望(もち)ぐたち清き月夜(つくよ)に我妹子に見せむと思ひしやどの橘(大伴家持)
の、
望(もち)ぐたち、
は、
十五夜過ぎの、
の意、
くたち、
は、
盛りを過ぎること、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
今夜(こよひ)の暁(あかとき)くだち鳴く鶴(たづ)の思ひは過ぎず恋こそまされ(万葉集)
の、
暁(あかとき)くだち、
の、
くだち、
は、最盛期が過ぎる意の動詞、
くたつ、
の名詞形で、
暁すぎ、
と訳し、
上三句は、「思ひすぎず」を起こす、
として、
今夜のこの暁過ぎに鳴いている鶴のように、わが胸の思いはいっこう晴れずに、
と訳す(仝上)。
くたち、
は、
降、
斜、
とあて、動詞、
くたつ(降)、
の連用形の名詞化で、
くだち、
ともいい(精選版日本国語大辞典)、
ある事柄や状態が終わりに近づくこと、
衰えること、
傾くこと、
をいう(仝上)ので、具体的には、
六月の晦(つごもり)の日、夕日のくたちの大祓へに(祝詞大祓詞)、
と、
日の傾くころ、
あるいは、
末となるころ、
の意や、
夜(よ)具多知(グタチ)に寝覚めて居(を)れば河瀬(かはせ)尋(と)め心もしのに鳴く千鳥かも(万葉集)、
と、
夜中過ぎ、
あるいは、
夜明けに近い頃、
の意となる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・広辞苑)。で、
朝露に咲きすさびたる月草(つきくさ)の日くたつなへに消(け)ぬべく思ほゆ(万葉集)、
と、
日降ち(日斜ち ひくだち)、
というと、
日が没すること、
日が暮れること、
夕日之降(クタチ)の大祓に祓へ給ひ清め給ふ事を(延喜式祝詞)、
と、
夕日の降(ゆうひのくたち)、
というと、
夕方、日が傾くこと、また、その時、
冒頭の、
望降(もちぐたち)清き月夜(つくよ)に我妹子に見せむと思ひしやどの橘、
と、
望降(もちくたち)、
は、
十五夜が過ぎる
意とも、
十五夜が更ける、
意ともされる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。動詞、
くたつ、
は、
た/ち/つ/つ/て/て、
の、自動詞タ行四段活用で、
降(くだ)ると同意、あやまる、あやまつ(大言海)、
クツ(朽)・クタス(腐・朽)と同根。人力でとどめ得ない自然の成り行きによって、盛りの状態が推移して終わりに近づき、変質して行く意(岩波古語辞典)、
ある状態が下降的に時とともに変化する(精選版日本国語大辞典)、
くつ(朽・腐)」と同語源。「くたつ」は「くたす」と自他の対立をなし、「くだる・くだす(下)」とも関係があるか(精選版日本国語大辞典)、
とあり、類聚名義抄(11~12世紀)に、
降、クダス、クダル、
日斜、ヒクダチ
平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、
斜、クダク、
色葉字類抄(平安末期)に、
斜、日斜、クダツ、ヒクタチ
とある。原義は、
我(わ)が盛りいたく久多知(クタチ)ぬ雲に飛ぶ薬はむともまたをちめやも(万葉集)、
と、
時が経過して朽ちていく、
おとろえる、
意で、それをメタファに、
日(ひ)晏(クタツ)まで坐(いま)し朝(まつりこときこ)しめして(日本書紀)、
と、
日の傾くころ、
山のはにいさよふ月の出でむかと待ちつつ居るに夜そくたちける(万葉集)
と、
夜がふける、
意でも使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
(「降」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%8Dより)
(「降」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%8Dより)
「降」(①漢音呉音コウ、②漢音コウ・呉音ゴウ)の異体字は、
夅(古字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%8D)。「昇降」「以降」「降雨と、「おりる」「下る」「ふる」意は①の音、「投降」と、「くだす」「くだる」意は、②の音、となる(漢字源)。字源は、
会意兼形声。夅(コウ)は、下向きの左足と右足を描いた象形文字で、下へくだることを示す。降は、それを音符として、阜(おか)を添えた字で、丘を下ることを明示したもの、
とある(漢字源)。同じく、
会意形声。阜と、夅(カウ)(下に向かって歩く)とから成り、高い所からおりてくる意を表す。ひいて「おろす」、したがえる意に用いる(角川新字源)、
会意兼形声文字です(阝+夅)。「段のついた土山」の象形(「丘」の意味)と「下向きの足の象形×2」(「くだる」の意味)から、丘を「くだる」を意味する「降」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji988.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、
会意。「阜」+「夂」×2、高いところから人の足が降りてくるさまを象る。「くだる」「おりる」を意味する漢語{降 /*kruungs/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%8D)、
会意。𨸏(ふ)+夅(こう)。𨸏は神の陟降する神梯の象。〔説文〕十四下に「下るなり」とするが、神の降下することをいう。〔書、多士〕「惟(こ)れ帝、降格す」とみえる。卜辞に「帝囗+┣(とが)を降(くだ)さざるか」「帝は大𦰩(かん 暵)を降さざるか」「疾を降すこと勿(な)きか」のように、これらはすべて上帝の意思によって下民に降されるものとされた。降雨も同じ。また「祖丁を降さんか」のように、祖霊の降下することを卜する例がある。神聖の命を以て与えられるものをすべて降といい、降命という。春秋期以後、降服の意にも用いる(字通)、
と、字解は同趣しながら、会意文字とするものがある。
(「斜」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%9Cより)
「斜」(①漢音シャ・呉音ジャ、②漢音呉音ヤ)は、
直に対する「ななめ」の意、「くむ」意、坂の意の場合は、①の音、陝西省の褒斜谷(ホウヤコク)の場合は、②の音、となる(漢字源)。字源は、
会意兼形声。余の原字は、土や雪を押しやるスコップを描いた象形文字。余は、それに八印(横に分ける)を加えた字で、ゆるめて横に伸ばす意を含む。斜は「斗(ひしゃく)+音符余」で、ひしゃくを傾けて中の液体を横に伸ばし流すことをしめす。のち、横にそれる意に用いられるようになった、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(余+斗)。「先の鋭い除草具」の象形(「自由にのびる」の意味)と「物の量をはかる為の柄のある、ひしゃく」の象形から、「手を伸ばし、ひしゃくで汲む」を意味する「斜」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1360.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「斗」+音符「余 /*LA/」。「くみとる」を意味する漢語{斜 /*sla/}を表す字。のち仮借して「ななめ」を意味する漢語{斜 /*sla/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%9C)、
形声。斗と、音符余(ヨ)→(シヤ)とから成る。くみだす意を表す。借りて「ななめ」の意に用いる(角川新字源)、
形声。声符は余(よ)。余に徐・除(じよ)の声がある。〔説文〕十四上に「抒(く)むなり」(段注本)とあり、斗を以てものを挹むことをいう。斗柄を斜めにして用いるので傾斜の意となり、また邪と通用することがある(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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