」と「包」は別字である。日本では、「包」の字を、

「庖」と「繃」の代用字として使う、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%85ので、

庖丁→包丁、
繃帯→包帯、

という使い方はわが国だけである。

「包」 戦国時代.png

(「包」 簡牘(かんとく)文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%85より)

「つつむ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/467683799.html?1562266983で触れたように、「包」(漢音ホウ、呉音ヒョウ)の字は、

象形。からだのできかけた胎児(巳)を、子宮膜の中につつんで身ごもるさまを描いたもの。胞(子宮でつつんだ胎児)の原字、

とあり(漢字源)、また、

会意兼形声文字です(己(巳)+勹)。「人が腕を伸ばしてかかえ込んでいる」象形と「胎児」の象形から、「つつむ」を意味する「包」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji672.htmlが、「抱」(つつみかかえる)、「泡」(空気をつつんだあわ)、「苞」(つぼみをつつみこむ)と同系ともあり(漢字源)、「つつむ」という意味である。

「庖」 漢字.gif


「庖」(漢音ホウ、呉音ビョウ)は、

会意兼形声。包(ホウ)は、外から包む意を含む。庖は「广(いえ)+音符包」で、食物を包んで保存する場所の意、

とあり(仝上)、「台所」の意であり、「厨」と同義である。

庖厨(ホウチュウ 台所)、
庖屋(ホウヤ 台所)
庖人(ホウジン 料理人 庖人は周代の料理(膳羞)のことを掌る官名、転じて料理人)、

と使う(字源)。「庖丁」は、『荘子』に、

庖丁為文惠君解牛、

とあり(仝上)、その牛の捌き方が見事だったので、コツを尋ねた粱の惠王に、彼は「刀を釈(すて)て」そのコツを語ったとある(たべもの語源辞典)。「庖丁」の「丁」(漢音テイ・トウ、呉音チョウ)は、

象形。甲骨・金文は特定の点。またはその一点にうちこむ釘の頭を描いたもの。篆文はT型に書き、平面上の一点に直角に釘を当てたさま。丁は釘の原字、

とある(漢字源)。この「くぎ」の意から派生する会意兼形声文字に、「打」(釘を打ち付けるように、直角に強い力を加える)、「頂」(頭のてっぺんの部分)。「(釘付けられ)じっと留まる」の意を有する会意兼形声文字として、「亭」(地上にじっと建つ建物)、「停」(じっと留まる)、等々があるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%81

「丁」 甲骨文字.png

(「丁」 甲骨文字 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%81より)

「丁」 戦国時代.png

(「丁」 戦国時代・簡帛文字 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%81より)

「丁」は、

壮丁、
成丁、
園丁、

等々と使い、壮年の男の意である。齢盛りの男を、

丁男、
壮丁(そうてい)、

といい、

丁女、

は、二、三十歳の女性を指す(たべもの語源辞典)。だから、「庖丁」は、

料理人、

の意であり、

庖人(ほうじん)、

ともいうが、古代の漢語における「丁」は、

担税を課することに由来して「召使としての成年男性(古代中国の律令制で成年男性に該当するのは、数え年で21歳から60歳までの男性)」を意味し、「園丁」や「馬丁」という熟語があるように「その職場で働く成年の召使男性」の意味合いで用いられていた。したがって、「庖」と「丁」の合成語である「庖丁」は「台所で働く成年の召使男性」を指す、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E4%B8%81ので、単なる料理人ではない。しかし、わが国で、料理人の意で、

庖丁者(じゃ)、
とか、
庖丁人(じん)、
とか
庖丁師、

などと使う(たべもの語源辞典・岩波古語辞典)のは、「庖丁」の原意から考えると重複している。

奈良時代から平安時代初期にかけての日本では、刃物はひとくくりに、

かたな、

と呼ばれていたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E4%B8%81とある。この場合の「かたな」は、「かたな」http://ppnetwork.seesaa.net/article/450320366.html?1549439317で触れたように、

ナは刃の古語。片方の刃の意(広辞苑)、
片之刃の約か(水泡(みのあわ)、みなわ、呉藍(くれのアゐ)、くれなゐ)、沖縄にて、カタファと云ふ。片刃なり。西班牙語にも、刀をカタナと云ふとぞ(大言海)、

と、「諸刃(もろは)」の対の片刃だったと考えられる(日本語源広辞典)。

そして、「庖(台所、厨房)」で働く専門の職人を、

庖丁者(ほうちょうじゃ)、
または
庖丁人(ほうちょうにん)、

と呼ぶようになったのは、平安時代末期ごろhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E4%B8%81と考えられている。庖丁者・庖丁人が用いる刀を「庖丁刀ほうちょうがたな)」と呼ぶようになったのもこの時期で、『今昔物語集』に、

「喬なる遣戸に庖丁刀の被指たりけるを見付て」、

とあり、略語の「庖丁」も、同じ『今昔物語集』に見られる(世界大百科事典)、とある。

わが国の「庖丁」の語義も、もともと、

料理人、

であるが(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)、今日、ほぼ、

庖刀、

の意で使う(大言海)。これは、

庖丁刀の略、

とされる。そのためか、

「庖丁」は、その換喩として、

料理、割烹、

の意でも使われる。和名抄に、

庖、斷理魚鳥者、謂之庖丁、俗云抱長、

とある。江戸時代にも、料理上手を、

庖丁が利く、

という言い回しをした(江戸語大辞典)。

庖丁→包丁、

と字を当て換えられたのは、「庖」が、常用漢字でも人名用漢字でもないためで、戦後になってからのことである。なお、現代中国語では「庖丁」という語は、

日本の庖丁を指す語以外の、旧来の意味では死語になっており、「菜刀」または「廚刀(簡体字:厨刀)」と呼ばれている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E4%B8%81

ところで、「庖丁」は、『枕草子』に、

「園(そのの)別当入道は、さらなき庖丁者なり」

とあるが、これは、

料理人、

の意ではなく、

庖丁式、

という「庖丁儀式」を指している。

お客を招待したとき、これから、こんな材料で料理を差し上げますといった意味で、客の前に大きな俎板を出して、そこに魚とか鳥などをおき、真魚箸(まなばし)と庖丁刀を使って切って見せた、

という(たべもの語源辞典)、一種のデモンストレーションである。

出刃包丁.jpg


参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:庖丁 包丁 庖丁式
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2021年05月04日

中国を定む


佐藤信弥『戦争の中国古代史』読む。

戦争の中国古代史.jpg


「中国古代史は、様々な勢力間の戦争を通じた『中国』形成史と見ることができる。」

と、著者は「まえがき」で述べる。本書は、

「甲骨文など同時代の文字資料に軍事に関する記録が現れはじめる殷代から漢王朝成立までの戦争を見ていくことで、この『中国』形成」

を見ていく、と。

『史記』五帝本紀のいう三皇五帝の神話時代である新石器時代から、本書は始まるが、それは、

黄河中・下流域、

である。戦争の痕跡とみられる、骨鏃の食い込んだ骨が発見されるのは、紀元前4300~2800年、さらに、紀元前3000~2500年頃の廟底溝第二期文化期から紀元前2500~1750年の中原龍山文化の間に、鏃(やじり)は、

