早行きていつしか君を相見(あひみ)むと思ひし心今ぞなぎぬる(万葉集)
の、
今ぞなぎぬる、
を、
山野での逢引きを果たした女の心、
と注釈し、
今ようやく静まりました、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
天離(ざか)る鄙(ひな)ともしるくここだくも繁(しげ)き恋かもなぐる日もなく(万葉集)
の、
なぐる日もなく、
は、
(奈呉(なごというのに))心休まる日とてなく、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
なぐ、
は、
和ぐ、
凪ぐ、
とあて、
ぎ/ぎ/ぐ/ぐる/ぐれ/ぎよ、
の、自動詞ガ行上二段活用で(学研全訳古語辞典)、
ナゴヤカ(和)のナゴと同根(岩波古語辞典)、
柔和な物を意味するナを活用した語。ナ行音は柔軟にきこえるところから(国語溯原=大矢徹)、
ナは推し留まる義、海や人の怒りが止まる意(国語本義)、
等々の諸説があるが、意味の始原から見ると、冒頭の二例の歌のように、
心の動揺がおさまる、
心が静まる、
穏やかになる、
なぐさむ、
なごむ、
といった意から見て、
ナゴヤカ(和)のナゴと同根、
が妥当なのではないか、と思う。それをメタファにして、
海つ道(ぢ)のなぎなむ時も渡らなむかくたつ波に船出すべしや(万葉集)、
と、
風がやみ海面が静かになる、
波風がおさまる、
波が穏やかになる、
意で使い(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、この場合、
凪ぐ、
とあてるが、さらに、
雲もなくなぎたる朝の我なれやいとはれてのみ世をばへぬらん(古今和歌集)、
と、
空がよく晴れる、
晴れて穏やかになる、
意でも使う(精選版日本国語大辞典)。平安時代以降は、
なぐ、
は、
身のうみの思ひなぐ間は今宵かなうらに立つ浪うち忘れつつ(平中物語)、
と、
が/ぎ/ぐ/ぐ/げ/げ、
の、自動詞ガ四段活用、
となり、
穏やかになる、
静まる、
意で使うようになる(仝上)。
凪ぐ、
の名詞化と思われる、
凪(なぎ)、
は、
和、
とも当てるが、
ナゴムルの義(類聚名物考)、
ナゴヤカ(和)のナゴと同根(岩波古語辞典)、
波風の止む意で、無(なき)の義(名言通)、
ナグ(薙)の連用形名詞(時代別国語大辞典-上代編)、
とあり、
凪ぐ→凪(なぎ)、
とは見られておらず、
上二段活用動詞「な(和)ぐ」の連用形名詞化したものであるならば、「なぎ」の「ぎ」は上代、乙類音でなければならないが、「朝なぎ」「夕なぎ」の「ぎ」を甲類音を表す字で記しているので、四段活用動詞の連用形の名詞化したものと想定する必要がある。それで、水面がなぎ倒されたように平らになることを意味する「な(薙)ぐ」の連用形の名詞化とする説がある、
とあり(日本語源大辞典)、
難波の宮は鯨魚(いさな)取り海片付(かたづ)きて玉拾ふ浜辺(はまへ)を清み朝羽振(あさはふ)る波の音騒(さわ)き夕なぎに楫の音聞こゆ(万葉集)、
の、
夕なぎ、
に、
夕薙(ゆふなぎ)、
と表記する例がある(仝上)としている。
薙ぐ、
は、
が/ぎ/ぐ/ぐ/げ/げ、
の、他動詞ガ行四段活用で、
王(みこ)の傍(かたはら)の草をなぎはらふ(日本書紀)、
と、
横に払って切る、
意で、その語源は、
ナミキ(並木)の義(名言通)、
ナミキル(靡切)の義(言元梯)、
などがあるが、大言海の、
投ぐに通づるか、
が面白い。
流れる、
で触れたように、
流る、
は、
ナガシ(長)、ナゲ(投)と同根。ナガは主に平面上を、線条的に伸びていくさま、
とあり(岩波古語辞典)、
ナぐ(投)、
は、
ナガ(長)を活用させた語。ナガル(流)と同根、
とある(仝上)。つまり、
なぐ(投)は、
長の活用、
に繋がり、
流る、
が
平面上を、線条的に伸びていくさま、
を示しているのと同様、
線条的に流れる、
動作を示していて、
投ぐ、
薙ぐ、
流る、
は、すべて、
長いさま、
を示していることになる。ここから考えられるのは、
凪、
は、波風がしずまる、
和ぐ、
ではなく、波風を、
薙ぎ払う、
方に意味がある、ということになる。なお、
ながる(流る)、
は、
れ/れ/る/るる/るれ/れよ、
の、自動詞ラ行下二段活用、
なぐ(投ぐ)、
は、
げ/げ/ぐ/ぐる/ぐれ/げよ、
の、他動詞ガ行下二段活用、
である(記学研全訳古語辞典)。
なぐ(和)、
の用例には、
うつせみの人なる我れや何すとか一日(ひとひ)一夜(ひとよ)も離(さか)り居て嘆き恋ふらむここ思へば胸こそ痛きそこ故に情奈具(こころナグ)やと(万葉集)、
の、
心和(こころな)ぐ、
は、
心がやわらぐ、
心が慰む、
意、
ほととぎす来鳴く五月(さつき)のあやめぐさ蓬(よもぎ)かづらき酒(さか)みづき安蘇比奈具礼(アソビナグレ)ど(万葉集)、
の、
遊び和(あそびな)ぐ
は、
遊んで気晴らしをする、
遊楽をして心を慰める、
意、
明けくれば出で立ち向ひ夕さればふり放(さ)け見つつ思ひ延(の)べ見奈疑(みナギ)し山に(万葉集)、
の、
見和(みな)ぐ、
は、
見て心が慰められる、
見て心がなごやかになる、
意である。ちなみに、
類聚名義抄(11~12世紀)に、
