あだなり
女郎花はなの心のあだなれば秋にのみこそあひわたりけれ(後撰和歌集)
の、
あだなり、
は、
浮気(あだ)なので、
と訳す(水垣久訳注『後撰和歌集』)。
あだなり、
は、
古今集、後撰集、拾遺集の三代集に用例が比較的多く、後拾遺集以後になると、相対的に少なくなっている傾向がみられる、
との指摘もあり(file:///C:/Users/sugit/Downloads/A525_Dissertation_%E5%85%A8%E6%96%87%20(1).pdf)、あまり辞書に載らないが(広辞苑・岩波古語辞典には載らない)が、
なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ、
の、形容動詞ナリ活用で、
会はでやみにし憂(う)さを思ひ、あだなる契りをかこち(徒然草)、
と、
はかない、
もろい、
の意、
そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍(はべ)らむ(紫式部日記)、
と、
誠実でない、
浮気だ、
の意、
確かに御枕上(まくらがみ)に参らすべき祝ひの物にて侍(はべ)る。あなかしこ、あだにな(源氏物語)
と、
疎略だ、
の意、
蝶(てふ)になりぬれば、いともそでにて、あだになりぬるをや(虫めづる姫君)、
と、
無駄だ、
無用だ、
の意などで使う(学研全訳古語辞典)。
あだし心、
で触れたように、
世は皆夢の幻(うつつ)とこそ思ひ捨つる事なるに、こはそも何事のあだし心ぞや(太平記)、
の、
あだし心、
は、
徒し心、
と当て(岩波古語辞典)、
浮ついた心、
と訳す(兵藤裕己校注『太平記』)ので、冒頭の、
あだなり、
と意味は重なる。ただ、
あだし、
は、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ
の、形容詞シク活用だが、
徒し、
のほか、
空し、
敵し、
仇し、
他し、
異し、
等々とも当て、意味を異にする。いずれも、古くは、
あたし、
であった(広辞苑・岩波古語辞典)。
君に逢へる夜霍公鳥(ほととぎす)他(あたし)時ゆ今こそ鳴かめ(万葉集)、
と、
他し、
異し、
と当てる、
あだし、
の意は、
異なっている、
別である、
になる。類聚名義抄(11~12世紀)には、
他、アタシ、
とある(広辞苑・岩波古語辞典)。
殿の御前の御聲は、あまたにまじらせたまはず、徒しう聞こえたり(栄花物語)、
の、
徒し、
空し、
と当てる、
あだし、
の意は、
花が実を結ばないこと、
実意・誠意がないこと、
いいかげんなこと、
無用、無駄、
空しい、
などになり(仝上)、
徒を活用せしむ語(眞(まこと)しき、大人(おとな)しき)、あだし契、あだし世、などと云ふは、終止形を名詞に接しむる用法にて、厳(いか)し矛(ほこ)、空し車、同例なり、
とあり(大言海)、
意味上はアダ(不実)の形容詞形と考えられるが、常に名詞と複合した形で使われる。アダシ(他)とアダ(不実)との意味と形の近似による混交の結果生じた語であろう。中世以後の例が多い、
とある(岩波古語辞典)。「あだし心」はその典型例になる。
王は外道に党(かたちは)へり(味方した)。それ敵(あだ)すべけむや(大唐西域記)、
と、
仇し、
敵し、
と当てる
あだし、
の意は、
敵対する、
はむかう、
になり(広辞苑・岩波古語辞典)、類聚名義抄(11~12世紀)には、
敵、アタル、カタキ、アタ、
とある。だから、
アタは仇、
とある(仝上)。
あだ、
で触れたことだが、
徒し、
空し、
敵し、
仇し、
他し、
異し、
とあてる「あだし」の語幹「あだ」は、いずれも古くは、
あた、
と、清音だが、
あだな、
で触れたように、これも、
他・異、
徒・空、
仇・敵、
の三通りがある。
あだ(他・異)、
は、
あたし(他し)、
から来ている。
他のものである、
という意味である(岩波古語辞典)。後世濁って、
あだし(他し)、
となるが、『大言海』は、
他、
異、
を当て、
徒(あだ)の、実なき意の、我ならぬ意に移りたる語にもあるか、
とし、
あだ(徒・空)、
は、上述したように、
徒(あだ)を活用せしむ(眞〔まこと〕しき、大人(おとな)しき)。アダシ契、アダシ世、などと云ふは、終止形を、名詞に接続せしむる用法にて、厳(いか)し矛、空し車、同じ年などと同例なり、
として、
あだ(他・異)、
と
あだ(徒・空)、
とを関連づけている。
あだ(仇・敵)、
は、『大言海』は、
仇(あた)に同じ、
として(仇(あた) 當(あた)るの語根、類聚名義抄「敵、アタル、カタキ、アタ」、日本釈名「仇、ウタは、當る也、、我れと相當る也、敵當の意なり」)、
憎むに因りて濁らするか(浅〔あさ〕む、あざむ。淡〔あは〕む、あばむ)、
としているが、『岩波古語辞典』は、
びたりと向き合って敵対するものの意、
とし、
敵、
自分に害をなすもの、
害、
うらみ、
としており、敵という状態表現から、害そのもの、さらにうらみへと価値表現へと広がっている、とする。
「徒」は、字鏡(平安後期頃)に、
譋、伊豆波利己止、阿太己止、
とあり、
無用の意を言うアヒダ(閒)の約(大言海・名言通)、
アダシ(他し)の語根(大言海)、
アナタ(彼方)の約言(和訓集説・萍(うきくさ)の跡)、
イタヅラの転(類聚名物考)、
など諸説あるが、「他」との関係について、上述したように、
徒(あだ)の、実なき意の、我ならぬ意に移りたる語にもあるか、