「軽くて遠くまで飛ぶことを重視したものから、重くて深く突き刺さるものへ」

と、画期が現れる。龍山文化期の陶寺遺跡は、

尭の都、

とする説もあり、

城壁に囲まれた集落、

が出現する。青銅器の武器が現われてくるのは、

夏王朝の王都、

と推定されている二里頭(にりとう)遺跡(前1600~1300)からで、殷前期の二里岡(にりこう)文化(前1600~1300)に属する、

殷代初期の都城、

と目されている偃師(えんし)商城は、殷の湯王が二里頭文化を滅ぼした際の拠点と見なされている。夏と目される「二里頭王朝」から代わった殷の「二里岡文化」は、

青銅器文化で、その影響は、その勢力圏とされる、

漢中盆地、
江漢地区、
四川盆地、

に及んでいる。殷王朝の直轄地は、

王畿、

と呼ばれ、その外に、

方国(ほうこく)、

と総称される、殷にとっての外国がある。敵対する国もあれば服属する国もある。その方国の一つであった、

周、

が、

牧野(ぼくや)の戦い(前1000年代後半)、

で殷を破る。

西周(前1000年代後半~771)、

の成立である。詩経に、

牧野洋洋たり、
檀車(だんしゃ)煌煌たり、
駟騵(しげん)彭彭たり、

とある。駟騵(四頭立ての戦車)が勝敗を分けた。「中国」の初出は、二代武王の言葉を引いた三代成王の、

余其れ茲の中国に宅し、

という言葉に初めて登場する。ここでは狭い範囲で、殷の拠点のあった河南省北部の首都圏、つまり、

殷王朝の王畿、

を指す。西周の滅亡が紀元前771年、周が東遷するのが紀元前700年代半ば、770以降を東周というが、この前半が、

春秋時代、

後半が、

戦国時代、

である。これ以降、王朝と戎夷など外部勢力との闘いから、諸侯同士の内戦になっていく。所謂、

群雄割拠、

である。春秋時代は、

斉の桓公、
宋の襄公、
秦の穆公、
晉の文公、
楚の荘王、

等々の、

春秋の五覇、

戦国時代は、

韓・魏・趙・燕・斉・楚・秦、



戦国の七雄、

の時代である。春秋時代は、孫武の時代であり、戦国時代は戦国策、孫臏、孟子の時代である。春秋と戦国の違いは、

「春秋は覇者が周王の権威のもとで諸侯に対する指導権を握った時代だが、戦国になると、諸侯は周王の権威を無視して自ら王号を称するようになった」

とされる。そして、紀元前256年周が滅ぶ。七雄中最強となった秦は、

「赧王(たんおう)の死によって周王朝が断絶した際に、秦の昭襄王は周よりその権威の象徴とも言うべき九鼎を接収し」

単独で秦に立ち向かえる国がなくなり、秦王政は、紀元前230年に、

「韓を攻めて王を捕らえたのを皮切りに、趙、魏、楚、燕、斉と次々に攻め滅ぼしていく」

この前230年、秦王政の十七年が、秦による、

統一戦争、

のはじまり、とみなされる。所謂コミックの『キングダム』の世界である。

『史記』が、

「十余年にして蒙恬死し、諸侯、秦に畔(そむ)き、中国擾乱す」

とする、秦三代目の混乱の中、

王侯将相寧(いず)くんぞ種有らんや、

という陳勝の言葉通り、庶民の劉邦が、下剋上を制した、

統一帝国、

を指して、

中国、

と呼び、

「是の時漢初めて中国を定む」

と、

秦・漢統一帝国の領域、

を指して「中国」と呼んだ。西周の時代、殷王朝の王畿をさした「中国」が八百年経て、膨張した広大な領域を指すに至っている。著者は、

「様々な勢力間による戦争を通じて『中国』が膨張していき、最終的に『草原帝国』を統一した匈奴との戦いを通じてその範囲が定まって」

いったとする。その象徴は、

万里の長城、

である。それまでは、戦国の各国が敵対勢力の侵攻を阻むために築いていたものだが、秦は趙・燕の築いていた長城を利用して、胡への対処として築かれていった。それは「中国」の外を意識したものである。

漢は、

「草原帝国」との戦いを経て「中国」の形を形成していった。(中略)現代中国に「敵国」があるとすれば、それは一体どういう存在なのだろうか? 中国は何を求めて戦っているのだろうか?」

という掉尾のまとめは、今日の膨張中国への、なかなかな皮肉である。

参考文献;
佐藤信弥『戦争の中国古代史』(講談社現代新書)

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2021年05月03日

じじむさい


「じじ(ぢぢ)むさい」は、

爺むさい、

と当て、

年よりじみている、
むさくるしい、

という意味だが(広辞苑)、年寄り自身に言うよりは、今日、

じじむさい身なり、
じじむさい意見、

というように、

男性の容姿や衣服などが年寄りのように感じられる様子、
また、
年寄りのようで汚らしい様子、

の意味で使う(デジタル大辞泉)。ただ、「じじむさい」に、

爺穢い、

と当て、

ぢぢむさい女房を持っている者も損だよ(文化十年(1813)「浮世床」)、

というように、

はなはだ穢い、
不潔、

という意味(大言海)や、

ちぢむさくも無く、小ざっぱりと洗濯物が着られるのは(文化六年(1809)「浮世風呂」)、

というように、

むさくるしい、

という意味(岩波古語辞典)で使う。

年寄りじみている、

という意味と、

むさくるしい、ひきたない、

という意味とが並立しているが、用例から見ると、室町から近世前後の、比較的新しい言葉に思える。方言では、

意地汚い、食い意地が張っている(松本)、
不細工、洗練されていない(東近江)、

等々と、汚さの意味が少しスライドして残っている。

どうも、「爺むさい」と「爺」を当てるのは、当て字なのではないか、という気がする。

「爺」 漢字.gif


「むさい(むさし)」は、

もとより礼儀をつかうて身を立つる人には心むさければ(甲陽軍鑑)、
心せばく、意地むさけれど(仝上)、

と、

むさぼり欲する心が強い。まだ欲望・意地などが強すぎてきたない(岩波古語辞典)、
卑しい、下品である(広辞苑)、

の意味と、

傍近う使ふにはちとむさいなあ(狂言・粟田口)、

と、

汚い、不潔である、

の意味がある。どうやら、

意地汚い、

という状態表現が、

汚い、

という価値表現へと転じたものと見える。方言には、この「むさい」の原意が残っていると見ることができる。

「むさい」は、

穢い、

と当てるが、

ムサト・ムサボルのムサと同根、

とある(岩波古語辞典)。「むさと」は、副詞で、

人の国をむさと欲しがる者は、必ず悪しきぞ(三略鈔)、

と、

むさぼるように強く、
むやみに、
無造作に、

といった意味で使い、「むさぼる」は、

ムサはムサト・ムサムサ・ムサシのムサと同じ、ホルは欲りの意、

とあり(仝上)、

汚らしくむさぼる、

意である(仝上)。「むさむさ」も、

むさぼり欲する心が強いさま、

で、

意地汚さ、

を言っている。こうみると、「じじむさい」は、

意地汚い、

意の「むさい」を強めている意味で、「爺」の意味は元来ない。「爺」は当て字の印象が強い。その当て字「爺」に引きずられて、今日の、

年寄りのよう、

という意味が加わったのではないか。となると、

老人の意の俗語ヂヂイ(老翁)にシジカム(蹙)のシジをだぶらせて、むさくるしい意のむさいを強調したもの(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦)、
ジジムムサイ(字染穢)の義か(語簏)、
ジジムサイ(字染穢)の義か(俚言集覧)、

は付会ではないか。

一説に爺(ぢぢい)かとする説は従い難く、またぢじみ(字染)は仮名違い、

とする(江戸語大辞典)のが妥当で、

ぢぢは、鼻汁の小児語「ぢぢ」か、

とする説(仝上)の方が納得できる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:じじむさい
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2021年05月02日

すなわち


「すなわち」は、

即ち、
則ち、

と当てる(広辞苑)が、

乃ち、

とも当て(デジタル大辞泉)、

便ち、
輒ち、
迺ち、

とも当てる(大言海)。今日、ほとんど、

接続詞、

としての用法しかないが、この語の語源は、

いわゆる「時を表す名詞」の一種であり、平安時代以後、「即・則・乃・便」などの字の訓読から接続詞として用いられるようにもなったと考えられ、現在ではその用法に限られるといってよい、

とあり(デジタル大辞泉)、同趣旨で、

本来、ある時を示す名詞であったが、「即」「則」「乃」「便」「輒」などの接続語として用いられたことで、それらの語の元来の意味、用法をも併せもつようになった、

ともある(日本語源大辞典)。だから、たとえば、接続詞として、

載、
斯、
就、
曾、
茲、
焉、

等々も、「すなわち」と訓ませている(漢字源)。

「即」 漢字.gif

(「即」 https://kakijun.jp/page/0740200.htmlより)

本来は、和語「すなはち」は、名詞として、

ほととぎす鳴きしすなはち君が家に行けと追ひしは至りけむかも(大神女郎(おおみわのいらつめ)・万葉集)

と「即刻」の意や、

(行列が)渡りはたぬるすなはちは、心地もまどふらむ(枕草子)、

と「当座」の意等々と使われ、この、

何かをして、すぐさま、即刻という意がもっとも古く、当座・直後の意の名詞として室町時代まで使われた、

とある(岩波古語辞典)。それが、副詞として、

(対面を)例ならず許させ給へりし喜びに、すわはちも参らまほしく侍りしを(源氏)、

と、「即座に」「すぐさま」「直ちに」の意や、

是れすなはち正法を久しく世にとどむるなり(金光明最勝王経平安初期点)、

と、「そのまま」「とりもなおさず」の意等々に転用されるようになる(岩波古語辞典)。

これとは別に、仏典などの訓読に接続詞として、

そのまま、
そこで、
そのとき、
ところで、

等々の意で使われるようになる(仝上)。

平安時代には、漢文の接続詞「則」をスナハチと訓むのは仏教関係者で、儒学関係者は、トキニハ・トキンバと訓んだが、鎌倉時代以後、仏家の訓み方が次第に広まり、スナハチの訓み方も広く使われるようになった、

とある(仝上)。平安末期の『名義抄』には、

仍、スナハチ、
便、スナハチ、
即、スナハチ、
則、スナハチ、

と載る(大言海)。

では、「即刻」「即座」の意の名詞「すなはち」の語源は何か。

其程(そのほど)の転と云ふ、當れり、六帖「春立たむ、スナハチ毎に」、宇津保物語「生れ給ひし、スナハチより」など、見るべし(大言海)、

その他、音韻から、

ソノハチ(間道)の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
ソノハテ(其果)の転(類聚名物考)、
ソノハシ(其間)、またはソノハテ(其終)の転呼(日本古語大辞典=松岡静雄)、
スナホチ(直処)(国語溯原=大矢徹)、

