つごもり
わが待たぬ年は来(き)ぬれど冬草のかれにし人はおとづれもせず(古今和歌集)、
の、
つごもり、
には、
月末と月の最後の日と二つの意味がある、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
つごもり、
は、
晦日、
晦、
と当てる(広辞苑)。陰暦では、
三十日の夜は新月となる、
ことから(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%94%E3%82%82%E3%82%8A・日本大百科全書)、
月隠(つきごもり)の約(広辞苑・日本語の語源・デジタル大辞泉・大言海)、
月籠(つきこもり)の約(岩波古語辞典・日本語源広辞典)、
と、当字に差はあるが、ほぼ、
つきごもり、
の意とする。ただ、
単純なキの音節の脱落による(ツキゴモリ→ツゴモリ)という説は、他に類例がなく極めて疑問。意味上対をなすツイタチと音節数の平衡性を保つためにキが脱落したという見方もあるが、上代の複合語形成の原則からは、ツキタチ・ツキゴモリよりもツクタチ・ツクゴモリの方が自然であり、従ってツクゴモリ→ツウゴモリ→ツゴモリという変化過程も考えられる、
とあり(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、
ツキコモリは興福寺本「日本霊異記」訓釈に見られ、天治本・享和本「新撰字鏡」にはツキコモリ・ツクコモリの両訓が見られるが、特にツクコモリの意味の限定は難しい。上代において、「ツクコモリ」は「太陰」を表わし、「ツキコモリ」は暦日の「つき」を表わすという意義分化があった可能性もあり、意義の分裂に沿って語形の分裂が起こった可能性も否定できない、
とする(仝上)。平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)には、
日篇に覆、晦也、豆支己毛利、
と載り、類聚名義抄(11~12世紀)にも、
ツゴモリ、
と載る。文字通り、
月の光が隠れて見えなくなること、また、その頃、
を指し(広辞苑)、
陰暦にて、月の下旬、又、毎月の下旬の十日ばかりの程の称、
を言い、
下旬(つえつかた)、
と、
朔日・朔(ついたち)、
望(もち 月の十五日、望の日)、
に対する(大言海)。因みに、
望(もち)、
は、
持ちの義、
で、
月満ちて、日と相当たる意と云ふ、
とある(仝上)。
みそか、
は、上記の月の状態から、敷衍して、
月の最後の日、
を言い、
三十日(みそか)、
と当て(仝上)、
御寺(みてら)に渡りたまうて、月ごとの十四五日、晦日(つごもり)の日行はるべき普賢講(ふげんかう)、阿弥陀、釈迦(さか)の念仏の三昧(さんまい)(源氏物語)、
と、古くは、
つごもりの日、
ということが多い(広辞苑)。また、年の最終日は、特に、
大晦日(おおつごもり)、
という(日本大百科全書)。
みそか(三十日、晦日)、
を、
尽日(じんじつ)、
というのも月の最終日にあたっているからで、日常生活の節目として、
晦掃(つごもりばき)、
といい、毎月この日には家中をきれいに掃除したり、
晦蕎麦(みそかそば)、
といって延命を願ってそばを食べる等々、種々の行事があった。今日、大晦日の夜に食べる、
年越し蕎麦。
は、月の末日に祝って食べる蕎麦(晦蕎麦)の集大成ということになる(仝上)。
「晦」(漢音カイ、呉音ケ)は、
形声。毎(マイ)は「まげを結った姿+音符母」の会意兼形声文字。晦は「日+音符毎(カイ・マイ)」、
とある(漢字源)。「みそか」「つごもり」の意である。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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