まゆふ


白栲の袖はまゆひぬ我妹子が家のあたりをやまず振りにし(万葉集)

の、

まゆひぬ、

は、

ほつれて隙間ができた、

意である(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

まゆふ、

は、

迷ふ、
紕ふ、

とあて(デジタル大辞泉)、

マヨフの母音交替形、

とあり(岩波古語辞典)、

織物が古びて糸が弱り、タテ糸・よこ糸の間がゆるんで、すき間ができる、

意である(仝上)。

まよふ、

は、

まよひ

で触れたように、

は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、

の、自動詞ハ行四段活用で、

迷ふ、
紕ふ、

とあて(広辞苑・学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)、

布の織目がゆるんで薄くなり、絲が片寄るのが原義、転じて、ものごとの整理がつかなくなる意、後に「まどう(惑)」と混同(広辞苑)、
たて糸・よこ糸が乱れて、片寄る意。また髪がほつれる意。抽象的には心が乱れる意。後に、マドフ(惑)と混同(岩波古語辞典)、
布の織目がゆるんで糸が片寄るというのが原義で、これから転じて、物事や心の整理がつかなくなる、の意に用いられるようになり、のちに「まどう(惑)」と混同された(精選版日本国語大辞典)、
布の織目がゆるんで糸がかたよるというのが原義で、万葉集に例が見える。これから転じて、物事の整理がつかなくなる、の意に用いられるようになり、のちに「まどう(惑)」と混同された(日本語源大辞典)、
マ(織物の目)+ヨウ(酔)で、織物の目の間隔が片寄り、ゆるむ意から迷う意に、後に、マドウとの混同が起こり、現在の迷うに至った(日本語源広辞典)、

と、ほぼ一致した解釈になっている。和名類聚抄(931~38年)に、

紕、漢語抄云、萬與布(まよふ)、一云、與流(よる)、繒欲壊也、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

紕、マヨフ・ヨル・クミス、

とあり、類聚名義抄(11~12世紀)に、

迷、マドフ・ウツス・ユク・タガフ

字鏡(平安後期頃)に、

迷、ミダル・マドフ・ウツス・ウツル・シタガフ・ユク、

とあるところからも、その変化がうかがえるように、原義は、

布の織目がゆるんで糸がかたよる(日本語源大辞典)、
布の織目がゆるんで薄くなり、糸が片寄る(広辞苑)、
たて糸・よこ糸が乱れて片寄る意、また髪がほつれる意(岩波古語辞典)、
布の織目がゆるんで糸が片寄る(精選版日本国語大辞典)、

と、

布帛の経緯の乱れて片寄ること、また、皺よること(大言海)、

の意で、冒頭の歌も、その意味である。それが転じて、

物事や心の整理がつかなくなる、の意に用いられるようになり、のちに、「まどう(惑)」と混同された(日本語源大辞典)、
物事の整理がつかなくなる意、後に「まどう(惑)」と混同(広辞苑)、
抽象的には心が乱れる意、後にマドフ(惑)と混同(岩波古語辞典)、
物事や心の整理がつかなくなる、の意に用いられるようになり、のちに「まどう(惑)」と混同された(精選版日本国語大辞典)、

と、今日の、

迷う、

意へと変わっていく。たとえば、冒頭の歌や、

今年(ことし)行く新島守(にひしまもり)が麻衣(あさごろも)肩のまよひは誰(た)れか取り見む(万葉集)

の、

(織り糸が)乱れて片寄ること、

をメタファに、

白き御衣(みそ)に、髪はけづることもし給はで、ほど経ぬれでまよふ筋なくうちやられて(源氏物語)、

と、

(髪の毛などの)ほつれ、乱れ、

には転じやすいが、

峯巖(たけいはほ)紛(マヨヒ)錯(まし)りて(日本書紀)、

では、

物が複雑に入りまじる、
錯雑する、

意で、

けはひ広々として、まかで参りする車、多くまよふ(源氏物語)、

では、

物が入り乱れて、移り動く、
さまよう、
右往左往する、
混雑する、

意で使われ、

わだの原こぎ出でて見ればひさかたの雲井にまよふ沖つ白浪(今鏡)、

では、

まぎれて区別がつかないようになる、
まがう、

意となり、抽象度が上がり、

いづかたの雲路に我もまよひなむ月の見るらむこともはづかし(源氏物語)、

では、

目標が不確かなためにまごまごする、
さまよう、

意に、

しめゆひし小萩がうへもまよはぬにいかなる露にうつる下葉ぞ(源氏物語)、

では、

判断を下しかねる、
どうしてよいかと心が乱れる、
あれこれと思い悩む、
途方(とほう)にくれる、

と、心の内の錯綜に転じ、

まよひけるぞや、生死(しょうじ)の海山を離れやらで帰る八島の恨めしや(謡曲・八島)、

と、

煩悩や悪い誘惑などに心をまどわす、
煩悩に妨げられて悟れない、
成仏できない、

意に、さらに、今日の、

金にまよう、
女にまよう、

というような、

誘惑される、

意に使われる(精選版日本国語大辞典・広辞苑・岩波古語辞典)というように、

惑ふ、

の意味と重なっていくには、それなりに訳がある。

惑ふ

は、

は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、

の、自動詞ハ行四段活用で、奈良時代は、「古事記」に見える神名「大戸惑子神」の訓注に、

訓惑云麻刀比、

とあるところから、

まとふ、

と、清音で(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、本来は、

事態を見極められず、混乱して応対の仕方を定めかねる意(広辞苑)、
事態をじゅうぶん把握できずに対処のしかたに迷う意(精選版日本国語大辞典)、
事態を見極め得ずに混乱して、応対の仕方を定めかねる意、類義語マヨフは、本来は、布が薄くなって織糸が片寄り乱れる意(岩波古語辞典)、