等々がある。確かに、「間」は「はし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473930581.htmlで触れたように、「はし」とも訓ますが、理屈が勝ち過ぎる気がする。すなおに、

そのとき、

の意で、

其の程、

が妥当に思えるが、大言海は、

為之後(スノノチ)の転、
直路(スナホヂ)の転(名言通・和訓栞)、

に疑問を呈して、もうひとつ、

墨縄路(スミナハヂ→スナハヂ)の略、

を挙げている(日本語源広辞典も)。「墨縄」は、

墨糸、

とも言い、大工が直線を引くのに用いる「墨壺」に、

墨を含んだ綿が入っている。糸車に巻き取られている糸をぴんと張り、糸の先についたピン(カルコ)を材木に刺す。この状態から糸をはじくと、材木上に直線を引くことができる、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%A8%E5%A3%BA、そこで引いた黒線のことを言っている、と思われる。確かに正倉院にも最古の墨壺が保存されてはいるが、少し穿ち過ぎではあるまいか。

いろんな漢字を「すなわち」と訓ませているが、

「仍」(漢音ジョウ、呉音ニョウ)は、

会意兼形声。人の右の乃(柔らかい耳たぶ)を加え、乃(ナイ)の転音が音をあらわすもので、柔らかく粘りついて、なずむ意を含む、

とあり(漢字源)、「よる」「なず」「重なる」意で、今日あまり、「すなわち」とは訓まさず、

しきりに、
なお、
かさねて、

等々と訓ませる。「乃」を「すなわち」と訓ませた関連で、「すなわち」と訓ませた可能性がある。

「仍」 小篆.png

(「仍」 小篆・説文(漢) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%8Dより)

一般に、「すなわち」に当てるのは、

即ち、
則ち、

だが、それに、

乃ち、
便ち、
輒ち、
迺ち、

等々を「すなはち」と訓ませるが、その使い分けが、

「乃」は、そこでと譯す。「継事之辞」と註す。一事を言ひ畢りて更に或事に言ひ及ぶ義。月令「仲春之月、雷乃発声」とあり、雷は仲春に至りて、そこで漸く声を発すとの義、
「迺」は、乃と同字、
「則」の類は、皆句中にある字なり、句尾にあることなし、則は「れば」「らば」「るならば」「るなれば」「は」などと譯し、「然後之辞」と註す、「これはかうそれはさう」という辭。論語「子弟入則孝、出則弟」とある如し、則の字、字を隔てて置くことあり。左伝「山有木、工則度之」とある如し、則の字木の字の下に置くべきを一字隔てて工の字の下に置けり、これ工の字を重く主としたるなり、毛詩「既見君子、我心則喜」とあるも、此れと同じ子の字の下に則の字を置くべきを、我心の二字を隔てて置きたるなり、
「即」は、とりもなおさずと譯す、そのままの義、性即理也の如し、則の字は緩にして、即の字は急なり。史記・項羽紀「徐行即免死、疾行則及禍」とあり、ここにては徐行を主とするに由りて、徐行に即を用ひ、疾行には則を用ひたるなり、
「便」は、そのまま、たやすくと譯し、即也と註す、即よりは稍軽し、
「輒」は、たやすくと訓む。便に近し、「毎事即然也」と註す、
「載」は、受け載する義にて上を受くる辞。「たやすく、そのまま」の義。便に近し、

と説明されている(字源)。しかし、訓読では、その微妙なニュアンスは消えて、「すなはち」一色である。

「すなわち」に当てられた漢字の語源を見ておくと、

「即」(漢音ショク、呉音ソク)は、

「即」 甲骨文字.png

(「即」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%B3より)

会意。左側は「皀」で、人がすわって食物を盛った食卓のそばにくっついたさまをしめす。のち、副詞や接続詞に転じ、口語では便・就などの語にとってかわられた、

とある(漢字源)。別に、同趣旨だが、

会意。「皀」+「卩(卪)」、「皀」は食物(「食」の下部)、「卩」はこれに向き合う様を表し、物を今にも食べようとする様子を表す。なお、食べ終わって食物から顔を背ける様を表す漢字が「旣(既)」である、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%B3

会意文字です(皀+卩)。「食物」の象形と「ひざまずく人」の象形から、人が食事の座につく事を意味し、そこから、「位置・地位につく」を意味する「即」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1398.html。「そばにくっつく」意だが、副詞として「すぐに」、接続詞として、

先即制人(先んずればすなわち人を制す)、

というように(史記)、

AするとすぐにBとなるというように、前後に間をおかず、直結しておこることを示す、

と使われ(漢字源)、「くっつく」とか「すぐに」の意味が残っている。

「則」 金文.png

(「則」金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%89%87より)

「則」(ソク)は、

会意。「刀+鼎(カナエ)の略形」。鼎にスープや肉を入れ、すぐそばにナイフをそえたさま。そばにくっついて離れない意を含む。即(そばにくっつく)と同じ。転じて、常に寄り添う法則の意となり、さらにAのあとすぐBがくっついて起こる意をあらわす助詞となった、

とある(漢字源)。同趣旨で、

会意。「貝(元は「鼎」)」と「刀」を合わせて、鼎かなえで煮物をする脇に取り分ける刃物を置き、場に「のっとる」こと。音は「即」等と共通、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%89%87

会意文字です(貝+刂(刀))。「鼎(かなえ-中国の土器」の象形と「刀」の象形から、昔、鼎に刀で重要な法律を刻んだ事から「法律」、「法則」、「規則」を意味する「則」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji754.html。「そばに寄り添って離れない」いから、副詞の「すなわち」、接続詞の「すなわち」の意で使われるが、接続詞としては、

行有余力則以學文(行いて余力有らばすなわちもって文を学べ)

というように(論語)、

AならばBというように、前段のあとすぐ後段が続くことをしめす、

形で使われる(漢字源)。

「乃」甲骨文字.png

(「乃」甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%83より)

「乃」(漢音のダイ、呉音ナイ・ノ)は、

指事。耳たぶのようにぐにゃりと曲がったさまを示す。朶(ダ だらりと垂れる)・仍(ジョウ 柔らかくてなずむ)の音符となる。また、さっぱりと割り切れない気持ちをあらわす接続詞に転用され、迺とも書く、

「迺」 金文.png

(「迺」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BF%BAより)

とある(漢字源)。また、別の解釈として、

象形文字です。「母の胎内で、まだ手足のおぼつかない身をまるくした胎児」の象形から、「妊娠する」の意味を表しましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「なんじ(おまえ)」、「昔」、「以前」を意味する「乃」という漢字が成り立ちました、

との説もあるhttps://okjiten.jp/kanji2307.html。意味としては、

ずばりと割り切らず、間をおいてつなげる気持ちをあらわす、

とあり(漢字源)、「すなわち」の意ではあるが、

乃所謂善也(すなわちいわゆる善なり)(孟子)、

のような、

まあそのくらいで、

という含意がある(仝上)。

「便」金文.png

(「便」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BE%BFより)

「便」(漢音ヘン、呉音ベン、慣用ビン)は、

会意。丙は、尻を開いて両股(モモ)をぴんと張ったさまを描いた象形文字。更(コウ)は「丙+攴(動物の記号)」の会意文字で、ぴんと張る意を含む。便は「人+更」で、かたく張った状態を人が平易にならすことをあらわす。かど張らないこと、平らに通ってさわりがないの意を含む、

とある(漢字源)。別に、

会意文字です(人+更)。「横から見た人」の象形と「台座の象形と右手の象形とボクッという音を表す擬声語」(「台を重ねて圧力を加え平らにする」の意味)から、人の都合の良いように変えるを意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「つごうがよい」を意味する「便」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji563.htmlが、「平らで支障がない」意から、接続詞としては、

物事がAからBへすらりと運ぶことを示す、

とあり(漢字源)、「すなわち」の意味でも、

林尽水源、便得一山(林は水源に尽き、便ち一山を得たり)(陶潜)、

と、直結の含意がつよくなる。

「載」(漢音・呉音サイ、呉音ザイ)は、

会意兼形声。才(サイ)の原字は、川の流れを断ち切る堰の形。載の車をのぞいた部分は「戈(ほこ)+音符才」から成り、カットして止めること。載はそれを音符とし、車を加えた字で、車の荷がずるずると落ちないように、わくや縄でとめること、

とあり(漢字源)、別に、

会意兼形声文字です。「食器に食べ物を盛り、それにふたをした」象形(「食べ物」の意味)と「川のはんらんをせきとめる為に建てられた良質な木の象形とにぎりの付いた柄の先端に刃のついた矛の象形」(災害を「たちきる」の意味)から、食事の材料を切り整えて食卓にのせる事を表し、そこから、「(物を)のせる」を意味する「載」という漢字が成り立ちました。(当初は、「食卓にのせる」の意味を表しましたが、一般に「のせる」の意味を表す為に、「食器に食べ物を盛り、それにふたをした象形」から、「車」の象形へと変わりました)、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1307.html。「のせる」意だが、「すなわち」は、接続詞としてではなく、助詞として、