と、
他(異)し、
と
徒(空)し、
を繋げている(大言海)。有名な、
君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ(古今集)、
を、
徒し、
ではなく、
他し、
と当てている(岩波古語辞典)のを、上述したように、
(あだ(徒)しは)意味上はアダ(不実)の形容詞形と考えられるが、常に名詞と複合した形で使われる。アダシ(他)とアダ(不実)との意味と形の近似による混交の結果生じた語であろう。中世以後の例が多い、
とする(仝上)のは、意味の近さからではないか。
他し心、
は、
他に心を移している、
意であり、
徒し心、
は、それゆえの、
不実な心、
ということになる。もともと「あだし心」は、
異なる、他のものに心を移す、
という状態表現にすぎなかったが、そのこと自体に意味を持たせた価値表現へと転じ、
徒し心、
へとシフトしたのかもしれない。
仇し、
については、
あだ、
で触れたように、
仇(あだ)、
は、類聚名義抄(11~12世紀)に、
寇、アタ、カタキ、
怨、アタ、
とあり、その、
語源についてはいまだ確定的なものはない。『万葉集』の表記に始まって平安朝の古辞書における訓、中世のキリシタン資料の表記はすべてアタと清音になっており、江戸中期の文献あたりでは、いまだ清音表記が主流である。二葉亭四迷の『浮雲』を始め近代の作品ではアダと濁音化しているので、江戸後期から明治にかけて濁音化が進んだとみられる、
とあり(日本語源大辞典)、
當(あた)るの語根、名義抄「敵、アタル、カタキ、アタ」、日本釈名(元禄)「アタは、當る也、我と相當る也、敵當の意なり」(大言海)、
アタルの語根(和句解・日本釈名・和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、
アヒテ(相手)の約轉(名言通)、
アザ(他)の転呼(日本古語大辞典=松岡静雄)、
アナタ(彼方)の約言(和訓集説・萍[うきくさ]の跡・言元梯)、
無用の意をいうアヒダ(間)の約(名言通・)
「アタ(当たるの語幹)の変化」です。アタンスル(寇にする)が方言に残っています。アダと濁音になったのは憎む意の加わったものです(日本語源広辞典)、
アタはアタナヒ(寇)・アタヒ(能)・アタヒ(価)・あたへ(与)・アタラ(可惜)・アタラシ(可惜)・アタリ(当)などに共通の語根(岩波古語辞典)、
と諸説あるもののはっきりしないが、「仇(あた)に同じ」として、
憎むに因りて濁らするか(浅〔あさ〕む、あざむ。淡〔あは〕む、あばむ)、
と、その意味から濁点化したとみている(大言海)。もともと、
びたりと向き合って敵対するものの意、
と(岩波古語辞典)いう状態表現であったものが、「憎む」価値表現を加味したということかもしれない。で、
他・異、
↓
徒・空、
↓
仇・敵、
と、漢字を当て別けていったのではないか。ここからは、臆説だが、そもそもは、
あた、
は、
異なる、他のもの、
と、自分とは別のものという状態表現にすぎなかったが、それが、そのこと自体に意味を持たせた価値表現へと転じ、敵対を意味する、
あた(仇)、
となり、さらに、『大言海』の言う通り、空しい意味の、
あだ(徒)、
へとシフトしていったのではないか。
あたし→あだし、
と濁ることで、意味の変化との重なりが起きたということもあるのかもしれない。しかし漢字を当てない限り、
あた→あだ、
にすぎない。
あだなり、
も、
徒なり、
とあてるだけに、以上みた、
徒し、
の意と、
徒、
の意の持つ、
むなしい、
はかない、
変わりやすい、
意の外延に、
はかない→浮気だ(変わりやすい)→粗略(実のない)→無用だ(いたずらに)、
という意味を広げているのが見て取れる。
「徒」(漢音ト、呉音ズ・ド)は、
形声。「止(あし)+彳(いく)+音符土」で、陸地を一歩一歩とあゆむことで、ポーズをおいて、一つ一つ進む意を含む、
とあり(漢字源)、他も、
形声。「辵」+音符「土 /*TA/」。「あるく」を意味する漢語{徒 /*daa/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BE%92)、
形声。意符辵(ちやく)(あるく。は変わった形)と、音符土(ト)とから成る。歩く意を表す(角川新字源)、
形声。初形は辶+土に作り、土(と)声。辵(ちやく)の形をかえて徒となる。〔説文〕二下「辶+土は、歩して行くなり」とあり、車乗に対して歩行することをいう。装備のない従者・歩卒をいう。装備のないことから、徒手・徒跣のように用いる。副詞の「ただ」「ひとり」の意がある(字通)、
と形声文字としているが、
会意兼形声文字です(彳+土+止)。「十字路の左半分」の象形(「道を行く」の意味)と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)と「立ち止まる足」の象形(「足」の意味から、道を行く時に乗物に乗らず、土を踏んで「あるく」を意味する「徒」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji593.html)、
と、会意兼形声文字とするものもある。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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