とあり、

秋山の黄葉(もみち)を茂み迷(まとひ)ぬる妹を求めむ山道(やまぢ)知らずも(万葉集)、

と、

どの道を進んだらよいかわからなくなる、
道に迷う、

意や、

月読(つくよみ)の光は清く照らせれど惑(まとへ)る心思ひあへなくに(万葉集)、

と、

考えが定まらずに、思案する、
分別に苦しむ、
途方に暮れる、

意や、

あのくしの箱得んとあめりとのたまへば、まどひ持て来て(落窪物語)

と、

どうするという考えもないうちに、まごつきながら行動する、
あわてる、

意だが、平安時代後期になると、

その胸をやみ給ひし夜は、いみじうまどひて(落窪物語)、

と、

あれこれ難儀する、
苦労する、
苦しむ、
なやむ、

意と、

まよふ(迷)、

との区別が薄れ、

御髪の久しう梳(けづ)りなどもせさせ給はねど、まどへる筋なくゆらゆらとして(狭衣物語)、

と、

髪などが乱れる、
ほつれる、

意でも使うに至る(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。両者の差は、

まよう(まよふ)、

が、

進む道や目標がわからずあちこち動き回るという行動に重点がある、

のに対して、

まどう(まどふ)、

は、どちらかというと、

どうしたらよいかわからずおろおろするという心理状態に重点がある、

とされる(精選版日本国語大辞典)。ちなみに、

まよふ、

の語源は、

マ(目)+ヨウ(酔)が語源、方向がはっきりしない意(日本語源広辞典)、
マ(織物の目)+ヨウ(酔)で、織物の目の間隔が片寄り、ゆるむ意から迷う意に、後に、マドウとの混同が起こり、現在の迷うに至った(仝上)、
マヱフ(目酔)の転か(和訓栞・大言海)、
メ(目)ヨロバフの約か(名言通)、
マヨフ(間従経)の義(言元梯)、
マヒ(舞)の義(和句解)
マヨオフ(任依会生)の約(国語本義)、
「迷」の字音から(外来語辞典=荒川惣兵衛後)、

と諸説あるが、前述の原義から見れば、

マ(織物の目)+ヨウ(酔)で、織物の目の間隔が片寄り、ゆるむ意、

以外は、原義を忘れた妄説のようである。

「迷」「紕」.gif


「紕」(①漢音ヒ・呉音ビ、②漢音呉音ヒ)は、「まよひ」で触れたように、

会意兼形声。「糸+音符比(ならぶ)」、

とあり(漢字源)、動詞「紕(ひ)す」の、糸を並べて紐をくむ、意の場合①の音、名詞で、布端のほつれ、転じてもつれ、乱れの意の場合は②の音になる(仝上)。しかし、他は、

形声。「糸」+音符「比 /*PI/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%95

形声。声符は比(ひ)。〔説文〕十三上に「氐人(ていじん)の糸+罽(けい)(毛織物)なり」とするが、〔詩、鄘風、干旄〕に「素絲、之れを紕にす」とあり、〔伝〕に「紕は組を織る所以(ゆゑん)なり」と組紐(くみひも)として飾る意とし、その用義が古い。〔方言、六〕に「紕は~理(をさ)むるなり。秦・晉の閒には紕と曰ふ」とみえる(字通)、

と、形声文字としている。

「迷」.gif

(「迷」 https://kakijun.jp/page/0973200.htmlより)

「迷」(慣用メイ、漢音ベイ、呉音マイ)は、「まよひ」で触れたように、

会意兼形声。「辵+音符米(小粒で見えにくい)」、

とあり(漢字源)、同趣旨で、

会意兼形声文字です(辶(辵)+米)。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「道を行く」の意味)と「横線が穀物の穂、六点がその実(米)を表す」象形(「多くのもの」の意味)から、道が多すぎて「まよう」を意味する「迷」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji739.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。辵と、音符米(ベイ)とから成る。「まよう」意を表す(角川新字源)、

形声。「辵」+音符「米 /*MI/」。「まよう」を意味する漢語{迷 /*mii/}を表す字。
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BF%B7

形声。声符は米(べい)。〔説文〕二下に「或(まど)ふなり」とあり、〔玉篇〕に「亂るるなり」とする。〔詩、小雅、節南山〕「民をして迷はざらしむ」、また〔書、無逸〕「殷王受(紂)の、迷亂して、酒徳に酗(よ)へるが若(ごと)くすること無(なか)れ」のように、徳の乱れることをいう。詐(いつわ)って狂することを迷陽といい、生きかたを誤ることを迷途という(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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