載笑載言(すなわち笑ひすなわち言ふ)(詩経)、

と、使われる。

「就」 甲骨文字.png

(「就」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%B1より)

「就」(漢音シュウ、呉音ジュ)は、

会意。「京(大きいおか)+尤(て)」で、大きい丘に設けた都に人々を寄せ集めるさまを示す。寄せ集めてある場所やポストにひっつけること。転じて、まとめをつける意にもつかう、

とある(漢字源)。別に、同趣旨ながら、

会意。「京(大きな丘)」+「尤」、「尤」は目立って高いところでそこに寄せること(説文解字)、また、「尤」は腕の象形であり、腕を振って呼び寄せること(藤堂)。白川静は「尤」は犠牲とする犬であり、丘に犬を埋め、事の成就を祈ることを表すと説く、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%B1。接続詞としては、古典語の、

即、
則、

に当たる俗語として使われる(漢字源)、とある。

「輒(輙)」(チョウ)は、

会意兼形声。耴(チョウ)は、耳たぶをあらわす。輒はそれを音符とし、車を加えた字で、耳たぶのような形の、車のもたれ木。べたべつとくっつく、うすっぺらで動きやすいなどの意を含む、

とあり(漢字源)、

車の両脇にとりつけた、耳たぶのようなもたれ木、

の意で、

わきぎ、
あるいは、
車の両側の前にそりだしている板、

の意https://kanjitisiki.com/jis2/2-3/796.htmlで、接続詞としてよりは、副詞として、

動輒(ややもすればすなわち)、
造飲輒尽(造り飲んで輒(たちま)ち尽くす)(陶潜)、

といった形で、

どうかするとすぐ、
いつでもすぐ、

の意で使われる(仝上)。

「輒」 漢字.gif

(「輒」 https://kakijun.jp/page/E76B200.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2021年05月01日

水前寺海苔


「水前寺海苔」というものがある。

淡水産の藍藻、清流の川底などに生え、体は丸い単細胞から成り、粘液質により多数集まって塊状をなす。これを厚紙状に漉いて食用とする、

とある(広辞苑)。

九州の一部だけに自生する食用の淡水産藍藻類、

であり、

茶褐色で不定形。単細胞の個体が寒天質の基質の中で群体を形成する。群体は成長すると川底から離れて水中を漂う、

ともありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%83%AA

熊本市の水前寺成趣園(水前寺公園)の池で発見され、明治5年(1872年)にオランダのスリンガーによって世界に紹介された、

とある。ために、

水前寺海苔、

の名がある(仝上)。現在も、水前寺公園の石橋に、水前寺海苔発祥の地の立札が立っている(たべもの語源辞典)。別に、

カワタケノリ、
カワノリ(緑のカワノリとは別)、

ともいう(広辞苑・たべもの語源辞典)し、久留米では、

紫金苔(しきんたい)、

福岡県甘木では、

寿泉苔(じゅせんたい)、

と呼び名が変わるhttps://www.oishi-mise.com/SHOP/mimisuise.html

水前寺公園.jpg

(水前寺成趣園 https://kumamoto.guide/spots/detail/12351より)

スリンガーによって、「聖なる」を意味する学名の"sacrum"がつけられたが、それはこの藍藻の生息環境の素晴らしさに驚嘆して命名したものである(仝上)が、熊本市の上江津湖にある国の天然記念物「スイゼンジノリ発生地」では平成9年(1997年)以降、水質の悪化と水量の減少でスイゼンジノリはほぼ絶滅した、とされる(仝上)。現在、自生しているのは、

福岡県の朝倉市甘木地区の黄金川のみ、

とされ、

そこでも年々減少の一途をたどっている、

というhttps://www.projectdesign.jp/201310/pn-kumamoto/000864.phpが、養殖が試みられており、

熊本の嘉島にて、丹生慶次郎が人工養殖に成功。最近では翠色が強い水前寺のりの亜種が発生し、継体養殖の末、品種として安定させた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%83%AA

水前寺海苔.jpg


歴史的には、

宝暦十三年(1763)遠藤幸左衛門が筑前の領地の川(現朝倉市屋永)に生育している藻に気づき「川苔」と名付け、食用とされた。1781~1789年頃には、遠藤喜三衛門が乾燥して板状にする加工法を開発し、寛政五年(1792)に商品化された、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%83%AA

寿泉苔、
紫金苔、
川茸、

等々の名で、将軍家への献上品とされた(仝上)。肥後でも、「水前寺海苔」は、

ひご野菜、

のひとつとされ、細川藩から幕府への献上品であったhttps://www.projectdesign.jp/201310/pn-kumamoto/000864.php

戻した水前寺海苔.jpg

(戻した水前寺海苔 https://www.oishi-mise.com/SHOP/mimisuise.htmlより)

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:水前寺海苔
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2021年04月30日

吸口


「吸口(すいくち)」は、

煙管の吸口、
とか
たばこの吸口、

など、口に当たる部分を指す(広辞苑)が、ここでは、

吸物に浮かべて芳香を添えるつま、

の意(仝上)、である。

ゆず、木の芽、蕗の薹、

等々を指す(仝上・大言海)。香りを添え、味をしめるために、

季節のものをそえる、

とあり、

ショウガ、カラシ、ウメ、ミョウガ、ワサビ、ネギ、

等々https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B8%E3%81%84%E7%89%A9

香りのあるもの、

である。

吸口として木の芽が浮かべられた吸い物.jpg

(吸口として木の芽が浮かべられた吸物 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B8%E5%8F%A3より)

香りと風味を与え生臭い匂いを消す作用、
や、
見た目を美しくすることによって食欲をそそる働き、

だけではなく、

木の芽のような葉物を浮かべることで、熱い汁物を一気に飲むことで火傷をしないようにする効用もある、

とするhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B8%E5%8F%A3。『大草家料理書』(16世紀中期)には、

生鶴料理の事。先作候て酒塩を懸て置。汁は古味噌をこくして。……すひくちは柚を入て吉也、

と載る(精選版日本国語大辞典)。

供し方は、

吸物(酒を飲むとき出すつゆもの)をつくるときは、お椀に具を入れ吸地(すいじ 汁)を張って、吸口を入れて蓋をする、

とある(たべもの語源辞典)。略して、

口、

とも、

香頭(こうとう)、
鴨頭(こうとう)、

ともいった(仝上)。香頭とは香料のことであり、香に鴨を当てたのは、江戸時代後期の『貞丈雑記』は、

青柚(あおゆ)の皮が汁に浮いているさまが、水中の鴨(かも)の頭のように見える、

ためだと記しているが、付会のようだ。

「鴨頭」は「鴨(アフ)」を「カフ」と誤読した当て字、

としている(デジタル大辞泉)し、鎌倉時代に、酒の盃に青い柚のヘギ切をちょっと浮かべて飲む酒、

柚子酒、

が流行っていた。李白の酒を讃えた、

遥かに漢水の鴨頭の緑を看れば、

という詩句(襄陽歌)から、

鴨頭、

と当てたのではないか、と推測している(たべもの語源辞典)。また、

鶴頭、

とも当てる(広辞苑)。

ちなみに、「ヘギ切」とは、

へぎ独活、
へぎ柚子、

といったように、「へぎ」は、

剥ぎ、

と当て、薄く表面を剥ぎ取る意味になるhttps://temaeitamae.jp/top/t2/kj/9991_K/01.html

「香頭」を使い出したのは室町時代で、『四条流庖丁書』(1489)に、

ヘギ生姜をカウトウに置くべし、

とある(仝上)。

「吸物」というのは、今日、

つゆ、
とか、
すまし汁、

を指すが、

すすり吸うように仕立てたもの、煮立てただし汁を塩・醤油・味噌などで味付けし、魚肉や野菜を実とする、

とある(広辞苑)。

羹(あつもの)、

とも呼び、

酒の肴、

となるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B8%E3%81%84%E7%89%A9。因みに、

しる(汁)、

は、食事の時ご飯と共に出る、

つゆもの、

を指すが、

吸物、

は、

酒と共に出るもの、

を指した(たべもの語源辞典)。

「吸口」は、

つま、

の一種とされることもある(広辞苑)。

「つま」は、

刺身や汁などのあしらいとして添える野菜・海藻など、

の意(広辞苑)だが、「さしみのつま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480958538.html?1618167957で触れたように、

妻、
とも、
具、

とも当て、

刺身や汁などのあしらいとして添える野菜・海藻、

の意だが、「つま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/443211797.html?1615959193で触れたように、「つま」は、

妻、
夫、
端、
褄、
爪、

と当てて、それぞれ意味が違うが、つながっている。いずれも、

端(ツマ)、ツマ(妻・夫)と同じ(岩波古語辞典)、

物二つ相並ぶに云ふ(大言海)、

と、

はし(端)説、

あいだ説、

がある。「つま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/443211797.html?1477684696でも書いたことだが、上代対等であった、





の関係が、時代とともに、「妻」を「端」とするようになった結果、

対の関係、

が、

つま(端)