和、ヤハラグ・アマナフ・アヘモノ・カタル・ネヤス・ニコシ・ヤハシヌ・ヤハラカナリ・ヤハラカニ・シタガフ・カクル・トトノフ・カゾフ・ワカス・マジフ、
とある。
(「和」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%92%8Cより)
(「和」 楚系簡帛文字(簡帛は竹簡・木簡・帛書全てを指す)・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%92%8Cより)
(「和」 簡牘(かんどく)文字(「簡」は竹の札、「牘」は木の札に書いた)・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%92%8Cより)
(「和」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%92%8Cより)
「和」(漢音カ、呉音ワ、唐音オ)の異体字は、
咊(古字)、惒、訸、龢(原字)、𥤉、𥤖、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%92%8C)。字源は、
会意兼形声。禾は粟の穂のまるくしなやかに垂れたさまを描いた象形文字。窩(カ 丸い穴)とも縁が近く、かどがたたない意を含む。和は「口+音符禾(カ)」、
とあり(漢字源)、別に、
会意。禾(か)+口。禾は軍門の象。口はᗨ(さい)、盟誓など、載書といわれる文書を収める器。軍門の前で盟約し、講和を行う意。和平を原義とする字である。〔説文〕二上に「相ひ應(こた)ふるなり」(段注本)と相和する意とするが、その義の字は龢(わ)、龠(やく 吹管)に従って、音の和することをいう。〔周礼、夏官、大司馬〕「旌を以て左右和(くわ 禾)の門と爲す」の〔鄭注〕に「軍門を和と曰ふ。今、之れを壘門(るいもん)と謂ふ。兩旌を立てて以て之れを爲す」とあって、のち旌を立てたが、もとは禾形の大きな標木を立てた。のち華表といわれるものの原形をなすもので、華表はのち聖所の門に用いられる。金文の図象に、左右に両禾相背く形のものがある。〔戦国策、魏三〕「乃ち西和門を開きて、~使を魏にず」、〔斉一〕「交和(かうくわ)して舍す」のようにいう。のち桓(かん)の字を用い、〔漢書、酷吏、尹賞伝〕「寺門の桓東に瘞(うづ)む」の〔注〕に引く「如淳説」に、その制を説いて、「舊亭傳(駅)は四角の面百歩に、土を四方に築き、上に屋有り。屋上に柱の出づる有り。高さ丈餘。大板(版)有り、柱を貫きて四出す。名づけて桓表(くわんへう)と曰ふ。縣の治する所、兩邊を夾(はさ)みて各一桓あり。陳・宋の俗言に、桓の聲は和(くわ)の如し。今猶ほ之れを和表(くわへう)と謂ふ」とみえ、両禾軍門の遺制を伝えるものであろう。調和の意は、龢字の義であるが、いま和字をその義に用いる(字通)、
と、会意文字とするものもあるが、
会意文字とする説があるが、これは誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%92%8C)、他は、
形声。「口」+音符「禾 /*KOJ/」、「龢」の偏を入れ替えた異体字。「調和する」を意味する漢語{和 /*gooj/}を表す字(仝上)、
形声。口と、音符禾(クワ)とから成る。人の声に合わせ応じる、ひいて、心を合わせて「やわらぐ」意を表す(角川新字源)
形声文字です。「口」の象形と「穂先が茎の先端に垂れかかる」象形(「稲」の意味だが、ここでは、「會(か)に通じ、「会う」の意味」から、人の声と声が調和する「なごむ」を意味する「和」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji45.html)、
と、形声文字としている。
「凪」(なぎ)は、
会意文字。風の略形と止とを合わせたもので、日本製の漢字、
とあり(漢字源)、他も、
会意。風の略体「⺇」と「止」で構成される。日本で作られた漢字。国字。(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%87%AA)
会意文字です(⺇(風)+止)。「風にはらむ帆」の象形(「風」の意味)と「立ち止まる足」の象形(「止まる」の意味)から、「なぐ。また、なぎ(風や波が止む事)」を意味する「凪」という漢字が成り立ちました。「凪」は国字(日本で作られた漢字)です(https://okjiten.jp/kanji2304.html)、
会意。𠘨(風の省略形)と、止(やむ)とから成り、風がやむ意を表す(角川新字源)、
国字。風の省形+止。海面に波たたず、おだやかな状態にあることをいう。朝凪・夕凪のように用いる。「和(な)ぐ」の名詞形。〔万葉〕には「夕薙」のようにしるしており、凪という字は〔文明本節用集〕などに至ってみえる。凩(こがらし)・凧(たこ)なども、みな同じ造字法で、風の省文に従う。卜文では風はもと鵬の飛ぶ形に作り、音符として凡(はん)を加え、それがのち風の字となった(字通)、
と、国字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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