になったように思われる。たべもの語源辞典は、「つま」の、

ツは連(ツラ)・番(ツガフ)のツ、
マは身(ミ)の転、

とし、「連身」説を採っている。「つま」は、あるいは、

対(つい)、

と通じるのかもしれない。「対」は、唐音由来で、

二つそろって一組をなすもの、

である。「つゐ(対)」は、

むかひてそろふこと、

でもある(大言海)。

江戸時代の料理書には、「つま」に、

交、
具、
妻、

等々を当て、「具(つま)」には、

大具(おおつま)、
小具(こつま)、

があり、「交(つま)」は、

取り合わせ、
あしらい物、

の意であり、

配色(つま)、

とも書く(たべもの語源辞典)。こうみると、

主役と脇役、

は、対である。

「吸口」は、

つま、

ともされるが、

汁物料理に用いられるつけあわせ、薬味のこと、

と、

薬味、

ともされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B8%E5%8F%A3。「薬味」は、

食物に添えてその風味を増し、食欲をそそるための野菜や香辛料、

で、広く、

加薬、

と呼ばれる、

わさび、生姜、ねぎ、あさつき、大根、山椒、紫蘇、芹、三つ葉、茗荷、独活、春菊、蓼、大根おろし、七味唐辛子、胡麻、芥子、海苔、削り節、

等々を指す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%91%B3・広辞苑・世界大百科事典他)。

「吸口」は、

つまの一種、
薬味の一種、

とされるが、あくまで、

吸い物に浮かべて芳香を添えるもの、

である。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:吸口 薬味 つま
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2021年04月29日

すいとん


「すいとん(すゐとん)」は、

水団、

と当て、

炊団、
水飩、

等々とも当てる(たべもの語源辞典)。

水団子、

の意だとある(仝上)。

小麦粉を水で練ってちいさくちぎって、味噌汁かすまし汁に入れて煮込んだもの、

で(仝上)、そのため、

汁団子

ともいう、とある(仝上)。生地を入れる際、手で千切る、手で丸める、匙ですくうなどの方法で小さい塊に加工するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%84%E3%81%A8%E3%82%93

「すいとん」の歴史は長く、「水団」の語が、南北朝時代の『異制庭訓往来』に、

点心(てんしん)の品目、

を列挙する個所に登場してくる、とある(世界大百科事典)。

因みに、『異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)』というのは、『新撰之消息』『百舌鳥往来』『森月往来』などともいい、南北朝時代の初学者向け教科書で、1月から12月までの行事や風物を述べた贈答の手紙を掲げ、貴族社会における知識百般を体得できるように工夫されている(ブリタニカ国際大百科事典)。

すいとん.jpg


参天台五台山記(1072~73)に、

有水団炙夫二種菓、

とあり(精選版日本国語大辞典)、室町末期の『日葡辞書』にも、

Suiton、

の項目はあるが、

ある種の料理、

とあるのみで、その中身はわからない(世界大百科事典)。また、資料上「すいとん」の調理法は変遷が激しく、今日のような、手びねりした小麦粉の形式が出現したのは江戸後期であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%84%E3%81%A8%E3%82%93。江戸時代から戦前は、

すいとん専門の屋台、

料理店、

が存在しており、庶民の味として親しまれていた。大正の半ばには一旦かなり減少したが、関東大震災直後には食糧事情の悪化に合わせて焼け野原のいたるところに出現した(仝上)、とある。戦後の食糧難の時期には、主食の代用ともされたため、その時代を生きた者にとっては、「すいとん」は、粗食の代名詞かもしれない。

「すいとん」は、

上方は同名異物、

とある(江戸語大辞典)のは、幕末の『守貞謾稿』(『近世風俗誌』ともいう)に、

心太、ところてんと訓ず、三都も夏月売之、蓋京坂心太を晒したる水飩と号く、心太一箇一文水飩二文買て後に砂糖をかけ或いは醤油をかけ食之、京坂は醤油を用ひず、又晒之乾きたるを寒天と云、煮之を水飩と云、江戸は乾物煮物とも寒天と云、因日江戸にては温飩粉を団し味噌汁を以て煮たるを水飩と云、蓋二品ともに非也。本は水を以て粉団で涼し白玉と云物水飩に近し、

とある。つまり、京坂では、「ところてん」を、

水飩、

と呼ぶからである。「すいとん」は、

水団子、
とか、
汁団子、

とも書き、「団」を

唐宋音、

で、

トン、

と呼んで、「水団」を、

すいとん、

と名づけた、とするものが多い(たべもの語源辞典・広辞苑・大言海他多数)。しかし、「すいとん」は、本来、

水飩、

なのではないか、と思う。「飩」(漢音トン、呉音ドン)は、

会意兼形声。「食+音符屯(トン まるくずっしりとかたまる)」

とあり(漢字源)、

小麦粉をこねて丸く固めたもの、

の意である。わが国は「うどん」に「饂飩」と当てているが、中国では「麺」である。

「團」(漢音タン、唐音トン、呉音ダン)も、

会意兼形声。專(セン 専)の原字は、円形の石をひもでつるした紡錘のおもりを描いた象形文字で、甎(セン)や磚(セン 円形の石や瓦)の原字。團は「□(かこむ)+音符專」で、円形に囲んだ物の意を表す、

とあり(漢字源)、確かに、丸い、円形の意であり、丸く集める意(字源)はあるが。なお「団」は、和製略字で、「專」の下部をとったものであるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%A3

「団子」は、「団子」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475567670.htmlで触れたように、

穀類の粉を水でこねて小さく丸めて蒸し、または茹でたもの、

である。「団子」の由来は、今日の感覚では、嗜好的な役割が強いが、

かつては常食として、主食副食の代わりをつとめた。団子そのものを食べるほか、団子汁にもする。また餅と同様に、彼岸、葬式、祭りなど、いろいろな物日(モノビ 祝い事や祭りなどが行われる日)や折り目につくられた、

とある(日本昔話事典)。柳田國男によると、

神饌の1つでもある粢(しとぎ)を丸くしたものが原型とされる。熱を用いた調理法でなく、穀物を水に浸して柔らかくして搗(つ)き、一定の形に整えて神前に供した古代の粢が団子の由来とされる、

とするhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%AD%90。「粢(しとぎ)」とは、

日本古代の米食法の一種、水に浸した米を原料にさまざまな形に固めたものを呼び、現在は丸めたものが代表的である。別名で「しとぎもち」と言い、中に豆などの具を詰めた「豆粢」や、米以外にヒエや粟を食材にした「ヒエ粢」「粟粢」など複数ある。地方によっては日常的に食べる食事であり、団子だけでなく餅にも先行する食べ物、

と考えられている(仝上)。それが、「団子」となったのは、

米の粒のまま蒸して搗いたものをモチ(餅)とよび、粉をこねて丸めたものをダンゴ(団子)といった。団粉(だんご)とも書くが、この字のほうが意味をなしている。団はあつめるという意で、粉をあつめてつくるから団粉といった。団喜の転という説もあるが、団子となったのは、団粉とあるべきものが、子と愛称をもちいるようになったものであろう、

とする(たべもの語源辞典)。「団子」は、

中国の北宋末の汴京(ベンケイ)の風俗歌考を写した「東京夢華録」の、夜店や市街で売っている食べ物の記録に「団子」が見え、これが日本に伝えられた可能性がある、

とある(日本語源大辞典)。その「団子」の「シ」が唐音「ス」に転訛し、

ダンシ→ダンス(唐音)、

となり、

ダンス→ダンゴ、

と、重箱読みに転訛したともみられる。つまり「団子」の系列は、

神饌由来なのである。他方、「すいとん」は、

水団子、
汁団子、

とは呼ぶが、

粉物を水で練り、団子にして水(汁)に入れたもの、

という意https://www.nikkoku.co.jp/entertainment/glossary/post-137.phpの、

すいとん、

である。

似たものに「きんとん」がある。「きんとん」http://ppnetwork.seesaa.net/article/476983576.htmlで触れたように、「きんとん」は、

金団、

と当てる(広辞苑)が、やはり、

金飩、

とも当て(たべもの語源辞典)、古くは、

橘飩(きつとん)、

と書いた(仝上)。

甘藷(さつまいも)・隠元豆などを茹でて裏漉しにし、砂糖を加えて練り、甘く煮た栗・隠元豆などを混ぜたもの、

である(広辞苑)。「橘飩」は、卓袱料理http://ppnetwork.seesaa.net/article/471380539.htmlの語から由来した、とされる(仝上)。それは、もともと、

小麦粉を黄色く着色したものを丸めて茹でたもの、

とされるからである。

「きんとん」という語自体は室町時代から見られ、実隆公記の大永七年(1527)八月一日には、

自徳大寺一金飩一器被送之、

と、「金飩」の字があり、

米や粟の粉で小さな団子のように作り、中に砂糖を入れたもの、

とされる。どうも、「きんとん」は、中国から渡ってきた唐菓子の、

餛飩(こんとん)、

からその名が起こったらしい。「餛飩」は、「菓子」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474306504.htmlで触れたように、

麦の粉を団子の様にして肉を挟んで煮たもの。どこにも端がないので名づける。今日の肉饅頭のようなもの、

である。やはり、「小麦粉」を丸めたものなのである。

なお、「すいとん」の呼称は全、地方によっては、

ひっつみ、
はっと、
つめり、
とってなげ、
おだんす、
ひんのべ、

等々の名で呼ばれるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%84%E3%81%A8%E3%82%93。具材、出汁が異なり、あくまで、「すいとん」に似た郷土料理である(仝上)。例えば旧仙台藩北部地域の「はっと」は、

水で練った小麦粉の生地を小さな塊に分け、それを指で引き伸ばしながら薄い麺のように加工する、

とあり(仝上)、他の東北地方の、「ひっつみ」は、

小麦粉の団子をひっつかんで丸めて薄くしたもの(ひっつかむ→ひっつみ)、

とされるhttps://katatosi.com/archives/1897

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:すいとん
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2021年04月28日

瀬戸飯


「瀬戸飯(せとめし)」は、

瀬戸の染飯(そめいい)、

と呼ばれるものである(たべもの語源辞典)。瀬戸の染飯は、

もち米を蒸したものをクチナシの実で黄色く染め、せいろで蒸し、すりつぶして小判形に薄く伸ばして乾かしたもの、

とかhttps://ippin.gnavi.co.jp/article-10198/

強飯(こわいい/こわめし・蒸した餅米、おこわ)をクチナシ(梔子)の実で黄色く染めて磨り潰し、平たい小判形や三角形(鱗形)、四角形などにして乾燥させたもの、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8%E3%81%AE%E6%9F%93%E9%A3%AFが、

クチナシの実を煎じた汁で炊いた黄色いご飯。牛蒡をささがきにして茹でたものを混ぜ合わせ、食べるときに、熱いすまし汁をかけて好みの薬味を加える、

とある(たべもの語源辞典)。乾燥させたものだから、熱い汁を掛けて食べたのである。

染飯(レプリカ)千貫堤・瀬戸染飯伝承館.jpg

(染飯(レプリカ)千貫堤・瀬戸染飯伝承館 https://ippin.gnavi.co.jp/article-10198/より)

現在の静岡県藤枝市上青島である駿河国志太郡青島村付近で戦国時代から販売された黄色い米飯食品、

でありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8%E3%81%AE%E6%9F%93%E9%A3%AF、古く、

『参詣道中日記』1553年(天文22年)、
や、
『信長公記長』1582年(天正10年)、

に記載があり、東海街道名物としては最古級、とある(仝上)。

江戸時代には藤枝宿-島田宿間にある瀬戸の立場(休憩所)で売られていた(仝上)。『東海道名所記』(1658)に、

藤枝の瀬戸の染飯は、此処の名物なり、その形、小判程にて、強飯に山梔子を塗りたり、うすきものなり、

とある(たべもの語源辞典)。これでみると、復元されたものにそっくりだが、「塗りたり」とあるので、後で色を付けたことになるが、ともかく、江戸時代、

駿河国瀬戸の名物、

であった。『嬉遊笑覧』(1830年)にも、

黄飯は瀬戸の染飯是なり、

とある(仝上)。

瀬戸の染飯 東海道中五十三駅狂画 藤枝 (2).jpg

(瀬戸の染飯・葛飾北斎『東海道中五十三駅狂画 藤枝』 https://ippin.gnavi.co.jp/article-10198/より)

漢方医学では、

クチナシには消炎・解熱・利胆・利尿の効果があるといわれ、また足腰の疲れをとるとされることから、難所が多い駿河の東海道を往来して長旅に疲れた旅人たちから重宝された、

とある(仝上)。

東海道中膝栗毛.jpg

(瀬戸の立場茶屋 十返舎一九『東海道中膝栗毛』(1804) https://ippin.gnavi.co.jp/article-10198/より)

寛永4年(1792)に西国を旅した小林一茶は藤枝で、

染飯や我々しきが青柏、

と詠んでいるが、この句を、金子兜太氏は、

「われわれのようなものでも、柏の青葉に盛った染飯がいただけるとは嬉しいね。ありがたいねぇ。こう眺めているだけで、涼しい風が通るようです」(『一茶句集』)

と絵解きされているhttps://www.city.fujieda.shizuoka.jp/material/files/group/125/shishi11.pdf

東海道名所圖會.jpg

(瀬戸の染飯 寛永九年(1797)『東海道名所圖會』(秋里籬島) https://ippin.gnavi.co.jp/article-10198/より)

寛政九年(1797)の『東海道名所図会』に染飯を売る茶屋の挿絵があり、享和四年(1804)の『東海道中五十三駅狂画』(葛飾北斎)でも四角い染飯を売る茶屋の娘が描かれ、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』(1802~1814年)でも登場する、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8%E3%81%AE%E6%9F%93%E9%A3%AF。現在も藤枝市内で販売されているが、乾燥せずおにぎり状のおこわである。

光廣卿(烏丸光広(からすまる みつひろ) 江戸時代前期の公卿・歌人)の狂歌に、

つくづくと見てもくはれぬ物なれや口なし色のせとの染いひ、

とある(大言海)。「口無し」なのだから食べれぬと掛けてみたところは、「染飯」は、公卿の口には合わなかったようだhttps://www.city.fujieda.shizuoka.jp/material/files/group/125/shishi11.pdf

瀬戸の染飯.jpg

(現在売られている「瀬戸の染飯」 https://ippin.gnavi.co.jp/article-10198/より)

なお、黄飯は、

豊後の郷土料理、

にもあり、大友宗麟伝来、といわれている。中国風の一種の、

けんちん料理、

で、古くは、

おうはん、
けんちん、

と呼んだが、黄色い飯ではなく、これにそえる魚菜、つまり「かやく」のことを、呼ぶようになり、飯が白米になり、趣旨が変わってしまった、とある(たべもの語源辞典)。

「けんちん」は、「けんちん」http://ppnetwork.seesaa.net/article/477345064.htmlで触れたように、

巻繊、
捲煎、
巻煎、

等々と当て、

普茶料理の一つ(たべもの語源辞典)、

とされたり、

卓袱料理のひとつ(大言海)、

とされたりするが、何れも中国からの伝来で、油を使うところが特徴である。

日本に伝えられた「けんちん」は、

①黒大豆のもやしをごま油で炒めて湯葉で巻いたもの、
②大根・牛蒡・人参・椎茸などを千切りにして、油で炒めて崩した豆腐を加え、味付けしたものを油揚で巻いて油で揚げたもの、
③鯛・エビ・鶏肉などを玉子焼で巻いたもの、

などがある(たべもの語源辞典)。本来は中国料理なので、必ず油を用いる(仝上)。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2021年04月27日

そばがき


「そばがき」は、

そばかき、

ともいい、

蕎麦掻、

と当て、

蕎麦練り、
蕎麦掻餅、
そばがゆ、
蕎麦の粥、

等々とも呼ばれる(たべもの語源辞典)。

そば粉を熱湯でこねて、餅状にもの、

である(広辞苑)。「そばがき」は、

蕎麦粉をかいてつくる動作そのものが名称となった、

もので(たべもの語源辞典)、

醤油をつけたり、そばつゆや小豆餡をかけたりして食べる(デジタル大辞泉)。秀吉は夜食に「蕎麦掻」を好んだ、という(たべもの語源辞典)。

そばがき.jpg

(そばがき デジタル大辞泉より)

縄文土器から蕎麦料理を食べていた形跡が発見されており、日本では古くから蕎麦が食べられていた。蕎麦がきは鎌倉時代には存在し、石臼の普及とともに広がったと見られ、江戸時代半ばまでは蕎麦がきとして蕎麦料理を食べられていた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%8E%E9%BA%A6%E3%81%8C%E3%81%8D

「蕎麦切」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471421916.htmlで触れたように、蕎麦は、

蕎麦及ビ大小麦ヲ種樹シ、

と『続日本紀』の「備荒儲蓄の詔」にあるから、古くから食べられたが、

蕎麦粉をこねて団子にして焼餅として食べるとか、やや進んで蕎麦かきとして食べた、

とある(たべもの語源辞典)。江戸時代以降、現在のように細く切られるようになり、当初は、

ソバギリ、

と呼ばれた(語源由来辞典)。その名は、

粉を水でこねて、麺棒で薄くのばして、たたみ、小口から細長く切り、ほぐして熱湯の中に入れてゆで、笊ですくって冷水につける。そして水を切った、

という製法からつけられた。

沸湯に煠(ゆ)でて、冷水にて洗ひ、再び蒸籠にて蒸すを、ムシソバキリと云ふ、

とある(大言海)。現在のような蕎麦が作られるようになったのは、慶長年間(1596~1615)といわれる。

17世紀後半に著された(遠州横須賀藩の関係者が1680年ころに著したと推定されている)農書『百姓伝記(ひゃくしょうでんき)』には、

そば切りは田夫のこしらへ喰うものならず、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%8E%E9%BA%A6%E3%81%8C%E3%81%8D、そば切りを禁止されている農村が少なからずあった。そのような地域で蕎麦がき、そば餅が食べられた(仝上)、とある。そのため、当時食べられた蕎麦がきは、米飯の代わりとして雑穀や根菜を混ぜたり、鍋料理に入れるなど食べごたえのある形に調理された(仝上)、ともある。

因みに、「蕎麦切」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471421916.htmlの発祥地には、

森川許六の編集した『風俗文選』宝永三年(1706)にある「蕎麦切の頌」から信濃の国、本山宿という説、

天野信景の『鹽尻』「蕎麦切は甲州よりはじまる。初め天目山へ参詣多かりし時、所民参詣の諸人に食を売るに、米麦の少なかのし故、そばをねりてだご(団子)とせし、其後うどむを学びて今のそば切とはなりしと信濃人のかたりし」から甲州発祥説、

のがある(たべもの語源辞典)。その後、明暦3年(1657)の振袖火事の後、復興のために大量の労働者が江戸に流入し、

煮売り(振売り)、

が急増、夜中に屋台でそばを売り歩く夜そば売りも生まれたhttps://www.nichimen.or.jp/know/zatsugaku/28/、という。「かる口」(貞享)には、

「一杯六文、かけ子なし、むしそば切」

とあり、「鹿の子ばなし」(元禄)には、

「むしそば切、一膳七文」

とあるが、天保・嘉永期(1830~54)になると、

「一椀価十六文、他食を加へたる者は二十四文、三十二文等、也」(守貞謾稿)、

とあるhttps://www.nichimen.or.jp/know/zatsugaku/28/

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2021年04月26日

雑煮


「雑煮」は、

雑煮餅の略、

とある(大言海)。

餅を主に仕立てた汁もの、新年の祝賀などに食する、

ものである(広辞苑)。室町時代の『鈴鹿家記』に、

初めて「雑煮」という言葉が登場する、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E7%85%AE。古くは、

烹雜(ほうぞう)、

といった(たべもの語源辞典)とあるが、ただ、

以前の名称ないし形態については諸説あり、うち1つの名前は、烹雑(ほうぞう)といわれる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E7%85%AE

雑煮と御節料理.jpg

(雑煮と御節料理 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E7%85%AEより)

「煮切り」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480550074.htmlで触れたが、「にる」の意の漢字には、

煮、
烹、
煎、

等々などがあり、三者は、

「煎」は、火去汁也と註し、汁の乾くまで煮つめる、
「煮」は、煮粥、煮茶などに用ふ。調味せず、ただ煮沸かすなり、
「烹」は、調味してにるなり。烹人は料理人をいふ。左傳「以烹魚肉」、

と、本来は使い分けられている(字源)。漢字からいえば、「にる」は、

狡兎死して走狗烹らる、

の成句があるように、「煮る」は「烹る」でなくてはならない。その意味で、

烹雜、

から、

雑煮、

に転じた背景には、「烹る」ではなく、「煮る」が慣用化されて以降、ということになるが、「にる」は、

に(煮 上一段)、

で、万葉集に、

食薦(すごも)敷き青菜煮持ち来(こ)梁(うつはり)に行騰(むかばき)掛けて休むこの君、

とあり、あるいは、

にる(煮 上一段)、

でも(「煮ゆ」の他動詞形)、万葉集に、

春日野(かすがの)に煙(けぶり)立つ見ゆ娘子(をとめ)らし春野のうはぎ採みて煮らしも、

と、共に、「煮」を当てている。当初から、「煮る」を用いていた可能性はある(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)。

ただ、梁高僧伝に、

密以半合米、雑煮也

とある(大言海)。『梁高僧伝』は、

高僧伝、
梁伝、

とも言われ、

梁・天監一八年(五一九)述。中国への仏教伝来年とされる後漢・永平一〇年(67)から天監一八年(519)に至る二五七人の高僧の列伝を集めたもの<

であるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%A2%81%E9%AB%98%E5%83%A7%E4%BC%9D。そこで「雑煮」という言葉が使われている。あるいは、漢語なのかもしれない。

「雑煮」は、

羹餅(かんのもち)、一名雑煮(和漢三才図絵)、

とあるように、

羹餅(かんのもち)、

とも呼ばれ、略して、

かん、

ともいい、

元日に、かんを祝ふところへ、數ならぬ者、禮に来る(元和三年(1617)「醒睡笑」)<

とあり(大言海)、「カン」は、

羹(カウ)の唐音、羹(スヒモノ)の餅の意、

である(仝上)。「かん」は、

吉原詞、

とあり(江戸語大辞典)、

おかん、

ともいう、とある(仝上)。物類称呼(1775)には、

畿内にて雑煮と云、又カンとも云、江戸にては、新吉原にてカンと云、オカンを祝ふ、又をかん箸など云ふ、案に新吉原市中をはなれて一ト廓を構へ住居す、ゆへに古く遺りたる事多し、

とある(江戸語大辞典)。「かん」という古い言い方が、吉原に残ったものらしい。「おかん」は、

御羹、

と当て、これも、遊女の隠語で、

正月中の節(せち)の食べものなり(文政八年(1825)「兎園小説」)、

とある(仝上)。

専ら正月の元日より三日の間、畿内にては羹(カン)の餅、又、おかんというが、「雑煮をたべる」ことを「食ふ」とは言わず、

羹(カン)を祝う、
雑煮を祝う、

という(大言海)、とある。

なお、「羊羹」http://ppnetwork.seesaa.net/article/472187601.htmlで触れたように、「羹(あつもの)」(漢音コウ、呉音キョウ、唐音カン)は、

会意。「羔(丸煮した子羊)+美」

で、

肉と野菜を入れて煮た吸い物、

である(漢字源)。

わが国で、「餅」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474462660.htmlを祝賀に用いる風習は古く、

元日の鏡餅http://ppnetwork.seesaa.net/article/473055872.html
上巳の草餅http://ppnetwork.seesaa.net/article/477094915.html
雛祭りの菱餅http://ppnetwork.seesaa.net/article/479150270.html
端午の粽http://ppnetwork.seesaa.net/article/474481098.html
十月の亥の子餅、

等々年中行事となっているが、

三月三日の草餅、
五月五日の粽、柏餅、

は中世になってからであり、

雑煮、

は江戸時代になってからである。この時代になって、

正月の鏡餅、雑煮餅、
三月上巳の草餅、菱餅、
五月五日の粽、
十月亥の日の亥の子餅、

と年中行事に欠かせないものになっていった。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:雑煮 雑煮餅 烹雜
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2021年04月25日

雑炊


「雑炊」は、

雑吸、
増炊、

等々と当てる(たべもの語源辞典・語源由来辞典)が、

大根・ねぎなどの具を刻みこみ味付けをして炊いた粥(広辞苑)、
醤油や味噌などの調味料で味を付け、肉類、魚介類、キノコ類や野菜などとともに飯を煮たり、粥のように米から柔らかく炊き上げた料理https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E7%82%8A

等々とある。

雑炊、

は当て字で、古くは、

増水、

と当てられた(たべもの語源辞典)。「増水」というのは、

粥にして水を増す、

という意である(仝上)。「雑炊」は、

ただしくは増水、

とあり(江戸語大辞典)、「増水」は、

米の粉に水を加えてかき混ぜて煮立てた羹(あつもの 熱い吸物)、

であり、これを、

こながき、

ともいった(たべもの語源辞典)。「こながき」は、

こなかき、

ともいい、

糝、
餗、

等々と当てるが、平安中期の『和名抄』に、

餗、古奈加木、

米の粉をかきまぜて煮立てた羹(あつもの)、

とあり(たべもの語源辞典)、平安後期の『字鏡』に、

以糝煮肉也、古奈加支、

室町時代の『下学集』には、

増水羹也、

とある。「こながき(こなかき)」は、

熟攪(コナシガキ)の義、かきこなしの意。名義抄「擾、かきこなし」、熟田(こなた)、錬金(こながね)も、こなしだ、コナシガネなり(大言海)、
コナカキ(粉掻)の義(言元梯)、
米粉を菜羹(さいこう)に和える意で、コナカキ(粉菜掻・米菜掻)の義(日本釈名・和訓栞)、

等々、

米粉をかきまぜる、

という意に由来しているが、古くは、

穀類の粉末を熱湯でかいて補食または薬食としたもの、

であり(たべもの語源辞典)、厳密には、今日の「雑炊」とは異なる。

「雑炊」は、

びょうたれ(河内・播州)、
みそづ(加賀・越中・但馬)、
にまぜ(越前)、
いれめし(伊勢)、

等々と呼ばれ、東国では、

ぞうすい(ざふすい)、
いれめし、

といい、女房詞で、

おじや、

という(仝上)。「おじや」は、

じやじやは、煮ゆる音、じわじわ、じくじく(大言海)、

あるいは、

ジャジャと時間を長くかけて煮るさま(上方語源辞典=前田勇)、

由来と思われるが、安永四年(1775)の『物類称呼』に、

東国にて、ざふすい又いれめしといふ、婦人の詞に、おじやといふ、

とあり、幕末の『守貞謾稿』には、

江戸にて男女専らおじやと云……是も実は女詞なるべし、

とある(江戸語大辞典)。「雑炊」の呼び名に、

みそづ、

というのがあるが、江戸語大辞典は「雑炊」を、

味噌汁に飯・野菜を入れて炊いた粥、

としているように、

味噌水、

と当て、

みそうづ、

ともいい、

粥を味噌で煮たもの、

の意である。そういう食べ方が多かったのかもしれない。鎌倉時代中期『沙石集』(しゃせきしゅう / させきしゅう)には、

糝、ミソウヅ、増水也、

とある。しかし、「みそうづ」に、

醤水、
未曾水、
味噌水、

等々(世界大百科事典)と当て、女房詞で、

おみそう、

と呼ぶとあり、足利将軍家では七草粥にせず七種の雑炊を用いて、

御みそうづ、

と呼んだ(たべもの語源辞典)、とある。侍中群要(1071頃)には、

不入給日〈略〉如餹飯餠・味噌水・芋之類、

とある(精選版日本国語大辞典)。

江戸時代の『物類称呼』になると、

京都で正月七日の朝、若菜の塩こながきを祝って食べるが、これをふくわかしという。大坂・堺辺では、神棚に供えた雑煮、あるいは飯のはつほなどを集めておき、糝(こながき)に加えて食べるが、これを福わかしという。土佐では正月七日雜水に餅を入れたのを福わかしという。江戸で、正月三日上野谷中口の護国院に福わかしがあるが、これを大黒の湯という。男女が群集する、

とある(仝上)。どうやら、当初、

米の粉に水を加えてかき混ぜて煮立てた羹、

で、文字通り、

増水、

であったものが、今日の、

飯・野菜を入れて炊いた粥(江戸語大辞典)、

である、

雑炊、

に近くなっている。「雑炊」を、

雑菜粥、

とも呼ぶ(大言海)のは、この意味であろうか。

元来は白粥には味付けしなかったので、野菜や魚貝類を入れ、醤油や味噌で味付け、

するようになって、

雑炊、

と当てたものとみられる。

きのこ雑炊.jpg


「増水」と「白粥」の違いは、

増水は塩味を加えたが、白粥は塩味を加えなかった、

のである(たべもの語源辞典)。

こう見てくると、今日、「雑炊」と「おじや」の区別を、たとえば、

調理にあたり、米飯をいったん水で洗い、表面の粘りをとってから用いることで、さらっと仕上げたものが雑炊。そうでないのがおじや、
汁とともに温めるだけ、または水分が飛ぶほどには煮込まず、米飯の粒の形を残すものが雑炊。煮込んで水分を飛ばし、米飯の粒の形をさほど残さないのがおじや、
味噌や醤油で味付けをしたものをおじやと呼び、塩味または煮汁が白いものは雑炊と認識している地域がある。その一方で塩味に限らず醤油味のものも雑炊と呼ぶ地域もある、

等々とする(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E7%82%8A・語源由来辞典)のは、たとえば、

増水→こながき→みそうづ→おじや、

といったように、次第に「増水」から具を入れ、味付けするようになった歴史的経緯の、どの段階にあるかの差でしかないことがわかる。なお、沖縄料理のジューシー(本来の方言名はジューシーメー)は、

雑炊(雑炊飯)の転訛、

であるとされる(仝上)。

「雜」 戦国時代.png

(「雜」(簡牘文字・戦国時代) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%9C

因みに、「雜(雑)」(慣用ゾウ・ザツ、漢音ソウ、呉音ゾウ)は、

会意兼形声。木印の上は衣の変形。雜は、襍とも書き、「衣+音符集」で、ぼろ布を寄せ集めた衣のこと、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(衣+集)。「衣服のえりもと」の象形(「衣服」の意味)と「鳥が木に集まる」象形(「あつまる」の意味)から、衣服の色彩などの多種のあつまりを意味し、そこから、「まじり」を意味する「雑」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji875.html。いろいろなものが混じる、意である。「増水」の字では表しきれず、「雜」+「炊」とするには意味があった、と思える。

「雜」 成り立ち.gif

(「雜」成り立ち https://okjiten.jp/kanji875.htmlより)

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2021年04月24日

上戸


「上戸」は、

じょうご、

と訓むと、

下戸(げこ)の対、

の意となり、

じょうこ、

と訓むと、701年(大宝1)に制定された大宝律令で、

賦役に服す義務をもつ壮丁(課丁)が6~8人いる家を上戸、4~5人の家を中戸、3人以下のそれを下戸(げこ)、

といい(日本大百科全書)、「上戸」は、

四等戸(大戸・上戸・中戸・下戸)の第二、

の意となる(広辞苑)。また、そこから、

貧富によって民家を区別して、富む家を上戸、貧しい家を下戸、

という意味でも使った(日本大百科全書)、とある。ここでは、

酒の飲めない人、

の意の、

下戸(げこ)の対、

の意とされる、

上戸(じょうご)、

である。

酒のたくさん飲める人、

の意だが、

笑い上戸、
無き上戸、

といった、

因った時の癖、

から、

日常の癖、

に転用しても使われる(広辞苑)。

「上戸(じょうこ)」に引きずられたせいか、「上戸(じょうご)」も、

庶民婚礼、上戸八瓶下戸二瓶、

とある(群書類要)として、

婚礼に用いる酒の瓶数の多少から出た(広辞苑)、
「上戸」「下戸」は、もと民戸の家族数による上下を言ったが、婚礼に用いる酒の瓶の数から、飲酒量に関して用いるようになったという(岩波古語辞典・大言海)、

等々と、江戸時代の随筆『塩尻(しおじり)』が伝える『群書類要』の、

庶民婚礼、上戸八瓶下戸二瓶、

根拠とする説が大勢である。しかし、酒瓶の数は、酒瓶の数で、飲酒量のことを指してはいない。「上戸」「下戸」は漢語由来ではあるまいか。

按以飲酒、為大小戸、三國之時也、今以嗜酒號上戸、以上頓與戸大幷言也(経史摘語)、

とあり(字源)、「戸大」とは「酒豪」の意とある。「戸」は、

とぐち、とびら、

の意だが、

飲酒の量、

の意があり、

大戸、
小戸、

と使い、白居易の詩に、

戸大嫌甜酒、才高笑小詩、

とある(仝上)。

戸大は上戸、

とある(仝上)「甜酒(てんしゅ)」は、もち米を蒸し、発酵させた甘い酒である。辛党が好むはずはない。

「戸」は酒量の意で、酒飲みの意の「上頓(じょうとん)」「戸大(こだい)」の語の1字ずつをとって上戸とし、その逆を下戸とした(日本大百科全書)、

ともある。

上頓の訛りという。また飲酒を戸というのは三国からの語であるから、上頓と戸大をあわせて上戸といった(俚言集覧)、

とするのは、上述の「経史摘語」を指している。

この「上戸」の由来については、

秦の阿房宮は高くて寒いため、殿上の戸の内に宿直する者は多量の酒を飲んで上がったから(志不可起・一時随筆・卯花園漫録)、
秦の時代、万里の長城で門番をしている兵士がいました。万里の長城には「上戸」と呼ばれる寒さの厳しい山上の門と、「下戸」と呼ばれる往来の激しい平地の門があります。労をねぎらうために、上戸の兵士には体を温めるお酒を、下戸の兵士には疲れを癒やす甘いものを配ったそうです。それが転じて、現在の「上戸」「下戸」の意味になったとされていますhttps://jp.sake-times.com/knowledge/culture/sake_jogo

等々とするが、そんな付会をする必要はなく、「上戸」は、漢語、

大戸、
小戸、

あるいは、

戸大、

からきた、漢語由来と考えていいのではないか。

「戸」 漢字.gif

(「戸」 https://kakijun.jp/page/0452200.htmlより)

「下戸」も、

酒を飲み得ざる人、

とある(字源)。

「戸」(漢音ト、呉音ゴ・グ)は、

象形。門は二枚扉を描いた象形文字。戸はその左半分をとり、一枚扉の入口を描いたもの、

とある(漢字源)

「戸」 成り立ち.gif

(「戸」成り立ち https://okjiten.jp/kanji267.htmlより)

因みに、「上戸」と同じ意味の、「左党」は、

江戸時代、大工や鉱夫が右手に槌、左手にノミを持つことから右手のことを「槌手」、左手のことを「ノミ手」と言いました。この「ノミ手」が「飲み手」と同じ発音だったため、ダジャレのような感覚で、お酒飲みのことを「左利き」と呼ぶようになりました。「左党」もその派生語とされています、

との説がある(https://jp.sake-times.com/knowledge/word/sake_word-geko・笑える国語辞典)。

また、同義の「辛党」は、近代以降で、

酒が好きな人、
辛いものが好きな人
塩からいものが好きな人、

の用例は古くても1920年代ごろ、酒好きの意味にシフトしたのは、1930年頃、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E5%85%9A、最近の言葉のようである。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:上戸 下戸 左党 辛党
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